My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

スマートフォン戦争の勝敗はついたのか

2012-05-12 23:58:06 | 2. イノベーション・技術経営

もう一週間も前のことになるが、今回のゴールデンウィークは、いろいろなニュースが流れてきた。特に一番印象的だったのは、夜中に私のTwitterに飛び込んできたCNETのこちらのニュース。分かっていたこととはいえ、今更グラフでちゃんと見せられると結構ショックだった。

Apple, Samsung put hammerlock on smartphone profits-CNET (2012/5/4)

携帯電話市場における「プロフィットプール」つまりその業界の企業が出している利益全体を、誰がどのように分け合っているのか。Asymco社が算出した結果、2011年第四四半期において、アップルが全体の73%、サムスンが26%、台湾のHTCが1%を取っているという報告がされたという。

そのニュースに掲載されていた、2007年からの業界のプロフィットプールのシェア変遷を描いたグラフがこちらである。
このプロフィットプールは、携帯電話業界全体なので、スマートフォンだけではない。特に2007年のころ、最大の利益を誇っていたNokiaは、スマートフォンではなく、主に新興国などで発売していたシンプルな携帯電話で業界全体の6割もの利益を得ていたのだろう。それがいまや殆ど利益を得られず、利益を出しているのはApple、Samsung。過去からの推移を見ると、その方向は固定化しつつある。

図中のSEはSony Ericsson、RIMはResearch In Motionつまりブラックベリー、SamがSamsung。後は会社名のまま。 


Credit: Asymco;  Through: CNET

このグラフから明らかに言えることが4つある。

1. もはやスマートフォンだけが勝ち組であり、スマートフォンにうまく移行できなかった携帯電話の王者は全て負け組に

旧来の携帯電話の王者であり、2007年には業界の6割の利益を享受していたNokiaの影は、2011年にはもはや無い。通話とメール機能を絞り、シンプルで安く使いやすいNokiaの携帯は、いまだに新興国におけるシェアはそれなりに大きいが、Android携帯などの攻勢に会い、かつての利益率を保てなくなってしまったのだろう。

私がMITに留学していた2009年頃、周辺でNokiaでアルバイトをしていた学生が結構いた。当時のNokiaは、Appleによるスマートフォン攻勢を迎え撃つために、独自のスマートフォン向けのOSを開発したり、マイクロソフトと共同開発しようとしたり、色々と模索しており、そのOSの開発や経営戦略策定のためにMITの学生がたくさん雇われていたようだ。しかし、この「独自OS」戦略は結局うまくいかず、Nokiaはヒットするスマートフォンの機種を出せずに終わってしまった。スマートフォンは、使えるアプリがどれだけリリースされるかなど、ネットワーク効果が重要であり、Winner takes Allの世界だ。デファクトを取れないOSはまったく普及せず、結局開発費だけがかさむ結果となってしまったのだろう。

2. スマートフォンにおけるAndroid v.s. Appleの戦いは、Appleの勝ち

次にいえるのが、勝ち組であるスマートフォンの中でも、明らかな勝ち組はAndroid陣営ではなく、Appleである、ということだ。上のグラフの中では、Androidによるスマートフォンを出しているのが、HTC、LG、Sony Ericsson、Samsungであるが、これら4社を合わせた利益は徐々に下がってきており3割に満たず、Appleが業界利益の7割を占めているほどに増加している。Appleの一人勝ちとなってしまった。

何故Android陣営は利益率が低いのか?主に考えられる理由は二つでは無いだろうか。

ひとつはただでさえAppleより価格が取れない中で、Android陣営内での差別化が難しいため価格競争が進んでいること。Android携帯は、ただでさえAppleのiPhoneに比べて価格を落として販売している。そのうえ、同じAndroidを使っている以上は、使えるアプリも同じなので、差別化が難しい。形状とか、色々違いはあるだろうが、価格に転嫁できるほどの差別化要素にはならない。その結果価格競争に陥っているのではないか、ということだ。

もうひとつはAndroidを利用するための開発費がかなりかさんでいるのではないか、ということ。MITには、GoogleでAndroidを開発していた人から、携帯電話会社でAndroidの開発をしていた人まで大量にいたが、彼らによると、GoogleがリリースしたAndroidは、そのままでは使い物にならず、各携帯電話会社がかなりの開発費をかけて、普通に携帯電話に使えるように開発を進め、その結果各社が開発費を相当負担することになったという。某携帯電話会社のAndroid開発部隊にいたMITの友人は、その企業が先んじてAndroidの応用開発を始めて、相当の開発費を使ってしまったのに、リリースが遅れたので赤字を生んだと話していた。GoogleのAndroid部隊にいたMITの友人は「Androidは無料だというが、あれはGoogleの宣伝であって、実際にはベースと鍵になるソフトの断片しかリリースできていない。実際の製品にするには企業が相当の開発費を使わなければ使い物にならないから「無料」では無いんだよ」と話していた。開発費は当然AppleがiPhoneを開発する際にもかかるだろうが、Android陣営は各社がそれぞれに開発費をかけているという無駄が生じている分、全体として損をしている可能性があるだろう。

