My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

南ベトナム旅行(5)-メコンデルタに住む人々

2010-10-16 11:38:58 | ●ベトナム旅行記

今回のベトナム旅行で私が一番楽しみにしていたのは、メコンデルタだ。
チベットに源流を発し、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムという様々な歴史背景をもつ国を流れる国際河川、メコン河は憧れの場所。
本もいろいろ読んできた。

メコン河開発―21世紀の開発援助
松本 悟 築地書館
メコン川流域に日本はじめとする各国が行っているODA開発の状況とその是非を論じる名著。絶版かも。
Amazonで詳細を見る

メコン川物語―かわりゆくインドシナから

メコン川物語―かわりゆくインドシナから
川口 敏彦 文英堂

読売新聞社の社会派記者がまとめた、メコン川流域の写真とフォトエッセイ。
「魔のゴールデントライアングル」と呼ばれるケシの産地の変貌ぶりから始まり、
巨大ナマズを捕まえて大金を手にするタイの漁師、ラオスの寺院に住む人々、
カンボジアはアンコールワット周辺で観光業を営む庶民。
そして広大なメコンデルタの稲作地帯。
悠久のメコン川を下って、周辺の人々の生活を描く。

本の写真をクリックするとAmazonのページへ。

メコン街道―母なる大河4200キロを往く

メコン街道―母なる大河4200キロを往く
鎌沢 久也 水曜社

これは一時期かなり有名になったメコン川流域の写真集。
本の写真をクリックするとAmazonのページへ

はるかかなたの昔から、インドシナ半島を潤し、恵みをもたらしてきたメコン河。
その下流の三角州地域が、メコンデルタと呼ばれている。

ベトナムは現在米の輸出でタイについで2位を誇っているが、その多くが生産されているのがこのメコンデルタだ。
そのほかにもフルーツの生産も盛んで、ランブータン、ドラゴンフルーツなどなど多くの作物が作られ、輸出されている。
網の目のように張られた運河が美しく、ベトナムきっての観光地でもある。

稲作は、かつての「浮稲栽培」ではなく、近代的にインディカ米が生産されている。

そんなわけなので、メコンデルタには大量のツアーがあるが、前回と同じガイドのNさんにお願いすることにした。
デルタ内の中洲にてロッジを営むフルーツ農家に「ホームステイ」をする一泊二日のツアーだ。

8時にサイゴン市内のホテルを出て、車で2時間ほどかけて、ミトー市に到着。
そこからはメコン川を上流に向かって上る「クルージング」だ。

そのツアーの予約客が他にはいなかったので、中型の船を完全に「貸切」状態。
船は古いけど広いので、ちょっと豪華な気分を味わう

船はまず、ココナッツキャンディを作っているという島に向かう。
このあたりのメコンデルタツアーの定番らしく、ひっきりなしにいろんな国の観光客が乗り入れる。
アメリカ人(アメリカ英語を話してる)、オーストラリア人(オーストラリア英語を話してる)、ドイツ人、韓国人、日本人。

ここで6パックで10万ドン(約500円)のココナッツキャンディをお土産に買う。
フォーが2万ドン(100円)で食べられるベトナムの物価から考えるとどう考えても割高だ。
観光客呼び込みで相当儲かっていることだろう、この工場。
こういうお土産って、会社に持っていっても人気無くて売れ残っちゃうんだよね。
買っていく本人は思い出があって買っていくんだけど・・。とわかっていて買う。

その後は30分ほど北上した後、クリークのような小さな運河を渡る船に乗り換える。

左右には巨大なココナツの木が迫るが、そのおくには普通の民家が立っている。
ベトナムではベトナム戦争後は北ベトナム人を中心に、一家族最大5ヘクタールまで土地が割り当てられたのだという。
人々の多くは今でも稲作を営んでいるのだが、ドイモイ政策後は割と自由に転作が可能になり、
フルーツに向いている土地では、フルーツ栽培が好んで行われているという。
前のゴム園の話ではないが、稲作に比べて圧倒的に儲かるからだ。
実際、フルーツ農家はまるで日本の家かと思えるような綺麗な家を建てているケースも多い。

