My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

「グローバル化」は今、質的に大きく変容している

2011-05-20 23:37:51 | 1. グローバル化論

最近の私は、ずっと日本企業の「グローバル化」にこだわっている。
仕事の合間を縫って、企業組織のグローバル化に関して長編の文章を書いているし、
本業でも、企業を組織的にグローバル化する手助けになるものを主軸に仕事をしている。

どうも私は日本という国が好きで、自分がグローバルな経験をさせていただいても、この国を何とか再生したいと思っているらしい。
そして、その際、長期スパンで日本の経済を立ち上げる方法は、二つしかない、と考えているのだ。

ひとつは、今までに何度も書いてきた。
ベンチャーが立ち上がりやすく、成功しやすい世の中にすることで、次世代の経済成長の柱になる新しい産業を産み、育てていくこと。
(参照:日本にシリコンバレーが必要な理由

もうひとつは、既存の産業において、既存企業をグローバルに拡大し、日本以外の市場、特に新興国をメインに収益を上げられるような組織に変えていくことだ。
(突っ込まれる前に書いておくと、既存企業×新規産業は組織的事由で困難であり、ベンチャー×既存産業は余り成長の糧にはならない。)

MITに留学して、前者の必要性に確信を持ったけど、まだ力不足なので、評論家的なことしかできないな、と思っている。
一方、後者は私がコンサルティングという仕事を通じて出来ることなので、こだわってるというわけ。
(また、こうすることで、グローバル化の理想論と、現実の厳しさの違いが良くわかってくる)

1. グローバル化の質的な変化①-対象地域の変化

さて、読者の皆様には「いまさらグローバル化?」と思う方がいるかもしれない。
「グローバル化」という言葉が良く使われるようになったのは、1990年代の後半。
それ以来、企業はグローバル化を掲げて変化しようとしているからだ。
しかし、今後企業に必要になる「グローバル化」は、かつてより使われてきた「グローバル化」とは、質的に大きく変わってきていると私は思う。

一つ目は対象地域の広がりの変化だ。
「グローバル化」という言葉が流行り始めた1990年代後半は、どの先進国の企業にとっても、
まだ米国やヨーロッパ、日本などの先進国だけが市場として捉えられており、
先進国へ拡大することが「グローバル化」と呼ばれていた。
当時のデータや資料を読むと、ROW(Rest of the World)という言葉が良く出てくる。
市場は、米国、ヨーロッパ、日本、ROW(その他)というくくりでしか見られていなかったのだ。
したがって、それこそ2006年頃まで、家電や自動車などの製造業でも、流通でも、金融でも、
「米国やヨーロッパでのシェアを増やさなければ」という意識で、経営課題が設定されることが多かった。

当時は、中国は「世界の工場」と呼ばれ、安価な労働力を活用した生産拠点としか捉えられておらず、まだ市場として大きな存在感は持っていなかった。
中国以外の新興国はほとんど注目されておらず、BRICという言葉すら存在していなかった。

ところが今後必要になる「グローバル化」は、もはや先進国への進出の拡大ではない。
先進国市場とは質的に異なる未知の市場である、新興国への拡大である。
新興国の経済規模は大きく増加し、安価な労働力の供給源としてだけでなく、市場としての魅力も高まってきている。
2025年には新興国のトップ7カ国のGDPはG7、つまり先進国トップ7カ国のGDPを上回る。
経済規模の伸びに比例して市場は拡大する。
企業は新興国に進出して事業を構築するだけではなく、先進国とは質的に異なるこれらの地域のニーズを取り入れた製品やサービスの開発、設計をする必要が出てきている。

2.グローバル化の質的な変化②-組織のグローバル化

もうひとつの変化は、この地域の広がりの変化に伴って必要になる、組織そのもののグローバル化である。
新興国の存在感が高まるにつれ、日本市場しか知らない日本人、または先進国の人間だけで企業活動を行うことが困難になっている。
研究開発や経営も含む全ての機能で、グローバルな人材を活用する必要が出てきているのだ。
これは、新興国の優秀な人材をどんどん採用して、活用できる組織にすることと、グローバルな視座を持った日本人を育てて、地域的に展開していくことの両方である。