3. Android陣営の中で唯一利益を出しているのはSamsungだけ

もうひとつ面白いのが、利益があまり出ていないAndroid陣営のうち、圧倒的に利益を出しているのはSamsungだけだということだ。LGやソニーエリクソン、そしてこのグラフに載っていないその他の日本や台湾の携帯電話会社が利益を出せずにいるのに対し、Samsungだけが大きな利益を出している。やはりGalaxy携帯などAndroid陣営の中で先んじてブランドを構築することに成功したため、それなりの価格プレミアムとシェアが取れていることが大きいのだろう。トップダウン組織ならではの、最初にどーんと先行技術に投資して、いち早く先端技術を提供することでシェアを取り、プレミアムを確保して利益率を取るというサムスンのやり方は、携帯電話業界でも成功しているといえるだろう。

4. 携帯電話業界において、旧来の携帯からスマートフォンに移行して利益を出し続けているのはSamsungだけ。ゲームのルールの変更にさっさと気がついて投資戦略や自社の体制を変えられたのが鍵。

最後に、旧来の携帯電話時代からずっと利益を出し続けているのはSamsungだけであるということにも注目しておきたい。いわゆる「イノベーションのジレンマ」とは少し異なるが、必要となる技術が変わり、勝つためのモデルが異なってきた場合に、新しい技術に移行して勝ち続けるというのは簡単なことではない。通常勝ち組企業は、自社が勝ち続けることが出来た仕組みに固執し、新しく必要になるモデルに移行できずに負けてしまうことが多い。たとえばNokiaの場合は、独自の安いOSに基づく垂直統合の構造で、安価な携帯電話を作り、ボリュームゾーン中心に大量に売ってきたのが旧来の携帯電話での勝ちモデルだったが、Appleに対抗して遅れて独自OSに取り掛かったのが負けた理由かもしれない。彼らがSamsungと同様、Androidを活用してボリュームゾーン向けのスマートフォンに早急に移行できていれば、Samsung並みには利益率を維持できた可能性もあるだろう。

一方Samsungは、ゲームのルールが変わってきたのを早急に察知して、Galaxy携帯のようなものをいち早く出すなど、新しい体制に移行できている。これが技術が変わっても利益を出し続けていられる理由だろう。

携帯電話業界のように、技術が次々に進歩する世界では、勝つためのモデルが変わってくることは多い。そして、もともとの勝ち組だった企業が、自社のモデルに固執して、新しい技術で負け組となってしまうことが頻繁に起こる業界だ。携帯電話というものを開発し、1G携帯では王者だったモトローラが、2G, 3G携帯でNokiaに負けていったように。現在のスマートフォンでは、完全に勝ち組となったAppleであるが、ポスト・スマートフォンでは、心して変化に対応していかなければ、負け組となってしまう可能性は高いだろう。特に、垂直統合によって強みを発揮している企業は、一般的には業界の変化には弱いこともあり、Appleは注意して業界動向を注視し、変化に投資していく必要があるだろう。

(Special Thanks to @linsbar, @Kelangdbn, @muta33 and @mghinditweklar for additional Twitter discussion)

(追記)「市場シェアで見ればAndroidの方が高いはずでおかしい」という声をTwitter等で頂きますが、市場シェアが高くても利益率が高いとは限りません。寧ろ、Android陣営は利益率を犠牲にして、市場シェアを取っているという言い方も出来るかもしれません。

(参考)市場において、製品の「ドミナント・デザイン」(市場でこの製品はこの形状、形とみんなが認めるデザイン)が決まってくると、市場に残れる企業数が減っていく、というのがUtterback先生の研究。理由は、ドミナント・デザインが決まるとWinner takes Allの様相が強まるので、利益が出る企業数が限られるようになるから。私もMITにいたとき実証研究をやったんだけど、たとえば液晶テレビの場合は以下。ドミナント・デザインが決まったと思われる2005年以降、Exitする企業が増えて、市場にいる企業数が減っていった。スマートフォンにおいても、これと同様のことがもう起こり始めているといえるだろう。

