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みちのくの風の旅人

米沢・山形・東北の自然や文化を季節の便りとして届けています。

戦後70年の年を前に(6):1年前の想い '14-8-18

2015-08-25 06:00:48 | 日記・エッセイ・コラム

上杉家御廟所

 

 朝散歩していると、半袖・短パンでは肌寒くなった。今年の秋は訪れが早い様である。最高気温が25度以下、最低気温も15度以下と、きょうの天気予報は9月半ばから下旬並みである。


 上杉家御廟所には歴代藩主の墓があり、300年以上前からゆっくりと時間が流れている。   

 戦後70年の年月も長いようで、まだ短いと言えるかもしれない。

 昨年は、戦後70年節目の年の1年前に当たっていた。今年以上に、昨年の8月に戦争に関わる記事をいろいろと書いた。

 今振り返って見ても、その時に考えた想いは変わっていない事に気付かされた。

  そこで、今回1年前の旧ブログからの移管記事(ocn→gooブログ)を再編集、再構成して数回に分けて再掲載することにした。 
            今回が、その最後の記事となった。 


  終戦の日を過ぎて(3:黙して語らぬ偉人  2014-08-18 06:12:19 | テレビ番組

 8月10日の夜、テレビ番組の「ありえへん∞世界」スペシャルで故「工藤俊作」氏の戦時中の話が取り上げられていた。本人は死ぬまで家族にさえ、敵兵の救出劇の事を話さなかったという。当時救出された英国人の自叙伝で明るみになり、日本の武士道精神を称えていたという。命の恩人の墓参りをどうしても生きている間にしたいと、日英の外務省の支援も受けて2008年12月、2度目の来日(当時89歳)でようやく実現できた。

Cimg5936 

 日本海軍の軍人としてというよりは、一人の日本人として称賛に値する人物である。山形県人として、また母校の先輩としてもこの様な人がいたことを、大変誇りに思える。

 番組終了後twitter上でも、若い世代の人達から感動のつぶやきが多く見られた。Web上で検索して出て来た中で、比較的自分にも共感できるブログがあったので、Wikipediaの記事の次に掲載することにした。

 ただ、Web上ではブログなどで愛国者気取りの人たちが、取り上げていることが多かったのは残念なことだと思う。工藤艦長が黙して語らなかったのは、この様な事を危惧していたのかも知れない。


Cimg6012

 

 誇り高き日本人がいたことは事実だが、その他多くの日本人は、海外の戦場で戦争と言う名の下で、他国の人々の多くを苦しめた事実は消え去ることは出来ない。従軍慰安婦問題も同様であり、日本軍が強制的に連れて行ったか否かが、さも大きな問題として取り上げられがちだが、従軍慰安婦が存在した事実は消えない。

 近隣諸国の多くの人々の声なき声に謙虚に耳を傾ける、器量の大きな政治家が活躍できる日本であって欲しい。

 形容詞の使い方に違和感を感じる、積極的平和主義という言葉、自分だけだろうか?

※ 1枚目の写真は新潟県新発田市で、2枚目は福井県永平寺で
  撮影したものである。

 

 

    Wikipedia より +++++++++++++++

  工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 ? 1979年(昭和54年)1月12日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中佐。1942年3月、駆逐艦「雷(いかずち)」 艦長時、スラバヤ沖海戦で撃沈された英国艦船の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物である。

 山形県東置賜郡屋代村(現高畠町)で、農家の工藤七郎兵衛、きんの次男として生まれる。山形県立米沢中学校を経て、1920年海軍兵学校に入学(第51期)。1940年陸上勤務となり、海軍砲術学校教官、横須賀鎮守府軍法会議判士を務めた。同年11月、駆逐艦「雷」艦長となり太平洋戦争を迎えた。

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 大津秀一 オフィシャルブログ(下記のURL)に詳細の記述があります。参考にして下さい。 

 見出し;昔はすごい人がいたもんだ 工藤俊作艦長の話

 黙して語らなかった偉人     http://ameblo.jp/setakan/entry-11392943467.html

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戦後70年の年を前に(5):1年前の想い '14-8-17