かつての「グローバル化」は、海外の販売拠点を強化してシェアを上げるとか、
生産拠点を海外に移し、現地の労働者に日本的な生産の真髄を教え込むなど、
一部の企業活動のみをグローバル化することを指していた。
ところが今や、販売や生産だけではなく、更に上流の活動である、製品やサービスの設計、研究開発、さらには経営における戦略の策定や組織の設計といった企業活動でも、グローバルな視野を持った人材を自国・他国問わずに活用する必要が出てきているのだ。

これには複数の理由がある。
世界的にニーズの変化が急速になっているため、各国の市場を良く知っており、すばやい意思決定が出来ることが企業にとってより重要になってきていること。
特に新興国という先進国とは質的に異なる市場が拡大し、製品・サービスの開発、設計から販売方法に至るまで異なるものが要求されていること。
新興国が豊かになるにつれ、安く優秀な人材が輩出されるようになり、彼らを活用しないとコスト的に勝てなくなってきていること。
こういった人材を活用し、コスト競争力のある新興国の新興企業が、徐々に製品やサービスの品質を上げ、
新興国市場において大きく先進国企業のシェアを奪い始めていること。
これらの動きを受けて世界の多国籍企業が企業活動や組織のグローバル化しており、この動きを更に加速させていること。
このような理由で、もう日本人だけで日本企業をやっていく、というのが不可能になってきている、ということである。

製造業や流通など、国境なく世界市場を相手にしなくてはならない一部の産業で、
グローバル採用とか、英語社内公用語化が行われるようになったのはこういう背景だ。
しかし、単純に優秀な外国人を採用したり、社内で英語をしゃべったりするだけでは不十分なのは明らかだ。
グローバルな視座を持ち、世界で活躍できる日本人の経営人材を育てる仕組み、
「グローバル採用」した日本人以外の社員が、壁を感じずに活躍し、経営幹部として育っていく仕組み、そういったものをつくっていく必要がある。

じゃあそれをどうやってつくるのか、
長期的には出来そうだが、すぐにでも組織をグローバル化させないと競合に負ける、どうすればよいか、
既存の日本的な組織と両立するにはどうすればよいのか、などの疑問が出るだろう。
それに答えるために、色々書いてます。(どこかで外に出そうと思うのでお待ちください。)

このブログ内の参考記事:
日本でも転職を前提とした就職が当たり前となる時代 (2011/01/29)
日本企業は社内公用語を英語にしないともう世界では生き残れない (2011/06/19)
日本にシリコンバレーが必要な理由 (2010/06/03)
飢えを忘れた日本企業 (2009/04/21)

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14 Comments

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「Think Global」してる? (T.Minami)
2011-05-06 10:56:25
いつも?(すいません。正確にはたまに。。笑)拝見してますが、はじめてコメントします。

私はいわゆるグローバルな外資からベンチャーも経験してますが、個人的に思うのはグローバル化って単に経営層の意識の問題でもある気もします。
(そこが一番難しいのはわかりますけど)

米系外資もグローバル化と掲げつつ、Lilacさんも少し触れていますがいわゆる「Think Global」ではなく「Think US」になっているケースが多いと感じています。
(マクドナルドの原田さんも指摘していましたが)

これを解決する一つの提案としていつも思っているのは今後一番の成長市場だと判断した新興国や地域にトップ含めた経営層をそのエリアに移住させて、経営判断するのがいいんじゃないかと(少し乱暴で課題も山積ですけど)。

で、それを長期的に繰り返す(笑)。

余談ですが、社内の英語化もそうですけど日本ではなく本社機能を海外に移した方が早くね?と思ったり。

報告受けた知識より、これから狙っていく市場の肌感覚をトップがわかっているのは結構強みになるんじゃないとも思うし、経営判断も変わってくると思うんですよね。

そうすると必然的に会社全体の組織も価値観も活性化、多様化しませんかね?成熟した低成長な巨大な市場は下位の役員で十分回せるはずだし。
(日本企業はそこに優秀な人がいたりしますけど。。)