その他、Utterback先生の本ではあらゆる業界において検証がされているので紹介しておく。

Mastering the Dynamics of Innovation
Harvard Business School Pr

この本の日本語版は絶版になってるので、英語版を紹介しておく

このアイテムの詳細を見る


グーグルとフェースブックの「情報共産主義」

2012-05-02 21:30:17 | 2. イノベーション・技術経営

1. クラウドに入れた私の情報をGoogleが勝手にいじってもいいの?-何故Googleは「公開」したいのか

Googleが新たに始めた個人クラウドストレージサービスGoogle Driveの利用規約が、アップロードした情報のGoogleによる利用を可能とすると謳っていることがひとしきりTwitterで話題になっていた。

How far do Google Drive's terms go in 'owning' your files? - ZD.net

この記事(英語)にあるように、同じクラウドストレージの競合に当たる、DropboxやMicrosoftのSkyDriveの利用規約には、「ストレージにアップロードしたあなたのファイルやコンテンツはあなたのものです」と明示してあるのに対し、Google Driveでは「ストレージにファイルやコンテンツをアップロードすることで、あなたはGoogleがそれを使用したり、変更したり、公開したり・・する権利をGoogleに与えることになります」と書いてあるのが問題になっているということだ。この記事に出ている、実際のGoogleの規約を引用して訳してみよう。

Google Drive ←全文はこちら

Your Content in our Services: When you upload or otherwise submit content to our Services, you give Google (and those we work with) a worldwide licence to use, host, store, reproduce, modify, create derivative works (such as those resulting from translations, adaptations or other changes that we make so that your content works better with our Services), communicate, publish, publicly perform, publicly display and distribute such content.

The rights that you grant in this licence are for the limited purpose of operating, promoting and improving our Services, and to develop new ones. This licence continues even if you stop using our Services (for example, for a business listing that you have added to Google Maps).”

私たちのサービスにおけるあなたのコンテンツ:あなたが私たちのサービスにコンテンツをアップロードしたり入れたりすることで、あなたはGoogle(および私たちと一緒に働いている企業)に、それらのコンテンツを利用したり、ホストしたり、ためたり、複製したり、変更したり、派生するコンテンツ(翻訳などあなたがサービスを利用するために便利になるようなもの)を生成したり、コミュニケートしたり、公開したり、公開で操作をしたり、そのようなコンテンツがあることを公開したり、頒布したりする権利を与えることになります。

あなたが認める権利は、私たちのサービスを運営、宣伝、または向上する、そして新しいサービスを開発するという限られた目的のためのものになります。このライセンスはあなたがサービスの利用をやめたとしても継続することとします(たとえばGoogle Mapに加えられたビジネス情報など)

おそらくGoogleが考えていることは、持っている英語文書などをGoogle Driveなどに突っ込むと、自動的に日本語などに翻訳し、別ファイル名で保存しておいてくれるなんてサービスかもしれない。あるいは、保存した名刺の住所録などの情報をGoogle Map上に載せてくれる(もちろん自分しか見れない)という程度かもしれない。最初は多くの人が抵抗するけれど、実際に使ってみたら「結構便利」、といういつものGoogleのパターンかもしれないのだ。たとえば、自分の検索履歴が次回の検索に生かされるGoogleのサービスも、最初は「え、検索履歴情報なんてGoogleにあげちゃうの?」とドキドキしたかもしれないが、使い始めると(過去の検索履歴を同僚や友人に見せるヘマをしない限り)個人情報が外に漏れることも無く、便利だということに気づいた人が大勢だった。

Googleはクラウドに入れた私の情報を「所有する」と言っているわけではない。Googleは勝手に、複製して改変したり、公開したりするだけであり、所有権は私にある、と言っている。しかし、それでは「私が所有している」ということには実質的にならないのではないか?という素朴な疑問を持つ。情報は、複製したり、秘匿性が失われることで、価値が下がる可能性があるからだ。

対するDropboxやマイクロソフトのSkyDriveが、ストレージに入れた情報は「あなたのものだ」ということを強調するのは、まだ「クラウドサービス」という概念に不安を覚える人が多くいるからだ。ITの世界にどっぷりつかっているひとには、ばかげていると思えるかもしれないが、自分の持っている自分の情報を自分で「所有」していたい、と感覚的に思う人は多い。自分のPCに保存しておかないと不安、という人はまだまだたくさんいる。だからこそ、利用規約の中で散々「あなたのものは、あなたのものです。われわれは一切所有権を主張しません」と強調しているのである。クラウドサービスを本当に裾野まで普及させようと思うなら、こういう「感覚」を大切にするのが大事だと思う。Googleには悪意はなく、ただちょっと先走りすぎちゃったのかもしれないけれど、だとしたらこういう「感覚」への思いやりがちょっと足りなかったかもしれない。

それにしても、一番気になるのは、「公開する」「そのようなコンテンツがあることを公開する」という部分だ。もちろん許可なく公開することは無いんだろうが、いつの間にか「公開してもよい」にチェックを入れたり、「I Agree」していたりするんじゃないかとひやひやしてしまう。個人クラウドに入れた情報を、Googleは「公開する」ことにこだわっているようにどうしても見える。

2. 情報を公開し、みなで共有することで、世界は良くなるのか-それって私有財産制の否定?

