My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

今年私が考えたいテーマ(中編)-「大航海時代」と「大公開時代」

2012-04-22 23:55:35 | 7. その他ビジネス・社会

ご無沙汰しています。前の記事(今年私が考えたいテーマ前編)を書いてから3ヶ月も経ってしまい、「今年は毎週書きます!」と言ったのをすぐに破ってしまう私ってひどいなぁ、と自分でも思っていました。待っていた皆様、ほんとにごめんなさい。でも、日本は4月が新年度の始まりということもあり(その割にはもう3週間もたっているけど)、もう一度チャンスが与えられたものと思い、後編を完結してしまおうと思います。

前回は、昨年書いた記事にリンクして書いたのですが、今回は改めて、自分の中で今年考えたいテーマを書いていこうと思います。

1. Going Global: 日本企業のグローバル化が大きく進展する「大航海時代」

昨年5月に、「グローバル化」は今、質的に大きく変容している(2011/05/20) という記事を書いた。グローバル化という言葉は昔からある言葉だが、その意味が今大きく変わってるということを書いたものだ。今年2012年は、日本企業にとってその変化が本格化し、その結果今までにはない人材が求められるようになり、組織も大きな変革を求められる年だと思っている。

先進国から新興国へ:グローバル化という言葉は1990年代から使われているけれど、その頃のグローバル化は、どちらかというとアメリカやヨーロッパなどの先進国に打って出ることだった。ところが、今のグローバル化は、経済成長が著しいBRICや東南アジア、中東、南米、そしてアフリカといった新興国へと出て行くことを指すことが多い。2011年は日本企業がたくさんの欧米企業を買収した年でもあったけど、これらも欧米市場を獲得するというより、成長する新興国市場に足がかりを持つ企業を買収するケースが多かった。

新興国市場に軸足が移ることで一番大きく変わるのは、先進国の論理では物事が進まなくなるということだ。GEのCEOであるジェフ・イメルト氏があらゆるところで書いているように「新興国は、先進国より進んだ技術を、先進国の5割のスペックと15%のコストで求める」のである。新興国は遅れた枯れた技術を求めてるのではなく、最新鋭のものを求めている。先進国にはある電気・水・電話・インターネット・道路などのインフラが、新興国ではまったく整っておらず、それを前提とした製品やサービスが必要となる。一方、先進国の人々が使ってる不必要なスペックは必要ない。それを削って提供できる破壊的な安い価格を求める。このように、日本から同じ先進国であるアメリカやヨーロッパに進出するのとは、まったく異なるスキルが必要とされるのである。

組織のグローバル化が進む:その結果、何が起こるかというと、日本企業においても、「組織のグローバル化」が進むと私は思っている。具体的には、今まで先進国に進出したり、中国や東南アジアにちょろっと出て行くくらいなら、日本人が主導していっても何とかなったのだが、今後はそうならなくなる。一方でこれらの新興国では、経済成長の結果、次々と優秀で安い人材が輩出されている。中国、東南アジア、中東、南米といった現地の優秀な人材を活用しなければ、企業が競争力を保てなくなって来ているわけである。その結果、組織に日本人以外の人々が増え、日本企業はこれらの人々を幹部として活用できるような組織に変革しなくてはならなくなってきているし、日本人の社員も変革を迫られている。つまり、今までのように日本人が海外に赴いて販売や生産をグローバル化するだけでなく、組織そのものがグローバル化する必要が出てくるということだ。今年2012年は、それが本格化する年だろうと私は思っている。

ではどういう風に日本の組織やそこで働く人々が変わっていかなくてはならないのか?このあたりのことは、このブログでもこれからもっと詳しく議論していきたいと思っているし、今度出版する私の本の中でも詳しく書いたのでそれについてもブログで一部書こうと思う。(余りネタバレすると出版社の人に怒られちゃうと思うけど(笑))
ちなみに本はMBA卒業前から少しずつ書き溜めたネタを基に書いた書き下ろしで、2年近くかかってようやく書き上げました。
日本経済が再度成長の軌道に乗るための方法は、既存産業の企業のグローバル化と、新たに経済の軸になるような新しい産業の立ち上げをベンチャー中心で行いGoogleみたいな大企業に育てることで、産業として大きくすることの二つしかないと思っている私にとっての、解のひとつを、ようやく整理してみました。

2. Going Public: 実名「大公開時代」はやってくるのか

ジェフ・ジャービスが書いた「パブリック-開かれたネットの価値を最大化せよ」は面白かった。この本を読んで、ああ確かに時代は、普通の人も実名でネットでいろいろオープンにしながら好きなことを書ける時代に変わってきているのかもしれない、と思った。

パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ
クリエーター情報なし
NHK出版

私がこのブログで「ネット実名は強者の論理。まじめに論じる匿名のメリット」(2010/05/10)を書いたのはちょうど2年前だった。「ネット上で実名で意見を書くべき」という「ネット実名論」が、実名で語る識者を中心に起こっていたのに対し、いやいやそんなのは実名で書くのがメリットになる(本が売れるとか、講演に呼ばれるとか)人の論理であって、組織の人である普通の会社員にとって、ネットで実名なんて無理デス、という趣旨の記事だった。そういう普通の会社員でも、会社名などの個人情報を隠しつつ、一人の信頼できる人格であるということを示すためにある程度の整合性を持たせた「半匿名」が解になるのでは、と解いた。

2年経って、その流れが少しずつ変わってきているように思う。もっとも、日本では会社がツイッターやフェースブックなどのSNSを会社名入りで使うことを禁止しているところはいまだに多いし、個人のほうも実名でネット上で何かをやって、自分が属する組織に迷惑をかけてしまったら・・・と思うのが大多数である状況は変わってない。しかし、若い世代を中心に、実名で発信するのが当然という人たちが増えてきたり、TwitterやFacebookがたくさんの人たちに使われるようになってきて、状況は変わってきたように思う。それに、日本ではまだかもしれないけれど、実名の個人が、個人的なことなどが暴露された場合に、「それとその人の会社は別でしょ」「その人のプロとして仕事が出来るかは別でしょ」と取り合わないケースが海外中心に増えてきている。その結果、これらの実名メディアを活用するメリットのほうが、デメリットよりも大きくなってきており、会社のような組織も、人々が実名で発信するのを止めることは出来なくなってくるように思えるのである。

たとえば、フェースブックを使って、ずっと連絡が取れなかった中学校や高校のときの友人と連絡が取れた、という人は結構いるのではないだろうか。それもこれも、実名でやっていて、出身高校や大学の名前なんかも曝していて、場合によっては写真なども公開しているから出来たケースが多いのではないだろうか。これは実名で、ある程度個人情報を曝しているから得られたメリットの典型だ。あるいは、ツイッターやブログなどで自分の悩みを書いたところ、それに対する解決策をたくさん提示されたという人もいるかもしれない。

とはいえ、「全ての人は実名になるべき」という論理は、私は頂けないと思っている。匿名でやりたい人、半匿名でやりたい人はそのメリットとデメリットを考えて選ぶことが可能であるべきだ。上記のようなメリットよりも、実名を公開することのリスクやデメリットのほうが大きいという人は常にいるだろう。そういうことではなく、多くの普通の人にとって、今までは匿名や半匿名という手段をとらざるを得なかったのが、今後は実名で発信することも、余り心理的障壁が無く選べるようになるし、かつてよりメリットが大きくなっている、というのが「大公開時代」の特徴なんだと思う。

まあ余りパブリックにしすぎて「大後悔時代」にならないようにしてください(うわー)、ってオヤジギャグで〆てみたりして・・。

さて、字数が結構行ってしまったので、わたしが今年注目したいと思っている残りのテーマ、3. 都市論と4.水と食料とエネルギーについては次回に回そうかと思います。今度こそはちゃんと書きますから!来週はGWだし。


今年私が考えたいテーマ-2011年の記事を振り返って (前編)

2012-01-16 01:05:32 | 7. その他ビジネス・社会

皆様、大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年は、出来るだけ頻繁にブログを書いていきたいと思います、と書いた矢先に年始から仕事が忙しくなったり、風邪をひいたりして、更新が遅れましたが、徐々に挽回していきますので、どうぞよろしくお願いします。それから、今年は私やこのブログにとっても飛躍となり、また読者の皆様にとっての楽しみになるかもしれないことを、いくつか仕掛けていく予定です。こちらも、このブログでも紹介しようと思いますので、楽しみにしていてください。

今年最初の記事は、昨年書いた記事の中で話題になったものを振り返って、2012年に暖めるべきテーマを考える、というのをやってみたいと思う。振り返ってみると、私は昨年中35本の記事を書き、そのうちTwitterやはてなブックマークで紹介されてアクセス数が集中し、話題になったり、色んなところで議論を呼んだ記事は20本余りありました。一部は普遍的に言える事や私個人の経験に基づくもので、今でも私の考えが変わっていないものもあれば、色んなコメントを頂いたり、震災やその他事件が原因で、考えが変わったものもあります。その辺りを書きながら、考えをまとめていこうと思います。

 

■ 人生や生き方に関する記事

私が人生の進路変更をした本当の理由 (2011/01/09)

昨年一番最初に書いたこの記事は、私が個人的なことである決断をして、振り返らないで前に進むと決めたのがきっかけで、書いたものだった。それまで四ヶ月ほど、悩みに悩んで、漸く決められたことだった。以前私が学者を辞めて、今の仕事に就いたときもそのくらい悩んだので、そのときの経験を書いた。書いてみたら、本当に大きな反響があって、驚いた。私と同じように、人生の中で迷いがあり、悩んでいる人はたくさんいるのだと実感した。

実は、私は昨年の暮れにもまた、悩むことに出くわしたのだが、色々考えてまた決断し、今年から新しい一歩を踏み出すことが出来た。それは小さな変化で、周囲の誰にも気がつかないようなことなのだけど、私自身のものの見方は変わり、世界は違うように見えた。そして、何より前から達成したいと思っていたことを今年こそ本当に実現しようという大きなエネルギーが、自分の中に湧き上がるのを感じた。下の言葉は、この記事の最後の結びの言葉だけれど、今でも本当にそうだと思う。

人生の決断とは、それをした瞬間は迷いがあり、失ったものの大きさに戸惑い、間違った決断をしたのではないかと悩むものだ。
しかし、自分の決断に覚悟を決めて、ゴールに向かって強く歩き続ければ、得られるものは大きい。
そもそも決断とは、人生を推進するエネルギーを得るためのものなのだから。

人生には「選択と集中」が大事な瞬間がある (2011/03/08)

今思えば、この記事はちょうど震災の直前に書いたものだった。人生の中で「選択と集中」をすること。色んなものに手を広げすぎず、本当に欲しいものに集中して、自分の時間とエネルギーをかけること。そうしなければ、ほしいものを取れずに失ってしまうかもしれない、という内容だ。

震災から10ヶ月がたった今、自分の短い人生を思って、もっといろんなこと、やりたいことに自分のエネルギーをぶつけていきたい、と思う人は多いのではないか、という時代の流れを私は感じている。人生に「選択と集中」が大事な瞬間があることは変わらないが、今年はもっといろんなことにチャレンジする年だ、と思う人は多いかもしれないですね。

大人になっても夢を持っていいということ(2011/11/13)

私が色々あって、半年近くブログをお休みして、再開するときに書いたのがこのエントリだった。本当にたくさんの人に読んでいただいて、たくさんのコメントをいただき、大変ありがたかった。震災直後には、被害にあっていない多くの日本人も、気持ちが打ちひしがれていた人は多かったのではないだろうか。このエントリを書いた頃は震災から8ヵ月後が経っており、まさに「一回しかない人生、自分のやりたいことにエネルギーを注ごう」という気持ちになる人が多かったのかもしれない、と思う。

昨年は「絆」の年。家族を愛おしく思い、自分を支えてくれる周囲の人々に感謝する年だった。
今年は、その絆から解き放たれて、自分の夢を持ち、新たなチャレンジをしていく年なのかもしれないと思う。

 

■ 英語・ビジネススキル関連

実は、瞬間風速的にブログへのアクセス数が最も増えるのは、この手の「How to」記事が書かれたときであり、2011年を振り返る意味でも避けては通れない。こういう記事を私がたまに書くのは、自分でも英語その他勉強は日々続けてるので、自戒をこめてという場合が多いが、それだけで、これだけの量の記事を「書きたい」という力は私には生まれてこない。その背景にもっと「伝えたい」と思う何かがあるから、書く。

この手のHow to系記事を自分で振り返ってみると、その「伝えたい」ものというのは、「インターネットで教育格差を無くすことが出来るんだから、広げていきたい!」ということだったり、TwitterでRTを受けて「それは違う!」と心の底から思ったことであったり。いずれにせよ、日ごろから心の中にある思想が元になり、この手のHow to記事につながっている。今年も、何が世の中で流行っているかどうかに関わらず、私の中にある思想に基づいたうえで、少しは役に立つHow toも書いていきたいと思う。

英語をモノにしたい人のためのお薦めYoutube動画 (2011/05/07)