まぁいろいろ考えはあると思いますがグローバル化って、いつの間にか自分で造ってしまった壁を壊す作業だと思ってます。その手段として会社を変えることのできるトップの環境も変えてみては?ということなんですけどね。
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Unknown (zone)
2011-05-06 14:52:27
はじめまして。
上の方に同じく、いつも拝見していますがコメントは初めてです。

エントリの内容には概ね同意です。
それからこれを読んでいて思い出したのですが、αブロガーChikirinさんも似たようなことを仰っていました。よかったら読んでみてください。

「グローバリゼーションの意味」
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100407
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隣国のグローバル企業 (kumasuke)
2011-05-06 22:27:46
お隣の国、中国や韓国は大学生が就職して世界各国に散らばると聞きました。特に発展途上国へ行く社員が多いとか。
韓国のメーカの若い社員があらゆる国に赴任し、現地で人とふれあいながら新しい製品を作って提供するという社会になっているようです(1年間自由に、フラフラして、人脈を作るというのも仕事になっていたりしてました)。
中国の会社では携帯電話のアンテナ建設などインフラ整備までやっているという話をNHKの特番でやっていました(韓国の例もNHKの番組で観ました)。
どちらの例でも会社がお金出して、優秀な社員(やる気のある人、元気な人)を海外に赴任させていました。
Lilacさんの仰っているグローバル化は隣国で進んでいるように思います。一社員として、どうすればグローバル化に対応できるか悩みどころです。
日本企業が中国にある自社工場に行く場合、仕事を教える立場でなければ、非常に辛い立場に立たされます(少なくとも私が勤めている会社では)。経費削減で、海外赴任は抑えられてますし、海外赴任もハードルが高くなっています(笑)
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「グローバル化」を「収奪と憎しみと悲しみの連鎖」にしないために (heineken)
2011-05-07 10:00:44
1980年代前半に放映されたNHKの朝の連続TV小説「おしん」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%97%E3%82%93

が世界でも広く共感を持たれたことは、これからのグローバル化においても日本が進むべき道にヒントを与えてくれている気がします。

一定レベルまでの医療・衛生システムや、そもそも必要十分な食料があるかどうか、(「おしん」とその周りの人々の不幸と悲惨はまさにそれが原因だったのだから)、しかし、もう一方で、人はモノだけでは幸せになれないのではないか(おしんの奉公先の令嬢、「お加代さま」の悲劇的な最期がこれを伝えるエピソードの一つではないかと思います)、人の幸せとは一体何なのかということ、そういった深い内容を持った番組が海外でも広く支持されたことを考えると、どっかの国が実行しているような「兵器と札束」で特定の国の権力者と癒着して「ビジネスをする」やり方は、短期的利益をあげるには手っ取り早いかもしれませんが、世界中で広く支持された「おしん」という作品を生み出した日本のグローバル化は、違う行き方もできるのではないかと思うのです。

私にはどうしても分からないのは、経済新聞など、多くの論調の出発点が「経済成長を維持するには…」、「国際競争に負けないためには…」という所からばかり始まっていて、本当にそこまでの競争や成長が必要なのかどうか、もっと別の行き方は本当にないのか、そもそも何のためにそうするのか、という視点からの記事がほとんど見られないように思われることです。こういった態度では、単純に利害だけについて考えても、取引相手の国の多くの人々からは(もしかしたら「貪欲な権力者たち」からも?まあ、誰も信じない人種な気もしますが)本当の信頼は得られないのではないかと思うのです。

「松下幸之助の言葉」をまとめた出版物を読んだときも、Self Help の日本語訳判を読んだ際にも、うまく言えませんが、現代の日本からは(少なくとも私には)ほとんど感じられない躍動感、額に汗して勤勉に健全に働いて豊かになっていくことの清清しさを感じます。日本にも、産業革命期の欧米諸国にも、それがあったのであれば、たとえ時代が違い周りの状況が異なるとしても、新興市場でそれを再現することは決して不可能ではないと思います。
返信する
コメント有難うございます (Lilac)
2011-05-08 00:34:40
@T.Minamiさん
>今後一番の成長市場だと判断した新興国や地域にトップ含めた経営層をそのエリアに移住させて、経営判断させたほうが

