ご無沙汰しています。前の記事(今年私が考えたいテーマ前編)を書いてから3ヶ月も経ってしまい、「今年は毎週書きます!」と言ったのをすぐに破ってしまう私ってひどいなぁ、と自分でも思っていました。待っていた皆様、ほんとにごめんなさい。でも、日本は4月が新年度の始まりということもあり(その割にはもう3週間もたっているけど)、もう一度チャンスが与えられたものと思い、後編を完結してしまおうと思います。
前回は、昨年書いた記事にリンクして書いたのですが、今回は改めて、自分の中で今年考えたいテーマを書いていこうと思います。
1. Going Global: 日本企業のグローバル化が大きく進展する「大航海時代」
昨年5月に、「グローバル化」は今、質的に大きく変容している(2011/05/20) という記事を書いた。グローバル化という言葉は昔からある言葉だが、その意味が今大きく変わってるということを書いたものだ。今年2012年は、日本企業にとってその変化が本格化し、その結果今までにはない人材が求められるようになり、組織も大きな変革を求められる年だと思っている。
先進国から新興国へ:グローバル化という言葉は1990年代から使われているけれど、その頃のグローバル化は、どちらかというとアメリカやヨーロッパなどの先進国に打って出ることだった。ところが、今のグローバル化は、経済成長が著しいBRICや東南アジア、中東、南米、そしてアフリカといった新興国へと出て行くことを指すことが多い。2011年は日本企業がたくさんの欧米企業を買収した年でもあったけど、これらも欧米市場を獲得するというより、成長する新興国市場に足がかりを持つ企業を買収するケースが多かった。
新興国市場に軸足が移ることで一番大きく変わるのは、先進国の論理では物事が進まなくなるということだ。GEのCEOであるジェフ・イメルト氏があらゆるところで書いているように「新興国は、先進国より進んだ技術を、先進国の5割のスペックと15%のコストで求める」のである。新興国は遅れた枯れた技術を求めてるのではなく、最新鋭のものを求めている。先進国にはある電気・水・電話・インターネット・道路などのインフラが、新興国ではまったく整っておらず、それを前提とした製品やサービスが必要となる。一方、先進国の人々が使ってる不必要なスペックは必要ない。それを削って提供できる破壊的な安い価格を求める。このように、日本から同じ先進国であるアメリカやヨーロッパに進出するのとは、まったく異なるスキルが必要とされるのである。
組織のグローバル化が進む:その結果、何が起こるかというと、日本企業においても、「組織のグローバル化」が進むと私は思っている。具体的には、今まで先進国に進出したり、中国や東南アジアにちょろっと出て行くくらいなら、日本人が主導していっても何とかなったのだが、今後はそうならなくなる。一方でこれらの新興国では、経済成長の結果、次々と優秀で安い人材が輩出されている。中国、東南アジア、中東、南米といった現地の優秀な人材を活用しなければ、企業が競争力を保てなくなって来ているわけである。その結果、組織に日本人以外の人々が増え、日本企業はこれらの人々を幹部として活用できるような組織に変革しなくてはならなくなってきているし、日本人の社員も変革を迫られている。つまり、今までのように日本人が海外に赴いて販売や生産をグローバル化するだけでなく、組織そのものがグローバル化する必要が出てくるということだ。今年2012年は、それが本格化する年だろうと私は思っている。
ではどういう風に日本の組織やそこで働く人々が変わっていかなくてはならないのか?このあたりのことは、このブログでもこれからもっと詳しく議論していきたいと思っているし、今度出版する私の本の中でも詳しく書いたのでそれについてもブログで一部書こうと思う。(余りネタバレすると出版社の人に怒られちゃうと思うけど(笑))
ちなみに本はMBA卒業前から少しずつ書き溜めたネタを基に書いた書き下ろしで、2年近くかかってようやく書き上げました。