私が高校生の頃は、普通の高校生が実際に話される生きた英語に触れると言っても、オーディオブックとか、NHKの英語講座とか、米軍放送を聞く程度しかなかった。もちろん同級生には、NOVAでネイティブと話してる人もいたし、お父さんが朝CNN見てるのを一緒に観ているハイソな家の人もいたが。ところが、今はYoutubeがあるので、インターネットに接続さえ出来れば、誰でも、タダで、いくらでも世の中で話されている実際の英語に触れることが出来る。ネットのおかげで、教育の格差はなくなってきているのではないか、と私は思うし、格差社会が到来しているからこそ、若い人が掴める「チャンスの格差を無くす」方向に動いていきたいと思う。それは、今年私が貢献したいことの一つであるし、そのためにブログを書いたり、世の中に発信していきたいとも思っている。

小学校から大学教育まで学習できる授業動画サイト Khan Academy (2011/12/11)

この記事も同様で、インターネットに接続さえ出来れば、誰でもタダで、小学校から大学教育に匹敵する内容までを学習することが出来るサイトを紹介している。バングラデッシュからの移民で、MITとハーバードを卒業してヘッジファンドで働いていたというKhan氏が、家庭教師をきっかけに動画をアップしはじめたところ、思わぬ反響があったので、そのままNPOにしたというものだ。こういったサイトも、「チャンスの格差を無くす」のに大きな役に立つものの一つだと思う

英語力のためにフォローしたいビジネス英語ニュースTwitterアカウント8選 (2011/12/03)

Twitterでニュースを読んで面白いのは、メディアごとの記事の比較が容易になることだ。記事の比較が出来ると、それぞれのメディアを読むターゲット層や国民の違いが浮き彫りになるのが面白い。その違いを「感じる」感受性はグローバルに活躍する人の必須条件だと私は思っており、そういう力をつけるためにもTwitterでいくつもフォローしてみるというのは面白いと思う。

正しい日経新聞の読み方(新社会人へ)(2011/05/15)
補足:「正しい日経新聞の読み方」 (2011/05/18)

この記事は、私がTwitterで日経の記事の批判をしていると「だから日経を読むのは時間の無駄だ」などの大量のRTが主に若い層から送られてきて、問題意識を感じたので書いたものだった。ビジネスマンが毎日日経を読むのは、ピアニストが毎日音階練習をしたり、料理人が桂剥きを毎日やるのと同じ「基礎訓練」だと私は思っており、読むのが当然の上で、批判をしている。それを若い読者の人にわかって欲しかったので、多少説教くさいかもしれないこの記事を書いた。このブログのメインの読者は30代-50代の方だと見受けられるので、当たり前のことだったかもしれないし、この記事のあと暫く更新が途絶えていたので、ますます??という人が多かったのではないかと思うが、Twitterのおかげで10代、20代の読者も増えているので、敢えて書いたもの、というのが真相です。

ちなみに、2012年1月現在では、私は、WSJはiPadで読むのが非常に読みやすいユーザインターフェースなので、iPadで読んでいますが、日経電子版は相変わらず全部を読むには使いにくいので紙で読んでます。

 

■ グローバル化の進展と、人々のキャリアの変化(前半)

昨年は、グローバル化に関する記事を大量に書いた。日本企業にとっては、昨年はまさにグローバル化がこれまでよりずっと進んだり、話題になった年だったのではないだろうか。震災があっても、その流れは衰えるどころか、地震の多い日本に集中する地理的リスクを考慮したグローバル化を真剣に考える企業がますます増えたように思う。円高も、海外への生産移転や、M&Aを加速した。

企業のグローバル化の帰結として、一般の人々にはどのような変化があるのか。振り返って記事を読み直すと、グローバル化について昨年書いた記事の殆どが、グローバル化に伴って変わる人々のキャリアについての話だった。それが震災前から年が終わるまで一貫しており、自分でも驚いた。

日本でも転職を前提とした就職が当たり前となる時代 (2011/01/29)

企業の人材戦略がグローバル化し、新興国ですぐに幹部になれる人材を採用するようなことを始めると、日本でも同じことが求められるようになってくるだろう。新卒の学生には数箇所の部署を回らせてゆっくり育て、なんていう流暢な時代は無くなり、アメリカの企業と同様、若い人にも専門性が求められ、若くても実戦経験があることが重要になってくるだろう、と私は考えている。

今年に入って、この思いはますます強まっている。新聞を読んでいても、ユニクロやイオンなどの小売業が、新興国で3年くらい働いたら店長として機能するような幹部候補の採用を強化している。そうでないと、新興国で勝てる出店速度を維持できないからだ。製造業も、円高による生産拠点のグローバル化に伴い、新興国の工場ですぐにマネージャー等を勤められる、技術人材の採用に大きく力を入れている。こういった企業では、短期間で人を育てるのが当然のようになってくるだろう。いわゆる日本にある「外資系」企業のように若い人を早く活躍させ、早く成長させる、というのが普通になるだろう。そうすると、日本本社に勤めている日本人も変わっていかないと、この流れに置いていかれることになると思う。

グローバル化を前提としたキャリア設計 (2011/02/12)

オキュパイ・ウォールストリート運動を受けて、もう一度この記事やフリードマンの「フラット化する社会」を読むと、ますますグローバル化に伴う、業務のフラット化が進んでいると感じる。米国では、ソフトウェア開発だけでなく、会計士や弁護士などが行う業務の一部も切り分けてインドにアウトソースする動きがますます進んでいて、学卒の学歴があっても、JAVAなど汎用性のあるソフトウェア言語が出来ても、職を失うということが起こっており、ますますその傾向は高くなっている。それは6年前に既に「フラット化する世界」で指摘されている通りだ。同じことが、今後、日本企業にも起こる可能性を指摘したのがこのエントリだった。

そういう世の中になっても食っていけるようになるには二つの方法がある。一つはグローバルに活躍できる人材になること(別にリーダーになることは無い。グローバルな環境で仕事が出来ればよい)、もう一つは誰もが持っていないような専門性をいくつも身につけることである。

フラット化する世界 
[増補改訂版] (上)

トーマス フリードマン

日本経済新聞出版社

フラット化する世界 
[増補改訂版] (下)

トーマス フリードマン

日本経済新聞出版社

 

先日Twitterで、『もしマリー・アントワネットが生きていたら、オキュパイ・ウォールストリートの人たちに「そんなに海外の人に職を奪われて、国内に職が無いというなら、あなたも海外に出て働けばいいじゃない」と言ったかもしれない。』と書いたところ、大きな反響があった。フラット化によって国内で職を奪われた人々は、グローバルに働くようなスキルが無いから、職を失っているのである。もし簡単に「国内で職が無いなら、グローバルに働けばいい」なんて言ったら、「パンが無いならお菓子を食べればよいじゃない」と言ったとされる人と同じくらい、批判されるだろう。

でも、現代のマリー・アントワネットの主張は実は正しい。今は、米国でも日本でも、求められているホワイトカラーは、新興国含めた各国で、グローバルに活躍できる人材である。国内でソフトウェアを開発したり、税金の申告書を作るホワイトカラーではない。従って、グローバルに活躍できるスキルを身につけることは、今後日本にもやってくるだろうフラット化から、自身を守ることになると思う。

「グローバル化」は今、質的に大きく変容している (2011/05/20)

実は「グローバル化」という言葉が示す内容は、10年ほど前と比べて、大きく変わっている。一昔前は、アメリカやヨーロッパなど他の先進国に行くことがグローバル化だった。現在は、新興国市場の経済に占める割合が大きくなり、新興国に幅広く進出し、そこの人材を活用して広げることがグローバル化となってきた。もう一つの違いは、以前は海外販売比率の増加とか、生産拠点のグローバル化といった、販売、生産のレベルがグローバル化することを、グローバル化と呼んでいたが、今後は企業活動全体、そして組織全体がグローバル化する動きへ変わっている、と言うことを指摘した。

 

ここまで書いて、文字数が9900文字を超えてしまった。文字数リミットです。
「グローバル人材大国」「GDP世界一の都市」、「原発をやめてクリーンエネルギー」など、まだまだ議論を呼んだ記事が残っているのだが、次の記事で私が現在どう思っているかを書いていきます。


英語ニュースで波乱の2011年を振り返る

2011-12-31 15:46:17 | 7. その他ビジネス・社会

2011年も本日で終わりかと思うと感慨深い。2011年は地震があった日本にとってだけでなく、世界中にとって波乱の年だった。

東日本大震災では、津波と地震がたくさんの町を破壊し、多くの方が亡くなっただけでなく、たくさんの日本人の心に傷を残し、経済にも甚大な影響を与えたと思う。そして何より、取り返しのつかない原発事故を引き起こした。今までは、原発が枯渇する石油資源を救う安全なエネルギー源であると信じていた人も多かったのではないだろうか。しかし取り返しのつかないコストを孕む手段なのだということを知った。フクシマの一部の土地は、将来にわたって人が住めないところも出来てしまった。

一方、世界を見渡せば、チュニジア、エジプト、リビアでインターネットを発端とした民主化運動が起こり、長期独裁政権が次々と倒された。アラブの春。インターネットによって情報はフラットになると長いこと言われていたが、実際にはリアル世界の秩序を覆すほどには至らず、影響力が小さいか、既存メディア同様、既得権益者が一方的に情報を流すツールだった。本当にフラットになって、このような革命のきっかけになったのは、携帯電話や回線等のインフラが整い、タブレット端末やネット接続可能な携帯などのデバイスがそろい、フェースブックやTwitter、Youtubeなどのアプリケーションがそろったからだと思うと感慨深い。インターネットというメディアが政治を変えるためのプラットフォームとして、本当に根付き始めたのが2011年だったのだと思う。

ビン・ラディンが死に、ジョブズが死に、金正日が死んだ。ビン・ラディンの死は、10年前の同時多発テロの痛みを受けたアメリカ人にとっては避けて通れない報復儀礼だったのだろう。その裏にある政治的な駆け引きも含め、民主党になっても、やっていることが結局変わらないアメリカの国際政治の進め方を考えさせられることになった。

ジョブズの死は、圧倒的なユーザビリティによって、テクノロジーをより多くの人に渡すことの大切さを思い知らされた。デジタル・デバイドという言葉がある。これを生むひとつは貧富の差であるが、もうひとつはユーザビリティであった。Apple IIIにより、それまで技術オタクのものだったPCは一般の人々のものになり、iPadによって若い人たちのものだったテクノロジーは、赤ちゃんからおばあさん・おじいさんまで楽しめるものになった。そしてiPhoneの普及により、世界中の人たちが同じアプリを、同じデバイスを使えるようになった。彼の死後は誰がその役割を担うのか。でもジョブズの功績の意味合いを十分に分かっている天才たちが、おそらく受け継ぐのだろう。

ギリシャやイタリアが破綻しかけ、ユーロは一時は崩壊の危機に迫られた。2000年に開始してからヨーロッパ統合の象徴としてその領域を拡大してきたユーロは、10年もしないうちにその存在意義を問われることになった。ヨーロッパ国内では、移民の増加で一般の人々の職が奪われ、東の安い地域から安い製品が次々に流入したなど、この10年の変化の意義が問われた。メルケルやサルコジが強硬な態度を崩さないことによって、何とか政治的な安定が得られているような状況であった。11月の危機的な状況は何とか免れたものの、まだ来年もユーロの動きから目が離せなそうだ。

この1年で、世界の秩序の一部は大きく変わり、人々の心も大きく変わったのではないだろうか。世界でも波乱万丈だった2011年を振り返るニュースをいくつか紹介したい。日本語のものは余りいいものが無かったこともあり、英語のニュースソースからご紹介。

Reuter: Year in Review 2011
http://www.reuters.com/subjects/2011-year-in-review

ロイターが選んだ、世界を揺るがせた2011年のトップニュース25を、インタラクティブなメディアでご紹介。写真をクリックすると、それぞれ英語の解説が出る。日本からは、地震とオリンパスがノミネート。アラブの春、ビン・ラディンの死、金価格上昇、オキュパイ・ウォールストリート、ユーロ危機など、様々なニュース。そういえば、イギリスとブータンではロイヤル・ウェディングがあったんですよね。

Al Jazeera: Our Top Stories of 2011
http://www.aljazeera.com/indepth/spotlight/aljazeeratop102011/

Al Jazeera English

アルジャジーラはいわずと知れた、アラブ系の独立系メディアだ。どの国でもメディアはいろいろなしがらみがあり、そのしがらみに沿って報道するとマスゴミと化すわけであるが、アルジャジーラはそういったしがらみが無いこともあり、「え、そんなの報道されるの」というものまで映像で報道される。最近では、カダフィが殺害直前に連れ去られるところまで報道された。特に米系メディアでは偏向しがちなアラブ系、アメリカや中国等の国際関係などのニュースで真実を知りたい人向け。

2011年のトップストーリーは、アルジャジーラにとってはやはり、チュニジアやエジプトの革命であり、バーレーン、シリア、イエメンなどで続いた民主化運動だった。日本の津波、ノルウェーのテロ、アフリカの飢饉なども忘れずに報道されている

 

WSJ: Years in Photos 2011
http://graphicsweb.wsj.com/documents/YEARINPHOTOS11/Photos-of-the-Year-2011.php#o=0&q=&x=&y=&p=0

ウォール・ストリート・ジャーナルからは2011年に人気が高かった写真を解説付きで紹介している。1月から順に写真を振り返ると、本当にいろんなことがあったと実感する。