2015-08-24 06:27:55 | 日記・エッセイ・コラム

  昨晩、今年で38回目の24時間テレビが終わった。

 夏の終わりを告げるイベントとして定着している。都会ではまだ夏休みの学校も多いが、山形県内のほとんどの小中学校では、既に2学期の始業式は先週末に終わっている。

 ※ 後日24時間テレビに関する記事をブログに載せたいと考えている。

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Cimg8023

 

Cimg8019

 

 

 

 

 

 

 

 

    ↑  昨年、上杉神社周辺でお盆の頃に撮影した写真である。 ↑


     終戦の日を過ぎて(2:盆踊り ) 2014-08-17 05:30:00 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg6017 終戦の日の15日と16日さらに20日の三日間、近くの熊野神社で盆踊り大会が40年以上前から毎年行われている。全国各地には様々な盆踊りがあり、されぞれ何百年以上前から続いているものもあるらしい。今は亡き先祖の霊に、今生きている人たちが元気で幸せに過ごしていることを歌と踊で伝え、慰めるのが盆踊りの起源となっているらしい。Cimg8035

 きのうの16日は送り盆、朝から昼過ぎまで断続的に強い雨が降った。しかし、夕方からはピタリと雨が止み、盆踊り2日目も賑やかに行われた。

 

 


Cimg8037 子供の頃、16日の夜は暗くなる頃に送り火を焚いた、13日に迎えた先祖の霊を再びお墓に帰すための儀式だった。13日の迎え盆から16日の送り盆まで、物心が付いた頃から大人になるまで、少しも変わらなかった。

Cimg8043  昭和40年代の高度経済成長の時代、急速に車が増え交通事故で毎年亡くなる人が、全国で1万人以上を越え、現在の2倍以上の人達が命を落としていた。当時交通戦争と形容されていた時代である。その様な時代背景の中で、熊野神社交通安全祈願盆踊り大会がスタートし、今年で46回目を迎えた。江戸時代やそれ以前に始まった盆踊りとは異なったいきさつで始まった盆踊りであるが、昔から米沢や置賜地域全般で踊られていた、盆踊りそのものである。

 

 

 Cimg8039 Cimg8054

 

 

 

 

 

 

 

 

     ~ 

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戦後70年の年を前に(4):1年前の想い '14-8-16

2015-08-23 07:27:23 | 日記・エッセイ・コラム

  熊野神社の盆踊り大会のやぐらに、「戦後70年平和の祈り」の看板が掛けられ、夜になると綺麗に輝いていた。

 10年前や20年前にも、この様な戦後60年や50年の看板があったかどうかは定かではない。どうも無かった様な気がする。

 ところで、20日で終わった盆踊りには、開催期間中に天候に恵まれたこともあり、例年にない多くの人出を記録したと、地元の主催者の一人が話していた。その数1000名を越えた。

  きょうの午前中、やぐらの解体作業が神社の氏子達によって行われる。例年、盆踊り最終日直後の日曜日にすることになっている。やぐらの柱の1本1本に目印の文字が書いてあり、組み立てる時も、解体する時も、1年間保管する時も。手際良く作業が進むように配慮されている。 

 ※ 下の写真は今朝の6時過ぎに撮影したものである。きのうの朝と同じく、霧雨が降っていた。
    ↓              ↓                   ↓

 


  終戦の日を過ぎて(1:無益な戦争 ) 2014-08-16 13:15:47 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の人口の80%以上が戦後生まれの人達になっている。自分自身も戦争時代の事は知らない。まして自分の子供達や孫は殆ど戦争の事に関心が無い。子供にはまだ生きている祖父母がいるいれば、貴重な話を聞くことが出来る。残された時間は少ない。
Cimg6015  シベリア抑留から帰国した伯父は90歳を超えたが、夫婦で元気に農作業をしている。捕虜になった当時、所属した日本の所属部隊のまとまりが良かったことと、ソ連軍の関係した部隊の運に恵まれて酷い扱いをあまり受けなかったという。多くの抑留者が過酷な労働と飢餓で再び故郷の土を踏むことが出来ず、6万人以上命を落とした。伯父にも辛い記憶があったはずだが、あまり語りたがらない。40年以上前に内臓の大手術をしているが、20代の頃の戦場やシベリアでの生活が、少なからず影響しているものと思う。

