My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

日本の大学教育から起業家やグローバル人材を育てる4つの提案

2011-03-05 18:17:58 | 3. 起業家社会論

前回の記事-日本の大学入試制度は本当に間違っているのか-から結局5日経ってしまった。
待っていてくださった方は有難うございます。

今日は、前回の記事を受けて、現行の日本の大学入試制度を活用して、起業家とかグローバルな人材とかを輩出することは出来るんじゃないかということを書きます。

前回の記事は、日本の現行の大学入試は変なのか、それでは大学で企業家とかグローバルとかの人材を出せないのか、というのが論点だった。結局別に日本の入試制度が世界的に変なわけではない、それに変えるのはコストと手間がかかる、本当にやって意味があるのか、というところだった。

・小論文や面接による大学入試が行われるのは、米国の一部のトップスクールであり、
世界の大部分では、(記述式・選択式問わず)筆記試験一発で大学への合否が決まっている。一方で、起業家やグローバルな人材を生んでるのは、米国のトップスクールだけだろうか?そうではない。

・仮に米国のトップスクール式の入試を行うなら、入学審査官の組織を作るなど手間とコストが非常にかかる。一方米国トップスクール(大部分が私立)は、起業した大金持ちとか、レガシーとか、政治的に活躍して予算を引っ張れる卒業生がその大部分の寄付をまかなっている。だから、大学がコストと時間をかけて、将来起業したり、国際的に活躍する人材を論文や面接で選抜する意味が十分にあるのだ。日本の大学はそれを目指すべきだろうか。

・一方で日本の大学は、独立行政法人化後、組織改正などが実質的に困難になっており、実際に変えようとすると非常に時間がかかる。制度を変えるより、運用を変えるほうが現実的である。

これらを総合的に考えると、別に大学入試制度を変えずに、大学に入ってからの教育を変えることで起業家とか、グローバル人材とか、今の日本に必要な人材を育てていけばいいんじゃないかと私は思っている。要は、仮に百歩譲って今の大学入試が「試験しか出来ない人材しか取れない」制度であったとしても、そういう人の一部を4年間のうちに起業家とかグローバルに活躍できるような人材に育てていけばいいのだ。

じゃあどうやってそんなの育てるのか、を一言で書くのは難しいが、私がポイントだと思っているのは以下の4点だ。

1) もっと外国人や外部の(リスクとってる)人材をファカルティ(教授陣)に入れる。でなければ、起業家やグローバル人材のような「異質な」優秀な人は育たない。

日本の大学の先生って、すごく「均質」だ。殆どの人がアカデミアにずっといて外部に出たことが無い人ばかりで、そして皆が日本語(のみ)を話す(外国人教授も)。

起業家とかグローバルな人材とかを育てるというのは、基本的には「異質な人」を育てるということだ。大企業に勤めて安定志向が普通の中で、あえてリスクをとって起業しようと考えたり、日本文化の中で育ちながら、他国から来た色んな人をリードできる人とは「異質な人」だ。そういう人を、筆記試験を通るために勉強をしてきた「優秀な」学生から育てようとするのだ。「優秀な」学生ほど、教授陣が均質な環境では異質を目指そうとはしないだろう。

私がMITにいて思ったのは、教授陣にもリスクとって頑張ってる異質な人が多いということだった。起業したがうまく行かずアカデミアに戻った教授が、また新しい研究成果をネタに起業しようとしている。南米やアフリカに生まれ、英語が完全に話せない教授が沢山いる。話すとき、難しい英語の単語が出てこなくて、ネイティブの学生に聞いたりする。でもコンテンツがあって面白いからみんな話を聞く。南米の国から亡命してきた先生なんてのもいる。企業に勤めていたが30代後半にアカデミアに戻って博士号をとり、教授になった人もいる。こういうリスクをとってる多様な人材がファカルティにいるから、それまで試験ばかりで頑張ってきた学生は目が開かれて、初めてリスクをとって頑張るということを知るんじゃないか。

アイビーリーグやMIT、スタンフォードに行く学生も、多くが良いとこのお坊ちゃまやお嬢さんであり、留学生や移民が日本よりずっと多いことを除けば、試験勉強ばかりしてきた日本の学生と視野の狭さでは変わらないだろう。若い学生の視野を、大学に入ってからグーンと広げるのは、ファカルティの多様性だと思う。

2) 加えて、もっと色んな外部の人が大学内に入ってくるようにする。カオスな場が「有機的な」連携の場になるから

MITではそれ以上に、外部の人が大学内に沢山いた。例えば私はMITのビジネスコンテストの委員をやっていたが、コンテストには、昔MITを卒業した発明家とか、近所の起業家とか、よく分からない人が沢山入ってくる。長いこと周辺に住んでるので、そのあたりの起業家とか法律家を良く知ってるし、先生とも旧知だから、色々な情報を教えてくれて、学生にも役に立つ。学生はそういう人とチームを組んで、色々やることで学ばせてもらえたりする。

企業の人もしょっちゅう大学に来る。学業優先のため面接をオンキャンパス(キャンパス内)でやることが多いからリクルーターが出入りしている。また産学連携なんかも日本の大学より多く、普通に企業の研究者が出入りし、スポンサーがやってくる。ビジネスコンテストでも、いいアイディアを持った優秀な学生を採用したい企業でいっぱいで、積極的に学生に声をかける。

大学が、本当に多様な人々が集まって、何かを生み出す場になっているのだ。それぞれはMITを活用してうまいことやろう、という人々なのだが、余りにも沢山の人がいるので、こちらも学生の役に立ってもらうことが出来る。まさに「多様な人材が有機的に連携」する場になっているのだ。(ただし、変なことは起こらないように、大学の警備は徹底している)

3) 全ての学生を起業家とかグローバルに育てる必要は特に無いので、本当に伸びる学生を伸ばせる仕組みにする

例えば大学の授業を全て英語でやる、外部の人材が教壇に立つ、とかはどの大学でも試みてることだと思う。難しくなるのは、全ての学生にその機会を提供しようというところではないか。

私は、規模の大きな大学であれば4年間、ずっと英語だけで授業を受けられる環境が必要だと思うけれど、全ての授業を英語にする必要は全く無いと思う。ビジネスコンテストや起業家を育てる授業などもそうで、全員が出る必要など全く無いのだ。でもやる以上は、かなり負担も大きく、やる気のある人だけがついてこれるようにすればよい。

やる気があり、ちゃんと沢山の課題をこなす、「コミットメント」をしている学生には、先生も「コミットメント」をする必要がある。要はちゃんと時間を使い、指導する。起業したいとか、海外に出たいという学生には、そういう機会を与えれば良いと思う

4) 先生や学生が草の根でやっている新しい教育の仕組みを、足を引っ張らず支え、連携させる仕組み

昔から、日本の教育制度を変えるのは大変であり、民間や草の根の力がそれをサポートしてきた。大学でも同様で、教育システムを変えるのは大変だから、教授や学生が草の根的に色んな教育活動をしている。例えば起業家を育てるためのビジネスコンテストは各校学生が主催でやっている。グローバルなリーダーを育てる草の根活動で、私が注目しているのは、MITの学生と東大、東工大の学生が中心になって始まったSTELAという活動だ。学生だけでなく、協力を惜しまない大学の教授の力を得て、だんだん大きな活動になってきた。

変えていかなくてはならないのは具体的に二つ。

・こういう草の根活動に対し、大学が可能なサポートしたり、企業や卒業生など他の協力を得やすい仕組みにする。例えば、MITのビジネスコンテストは、出場することで単位が取れるし、企業のスポンサー探しも大学の卒業生室が全面的にサポートする。金は出せないが、時間や人脈で協力はする、というスタンスだ。日本だと、大学という公的な存在が、一部の草の根活動に加担するリスクをとるのを嫌がって何もしないケースが多すぎるんじゃないか。

・これらの草の根活動を連携させる。これは草の根でやってる側の努力だが、必ずどの大学にも、どの学部にも似たようなことを考えている人はいるので、仲良くやること。そのうねりは必ず世論を変えて、大学の制度改革につながるだろう

「制度が変わらないから、変わらない」ではいつまでも変わらないので、別に「試験のために勉強してきた」優秀な学生を、次はリスクをとったり多様な人材になれるようにサポートしていくのが、大学のあるべき姿だと思う

Special Thanks to STELA, @shige_sci, @ttakimoto for your ideas

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日本の大学入試制度は本当に間違っているのか

2011-02-27 18:38:23 | 3. 起業家社会論

今日で国立大2次試験の前期が終了。まだ後期試験が残っている人も、センターから試験続きだったのがひと段落、というところではないだろうか。
受験生と関係者の皆様はお疲れ様でした。

頑張ってる受験生をさしおいて、大学入試の時期になると「日本の大学入試制度はおかしい」という議論が毎年噴出する。
こんなカンニング事件が発生したりすると、それを燃料に議論は燃える。
京大入試問題、試験中に質問サイトへ投稿、受験生か-日経新聞

そもそも日本の大学入試というのは本当に「おかしい」のだろうか。何が論点なのかをちょっと考えてみたい。

日本の大学入試は間違っているのか

「日本の大学入試が間違っている」という論の多くは、次の3点に尽きると思われる。

1) 今日本が必要としてるのは、グローバルなリーダーとか起業家とかである。一回限りの筆記のみの学力試験でそういうポテンシャルを持った学生を採用できるわけがなく、試験が出来る学生しか取れるのみで意味がない

2) 小学校から高校までの教育がこの一回限りの学力試験で成功することを目的に設計されており、子供の多様な可能性を伸ばす教育が出来ないという悪影響を与えている

3) このような筆記のみの学力試験で入試選抜をしている国は世界でもまれ。「世界でも非常識」である

そしてこれらを解決する方法として、小論文と面接など基調とし、個人の能力を丁寧に判定する試験に変えることを提案する意見が多い。これは本当だろうか。

大学の選抜方法が筆記で一発の国は日本だけではない

まず答えやすい3)から行くと、良いかどうかはともかくとして、日本と同様の試験一発の大学入試制度を採用している国はたくさんある。いわゆる「小論文や面接」を基調としてるのは、米国の私立トップスクールとその制度をならった一部国だけだということは頭にとめておきたい。

フランスではバカロレア(Baccalaureat)、ドイツもアビトゥーア(Abitur)という共通の高校卒業試験があり、これで行ける大学が決まる。専門によって受ける試験の種類が違い、一部に口頭試問を含むが基本は筆記である。(仏グランセコールは別で、別途試験がある。)これらは、日本の大学受験のように「滑り止め」はなく、たった一回の試験で進学できる大学が決まる、という意味で日本の入試以上に厳しいと言える。

中国は科挙の国であり、かつては筆記試験だけで人生全てが決まる国だった。その凄まじさと悲哀は浅田次郎の小説「蒼穹の昴」に詳しいから一読すると面白いかも。現在でも「全国高等院校招生統一考試(「高考」)」というセンター試験一発で、行ける大学が決まり、それで将来の就職先も決まるという意味で日本より厳しい。

以上、日本以上に筆記一発で大学入学が決まる国はたくさんあるというお話でした。

米国トップスクール型の大学入試をうまくやるには仕組みと手間とコストが必要

各国がこういう入試制度を活用するには理由がある。
ヨーロッパでは、教養のある人間が大学まで終わらせるのは当然だから、わざわざ面接などにコストをかける必要がないという思想が根底にある。その代わり大学院では小論文や面接などで人物を重視するコストをかけた入試が行われる。入試のコストと、そこからのリターンを考えろ、ということなのだ。

一方日本は長いこと、国力を上げるために大企業組織で機能する人材を育てるのが大学の目的だった。だから、出来るだけコストをかけずに筆記が出来る人材をとる今までの入試制度は正しかった。それがいま、組織を出て起業したり、グローバルに活躍する人材が求められており、現行の入試制度だと、そういう人材を落としてしまうのでは、というところが問題になっている。

仮に大学が「将来成功する起業家になる人」を選びたいなら、たとえば英Virginグループの総帥、リチャード・ブランソンは難読症で、おそらく東大や京大のような「読ませる」入試には通らないだろう。学校の成績が総じて悪かったAppleのSteve Jobsも同様かもしれない。

大学として「起業家を育てたい」という明確なミッションを実現するなら、「小論文と面接」で入試を行い、そういう学生を多めに採用する、というのは正しい戦略かもしれない。
しかしこれをうまく運用するにはそれなりの仕組みが必要だ。

米国トップスクールでは、まずエッセイと高校時代の成績(GPA)と課外活動の記録、SATの点数による書類選考が行われる。エッセイは自己アピールで、日本企業のエントリーシートを2-3ぺじの長文にした感じだ。書類選考で通ると、面接に呼ばれる。企業の採用と同様、これを実際に行うのはかなりの手間と、人を見極めるスキルがいる。ただでさえ忙しい大学の先生が研究と教育の片手間で出来ることではない。

したがって、米国のトップスクールでは採用する方もかなりの体制を敷いている。
「Admission」という組織があり、300人くらいの学生を2000人くらいの候補者から選抜するために5-6人の専門のチームを組んでいる。この人たちは、かつて一般企業で採用担当だったとか、人事コンサルにいたとか、ほかの大学のAdmissionにいたとかで、人物を見る目がそれなりに備わっているとされている人たちだ。彼らが、全世界から送られてきたエッセイを全て読んで、喧々諤々議論して決め、次は全国津々浦々を訪ねて候補者への面接を行う。

それだけではなく、Admissionは、ビジネスコンテストの優勝者とか数学オリンピック受賞者などに積極的にアプローチして、リクルートをする。また、優秀な人物を輩出する高校には定期的に訪問し、めぼしい学生を採用に来る。

かけたコストが将来的に償還されるトップスクールだけで小論文+面接は行われる

実は米国でも、私立の有名トップスクールでは上記のようにコストをかけた小論文や面接での入試を行っているが、州立大学ではSAT(米国版センター試験)と州共通の筆記試験だけで選抜しているところも少なくない。SATを何度か受けるチャンスがある、という再チャレンジを認めるところが米国らしいが、それ以外は基本筆記で決まるのだ。

プラグマティックな米国では、将来的に経済や政治でトップを担う可能性の高い学生が輩出されるトップスクールでは、コストをかけてしっかりと人物を選定する。一方でそこまでいかない人たちは、コストをかけない共通筆記入試で十分じゃないか、という考えられている。なぜなら将来的に経済や政治でトップを担う人は、卒業生として影響力を持つし、大金持ちになって学校に償還してくれる人が多いからだ。MITが「起業家になりたいし、なれる能力のある人」をコストをかけて選抜するのは、起業家になれば金持ちになって、大学に寄付という形で帰してくれるからだ。だからコストをかけてでも、選抜する価値がある。中堅の州立大学だと、そういう可能性も薄いから、そこまではやらない。