ウォール・ストリート・ジャーナルのUS版には、日本の地震・津波特集のページがあり、今でも更新がある。最近は、福島での撤去作業や未だ解決しない義援金問題、野田内閣になって何が変わったかなど、米国から見た客観的な視点で、詳しい記事が載っており、英語の勉強以上に非常に参考になる。
http://online.wsj.com/public/page/earthquake-tsunami-japan.html


補足:「正しい日経新聞の読み方」

2011-05-18 11:09:52 | 7. その他ビジネス・社会

前回の記事「正しい日経新聞の読み方(主に新社会人向け)」に補足。
コメント欄やTwitter、はてななどでいただいたコメントを拝見していて、前の記事だけでは不親切だったな、と思ったので。

1.まずは新聞記事の中で「空」「雨」「傘」を峻別するように読む

ビジネスの経験が長い人ならともかく、今まで「空→雨→傘」的な考え方をしたことが無い人が、いきなり新聞でそれをやるのは難しいのかもしれない、と思った。

まずは新聞記事の中で、一文一文読んで「これは空(事実、ファクト)だ」とか、「この部分は記者による雨(解釈・解説)だな」とか、峻別するようにすること。そうすると、だんだんと記者の解釈に惑わされずに、「空(事実、ファクト)」の部分だけを取り出して読む、ということが出来るようになる。

日経新聞の良いのは、記者が少なくともちゃんと訓練されているので、(インタビューや解説記事を除く)ほとんどの文章の最初の数文は必ず「空」が書かれていることだ。だから峻別が簡単である。もちろん第一文目から「雨(解釈)」が紛れ込んでいることもあり、デスクのチェックが甘いのかな?と感じることもあるが。ただ、これが他紙だと、第一文目から空・雨交じりの文章を提示されるので、どれが「空(ファクト)」なのかを見切るのが結構難しい。日経新聞を薦めるのはそういう理由もある。

また、ここは異論反論が出るかもしれないが、「空」「雨」を峻別することで、記者の人がどのようにして「雨(解釈)」を導き出すのか、がわかるようになる。新社会人の方などは、「空(事実)」を見てどのように「雨(解釈)」を導き出せばよいかわからない、という方も多いだろう。「空」「雨・傘」の峻別が出来れば、解釈を導き出すパターンを理解する出来るようになる。もちろん、「日経ダメ」と批判する人の多くは、この企業行動に関する解釈が間違ってるとか浅い、というところに帰着するだろうから、そこで満足してはいけないのだけど、少なくとも「解釈をする」ということは出来るようになるだろう。

コメントには、私が新聞を読むスピードが速いことに驚かれている方が多かったが、ひとつには私が記事を読んで一瞬で「空」と「雨・傘」の部分を分けて、多くの記事では「空」しか読んでいないからだと思う。ただし、これはそれなりに知っている業界や事象じゃないと難しい。全く知らない事象や業界についての記事を読むときは、私も図表の細かいところまで読むので時間がかかる。

2.新聞は毎日読んで、自分の中に「空」「雨」「傘」のデータベースを作っていく

もうひとつ、私が新聞を読むのが何故速いのかという理由を考えると、毎日「空」を読んで、「傘」と「雨」を考えるということをやっているので、自分の中にある程度のデータベースがあるからだと思う。そうすると、まず新聞の見出しを見ただけで「ああ、あの話ね」とわかり、自分にとって新しい「空(ファクト)」だけを探すために記事を読む。特に新しい情報が無ければ、それ以上は読まないで飛ばす。

このデータベースが出来てくるまでは、新聞を読むのは時間がかかるのは当然だと思う。
私も社会人になって、日経新聞をまともに購読始めたが、最初は通勤時間まるまる1時間を使って新聞を読んでいたと思う。それほど混まない電車だったのが幸いしたと思うが。それが、社会人1年が過ぎる頃には、だんだん様々な記事の背景を理解できるようになって、読む時間が短くなった。、2年目に入る頃から、日経産業新聞も購読するようになって、通勤の電車の中だけで2誌読めるようになってきた。

新しい「空(ファクト)」が出てきた場合は、自分が今まで出していた「雨(解釈)」がどのように変わるかを考えることになる。

3.新聞は複数ソース読む

複数ソース読むと、同じ「空(事実)」に対して、記者によって異なる「雨(解釈)」を提示していることがわかるようになる。異なる解釈を比較すれば、人間おのずと新聞による解釈の深さや広がりの違いがわかるようになるというものだ。

新聞記者は、自分が担当している部分の中でも、得意分野、不得意分野はあるし、それでも満遍なくカバーしなくてはならない。当然ながら得意分野のほうが、鋭い「雨(解釈)」を提示し、現実的で意味のある「傘(実行すべき行動指針)」を示すことが出来るだろう。エレクトロニクス系に詳しい記者が異動してくれば、その記者がより詳しい「空(事実)」と正しい「雨(解釈)」を提示できるので、その新聞はエレクトロニクス系に強い、ということになるだろう。また、新聞社によっては、自動車だけ独立のセクションがあって、記者がたくさん育っているので自動車業界に強いとか、そういうこともある。

このように新聞によって、事実の集め方や、その解釈の仕方に色があるため、複数読んで比較する方が、より正確な「空(事実)」と「雨(解釈)」を得ることができるようになる。

4.とにかく毎日読むこと

大切なことは、とにかく、毎日読み続けることじゃないかと思う。どんなに時間が無いときでも、見出しだけでも必ず目を通す。見出しだけでも自分のなかのデータベースに加えていくことは大切だ。データベースがある人なら、見出しだけでも世の中で何が起こっているかわかるだろう。

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正しい日経新聞の読み方。(特に新社会人へ)

2011-05-15 21:57:47 | 7. その他ビジネス・社会

1. ビジネスマンが日経を毎日読むのは、ピアニストが毎日音階練習をするのと同じ

私は、Twitterなどでたまに日経新聞などのメディアを批判することがある。最近、それが私をFollowしている私より若い人に悪影響を与えているんじゃないかという気がしたので、この記事を書くことにした。というのは、私が日経新聞の記事に関してTwitterで批判を書いたりすると、「だから日経は駄目だ」「日経を読むのは時間の無駄だ」という大量のRetweetが送られてくるのである。

いや、そんなことはないです。ビジネスの世界に身を置くつもりなら、日経やそれに類するものはちゃんと読まなきゃ駄目ですよ。別に私は日経の回し者じゃないので、WSJでもFTでも日刊工業新聞でも良いけれど。

ビジネス界にいる人が新聞を毎日読むのは、言ってみれば、スポーツ選手が筋トレを毎日したり、ピアニストが音階練習を毎日したり、料理人が桂剥きを毎朝したりするのと同じだと思っている。何故なら、ビジネスや経営をやってる人は、世の中で何が起こっているか、最新情報を捉え、それがどのように自分たちのビジネスに影響するか、どうすべきかを毎日考えなくてはならないから。そういう意味で、新聞を読むのは最も手っ取り早く、基礎的な力がつく方法だと思う。

2.意味合いを考えて読む

ただし、ただ記事を読み飛ばすだけではこの力はつかない。
書いてある記事の「意味合い」を常に考えながら読む必要がある。

「意味合いを考えろ」ってどういうことですか?と問われる。よくコンサルティング出身の人が書いてる本に、空→雨→傘 を考えろ、というようなことが書いてあるとおもう。
空雨傘とは、
1) 空を見たら日が翳って雲が出てきている。(空: 事実、誰が見ても明らかなこと)
→ 2) 雨が降るだろうと解釈する (雨: 事実に対する解釈)
→ 3) 傘を持って家を出るという判断をする (傘: 解釈に対して引き起こされる行動)
ということ。
「意味合いを考えろ」とは、1)の空を見たときに、2)の雨や3)の傘を考えろ、ということだ。

新聞に書いてある記事は、記者の見解が混じっていることは良くあるが、この解釈は必ずしも正しいとは限らない。「雨」はともかく「傘」の部分は完全に間違っていることもある。だから、記事をそのまま鵜呑みにしてはならない。しかし、ちゃんとした記事であれば「空」、つまり事実が何かは書かれている。これを元に意味合いを考えるようにする。

まず、自分のいる会社や業界を主語として、この記事に書いてある「空」は、会社や業界にどのような影響を与えるのだろうか、と考える。または、何故この記事に書いてあるようなことが起こるのか、を考える。つまり、「こういう空模様なのはどうしてだろう、雨が降るからだろうか」などと考えるのと同じだ。ただし、その記事の内容だけから、影響を考えるのは難しい場合がある。今まで自分が読んできた記事の蓄積から始めて、影響を推測できる場合が多いだろう。

次に、その事実の影響や背景、理由を考えると、自分の会社や事業は何をすべきなのかを考える。つまり、雨が降ると判断したら、傘を持って家を出るのか、濡れて帰るつもりかを判断するということだ。 

3. 意味合いを考える練習

抽象的に空雨傘と言っていてもわかりにくいと思うので例を挙げて説明しようと思う。

今日の日経朝刊の1面記事は「手元資金が過去最高」という、上場企業が手元資金(現金や有価証券など流動性の高い資金のこと)を増やしている内容の記事が載っていた。

上場企業の手元資金、過去最高 震災で安全志向に
3月末52兆円、売り上げ減などに備え
-日本経済新聞(5月15日朝刊)

上場企業の手元資金が一段と膨らんでいる。2011年3月期末の手元資金はこれまでの発表分で約52兆円と1年前より4%増え、過去最高の水準となった。東日本大震災の発生を受け、企業は投資を抑える一方、売り上げ減や金融市場の混乱に備え、手元資金の積み増しに動いたためだ。震災を契機に安全志向を強めた企業は多い。豊富な資金力で戦略投資に踏み切れるかどうかが今後の競争力を左右する。

「空」といえるのは、「2011年3月期末の手元資金がはこれまでの発表分で約52兆円と1年前より4%増え、過去最高の水準となった」という部分だ。このほかに、記事の中では、具体的に手元資金の積み増しをしている企業の例として、複数の製造業を挙げている。社債やコマーシャルペーパーを発行してまで、手元資金を積み増しているようだ。この辺が「空」である。

ここまでで、何故企業は手元資金を増やしているのだろうか?と考えるところが「雨」である。
一般的に企業は、部品や素材を仕入れてその代金を払い、製造した製品を販売して、代金を回収する。この代金回収が間に合わないと、資金不足に陥り、大企業といえども借り入れなどしなければ倒産してしまう。手元資金を増やしているのは、この代金回収が間に合わないかもしれないから、多めに手元に現金を持っておこう、ということである。

では何故、日本企業は代金回収が間に合わないかもしれない、と見ているのか。理由は二つありそうだ。
ひとつは、日本の製造業の企業は、取引先の企業、特に銀行の信用力が低い中小企業がつぶれてしまうなどで、代金回収が出来ないところが多いかも、と見ているのだろう。
もうひとつは、自社の製品の生産が予定通り行かず、資金が予定通り入ってこないことを懸念しているのだろう。記事には、ホンダや三菱自動車が手元資金積み増し企業例として載っている。別の日の記事を思い出すと、自動車企業は、一部の部品の調達が間に合わず、生産が遅れているという話があった。ということは、ほとんどの部品については調達を継続してるから資金は出て行くのに、ある一部の部品が間に合わずに製品は出荷できず、お金が入ってこない、となることを想定しているのではないか。

ということは、自社にはどういう影響が及ぶだろうか、というところまで考えるのが「雨」である。例えば、自社が今のところ上流からの影響は少ない鉄鋼メーカーだったとする。自動車業界がこんな状況だと、今は出荷は順調だけど、そのうち多くの部分で需要が止まるかもしれない、と「雨」のストーリーを作っていくわけである。

記事の最後の「豊富な資金力で戦略投資に踏み切れるかどうか」という文章は、記者が書いた「傘」にあたる部分だが、これは正直疑問符である。この記者は「手元資金=成長の原資」という方程式が頭にこびりついてるのかもしれないが、企業が手元資金を増やすのは、必ずしも成長を見越してではない。むしろ一般的には、市況変化が大きな業界で、資金回収が不安定になる可能性が高い企業が、キャッシュがショートしないように手元資金を多く持つ傾向が高い。例えばGoogleがそうだし、米国のバイオベンチャーもその傾向が強い。手元資金を成長につなげろ、といいたい気持ちは非常にわかるが、ちょっと飛びすぎ感がある。

むしろ「傘」を考えるなら、これだけの企業が中小の企業が飛んだり、製品の出荷が遅れると考えてるとすると、自社にどういう影響が及び、自分たちはどうすべきかを考えるべきだ。例えばこの記事を読んで、自社の出荷がそのうち止まると予想されるなら、そのためにどのような手を打つべきかを考えるわけだ。

このように、新聞記事に書かれている記者の解釈にとらわれずに、
「空」=「事実」は何かを見極め、
「雨」=そこから得られる自分の業界への影響を考え、
「傘」=何をすべきか、どう手を打つべきか、
ということを一つ一つの記事について考え、ストーリーを作る、という練習をすると良い。慣れると、ひとつの記事を読みながら、このようなことを瞬間的に考えられるようになるだろう。そうすると、たった10分で日経新聞を読み終えても、得られるものは非常に多くなる。