Cimg6014  無益な戦争を起こさないためには、アジアの周辺国である中国や韓国、北朝鮮、さらにロシアとの関係を良好に保つ以外の道は無い。一番大切なのは外交力であって、軍事力ではない。日本の政治家は、一部の声高な声に乗せられることなく、冷静に将来の日本のために行動してもらいたい。

 尖閣諸島の国有化の問題は、明らかな外交上の失敗に近いものである。中国の横暴さにも目に余るものが有るが、石原慎太郎元東京都知事の中国をいたずらに刺激する言論や行動によって、その後の中国国内の暴動で失われた損失は、計り知れない。その責任を政治家として何も取ろうとしない身勝手さには呆れるばかりである。

 都民の中には石原氏の支援者が沢山いるのだろう。日本の首都にそのような人たちが沢山いることが心配だが、こんな思いを抱くのは自分だけではないだろうと思う。

 ※ この数日のブログには、本文と無関係の写真を載せている。これらは6月末から7月初めにかけて訪れた、東尋坊永平寺の写真である。ちなみに今日と明日は永平寺で撮影したもので、終戦の前の日のものは東尋坊である。

    ~ 

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終戦の日に寄せて:1年前の想い '14-8-15

2015-08-22 06:18:37 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝は涙雨の1日で始まった。きのうとは違い、天気予報では今日は蒸し暑い(最高気温が30度)1日になりそうだの事だった。
 きのうは最高気温が25度を下回り、9月半ばの様な涼しさだった。

 

 昨年は、戦後70年の節目の年の1年前に当たっていた。今年以上に、昨年の8月には戦争に関わる記事をいろいろと書いた。

 今振り返って見ても、その時に考えた想いは少しも変わっていない。

 今日の記事は、昨年の終戦の日に書いたものである。ただし、旧ブログからの移管記事(ocn→gooブログ)のために、読みやすいように再編集、再構成して掲載している。 

 



   終戦の日 ~戦争と平和~ 2014-08-15 16:04:13 | 日記・エッセイ・コラム

 69年前日本の無条件降伏によって太平洋戦争は終結した。多くの軍人のみならず、沖縄での激しい戦いによる一般人、東京はじめ日本各地の空襲での犠牲者、広島と長崎の原爆の犠牲者、尊い命が失われた。2度と戦争をしてはならないと誓い69年、こらからも平和な日本を世界に発信続けなければならないと思う。

 そのためには、戦争の被害者としてばかりではなく、加害者としての側面を併せ持っていることを忘れてはならない。このことを履き違えると、近隣諸国に誤解と更なる反感を招きかねない。

 昨晩遅く、NHKスペシャル「少女たちの戦争」を見た(詳細は以下の記事の通り)。当時小学生だった人たちの、生の声にはとても説得力があった。子供たちの心に忍び寄る戦争の影。二度と戦争はしてはならない。

 ***** NHKスペシャルの記事を引用 **************************

  少女たちの戦争   ~197枚の学級絵日誌~

     http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20140814 (← 新URLに変更しています) 
                                   2014年8月14日(木) 午後10時00分~10時49

Thum_01

  滋賀県大津市に、太平洋戦争末期の1年間小学5年生の少女たちが書き続けた絵日誌が残っている。この絵日誌が今、銃後の戦争を知る貴重な資料として、海外の大学の研究者から注目を集めている。日誌が描かれ始めたのは昭和19年4月。「感じたことをそのまま書きなさい」と若いImg_01女性教師の指導の下、日々の学校生活や友人関係、家族のことが瑞々しく綴られた。 ところが秋を過ぎると、少女たちは感じたことを書けなくなっていく。町に次々と届く戦死者の報せ、出没する米軍機。他人の前では感情を押し殺し矛盾した行動を繰り返す大人たちの不可解な姿。ヒタヒタと迫ってくる戦争の影は、農村の小学校の1学級も覆っていく。
Img_02 

 今80歳を超える元少女たちは、日誌を書き始めて70年となる今年、改めて当時の自分たちの心の変化や大人たちの不可解な行動、そして教師が何故日誌を書かせたのか、関係者を辿って振り返ろうとしている。「自分たちの体験した戦争とは何だったのか」。彼女たちの戦争を見つめ直す軌跡に同行しながら、当時多くの地域が経験した戦争の実感・心の移ろいを見つめる。