それはたぶんやる人が少ないでしょうし、今まで日本にしかいなかった人たちが正しい経営判断が行えるか不明、と思ってます。そしてそれについて考察したのが「飢えを忘れた日本企業」の記事でして、これはコメント欄の議論も含めて示唆的なので是非お読みください。

個人的には、現地でやる気のある外国人を採用して、組織も変えていく、というのをやりながら、日本人のグローバル化を出来るだけ併用化してく、というのが解だと思ってます

@Zoneさん
ご紹介有難うございます。やはり皆同じようなことを感じているわけですね。

@Kumasukeさん
まさに。実は1980年代後半にグローバル化できずに苦しんでたアメリカ企業を尻目に、グローバルに成長していた日本企業とおなじく(GEの海外販売比率が10%だった時代に、ソニーは64%だったりしました)、今や韓国、台湾、中国企業が日本を尻目に組織全体をグローバル化させている。

そういう話も、今書いている原稿では具体的に取り上げて書いてるので、是非お待ちしていてください!

@Heinekenさん
成長することが本当に国民にとって幸せなのか、とは難しい問いです。
しかし私の問いはYes。ネパールのような仏教国など宗教などによる絆がなければ、国民の幸せには金銭的な豊かさはある程度必要である。
ヨーロッパは経済的には停滞しているが、500年間の繁栄のストックがあるから、幸せに暮らせる人は多い。しかし日本の繁栄のストックなんてたった50年分くらいしかないわけです。
そうするとフローが必要なわけで、それには経済成長しかないんじゃないか、という考え方です。
返信する
ブログ本文の行間について (ra-mi)
2011-05-08 08:30:00
いつも楽しく拝見させて頂いています。僕は米国大学にてデザインを専攻しているんですが、こちらのブログで素晴らしい記事を読むたびに、いつも少しもったいないといつも感じていたことがあるので書かせて頂きますね。

グラフィックデザインの世界では、行間の長さに対して非常に厳密なルールがあります。それは様々なリサーチから、一行にどれだけの文字情報を詰め込むと、人間の目で最も読みやすいかが分かっているからなんです。

このブログのデザインは、行間が長すぎるために、正直に言うと非常に読みづらくなってしまっています。もしブログの模様替えを検討される機会がありましたら、現在の半分以下の行間のブログデザインをお薦め致します。それだけでもかなり多くの人の目に優しいデザインになると思いますので。

ファンゆえの、おせっかいでした。笑 ではまた
返信する
Unknown (ra-mi)
2011-05-08 14:30:49
失礼しました、
上記のコメントをした者ですが、
【行間】→【1行の長さ】
の間違いでした。
返信する
「江戸時代モデル」をどう思われますか? (heineken)
2011-05-09 05:38:02
コメント返信ありがとうございます。

まず最初に、

>日本の繁栄のストックはたった50年分くらいしかない→フローが必要→それには経済成長

の「50年分のストック」の詳しい内容等を、機会がありましたら(今後の関連エントリー等で?)教えていただければと思います。

しばらく前に「江戸時代のエコシステム」の再評価がブームだったようですが(私はブームの内容は詳しく知りません)、約3000万人の人口(ただし、時々飢饉などによる「調整」あり)で200年以上一応安定的な社会経済システムを回していたと考えることはできると思うのです。石油も、プラスチックも、環境ホルモンも放射性物質もなく、食うや食わず状態の人も多かったとは思いますが、一応の安定と繁栄が有限の環境と両立していた(←実はそうではなかったという説もあるようですが)のであれば、その中から現代文明が学べるものはあると思うのですがいかがでしょうか。