4.売り買いのポジションを取る読み方

簡単に「意味合い」を考える訓練として使える方法があるので、一応紹介しておく。
ただし、事業のマネージャーや経営コンサルタントなど、経営などに深くかかわっている人には、意味合いが薄くなってしまうから、余りお勧めはしない。

それは、記事を読んで、自分がある会社の株を持っていると仮定して、「Buy(買う)」か「Sell(売る)」か「Stay(そのまま維持)」かを考えるというものだ。

「Buy」は、その会社の企業価値を成長させる方向に向かう場合で、株を買った方が将来値上がりして得をするという場合。
「Sell」は、その会社の企業価値が毀損する方向で、株を早めに売ったほうが良い場合。
「Stay」は、企業価値には影響しないか、既に皆が知っている情報で、株価に織り込まれていると考えるかどちらか、というもの。

ひとつの新聞記事を読んで、自分が株を持っている会社にどういう影響を与えるか、自分はそれを持って、会社の株を売るか、買うかという判断をするわけだ。こういう練習をし始めると、ただ無為に新聞記事を読んでいるよりも、ずっと新聞の内容が頭に入ってくるようになる。

5. 紙の新聞のお勧め

最後に、新聞を紙で読むか、電子版で読むかという話があるが、個人的にはWall Street Journalみたいなユーザビリティの高い電子新聞でない限り、エコではないが、紙で読むのをお勧めしたい。

私は、日経は10分から15分で全て読みきってしまうが、電子版は反応が遅いし、一覧性がなさすぎて、この速度で読むことは絶対に出来ない。それから、仕事が忙しくて新聞を溜めてしまうひとは、余程の意志の強さがないと、溜まった電子版の記事を読むことは恐らく無いだろう。でも紙の新聞なら、物理的に部屋の片隅に溜まっていくので、読まざるを得なくなる。

日経新聞は、確かに読んでいて「何言ってるの?」と思うことは多々あるのだが、読む側にリテラシー、つまりちゃんと「空」が何かを読み取る能力があれば、全く問題がない。それどころか、企業の戦略的な意味合いを考えるための道具として活用することが出来る。だから、馬鹿にしないでちゃんと読んでください。

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リーダーがチームの力を活かして育てるためにやるべき5つのこと

2011-02-06 12:15:21 | 7. その他ビジネス・社会

チームを率いるリーダーにとって、チームメンバーを活用して、仕事そのものを成功に導くことは最も大切なことだ。
加えて、チームの人の力を最大限に活かして、長期的視点で育てていくことも大切だと思う。
特に性格的にENFJ(=teacher,memtor)の私は、どうしても後者の方に関心が行ってしまうらしい。

チームを任されるようになって半年程度の私自身が出来てるとは限らないけれど、
後者のポイントでこれが出来ると人の力を活かせるなあと常々思っているポイントを5つ、自戒をこめて書いてみるです。
(個人的には4と5が大切だと思うです)

1.動きやすいように、見通し・段取りをつけてあげること

これは単にプロジェクトを成功させるためだけでなく、人を活かすという観点でも重要だと思う。

ある仕事を達成するために、どの時点でどのようなことが出来ていなければならないのかを明確にし、合意する。
そうすれば、チームメンバーは取り合えずその目標に向かって自分の力で動いていける。

逆にこれがなければ、その人は何に向かって自分の力を発揮すればよいか分からないし、
どのタイミングで一番力を入れるべきかが分からず、力を発揮するタイミングを失ってしまうだろう。

見通しや段取りを、どこまで細かくするかは、その人の能力や性格に応じて変える。
細かく計画を立ててないと動けない、というタイプの人には細かく正確に。
逆に、細かく指示されるとやる気を失ってしまう、というタイプの人には重要なポイントだけ設定して、あとはゆるく。
いずれにせよ、その人が動きやすいように、見通しをつけたり、段取りを手伝うことで、
最大限その人の力を活かせる素地を作ってあげることが大切だと思う。

2.受け入れること-その人の性格や能力に合わせてテーマや進め方を変えること

マネージャーが自分のやりやすい進め方しか知らず、それをチームメンバーに押し付けたりすると、場合によっては、その人の能力をつぶしてしまうことになるだろう。

以前、「チームの人を活かすということ-My Life After MIT Sloan」という記事で書いた。
チームの能力や興味が計画や進め方にあわないなら、メンバーを入れ替えるのではなく、
進め方を変えて、チームのやる気を出し、力を最大限活用できるようにする、という話。
記事で書いたとおり、特に新規事業の立ち上げとか、起業のときなどにも大切な考え方だ。

いくつもの起業経験のある有名なシリアルアントレプレナーからも聞いたことがある。
起業するときは、一度一緒にやろう、と誓い合ったチームを変える、というのは難しい。
目的のためにメンバー交代などしたら、チームの良い雰囲気が壊れてしまう。
そういうときは、チーム全員が最大限力を発揮できるように、起業時のやり方や事業計画などを変えてしまう柔軟性が重要になる、そうだ。
起業で最も大切なのは、戦略や技術ではなく「人」だ、とその人はいっていた。
自分と気のあう、一緒にいるとやる気の出る人をまず見つけ、チームを組み、
そのチームの力を発揮させられるようなテーマを見つけるべきだ、というのが彼の考え方だった。

軍隊やスポーツなど、ミッションが「勝つこと」と明確に決まってる場合は、メンバー交代をしてでも、ミッションを果たすことが重要になるだろう。
しかし普通の組織では、プロジェクト遂行のためにメンバー入れ替えすることが必ずしも解ではない。
計画や進め方を変えることで、その人の力を発揮させ、成長させることも出来、
またそうすることでチームの力を5倍にも10倍にもすることが出来るだろう。
それは組織の成長の面でも大切なことだ。

ただ、これはマネージャーとしての経験と引き出しの数の多さが最も問われるところだ。
いろんな進め方、計画の立て方を知っており、人に合わせて柔軟に変えることが必要になる。

3.話を良く聞いて、一緒に感じて、その視点から解決すること

チームメンバーが、自分の任された仕事に問題を感じているときにどうするか。
特に、リーダーの視点から見ると、局所的なことや、大したことが無いと思える問題でチームが悩んでいることがある。
そういうとき、大局的な視点を与えて、その人の視野を引き上げたり、解決策を示すのもひとつの方法だ。
ただそれでは、その人の成長のためにならないことがある。

自分から視野を上げたり、自分で解決出来るよう導いてあげるのが、本当にその人を育てることになるだろう。
そのためには話を良く聞いて、共感して、その人と同じ視点でものが見られるようになるまで十分に聞くこと。
その上で、その人にとってその大局的な視点とか解決策がどのように見えるのかを考えてから、話すこと。

4.信頼して任せること

その人の力を信じて、任せることによって人は大きく成長する。
任されてみて、初めて真剣に全体を成功させようと考えるし、責任感を育てることが出来る。
ということで、私は少しでも「あ、出来そうだな」と思ったらどんどん任せることにしている。
本人が苦しそうなときだけサポートし、大失敗にはつながらないよう軌道修正する。

もちろん、任せておいてその人が少しの失敗をすることがある。
失敗したときこそ、思い切って任せること。
そうすればその人は、自分が信頼されているんだと感じて、よりいっそう頑張るようになる。
だいたい、リーダーの自分だって失敗なんてたくさんしてきたはずだし、今でも失敗しているはずだ。
そして失敗することで成長してきたはずなのだから。

5.チームの人に感謝すること

プロジェクトが佳境で、風邪で倒れるメンバーも出て、チームメンバーの仕事もすべて自分で引き取って、一日3時間程度しか睡眠が取れない日々が続いていた時のこと。
ついつい実家で愚痴を言ってしまったことがあった。

そのとき、母がこう言った。
「何言ってるの?
チームはあなたの下について、あなたを信じて頑張って仕事をしてくれてるのよ。
そんな状況になっているのはあなたが能力が無いのであって、彼らじゃないでしょう。
むしろそういうあなたの下で働いてくれることを感謝すべきじゃないの?
マネージャーのあなたが、そんなことを言ってたら、本当にリーダー失格ね。」

もちろん、そんな状況になるのは一般的にマネージャーの能力のせいだけではないと思うが、
(そのせいもあるが・・・)少なくともチームのせいではない。
そんな中で、チームは自分の期待に沿っていなくても、それぞれ精一杯働いてくれている。
第一、期待に沿わないなんて、それは自分の勝手な期待に過ぎないだろう。
彼らがいなければ私はこのプロジェクトを推進することなんて出来ないのだった。
そう思うと、心から感謝の気持ちが沸いてきて、彼らが一生懸命に働いてくれてることを本当に有難いと思った。
少しでも不満な気持ちになっていたことを本当に申し訳なく思った。

山本五十六も言っていた。
有名な「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」の続きで、
「やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」という句がある。

仕事を任されて、感謝されることで、初めてチームは一心同体になるし、やらなければという本当の責任感が生じる。
私もそうやって感謝されて、やる気が出て、これまでやってこれたのだから。

以上、チームの人の力を活かして、育てるという観点で最も重要だと思う5つのポイントを上げてみました。
他にも何かあれば、教えてください。

(Special Thanks to Prof.JMU, KS, KN, KU, MK, MN, OM, YM, YF, and My Mom)

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世界第二の経済大国は、世界に嫌われた国のままでいるつもりか

2010-10-10 14:40:46 | 7. その他ビジネス・社会

隣国が念願の本土初のノーベル賞を受賞したが、反体制の獄中の人物だったということで大問題になっている。
個人的には、ノーベル賞受賞は祝福するけれど、その是非については中立だ。
それよりも、今回の受賞に対して中国政府が国際的に見せた態度にがっくりした。

劉氏の受賞に私がニュートラルなのは、かの国の民主化はあくまで国内問題と思っているからだ。
もちろんかの国が民主化をして、本当に世界全体の平和と繁栄のためになるなら、是非進めていただきたいと思う。
しかし実際にそれとこれは別だろう。
例えば、劉氏は国内の民主化には命をささげるだろうが、彼が尖閣諸島は日本のものと思うか、炭素排出権を中国は守るべきと思うかは別だ。
民度が低い国で民主化をしても、国際的な課題が解決されないことは良くあることだ。

これはいずれ記事に書くけれど、「民主主義」が成功して世界の平和と繁栄につながるには、それなりの民度と仕組みとインフラと人材などが必要となる。

(追記10/12:「民度」は「民主主義を受け入れるための動き方・価値観」という意味で書きました。
 これは私の個人的な意見で、民主化は「民主主義」というシステムだけではなく、国家戦略、政治家などの人材、
 行政全体のスキル、人々の動き方や価値観などが無ければ成功しない、と考えているためです。
  その人々の動き方や価値観が無いということを、「民度が低い」という言葉で書きました。
 詳しくはこちらの記事をご参照ください→
 My Life After MIT Sloan-民主主義はどんな国でも成功するのか

そういうわけで受賞の是非はともかくとして、今回の受賞に対して中国政府が見せた態度は、一流国のそれとはとても思えないものだった。

中国「劉氏にノーベル賞なら悪影響」外務次官がノルウェーに警告-毎日新聞
中国、ノルウェー大使呼び抗議-NHK
劉氏を祝福、中国の脅しには乗らず-ノルウェー首相 -時事通信
(10/14追加)
中国、ノルウェーに次々制裁。ミュージカルも中止-朝日新聞
中国、ノルウェー閣僚との会談相次ぎ中止-日本経済新聞

ノーベル賞選考委員会が、ノルウェー政府とは独立した存在であるということは、先進国なら誰でも知っていることだ。
それをノルウェー政府を脅したり、通常の文化的活動にまで圧力をかけるというやり方は、余りにも野蛮ではないか。

中国、「ノーベル平和賞」のネット検索を遮断-CNN
ネット閲覧統制、外国テレビ中断も、劉氏平和賞-読売新聞

これはいつものことだが、いくら成長市場であっても、こんなあからさまな自由が通らない国でマトモな商売が出来るのかと撤退をまじめに考えた世界中の企業はどれだけいるだろうかと考える。
人口が今後増えるとはいえ、この国の成長とは本当に持続的なのだろうか。

2010年のGDPでは、ついに中国が日本を追い越し、米国についで第二位の経済大国になるといわれている。
かの国は、「世界第二位の経済大国」として、世界に尊敬される国になるという発想はこれっぽっちも無いのだろうか。

私は、海外での仕事や留学で、いろんな国の人と友人になってきたが、その際は必ず「日本はどんな国と思うか、アメリカをどう思うか、中国はどうか」を話題にしてきた。(私の個人的な関心事だからだ)

アメリカについては、軍事行動や外交政策で全く尊敬できない部分は大きいものの、
多くの技術を生み出した国であること(電話もテレビも半導体もコンピュータも携帯電話も)、
何より次々に新しい世界的企業を生み出している活力は尊敬できるという人が多い。
食べ物はおいしくないけれど、何でも手に入るのはすごい。
大きな車に乗って馬鹿みたいだけど、車があれば生活できるのはすごい、など。
なにより世界中からあれだけの人をひきつけ続けているのはすごいことだ。