そのとき訪れた農家は、ドラゴンフルーツやランブータン、はっさくなどを作っている農家で、
中華系の移民が営んでいるとのことだった。

ガイドと3人テラスに座って、摘みたてのそれらの果物を食べる。
ドラゴンフルーツがおいしくて、大量に食べてしまった。
お茶は、手作りの蜂蜜にジャスミン茶を加え、スダチを絞って飲むというもので、これもおいしい。

その後は3時間ほど、ヴィンロンの向かい側までひたすら北上する。

さて、ベトナム戦争後に土地を割り与えられなかった人たちがいる。
戦争のときに南部に組していたベトナム人と、クメール人(カンボジア人)だ。
デルタの中にいる人々は土地が無いので、川の上に家を作って住むしかない。
そうして細々と魚を取ったり、中には養殖を行ったりしてたくましく生きている人もいる。

ガイドのNに、これらの人々が魚とりで成功するなど何らかのチャンスを得て、
上に上がっていくことはあるのかと聞くと、殆ど無いとのことだった。
同じ河でもドンナイ川の上に家を建てて大規模に養殖をやってる才のある人たちはいいが、
メコン川では結構難しい。
川の流れも速いので養殖などはできないからだ。

一方、土地がある人たちは、稲作をやらずに魚の養殖をして稼ぐ人たちもいる。
ここの農家は、ナマズの養殖をしている人たちだった。
ナマズは中国料理では人気だし、ベトナム料理でも高級レストランで食されるのだとか。
小さな女の子がえさをやると、ナマズが水面に大量に出てきてえさを食う。

この農家は、まだはじめたばかりなのでこんな掘っ立て小屋に住んでるけれど、ナマズは儲かるので、
数年のうちに大きな家を建てられるようになるかもしれない。

さっきの女の子が私を気に入ったみたいで、ずっと追いかけてきて送ってくれた。
東洋人の女性がこんなところまで観光に来るのはきっと珍しいんだろう。

途中雨もふり、3時間もするとちいさな船に乗り換えて、中州の間の運河を行く。
中州の真ん中にある島にあるフルーツ農家に宿泊する。
トイレ・シャワーは天井が無いレンガ立てで、お湯も出ないが、泊まるところはヴィラ的なつくりでこぎれいだった。
バックパッカー宿としてはとても綺麗なほうだと思われる。
農家の方は-フルーツで一財産築いた人々なのだろう-気さくな人たちで、一緒にジャックフルーツの焼酎を
一気飲みしたり、話したり、楽しく過ごした。

翌朝は7時に出てヴィンロンの水上マーケットに行く。

水上マーケットに来ているのは、農家から直接果物や野菜を仕入れる仲買人だ。
彼らは結構大きな船で取引し、竹の竿に扱う作物を掲げている。
その仲買人から、さらに小さな仲買人が小さな船に乗って買い付けに来るのだ。

この人たちは色んな作物を扱っているようだ。
竿の一番上にあるにんじん、芋、ジャックフルーツ、などなどいろいろ並んでいる。

ちなみにこの人たちは、この船の中で暮らしている。
船の中には必要な生活用品が全てそろっていて、洗濯物などもかかっている。
飲み水は流石にミネラルウォーターなどの大きなボトルを使ってるみたいだが、ちょっとした洗物や洗濯はメコン川の水で行うようだ。
この船なんか、卵のために鶏まで船の上で飼っている。

こういうところに来ると、卸のシステムが歴史的に何故1次卸、2次卸とわかれているのか良くわかる。
物流のインフラが整った国では、農家が直接消費者に売ることは可能だろうが、
こんな国では農家はちょっとした金持ちであり、こんな水上マーケットに来て売るなんてやりたくない。
だからそこは1次卸がやる。
けれどその1次卸はこうやって大きな船の上で生活しているので、地上にある八百屋に売りに行くなんてできない。
だから2次卸が、小さな船で買い付けに来るのだ。