米国では教育はビジネスである。
投資してリターンがあるところに、投資をする、そういう考え方だ。

同様に、日本の大学でも入試制度を全て変えて、AO入試的なものに変えるなんて論は、
コストメリットを考えても間違っているし、有効な方法ではない。

そもそも入試制度は、いろいろあって日本ではもっとも変えにくいものの一つだ。現状の入試制度を活用しながらも、如何に日本の大学で起業家とかグローバル人材なども含む多様な人材を輩出するか、という方向で考えなくてはならない。

以上、
・米国型の入試が世界で一般的なわけじゃないこと
・いずれにせよ米国型の入試はちゃんとやるとコストが非常にかかること
・したがって将来グローバルに活躍するとか、起業して金持ちになるとかコストをかけるメリットがある人たちだけを対象に行うべきだということ
・日本の入試制度を抜本的に変えるのは難しいこと

これを考えると、日本の大学の入試や教育の制度はどうあるべきか、という話を明日書きます。

追記)さっきTwitterで下の内容を書いたら、たくさんRTされたのでここにも一応ポスト。

Lilaclog 12:58pm via HootSuite
東大や京大の入試は全体の半分が解ければ受かる、という難易度になってることによって、結果として一芸人材と満遍なく何でもできる人材の両方が取れているのは面白いと思う。日本で入試制度を変えるのは至難の業なので、現行の制度を活用しながら如何に、柔軟で面白い人材を採って育てるかが鍵

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起業したい人がMBAに行って何の意味があるか

2011-01-17 00:49:38 | 3. 起業家社会論

「起業したい人がMBAに行って意味があるのか」と良く問われるので、私なりにまとめておこうと思う。
「MBAに行く意味があるか」という一般論は不毛だと思うけど、対象を絞ればそれなりに答えられるところもあると思うので。

実際、多くのMBAには「起業したい人」がかなりの数、来ている。
また、MBA側も起業を意識した教育を提供し、積極的に宣伝にいそしんでいる。
将来、少しでも起業したいと考えている人が、MBAに行った方が有利になるのか、MBAがどんな役に立つのかと不安に思うのは、当然かもしれない、と思う。

はっきり言って、起業のアイディアが固まっていて、一緒に起業する仲間もいて、資金など起業のめどが立ちそうなら、MBAなんて行かず、すぐに起業すれば良いのだと私は思う。
だけど、それって稀有な才能に恵まれた人だろう。
普通の人は「将来は起業したい」と思っていても、会社勤めしながら、起業のアイディアを考えたり、仲間を見つける暇は無い。
かといって、仕事を辞めてプーになるのはリスクが大きい。

起業したいけど、時間無くて今すぐには出来ない、と言う人がMBAに行く意味は、だいたい次の6つに集約されるのではないか、と思う。

1) 同じ志で起業したいという仲間を探しに行く

MBAに行く意味として「ネットワーキング」が良く挙げられるが、起業したい人にとってネットワーキングとは二つの意味に分かれる。
ひとつは、一緒に起業できるような仲間を見つけに行くことだ。

起業を一人でやるのは珍しく、複数の仲間が集まって起業するケースが圧倒的に多いらしい。
まず、起業のアイディアって、一人で考えて出てくるものではない。(そういう人もいる)
やっぱり一緒に議論してくれるパートナーがいるのは心強い。
それに、会社を興すには、ビジネスモデルを作り、資金を調達し、技術など必要なものを確保し、人材を確保し、などさまざまな方面の知識やスキルが必要となる。
これらを一人でやれる天才は少なく、違うスキルを持った何人かが手分けして行う方が良い。

とはいえ、普通に会社勤めしていたりすると、こういう仲間に会えることは少ない。
技術屋だと、周囲は技術屋ばかりで、経営や財務が分かる人になかなか出会えないかもしれないし、その逆も然り。
普通に大学院に行くと、通常はアカデミアに行きたい人の方が多くて、起業したい人が多いとは限らない。
一方、MBAは、最近ことさらアントレを宣伝していることもあり、起業したい人が集まっているから、普通の大学院より仲間に出会えるチャンスは大きい。
実際、私のMIT Sloanの同学年の友人で、クラスメートと一緒に起業したケースは10組以上いた。

2) ベンチャーキャピタルとか法律家とか、起業に必要なお金や知識を提供してくれる人たちとの繋がりを作りに行く

もうひとつの「ネットワーキング」がこれ。
日本のMBAでもだんだんそうだと思うけど、MBAにはベンチャーキャピタルや、大企業のCVC、法律事務所などが群がっている。
彼らとしては、将来成功する起業家(金のなる木)を見つけようというわけだが、起業したい学生としてこれを利用しない手はない。
この意味でも、普通の大学院よりはMBAなど起業家育成をやってるところが有利。

一方、普通に企業に勤めていて、VCやエンジェル資産家と知り合うのって結構困難だ。
特別にそういう知り合いでもいない限り。

さらにMBAにてビジネスコンテストなどを主催する側に回ると、VCが何を以って起業家を評価するのかを知ることが出来る。
例えば、私もMITのビジネスコンテストの主催側にいたとき、何十組ものビジネスアイディアの企画書を、VCやエンジェルの人たちが喧々諤々議論しているのを、横で議事録を取ったりする仕事をやった。
こういう経験は、後で自分が選ばれる側になったとき非常に役に立つ

3) 起業のアイディアを考える時間を得る

学生には時間がある。
一方、仕事をまじめにしていると、起業アイディアなんて練ってる時間もあまり無く、疲れて帰って寝るのが普通だ。

MBAは特に時間がある。
プロフェッショナルスクールであるMBAは、論文を書く必要は本来無い。(私は書いたけど)
だから、普通の大学院よりもその分、他の事に時間が使えると思ってよい。

私個人は、起業家ではなく、起業家を産みやすい社会インフラとかへの興味が強かったので、イノベーション関連の勉強にほとんどの時間を割き、論文も書いたけど、
周囲で起業を目指していた友人たちは、授業の予習なんて最低限で終わらせ、とにかく起業のアイディアを固めるのに時間を割いていた。

4) 起業に役に立つ知識やスキルを身につける

基本的な財務や、特にキャッシュフローが不足しがちな起業したての時の財務。
基本的な経済の原理、特にそれを技術系などの起業家が多い分野での意思決定にどう使えるか。
コミュニケーションも基礎をやってから、VCとのコミュニケーション、起業時のセールスのあるべきコミュニケーション方法。
基本的な経営戦略の考え方、特に起業時のビジネス戦略。
起業に関する法律、会計規則。
このあたりもMBAだからこそか。

最近のMBAは起業家育成に力を入れているので、いわゆる財務や経済、経営の基礎だけでなく、起業に応用した例を授業でも積極的にやる。
学校の勉強なので、すべてが実務に役に立つとは限らないが、
学校の勉強らしく、とても困ったときに思い出して、役に立てることが出来る。

5) 本当に自分は起業がしたいのか、向いているのかをじっくり試すことができる

人によっては、今の仕事は違う、と思っていても、本当に自分が起業に向いているのか分からないというモラトリアムな向きもあるだろう。
または、今すぐに起業するのが良いのか、一度ベンチャーで自分の力を試してから起業するのが良いのか迷う向きもあるだろう。
MBAは「転職予備校」な側面も大きく、いろんなプロジェクト型の授業やインターンシップの機会もある。
たくさんの企業-それこそベンチャーや元ベンチャーの大企業やベンチャーキャピタルまでもがリクルーティングにもやってくる。

起業以外の職業の可能性を考えて、面接を受けたり、授業やインターンを経験して、
自分の起業への適正を絞り込んでいくのも、起業したい人がMBAを使うひとつの方法だ。

6) 色々がんばったけど、起業できなかった場合のリスクヘッジ

実は、起業を目指してる人にとって、これがMBAの意味として一番大きいんじゃないか、という気すらする。
起業するのに時間がほしいからと、仕事を辞めてプーになるのはどの国でもリスクが大きい。
「この2年間はMBAに行ってました」となっていれば、履歴書はとてもきれいだ。

また「転職予備校」たるMBAであれば、2年間という期間中に起業できなかった場合でも、最悪他の企業に就職するいろんな道がある。
トップスクールであればあるほど、リスクヘッジが出来る程度は大きい。

以上。
色々書いたけれど、それでも起業したい人がMBAに行く意味があるかは、本当に人による。
そもそも海外のMBAは高い。
その授業料に見合うだけのものが得られるかは、今自分に何が足りないかによるし、その学校のカリキュラムや相性などもある。
自分の状況と行きたい学校の状況を考えて、良く検討すべし。

最後に、この辺は議論の余地があるとは思うけど、個人的にはアメリカで起業したい人、起業した後アメリカを市場としたい人はアメリカに行く方がよいし、
日本で日本人を相手に、日本のVCの力を得ながら起業するなら、日本のMBAに行く方が良いと私は思う。
アメリカのビジネススクールにいても日本で起業したい人はそんなに見つからないし、日本のVCも来ない。
日本のビジネススクールにいても、アメリカのVCは余り来ないし。

どこの学校でもそうだけど、自分がやりたいことに見合うものが得られる学校はどこか、慎重に考えて選択するのがよいです。

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不景気だからこその移民政策のススメ

2010-07-26 07:04:13 | 3. 起業家社会論

日本に関する、海外の新聞記事やアナリストレポートを読むと、「日本は3度目のLost Decade(失われた10年)」に突入するのか」というのをよく目にする。
1990年代初めから20年続いているが、またあと10年続くのか、それとも日はまた昇るのか。

日本の経済がデフレから脱却し、もう一度活性化するのに、日本政府に出来ることって何だろうか。
金融政策は、やれることはやりつくしている感あり。
かつての半導体のように、通産省(経産省)主導でイノベーションってのも、今の時代では難しい。
政府に出来るのはもっと大胆な政策、法人税制や移民政策だろう。

移民政策については、今世紀初めころから議論が高まり、移民政策を検討する政治団体も出来たり、
2008年10月には経団連から「日本型移民政策の促進」をうたうレポートも出た。
ところが、リーマンショック後の製造業を初めとした大量解雇で、移民政策の「い」の字もいえない状況に後戻りしてしまった。

しかし、内需が落ち、新しい産業も興らない今の日本を長期的に活性化させるのは、
社会に新しい風を吹き込み、既存勢力を無力化し、人口増加に役立つ、移民ではないか。
特に、社会不安を引き起こしやすい低賃金労働移民ではなく、技術や学問的素養を持つ高機能移民に集中して、いかに定着させるかが鍵。

高機能移民が起業家社会を促進する

以前「日本にシリコンバレーが必要な理由」に書いたとおり、私は日本の更なる経済成長には、
新しい産業を生んだり、大企業を脅かして変革していったりする、Googleのようなベンチャー企業が成功する素地が非常に重要だと考えている。
この素地を作るのに重要なひとつの要素が移民だ。

以前記事で紹介したポール・グレイアムの論文のトップにあったとおり、シリコンバレーが成功した一つの理由は、アメリカが積極的に優秀な移民を受け入れる国だから、とされている。
彼は「日本人にシリコンバレーを作らせたら、無意識的に日本人だけの集まりにするだろう。それではシリコンバレーは出来ない」とまで言い切っている。

実際、シリコンバレーのベンチャー起業家には移民が多い。
Google創業者の一人、セルゲイ・ブリンも、ロシアからの移民一世だったりするが、
なんとシリコンバレーでの半数以上(51%)の起業が移民一世による。(データソースはこの論文

起業家が生まれて、成功しやすい社会には、以前から言ってるような、起業家、資本を持つ人、経営のプロ、技術、その他優秀な人材などのネットワークがある、というのも重要なのだが、
「成功したいという野心がある優秀な人たちがワラワラいる」「伝統的な秩序がある程度失われて、下克上しやすい」というのも非常に大切。
それを作り出すのは移民、しかも大学や大学院まで行って技術や専門知識があるが、発展途上国からやってきたなどで「後がない」高機能移民が重要な役割を果たす。

移民の人は、「成功しなければお国に帰る」しか選択肢がない、いわば背水の陣だ。
だから、成功しようという意欲が非常に強いし、失うものが少ないからリスクも取れる。
技術や学問的資質を持った上、このように野心も強い高機能人材が沢山日本に入ってくれば、
日本人の既得権益者も競争に追いやられるわけで、自然と活性化が進むのではないか、ということだ。

高齢少子化の問題解決は移民で

そして、先進国では高齢少子化はどこでも問題だが、米国やフランスの高い出生率は高い移民率が支えているということも忘れてはならない。
女性が子供を持ちながら働きやすい社会を作るのは当然だが、それだけで出生率を上げるのはなかなか難しい。
それは、働くママへの支援がもっとも多いとされる北欧諸国の出生率が未だに2以下であることを見ても分かるだろう。

現在の、労働人口が増えることを前提にしたネズミ講的社会保障は、いずれにせよ改革しないとならないが、
人口減少のスピードが速すぎるのは問題だ。

若い優秀な移民にどんどん来てもらうことで、日本の高齢化を支えてもらうのが一番現実的だと思う。

内需減少の悪循環を食い止めるのも移民で

そして、労働人口減少で、内需が大幅に減少しているのも、日本市場の魅力を削いでいる一因だ。
そうすると日本への投資を積極的にしようという企業も少なくなり、日本に優秀な人材も集まらなくなる。
そして更に人口が減り、内需が減少し・・・という悪循環だ。
これを食い止めるのも、女性支援だけで出生率2を越えるのが難しい以上、結局移民しかない。

移民による軋轢を最小化する「高機能移民政策」

ところが、移民政策の議論を始めると、やれ犯罪が増える、失業率が高くなる、とアレルギー的反論を受けることが多い。
これを解決するのは、犯罪増加に結びつきがちな単純労働の移民ではなく、技能や学位を持った高機能移民に絞って、増加させる政策だ。

技能や学歴で「差別して」移民を認める、ということに抵抗がある人は多いようだが、先進国ではどこでもやっていることだ。
単純労働者の移民を増やしても、犯罪増加や、失業率の増大などの社会不安に繋がるだけで経済的効果が薄いとされてるからだ。
移民大国の米国ですら、技能がある人は技能がない人よりも圧倒的にVISAを獲得しやすく、
また学士はそれ以外よりも、修士は学士よりも、そして博士は修士よりも圧倒的に労働VISAや起業家VISAが獲得しやすい。