第二の経済大国だった日本は、政治的には全く尊敬できないけれど、東南アジア諸国では未だに目標となる国だ。
日本が生んだ企業ブランドは世界中で愛されている。
車もテレビもデジタルカメラも日本製の品質は世界で信じられている。
日本に旅行に行った人は、食事のおいしさ、文化や歴史の深さ、人々の親切さに感動し、日本が好きだと思うようになる。
確かに政治は馬鹿みたいだけど、人や企業はいい国で尊敬できる
と世界の多くの人は思っている。

しかし、「中国はいい国だ」「好きな国だ」「尊敬できる」などの言葉を聴いたことは、中国人以外では今まで一度も無い。
それも、直接中国の横暴ぶりの被害を受けている周辺諸国だけでなく、遠くアメリカやヨーロッパ、アフリカの人間まで中国を「嫌う」のは何故なのか、考えたことがあるのだろうか。

先日の排出権討議では、中国は自らが「途上国である」として、先進国並みの排出権制限受け入れを拒否した。
今後は自身が経済大国として、世界一のCO2排出をするようになるというのに。

メコン川流域では、中国が上流にダムを作りすぎて、下流のラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの農業経済に大きな打撃を与えている。

アメリカもヨーロッパも多くの人は、「中国の製品は信頼出来ない」と思っている。
日本で冷凍餃子事件が起こったのと同様、米国では中国製の食品や製品への毒物混入が何度も事件になっている。
例えば、中国製のペットフードで犬や猫が死んだり、歯磨き粉に毒物が混入していたり、
プラスチックのおもちゃに毒物が入ってたりが大きな事件になった。
EUもことあるごとに中国政府に警告を出しているが、殆ど回答を得られないことが話題になっている。

中国に知的財産権を侵害されているのは、日本のメーカーだけではない。
アメリカの最大のメディア企業であるディズニーは、キャラクターの使用で常に中国と係争しているし、
映画産業は常に中国の海賊版と戦っている。

アフリカの某旧フランス宗主国出身の留学生の友人は、中国がODAを投入して橋や道路を建設しているが、工事の末端労働者からレストランまで全て中国から運んできて、地元に全く金が落ちないことを嘆いていた。
結果、道路は出来るけれど、莫大な農地や鉱山が中国に買われてしまっていると。

世界においてはこういうことに続けて、今回のノーベル賞報道だったわけだ。

「ノブレス・オブリージュ」とまでは言わないが、せめて世界第二の経済大国にふさわしい、
紳士的な国際対応と世界から少しは尊敬されるような行動をとってほしい。
それで、世界中から優秀な企業や人をひきつけられるような国でなければ、成長など持続的にはならないだろう

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事業を経営する上で一番大切なこと

2010-08-16 11:08:51 | 7. その他ビジネス・社会

事業を経営する上で一番大切なことは何か?とよく聞かれる。

いろいろあるが、まずは「その事業が成功する要件は何か?」という問いにすぐに答えられることだと思う。
事業を成功させるために何が必要か、はっきり分かっていれば、それを達成するためにやるべきことは明快に見えるからだ。
事業の成功要件(「成功の鍵」、KFS = Key For Successとも言う)は複数あっても良いが、それぞれひとことで簡単に答えられるほど良い。
やるべきことがより明確になるからだ。

例えば、ある菓子事業の成功要件が「ある一定数のリードユーザに支援してもらうこと(そうすれば後は口コミなどで自然と全体に広がる)」だとすれば、
やるべきことは、そのリードユーザとなる顧客層がどこにいるのか探すこと、
その顧客層に受け入れられる製品開発やマーケティングを行うこと、になる。
それ以外のことをやっても、直接成功にはつながらない。

あるいは、ボトルウォーター事業(いわゆるミネラルウォーター)の成功要件が、
「水源探索や採取、ロジスティクスなどスケールメリットが効くコストを下げること」だと考えられるとしよう。
すると買収などを繰り返してでも、スケールメリットが効くサイズまで事業を拡大する、
水源探索やロジスティクスなどはブランド共通で行いスケールメリットを効かす、がやるべきこととなる。

もし、その分野で成功(大きな利益を得て会社が成長)するために、必要な用件を明確に理解しておらず、事業を複雑に考えていると、成功に全くつながらない無駄なことをたくさんしてしまうかもしれない。

例えば小売業などで、「立地の良い場所に店舗を置くこと」が圧倒的に重要な成功の鍵であれば、
とにかく駅などの立地の良い場所を確保することがまずやるべきことだ。
これを理解せず、立地が悪いのに、良い店員を雇うとか、店員教育に金をかける、をやっても売上増につながらず、無駄な投資となる。

あるいは家電製品などで、成功の鍵が「デザイン性の高い製品を開発すること」だと明確に分かってるなら、
良いデザインチームを採用し、デザインを優先した製品開発がやるべきことだ。
デザインが悪いままで、技術に多額の投資をして、スペックだけは良いがデザインが悪い製品を出しても、売れずに無駄な投資になる。

失敗する人ほど、「成功要件なんてそんなに簡単じゃないんだよ」というが、
何をすれば分からず、成功につながらない無駄な投資をいろいろやって損している可能性がある。

「成功要件」、「成功の鍵」を上に書いたようなレベルまでひとことで表しきれるまで、事業を理解するのは確かに簡単なことではない。
複雑な事業ほど難しく、時代による顧客の変化や競合の動きによって、刻々と変わっていったりする。
しかし難しいのは確かだが、これを認識しないと、上に書いたように無駄な打ち手をたくさん行うことになりかねないわけで、まず最初にやるべきことだと思う。

事業分析というのは、この視点で行うことが重要になる。
例えば良くある3C分析(顧客、競合、自社の分析)など、「この事業の成功の鍵は何なのか」ということに答えるために行う。
分析も調査も、ただ闇雲にたくさんやっても意味のある結論は何も出てこない。
儲かる顧客はどこにいて、どういうニーズに答えることがこの業界の成功の鍵なのか、
成功してる競合は、何故成功できているのかと言う問いを立てて、それに答える形で分析するのが大事。
MBAとかでいろんな分析方法を学んでも、こういう本質的なことが分かってないと、全く意味が無いのになぁ、と思う。
これからある分野で起業しようと思っている人や、ある分野での事業を任されてる人は、これが明確に見えていることが大切だと本当に思う。

などと偉そうなことを書いてみたけど、人生の成功の鍵とか、恋愛の成功の鍵とかになるとてっきり何だか分からなくなることも多い筆者でした(笑)

追記: Twitterで書きましたが、もし自分が経営者で、始めた事業の「成功の鍵」が何をやっても見えないなら、早々に撤退するというのも一つの手です。
ウォーレン・バフェットが絶対にIT系に投資しないのも同じで、自分を理解するのは大切。
または、「成功の鍵」が見える、信頼できる他人に任せる、という方法もあります。

一方人生とは、「成功の鍵」が見えなくても撤退できないし、人にも任せられないのが難しいところです(笑)

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マスコミがマスゴミになってしまうのは何故か考えてみた

2010-07-15 07:35:23 | 7. その他ビジネス・社会

帰国して、テレビで朝晩のニュースをよく見るようになった。
最近は、選挙以外ではNHKが大相撲中継をやめたことで民放各社がまだ大騒ぎしている。
老人ホームや銭湯など、相撲を楽しみにしているお年寄りがたくさんいそうな場所に取材に行っては、
「楽しみにしてた相撲が中継されなくなって悲しいです」というようなコメントを毎日流している。

7月6日のNHKの発表によると、「NHKに寄せられた1万2千件を超える視聴者の声のうち、6割以上が中継を中止すべきという意見だった。中継を楽しみにしているという声もあったが、総合的に判断して中止」とのことだった。
もちろんこの1万2千件は、全視聴者の中でも中継反対の人に偏っている可能性が高い。
しかし、NHKは「視聴者全体の6割」と言ってるのではなく「寄せられた意見のうち」と明言しており、
あくまで「総合的に判断して」の中止とのことだった。

言動が一致しない、まるで「叩きたいだけ」の放送

NHKが中継をやめると発表するまでは、民放各社は
「国民の受信料で放送してるのに、相撲を中継するのはおかしい」と中継反対一色だったのだ。
それがNHKが中継をやめると発表するや否や、「楽しみにしていた老人たちがかわいそうだ」とことごとく変わった。
老人ホームや銭湯など、中止に反対しそうな人がたくさんいるところに取材に行き、反対の声ばかりを抽出して放送している。
これでまた、NHKが次場所から中継を再開でもしたら、「何故再開する?」とまた批判するんだろうか。

いったい民放各社は、大相撲中継に対し、どういう意見を持ってるんでしょうか?
NHKがどうするかってこととは別に、一貫した意見があるんだろうか。

こういうことは、今回の大相撲中継中止に限らず、たびたび見るので、私は少し悲しい。
自社の首尾一貫した主張などというものは何も無く、言動が前と違っても、とにかく対象を叩くだけ、
という状況だから、人様から「マスゴミ」などと呼ばれてしまうんじゃないのか?
叩くこと自体はかまわないが、あくまで首尾一貫した主張を通すための手段として叩くようにしてほしい、などと思う。

視聴者からの批判の盾にならなきゃ、主張は生まれない

で、別に民放に勤めてる人たちだって、自分たちが首尾一貫してないことには気づいてるんじゃないか。
そう考えると、何故そんな「叩くだけ」のニュースなどをやってるんだろう。

これは私の仮説だけど、一つの考え方だけに沿って首尾一貫した放送をすると、それこそ視聴者からたくさん文句の電話が来たりするんじゃないだろうか?
だから自社の考えなどはなく、あくまで「視聴者がどう思うか」という顔色を伺って、その場の対応を決めているのではないか、というのが一つ。
インターネットなどのおかげもあり、視聴者の思ってることがより番組作成側に伝わりやすくなってるってのが背景。

また、「攻撃は最大の防御」ではないが、常に他社に攻撃していれば、攻撃してることに対して批判は受けにくいだろう。
NHKなんて、その格好の対象にちがいない。
民主党が何をしても叩くのも同じ病巣かも知れない-叩いてる限り、自分たちは叩かれないから。

ともかく、視聴者などから批判されたくないがために、首尾一貫せず誰かを叩くだけ、という現象になってるのではないか?
というのが私の仮説だ。

何故視聴者から批判が来るのがそんなに困るのか?
これも仮説だけど、視聴者から批判がたくさん来ると、
スポンサーが嫌がる→スポンサーが減る→番組終了→社内の自分の出世に響くので困る、
という仕組みになっているんじゃないか

さらに、視聴者の批判とか「あなた方がスポンサーしてる番組、こんな偏ったこと言ってます」なんてスポンサーに直接電話攻撃なんてものも行われてるかもしれない。

気持ちは分かる。
そんな状況じゃ、視聴者様の顔色伺いつつ、自分が批判を受けないよう安易に他人を叩くだけの番組構成になっちゃうかも。
しかしそれでいいのか?
確かに視聴率を決める視聴者様は大切かもしれないけれど、だからって首尾一貫せず叩くだけってのは安易すぎるんじゃないか?

スポンサーも説得出来る、強いストーリーラインとバランス感覚を持つ番組構成へ

で、これが解決方法になるかはよく分からないが、番組構成自体が「他社を叩くだけ」の構成ではなく、
あくまで首尾一貫した強い主張を持ちつつも、そうでない主張にも一定の配慮はした、バランスの取れた構成にすること。
特に、主張が玉虫色になる必要は全く無いが、自分の主張とは正反対の主張に対する、理解と同情・共感を示す構成にする、というのは一つの方法じゃないかと思う。
こういう主張しながらもバランス感覚を保つ、というのは、単純に「自分が叩かれないように他人をどんどん叩く」よりもずっと有効な方法であるように思う。
難しいとは思うけどね。
こういうスタンスを各社が取り戻すうちに、「マスゴミ」なんていわれなくなってくるんじゃないかと。

そんなの分かってるよ、そんなに簡単じゃないんだよって?
まあそうかもしれない。
ただ、「首尾一貫せずに、何をしても叩くだけ」の放送にうんざりしている一視聴者として、何とかできないものかを考えてみたんだ・・・。

追記:「マスコミ」といいつつ、放送の一部の話しかしてませんが、新聞その他についてはコメント欄で論じてください

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わたしは「クラウド・ネイティブ」

2010-06-07 09:49:54 | 7. その他ビジネス・社会

世の中には、意味が広がりすぎて何を指すのか良く分からなくなっている言葉があるが、
最近では「クラウド」はその代表的なものだろう。

米国ではずいぶん前から、個人がソフトウェアとかを出来る限りダウンロードせず、Webアプリを活用したり、
メールもメールソフトを使ってメールをダウンロードせずに、GmailなどWebメールだけを使ったり、
自分のデータを全てEvernoteDropboxなどのWebストレージに保存して、手元にデータを置かないようにしたり、
という、「個人が手元のコンピュータにデータやプログラムを置かずにWeb上のものを利用する
一連の行動もCloudと呼ぶようになった。
ネットにつながってないと使えないので不便ではあるが、
場所を変えたり、パソコンを変えても、全く同じデータと機能を使えるという便利さが、次第に受け始めている。

ところが、最近の日本では、それ以上に意味を拡張した言葉として使われ始めているように見える。
手元にモノを出来るだけおかずに、電子化する、人様から借りる」という行為自体を、
(ファイルをPCなど手元に置いている場合でも)「クラウド」と読んでいる人が増えてきている。