これは1次卸(竹竿の大きな船)が2次卸(小船)と取引をしているところ。
キャベツを大量に買い付けている。
フルーツを大量に仕入れた2次卸のおばちゃんから、ジャックフルーツを買った。

私にとって、こういう旅で一番面白いのは、その国に住む人々の生活に触れられることだ。

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南ベトナム紀行(4)-新興国での韓国ブランドの影響力

2010-10-12 09:09:00 | ●ベトナム旅行記

今回のベトナム旅行で、私が一番はっとしたのは、ベトナムにおける韓国ブランドの影響力だ。
サイゴンの街中だけでなく、どんなに田舎道を走っていても韓国ブランドのオンパレードだった。

例えば携帯電話。
多くの発展途上国の例に漏れず、ベトナムも固定電話より携帯電話のほうが普及しており、
どんな田舎に行っても、携帯電話が売られている。
そこにはNOKIAとSAMSUNGの字が大々的に出ている。
途上国では当たり前の現実だが、NOKIAとSAMSUNGが携帯電話の代名詞になっているわけだ。

ベトナムのような新興国に売る携帯電話を出してる日本のメーカーが無いのだから仕方が無いが、
何故出してないのかは一考に値する。

一方日本の反撃といえば・・・

というのは冗談ですが(写真は本物)、日本のハイエンド幻想を象徴しているような・・・。
サイゴンの街中にいれば、キヤノンやシャープの大きな看板があり、大きなソニーショップもある。
しかし、ブランドの知名度とは新興国の多くの人々が使う携帯電話や白物家電で広まるのであって、
ブルーレイや大型薄型テレビ、デジタルカメラのようなハイエンド商品で広がるのではないはずだ。

日本の得意分野、自動車はどうだろう。
前の記事「新興国で日本の存在感を考える」に書いたように、ベトナムではまだ乗用車は余り普及していない。
多くの人がバイクを使っており、そこではホンダブランドが大活躍だ。
乗用車セグメントでは、トヨタとヒュンダイ(現代)が競って攻勢をかけているようだが、なんせ市場がまだとても小さいので、決着がつくところではない。

こういう新興国では商用車(バスやトラック)市場を見るのが重要だ。
なぜなら、乗用車はぜいたく品であり、バイクなどの代用がいくらでもあるが、
貨物を運んだり、建設に必要な商用車は必須なので、新興国でも市場がある程度大きい。
実際、ベトナムにいて道を走っている車は殆どがトラックやコンテナ輸送車などの商用車だ。

国立公園からの帰り道、ずっと外を見ていると、驚くほど「HYUNDAI」の文字が多い。
ヒュンダイ、ヒュンダイ、ヒュンダイ、日野、KIA、ヒュンダイ、いすゞ・・・
こんな感じでトラックがひっきりなしに通っていく。

余りにヒュンダイが多いので、車の中で暇をもてあましていた私はとりあえず目視でシェアを図ってみることにした。

時は9月27日、15:50-16:05 の15分間。
国道?20号線上で、ホーチミンシティから来る対向車を計測。
(ヒュンダイ(現代) 64、KIA 20、日野 16、三菱ふそう 10、いすゞ 9、その他 23。その他は数が6台以下だったもの。)


サンプル数142台なのでいい加減だが、商用車では韓国がシェア6割、日本勢が2-3割というのは、
わりと正しい値じゃないかとおもう。

実際車の種類を見ていると、ヒュンダイはありとあらゆる車種のトラックやバスがある。
大型トラックも数種類、中型、小型は本当に色んな形の車種があり、バスの種類も多い。
KIAは中型・小型のトラックの種類が多い。

一方日本のメーカーはどうかというと、日野は大型車とバスに関しては複数車種ずつあったが、
三菱やいすゞは中型の1,2車種しかない。

単純にベトナム市場にどれだけの車種を投入しているかが、単純にシェアに反映されているように見えた。
そうすると、日本メーカーは単にシェアが取れないのではなく、取りに行っていないのでは、と思った。