何故、Googleは情報を公開し、共有することにこだわるのだろうか?
Google創始者の一人であるセルゲイ・ブリンが、GIZMODEのインタビューで次のように答えている。

"I am more worried than I have been in the past. It's scary... There's a lot to be lost. For example, all the information in apps – that data is not crawlable by web crawlers. You can't search it."

私は前よりもずっと心配している、正直恐ろしい・・・ 沢山のものが失われてしまう。例えば、全ての情報は今アプリの中にある。データはWeb上をうろうろしても出てこなくなってしまう。検索できなくなってしまうと。

Sergey Brin: Web Freedom Faces Its Greatest Threat Ever-GIZMODE(2012/4/16)
(セルゲイ・ブリン:Web上の自由は、今かつて無い脅威に直面している: Thanks to @daisuke_kawada さん)

昔、インターネットが出来たばかりの2000年ごろは、情報がさまざまなところに溢れていた。溢れすぎて、混沌としてしまったところに出てきたのが、Yahoo!のようなリスティングサービスや、Googleのような検索サービスだった。こうして、混沌は収まった。

ところが、今度は人々が情報を隔離して所有し、外から見えないようにしてしまったのだ。例えば、新聞や雑誌社が、自社のコンテンツをGoogleで検索できない紙のコンテンツからウェブ上に移行して、公開してくれるようになったのに、Webアプリが便利になったおかげで、記事を有料化して囲い込む流れが起き、Googleで検索しても表示することができなくなってしまった。アメリカの新聞であるウォールストリートジャーナルは、長いこと無料のコンテンツを出していたが、iPadやWebでの有料配信をきっかけに、どんどん無料で見られる記事を減らしていった。その結果ウォールストリートジャーナルのオンライン購読者は増え、同社の利益は向上したが、これらの情報はGoogleで検索して読む、ということが出来なくなってしまっている。

あるいはAppleのiPhoneやiPadの普及で、さまざまなコンテンツがアプリを通じて提供されることで、Googleではその内容が検索不可能になってしまった。すなわち、人々が情報を所有し、囲い込むようになったことで、Googleで便利に検索できる領域がどんどん減ってしまっているのである。

ビジネス的にセルゲイの発言を解釈すれば、検索の元締めとして利益を得ているGoogleにとって、自社が検索できない情報が増えてしまえば、Googleの検索サービスの価値は毀損するから、その流れに反対するのは当然だろう。もし仮に、そんな金儲けはGoogleにとってどうでもよくって、単純に「世界をよりよくする」という精神から発言していると考えれば、人々が情報を囲い込むことにより「世界中の情報に誰もがアクセスできる」という時代は終わり、もとの紙の世界と同じになってしまう。それではまた不便な世界に逆戻りではないか!と言いたいのかもしれない。

これは、私有財産制の登場に似ているかもしれない。
かつて狩猟採集民が、野生の動物を狩り、魚を獲り、落ちている木の実を採集して生活していたように、初期のインターネット民は、野生の情報を狩り、文章を獲り、落ちている画像を採集して生活していた。端末さえあれば、お金が無くても、最先端の人と同様の情報を得ることが出来るようにしたのだ。(その端末すら、Googleは価格破壊を起こしたのだ。いまや新興国のミドルクラスでもスマートフォンが使えるようになってきているのは、Androidの普及によるところも大きいだろう)Googleはこのように情報にアクセスするコストを下げ、アクセスしやすくすることにより、どんな環境に育った人々も、下克上する可能性を高めてきたといえる。

ところが人々は土地を所有して、農耕をすることを覚えた。そうすることで、毎年安定した収穫を得られるようになった。農耕技術が進み、土地を囲い込むことで収益を得られるようになるほど、土地は「みんなのもの」ではなく、それぞれの人が所有に収まっていった。奴隷制が生じ、人々の身分は固定化した。こうして「私有財産制」が始まった。

情報の世界も同様だ。Webアプリの技術が進化し、新聞や雑誌や書籍を紙で読むよりも、ネット上やiPadのような端末にダウンロードして読むほうが便利になった。そうなることで、紙の時代よりも逆に堅固なセキュリティのなかに、情報が閉じ込められてしまったのだ。(例えばGoogleが全ての本をスキャンして、検索可能にする、なんてことがより難しくなってしまった。紙の本なんて、セキュリティゼロだったのだから!) こうして私企業や人々が情報を囲い込むことで、安定した収益を得られることを、企業や個人が知ってしまったからである。こうして、情報は、「みんなのもの」ではなくなろうとしているのだ。

3. だとしたらそれって「情報共産主義」?