例えば、今まで紙で持っていた本や書類を電子化して、紙を捨てることとか、
カーシェアリングを活用して、自身は車を持たないことまで「クラウド化」と呼んでいる人がいる。

この言い方は面白いなと思いつつ、「そんなこと言ったら、私は昔からクラウドだよ!」と思ったので、
ちょっとおふざけ半分で主張しておく。

私は、小さい頃から読書家だったが、ウチはそんな裕福ではないし、家も狭かったので、全部図書館で借りていた。
週に一度はママと弟と図書館に遊びに行き、大量の本を借りて帰った。
何度も読みたい本は、何度も借りて読んでいた。
元々私は手元に本なんかほとんど無く、図書館が私の巨大な本棚だったわけだ。

車も無かったので、必要なときは、ママが友人から借りていた(当時は保険の制度もゆるかったんだなあ)。
Zipcarなんて無かった頃から、ウチはカーシェアリングだったわけだ。
そもそも家なんて長いこと借家だったし。

一方で、クレジットカードなんてものは私はかなり若い頃から持っており、
アメリカ人みたいに余り小銭を持ち歩かず、小額決済でもカードを使う変な癖がある。
お金も昔からクラウドだったわけだ。

そんなわけで、「手元にモノを出来るだけおかずに、人様から借りたり人とシェアしたりすること」まで「クラウド」と呼ぶなら、
私のことは今後、「クラウド・ネイティブ」と呼んで欲しい(笑)
(わたしゃデジタル・ネイティブにはなれないが、クラウド・ネイティブにはなれる!という思いを込めてw)
手元にモノをおかずに済ますのは昔から慣れている。

という冗談はともかく。
私は、昨年2月に持っていたパソコンが壊れて、当時出たばかりのSSDを使ったHPのネットブックを買った。
SSDは普通のハードディスクと違い、読み込み速度が約3倍近く速く、20秒程度でWindowsが起動するのが特徴だが、
同時にハードディスクの容量が16GBと小さかった。
これだと、プログラムファイルなどを除き、本人が利用できるスペースは5GB程度と非常に小さいのだ。

昨年4月のブログ記事「ネットブックの未来」にも書いた通り、それ以来私はネットブックを「メインマシン」として使っている。
言ってみれば、完全「クラウド」生活である。

例えば個人メールはWebメールをずっと使っており、Outlookのようなメールソフトを使ってメールをダウンロードする、ということはもう長いことしていない。
Webサーバ上で使える機能だけを使い、サーバ上にメールデータを全て残したままで生活している。
(まあiPhoneだけは一時的にダウンロードしてるけど)
利点として、自分のPCの上に大量のメールや添付ファイルのデータをダウンロードせずに済むこと。
どのPCや携帯電話などのデバイスを使っても、どんな環境からも同じデータにアクセスできることだ。
これは、
私のように海外生活をしていたり、旅行を頻繁にしている人にとってはとても便利だ。

写真も音楽も映像もファイルも、全てのデータはネット上のストレージサービスに保存するようになった。
このようなストレージサービスは、Google Picasaにせよ、Evernoteにせよ、Dropboxにせよ、
Webにアップロードするためのソフトをインストールする必要があって、それだけがイヤなんだけど、
まるで自分のPCに保存する感覚でWeb上に保存できるのは便利だ。

米国に住んでると、PCを置きっぱなしにして盗まれたなんて事件はしょっちゅう起こる。
仮にPCが今この瞬間、壊れたり、盗まれたりしても、困らないようにするためにも、
Web上(クラウド上と呼んでも良いが)に全てのデータを保存しておく、というのは自衛手段でもあるのだ。

最近はiPhoneやiPadを利用する人も多いと思うが、Webストレージを使えば、お金の節約にもなる。
だってiPadなんて16GBなら499ドルですむのに、32GBに増やすと100ドルも高くなるのだ。
Googleのストレージが80GBで年間20ドルで済むことを考えると、
単純計算ではこっちを5年間使ったほうがずっとお得なわけで

容量が大きいものを購入するなんて本当にバカバカしくなることだろう。

ソフトウェアも、私は出来るだけインストールが必要なものは使わず、Webアプリで済むものを使っている。
Microsoft Officeだけは頻繁に使うのでインストールしているが、他のものは出来る限りインストールしないで済ませている。
例えば、Twitterクライアントも、ダウンロードが必要なTweetDeckなどは使わず、Webにアクセスするだけで使えるHootsuiteを使っている。

クラウドの最大の問題点はセキュリティであるといわれている。
先日も、中国で個人のGmailアカウントがハッキングされたなんて事件が起こったばかり。
Amazonのクラウドサービスの脆弱性が指摘されたりと、色々問題は指摘されている。

けれど企業ではなく、個人のレベルの場合は、多くは単にパスワードが人為的に漏れることによる問題が大きいといわれているので、
とにかくパスワードの設定と管理には気をつけることだ。
最近は個人のパスワードを盗むためのフィッシングの手口も多様化している。

自衛手段は、パスワードを頻繁に変える、推測されにくいスワードを使う、サービスごとに異なるパスワードを使う、というのが古くからの手段だが、
そんなの分かってるけど、忘れちゃうし、変えるの面倒だからと、同じパスワードを全てのサービスに長年使っている人は多いのではないか?
こういう人が、フィッシングにあって、パスワードがばれてしまったりすると事である。

私なりに伝授できるコツは
・自分なりのパスワード生成のアルゴリズムを作っておき、頻繁にパスワードを変えても、覚えて置けるようにしておくこと。
 具体的には、複数の言葉や数字の組み合わせにしておき、その組み合わせに自分なりの規則を持たせることだ。

・自分でサービスのリスクレベルを設定しておき、リスクの高いものはパスワードを難しいものにしておく。
間違っても、漏れる可能性の高い普通のウェブサービスと、オンラインバンキングのユーザ名やパスワードを同じものにしてはいけない。

あとは、共有のPCなどを使った際に、ログアウトするのを忘れないこと。

こういうことだけ気をつけていれば、セキュリティの問題もほぼ無く、楽しいクラウド生活を送ることが出来るだろう。

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成功するリーダーに必要な「正しい判断力」とは?

2010-05-13 07:15:01 | 7. その他ビジネス・社会

今週は私のMBA最後の週で、現在ファイナルレポートの提出を次々こなしてるところ。
その内一つが「今学期のあなたのリーダーシップの成長について週に5回エントリを書け」というもので、
夏休みの日記を最終日にまとめて書いてる気分になってきたので、ブログでも書いて気分転換することにした。
(注:良い子の皆様はMBAに来てまでこんなことをしていてはいけません)

さて、上に書いた日記レポートが出たリーダーシップの授業で習ったのだが、
リーダーに必要なのはヴィジョン(志)とか、人を鼓舞してモチベートする力とか、色々大切だが、
アメリカで成功した企業経営者にアンケートをとると、一番大切なのは「Sense-Making」だと答える人が多いのだそうだ。

Sense-Makingとは、日本語に訳すと、「正しい判断が出来る」「正しい方法が選べる」というような意味である。
つまり、状況に応じて正しく判断をしていくことが出来る能力のことだ。
私はこれを「正しい判断力」と読んでいる。

ビジネスリーダーとして、実際に事業を行っていると、頭が良くて正しい戦略を立てられるとか、
朗らかでヴィジョナリーで、人がついていきたいと思う、などなどの能力も当然大事なのだが、
次に何が起こるかわからない世の中で、判断を誤らずに「正しいやり方」で組織を率いていく力が、
リーダーには極めて大切であるとアメリカの企業経営者たちは考えている、というわけだ。

戦略をいくらたてても、実際の情勢が変わると役に立たなくなってしまうことがあり、
その情勢を正しく理解して、どのように戦略を適応していくか、というセンス(判断力)が重要なのだ。

さて。
「判断力」は、極めて広い意味の言葉だ。

「子供が悪いことをしたとき、どのような言葉をかけるべきか」という日常での判断から、
「ここで仕事を辞めて、転職すべきか」「この人と結婚すべきか」という人生の判断、
そして、ビジネスにおいて、想定していなかった事故が起こったときどう対処するかといった、ビジネス判断まで多岐にわたる。

しかしどの場合であっても、「判断力」とは次の三つの能力に分解できる。

1. 今が判断するタイミングだということを認識できる(Judgement call)
2. 正しく状況判断と分析が出来る
3. 2から論理的に正しい結論を出せる

もし、これを読んでる人の中に「私は判断力が無くていつも困ってる」という人がいるとしたら、
必ずこの3つのどれかに問題があるはずだ。

例えば「僕って、いつの間にか友達を失ったり、彼女に嫌われてるんだよね・・・」と言う人は、
1のタイミング認識に問題がある可能性が高い。
そもそも「今が判断すべきタイミング」ということを認識せずに、いつの間にかひどいことを言ってしまったり、やってしまったりしているわけである。

出会い頭事故をよく起こす人もそうだ。
「いま、ここで止まるべきか、進むべきか判断すべき」というタイミングで、そもそも判断しようとしてないのだ。

ビジネスでも、戦略が時勢に合わないのにそのままにしている会社や、変える必要が無いのに「中期計画」を更新する企業があるが、
これは、判断をするタイミングの認識が出来てない、ということになる。

また、判断すべきだ、ということは分かってるのに、判断を間違える人がいるが、
これは多くの場合2に問題がある場合が多い。

人が判断に失敗するのは、大概の場合、判断するのに必要な情報が足りないことがほとんどである。
例えば、妻が機嫌を損ねているときに、間違ったことを言って余計怒らせてしまうのは、
妻が何故機嫌を損ねているのか、自分に何を求めているのか、という情報が足りないからである。
企業が戦略判断に失敗するのも、たいがいはここである。

従って、少ない情報から、正しく判断する洞察力、論理的思考力というのが非常に重要になる。

また普段は洞察力がある人でも、とっさの判断に失敗する人がいる。
何かが起こったときにパニックに陥らずに、論理的にものを考えられる肝っ玉の大きさ、も重要だ。

3で結論を出すことが圧倒的に弱い人もいる。「分かってるのにやめられない」人だ。
例えば、私自身は人生における大きな決断では、判断を間違えたことがないが、日常生活では判断力が割と弱い。
これは明らかに3に問題がある。
こういう人は感情論より論理を優先して決定する、Discipline(意志力)を持つなどが重要だ。

例えば今私がブログ記事を書こうと判断したことについて。
まず、私はいつの間にかブログを書いてるのではなく、
「このタイミングでブログを書くか、レポートの続きを書くか、ここんとこ寝不足で寝てないから寝るか」
という3つの選択肢があることが分かっているため、1には問題が無い。

また「ここでブログ書くのに1時間くらい使うと、日記レポートが書きあがらないか、質が落ちるか、また寝不足になる」
ということも良く分析できているので、2にも問題が無い。

しかし、「でもこのレポート書くの、つまんないんだもん。ブログかいてるほうが100倍楽しいし」
という快楽に負けて、「ブログを書く」という判断をしているのは、3に問題があるのだ(笑)。

というのは冗談だが、こういう話はビジネス上などでも起こりうる。
判断すべきタイミングで、状況を正しく分析しているにもかかわらず、結論として「動かない」という判断をするリーダーはたくさんいる。
そして、そのリーダーに率いられた企業や国家は、いつの間にか没落してしまったりする。

では、このような判断力をどのようにつけるか、というとこれが難しい。
経験によって、判断力を磨くことは可能であるが、
正しくタイミングを見計らう、少ない情報から状況を正しく理解する、というのは、残念ながら才能による部分も大きいのだ。

「戦争論」で有名なクラウゼヴィッツは、
「机上の戦略を実際の戦争に落とすとき、状況を判断して正しい決断が出来る人」を「戦術的天才」と呼ぶ。
戦争のような状況で、判断するタイミングを見計らい、少ない状況から戦況を予測し、正しい判断に落としていく能力は、天賦の才のようなところもあるのだ。

では、判断力の無い一般人は、
どのようにしたら、ビジネスリーダーとしてそれなりに成功するための、正しい判断力を付けられるのだろうか?