何度も言うが、新興国における商用車の位置づけは大切だ。
ベトナムはまだ小さい市場なので、日本メーカーは力を入れていないのかもしれないが、こういう市場の積み重ねがチリツモになる。

全ての新興国で日本が弱いか、というとそうではない。
例えばタイに行くと、日本のメーカーのシェアはいろんなところで高い。
バンコクは暑いので、どんな小さなビルにもエアコンがついているが、室外機はほぼ全て三菱マーク。
商用車も三菱やいすゞをよく見るし、あらゆるところで日本のブランド名が目に入る。

タイとベトナムのこの圧倒的な違いは何か?
私の仮説は、日本企業が元気だった80年代~90年代初頭に大きく成長をはじめた新興国では、
比較的日本の製品のシェアが高く、ブランド力が強いのではないか、ということ。
当時大きくなった国や分野には、日本は頑張って人を出して、営業をかけて、売っていったのだと思う。
韓国、中国だけでなく、タイやフィリピン、マレーシアがこれに当たるだろう。

一方、日本が失われた10年に突入して、すっかり元気がなくなってから発展した国や分野では、韓国のブランドが強いんじゃないか。
インドやベトナムの家電や車の市場がそれにあたると思う。

いったい日本企業はどうしちゃったのか?
製品ラインナップがハイエンドを狙いすぎて、新興国に攻めていく玉が無いってことなのだろうか。
その根底にあるのは、日本企業の多くがハイエンド幻想-付加価値の高いハイエンドな商品を売って利益率を稼ぐべきという方向に行き過ぎたことではないか、と感じる。

このブログでも「イノベーションのジレンマ」や「ガラパゴス問題」について何度も論じてきたが、
実際に東南アジアに旅行に行って、目の当たりにすると言葉が詰まる。

参考記事
My Life in MIT Sloan-ガラパゴス問題をガラパゴスに閉じるのはやめよう
My Life in MIT Sloan - ガラパゴス問題の論点まとめ

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南ベトナム旅行(3)-フランス人の個人主義

2010-10-11 12:12:29 | ●ベトナム旅行記

中国の件はさておき、旅行記の続き。
今日は米国の枯葉剤攻撃からゴム園を守ったフランス人の話。

カット・ティエン国立公園の帰り道。
サイゴン-ダラット間を結ぶ長い国道に出るまでの間の23km、周囲はゴムやコーヒー、コショウなどのプランテーションだらけとなる。

このあたりの地域はもともとはジャングルだったが、1960年代の北ベトナム侵攻での内戦と、
1970年代のベトナム戦争での枯葉剤の影響を受けて、大きく疲弊していた土地だ。
市場開放化と私有財産の保持を認めたドイモイ政策以降、この疲弊したジャングルを割り当てられた農民が、次々とゴム畑にしているそうだ。

最近はベトナムでは普通に稲作を行うより、ゴムを育てたほうが高い収入が得られるという。
高い収入、と言っても、ベトナムにおける高い収入に過ぎない。
年間で、一ヘクタール(100m*100mの土地)あたり2000-3000USD(約17-25万円)が相場。
ベトナム人は最大で5ヘクタールしか持っていないので、稼げても年間100万円というところ。
それでもベトナムでは金持ちとなる。

ゴムの木はこんな風に傷をつけて、ラテックスの白い樹液がおわんに流れてくるようにする。
労働力のかかる稲作と異なり、1-2ヘクタールにたった1人見張りで十分だ。
コストはほとんどかからない。

この容器がついた樹が並んでいる様子は、なかなか壮観だ。
ゴムの木は大体7年くらい育てば収穫が出来るようになるという。
樹液の量は樹が大きくなるほど多くなり、50年近くは樹液を出し続けるという。

このゴム園は始まって10年くらいというところか。
ドイモイ政策が浸透したのは1990年ころだし、米国の枯葉剤などの被害を大きく受けた地域あったこともあり、
ベトナム人が所有しているゴム園だと、だいたい始まって10年-15年が相場。

ところが、中には樹齢50年ほどのゴムの樹が生い茂っているゴム園がいくつかあった。
50年といったら、ベトナム戦争の前の戦争、北ベトナムの共産党がこの地域に下りてきた内紛をも免れたってことだ。

ガイドに聞くと、旧宗主国だったフランスから来たフランス人たちが持っていたゴム園だったという。
どうやって、彼らは北ベトナムの共産党にも奪われず、米国の攻撃をも免れたんだろうか?