 
 



   戦争は当時の子供たちにも大きな影響を与えていた。

  今年に入ってからも、沖縄で最後まで戦い続けようとしていた少年兵の証言や、YBCテレビの夕方6時の戦争体験者の特集を見て、改めて戦争の悲惨さと理不尽さを考えさせられた。

  ~ 

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戦後70年の年を前に(3):1年前の想い ’14-08-14+

2015-08-21 06:17:10 | 日記・エッセイ・コラム

 昨晩は5軒の夜店も開かれて、熊野神社の盆踊りは大変盛況だった。今年は現在のところ、お盆過ぎになってからは寝苦しい夜も無く、朝夕は平年並みの涼しさとなり大変過ごし易くなった。

 


    終戦の日を前にして(2:伯父たちの戦死 )     2014-08-14 20:41:36 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg5984 私が生まれる8年前には、まだ戦争中だった。物心の付いた昭和30年代の前半は、まだまだ貧しい時代だった様に記憶している。ラジオが有っただけで、文明の利器と呼ばれる物は何も無かった。当時子供の頃、両親や祖母、伯父や伯母から戦争の事や、戦死した伯父の話を聞いた。祖父は戦死した息子の悲しみを抱きつつ、私が生まれる2年前に亡くなった。伯母達の夫も戦死している。不幸な戦争が無ければ伯父たちと会えたと思うと、運命Cimg5989を恨むしかない。

  36・37年前伯母がよく行く浦和の氷川神社に、朝の散歩に一緒に出掛けたのを、今でもよく覚えている。伯母は戦死した夫の慰霊のために毎日の様に訪れていた。

  自分の子供たちは、昭和から平成に変わる時代に生まれ、戦争の事は殆ど知らない。戦争の理不尽さを知らない人がますます多くなり、反戦・平和の運動も下火になりつつあり、若者は殆ど関心を示さない。今から40年以上前の高校生の頃「戦争を知らない子供たち」と言うフォークソングが流行した。今でもよく覚えている。

  ※ 以下、Googleの検索記事を引用した。

 


   戦争を知らない子供たち(ジローズ)の歌詞

 戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った おとなになって 歩きはじめる 平和の歌を くちずさみながら 僕らの名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 若すぎるからと 許されな...

 
1970年に発表されたジローズ(第二次)のヒット曲。作詞は北山修、作曲は杉田二郎。 1971年2月5日にレコードが発売されるとオリコンチャート最高11位、196,000枚を売り上げるヒット曲となった。

    ~ 

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戦後70年の年を前に(2):1年前の想い ’14-08-14

2015-08-20 08:22:16 | 日記・エッセイ・コラム

上杉家御廟所

  今日の記事は、1年前の終戦の日の前日にUPした記事である。

人間魚雷シベリア抑留、風化させることの出来ない、辛くて悲

しい現実である。

 

 散歩の途中、時々上杉家御廟所の直ぐ近くを通ることがある。 →
数日前の写真だが、10年前も30年前もほとんど変わらない。 →

 


  終戦の日を前にして(1:戦争の悲劇 ) 2014-08-14 07:08:09 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年この時期になると、太平洋戦争の特集番組が放送される。今なお広島と長崎の原爆の悲劇は終わる事無く、原爆を知らない2世・3世の人たちも、体に原爆の傷を負い苦しめられている。

Cimg5981  戦況が悪化し人間魚雷の製造に関わった91歳の人が重い口を開いた。今自分が生きている間に、どうしても伝えておきたいという、使命感からの行動だった。能登半島の珠洲市で市民を前に、戦争の悲劇を伝える姿がとても印象的だった。



  2014年8月13日放送 5:00 - 6:30 NHK総合
  NHKニュース おはよう日本 (リポート)