一つは、場数を踏んで、経験によって判断力を身につける、というのはある。
しかし、私は「正しい判断力が出来る人を見つけて、助けてもらう」ということも重要だと思う。

自分はいつも判断を間違える、と自覚することが大事で、
自覚したら、正しい判断をしているひとを探し、その人を味方につけて、助けてもらう。
こういうのも一種の「判断力」であり、人生のあるタイミングで、
「自分の弱い判断力では、地位や役職に必要な判断が十分に出来ないな」ということに気づき、
サポートを得る、というのは重要な判断である。

というわけで「正しい判断力」を持つことが、企業経営で成功するにも、私生活で成功するにも大切である、というお話でした。

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ネット実名は強者の論理。まじめに論じる匿名のメリット

2010-05-10 05:45:16 | 7. その他ビジネス・社会

テレビで行われた対談がきっかけで、
ネット上のコメントを実名で行うべきとする「ネット実名」or匿名を認める「ネット匿名」が再燃している。

このページに、その対談の内容が記されていた。
さかなの目-デキビジ 勝間vsひろゆきを文字に起こしてみる

私は、基本的には「ネット実名論」は強者の論理だと思っている。
実名で語り、議論することがメリットになる人々の論理だ。
(しかも、その大体がフリーランスや大学教授などで、実名でやることが自分を売ることにつながる)

いわゆる識者で「ネット実名」にこだわる人たちを見ていると、
刑事事件の対象になるような脅迫行為や、法的手段に訴えるほどの誹謗中傷事件を減らす目的で
「実名」を主張している、というよりも(中にはそういう方もいるが)
自身のブログなどで、匿名で卑怯な中傷を書かれた経験などから、
「匿名だからあんなヒドイコメントかけるんだ。実名にすればなくなるはず」
という程度の素朴な論理から発しているように見える。

私も根拠なき中傷を笑って流せるほど良く出来た人間でもマッチョでもないので、気持ちはよく分かる。
況や有名人であれば、その中傷の数たるや想像を絶するだろう。
( 特にTwitterで人格攻撃を受けている有名人を見ると、あれはひどいと思う。
 誹謗中傷をスルーすると、「何故誹謗中傷はスルーするのか?」、
 ブロックしたら「この程度でブロックされた」など、めちゃくちゃである。)

あるいは、彼らは普段自分の肩書きや経歴から、強い発言力を持つのが普通になってるが、
ネット上では、自分の価値が「その発言の価値」だけになってしまうことに慣れてない人もいるだろう。
(ま、それに慣れろ、というのは酷かもしれないが・・・。)

さて、私は、ネット匿名にはメリットがたくさんあると思っており、
実名にしたい人、完全匿名にしたい人、私みたいに半匿名にする人、自由にやれば良いと思う。
特に、割と好きなことはいえるが、発言内容に一貫性を持てる半匿名はメリットが多い。

1.メリットの一つに、匿名の議論は、普通の倫理観を持った人で行われれば、
肩書きを気にせずに考え方、情報、批判を書くことが出来、非常に有意義になり得る。

例えば、私のこのブログには、匿名でかなり有意義なコメントをくれる方が良くいらっしゃる。
内容から察するに、恐らく業界関係者の人もかなりいると思われるが、
仮に実名にして、会社名などと結び付けるのを可能にしたら、彼等の発言を聞けなくなってしまうだろう。
書いている内容はどの方も、守秘義務のある内容の暴露話でも、会社の価値を損ねるものでもない。
正論であっても、それが会社名や肩書きに結びつけれると、いろいろ面倒なのである。
そういうことを気にせずに、気軽に思ってることを書ける
匿名のメリットは大きい。

また、多少感情的な批判であっても、その根底に本質があることがあり、良く考えると、役に立つことがある。
実名では、なかなか批判など出来ない。
でも、人間なら、誰しもネガティブなことを考えたり、思ったりすることはある。
それを、自分の実名に結びつけずに「ぽろっと」もらしてくれると、
なるほどそういう風に思う人もいるのか、とこちらもわかり、それが本質的な問題に通じていることもある。

匿名であるが故のノイズもたくさんあるが、ノイズがある気軽な環境だからこそ、
意味のある見解(シグナル)も出てきやすい。

実際には99%の方が良識のある方で、匿名でも節度を保ったコメントをする。
たった1%の人のために、これらのメリットを放棄するのはやりすぎ、と思っている。
後で書くように、別の方法で対処したいと思っている。

2.更に、ネット上で有意義で面白いコンテンツを作ってくれる人がたくさんいるが、
あれも匿名だからこそ、だと思う。

例えば、この前はやった孫正義のライブの書き起こしとか、上で紹介したテレビの対談の書き起こしとか、
なんかのパロディとか、2次創作的なものとか。
これも実名なら、著作権の許可を取る必要か調べないと、などと思うだろうし、なかなか面倒で出来ない。
(注:著作権の侵害はいけませんが)
芸術作品のような絵や映像も、匿名で、肩書きに結びつかないから、趣味で公開できる、という人もいるだろう。
料理のレシピを紹介したいが、そんなのご近所で有名になりたくない、という人も、気軽に公開できる。

そういう匿名だからこそ作られたコンテンツが、ネット上のコミュニケーションを豊かにしてる価値を、私は見過ごしたくない。

3.最後に、最初に書いた「ネット実名は強者の論理だ」という点について。

ネット実名派の方には、例えば「ただの会社員なのに、実名公開しても意味ないんです」に対して、
「意味ないなら公開すればいい」と言ってしまう人がいる。
これは、会社員ですらない人(たとえば学校も中退で、今はネット難民ワープワみたいな人)が、
リアルだけでなく、ネットですら、その経歴により発言の価値を損なわれる可能性を想定してないのでは、と思う。

あるいは、今現在DVを受けているだとか、ブラックリストに載ってるだとか、何らかの理由で実名を出せない人が、
そしてそういう人は得てして社会的にも弱者であるが、
実名を強要したらネット上でまで言論の自由が奪われる弱者になってしまう

という問題に気づいていない可能性がある。

そしてそれを安易に支持する人たちは、恐らくネット上で、今やどれだけ人々のリテラシーが発達し、
匿名によって意味のあるやりとりが行われているのか、を余り知らず、
ネット上では匿名で人を非難したり、問題ばかりが起こってると思っている人たちなのだろう。

私は、インターネットは、民主主義の補完ツールでもあって欲しいとずっと思っている。
弱者の声はリアルでは「声なき声」になってしまうが、それをある程度拾えると思っている。
(もっとも、リアルでも、ネットでも弱者の人の声は拾えない)
だから、匿名でのコメントが可能で、
リアルでの社会的弱者も強者と同様の発言力を持ちうる、
ことを高く評価したい。
普段このブログでは、政治的なことは一切書かないので、いきなり「民主主義」とか言われたら
皆さん面食らうと思うが(笑)

このように、匿名や半匿名には色んなメリットがあるのだが、
一部にこれを悪用して、悪質な誹謗中傷など問題を引き起こす人はおり、
そのコストを、ブログ管理者や、誹謗中傷を受けた被害者だけに支払わせるのは、フェアではない。
そこで、ネット上の共通IDのようなもので、匿名だけど、一貫性を持たせる仕組みをつくろうという議論も昔からある。
加えて、いざ法的な問題が起きたときは、コメント発信者のIPをトレース可能にするインフラを持たせるべきと。

こういうインフラを整えていくべき、というのは建設的な議論で、私も必要だと思っている。

古いが、2007年のCNETのこの記事(前編後編)は割と良いまとめだと思う。
この議論から3年経った今も、IDのようなインフラをブログ事業者共通にする試みが、
一部にしかないし、トレースの仕組みもほとんど出来ていないので、未だに価値がある議論。

こういった仕組みは、如何に法律と刑罰があっても犯罪を防げない、検挙できないのと同様で、
問題を完全に無くすことは不可能だ。
例えば、共通IDも複数持てば、同一人物が複数に成りすまして炎上させることは可能だし、
IPもプロキシ使ったり、海外のネットカフェから書き込めば、トレースは非常に困難だ。
けれど「IPトレースして、検挙されました」ということが増えれば、安易な誹謗中傷や違法行為は少なくなるだろう。
それだけでも、だいぶネット上の「治安」が良くなるだろう。

全体のネット上のマナーやリテラシーを上げることも重要。
マナーについては、感覚的には10年前に比べて大分上がってきたように思える。
10年前のネットは、駅前に自転車が違法駐車してあると、普通の善良な市民も違法駐車を始めたり、
その自転車のかごにごみが捨ててあると、皆捨てる、のと同じ状況だった。
今はそういうことをする人がまれになり、全体のマナーが上がったのだと思う。

リテラシーに関して言うと、多くの人が、ある人が発信する情報の意義や信用性を、
実名か、匿名かで判断していると思う。例えば、

実名で、経歴、一貫した発言が明らか>匿名だが、経歴があり、一貫した発言がある(半匿名)
>匿名で、経歴は不明だが、一貫した発言がある>完全匿名で、全て不明

のように、発信される情報自体の内容に加え、これらメタ情報をつかって、ある程度その情報の価値を判断できる
だから、「匿名で誹謗中傷する」は、情報に信頼度がないとみなされ、また卑怯という理由で他の人に削除・無視されるようになってきた。
昔のように匿名で誹謗中傷を書いたものが放置され、名誉毀損裁判に発展、と言うことも減ってきたと思う。

以上まとめると、ネット匿名には次のメリットがある。
-匿名だからこそ書き込める有意義な情報を得ることが出来るし、聞ける本音(ネガティブな思いも含め)もあり、それが本質を突いた議論に発展できる
-匿名だからこそ、ネット上に様々なコンテンツが現れ、コミュニケーションが豊かになっている
-リアルでは「声なき」社会的弱者も、強者と同列に議論に参加できる(ただ、全ての弱者は拾えない)

けれど、一部にその匿名性を悪用して、法的に問題があるレベルの誹謗中傷などを行ったり、悪質に執拗に小さい中傷を繰り返す人がいる。
これを出来る限り防ぐためのインフラは整っている方が良い。
そういうのをちゃんと普及してくってのが、マナーの向上にも役に立つわけだし。

そして、実名(経歴アリ)>半匿名>完全匿名 のように、みんな情報判断するリテラシーを身につけてるんだから、
「匿名・実名」、だんだん問題なくなってるんじゃないか、と私は見ている。

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今、米国MBAに行く意味はどれだけあるのか

2010-04-20 17:00:17 | 7. その他ビジネス・社会

論文執筆に追い込まれていて、最近全くブログが書けないけど、連休なので、今日は一本書いてみる。

4月に入り、どのビジネススクールもRound 2の合格者が決まりつつある。
ずっと長い間MBAのために準備を進めてきた方には喜びひとしおでしょう。
Waitの方も強力にプッシュし続けると、追加で受かることが多いようなので、お勧めします。

さて、MBAに向けて頑張って勉強している人の気を削いではいけないと、遠慮していた記事を。
ずばり、今更アメリカのMBAに行って、何のメリットがあるのか。
いや、どうしたらメリットがあるように出来るのか?

米国MBAに留学する価値、そもそもこの時代に米国に留学や仕事を求めて行くことの価値については、
いろんな方が、批判的な意見を書いている。

私に言わせれば「そんなの、留学する人がどうMBAという場を活用するかで違うでしょ」である。
もっと言うと、
「MBAに来て、旅行・ゴルフ三昧で、何とか学校の授業でやってることだけついていく、
という1990年代の一般的な留学生と同じことをするつもりなら、日本で2年間仕事していた方がずっと価値がある」
というところか。
MBA経験者で、今MBAに行くことを批判する人は、
きっと日本人留学生が自分と同じ生活をすることを暗黙の前提としているのだろう。

当時は、今よりも留学の壁が厚く、MBAに来れるような人たちはそれだけで凄いことだった。
(その上で、単なる留学以上のことをする優れた人たちもたくさんいたと思うが)
でも今は時代が違う。

MBAに2年間来るだけ、MBAを資格として取るだけで価値がある時代は、すでに終わった。
これは社外での市場価値だけでなく、社費で来る場合の社内の価値についてもいえる。

何故か?
考えれば当然なのだが、以下が大きな理由である。
1. 80-90年代までは、そもそも「米国生活経験者」が少なかった。(ウルトラクイズの時代だ)
従ってMBAに行って「米国を知ってる」だけで、英語が大して上達してなくても、例えば社内で海外部署に送られる理由になった。
今は、一流企業は帰国子女を大量に採用しているし、語学・交換留学などもずっと簡単で留学経験者も多い。
「MBAで2年間海外住んでました」が全くメリットにならない

2. 80-90年代までは「MBA」自体が資格としても、学んだ内容としても価値があった。
しかし今はMBA保持者も増え、加えてコンサル出身者などMBA相当と思われる「資格」の持ち主が増え、
更にMBAでやるような内容を企業研修などで受けられる機会が増えてきた。
MBAで学べるような知識はコモディティ化し、「資格」としての価値も薄れているのだ。

3. その割には、米国MBAに行く経済コストが高すぎる。
日本がデフレ20年の間に、米国の物価が2倍近くになってる、というのもあるが、
トップ校の学費自体米国内でもインフレしているためである。
米国トップ校の年間学費は400万円程度、その他日本よりかかる生活コストが100万円程度。
従って、2年間の間、「日本で2年間もらえてたはずの給与所得+1000万円」のコストがかかるのだ。

仮に日本で600万の給与をもらっていたとしたら、そのコストは2200万円になるわけだ。
MBAに「ただ」行くだけで得られるものが、2200万円の価値があるか?