ガイドによると、答えは交渉と金だったという。
共産党に対しては、ちゃんと税金を払うことで、土地私有権を手放さないで済むように交渉していた。
そして、南ベトナム軍と米軍には、事前にこの土地を何があっても攻撃しないようにと賄賂を渡していたらしい。
(おそらくガイド氏はかつてはこのあたりの通訳をやっていたことだろう)

政治的にはどっちにも組することも無く、ただただ自分の財産を守るために状況に応じて税金を払い、賄賂を贈る。
その結果、ベトナムの一部の土地が枯葉剤の被害を受けずに守られた。
そうやって本国フランスに帰る事も無く、ベトナムのゴム園で着実にお金を稼ぐフランス人。

今のフランス人は知らないが、帝国主義時代に植民地に来ていたフランス人にはこういう発想の人間は多かったんだろう。
ただ自身の財産のために、自分の規律に従って行動。
ある意味で、徹底した個人主義であり、気持ちが良い。

もっともこの個人主義での植民地支配が、前四半世紀の各国の悲劇を生んでいたともいえる。
植民地独立後に内戦が起こった割合は旧フランス植民地の方が旧イギリス植民地より圧倒的に高いといわれる。
良い悪いはともかく、イギリス人は教育、政治さまざまな面で組織や仕組みを埋め込んでいったが、
フランス人は個人の裁量に任せていたところが多かったから、組織や仕組みが整わなかった、ということはよく言われる。

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南ベトナム旅行(2) - カット・ティエン国立公園

2010-10-07 08:57:49 | ●ベトナム旅行記

世の中ではノーベル化学賞の日本人二人受賞で大変な賑わいですね。
本当におめでとうございます。
私も書きたいことがあるんですが週末にあずけて、このブログではとりあえずベトナム紀行の続きを。

カット・ティエン国立公園は、サイゴン(ホーチミン)市から北に車で4時間ほど離れたところにある。
ロンリー・プラネットに載っていたけど、「歩き方」とか日本のガイドブックにはどこにも載ってないんですよね。
だからなのか、日本人は野生動物の研究者を除いて殆ど来ないそうだ。

でもすごく良かった。
だから行きたい人のためにブログで詳しく書いておく。

カット・ティエン国立公園はジャングルの真っ只中にある。
ベトナム戦争のころは、米軍による空爆や枯葉剤散布で荒廃していたが、ようやく自然が戻ってきた地域だ。
それで、この地域を自然保護の対象とすると同時に、自然に興味がある人が訪れても良い地域、として国立公園として指定された。
だから観光客はガイド(レンジャー)を雇う必要があり、観光客からは金を取る。
アメリカ的な国立公園の考え方だ。

ガイドと一緒に乗った車が、漸く国立公園に着く。
ちなみにダラットの方向に向かう道路を140kmほど進み、左折して23kmで到着だ。
左折地点で標識が出ているので間違えない。

到着地点で、ドンナイ川を渡る。
雨季の今は、多少増水して、川の色が茶色になっている。

とりあえずやったツアーを一通り紹介。

1. ジャングル8km徒歩ツアー

担当のレンジャーは、ベトナム人で非常に博識な方だった。
ベトナムのジャングルには、紫檀や黒檀、マホガニーなど家具やボートなどに使われる樹がたくさん生えている。
それから、巨大な溶樹、そしてそれに寄生する樹。