Googleが「公開」にこだわるのは、このようにして「私有財産」化し、持たざるものが簡単に手に入れるのが難しくなった情報を、再度「みんなのもの」に戻そうとしているからではないか、と私は思っている。同じことが、フェースブックにも言える。フェースブックは、個人の持つ情報を、出来るだけ公開することで、世界をよりよくしようとしているという。自分たちが収益を上げていることですら、より良いサービスを提供することで、世界を良くしていくためだと、ザッカーバーグ氏は述べている。

マーク・ザッカーバーグの投資家向け公開状―「私たちは金もうけのためにサービスを作っているのではなく、よいサービスを作るために収益を上げている」-TechCrunch(2012/2/14)

ザッカーバーグ氏は、お金儲けをして、貯めたり使ったりすることには興味は無いのだろう。「収益を上げるのは、次世代のR&D投資を行うためで、それによって世界を良くしていくためだ」と本気で言っているのかもしれない。かつて、レーニンや毛沢東がそうであったように、自分の身は粉にしても、人々の情報を公開して、より良い世界を作ろうとしているのかもしれない。

この考え方は共産主義に近い考え方に思えるので、私は「情報共産主義」と名付けることにした。(Thanks to @tamai_1961 さん)かつて、共産主義国家でその思想が始まったときに、私有財産は全て没収された。没収されることで、世界が本当によくなっていくのであれば、喜んで財産を投じるという人も多かっただろう。しかし、結果は本当にそうなっただろうか?

「情報共産主義」をGoogleやFacebookが掲げるとしたら、私たちが問われているのは、そういった人たちに、全ての情報(財産)を任せることで、世界をよりよくすることに使ってもらうかどうか?ということだ。私たちは、その人たちをどれだけ信用できるのだろうか?

例えば、彼らがもしIPO(上場)したらどうなるだろうか?株主は、資本主義の中で、当然「儲けること」を是と考えるだろう。実際、Googleは上場しており、儲けることも彼らの役目のひとつだ。実際に、世の中の全ての情報が公開され、共有され、「みんなのもの」になったときに、一番儲かるのは、検索サービスにおいて最大のシェアを占めているGoogleである。公開された情報を、人々が探すために、全ての富がGoogleに流れ込んでくるのだ。それでも、Googleは本当に「Not Evil」といえるのだろうか?

あるいは、ザッカーバーグ氏は信用できたとしても、その彼を継ぐであろう次の社長はどうだろうか?ザッカーバーグ氏自身は、毛沢東の若い頃のように、農民と一緒に苦労して土地を耕し、既得権益者から奪った情報を公開し、読みやすくすることで、人々に便利な情報を与えているのかもしれない。でも後継者は全てが毛沢東やレーニンの若い頃のような苦労を実践するのだろうか。単純に、GoogleやFaceBookという新たな既得権益者を生んだだけではないだろうか?

このように考えていくと、人々の理想だった共産主義が、ソ連や多くの国で崩壊したのと同じような危険性を、GoogleやFacebookが掲げる「情報共産主義」にも感じるのである。結局のところ、GoogleもFacebookも自社の利益を最大化したい私企業であり、創業者がどんなに世界を変えようとしていたとしても、結局のところ、私たちの情報を取得することで、より大きな広告収入などを得ようとするだけに終わってしまう可能性が高いのではないか、と思っている。歴史がそれを示しているように思うのだ。


明治時代からグローバルなニーズを捉えて成功した日本の工業生産

2011-03-10 14:35:00 | 2. イノベーション・技術経営

今週は私は休暇で、論文のようなものを家に缶詰になって執筆している。
その過程で面白い話を見つけたのでご紹介。

日本ブランドの工業生産の輸出は、戦後のイトヘン・カネヘンとか、ソニーのトランジスタラジオやトヨタの車などで始まったイメージの人も多いかもしれないが、実は戦前からかなり盛んに日本ブランドの構築と輸出が行われていた。
その一つが、生糸(絹糸になる前段階の糸。これを撚ることで絹糸が出来る)の輸出である。