高機能移民政策はどこから始めればよいのか

実は日本の法律でも、医療や教育などの専門的技能を持った人は移民しやすいことになってるんだが、
その範囲が限定されすぎて狭いこと、実質在留資格が取りにくいことなどが問題。
在留資格のある専門技能を、医療や教育だけではなく、海外の学士・修士・博士や弁護士、会計士などの資格に至るまで拡大したり、優秀な留学生が日本に定着しやすい在留資格の緩和なども打ち手になる。
優秀な留学生の登用なんて、日本の製造業では大企業でも中小でもとっくに始まっている。
そういう人たちが、たとえ転職したり、起業しようとしても、日本にとどまれるような在留資格の緩和ってのは重要なポイントの一つ。

または、国を挙げてやっているフィリピンなどからのケアワーカーの資格が、日本語の試験が難しすぎてほとんど取れない、なんてのは実質的に移民を阻止している例である。
こういう看護士やケアワーカーをはじめとする技能が重要な日本の資格が、話していて困らない日本語能力と技能があれば取れるような現実的なものに変える、というのも高機能人材を増やす方法の一つ。

その他にも、高度機能人材の移入を進めるためにするべきことはたくさんあるが、これって日本人の優秀な人を日本にとどまらせる仕組みと似ている。
「給料も安くて、仕事と言えば実際の付加価値に繋がらないインパクトの低い仕事ばかり」だったら、優秀な人材なんて定着しないだろう。

前に書いた社内英語問題もあるが、それ以上に安い給与体系は海外からの優秀な人材を確保する障害になっている。
かつては、日本人は給料が安くても真面目に丁寧に働くことが、製造業のコスト競争力に繋がっていたかもしれないが、
グローバル化が競争力の源泉となりつつある今、日本の製造業の給与体系では競争を勝ち抜くに必要な人材が確保できなくなりつつある。
本当に海外からの優秀な人材がたくさん定着するには、このあたりの改革も必要になってくるだろう。

このように、高機能人材の移民促進、といっても一筋縄では進まないが、すぐに出来ることも沢山ある。
そういうのを変えて、優秀な移民をどんどん受け入れられるようにならないと、日本の長期的な復活って難しいと思っている。
不景気で移民政策にアレルギーを生じるのではなく、長期的な不景気から脱出するための移民政策を論じるのが大切と思う。

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日本にシリコンバレーが必要な理由

2010-06-03 10:32:09 | 3. 起業家社会論

最近、私はどこに行っても「日本に帰ったら、日本にシリコンバレーを作る仕事をする」と言っている。
私が余りに熱く語るものだから、ほとんどの人の反応は「すごい。それは面白い!」なのだが、
中には「そんなことしてどうなるの?」「何それ、起業家の楽園を作るとかそういう意味?」という懐疑的な反応もある。
だから
そろそろ、私の立ち位置を明らかにしておいた方がいいかと思い、ブログに書くことにした。

私が「日本にシリコンバレーを作る」と言うとき、その意味は、

シリコンバレーのように、起業家、経営のプロ、資本、技術、人材が有機的に結びついている。
だから優秀な人が起業しやすく、必要に応じて人材・技術・資本を補給しながら成長しやすい環境。

ということ。
以前のブログ記事でも何度も書いてきているように(代表例)、シリコンバレーやボストンのような起業家の街にはこの環境がある。
だから、起業家がどんどん生まれ、しかも成功すべきものがちゃんと成功する。
でも日本には無い。
だから作る、ということ。(もっともそれを作るのは一筋縄ではいかない→考察例

何故そんなものが日本に必要なのか?
私は、それが日本の更なる経済成長に必要不可欠だと思っているからだ。

国が経済成長を続けるには、マクロ経済的には(労働)人口が増える、一人当たり生産性が増える、の二つが鍵だ。
しかし、全く違う方向-産業史から見ると、ある程度の経済成長を遂げた国が更に大きく発展するには、新しい産業が次々に生まれて、大きくなる、というのが不可欠だと私は思うのだ。(仮説)
新しい産業が生まれることが、人口が増え(移民とかで)、生産性が向上する要因になると思っている。

そして、そのような新しい産業を生むのは常に、既存産業と技術を守ろうとする大企業ではなく、ベンチャーなのである。
だから起業家が次々と出て、GoogleやYahoo!のように大きく成長し、次の産業の波を牽引するくらいじゃないと、日本のような成熟した国が更に成長するのは不可能に思うのである。

アメリカを見てみよう。
この国は1960年代までは「ものづくり」の国だった。
鉄鋼、造船、そして自動車、機械、電機といった製造業が、
企業名で言うと、US Steel、GM、フォード、GE、RCA、IBM、モトローラといった企業が、
1960年代までのアメリカの経済成長を支えてきたのだ。
ところが昨日のGapminderの分析で書いたように、1960年代終わり頃から元気な日本の新興企業に押されたりして、アメリカの「ものづくり」は凋落し、低成長時代へ突入する。

その後、マイクロソフトやシスコ、サン・マイクロシステムズ、グーグル、フェースブックなどのベンチャー企業が次々に生まれ成長することで、新しい産業が生まれた。
それらに追いやられた、旧技術に属していた多くの企業-たとえばIBMやAT&T-が、IT方面へと鞍替えすることで、大きく世界でのシェアを伸ばし、経済発展に貢献した。

もちろん、今でも米国のGDPの多くを占めるのは、農業と製造業である。
製造業はアメリカが経済成長を続けるために今でも重要な役割を果たしているし、大企業の役割も大きい。
IBMやAT&T、GMのような大企業と、それを支える沢山の製造業の中小企業群が無ければ、多くの人が失業し、アメリカの経済は停滞するだろう。

しかし、IBMやAT&Tは経済を支えてはいるが、自ら新しい産業を生み出しているのではないのだ。
あくまでベンチャー企業のマイクロソフトやサンやシスコが、IT産業と言う新しい分野を牽引したから、
IBMやAT&Tのような大企業が、変革せざるを得ない状況になったのだ。
言ってみれば、ベンチャー企業が、新しい産業を産み、牽引しているのである。
そしてそれが生まれたのはシリコンバレーのような環境なのだ。

例えてみれば、ベンチャー企業というのは料理におけるスパイスのようなものだ。
御飯や具材などの中身(旧産業に属する大企業や中小企業)が、国全体を支えているが、
ベンチャー企業がぴりりと大きな産業を刺激してくれないと、これらの企業は変革できないのだ。

今、シリコンバレーやボストンではITに加え、バイオテクノロジー、新エネルギー分野のベンチャー企業が盛んに生まれている。
それらは今後、製薬業界を変え、石油・電力などのエネルギー業界や自動車業界を大きく揺るがし、変えていくだろう。
その刺激によって、経済を支える沢山の大中小の企業が、塗り替えられたり、変革を余儀なくされたりして、国全体が成長していくのだ。

だから、私は日本にもシリコンバレーが必要だと思う。
日本の経済を支える、製造業とそれらを担う大企業を変革し、成長させるのも大切だ。
技術を持ち、一番優秀な人材を有しているのは、日本では今でもこれら製造業にいる企業たちだ。
それを変革させないと日本は立ち行かなくなる。
だから、私はコンサルタントなんて仕事を職業に選んでいる。
(ちなみにバリューチェーンの下流にいる大企業が変革すれば、それらと取引してる日本の多くの中小企業たちは変革を余儀なくされる)

しかしながら、上に書いたように次々にスタートアップが生まれ、新しい産業を作って、大企業を脅かすくらい成長してくれないと、これらの大企業は変わってくれないのだ。
うなぎとごはんだけじゃうな丼は美味しくならない。山椒が必要なのだ。

だから、私は日本にシリコンバレーを作ろう、と真面目に思っている(註1)。
停滞している日本の経済成長の「山椒」として絶対に必要だと思うから。

 

註1: 今考えてるのは二つ。
日本の問題をちゃんと分析して、どうすれば起業家が成長しやすい環境を作れるか模索すること。
下記のブログエントリのような分析をちゃんとやるということだ。
これは会社に帰ってから、机の下(Under the desk)でやりつつ会社のプロジェクトに仕立てようと思っている。
だから具体的な提案とか、議論の相手とか、情報提供とか、大歓迎です。
日本や欧州にシリコンバレーが出来ない理由とその対策 (1/2) -My Life in MIT Sloan
日本や欧州にシリコンバレーが出来ない理由とその対策 (2/2) -My Life in MIT Sloan

学者のように論じてばかりでは何も起こらないので、自分が出来ることは同時に草の根でやっていこうと思っている。
技術と経営をつないで起業しやすくする場を、日本に作る-My Life in MIT Sloan

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一流企業の正社員も流動化できる社会へ-My Life in MIT Sloan
どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は- My Life in MIT Sloan

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技術と経営をつないで起業しやすくする場を、日本に作る

2010-03-23 16:40:50 | 3. 起業家社会論

今日はもう記事一本書いたので、短い記事で。
Twitterで議論してるうち、書きたい気持ちを抑えられなくなった。

日本に起業家を増やす方策のひとつとして、
技術を持った人と、経営を良く知る人を結びつける場を作ってはどうか、と言う話。
実際、アメリカのビジネススクールなどは、こういう場になっている。
特にMITやスタンフォードなどは、学内に、IT、バイオテクノロジー、電池、新エネルギーなど、
技術や知識を持っている研究者がたくさんいる。
彼等が、経営が分かっているビジネススクールの教授や学生たちと結び付けられ、
起業に至っているケースがたくさんある。

私は、某大学で普通の人よりちょっと長めに大学におり、
学部ごとに分断化された大学の中の研究者をつなぐ仕事などに関わったりしていた。
だから、大学とか企業の中央研究所などには、もう少し発展させれば、起業ネタに結びつく技術や、
それを開発できる研究者がたくさんいることを知っている。

しかし彼等は、自分たちの持っている知識やスキルが、実際の製品・サービスに結びつくとは思ってないし、
ましては起業や企業経営なんてそんなに簡単に出来ると思っていない。
だから、大企業とのコラボである産学連携には多少は興味を持つ人でも、「起業」となると、えぇーって人は多い。
更には、自分たちのやってる研究が、お金儲けになる、と言うことに嫌悪感を示す人も多い。

要は、技術やスキルがあるのに、経営が分からないし、興味も無い人たちが相当数いるのだ

一方、その後、世界的にも著名なコンサルティングファームで仕事をすることになった私は、
問題解決のプロで、戦略や財務にも明るく、人を動かす情熱や力もあり、
いずれ起業したいと思っている優秀な人が、世の中に結構いることを知った。
更に彼等は、資金調達など、日本で起業する際にネックになるところも、解決するための人脈や知識も持つ。
しかし、彼等は多くの場合、起業する際のネタとなる、技術や技術者へのリーチが全く無い、または少ない。
その結果、技術とは全く関係ないところで起業したり、起業自体を諦めたりする。

このように、企業経営に必要な、相当な能力も知識も人脈もあるのに、技術へのリーチが無い、
という人たちがそれなりの数いる

もちろん、技術以外の分野での起業も可能だ。
しかし、スケールメリットが効きにくいので、得てして小規模に終わりやすい。
シリコンバレーの近年の成功例を見れば分かるとおり、技術が絡む起業は大きく発展するチャンスが大きいのである。

そして大きく成長させるには、経営を知り、スキルと人脈がある人がかむことは大切だ。
Googleだってラリー・ペイジたちだけでは、ここまで大きく成功しなかっただろう、とはよく言われる。
あくまで経営を知るエリック・シュミットがいたから、あそこまでの成功に導けたのだ。

と言うわけで、技術を知ってるのに経営には興味ない・分からない人を、
経営に興味がありよく知っているが技術をつなげられない人たちと、つなげる、というのは、
日本で起業を促進させ、成功例を増やす、ひとつの方法ではないか、と思う。
だって、明らかにギャップがあるんだもん。

で、どうやるかだが、やはり一番、科学技術研究が進み、研究者の数も多いところを狙い、
定期的に出会いの場を作ることになる。
東大とか、産総研とか、理研とか、もしくは意外と厚木とか。

ビジネススクールや大学の経営学科とコラボする。
若くて優秀な学生で、起業に興味があっても経験がなければ起業できない日本では、
経営に関する経験が多少あり、ビジネスが分かっている人と一緒に起業するのがベストなのだ。
若くて優秀な彼等は大企業からスポンサーを募る際の呼び水にもなる。

そういうところで集いを何度もやり、技術側と経営側の心理的障壁を低くし、
交流を促進して、だんだん起業話に発展させていくというのが、
私がMITのビジネスコンテストで学んだ定石だ。
セミナーと称して、起業にまつわる有名人を呼び、皆が来やすくするのも定石。

大学や、企業や独法の研究所のそばでやるのは大切だ。
どこの国でも、アカデミアにいる人は、お金儲けには興味が無いどころか、嫌う人が多い。
そんな人たちをわざわざ他所に出向かせるのは難しいからだ。

それから飲み会的インフォーマルと、セミナー的フォーマルの両方をやるのは大切だ。
企業からも人が参加しやすくなる言い訳を与えるのは重要だからだ。

こういう会をやるとなると、スポンサーを募る必要が出てくる。
MITのビジネスコンテストの場合は、ベンチャーキャピタルと法律事務所、
そして、そういうところから目が出てきた企業をいずれ買収したいともくろむ大企業だった。
理系や、経営学科のフレッシュで優秀な学生をリクルートしたい、という大企業のニーズにも合うし。
(経産省とかからお金がもらえるなら、喜んでもらいたいが)

もちろん、こんな会をやっても、起業までこぎつけるのは1,2組出てくる程度だろう。
だけど、こういうのをきっかけに、人々がつながり、人材還流の流れが出来ること、
中々外に出てこない大学の中の技術にリーチしやすくなることが重要なのだ。

何度も書いてるように、何が日本に起業家が少ない原因で、どうすれば状況を好転させられるか、
というのは、もう少し考える必要はある。
こういうのが、あくまで局所解なのは、十分分かっている。
でも、こういうNo Regret-やっても損がなく、後悔せずにすぐ出来て、
効果が多少は出てくるだろう方法は、やってしまえばよい。
で、誰かがやると待っていて出来るわけがなく、論じてるだけではなく、自分が始めるのがベストなんだろう。

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若者が起業しにくいなら、起業しやすい社会に変えていけば良い。

2010-03-20 14:56:34 | 3. 起業家社会論

最初に書くと、この記事は「ではどうやって起業しやすい社会にするか」ということを書くのではなく、
問題解決の考え方について書くつもり。
「どうやって起業しやすい社会にするか」は私も現段階では、はっきりこれだ、という解は無い

(いや、あったらすごいんだけど)

そういう意味では、タイトルは「青年の主張」に過ぎず、特に内容はないかもしれない。
(アラサーの癖に「青年」でいいのかは要議論)