アメリカの空爆を受けても生き残った巨木がたくさんあった。
中には樹齢300年なんて溶樹もあった。

私が行った9月半ばは雨季の真っ只中だったし、(ちなみに行くなら乾季のほうが良い)
ちょうど雨が降っていたので、野鳥などはあまりいなかったのだが、
それでもいくつかの熱帯らしい野鳥に出会った。

Jinさんが、野鳥を見つけるのがまたすさまじく上手なのだ。
ジャングルの中を下を向いてごみを拾いながら歩いていたと思ったら、ふと上を見上げて
「あそこに鳥がいる」と言う。
雨季ではあったが、Jinさんのベテランぶりのおかげでエコツアーは楽しめた。

寄生するつたが美しく絡まりあっている。

樹液が溶け出して、白く染まるジャングル内の川。

雨の中歩き詰めで疲れたので、帰りにジャングル内にある素敵なロッジに寄っていただいた。
いかにも「ベトナム風」に作られた洗練された建物で、ついつい寄りたくなる雰囲気だ。

2階のテラス席からはドンナイ川を臨むことが出来る。

このロッジ、実はオーストラリア人の事業家がベトナム政府と交渉して、30年間のリース契約を結んで
始めたロッジなのだそうだ。
2階のテラスで紅茶をいただいたとき、そのオーストラリア人とお話できた。

 

カットティエン国立公園は、今後徐々に観光客も増えて、発展していくだろうから、投資対象としても良いだろうと判断してリースしたのだそうだ。
もともとベトナムが好きなので、成功しなければ、自分の別荘として使えばよいという判断らしい。
彼の中には、ベトナムの自然保護を支援したいという思いもあるようだ。
で、彼なりの「ベトナム」の雰囲気が出るように立て直したのだという。
だから、日本人の私が見ても「洗練されたベトナム」の雰囲気になっていたのか。

ベトナム政府と交渉して30年リースする、というのがヨーロッパ人的な発想だなぁと思った。
自然保護と投資という金儲けを両立するというのもうまいな、と思った。

2. ナイトサファリ

午後7時ころからの45分間のツアーなのだけど、これは単に車に乗ってるだけで楽しかった。
国立公園のウェブページに「TOYOTAの車でナイトサファリを行う」と書いてあったので、
ランドクルーザーにでも乗っていくんだろうか、と漠然と考えていたら、甘かった。

これがTOYOTAの車。

確かにトヨタである。
しかし馬鹿にしてはいけない。
この車の荷台の上のいすに乗っていくのだが、風を切って進むのがとても気持ちよく、まるでジェットコースターに乗っているように楽しいのだ。

その上、野生動物も見える。
写真は漸くフレームに納まってくれた鹿。

雨季だったので、草の背丈が高く、小動物が殆ど見られず残念だった。
行きたい人は、是非乾季に行ってください。

ナイトツアーが終わった後は夕食。
伝統的ベトナム庶民料理がいろいろ出てくる。
後は333(バーバーバー、南ベトナムの地ビール)ね。

ちなみに朝食は結構おいしいPho Bo(牛肉のフォー)で、頼むとVietnamise Coffeeもついてくる。
普通のミルクの代わりにコンデンスミルクを使った甘くて濃厚なベトナムコーヒーだ。

3. バウサウ(クロコダイルの池ツアー)

朝7時すぎに出発して、まずは昨日のTOYOTA車に乗って10km北上。
そこからジャングルの中に入って行き、クロコダイルの池を目指すというものだ。

バウサウのほうのジャングルは、国立公園の入り口付近にある昨日のジャングルと異なり、
圧倒的だった。

10分も歩くと、自分の汗で体中がじっとりとぬれてくる。
湿気が高すぎて、汗が全く蒸発しないからである。

途中、サルの鳴き声が聞こえる。
ガイドのJinが、またしてもすばらしい勢いで「あそこにサルがいるぞ」と見せてくれる。
確かに熱帯雨林の20メートルはある樹の上を、悠々と飛び交っている動物が見える。
望遠鏡で見ると、サルの顔立ちもはっきり見える。