明治政府の「殖産興業」の政策の一つは、「貿易による外貨獲得」であった。
1868年(安政5年)に開国した日本が当時輸出できるものといえば、農産品の生糸と緑茶くらいだった。
が、緑茶の方は当時のグローバル市場ではインドの紅茶に徐々に敗退しつつあった(参考)。
生糸は、次第に農業器具の改善が進んで手工業化が進んでいた農村で農婦が繭から糸車などを使って生産するものだ。(日本史でやったでしょ?)
当時、世界の生糸のシェアの大半を持っていたのは、中国(清国)製の安い生糸だった。
糸車を使って手工業で生産していた日本製の生糸は、量も少なく、品質も安定しない。
中国製も糸車で生産されたものだが、莫大な量が出ていたわけである。

そこで明治政府は、この生糸の生産を国を上げて工業化することにした。
これが1872年(明治5年)の富岡製糸所の創設である。
その後も民間の投資により次々と機械式の生糸生産のための工場が設立されている。

当時、生糸の最大の消費国はアメリカだ。
輸入した生糸を撚って絹糸を作り、それを加工して絹織物を作る工業が東海岸を中心に大きく発展していた。
このころ、アメリカではイギリスより遅れて産業革命が起こっていた。
それまで水車などを使って作られていた絹糸や絹織物が、蒸気機関などで機械化されつつあった。
そうすると、今までと異なり、良質でかつ均質な生糸が必要となる。
そんなアメリカで一番人気があったのは、ほぼ100%機械式で生産されるイタリアの生糸だった。
この市場に、国を挙げて機械生産をはじめた日本の生糸が徐々に食い込み始めたのだ。

この日本産の機械式生糸のブランド構築とマーケティングを行ったのが、富岡製糸所の所長を長く務めた速水堅曹、そして民間の製糸所を設立した実業家、星野長太郎である。
アメリカで行われた万国博覧会で、日本の最高級の絹糸を出品し、日本品の名声を高めた。
また、米国の絹織物生産者に直接アプローチして、日本品の宣伝をし、営業を行い、販路を構築した。
これらの設立者や工場の所長自身が、彼らの不満やニーズを聞き、それを日本の製糸所での生産にフィードバックし、改良していった。
少しでも日本製の品質が落ちた、といううわさを聞けば、その話を聞きにいき、改善に努めたのである。
当時は、米国での絹糸の機械生産だって、完全に安定したものではなかった。
だから、単なる品質向上ではなく、その状況に対応した品質の向上が不可欠だったわけだ。
経営・マーケティング用語で一時期流行になった「カスタマーバック」を、彼らは普通にやっていたことになる。

また、当時は日本は生糸など競争の激しい商品しか持っておらず、顧客を持つ外国商人に大きくリベートを取られ、買い叩かれていた。
これを防ぐため、ただ輸出するだけでなく、需要家に食い込んで直接売っていく「直輸出」が国家的にも至上命題だった。
それを受けて、これらの人々が、現地の仲買人や絹織物生産者と直接取引を行う商社の設立を提唱し、実際に設立を行った。
この商社を活用して、直接営業に行き、販路を拡大するだけでなく、顧客のニーズを知り、自社のブランドを高めるということがより容易に出来るようになってきた。
日本産の品質は、当時高品質の製品を輸出していたフランスやイタリアに勝るという名声が徐々にいきわたり始めた。

その結果、1906-10年には米国市場で、日本製シェアが5割を超えるほどになった。
一方、需要家の変化を察知せずに、いつまでも手動での生糸生産を行っていた中国は敗退していった。
(参考:生糸輸出と日本の経済発展(山澤逸平 一橋大学研究年報、経済学研究1975年)

世界一高品質であるという日本ブランドも、単なる品質の向上ではなく、需要家の声を聞いて、そのニーズに対応する形で品質を上げたことで成立したのだ。
また、現地で直接海外の需要家にアプローチできる商社などの機能を構築したのも、非常に大きな役割を持つ。

このように、グローバルな(といっても当時はアメリカ市場がメインだったが)ニーズを拾うことにより、「高品質ブランド」を築くやり方は、今になって始まったわけじゃない。
最近、家電や半導体などの分野で韓国や台湾製などの躍進が目覚しく、日本の十八番だった「高品質ブランド」が奪われつつある。
しかし、日本は明治時代の頃からこういうことをやって、成功していたわけであり、こういうところにヒントがあるのではないか、と思うのだ。

←面白かったら、クリックで応援してください!