次に、経済成長につきまして、

①現実問題としては、当面の経済成長については、私も不可欠だと思います。最大の理由は、今の社会経済システムは、経済成長なしでは崩壊するでしょうから。
 また、確か昔のドイツの文学作品か何かにあったと思うのですが、「人間は、幸せになろうと努力している時がいちばん幸せを感じる」動物なのであれば、そういった本能にも「成長型経済システム」は合っているのだと思います。

②しかし、歴史上の世界の多くの地域の文明は、必ずしも(ここまでの「勤勉な」)成長型社会システムではなかったのではないでしょうか。熱帯地方などは、近代文明を生んだヨーロッパとは全く異なる風土で、太陽の恵みと肥沃な土地で、あまりあくせく働かなくても充分暮らしていけて(もちろん、近代医療・衛生などありませんから、多産多死型社会で、沢山の小さな子供が、成長するまでに死んでいくでしょうけれど)、また、欧米人や今の日本人なら、予定の時間までに全員集まるところを、約束の時間から30分以内にやっと揃うような社会システムが、確かに今でも存在していると思います。

③グローバル化は、もちろん仮に誰かが反対したところで止められるようなものではないと思います。私は、人間を広い意味では地球上の生物種の一つとして考えることも必要(そして近年はもはや不可欠)と思っていますので、「成長モデル」も「停滞モデル」も、どちらも生物の生きる形としてはあり得ると思うのですが、もし一体化した土俵で「競争」をすれば、定刻に「きちんと」仕事を始めて朝から晩まで勤勉に働く文明の方が、「怠け者でだらしない」文明に勝つに決まっています(だから世界のほとんど全ての地域が欧米諸国の植民地になってしまったわけで)。

念のため申し上げますと、私自身は適度な競争がもたらす緊張感はむしろ好きな方です。逆に、ある種のユートピア的な思想には、「相手のいいかげんな所を大目に見て、自分のだらしない所も許してもらう」姿勢を感じて嫌悪感を覚える方です(自分の中にそういうだらしない所があるのが分かっているから、なおそう感じるのかもしれません)。

ただ、お伝えしたかったのは、一つは、グローバル化が世界中を「欧米型経済成長モデル」で塗りつぶしてしまうと、生物種の生き方の選択としては、リスク分散をしていないことになる危険があるのではないか、ということです。地球上の何割かは、「土地の所有権」などという概念を持たない文明があっても、それはそれで一つのあり方なんだから、その土地を「契約」書を交わして「合法的に」手に入れて強引に「我々の文明圏に組み込ん」だりしないで、そっとしておけば、何か近代文明の「想定外」のことが起きたときに、いいことがあることもあるんじゃないかなあ、と思うのですが。(儲かるのなら、地球上の寸土も見逃さない「史的システムとしての資本主義(←named by イマニュエル・ウォーラーステイン)」に対しては、あまりにユートピア的で(ヘタレ?)、私も今書きながら、まあ無理だわな。。。とは思うのですが、だけど、今回のことがあってからは、「あの石は決して掘り出してはいけない」という先祖代々の長年の教えを守っていたネイティブ・アメリカンの方が、もしかしたら「文明人」を気取っていた我々よりよっぽど賢いのかもしれないと思うこともあるのです。

④現実問題としては、グローバル化を進める(進めざるを得ない???)にしても、それらの仮説を考えに入れた上で、もう少しだけでも慎重に行動すれば、余計な悲劇は少しは減らせるのではないかと思いますし、おそらくは今後も「文明間の競争」の勝者であり続けるであろう近代西欧文明が、もう少しは謙虚さを持って行動すれば、「全力で間違ったコースを走って、大失敗してまた全力で長い距離を戻る(そしてその走った距離がGDPやらやGNPやらで、それが幸福を表す指標である!?)」といったような、冷静に考えたら、やはり無駄や犠牲が大きすぎる行為はしなくて済むのではないかと思うのですが。ただ、競争の圧力がそれを許さないのが現状なのでしょうか。