 石川県珠洲で杭田忠三さんは戦争体験について語った。内容は人間魚雷「回天」携わった経験だった。杭打さんは戦争当時、広島の呉海軍工廠に見習いとして入り、訓練後に配属されたのは回天を運ぶ潜水艦の設計部門であった。金沢で会社を起こした杭田さんは当時の仲間が亡くなる中で回天について伝えようと考えたという。回天について思い出そうと石川県白川にいる、乗組員の三納寛のもとを訪れ話を伺った。そうして迎えた講演の日、杭田さんは回天について語り出した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 シベリア抑留には多数の女性がいた事について、本人や姉妹のドキュメンタリーの番組もあった。筆舌を尽くし難いとしか、形容できない。二度と戦争は起こしてはならない、同じ不幸は2度と繰り返してはならないという、強い思いを戦争を知らない世代の人々に伝えておきたいと使命感から、辛い体験を話されていた。

 シベリア抑留者の苦難の歴史を掘り起こす、全国抑留者補償協議会の戦後の歩みと活動の中で、斎藤六郎会長(山形県出身 故人)の果たした役割の大きさを仲間たちが語っていた[参加者の高齢化により、協議会の役割と意義について一定の成果があったとして、平成23年に解散した]。  

    ~ 

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戦後70年の年を前に(1):1年前の想い '14-08-09

2015-08-19 10:54:55 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年は、戦後70年の節目の年の1年前に当たる。そこで、昨年の8月にも戦争に関わる記事をいろいろと書いた。今振り返って見ても、その時に考えた想いは変わっていない事に気付かされる。

 

 ↑ 散歩コースの空き地に咲いていた朝顔  

  明日最終日となる盆踊り大会のやぐらの最上部には、平和の祈りの灯りが燈る。 ↑


 昨年9月半ば、(ブログ管理元の事情により)ocnブログから現在のgooブログに過去の記事を全て移管することになったが、100%満足できるレベルには至らなかった。結局昨年8月以前の300以上の記事はバックナンバーからアクセスすると、不完全な部分がいろいろと目に付いたままである。

  そこで、今回1年前の記事を再編集して、再構成して数回に分けて再掲載することにした。  


ノーモア長崎・ノーモア広島  2014-08-09 13:09:38 | ニュース

  原爆投下から69年、平和への願いは裏切り続けられている。今日は長崎の原爆の日。6日は広島の原爆の日だった。涙雨の中の広島の平和式典は、尊い命を失った人々の無念さを象徴している様に思えた。

 今なお、イスラエルとパレスチナの戦争は終結することなく、罪の無い一般市民や多くの子供たちの命が失われている。
 ウクライナ東部での紛争も出口 が見つからない。
 イラク北部での緊迫した状況の中、2年前に撤退したアメリカ軍が、再び動き始めようとしている。

 広島には平成5年に修学旅行で訪問した。原爆ドームを見学し、様々な遺品を目の当たりにした記憶は今でも脳裏に焼き付いている。
 長崎には平成10年か11年に職場の旅行で出かけた。平和記念像の大きな造形がどっしりと構え、静かな眼差しで戦争の無い平和な世界の実現を訴えかけている姿が、強く印象に残っている。
 いつの日か再び、広島と長崎を訪問してみたい。沖縄にも一度は行ってみたいと考えている。Cimg5193arng_2

 米沢の市街地から白布温泉方面に向かう南原地内の県道の右に、7~8mの巨大なお鷹ぽっぽのモニュメントがあり、笹野観音の参道入り口で観光客を出迎えてくれる。数年に一度ペンキを塗り替えるので、その直後は一刀彫の木製のお鷹ぽっぽと見間違う程である。本物を忠実に造形化した製作者には感心するばかりである。

 東の空を眼光鋭く見ている姿にはとても気品があり、争い事の絶えない人間界にいつになったら平和な世界が訪れるのか、じっと見渡している様にも感じられる。

 