携帯電話キャリアの収益性を改善するスマートフォン

2011-03-07 21:27:53 | 2. イノベーション・技術経営

この10年間、どの国でも携帯電話キャリアにとって、ARPU(一人当たり平均収入)の低下とデータ通信量の増大が悩みの種だった。これに加えてスマートフォン流行に従って、データ通信の量が爆発的に増えるのは、更なる苦悩だろうと私は最近まで思っていた。
ところが、どうやらそれをうまく回避するモデルに変わってきてるらしい。

そもそも携帯電話キャリアの収入源は、データサービスの無い10年前は音声通話だけだった。
その後日本のi-modeなどを皮切りに、世界的にデータ通信サービスが一般的になり、収入源が音声とデータの二つに増えた。ところが、音声収入がデータ収入に食われるようになり、ARPUが大きく低下。データ通信は通常どの国でも「定額」であり、それなのにデータ通信量は増える。つまり収入はどんどん減っているのに、コストだけはどんどんかかるという状況に陥っていた。日本に限らず、米国や欧州など各国のキャリアがほぼ同じ状況に苦しんでいた。

例えばNTTドコモの資料なんかを見ると、2006年からの5年間で、ARPUが月7000円から月5000円までに低下しているが、主に音声収入が激減したことによる。

これは、人々の携帯の使い方が音声からデータにシフトしたというより、携帯電話の保有者数が飽和に達し、競争環境が厳しくなり、全体として価格低下が起こったのが主な原因だろう。(実際上記のNTTドコモのページを見ると、MOU(通話時間)は減ってないのに音声収入が減っていることからも明らかだ)

前置きが長くなったが、このように一人当たりの収入は減ってるにもかかわらず、データをはじめとして一人当たり通信量、つまりコストは増えているというのが各国の携帯キャリアの悩みだったわけだ。スマートフォンはそれを加速する動きだと思っていた。ところがそうは問屋がおろさない、携帯電話キャリアの試みが色々見られる。シリコンバレーの人気ブロガー @michikaifuさんに下の記事を教えてもらったのでご紹介を兼ねて。

スマートフォン時代の通信量増と新旧サービスの併存にネットワークはどう立ち向かうか-WirelessWire News

まず、スマートフォンによって通信量が圧倒的に増えるのは確かだが、これをWi-Fiにオフロードする動きを加速させている。例えばキャリア自身が、Wi-Fiを活用した音声通話アプリなどの普及を図ったり、データ通信の増強を特にしないことで、自然とユーザがWi-Fi利用に行くように仕向けたりしている。

@michikaifu さんも指摘していたが、音声通話も定額制としているキャリアにとっては、契約者が自社のネットワークを使わずにWi-Fiを使ってSkypeをやるのは、むしろ歓迎すべき状況なのだ。出来れば自社のネットワークは使わず、WiFiに落ちていってもらえるとありがたい、これがキャリアの本音である。

これに加えて、特にトラフィックの多いヘビーユーザを、よりデータ通信コストの安いLTEなど次世代規格に流していくのが今後の戦略だろう。実際、米国携帯最大手のVerizonは2010年12月にLTEの展開を開始、Android携帯ユーザから徐々に流し始めている。通信料の増大につれて徐々にLTEを活用するようにうまく需要供給をマネージするのが、今後のコスト削減の鍵になるだろう。

一方収入の方だが、キャリアはスマートフォンの人気の高さを利用した実質値上げに踏み切っている。例えば米国のAT&TはiPhoneではデータ通信の定額50ドルだけでなく、音声の定額最低額が30ドルとなっており、その両方で毎月約80ドルの出費がマストになる。米国での平均ARPUは現在約50ドルであるが、スマートフォンに移行することでARPUを徐々に上げていくことが可能だろう。

実際、AT&Tをはじめとし、スマートフォンを推進する通信キャリアはARPUが徐々に回復している。2010年中は「AT&TのARPUが3.9%回復」なんて記事が毎四半期ごとに飛び交っていた。米国では今年2月から競合の最大手VerizonからもiPhoneが発売され、また競争環境が厳しくなるとは思うが、スマートフォンでARPUが増えるという状況は変わらないだろう。

というわけで、「Appleに美味しいところは全て吸収されてしまうのか」と思ったスマートフォンであるが、Androidでモトローラ、サムソンなど主要ハンドセットメーカーも参入し、競争が程よく激化したおかげもあり、キャリアにとっては収益性改善に使える道具となっていたわけでした。

過去の通信関連記事
アメリカ人だって超高速ネットが欲しいっ!-グーグル誘致の熾烈な戦い (2010/4/1)
いまさら3Gのカバレッジが問題になるアメリカ (2010/2/8)
米国はネットを高速化するつもりがないらしい(その2)-こまるのはGoogleでは(2009/10/20)
米国はネットを高速化するつもりがないらしい(その1)-バックボーンはつらいよ(2009/10/27)

←面白かったら、クリックして、応援してください!