どうしてそんなにすぐにわかるの?と聞くと、なんと排泄物の匂いでわかるんだそうだ。
真似して、くんくん匂いをかぎながら行ったのだが、確かにサルがいる近辺は動物園みたいなにおいがして、「あ、誰かいるぞ」という気分になる。
縄張り争いをする動物たちって、こういう気分で暮らしているのかと、ちょっと実感できた。

約1時間半で5kmを歩ききると、クロコダイルの池につく。

余りに美しい光景なので、ここに40分くらい滞在して、テラスでゆっくりしたり、猫と遊んだりした。

旅の途中でであったスイス人のバックパッカーは、こっちのクロコダイルのほうに宿泊した、と言っていた。
「クロコダイル見えたの?」と聞くと、「見えた見えた、とっても良かったよ」と言っていた。
なので、クロコダイルが見たい人は是非こっちに泊まってください。

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南ベトナム旅行(1) - 新興国での日本の存在感を考える

2010-10-06 08:57:08 | ●ベトナム旅行記

ご無沙汰しております。
約1週間のベトナム旅行から帰ってきました。
サイゴンでは@elm200さんや@koshianさんたちにもお会いしてきました。

今の私の心の中は、ノーベル化学賞が誰になるか気になって仕方がないところではありますが、
そんなことはともかく、ブログではベトナム旅行記をしばらく書こうと思います。

1. サロンパスがベトナムで普通名詞として使われてる件

ベトナム航空が理由もわからず6時間も遅れ、ホーチミン空港に到着したのは夜中だった。
翌朝は早起きして、その辺の屋台でフォーを食べた後、ホテルに迎えに来たツアー会社と落ち合う。
サイゴンより北に車で4時間ほど行った、カットティエン国立公園のジャングルの中で一泊するのだ。

ツアーガイドは、英語が上手な50代後半のベトナム人男性のNさんだった。
この世代でこれだけ英語が出来るのは理由があるわけで、だからベトナム戦争以降の共産一党体制中はいろいろご苦労なさったんだろう-そういう貌をしている。
車がサイゴンを出るか出ないかのころから、道路にあるもの、出会うものを次々と紹介してくれる熱心なガイドさんだった。

北上するうち久光の「サロンパス」の工場があった。
Nさんはサロンパスが大好きの様子で、「サロンパスは本当にベトナム人の役に立ってるんだ。」と言う。

ベトナムでは稲作が盛んで、国民の多くは農民だ。
田んぼを耕すための農業機械が不十分なので、未だに多くの人が手で田植えしたり収穫している。
腰に負担のかかる作業が多く、多くの農民が腰が曲がっていて、腰に起因する病気も多いそうだ。

Nの説明によると、サロンパスはベトナムの農村を中心に爆発的に普及。
湿布薬として、腰痛治療にサロンパスが使われているのだという。
その結果、「サロンパス」は普通名詞のように使われてるらしい。
他の会社の製品もあるかもしれないが、ベトナム人はどれも「サロンパス」と呼ぶのだそうだ。
私たちが宅配便を何でも「宅急便」と呼んだり、消臭剤スプレーを「ファブリーズ」と呼ぶようなものか。

その国の国民全体のニーズにマッチして、他社がマーケティングする間もなくあっという間に普及すると、
こうやって商品名が普通名詞になったりするんだなぁ。

そういえば、ベンタイン市場から見えるサイゴンきっての中央広場にサロンパスの宣伝が出ている。
何故に着物姿にサロンパス?と思ったが、これで浸透してるらしい。

2. ホンダのエンジンだけがやたら売れる理由

サイゴンの街は、ものすごい数のオートバイが走っており、圧倒される。
例えば交差点とか、いつもこんな感じなのだ。

これが走り出すとこんな感じになる。

すさまじい排煙で、しばらく歩いてるとのどが痛くなるものだから、私もサイゴンで流行の大きなマスクを買って歩いたほどだった。

3日目の夜に会った@elm200さんも普通にバイクだったし、ベトナム在住の日本人もみんなバイク。
ガイドのNによると、現在サイゴンの人口は850万人らしいのだが、バイクの数は400万台あるそうだ。