それでもこれを書こうと思ったのは、少しでも世の中の議論を「問題解決をする方向」に持っていきたいと思ったから。

1.「若者に起業を勧めるべきか否か」を問うても、問題は何も解決しない。
  解決指向型の問いをすべきである

Web上で話題になっている、2chのひろゆき氏のエッセイを読んだ。
若者に起業を勧める嘘つきな大人たち-ひろゆき@オープンSNS

私は、ひろゆき氏の主張は非常によく理解できるし、納得できる。
以前「どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は」で書いたように、
今の日本では、経験の無い若者の起業を戦略面・資金面でサポートするプロもいないので、
何も経験の無い若者の起業は一般論として失敗しやすいのは確かだろう。
更に、失敗してもアメリカみたいに大企業に再就職とかできないわけだし、リスクが高い。
だから彼が言うのは非常に真っ当だと思う。

そんな日本の状況なのに、世の中には無責任に若者に起業を勧める大人がいるのも確かなのだ。
彼等はまるで他人事のように、起業を勧めるのだ。
私にも経験があるので、彼の腹立たしさが痛いほど伝わってくるし、共感できる。

一方で、「若い人が起業すべきだ」という意見も良く分かる。
この硬直した社会を変えていけるのは若い人だけだと望みを託しており、若いときだからこそ無茶できるのだという人がいるだろう。
実際、若者が変えようとしなければ、社会なんて変わらないのだ。
恋愛でも、仕事でもそうだが、
「絶対に出来るはず」という根拠の無い自信とパワーが、信じられないほどの力を生み出したりするのは、
歴史を見ても確かなのだ。

私が言いたいのは、これらの議論にはどちらも共感は出来るが、この議論をしても意味が無い、ということだ。
何故なら「若者に起業を勧めるべきか、否か」という問いに例え答えられても、日本は全く何も進歩しないからである。
ついでに言うと、それは正しく答えられる問いでもない。
個人差が大きすぎる。
「海外留学をすべきか」という議論と同じで、その人の価値観と能力、向き不向きによって全く答えが変わってくる。

本当に問うべきなのは、
1. 「実際に、日本は(シリコンバレーなど成功例に比べ)起業家が育ちやすい社会か?」
2. 「1がNoの場合、起業家が育ちやすい社会にするためには、今の日本の何を具体的に変えていけばよいか?」

の2点だと思っている。

1. は、歴史や各国分析をすれば答えられる問いであり、答えることで前に進む。
例えば、シリコンバレーと日本を比較した考察記事(第一回第二回)で考察したとおり、
「シリコンバレーに比べれば、日本は起業しにくいが、(大陸)ヨーロッパよりはマシである」
というのが解だと思う。
従って、日本がアメリカのように起業家が育ちやすい社会か?と問われれば、Noだ。
改善の余地はまだまだある、よって改善すべき、となる。

問題は2だが、これも成功事例との比較分析で、ある程度仮説を得ることは出来る。
例えば、資本の流動化、人材の流動化は、好循環を回すための鍵のひとつだ。
大学を核とした「起業家コミュニティ」を作るのも、解ににつながる、と書いた。

じゃあ具体的にどうやってそれを実現するか、に答えるためには、もっと現状の分析をして、
現状うまく行ってないのは何故か、に答える必要がある。
こうやって、前に進めていくことが出来るだろう。

私は人と議論で戦うのは余り好きではない。
出来るだけ議論とか、戦うとか、避けて通りたい。
だからかもしれないが、議論したら何かが前に進む議論を、常にしてほしい、と思っている。
大前研一も「企業参謀」で言ってるけれど、問いの立て方は重要だ。

2.そもそも日本は起業家が育ちやすい、アングロサクソン的社会を目指すべきか、
安定縮小均衡の(大陸)ヨーロッパ社会を目指すべきか?については、コンセンサスを得る必要はある。

コメント欄を読んでいて、このそもそも論についてコンセンサスが得られて無いことに気が付いた。
要は、若者とかが起業しやすく、結果として新しい産業が興って、経済が成長する国、というのを、
日本が目指しているのか、ってことだ。

アングロサクソンとは、イギリスやアメリカを中心とした文化圏のことだ。
これらの文化では、人材が流動化することに社会が寛容であり、金融システムの流動性が高い。
恐らくアングロサクソン独特の、プラグマティックな気質によるところも大きいんだろう。
その結果、ベンチャーも多く生まれ、次世代を引っ張る産業が生まれる。
テレビや半導体で日本に負けても、すぐにOSや通信機器やネットサービスといった、
国全体の柱となるほどの大きな産業が、ベンチャーによって育っていく。
その結果、先進国の割には経済成長(GDP成長率)が高い。

一方、大陸ヨーロッパを中心とする伝統的な社会では、雇用制度が厳しく、一度雇った人は解雇せず、優遇する、
経済が多少停滞しても、大企業と、そこの労働者の権利を守る、
その結果失業率が高くなっても、一度雇用した人の給料は守る(フランスは労働時間も規制)
など、日本のはるか上を行く、正社員優遇の雇用システムを持っている。
東・南ヨーロッパから安い労働力が常に流入するので、何とか成長はしているが、経済成長のレベルは極めて低い。

では、日本はどういうモデルを選ぶべきか?
私はアングロサクソンモデル推進者である。
実際、
どのような産業も衰退し、全ての大企業を成長させるのが不可能であることを考えると、
次々とベンチャーから新しい成長の種が出てくる社会にしないと、まずいんじゃないの?と思うからだ。

アメリカを見ると、IBMやGEのように、伝統的な企業が変革して、大きな影響力を持ってるところもあり、
かつての大企業だったAT&T、コダック、IBM、Xeroxの遺産で食ってるところも大きいから、
大企業も大きな役割を果たしている。
しかし、80年代のマイクロソフト、シスコ、アップル、90年代のGoogleやAmazon、2000年代のFacebookやTwitterなど、
次々と、国全体の成長の柱となる新しい産業を作っているのは、大企業でなくベンチャー企業である。

日本も、是非ともソニー、パナソニック、東芝、NEC、富士通、日立、ホンダ、トヨタ、日産・・・
といった大企業のいくつかには、変革の末に生き残ることが、社会にとって大切だと思うけれど、
ベンチャーが次々と次世代の産業を形成するようにならなければ、日本は成長はしないだろう。

で、本当にそういう社会を目指したいのか、については、ある程度コンセンサスを得なくてはならない。
このまま、リスクも取りにくいし、セイフティネットも無い、最悪の社会になってしまうのだけは避けたい。
早く、国の戦略をどう持っていくのか決めて、対処を取っていく必要がある。

ちなみにヨーロッパも、経済成長を求めて、アングロサクソン的なモデルへと徐々に移行しているのが現状。
私は、日本の文化の強みは活かしつつも、仕組みとしてアングロサクソン的なモデルを入れてくのは避けられない、と思っている。

3.文化や人々の動き方は変えられない。戦略・システム・仕組みを変えることで好循環を作る、解決指向型の考え方をすべき。

コメント欄では、「起業家が育ちにくいのは、日本文化の問題もある」
「人々の動き方をどう変えるべきかという視点も必要だ」という意見を頂いた。

それは全くその通りで、文化や人の動き方、考え方が起業しやすさに与える影響は大きいだろう。
日本がシリコンバレーの人間に比べて保守的で、横並び主義だから、起業に飛び込む人が少ない、
というのは検証は難しいが、確かにそうかな、とも思う。

しかし、文化や人の動き方は、そんなにすぐに変えられることだろうか?
これらを直接変える方法はあるだろうか?
そう考えたとき、文化や人々の動き方を考えよう、というのは解決策にならないことに気づく。

一方で、国が指し示す戦略とか、ベンチャーキャピタルやエンジェルを増やす、人材の流動化を促進する、
シリコンバレーのように大学中心に起業家が集まりやすい地域を作る、とか
戦略、仕組み、システムの問題は、割とすぐに変えることが出来るだろう。

そして、これらの戦略や組織、仕組みを変えていくことで、文化や人々の動き方・価値観も
10年、20年の時を経て、だんだん変わっていくんじゃないだろうか?

だから。
私は、こういう起業家社会の問題を考えるとき、文化や人々の価値観も重視すべき、というのは
非常に共感できるのだが、(だって実際そういう影響大きいし)
本当に、「日本で起業家が生まれにくい」という問題を解決していくには、
戦略、仕組み、組織といったレベルで問題を捉える必要が出てくると思っている。
こういう問題を解決すると、文化や人々の動き方の問題も解決する、好循環に向かっていくのだ。

ちなみにこれは企業の改革でも全く同じだ。
人々は、企業文化とか、人々の動き方に文句を言いがちなのだけど、そこを言っても問題を解決するのは難しいのだ。
何故なら、文化や動き方は慣性が高く、変えるのは難しいからだ。

一方で、文化や人々の動き方は、なかなか変わらないからこそ、うまく使えば強みになると思っている。
例えば、日本人は仕事が非常に丁寧で、シリコンバレーの企業みたいに、
バグだらけでもベータ版とかを出して市場を取っていくやり方には慣れないかもしれないが、
一方で、安心感のある、正確なものをつくることに向いているのだ。

そういう変えにくい性質は、別の言葉で言うと「コアコンピテンス」かも知れず、
そういうコンピテンスが生きやすい社会を設計する方が、
これらをムリに変えるより、ずっといいのではないか、と思っている。

以上3点。
この一週間、起業家社会の議論をしながら、ずっと思っていたことを書いてみました。
次からは、一度大企業の改革や、中央研究所のあり方など、日本の大企業が直面してる問題に一度戻ろうと思うんですが、
起業家が生まれやすい社会をどう作るか、という議論は続けて生きたいと思ってます。

今まで、こんなに「どうやって起業家が生まれやすい社会にしていけばいいんだろう?」ということを考えたことはそんなになかったです。
色んなコメントを下さった、皆さんのおかげで考えが進みました。
これからもよろしくです。

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日本や欧州にシリコンバレーが出来ない理由とその対策 (2/2)

2010-03-19 13:24:17 | 3. 起業家社会論

お待たせしました。
前回記事「日本や欧州にシリコンバレーが出来ない理由とその対策 (1/2) - My Life in MIT Sloan」
の続きで、ポール・グレイアムの論文を使って、日本の状況を考察します。

前回は、シリコンバレーが成功した5つの要因として、
1. 移民に寛容であること→日本は×
2. 豊かな国でインフラが充実→日本は◎
3. 警察が権力を持った国ではないこと→日本は?
4. 大学が優れており、起業家コミュニティの中心として優良な技術・人材を輩出→日本は△
5. 人材の流動性が高い(解雇が容易に出来る)こと→日本は×

というのを見てきました。今日はその続きです。

6.雇用契約の意味が希薄で、自由→ 日本は×~△

The problem in more traditional places like Europe and Japan goes deeper than the employment laws. More dangerous is the attitude they reflect: that an employee is a kind of servant, whom the employer has a duty to protect

ヨーロッパや日本のようなより古い地域では、さらに雇用法に問題がある。最も危険なのは、
「従業員は企業の使用人であり、雇い主は彼等を庇護しなくてはならない」という傾向があることだ。

5の解雇が簡単に出来る、という話以上に、雇用主が、従業員への待遇を厚く、守らなければならない
という雇用主側の態度を問題にしている。
これは、このブログでも以前「日本企業が復活するためには、労働の流動化は必須-My Life in MIT Sloan
で論じたとおり、雇用主が従業員を守ろうとして中々解雇しないし、従業員も入った会社で一生勤め上げようとする。

人々が「ひとつの会社に一生奉公するなんて変でしょ」と思うほど、ベンチャーというのは生まれやすくなる。
大企業から人がどんどん出てくるし、「ちょっとやってみようか」とチャレンジしやすくなるからだ。

これは、ポール・グレイアムが指摘するように、1970年代までのアメリカも同様だったのだが、
色々あって変わってきた。
それでも、「アメリカでもまだまだだ。大学を卒業したらどっかに就職するのが当たり前だと学生の多くは思っている」と指摘する。
恐らく、こういう考えが崩壊してるのは、ベンチャーが当たり前なシリコンバレーとボストンくらいだろう。
古い考え方を変えるのが難しいのは、アメリカでも同じなのだ。(GMなど自動車企業然り)

日本にとっての解の方向としては、
大企業が派遣社員への態度を厳しくするのではなく、正社員への厚遇を考え直すこと、
そしてそれが可能になるように、国家レベルではっきりと「起業家が育ちやすいよう、人材流出が可能に」というビジョンを打たなきゃダメだと思う。

7.人々が細かいことを気にせず、新奇性・変人を許容してくれる余裕がある→日本は△

3で「警察国家じゃダメだ」という話を出したが、国家だけでなく、人々が変人に寛容なのも重要だ、という。
細かいことを気にしないで許す、という国民性も大切らしい。
ポール・グレイアムはスイスを例に挙げて、
「もしヒューレットとパッカードが、スイスのガレージで機械いじりをしていたら、隣のおばさんが市当局に通報していただろう」
と言う。
そういう国じゃ、ベンチャーはなかなか生まれにくい、ということだ。

「起業家」は王道ではない。
まっとうな人生の階段を登れない変人や、普通に就職できない貧乏な人たちがやったり、
あるいは普通の人が仕事の合間の余分な時間にはじめるものだ。
生まれたばかりのベンチャーは色んな力にとても弱いので、そういう変なものを許容してくれる環境が重要だ、という。

日本ではどうだろうか?
日本人は村意識・横並び意識は強くて、変わったことをしようとする人を阻害するところはあるけれど、
階級社会のヨーロッパに比べると、「まあやってみなはれ」みたいな寛容性があるように思う。
そもそも、伝統的な社会であるヨーロッパに比べ、新し物好きが多いのもこの国の特徴でもある。
(→東アジア全体の国民性が、グローバルに見て「新し物好き」であることは、
 マーケティングの権威コトラーの教科書に詳しい)

実はヨーロッパや南米に比べれば、よっぽど起業家が育ちやすい土壌なんじゃないだろうか?