⑤だから現実的な解としては、どんな文明の形をとっていようと、人間共通の望みである、水と食料の安定供給、医療・衛生システムの普及、教育の普及(特に基礎教育と中等教育)、といった人間の幸福のために最も基本的と思われることの普及を、新興「市場」の経済成長と結びつけることはできないだろうか?と私は思うのです。(本来は、鉱物資源も、エネルギー資源も、そのために必要だから必要と考えるべきです。「経済成長が必要だから、資源(利権)の確保が必要だ!そのためには「原住民」は追い出して…」という発想は、(人間って、そう考えてしまうものだとは思いますが)、理念のレベルでは、「それは順序が逆!!!」とはっきり声に出して言わないと、世界のあり方が現実レベルでも違ってきてしまうと思うのです。

かつて、NHKビジネス英語講座のブレイクタイムコーナーで、「多数の人々を短期間、あるいは少数の人々を長期間あざむくことはできる。しかし、多くの人々を長期間あざむくことはできない」という言葉(リンカーン大統領?)を教わりましたが、(そのパロディで、「多数の人々を短期間、少数の人々を長期間あざむくことはできる。このコンビネーションで、我が社は回っている。というのもあって笑えましたが。。。) 実際、今の社会経済システムは、後者の喜悲劇的な姿を、ツケは全て未来の世代に回しながら、泣き笑えるくらいに忠実に全力で突っ走っている気がします。で、さすがにもう世界中の色々な所で段々多くの人にそれがバレてきているのかな、とも思います。もしそうであるなら、無限の成長を前提としていた「成長経済システム」を、有限の地球環境に合わせた形にまずは再編成し(ただし将来には、私は人類には宇宙に飛び出していってほしいのですが)、世界中の多くの人々に対して(例え世界観や宗教観が違っていても)、根本的なところで支持される、だから顧客にもなっていただける、そういう「商人道の真髄」を体現した日本流のビジネスの仕方はできると思うのです。

最期に、言語社会学者の鈴木孝夫先生の言葉を紹介させていただいて結ばせていただければと思います。(岩波新書「日本人はなぜ英語ができないか」(1999年)158~159ページ)

「…私は一人の日本人として、日本の文化文明には他の国に見られない素晴らしい点、美しいところがたくさんあって、それは世界全体の進歩発展に大きく寄与できると確信していますから、日本のあまりのアメリカ化には賛成できません。(中略)…更にまた、一つの系の中における、一見無駄で効率が悪いと思われがちな多様性と重複性こそが、系全体の長期的安定に不可欠な条件だという、地球生態学的な観点からも、日本を始めとして多くの国が、いまアメリカという単一の文明に収斂の度を深めていることは危険なことだと思います。」

実は今回いちばんうかがいたかったのは、

>どうも私は日本という国が好きで、自分がグローバルな経験をさせていただいても、この国を何とか再生したいと思っているらしい。

のは、なぜかだったのですが、これまでの記事でなんとなくヒントをいただけている気もしますので、引き続き考えながら、次のエントリーを楽しみにお待ちしたいと思います。

長くなってしまい、大変失礼致しました。
返信する
追伸 (heineken)
2011-05-09 05:47:35
コメント返信で触れていただいたネパールのことを少し勉強しました。その際に、すでにご存知かもしれませんが、ネパールの医療事情(1997年)のレポートを発見しましたのでお知らせします。

http://square.umin.ac.jp/ihf/news/1997/1121.htm
返信する
選択と集中 (大手町)
2011-05-09 08:25:36
事業ドメインでの選択と集中はよく言われますが、グローバル化の対象拠点でも選択と集中って当てはまるのではないかと思っています。
例えば、日本企業は先進国+東アジアは特異ですが、インドは苦手の筆頭格です。気候・食事・衛生・文化摩擦で駐在に行く人がいない。複雑すぎるサプライチェーンで末端にまで卸せない。
スズキはインドで成功してるので他の企業でもやれるはず、とも言われますが、そこまで相性が悪いとこ攻めずに他企業に譲って、新興市場なら南米あたりを攻めたほうが良いのでは?と思います。
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