  YOMIURI ONLINE記事より引用       2014年08月09日 11時36分

 長崎は9日、69回目の「長崎原爆の日」を迎えた。

 長崎市松山町の平和公園では、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、参列した約5600人の被爆者や遺族らが犠牲者を悼んだ。田上富久市長は「長崎平和宣言」で、「憲法に込められた『戦争をしない』という誓いは、被爆国日本、被爆地長崎の原点」と強調。核兵器保有国などへ廃絶に向けた協議の場を設けるよう呼びかけ、日本政府には核兵器の非人道性を一番理解している国として国際社会でのリーダーシップを求めた。
 式典は、各地の被爆者や遺族代表、安倍首相のほか、核保有国の米、仏、インドなどこれまでで最多となる48か国と欧州連合(EU)などの国際機関の代表が出席。米国のキャロライン・ケネディ駐日大使も、6日の広島原爆忌に続いて参列した。
 原爆投下時刻の午前11時2分に「長崎の鐘」が鳴らされ、参列者全員で黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。
 田上市長は、平和宣言で、核廃絶運動を先導した山口仙二さん(昨年7月に死去)が1982年に行った国連演説の言葉を昨年に続いて引用し、「長崎は『ノーモア・ナガサキ』とともに『ノーモア・ウォー』と叫び続けてきた」と訴えた。来年の被爆70年までに「核兵器のない世界」の実現に向け、大きく前進することを期待した。

    ~ 

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みちのくの暑い夏2015 ~ 戦後70年の節目 2 ~

2015-08-16 07:26:30 | 日記・エッセイ・コラム

 今年は戦後70年の節目の年に当たり、7月ごろからテレビでは報道番組の特集やスペシャルドラマが放送されるようになった。8月に入ってからは、その数と時間が多くなり、6日の広島9日の長崎の原爆投下の日前後からは、さらに多くなって15日の終戦の日辺りまで続いた。

 ひとつ一つの番組にコメントを書くことはしないが、戦後70年の節目にこの様なドラマなどがあったことを、記憶に留めておきたいと思う。 

 なお、最後に記載のドラマはまだ見ていないが、今夜是非見たいと考えている。

 戦後70年平和の祈りを兼ねた盆踊り大会 →
 昭和44年に始まり今年47回目を迎えた →
  昨晩そして今晩、さらに20日の最終日
 まで、踊りの音が鳴り響く。


TBSテレビ60周年特別企画 2夜連続スペシャルドラマ
『レッドクロス~女たちの赤紙~』    8月1日(土)・2日(日)よる9時~

約70年前、“女性の自立"を志して看護婦になり、赤紙を受け取り戦地に赴いた天野希代(松嶋菜々子)の生き様を通して、博愛の精神と家族愛を描く。撮影は国内各所及び、中国で1ヶ月に渡る長期ロケを敢行。壮大なスケールで描く感動巨編を、TBSドラマチームが総力を挙げて紡ぎだす。

戦後70年 千の証言スペシャル「私の街も戦場だったII

戦後70年 千の証言スペシャル「私の街も戦場だったII 今伝えたい家族の物語」の番組情報ページです。 ... 取材に基づいた再現ドラマなどから見えてくる、当時の様子、そして当時の“空気”。私たちに、たくさんのことを伝えてくれます。

 阿部寛、「無関心が一番恐い」 ドラマ『戦後70年 一番電車がはしった」

 NHKで10日に放送されるドラマ戦後70年 一番電車が走った』(後7:30~8:43)は、70年前の1945(昭和20)年8月9日、原爆投下のわずか3日後の広島で、路面電車の運転が再開された実話をもとにしたドラマだ。

◆戦後70年 8月は戦争と平和を考える特集番組◆

 今年で終戦から70年。
BS1では、8月7日(金)から8月11日(火)を中心に、歴史の真実を新たな切り口で掘り起こす番組や、
過去を振り返るだけでなく、未来にもつなげていく特集番組を放送します。

 (日)戦後70年ドラマスペシャル『妻と飛んだ特攻兵』

戦後70年ドラマスペシャル『妻と飛んだ特攻兵』を、
8月16日(日)よる9時よりテレビ朝日系にて放送。

ドラマでは、節夫と房子の出会い、結婚、満州での日々のほか、次第に追い詰められていく関東軍、日本人開拓団の姿を通して、戦争という荒波に翻弄された夫婦愛、家族愛を描いていきます。

 

最後の特攻機には、女性が乗っていた
知られざる太平洋戦争の史実を、
堀北真希&成宮寛貴で初映像化!
なぜ妻は、夫と散ったのか?
なぜ夫は、妻を乗せたのか?
70年の時を経て明らかになる、究極の夫婦愛!!