恐らく、村意識の強いところだけ、解決しないとならないんだけど、
何度も言ってるように、文化や人々の意識を変えるってのは解にはならない。
起業しやすい仕組みや国の戦略・ビジョンを明確化することで、徐々に変えていくしかないんだろう、と思う。

8.国内市場が大きい→日本は○

ベンチャーがある程度大きくなり、黒字が出てくるまでの間、国内で成長し続けられる、というのは実は大きなメリットだ。
そして、アメリカは人口が3億人もいるし、企業もたくさんあるから、B2CでもB2Bでも、
ベンチャーは最初、アメリカ市場のことだけ考えていれば良いのだ。

累積黒字を達成し、ベンチャーキャピタルなどの支援が薄くなってきてから、
初めて国際市場に進出することを考えればよい。

日本ではこのところ「ガラパゴス化」が問題視されているけれど、それは大企業がグローバル化するときの問題だ。
逆に、ガラパゴス化が出来るほど、国内市場が大きいと言うのは実はベンチャーにとってはメリットなのだ。
韓国や北欧の国をみると、非常に国内市場が小さく、ベンチャーが黒字を達成する前に、飽和してしまうので、
これらの国では、ベンチャーが育つのが大変難しいか、初めから国外の市場を視野に入れた戦略を練る必要がある。

ちなみに中国はどうか?と見ると、人口は多いけれど、
日本人のように様々な商品やサービスを購入できるほど、収入がある個人や企業がまだまだ少ない。
もちろん、中国も10年のうちには大きくなるけどね。

日本は言語の問題があるので、英語圏であるアメリカほどでは無い。
人口が減っているのは確かだけれど、日本語を使い、カネを出せる人と企業は、英語に次いで多いのだ
日本でビジネスが始められ、ある程度安定するまで成長できるメリットは大きい。

だから、MixiもGreeもDeNAもはてなもちゃんと日本で、日本語のサービスで育ったわけだ。
ガラパゴスは、この4社くらい事業が大きくなってから、心配すればいい。

9.資金調達が容易である→日本は×~△

ボストンやシリコンバレーでベンチャーを始めやすい大きな理由のひとつがこれ。
普通の人たちが、大学とかに出入りして、優秀な学生とネットワークを求めるベンチャーキャピタルなどとお友達になることが出来る。
で、認められれば、お金を出してもらえる。

例えば、ボストンやシリコンバレーで大学を卒業してぷらぷらしていたニートが、起業アイディアを思いついて、
起業するのにお金が必要だと気が付いたら、
MITやスタンフォードなどの大学の学生起業団体やビジネスコンテストに入り込めばよい。
7の人々が寛容だ、というのも関係するのだが、変なことさえしなければ、大学がこういう人たちを排除することはほとんど無い。

実際、私はMITのビジネスコンテスト$100Kの主催をしていたが、3分の1くらいの人が、MIT近辺に住む、
発明家のおじさんとか、大学卒業して就職もせず夢を追ってるにいちゃんとかだった。
そういう人たちが、$100Kで用意した食事とかを勝手につまみながら、お呼びしたベンチャーキャピタルの人とかと話し込んでいる。
$100KはMITの学生をひとりでもチームに入れないと、コンテストに応募できないので、
少しでも興味のありそうな学生を説得してチームに入れようとしたりしている。

日本から来た私は最初、こういう学生と関係ないおじさん・おばさんがいることに慣れなくて、
「あんな人たちを入れてもいいのか?」とつい先輩に聞いた。
先輩は「ああいう人たちがいるから、$100Kが盛り上がるんだよ」と気にもしない。

実際、彼等のビジネスプランを見てみると、確かに学生が提示するものよりずっと練りこまれてたりするのだ。
こういう多様性のあるチームが、実際にコンテストで上位に立ったりする。
で、見事ベンチャーキャピタルからの出資を勝ち取ったりするのだ。

話がそれたけど、人々の寛容性とともに、起業しようという人が、アイディアがよければ、
資金を調達できる仕組みが整っている、というのがボストンやシリコンバレーの強みだ。

一方、ベンチャーキャピタルというものがほとんど無く、あっても仕組みが閉鎖的な日本では、
普通の人が起業しようと思って資金を調達するのは限りなく難しい。
銀行から借りるしかないのだが、銀行はなかなか経験の無い個人にお金を貸さない。

日本の銀行や証券会社のような、閉鎖的な組織を変えようとするのは困難だと思うので、
個人的には、外資のVCや独立系VCがもっと中に入っていけるような仕組みを作るしかないと思う。
そのためには、大学側が音頭を取って、こういった資本家と、
起業をしようとしている学生や地元の普通の人を結び付けていくような仕組みをつくるのはひとつの解だろう。

10.人々がキャリアを決めるのが遅く、チャランポランで、落ちこぼれることへの抵抗が少ない→日本は△

これは医療コストを考えるとアメリカでも賛否両論なんだけど、
アメリカでは人々が「医者になろう」と思うのは、大学を卒業するときでいい。
医学部は大学を卒業してから入るところだからだ。
ビジネス専攻のMBAも同様。
研究者もそうで、大学院は大変だけど、院に入らなければ専門化は起こらない。

だから、アメリカ人のほうがちゃらんぽらんで、
「ベンチャーを立ち上げる」というキャリアも普通に許されやすい、とポール・グレイアムは言う。

一方で、ヨーロッパでは人々が職業を決めるのは、中学や高校のときだ、という。
大学の時点で、すでに専門化が進んでいるからだ。
その道をそれれば、落ちこぼれである。

ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだことがある人は、なるほど、と思うのでは?
主人公のハンスが、猛勉強の後学校に入って、落ちこぼれ、人生が終わったと思うのは、日本の中学生くらいの年齢だ。
こんな若いときに「落伍者」の烙印が張られてしまうような国では、起業家はなかなか育たない、ということだ。

日本はアメリカとヨーロッパの中間ってところじゃないだろうか?
大学入試と新卒の就職活動が、人生を決める感じ。
これが、アメリカのように、多少起業して失敗しても、普通の企業に就職できるし、
何度も書いてるように、「MBAで院ロンダ」して大企業に就職したりも普通に出来るような環境になれば、
人々の起業に対する意識も大分違ってくるだろう。

(MBAはかっこいい!すごいところ!(そしてエラソウにする!)と勘違いしている人が多いけれど、
 エラソウにする!はともかく、私に言わせればMBAはタダの転職支援・職業訓練の場所である。
 もちろん、ハーバードやスタンフォード、MIT、ケロッグ、ウォートンなどのトップ校は入るのが難しいので、
 それなりのブランドは付随するが、こういうところでも「院ロンダ」効果は十分ある、と言っていい。
  MITとか、ハーバード大学卒業の人もいるが、地方の州立大を卒業したと言う人も結構いる。)

日本はどうか?
実は、これについては私は楽観的だ。
実は最近の「ゆとり世代」の学生で、本当に優秀な人は、大企業や、
外資系企業・銀行に行くのではなく、起業を目指している、
と超有名企業の採用担当の人が言っていた。(サンプル数が不足しているが・・・)

「ゆとり」とかいって、一般常識はない世代が育ってるかもしれないが、
常識が無い分、自由な人生を送ろうと考える人たちが増えているのかもしれない、と思っている。

以上。
私なりにまとめると、次の6点が提案になると思う。

・日本は文化的には、ヨーロッパよりもずっと起業家コミュニティが作りやすそうな国に見える。
 よって悲観せずに、作れる仕組みやシステムを整えて行けば活路は見える。

・日本は国内市場の大きさや、インフラの整備度合いを見ても、世界の中でも有数の
 「小さい企業が成功するのに向いた国」である。
 よって悲観せずに(以下略)

・一方、閉鎖的な日本の銀行組織のため資本の流動性が少ない、というのは問題点のひとつ。
  解のひとつは、市場をもっとオープンにして、外資や独立系が入りやすくして、競争と外圧で
  既存の仕組みを変えていくしかないと思う。

・雇用の流動性の低さ、キャリア固定化など、人材の流動性が少ないのももうひとつの問題。
 これには、国が戦略的に「起業家を育てることで経済を活性化させる」方針を明確にし、
 大企業が正社員の流動化などをしやすくする方向に持っていくしかない。
 最近の若い優秀な学生が、流動化しつつあるのは朗報。

・これらの流動化を促進するに当たり、人材や技術の供給をする大学は重要な役割を果たしうる。
 大企業が欲しがる人材や技術があるのをネタにして、企業、VC、起業したい地元の普通の人など、
  色んな人たちが入り込んだ、起業家ネットワークを、大学中心に積極的に作っていくのが重要。
 何度も言うけど、大学の先生だけではなく、世間ずれした社会人学生などが交渉に加わるのは重要。

・最後に、移民については、シンガポールやアメリカのように、
 学位や資格を持った優秀な人材の流入だけを認める、という形で国民の理解を得つつ、
 アジアの国々から優秀な人材がどんどん流入するような国にしていく、というのも重要になる。

どうでしょう?
結構日本もやれば出来るんじゃないかな、と思ってます。

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日本や欧州にシリコンバレーが出来ない理由とその対策 (1/2)

2010-03-17 09:25:08 | 3. 起業家社会論

せっかく起業話が盛り上がってるので、続けてみたい。

前回の記事「どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は- My Life in MIT Sloan」にも書いたが、
私のスタンスは、日本人の文化や性質という解けない問題ではなく、
仕組みやシステムを作るという解きやすいところから解決していこう、というものだ。

そもそも、日本人は多少アメリカ人より保守的かもしれないが、一般的には心優しい。
(だから「小町」で見知らぬ大学生にアレだけ説教が来るのだ。)
しかし、その人たちは、金出してくれるVCを知ってるわけでも、技術を持ってる人を紹介できるわけでも、
優秀な人材を紹介できるわけではない。

ところがボストンやシリコンバレーでは、企業を支援できるスキル、知識、ネットワークを持った人がたくさんおり、
「起業したい!」と言うと、こういう具体的な方法で助けてあげられるひとがたくさんいる。
こういう仕組み・システムが違う。
そして、そういうのが普通だから、人々が起業に前向きになりやすく、文化や性質も変わってくるわけである。
シリコンバレーだって、一日にしてあの文化が出来たわけではない。

ではどうやって、うちの国に「シリコンバレー」を作るか?
と、苦労しているのは、別に日本だけではない。
ヨーロッパの各国も、シンガポールも、マレーシアも、中国も、理由は少しずつ違うけど、同じ悩みを抱えている。

「何故ヨーロッパや日本にはシリコンバレーが出来ず、アメリカには出来たのか」ということが書かれた、
有名な論文があるので紹介したい。
別に、「どうやってシリコンバレーを作ればいいのか」という解はどこにも書いておらず、
寧ろ「出来ない理由」なので、悲しくなるが、
めげずに考える上でひとつの参考にしていきたい。

Why startups condense in America (Paul Graham)
何故スタートアップはアメリカに集まるのか (ポール・グレイアム)

そしてその非常に良く出来た日本語訳はこちら→
「ポール・グレアム「ベンチャーがアメリカに集中する理由」-Lionfan
この方はポール・グレイアムの関係者の方の様子。他にもグレイアム関連のコンテンツが色々ありました。

内容も一部紹介しつつ、「日本にシリコンバレーをどうやって作ればいいか」の考察を進めてみる。

1. 移民に寛容であること→日本は今のところ×

シリコンバレーは移民が非常に多いところだ。
彼も指摘してるように、半分の人には他国出身者だと分かる訛りがある。
しかし、その移民の人で成功している人が多い。

昨年、私がシリコンバレーのベンチャーで仕事をしていて感じたのもこれだ。
まず完璧な英語を話す人があまりいない。
起業して成功してる人にも、インド人とか、移民がいっぱいいる。
で、実際に私も、英語の能力と関係なく、仕事でちゃんと評価されて、
「別に英語がそんなにうまくなくても、中身があれば、ここでは評価されて、チャンスがあるんだ!」
と本当に思って、将来アメリカで働いていくことに自信が付いた。

(実はこれが白人社会のボストンでは余りない要素。シリコンバレーの方が敷居が低い)

そして、いきなり「これが日本にシリコンバレーが出来ない理由」と述べている。

I doubt it would be possible to reproduce Silicon Valley in Japan, because one of Silicon Valley's most distinctive features is immigration.Half the people there speak with accents. And the Japanese don't like immigration. When they think about how to make a Japanese silicon valley, I suspect they unconsciously frame it as how to make one consisting only of Japanese people.

「日本人にシリコンバレーを作らせたら、無意識に日本人だけにするだろう。」と言う。
そうすると、他国からの優秀な人材が集まりにくくなってしまうのだ。

しかし、最近はアメリカの移民政策が非常に厳しい。
せっかくアメリカで修士を取り、就職した優秀なインド人が、ビザが取れずに帰国するとか結構耳にした。
ポール・グレイアムも「ここが最近のアメリカの問題点で、他国がアメリカを越えられる点だ」と指摘している。

ヨーロッパは、英語教育とEU統合で、人材の流動性を高めているところであるが、日本はどうするか?

ひとつの解決方法としては恐らく、
アメリカやシンガポールのように、職能を限って(エンジニアリングの修士などを持ってるなど)、
高機能人材の移民が進むようにしていくしかないんじゃないか、と思う。

2. 豊かな国であること→日本は○

すなわち、豊かで、様々なインフラが整っているのが大切だ、ということだ。
道路や交通機関がちゃんとしていて、インターネットなどの技術インフラもしっかりある。

そういう意味では、日本のインフラの整備度は、シリコンバレー以上である。
もっと言うと、信頼できる物流の仕組みとか、サービスインフラなど、はっきり言って日本は世界一だと思う。
(例えば宅急便がこんなに便利で信頼できる国は日本以外にない)
多少経済が低迷しているが、豊かな国であることは間違えないのだ。

日本に唯一足りないのは、ベンチャーキャピタルなどの金融インフラだ。
これはもう、外資VCの参入を許したり、中小のVCを作りながら、既存の金融システムを破壊していくしかない。

3.Police state(警察が権力を持った国)ではないこと→日本は・・・?

作者は中国を例に挙げて、この国でシリコンバレーを作るのは難しい、と言う。
同様の理由でシンガポールも困難だ、と。
何故か?
技術に関して変わった視野を持ってる人は、政治に関しても変わった視野を持つ人が多い。
そういう人がすぐにつかまっちゃうようなところでは、起業家は育たない、って話だ。

アメリカも警察国家ではないか?という意見もあるだろう。
実際、州によってはそうで、正直テキサスなんて、移民も起業家も生きにくい州だと個人的には思う。
(私は絶対に住みたくない)
移民や起業家などのはみ出し者が、多少大きな顔をすると、捕まりそうな州ってのは、まあ実際にはある。

日本はどうか?