そこで圧倒的なシェアを誇るのがホンダだ。
さっきの「サロンパス」ではないが、バイクのことを「ホンダ」と呼ぶ人がいるくらい、浸透している。
その結果、Nによると「中国の企業がニセモノのホンダを出してくる」のだという。

ところが本物のホンダとニセモノのホンダでは、全く走りが違う。
エンジンが全く違うのだそうだ。
だから、多くの若者はニセモノとわかっていながら中国のニセホンダを買い、
ホンダのエンジンを別途手に入れて、整備工場に出してエンジンだけ変えてもらうんだそうだ。
その結果ホンダのエンジンが売れているらしい。

先進国に住む多くの人は「中国っていつもニセモノ」という共通認識があるが、ベトナムにもこの認識があるとは。
そういえば、私の同僚のインド人も、一緒に万里の長城に行ったときだったか、
一般の観光客が見れる場所は全て補修されて新しくなってるのを見て、
「中国は、万里の長城までFake(ニセモノ)なのか!」と言って中国人の同僚を怒らせていたが、
インドでもそういう認識なのかもしれない。

ホンダの話なのに、ついつい中国の話になってしまった。

3. 日本の援助で作られたたくさんのインフラたち

カットティエン国立公園に行く道すがら、街頭の数が不自然に多い道があった。

写真の道の右側に注目。

これ、日本にだけ住んでる人から見ると不自然に感じないのかもしれないが、
海外旅行に多く行ってるとか、特に途上国に多く訪れている人から見ると、不自然極まりない。
だって、この道の周辺にあるのって、掘っ立て小屋みたいな家ばっかりなんだよ?

ほらここなんかジャングルの中。

おそらく米国ですら、この半分以下の数しか街頭なんてとかないだろう。
これだけ道に街頭が多いのは、私は日本と韓国でしか見たことがない。

というわけで、この道は日本の援助で、日本のゼネコンが作ったのではないか、と仮説を立てて、
ガイドのNに聞いてみたところ、大当たりだった。

「ベトナム中部に、日本の援助で水力発電を作ってもらったんだ。
 そこからサイゴンの街までの高速道路(この道)と送電線も日本のお金で作っている」

とのこと。他にも、サイゴン市内からメコンデルタのミトー市に至る高速道路とか、メコンデルタにかかる大橋とか、
あらゆるところに日本のODAや円借款が入り、日本のゼネコンが入っている。
他の橋とか道路に比べて圧倒的にきれいできちんと作られてるので、日本人が作ったのがすぐわかる。

日本人ってすごいなぁ、とつくづく思った。
お金を出すのもそうだけど、80年代、90年代とベトナムに長期滞在し、ベトナム人のために橋や道路を作ってきた日本人たちがいるんだな、と。
それも、途上国だからって手を抜かず、(街頭の数まで)日本レベルのクオリティでつくりこむのだ。

でも、これだけ作っても、日本人の感覚は「戦後補償」なんだろうか。
今ベトナムといえば、新たに作る原子力発電を誰が納入するかで、フランス、韓国と争っており、
新幹線にいたっては数年前から、フランス、中国と争っている。
日本はこれだけ、ベトナムのインフラを作り、貢献しているのに、今やもう勝てそうな雰囲気がない。

「援助と商談獲得を結び付けたくない」という日本人の潔い気持ちはわからないでもないが、
いまどきそんな国が他にどこにあろう?
帝国主義の欧米諸国だけではない。
先進国相手には途上国のふりをして援助をもらいつつ、その金でアフリカに「援助」して資源を確実に押さえている隣国などもいるのに。

日本が元気だった90年代初めまでに進出したホンダやサロンパスの恩恵にあずかりつつ、
最近のかの国のふがいなさに思いをはせるのだった。

ロンリープラネットの自由旅行ガイド ベトナム
ニック・レイ
メディアファクトリー

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