 

 ※ 緑色のタイトルには、各テレビ番組の
  ホームページ等にリンクしています。

 

 



 

    ~ 

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みちのくの暑い夏2015 ~ 戦後70年の節目 1 ~

2015-08-15 07:35:13 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ続いていたぐずついた天気が一転、今朝は綺麗な青空が広がった。

 ちょうど5・6日前に戻った様な感じであるが、連日猛暑日前後の酷い暑さではなく、さわやかな暑さである。

 


 今年は戦後70年の節目の年に当たり、報道特集やドラマ、ドキュメンタリーなどが沢山放送された。歴史的な背景なども詳しく解説してくれる番組もあった。
 自分の生まれる8年前はまだ戦争中だったはずだが、昭和30年代ものごころ付いた頃には、戦争の面影は微かに残っているだけだった。戦争で亡くなった伯父の名は、ふるさとの山の墓碑や、小高い丘の広場に立つ慰霊碑に刻まれている。

 


 

 1週間ほど前の暑い朝、散歩コースの側の田んぼでは今年も稲が穂を出していた。
 また、空にはすじ雲がユニークな形をしていたので、いつも散歩に持ち歩いているデジカメを、空に向けた。

 


  Markets | 2015年 08月 14日 19:57 JST

UPDATE 1-戦後70年談話、「謝罪の宿命背負わせてはならない」

 東京 14日 ロイター] - 安倍晋三首相は14日、戦後70年談話を発表した。先の大戦に関わりのない子孫やその先の世代には、「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とする一方、「謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任がある」と強調した。

   同日夕の臨時閣議で決定した。焦点の1つだった「おわび」の表現については、歴代内閣がこれまで「痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」ことを踏まえ、こうした立場は「今後も揺るぎない」とした。

  過去の行いについて「事変、侵略、戦争」の3つを挙げ、今後いかなる武力の威嚇や行使も二度と用いてはならないと決意を表明。罪もない人々に「計り知れない損害と苦痛」を与えた事実を直視し、戦争で命を失った人々に対する「痛惜の念」を表した。そのうえで、植民地支配から永遠に決別することを誓った。

  国際秩序への「挑戦者」となってしまった過去を胸に刻み、今後は「積極的平和主義」の旗を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献する考えを示した。

  談話では女性の人権についても触れた。戦場の陰で、「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはならない」とし、21世紀は女性の人権が傷つけられることのないよう世界でリーダーシップを発揮することも盛り込んだ。

  また、戦後50年の村山富市首相談話と同様、唯一の戦争被爆国として「核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指す」方針も示した。 (梅川崇 編集:吉瀬邦彦)

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待ちに待った梅雨明けと台風12号

2015-07-26 14:53:05 | 日記・エッセイ・コラム

 待ちに待った梅雨明けが、昼前に気象庁から発表された。

台風① 先日四国・中国地方を横断した台風11号の傷も癒えないところに、今度は12号が暴風と大雨をもたらしている。

 今日は朝から暑い日差しが照り付けていた。地元町内の川掃除と花壇の整備や草むしりを、6時過ぎに始めたが汗びっしょりになった。

 先日梅雨の晴れ間、米沢市総合運動公園近辺を散歩した。プールは一番賑やかだった。野球場は夏の甲子園大会の予選が終わったばかりでとても静かだった。サッカー場には沢山人がいたが、近づいてみるとサッカーをしているのではなく、年輩の人達のグランドゴルフ大会だった。 

 

 

 

  サッカー場から北へ5・600m歩いて行くと、7・8年前に工事が開始して、いまだ未完成の500m足らずの道路がある。立派な道路標識も設置されているが、いつ開通すのかは定かでない。

 


   東北南部が梅雨明け  昨年より1日遅く     (2015年7月26日午前11時29分)

 気象庁は26日、宮城、山形、福島3県の東北南部が梅雨明けしたとみられると発表した。平年と昨年よりいずれも1日遅かった。

 気象庁によると、今後1週間、東北南部は高気圧に覆われ、晴れが多くなる見込みで、梅雨明けと判断した。梅雨入りは6月26日だった。

 まだ梅雨明けしていないのは、東北北部と九州北部。 

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