考えるネタとしては、アメリカでビル・ゲイツがAnti-trustで「ちょっとあんた調子に乗りすぎよ」
と捕まりそうになるのは、マイクロソフトが巨大企業に成長し、国を支えるレベルの産業になった後である。

解決方法は、国家が起業家を、本当に国を支えるレベルの産業に育てていく、という明確な方針を掲げ、警察その他まで浸透させていくことだろう。

4.大学が優れていること→日本は△

アメリカは高校教育までは腐っているが、大学は非常に素晴らしいところが多い。
一方、アメリカ以外の国は(ヨーロッパも日本も)高校教育までが素晴らしく、大学がダメ、とポール・グレイアムは指摘する。

結局、ボストン(MITやハーバード中心)やシリコンバレー(スタンフォード)などは、
大学から出てきた技術と、大学から出てきた優秀な人材を元手に、ベンチャーが育っている。
起業家コミュニティを作るとしたら、どうしてもこういう大学を中心としたものになるだろう。

そのときに、大学が、起業家コミュニティにアイディアや技術や人材(それも起業家と技術者の両方)を提供できることが非常に重要なのだ。

日本はどうか。
どこの大学も頑張っているが、MITやスタンフォードのようなコミュニティを作るまでは至っていない、というところか。

解決のレバーとして、私がMITを見ながら思い立つのは
-大学の教授が積極的に、学生、事業家、金融家などをつなげ、「産学連携の生態系」を作る。
  ひとりの先生でなく、複数の先生が共同戦線を張りながら、独自のネットワークを築くことが重要。

-学生がビジネスコンテストなどを主催して、積極的に、大企業や金融家などを結び付けていく。
  とくに大企業は優秀な学生が欲しいので、ちゃんとスポンサーとしてカネを出してもらい、
  あわよくば技術も人も少しずつ出してもらい、積極的に関わらせる。
 (ここに世間ずれしたビジネススクールなどの社会人学生が噛むのは超重要。
   MIT$100Kがうまく行ってるのはそこが違う)

日本の大学にもこういう産学連携やビジネスコンテストの試みは既にあるだろう。
ただ、まだ関わっている人の数も小さく、意識レベルが低いから、
「いずれシリコンバレーを作るためのものだ」と高い意識を持って、拡大していくしかないと思う。

5.人を解雇できること→日本は×

これはアメリカの利点で、ヨーロッパ、そして日本の問題点である。
何故なら、企業が
人を解雇しないで雇いっぱなしにしておくから、優秀な人材が外に流出しない。
そして、人々は解雇されないから、駆り立てられて、起業しなきゃ、と思うことが無い。

日本の問題については、以前の記事
一流企業の正社員も流動化できる社会へ-My Life in MIT Sloan
で指摘したが、ヨーロッパでもこれと同様の問題を抱えているのだ。

大企業や公共機関が人を解雇するのが先か、起業しやすい世の中を作るのが先か、というのは鶏と卵で、私にはまだ解は無い。
個人的には、まずは国家レベルでの起業家促進の戦略を明らかにすることしか無いようにおもう。

この記事の続き→ 日本や欧州にシリコンバレーが出来ない理由とその対策 (2/2) -My Life in MIT Sloan

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どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は。

2010-03-14 06:40:07 | 3. 起業家社会論

人材の流動化と企業に関するエントリは、私の考えも尽きたので、何か動きがあるまで、
前回の記事(「一流企業の正社員」も流動化が出来る社会へ-My life in MIT Sloan
を以っていったん寝かせておこうかと思ったんだけど、
Willyさんが面白い記事を書いてくれたんで、ご紹介がてら。

だって彼、最近はChikirinさんにご執心みたいで、最近全然あたしのところに来てくれなくて、寂しいんだもの。
(と売れないホステスみたいなことを言ってみる。)

起業したい若者に対する大人の本音-統計学+ε:米国留学・研究生活

Willyさんは、読売新聞が運営している「発言小町」という、半ば人生相談質問サイトになっているところで、
就職活動をやめて、自分で起業しようと思っている大学3年生になりきって、投稿をした。

質問の内容は、不確実な時代なので食品業界がいいと思っている。
しかし、食品業界の大企業の就職活動がバカバカしすぎてやっていられない、だから起業しようと思う。
それで、起業アイディアについて簡単に説明して意見を請うているもの。

で、それに対して様々なコメントがついたので、Willyさんはその一部を取り上げて整理している。
(回答の全容はこちら: http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0311/300770.htm 
 面白いので是非読んで欲しい。

こういうウソ投稿がいいのかどうか、というのはともかくとして、
最近はずっとアメリカにいる私が一番驚いたのは、
「たかが企業にも就職できない人が、起業して成功する訳がない」
「本当にそんな覚悟はあるのか?」
「起業するのはいい考えだと思うけど、すごく大変だよ?」
「逃げてる気持ちでは、起業は成功しません」
という反応が全体的にかなり多いことだった。
で、Willyさんが、ご自身の記事でこの点については全く展開されていないから、私が書いてみることに。

1. 企業に就職するのは面白くない、上司が嫌だから、というのは起業動機として不十分か?

2年もアメリカに住んでいると-しかもボストンだのシリコンバレーだの、起業家の街に住み、
そのコミュニティの中核であるベンチャーやビジネススクールで働いてると、
「上司に仕えるのは嫌だ」という「逃げてる」理由で、起業する人をたくさん見かけるので、それが普通になる。

以前MITに講演に来たシリアルアントレプレナー(複数の起業を起こした人をそう呼びます)の人は、
「最初に起業した理由?そんなの最初に入った会社の上司がクソだったからだよ。」
と言っていた。
で、会社を辞めてプーになったので、生活のために何かしなくてはならない、
で一生懸命アイディアを練った
のだそうだ。
とにかく大きな組織が嫌いだそうで、自分が起業した会社も、だんだん大きくなってくると嫌になるそうだ。
だから、大きくなったら人に譲って、新しい会社を作る。
彼は、今ではボストン界隈ではかなり名の知られたシリアルアントレプレナーである。

「それは彼がそんな才能がある人だったから成功したんでしょ?普通は・・・」というかもしれない。
しかし、彼だけでなく、起業して成功した人も、失敗した人も、失敗の後成功した人も、同じことを言う。

私がボストンやシリコンバレーで会ってきた100人以上の起業家や学生の5割は
「会社づとめが嫌い」「大きな組織が嫌い」という理由で起業を考えていた。
(残り5割は、「縁があった」「そのほうが儲かると思った」「技術が大企業にRejectされた」など)

起業するのに、そんなすごい理由や覚悟は、本来必要ないはずなのだ。
やっているうちに、徐々にやりがいとかが見えてきて、理由が見つかってくる。
社員を何人も抱えるうちに、覚悟が生まれてくる。
そういうもんじゃないの?

ところが、大企業に就職し、出世街道に乗ることが成功と認定される日本の「世間」では、
その道を外れることに、最初から相当の覚悟と理由を強いられる。
それだけの覚悟なしに、若者が起業したいというのは「甘い」「逃げている」と思われる。
これが「発言小町」の反応に凝縮されていたのではないかと思う。

コメントに「起業はいつでも出来ますが、大企業には新卒じゃないとは入れないですよ」というのがあった。
そこにも「覚悟」を強いる理由があるだろう。
アメリカだったら、起業に失敗しても、就職できるし、
ブランドが大事な超大企業に入りたかったら、一度MBAに行ってロンダリングして、入ればよい。

こういう仕組みの問題が、日本ではマッチョじゃないと起業できない理由なのだ。

2. 起業するのに、そこまで練りこんだビジネスプランや資金調達策が最初から必要なのか?

Willyさんなりきる大学三年生が提案したのは「地元の老人たちに弁当を宅配する弁当屋さん」。
これも、ボストンだったら、「ふーん、うまく行くかはわからないけど、まあやってみたら?」程度のレベルで、
別にそこまで否定するものでもない。
ビジネスとして規模拡大するのは困難を伴うだろうが、家族経営規模ならいいんじゃないでしょうか、って感じだ。

しかし「発言小町」での回答には、「資本金のこと考えてる?大丈夫?」
「そんなビジネスで本当にうまく行くの?ちゃんと考えてる?」
「そんなの凡人の私でも思いつく。大丈夫か?」
「銀行は経験のない学生にはお金を貸しませんよ?」
というものが目立つ。

その反応は、日本においては「おっしゃるとおり」だ。
かなり好意的に、真剣に回答してくれているものが多い。
発言小町の人っていい人多いじゃん、と私は思った。

つまり、今の日本は練りこまれたビジネスプランと資金調達策がなければ起業できないのだ。
ベンチャーキャピタルや起業家コミュニティみたいな、起業を手助けしてくれるリソースが余りに少ないからだ。
最初から練りこまれたプランを持ち、資金調達元が見えている人じゃないと成功しないってことなんだろう。
これが、ボストンやシリコンバレーだと、もっと敷居が低くなる。

私はMITで$100Kビジネスコンテストの主催者を一年間やってきて、色んなビジネスプランを見て、
エレベータピッチを聞いてきた。
ボストンのベンチャーキャピタルや起業家を審査員として招いて、審査してもらう。
そこに出てくるビジネスプランは、大方たいしたことがない。

そこからどうやってプロの審査員が選ぶかと言うと、「業界の見方がセンスがある」
「この学生にはカリスマを感じる」という理由だったりする。
もちろん中にはビジネスプランの素晴らしさや、技術力で選ばれるものもたくさんあるが、もっとポテンシャルを見ている。

何故なら、ビジネスプランを練りこむなんてのは、プロがたくさんいて、いくらでもサポートしてあげられるからだ。
$100Kでも、
採用されたチームは、ベンチャーキャピタルのプロや起業家がアドバイザーとなって、
ビジネスプランを練ってあげる。
こうしてプロの力を得て、学生のつまらないビジネスプランが、光り輝くものに育っていったりする。
で、最終的に良いものに仕上がれば、お金もつぎ込んであげる。

これは、Stage AなどのEarly stageを対象とするベンチャーキャピタルが、投資決定をする際も同様だそうだ。
もっと、その人に光り輝く何かがあるか、センスがあるか、起業家として育てられるか、と言うところを見て決めるらしい。
で、ちゃんとお金もつぎ込む。

だから、こういう起業家の街に住んでる私は、いちはやく日本にもベンチャーのコミュニティや真のベンチャーキャピタルを作らなければ、と思うのであった。
(もっとも、弁当屋の起業くらいだと、規模も小さいのでベンチャーキャピタルは入ってこないけどね(笑))

3.起業するのに、財務・経営能力人を使った経験が最初から必要なのか?

これも同様。
引用はしないけど、「発言小町」には大学三年生の経営者としての経験に疑問符を持つ人が多いようだ。
そして、日本なら、それはYes、なのだ。

一方で、人を使った経験がないなら、人を使った経験がある人を雇えばいいんじゃないか、
財務が分からないなら、財務が分かる人を雇えばいいんじゃないか、というのが、
恐らくアメリカの起業家の回答だろう。

Willyさん扮する大学三年生は
「自分は料理は出来ないが、愛犬散歩仲間にパート先に困っているベテラン主婦がいるから一緒にやろうと思う」
と書いているが、まさにこの発想。

しかしながら、年功序列の社会で、色んな経験と知識がある人が、
経験は余りないがアイディアやエネルギーあふれる若手経営者の元で働くってことが考えられない日本じゃ、中々受け入れがたいのかもしれない。

別にアメリカだって、年功序列じゃないけど、年齢が低いとバカにされるって多々ありますよ?
だから、若手起業家はひげを生やしたり、少しでも年上に見られるようにするし、
みんな年齢をひた隠しに隠します。
アメリカの起業家コミュニティじゃ、女性に対してだけでなく、男性に対しても年齢に関する質問はご法度です。
それでも、「この起業家と一緒にやれば可能性がある」と言う人には人がつくんです。
それに、弁当屋だったら最初は家族経営だし、そこまで考えることないよね?

話がずれたけど、そんなすごい経験がなくても、別に起業はできるわけです。
日本でも学生で起業して成功してる人たち-「はてな」とか「Mixi」とか、みんなそうでしょ?

日本で「経験がないから」「資本金がないから」「十分な技術がないから」起業できない、と言ってるのを見るにつけ、
私はバングラデッシュの女性たちが、同じ理由で起業できずいつまでも貧乏なままだったのを、
グラミン銀行が「マイクロファイナンス」を始めたことで、機織りとか籠あみで起業できるようになり、
村の経済が活性してきたのを思い出す。
(日本の「起業しにくさ」は途上国レベルだって話デスよ。)

早く既存の「世間体」や旧来の資金調達の仕組みを破壊し、新しい技術・資本・人材の生態系をつくるですよ。
失敗してもいいじゃない。
まずはチャレンジしてみれば。
ボストンでもシリコンバレーでも、別にそんな失敗を恐れず、大したことない凡人が起業してる。
もちろんたくさんの人が失敗するけど、いろんな人に支えられて成功する人もいる。
そういうことが出来る、仕組みや、人々の心の受容性などがあるわけだ。

「凡人でも、マッチョじゃなくても起業できる国にする」

これが、今後の日本の経済成長の鍵のひとつだと思う。

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「一流企業の正社員」も流動化ができる社会へ

2010-03-13 10:00:01 | 3. 起業家社会論

先日の「日本企業が復活するためには、労働の流動化は必須」には、コメント等色々反応を頂きました。
はてなやTwitterなど、アクセスログからたどれるものも大体読みました。
皆さん、有難うございます。

私は、労働問題は素人で、新聞を読んで分かる程度の知識しかないです。
ただ、企業の組織変革をどう進めるか、を考えると、どうしても避けられない問題だから、ここで議論してます。
更に今はアメリカにいるから、日本でどういう議論が行われてるか、ってことも全部は把握してないし。
だから、皆さんのコメントや専門家の方の記事はとても参考になります。

あまり労働問題に踏み込むと、企業変革の話から外れてしまうので、外れない範囲でもう一度議論してみようと思います。

1. まず、既に流動化が進んでる「派遣・請負」分野と、進んでない分野を分けて議論したい
進ませるべきは、本来なら新しい事業を起こせる力を持った人たちの流動化。

「労働力の流動化が必要だ」と言うと、そんなの既に起こってる、とか、寧ろ現在の問題はセイフティネットだとかいう反論が必ず来る。
これは、流動化が社会の受容能力以上に進みすぎて、問題が起こっている分野と、
全く流動化が進まないホワイトカラー(一流企業の正社員、官僚など)分野がごっちゃになってるからだと思う。

既に「派遣社員化」「請負化」が進んでいる分野については、流動化を叫ぶ必要は全くない。
それどころか、流動化が進みすぎで、ちょっと戻した方がいいところがたくさんある。
企業の経営の失敗と、正社員はリストラしたくない世間体の、割を食っている感じであり、
彼等を守る制度(セイフティネットや失業時の職業訓練等)が社会の中で十分発達していない。
また、単純労働だけでなく、本来は長期的に関わって技術を蓄積すべき分野ですら「派遣化」が進んでいるから、
品質維持の問題や、企業に技術・ノウハウが蓄積しない、という問題も起こっている。

ここで私が問題にしているのは、そういう「流動化進みすぎ」な分野ではなく、
全く流動化が進まない分野(一流企業の正社員など)のことだ。
そして、その中でも、技術やビジネススキルを持っていて、本来なら大企業にしがみつかなくても、
転職・起業したほうが能力を発揮できるような人の流動化を、まず進めたらどうかと考えている。