日本経済が再度成長の軌道に乗るための方法は、既存産業の企業のグローバル化と、新たに経済の軸になるような新しい産業の立ち上げをベンチャー中心で行いGoogleみたいな大企業に育てることで、産業として大きくすることの二つしかないと思っている私にとっての、解のひとつを、ようやく整理してみました。
2. Going Public: 実名「大公開時代」はやってくるのか
ジェフ・ジャービスが書いた「パブリック-開かれたネットの価値を最大化せよ」は面白かった。この本を読んで、ああ確かに時代は、普通の人も実名でネットでいろいろオープンにしながら好きなことを書ける時代に変わってきているのかもしれない、と思った。
![]() |
パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ |
クリエーター情報なし | |
NHK出版 |
私がこのブログで「ネット実名は強者の論理。まじめに論じる匿名のメリット」(2010/05/10)を書いたのはちょうど2年前だった。「ネット上で実名で意見を書くべき」という「ネット実名論」が、実名で語る識者を中心に起こっていたのに対し、いやいやそんなのは実名で書くのがメリットになる(本が売れるとか、講演に呼ばれるとか)人の論理であって、組織の人である普通の会社員にとって、ネットで実名なんて無理デス、という趣旨の記事だった。そういう普通の会社員でも、会社名などの個人情報を隠しつつ、一人の信頼できる人格であるということを示すためにある程度の整合性を持たせた「半匿名」が解になるのでは、と解いた。
2年経って、その流れが少しずつ変わってきているように思う。もっとも、日本では会社がツイッターやフェースブックなどのSNSを会社名入りで使うことを禁止しているところはいまだに多いし、個人のほうも実名でネット上で何かをやって、自分が属する組織に迷惑をかけてしまったら・・・と思うのが大多数である状況は変わってない。しかし、若い世代を中心に、実名で発信するのが当然という人たちが増えてきたり、TwitterやFacebookがたくさんの人たちに使われるようになってきて、状況は変わってきたように思う。それに、日本ではまだかもしれないけれど、実名の個人が、個人的なことなどが暴露された場合に、「それとその人の会社は別でしょ」「その人のプロとして仕事が出来るかは別でしょ」と取り合わないケースが海外中心に増えてきている。その結果、これらの実名メディアを活用するメリットのほうが、デメリットよりも大きくなってきており、会社のような組織も、人々が実名で発信するのを止めることは出来なくなってくるように思えるのである。
たとえば、フェースブックを使って、ずっと連絡が取れなかった中学校や高校のときの友人と連絡が取れた、という人は結構いるのではないだろうか。それもこれも、実名でやっていて、出身高校や大学の名前なんかも曝していて、場合によっては写真なども公開しているから出来たケースが多いのではないだろうか。これは実名で、ある程度個人情報を曝しているから得られたメリットの典型だ。あるいは、ツイッターやブログなどで自分の悩みを書いたところ、それに対する解決策をたくさん提示されたという人もいるかもしれない。
とはいえ、「全ての人は実名になるべき」という論理は、私は頂けないと思っている。匿名でやりたい人、半匿名でやりたい人はそのメリットとデメリットを考えて選ぶことが可能であるべきだ。上記のようなメリットよりも、実名を公開することのリスクやデメリットのほうが大きいという人は常にいるだろう。そういうことではなく、多くの普通の人にとって、今までは匿名や半匿名という手段をとらざるを得なかったのが、今後は実名で発信することも、余り心理的障壁が無く選べるようになるし、かつてよりメリットが大きくなっている、というのが「大公開時代」の特徴なんだと思う。
まあ余りパブリックにしすぎて「大後悔時代」にならないようにしてください(うわー)、ってオヤジギャグで〆てみたりして・・。
さて、字数が結構行ってしまったので、わたしが今年注目したいと思っている残りのテーマ、3. 都市論と4.水と食料とエネルギーについては次回に回そうかと思います。今度こそはちゃんと書きますから!来週はGWだし。