社費の人はこういうコストは心配しなくて良いだろうが、
代わりに2年間実務を離れて「2年遅れる」ことのコストを考えると良い。
2年間、本当に努力して英語で仕事する力をモノにした人は、海外の前線に出て活躍できるだろう。
進歩していない人は、一瞬フロントに送られても、パフォームせずに国内の部署に引き戻されることになるだろう。
仮にパフォームしていないのに、引き戻されもしない会社だと、その会社自体が危ない。

(もっとも企業派遣の場合の、MBA後の配属先は、それ以外の要因などで決まることも多いので、
仮に英語力などの力が身についていても、国内に配属されることは多々あるでしょうが、
後々の自分の力につながっていくはず。)

それでも私は、やる気がある人は、MBAに来ることを強くオススメする
それは、新しいことにチャレンジし、努力をし続けた場合は、日本にいるよりずっと自分の価値を高め、
可能性を広げることが出来るからだ。

一言で言うと、下記のチャートに集約される。

本当に今までずっと日本で過ごしていた人が、
ビジネスで英語で交渉・ネイティブのみの環境で働いてパフォームする、なども出来るようになるには、
日本にいただけでは、とても鍛えられないのは確かなのだ。
2年間、授業、チーム活動、インターンなどで、英語ネイティブの人に負けないつもりで駆けぬけ続け、
得られる英語力を、日本ではどんなにお金を払っても得られないだろう。
(追記:コメントにも書きましたが、単なる英語の語学力ではなく、相手の文化や動き方を理解し、
その文化に最も適応し、効果的な形でコミュニケーションしたり動いたりする能力全般です)

また、留学に行くとやはり人間関係で苦労が多いから、本当にその苦労に向き合って、克服することで、人間的に学ぶことも多い。
これも語学の問題がない日本では、「なんとかうまくごまかせる」から、なかなか成長しない部分だ。
リーダーシップのスキルも同様。
日本の職場では中々実践する機会もなく、成長させるのが難しいスキルの一つだ。
私みたいに、本などを書くつもりで一つの分野を深く掘り下げる、研究する、というのもあるだろう。

それが上に書いたように「2200万円(人によってはもっと)」の価値になるか?
というと、人によってはYesなのだ。
(少なくとも私は自分でそうだと言える自信はある。それを意識して、そのつもりでやってきた。)

でもこういうことも、「日本人だけのコミュニティ」に籠り、自分のハードルも上げず卒業するだけなら、
2年間逃げ続け、ただMBAの学位をとることは可能だ。
しかしそれだったら、日本にいた方がよほどいいだろう、と思う。お金と時間の無駄だ。
日本にいても、勉強手段があり、情報が流通し、海外の擬似経験も出来るようになってる今、
その程度なら、別に日本にいて、仕事を続けることで、自分の価値を高めることは可能だからだ。

これからMBAに留学しよう、と思う人は、心して置いた方がいいと思う。
「MBAに来て、プログラムを全うすれば価値がある」時代はもう終わったのだ。
MBAのリソースをフルに活用し、常に自分を追い込めば、日本にいる数倍の成長が可能だろうが、
それをしないなら、全く価値がない。

では、具体的に、どのようにそのチャレンジ・努力をしていけばいいか、というのを次のエントリで書こうと思う。

(追記:ちなみに私自身は、ブレークイーブンの点から右に約1センチくらいのところにいる、と思っている。
 Bスクールには、もっとリスクとって色んなことやってるひともたくさんいる。
 「上がいる」ことをまじかに見て、理解でき、自分の適性について考えられた効果は大きい。)

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ママー、うちはもうテレビ見れないの?

2010-03-30 11:20:01 | 7. その他ビジネス・社会

池田信夫さんの記事を読んで、アナログ放送が来年7月に終了するということを思い出した。
デジタル放送が本格化した2006年頃は、まだあと5年先、と思っていたけれど、もうそんなに経つのかぁ。
で、日本では、こんなことが行われてると知った。
(以下記事より引用)

はじまった「いやがらせ放送」

きょうからアナログTVの画面の上下に黒い枠を出す「レターボックス」の放送が始まった。これはHDTVの横長の映像を左右を切らないでアナログTVに出すもので、「アナログ放送はもうすぐ終わる」と知らせるためのいやがらせ放送である。さらに来年4月からは、下のように放送画面の全体に「デジタルに買い換えろ」という表示が1日中出る予定で、7月に電波が止まる前にアナログ放送を見ることは事実上不可能になる。

■デジタルテレビ・チューナーが買えない家庭はどうすればいいのだろうか・・・

こういう記事を読むと、私はどうしても、家に古ぼけたアナログテレビが一台しかなくて、
お母さんが一生懸命働いて、子供をなんとか養っているような家のことを勝手に想像してしまう。

そういう家では、一体どうするんだろう?
ずっと使ってたテレビ、急に見られなくなっちゃうよね。
でもうちお金ないから、そんな高いテレビすぐには買えないよ。

あ、デジタルチューナーっていう7000円くらいのを買えばデジタルテレビ見れるって。
でもどこに買いに行けばいいんだろう。
7000円もお金かかるの、うち、すぐに買えるかな。

と、忙しいお母さんに代わって子供が一生懸命考えるところとかを、勝手に想像して悲しくなる。

一応この記事によると、生活保護世帯約260世帯にデジタルチューナー無料配布することは議論されてるようだが、
上記のような、ワーキングプアな家庭とかで生活保護受けてない家庭とかどうなるんだろう?
記事でも言われてるように、ちゃんとこの人たちへ財源あるんでしょうか・・・心配。
でも、全て国の財源でまかなうってのも問題だよね・・。

ネットの時代でも、こういう家庭こそデジタルデバイドで、まだまだテレビが重要な情報源なわけで、
緊急時の情報とか、テレビで見るわけだ。
そういうところから、情報を得る権利を奪う(またはアップデート代を取る)ということに
一庶民として違和感を感じてしまう。
新しい放送始めるのは良いけど、何で前のを皆一律でやめちゃうのか。
そこには、無料アナログを続けて、こういう家庭の視聴率をとる、という自由競争すら無いわけだ。

私は、新しい技術を普及させることには常に前向きだけど、それは技術が人々の生活を変えるからだ。
この場合、技術というより、社会的弱者を置いてきぼりにしてしまう制度の問題なわけで、
そこにははっきり問題意識を持っている。

■技術普及の理論からも、5年で切り替えをするこの計画はかなり無謀と思われるが・・

こういうことを言うと「世の中は変化するのが当たり前で、弱者に合わせていたら進まない」という人がいるだろう。
しかし、5年-10年っていうのは、技術の切り替えには一般的に短すぎるスパンだと思う。

先日家電製品の普及についての記事を書いたが、
例えば、アメリカではカラーテレビが9割の世帯に普及するまでに25年かかっている。
日本は通常普及速度が速いので恐らく20年くらいで済んでいると思うが、でもそのオーダーだ。
他の技術を見ても、だいたいそのくらいの時間がかかっているのは分かると思う。

(追記:日本ではカラーテレビ発売から約10年で9割の世帯に普及しています。こちら参照)

技術の普及っていうのは技術への慣れの問題だけでなく、社会の経済格差の問題もあるため、
どのような技術でも、「ほぼ全世帯」に普及するのはだいたい20年程度かかるわけだ。
(日本はこれが早くて10-15年のオーダーですが)

それなのに、本格的に移行してからまだ5年しか経っていないのに、前の技術を終わらせてしまう、
というのは、技術普及の理論から見ても、そもそも無理がある計画だったのではないか?

「そんなこといまさら言うな」と言うかもだが、
いずれにせよ、日本のデジタルテレビの家庭普及率は
昨年時点で50%以下
ってことはまだデジタルテレビが無い家が2500万世帯あるということ。

私の思うのはアナログ放送停止を先延ばしにする、というよりも、
アナログ放送を続けたい放送局は残して、自由競争にする
、という選択肢は無いんだろうか、ということ。

だって「そんなことするなら、もうテレビ見ないよ」って人も世の中にはいますよ。
テレビ見ないひとと、テレビ見られないひとばかり増えてしまったら、
困るのは誰なんだろう・・と思います。

追記:
で、政府としても当然弱者を置いて完全移行するってわけには行かないので、
今一番困ってるのは、やり始めたものの、思ったように普及が進まない政府の方でしょう。

現実的な解としてはデジタルチューナー普及に向けた予算を確保して、普及させるしかないんでしょうね・・・。

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バービーがコンピュータエンジニアになるのを素直に喜べない理由

2010-02-22 08:30:38 | 7. その他ビジネス・社会

もう一週間も前のニュースで恐縮だが、アメリカの女子用玩具であるバービー人形が、
ついにコンピュータエンジニアになったらしい。

barbie-computerengineer2

Meet Barbie the Computer Engineer - Wired News
Barbie's Next Career? Computer Engineer - NY Times Bits

実際に、女児へのアンケートでの人気職業が、コンピュータエンジニアだったことを受けて開発したらしい。
バービーは、日本のリカちゃん人形みたいなもので、なる職業も女児の憧れの職業ばかりだ。
アナウンサー、モデル、女性経営者など120以上のキャリアを経て、ついに選ばれた初の技術系職業!
かつては「私、数学が苦手なの (math class is tough)」などと、
ブロンド女性への偏見とも思われる発言を口にして批判されていたとは思えない、見事な転身だ。
理系女の私としては、快挙じゃん、と思ってる。

さて、これに対する実際のコンピュータ技術者の反応はどうか?
各記事のコメント欄を見ると、「いいじゃん。早速買って机に置くよ」なんていう技術者もいるようだが、
全ての技術者が喜んでるわけじゃない。

例えば、NY Times Bitsのコメント欄を読むと、このようなコメントが見られる。

Bill (Michigan):  Forget it, Barbie, your gig has been outsourced to a hottie in Mumbai...

ビル(ミシガン): 何言ってんだ、バービー。君の仕事はもうムンバイのイケメンにアウトソース済みだよ。

Mia (Boston): @Bee that is fabulous you and your friends got jobs, kind of sucks for those of us who DID loose our jobs to design work going overseas. Not the most appropriate place to comment on this but thought I mention that not even engineering jobs aren't safe when places like India and China are churning them out like butter and smart ones too!

ミア(ボストン): (上記Billへの反対意見を述べたBeeという人に対して)
君や君の友人が仕事があるってのは素晴らしいことだね。
俺らはWebデザインの仕事が海外に行っちゃって、職を失ってんだから。
ここに書くのが適切なのかわかんないけど、技術職だって危ないと俺は思うぞ。
インドや中国がそういう頭いい仕事だって出来るように変わってきてるんだから・・・。

要はコンピュータ技術者は、不況に加えて、インドや中国の技術者にどんどん仕事がアウトソースされて、職が奪われてる、と不満を持っているのだ。
そんな厳しい時代に、「コンピュータエンジニアになる!」なんて間抜けなこと言ってるバービーに
「世の中そんなに甘く無いんだよ」と言いたいらしい。
子供が安易にコンピュータエンジニアに憧れる状況を作り出すことに反対する人もいる。

もっともエンジニアというのは、どの国でも「何か一言いいたい」人種が多いから、
割り引いて考えた方がいいのかもしれないが、
それでも、「インドや中国に職が奪われてる」という感覚は多くの人が持ってるものらしい。

アメリカは、いま景気がだんだん良くなってきていて、銀行や製造業を中心に雇用を増やす、
というニュースが毎週のように新聞の一面を飾っている。
ところがその中にソフトウェアエンジニアの雇用を増やす、というような記事は余り見ない。
これが、インドや中国へのアウトソースの結果なのか、というのは分からない。
しかし、不況の中でコスト競争力をつけることを余儀なくされたIT系企業が、Web開発やソフトウェア開発を次々にインドに移行していたのは確かだ。
不況が収まっても、その流れは変わらない、と見ることは出来る。

そしてアウトソースとの因果関係は不明なものの、不況による業績悪化も手伝って、
実際有名IT系企業が、次々にソフトウェアエンジニアのリストラを行っている。
ビジネススクールにも「もともと○○の組み込み技術者だったんだけど、リストラされちゃって・・」なんて学生が今年になっても結構来ている。
また、同じインド人でも、せっかくアメリカで学位をとっても、アメリカでは仕事がなくて帰国という例も多々耳に入る。

アメリカでソフトウェアエンジニアの仕事をやっていくのは、かなり付加価値の高い仕事を除き、
実は徐々に難しくなっているのである。
コモディティ化が進んでる分野では、コスト競争力の強い国に仕事を奪われてしまう。
職を失いたくなかったら、エンジニアは、日々研鑽して自らのコモディティ化を防がなくてはならないということだ。

日本のソフトウェア技術者も大変と思うが、日本語という言語の壁やガラパゴス技術により、ある程度守られてるので、アメリカよりマシかもしれない。
(最もそれ自体は日本という国の競争力には悪いのかもしれないが。)

そんなわけで、せっかくバービーが苦手な数学を克服して、コンピュータエンジニアになっても、
付加価値の高い技術を持ったり、起業アイディアを持ってないと、職は無いかもしれないのだった。

しかし、逆に言えば、アイディアと技術と能力があれば、何でもできるのがアメリカという国だ。
大企業に固執しなければ、スタートアップを初めとし、チャンスはたくさんある。
新しいアイディアがあれば、それを事業化するのはファイナンス面でも人材集めでも、アメリカの方が容易だろう。

バービーも、カッコいいからという理由でエンジニアを目指すだけでなく、
自らの努力やアイディアで道を切り開いていくステキな女性として、エンジニア職を全うし、
女の子たちのロールモデルになって欲しいと私は思う。

余談:全くの余談だが、コンピュータエンジニア版のBarbieは、他のバービーに比べて胸が小さいんじゃないか?
などエンジニアへの偏見のような指摘がたまにあるが(参照参照)、
バービーの胸が小さくなってるのはここ10年ほどの傾向であって(参照)このエンジニア版に限ったことではないらしい。
90年代のスーパーモデル流行以降、アメリカでの女性の理想の胸の大きさは以前より小さくなってるらしいよ。

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