もちろん全ての「大企業の正社員」が高い能力やスキルを持っているわけではない。
大企業が変革する時にリストラしたいのは「能力はないが既得権益を持っていて辞めない」人じゃないか、と思うだろう。
これは個人的な印象だけど、そういう人たちも入社したときは、何らかの能力の高い人間だったのではないか。
しかし社会の変化を見誤り、大組織に最適化することだけに注力したため、正しい判断に正しく能力を使えない
「大企業病」にかかってしまったのだと思う。

だから、多少の「痛み」は最初はあると思うが、(「痛み」ってのもまた無責任な言葉だが。)
まずは能力はあるのに、今の日本では転職・起業より大企業に残ることを選択してしまうリスクアバースな人が、
自然と流動化できるような社会をつくることからはじめれば、大企業病な人の問題も緩和されていくと考えている。

2. 「大企業の正社員」の既得権益を「奪う」のではなく、彼等がベンチャー転職・起業をやりやすくなる環境・仕組みを作ることで解決したい

今流動化が起こっていない「大企業の正社員」を流動化させろ、というと、
あたかも「彼等の既得権益」を奪え、と言ってるように聞こえるかもしれない。
が、必要なのは奪うことじゃない。

ベンチャーや中小への転職・起業をしやすい環境を作ること、そしてそれが「転落人生」ではない世論形成。
そうすれば、能力の高い人たちから自然と人材流出→人材の還流が起こるようになるだろう。
「北風」でコートを脱がすんじゃなく、「太陽」で脱がすのだ。

もっとも「奪わないと」出て行かない人たちもいるし、社会を抜本的に変えるには、「北風」も必要だ。
米国も、起業家精神が旺盛で、流動化が高いところは最初からあったけど、GEもIBMもそうしたように、企業が大量のリストラをやったことで、人々の意識も変わっていった側面も大きい。

3. こういう人たちの転職・起業を促すのは、セイフティネットではなく、資本・技術の流動化

で、こういう能力の高い人たちのベンチャーなどへ転職や起業を促すのは、所謂失業保険だの職業訓練だのといったセイフティネットではないと思う。

前の記事のコメント欄で、大学の先生に「日本は起業するには最低の国だ」と言われた、というコメントがあったが、
それは、日本にはベンチャーが成功するために必要な、資本(カネ)、技術(モノ)、そして人材(ヒト)が還流する仕組みが全くないからだ。

アメリカには、ベンチャーキャピタル(VC)がたくさんあって、これがベンチャーに資本を提供するほか、
他のベンチャーや大学とつなげて、技術や人材を提供したりする機能を果たしている。
まずこの機能が日本にはない。

もちろん日本にも日本の金融機関が作ったVCのようなものはある。
しかし、日本の金融機関らしく「閉じた」世界になっていて、全然資本の流動化を促進していない。
某国立大学で起業に関わってる人に聞いたのだが、何でも日本のVCの営業の人たちが全ての研究室を訪問して、
ベンチャーの種になるものはないか、しらみつぶしに営業して回るのだという。
で、種になるものがあったら、絶対に誰にも知らせずに、自社だけで囲い込む。
「まるでどこかの証券会社みたいですね」と私が言ったら、彼が言ってたのは本当に某證券傘下のVCだったが(笑)、
ここに限らず、日本発の大規模VCは現状ではどこも似たり寄ったりであろう。
こんなんじゃ、VCがあっても、色んなところから資本が流入しにくいし、情報も人材も技術も還流しないから、VCの意味がない。
むしろ外資や中小のVCが参入できなくなってる分、状況が悪くなってるのだ。

技術の種の出所も少ない。
次の記事で書こうと思うが、ベンチャーを成功に導くような技術とは、通常大学か、企業の中央研究所にある。
ところが日本の場合、企業研究所が人材にも技術にもクローズドなので、ここからベンチャーが中々でてこない。
頼るは大学しかない、という状況だ。
しかしその大学も、上記のように、世間知らずの先生が金融機関に手篭めにされているから、外には中々ネタや技術が出てこない。
ボストンやシリコンバレーで起こっているように、次々に技術が外に出て、人材が流通し、VCが資本を提供、というような起業家の生態系が、日本には出来ない状況になっている。

こういうボトルネックをいくつか解決すると、日本でもベンチャーが成功するのに必要な、モノ、カネ、ヒトの流通が起こる。
次第に、ベンチャーに転職することは「転落」ではなく「栄転」となるだろうし、起業もしやすくなるだろう。

4. 「大企業の正社員」がベンチャー転職・起業をしやすくなるのは、企業の競争力を高めることにもつながる

レベッカ・ヘンダーソンは"Architectural Innovation"という論文(1990年)で、
組織は既存製品のアーキテクチャに沿って最適化するため、
アーキテクチャを変えるようなイノベーションは既存組織では起こらない
」と言っている。
(私の解説はこちら:イノベーションが部署単位でしか起こらないことについて

また、クリステンセンは「イノベーションのジレンマ」(1997年)(本はこちら )で、
「企業が既存事業を破壊するようなイノベーションは、必要なスキル・組織の目的が異なり、
また、初期的には規模が小さく、利幅が小さいため、既存組織では成功しない。
よって、次の新たな事業の柱にしたい場合は、スピンオフさせて別会社にするしかない」と結論している。
(私の解説はこちら:自社事業を破壊するイノベーションが出てきたとき

皆さんも経験でお分かりと思うが、大企業の中には次世代の製品の芽がたくさんあるのに、
既存事業とのしがらみとか、ちょっとやってみたけど余りに市場も利益も小さくて事業にならないとか、
そういうことは多いと思う。
でも、そうこうしているうちに、その技術は海外の企業とかで大きく育って、いつの間にか抜かされてしまうのだ。
上記の二つの論文・本はその理由を理論的・詳細に説明している。

大企業が、次なる技術で成功しようとしたら、技術や優秀な人材を外に出して、
ベンチャーやってもらうしかないってことだ。
自社の社員を出向させたり、積極的に転職させたり、資本や技術のバックアップをするが経営には口を出さず、育てること。
そしてある程度まで大きくなったら、傘下にいれ、自社の既存事業を塗り替えることだ。

こういうことが普通に起こるようになってきたら、
大企業の改革も起こりやすくなるはずではないだろうか?

雇用流動化については、色んなアプローチがあると思うけれど、
「大企業の正社員」が起業やベンチャー転職がしやすい環境にしていく、というのはひとつの、
しかもアプローチしやすい考えではないかと思っている。

以上、一応私の現時点でのひとつの考えを書いてみた。
企業変革と雇用形態、起業しやすい社会を作ることとの絡みは、そう簡単に解決できない壮大な問題。

また機会があれば別の視点で書いてみたい。

--------------------------------------------------------------------
最後に前記事に関して記事を書いてくださった方へのコメントと(トラバ有難うございます)、
関連するんじゃないかと思われる記事をご紹介しておく。

日本経済が復活するためには大企業の改革は必須-Railsで行こう!(elm200さん)

日本の経済は大企業だけが取り仕切っているが、この大企業が硬直化しているため、日本経済全体が傾いているという論旨。
しかし「日本の大企業には優秀な人材が眠っている。」
だから「この塩漬けにされている人たちを外に引っ張り出さなければならない」というのは、全く同感。
ただ、elm200さんはその優秀な人を引っ張り出すのは、高い報酬だというがそれだけか?
それで、私はベンチャー転職や起業が成功につながりやすい環境作りが鍵、というのを上記3に書いてみたが、
ベトナムで起業されてるelm200さんが更にどのように議論を展開するか読んでみたい。

雇用流動化について私なりのまとめ-松本孝行(元既卒)のブログ

松本さんはこのブログにも何度もコメント下さっているが、今回は一本記事を書き下ろしてくださった。
大企業の子会社が、年功序列を守りたい本社が、余り優秀ではない社員の「天下り」の道具となり、子会社の芽を潰している例を書かれている。
これなんか、まさに上記4の反対を行く事例である。
クリステンセンが口を酸っぱくして「破壊的イノベーションは別会社でしか起こらない」と言っても、
その別会社が「使えない人材」格納庫扱いでは、イノベーションなんか起こらないわけだ。

日本の問題は、「人の流動化」が低すぎてノウハウが循環しないことにある-Zopeジャンキー日記 (mojixさん)

これは私が勝手に見つけた記事なのだが、上で私が書いたことに非常に関連するのでリンク。
まずmojixさんの「人の努力」の問題ではなく「システム」の問題だ、に思想として非常に同意。
これって理系出身者の共通点なのかもだけど、うまく行かないのは仕組みや制度が悪いのであって、人が努力しないからではない、と思っている。
だから、上記のように、ベンチャー転職や起業が成功しやすい環境・仕組みを作ることで、人材の流動化を高めたい、と私は思っている。
また「人の流動化が低すぎるとノウハウが循環しない」のも全くそうで、結局技術やノウハウっていうのは、人にくっついて移動するのだ。
もっとも上記1で書いてるように、変に流動化が進みすぎてノウハウがたまらない生産現場やIT分野はその限りではないが。

労働力の流動化と聞くとため息が出る-大西宏のマーケティングエッセンス

これも私がBLOGOSで勝手に見つけた記事。
最後に「雇用の流動化こそが日本を元気にするから説き続けていくしかない」と書いてるのを見ると、タイトルは恐らく釣り。
概要としては「働く側が自然と流動するように意識を変えるにはどうするか」を書いている。
「流動化させるべきは、技術やビジネスを作り出し、発展させられるパワーやエネルギーを持つ人だ」
というところは私も全く同感。
恐らく私のこの記事は、大西さんの問いへのひとつの解になってるんじゃないかと思いますが、どうでしょうか?


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日本企業が復活するためには、労働の流動化は必須

2010-03-11 15:53:34 | 3. 起業家社会論

先日書いた「日本企業の苦しみを25年前から味わっていたアメリカ企業」という記事には、
2日間で2万人以上のアクセスがあり、あちこちで記事にもしていただいた。
復活した企業はあるの?日本はどうすればいいの?続きが読みたい、という希望も頂いた。

では、新しい技術などに押され、崩壊しつつある大企業は、どうやって復活すれば良いか。
個別企業が具体的にどうするかは企業
によって異なるが、総論としてどうすべきか、という解の仮説は、私には一応ある。
(それを実証する理論的サポートとして、産業のダイナミクスを描いてるのが今の私の修士論文。)

でもこのブログでは、理論的な小難しい話ではなく、分かりやすく事例で迫りたいとおもうんで、
これから次のような内容の記事を書いていく予定。

  1. IBMやGEなど見事復活を果たした企業は、どうやって復活したのか
  2. 仮に日本企業が日本で復活しようとした場合、受け皿の日本社会に必要なのは何か
    • a) 大企業の中央研究所が持つ技術資産を、ベンチャーなどが使って生かしていく素地を作る
    • b) 人的資産の流動化。専門・経営職含めた労働の流動性を高める

1は総論としては、企業が持っている強み、すなわち、人的資産、文化、事業の考え方など企業に根付いている強みで、まだ使えるものを活かしながら、対応していくという話になる予定。
この強み、とは、MBA卒の人とかが横文字で「コアコンピタンス」と呼んでるやつ。
つまりコアコンピタンスの多くを活かしながら、企業は変革をすべきだ、という話だ。
どーでもいいけど、この内容で、「コアコンピタンス企業変革」とかいう本書いたら売れそうじゃない?(笑)
まあ私はブログで書くけど。

それはともかく、仮に1で他社・他国事例を研究して、参考にしようと思っても、
結局2の日本の問題が解決しないと、日本では意味ないんじゃないかと私は思うのだ。
特に2-b)で
「労働の流動化を高める」なんて書いたら、書いた矢先から炎上しそうで、
だからこそ現実とあるべき姿のギャップが大きいということなので、解決するのは大変ってことだ。

というわけで、その話から書いてみようと思う。(前置き長し)

新しい技術とか、新興国から競合が出てきて、旧技術に依拠する大企業が潰れそうになってるとき、
その企業を変革しようとしたら、何にせよ、組織や事業形態を大きく変えることが求められる。

その時、もちろん社員には新しい組織や事業に移動してもらって、馴染んでもらうようにしたいのだけど、
全ての人が変わっていけるとは限らないだろう。
変われなくてお荷物になる人、変革自体を阻止しようと抵抗勢力になる人が、結構な数出てくる。
こういう人には会社を去ってもらわないと変革できず、結局「技術はあるのに組織が変えられない」結果になってしまう。
要はリストラが必要になる。

企業としては変革する際に、自社の大事な人的資産である社員を、できるだけ活かした方が、
より強い事業ができるはずなのだが、必ずしも全ての人は維持できないのである。
すなわち、追い上げられた企業が大きく変革をする場合、どうしてもリストラは避けられない。

こういう話をすると「従業員をリストラするくらいなら変革しない方がいい!」と反論する人が必ずいるが、
そういう人は、前に書いたコダックの例を思い出してみよう。
変革しないとフィルムカメラ市場がどんどん小さくなって、会社が潰れ、全員解雇になるだけである。
あるいはIBMはどうか?
自分たちが生み出したPCサーバによって、メインフレームの価格破壊が起こり、市場が縮小している。
システムインテグレーションというサービスに全社を移行しなければ、生き残れなかった。

一部の人が犠牲になるとしても、別事業にシフトするとか、ビジネスモデルを全く変えるとかして生き残ることは、残りの人たちを救うのに重要になるのだ。
更に言うと、企業が分断されて崩壊されると、企業が今までに蓄えた技術、スキル、暗黙知は失われてしまう。
社会全体でみても、大企業を単に崩壊させるよりは、変革して、強くして、生き残らせる方が社会のためになると私は思っている。

実は、企業の経営者は出来る限りリストラはしたくないと思っている。
特に家長的性質の強い日本企業は、従業員の生活を守るのが企業の使命だと考える人は未だ多い。

例えば、どう見ても別事業にシフトすべき事業から、撤退できない大企業がたくさんある。
これは、撤退したら、その事業で働いてる社員はどうなるか、と思って踏みとどまってしまうのだ。
実際には、事業撤退→新事業参入でリストラされるのは一部だけだが、その人たちの生活を考えると、決断できない。
だったら、まだ少しはお金が入ってくるのだから、何とか今の事業にとどまって、頑張って回復しよう、という話になる。

モトローラが何故1G携帯電話から2Gにシフトできなかったか?
1Gは、多くの特許と技術をモトローラが所有し、じゃんじゃんお金が入ってきた事業だ。
そのおかげで、研究開発に大幅にお金をかけられたし、研究者・技術者もいっぱい雇えた。
2Gに行ったら、その人たちを抱えるほど儲からないから、リストラするか、別事業に異動してもらうことになる。

出来るだけそんなことはしたくないので、モトローラは
「1Gのままじゃ帯域に制限がありすぎて、加入者数を増やせない」という問題に対し、
2Gへの移行ではなく、1Gの技術革新や、1Gへの莫大な設備投資で、何とかとどまろうとしたのだ。
(そのおかげでアメリカ全体の2Gへの移行が遅くなったことは以前書いた

そのせいで2Gへの参入が遅くなり、ノキアに大負けして、売上げが大幅に落ちた。

モトローラはアメリカだからまだ良い。
アメリカは、人々が転職したり、ベンチャー企業に入って仕事したり、自分で起業したり、ということが割と普通に起こる世の中だ。
人材の流動性が非常に高い。

私の米国での友人にも、もともとモトローラのエンジニアでした、なんて人は何人かいて、
彼等は例えば、リストラを機にMBAとかに入り、「この間にMBA取っちゃおう」みたいに前向きである。
家族がいるのに工学博士に入り、ワンクッション置いて別の携帯電話メーカーに就職した人もいる。
あるいは、携帯電話向けアプリを作る企業に転職して、割と成功しちゃった40代のエンジニアもいる。
全部が上手くいくはずはなく、中には悲惨な例もあると思うが、上手くいく例が多くある。
だからこそ、モトローラはそれでもその後は何度もリストラを進めることができ、企業自体は存続出来る状況が15年ほど続いた。

ところが、日本ではどうか。
日本の一流企業といわれるところに正社員として勤めている、管理職やエンジニアを、変革に対応できない結果リストラ、ということが出来るか?

転職市場が非常に小さいこの国では、正社員でなくなったとたん「負け組」と言われる憂き目にあう。
同レベルの一流企業に転職するなんて、相当優秀な人でないとまずありえない。

そうでない場合は、一流企業に勤めてたパパが、翌日から中小企業やベンチャーに勤めるパパになるのだが、
これが余り日本では歓迎されない。
ていうか、一度そっちに行くと、後は転落人生になってしまうように思われている。
「起業したら?」なんて無責任に言う人は多いけど、VCも起業家ネットワークも発達していない日本で、
まとまったお金も技術もないのにどうやって起業するのか?

要するに、日本の場合、大企業が少しでもそういう管理職やエンジニアをリストラ、ということになると、
その人たちは転落人生決定みたいになっちゃうのだ。
第二新卒レベルの若さならまだ良いが、30代前半とか結構若い人でもそうなっちゃう。
外資系や海外の企業に行けば「転落」せずに済むが、英語が話せなければ話にならない。
これでは、社員を大切にする大企業は臆病になる。
そんな可能性がある変革だったら、今の(儲からない)事業のまま何とか頑張ろう、と。
で「ユデガエル」になっていく。

私はこの、大企業に勤めてるような人たちの人材の流動性を高めないと、大企業が抜本的に変革するのに、臆病になってしまうと思うのだ。
米国にいるモトローラですら変革が大変だったのに、況や日本企業をや、なのだ。

もう一度まとめると、
・大企業が大きな変革を行うと、リストラはしたくなくても必ず起こる。
・ところが、日本はそういうリストラされた人たちが転職する術がほとんどない。あっても「転落」とみなされる。
・企業がそういう決断をするのは非常に難しいので、少しはお金が入る今の事業に何とかとどまって頑張ろう、という安易な決断になって変革が遅れ、ゆでがえるになる。

で、米国でどうして人材の流動性が高いかというと、大企業間の転職が必ずしも大きいわけではなく、
人々が、
ベンチャーとか、中小企業に転職するのに、そんなに抵抗がないこと、
MBAや社会人修士など、転職するための手段がいろいろ整っている、というのが大きいと思う。

こういう世の中になると、人々が起業を選択する、というのもだんだん可能になってくると思うのだ。
日本では、起業しようにも、お金も、技術も、人材も流通してないので、正直難しいことが多い。
ベンチャーに優秀な人たちが入ってくる環境、大学や大企業から技術を持った人材がどんどん流入してくる環境じゃないと、起業家社会を作るのは難しい。

そういうわけで、私は日本社会において、管理職・技術職レベルでの人材の流動性を高め、
転職へ人々の抵抗感をなくすこと-間違っても中小のベンチャーに勤めることが転落にならないように変える。
これが、大企業の変革にも、起業社会にするにも、大事なことだと考えている。
どうでしょうか?

(今後もこの続きで、IBM/GEなどの事例研究や、もうひとつの日本の問題を書いていこうと思ってます)

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日本にプロの経営者プールを作る必要性

2010-01-17 17:51:49 | 3. 起業家社会論

稲盛和夫氏が新生JALの会長に就任する、という話を聞いて、わたしが最初に思ったのは、
「結局、稲盛さんを引っ張ってくるしかないんだなあ。」
ということだった。

稲盛和夫氏は、日本を代表する素晴らしい経営者の一人で、そこに何の不満があるわけではないが、もうすぐ御年78歳だ。
もちろん高齢でもご活躍なのは素晴らしいが、流石に引っ張りだしすぎじゃないか?
もっと若くて有能な経営のプロは他にいないのか?と思った。

けれど、今回のJALの再建のような難しい案件を引き受けられる能力があり、
この組織で人心掌握できるほどの年齢(60歳以上はマストだろう)と知名度がある人材が、
結局、稲盛さんしかいなかった、ということなのだろう。

今回は、まあいい。
しかし、この不況がいつまで続くのか分からないけど、
今後もこのような大規模な破綻or経営不振→再建話が増えていくことは十分に考えられる。
その際、先週議論になったような「株主価値を重視した」企業のガバナンスが増えてきた日本では、このように外部から経営者を招聘する、ということはますます増えてくるだろう。

その際、このような大企業の経営再建を担えるような、外部のプロの経営者って日本にどれだけいるんだろう?
と考えると、やはり首をひねってしまう。

翻って、アメリカのケースを考える。
大昔(1950年代とか)はこの国でも外部から経営者を招聘することは余り無いケースだったようだ。
が、1970年代から80年代にかけて、今の日本の失われた20年みたいな時期を経て、
環境が厳しくなり、株主の圧力が強まり、「株主価値経営」が当たり前になって状況が変わってきた。
企業の株主価値を向上するため、内部人事を無視して、外部から経営者が招聘されることが増えてきたのだ。
(何度も書くけど、その前の時代はアメリカでも株主の力はそこまで強くなかった)

経営のプロとして引っ張られてきたのは、有名大企業のCEO経験者(アイアコッカとか)、
有名コンサルティングファームのパートナーを経て経営経験を持つ人(ルー・ガースナーとか)。
最近はこれに加えて、シリアル・アントレプレナー(複数のベンチャー立ち上げ経験者)なども。

こうして、かの国には「経営者プール」なるものが出来上がっていった。
複数企業で経営の経験を積んできた、経営のプロが多くいて、大企業の経営に何かあったときは、そういった人が引っ張られてくるような仕組みが定着している。

思うに、日本でもこういうものが今後必要になってくるだろう。
「困ったときの稲盛頼み」ではなく、経営者候補が複数出てきて迷うくらいの状況になってくることが。

そのためには、(稲盛さんに比べれば)若手のCEO経験者が、ただ引退せずに、
もっとチャレンジングな再建問題に関与したり。
バイアウトファンドやコンサルタントなど、経営にある程度の知見を持つプロが、
ファンドとかの世界にとどまるんじゃなくて、大企業の副社長など経営職について実経験を積んだり。
もっと若手の起業家が、ただの金持ちになって満足するんじゃなくて、経営のプロとして専門知識も身につけるなど。
そして、そういった新たなチャレンジを受け入れるように、有能な若手経営者が活躍できるよう、許容度を高めるべく、日本の企業文化も少しずつ変わっていかないとね。

そうやって「プロの経営者集団」を作っていかないと、「困ったときの稲盛頼み」状況がいつまでも変わらないんじゃないか、と思った。

そろそろ搭乗時間らしいので行ってきます。

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起業するなら今がチャンスか

2009-01-31 16:14:42 | 3. 起業家社会論

E&Iの起業志望の学生や、100Kに出てくる参加者と話してると、これだけ景気の悪い今こそ、実は起業するチャンスなのかもしれない、と思う。

景気が悪いと物も売れないし、資金も貸し渋られて集まらず、失敗しやすいのでは、と思われるかもしれない。
しかし、そういう理由で失敗する会社は、景気が良い時はたまたま上手くいくかも知れないが、長期的にはどうせダメになる会社なんだと思う。
バブルの時起業した会社が、景気悪くなった時にたくさん潰れたように。

真に強い会社は、景気の悪い時こそ生まれうる、と思う。
直感的には。
何でそう思うのか、ちょっと理由を考えてみた。

一番大きな理由は、景気が悪い時というのは、世の中の大変化が起きているときだということ。
世の中が変わり、勝者が勝者ではなくなり、ゲームのルールが変わる。
ルールの変化を敏感に感じ取り、上手く対応できた企業が新たな勝者になる。
これは新参者にとっては大きなチャンスだ。

たとえば消費者の財布の紐が硬くなるのは、実はそれまでになかった安いものが売れるチャンス。
銀行がお金を貸さなくなるのは、お金の流れが変わって困っている人が出てくるということなので、それに乗じた新しいビジネスをやるチャンスなのだ。

それから人材。

景気が良いと、良い給料を払ってくれる大きな会社がたくさん人を雇うから、冒険してベンチャーに行こう、という優秀な人は相対的に少なくなる。
ところが、景気が悪くなると、そういう人でもあぶれてくるようになるので、ベンチャーとしては優秀な人が採用しやすくなる。
創業期の人材・チームは、その後にその企業が成功するかどうか、に大きく関係すると言われる。
しっかりした人材を登用出来る機会を、逃すべきではない。

起業資金。
微妙なところではあるが、景気の悪いときは、お金を借りにくくなる一方、金融商品も乏しくなるので、行き場を失ったお金が余るようになる。
もちろん、全体としてお金の量は減ってるわけではあるが、それ以上に投資先が乏しくなっている。
そうすると、お金を持っている人たちはリターンの大きい投資先を探すようになる。

もちろん今のアメリカのVCとかを見ていると、苦しそうなところも多い。
アメリカの場合、今まで普通の金融機関もVCにかなり投資していたので、金融機関からの金集めというは資金繰りのメジャーな方法だった。
景気が悪くなって、そういう金融機関からのお金が全く入ってこなくなった。
代わりに、今までそういう金融機関に預けられていたお金が、直接VCに入ってくるようになってきた。
そこに着眼して、新たな投資家を探して動いているVCは生き残ってるし、何もしないVCは金融機関と共倒れである。
さっき書いた、ルールの変化に着目して勝者になる、とはこういうことだと思う。

うーん、取りあえず3つくらい理由を思いついたけど。
起業することを考えた時、今の景気が悪い時はチャンスだといえないか?
皆さんもコメントでご意見ください。お待ちしてマース。

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日本でイノベーションを加速する・その2

2009-01-29 22:17:46 | 3. 起業家社会論

以前、「日本でイノベーションを加速する」という記事を書いた時のこと。
誰かがこれを読んでこんなことを言ってた。
曰く、「結局イノベーションなんて、壁をぶち破ってしまうようなとんがった人材が引っ張らないと、生まれない。
日本は、そういう人材が出て来れない社会の仕組みになってしまっていることが問題。」と。

前半については、全くその通りだとは思う。
私自身も、既存の仕組みでは満足できず、何か新しいものを作ろうっていうエネルギーにあふれる人が、基本的にはイノベーターとして何か新しいものを生み出すことが可能なのだろうと思う。
また、
そういう人がいないと、イノベーションが起こらない、というのは同感だ。

ただ、後半は若干議論の余地があると思った。

日本がシリコンバレーみたいに、起業家がポコポコ出てこないのは何故か、という問いに対し、
「日本人は安定志向で、能力があっても、大企業に収まって満足出来てしまう人が多いから、チャレンジをしないのだ」
という答えは良く聞く。
つまり、日本人がイノベーティブではないのではなく、そういう何かを生み出す能力を持った人でも、大企業の組織の論理に耐え、仕組みを享受してしまう人が多いから、起業などをせずにいたってしまう、というわけだ。

これは感覚的には、そうかな、と思う。
個人的には、イノベーターとしての能力はあるし、既存の仕組みを壊して新しいものを作りたいという欲求もあるが、安定志向もあるので大企業に就職してしまい、起業するまでは至らない、という中途半端な人が多いんじゃないか、とか思っている。

問題は、仮にそれが本当だとして、だから何なのだ、ということだと思う。
そういう中途半端な反骨精神を持った人たちをうまく生かして、イノベーションにつなげていくってことが出来るんじゃないか。
仮に日本に、そういう中途半端人が多いのであれば、そういう仕組みをつくらないと、イノベーションが生まれないじゃないか、と思うのだ。

前に私が「日本でイノベーションを加速する」にて、大企業における企業内起業(Corporate entrepreneurship)やCVC(Corporate Venture Capital)を推し進めるのが鍵ではないか、と書いたのは、実はそのあたりの問題意識に起因している。

要はシリコンバレーでは、本当に何かを生み出す能力のある優れた人は大企業に行かずに自分で起業する。
だから、起業家支援がイノベーションにつながっていく。
でも日本では、本当に何かを生み出せる優れた人も、大企業に入ってしまう。起業までいたる人は少ない。
だから、単なる起業家支援では、そういう
能力はあるが、中途半端な反骨精神を持った人を拾えず、イノベーションが生まれない。
一方、
大企業であればあるほど、組織間の壁とか、何かを生み出し、市場まで育てる際の壁が大きく、結果としてイノベーションが生まれにくくなる。

そうすると、大企業にいる、そういう人を生かして、上手くイノベーションにつなげられないか、と思うのだ。

70年代、80年代までは、大企業には、中央研究所と呼ばれる、新しい技術をインキュベートする仕組みがあって、優秀な人たちはそこで技術的イノベーションを起こすことが出来た。
また日本の大企業には、「まあやってみなはれ」みたいな感じで、優秀な人たちが社内で新しいことをやってみるのを許す懐の深さがあった。
そういうものが、大企業でのイノベーションを生み出す素地になっていたのだと思う。

それが、80年代後半から上手くいかなくなってきた。
中央研究所からのリニアモデル(基礎研究→応用→市場化という流れでイノベーションを起こすこと)が、処々の理由により上手くいかなくなり、縮小された。
株主を意識してか、日本企業も、一見無駄だが長期的にRewardされるかも知れないものに投資する、懐の深さが許されなくなってきた。

でも、大企業にはイノベーションを起こすための人も資源もまだあるわけで。
株主も納得し、そういった人と資源を生かしてイノベーションに繋げていくような仕組みをつくれないものかな、と思っている。

結局今日のエントリは自分の思考への補足説明をしただけで、何も前に進んでないのだけど。
まあゆっくり考えてきます。

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