「動詞になる」のはサービス提供企業の究極の目指す姿

2011-01-30 16:30:38 | 2. イノベーション・技術経営

日本語でも「Googleで何かを検索すること」は「ググる」という動詞になっているけど、
英語でも今やgoogleは普通に動詞として使われる。
例えば、

"I don't know this word.." "Google it!" (「俺この言葉知らない」「ググれよ」)
I googled the word to make sure I'm using it in the correct form.
(私は正しい用法を使っているか確認するため、その言葉をググってみた)

などなど。
Wikipediaではto google という動詞として登録されている。

それからSkype。
これも英語圏の日常語では、「ネットIP電話で会話する」という動詞で使われてる。
ためしにTwitter内で検索してみるとこんな感じの表現にたくさん遭遇するだろう。

I skyped my boyfriend last night  (昨晩ボーイフレンドにスカイプしてみた)
I'm skyping with my Dad now (今お父さんにスカイプしてるとこ)

ネット上のサービスだけではない。
ボストンを起点とする米国のカーシェアリングサービス、Zipcarも既に「Zipcarで車を借りて乗る」という意味の動詞として使われている。
例えばTwitter内を検索すると、

I zipcared my daughter to school (Zipcarで娘を学校に送った)
I had once zipcard a prius (プリウスを一度Zipcarで借りた)

などの表現が次々出てくる。

このように商品やサービス名が動詞になるっていうのは、最近のケースだけではない。
古くは、1961年にXerox社が出したコピー機がきっかけでxeroxは動詞になった。
今でも英語では、「コピーをとる」ことをto xerox という。

「書類のコピーが簡単に取れる」というのはすごいことだったので、圧倒的な速さで普及した。
それに伴って、photocopyという動詞ではなく、xeroxが動詞として使われるようになってきた。

サービスの名称が、動詞になるって、すごいことだと思う。(特に英語圏)
そのサービスや商品を使うことが、新しい行動様式として人口に膾炙し、定着したっていう証拠だからだ。
そのサービスが、単純で、分かりやすく、便利だからこそ、新しい行動様式になれる。
それって、サービスを提供する会社が、究極に目指したいところじゃないだろうか。
そして、どんな宣伝媒体よりも究極のPRなのではないか、と思う。

かつてはGoogleも「Google」を動詞で使われることに抵抗を示していたことがあったようだ。
商標であるGoogleを、Google以外のネット検索にも使われていることで、商標権が侵されると懸念していたらしい。
Twitterで下記の記事を教えてもらった。
CNET Japan-Google ググるの使用に難色 (2006年8月)

最近の新しいサービスを出す企業は、そんな商標権なんてつまらないことにこだわらず、
むしろ動詞として使われることを目指して、積極的にPR活動をしている。

例えば、ネット上の写真アルバムサービスのFlickr(フリッカー)。
アメリカではかなり普及している、デジカメで撮った写真などをネット上に保存したり、友達とシェアしたりするためのサービスだなのだが、
"flickr"を「ネット上に写真をUpする」という意味の動詞として使ってもらうよう、PRしている。

あるいはマイクロソフトの新しいネット検索サービスのBing。
Googleに対抗して、"Bing it!"などの言葉を流行らせようとしている。
流石に "I googled the restaurant with Bing"(Bingでそのレストランをググった)などという表現が使われるほど、Googleが人口に膾炙してることに焦りを感じていることだろう。

これから新しいサービスを出そう、という人たちは、「動詞になる」ことを目指してみたらどうだろうか?

「動詞になる」のは意外に大変だ。
まず、新しい行動様式を要求する便利なサービスで無ければならない。
同じ行動様式があるなら、それに対応する動詞が既に存在するからだ。

そしてそのサービスは、ひとつの動詞に集約されてしまうほど、シンプルで分かりやすい必要がある。
例えば、Googleはトップページに検索窓しかない単純さ。
あのページにアクセスして出来ることは、文字を入れて検索ボタンを押すだけだ。
だからこそ、"google"というひとつの動詞になったのだ。

究極的には、良いサービスは「動詞になれる」。
動詞になるほどのサービスだからこそ、広く普及する、ともいえる。
新しいサービスを出す企業にとって、サービス名が直接動詞になるのは、究極の目指す姿なのだと思う。

今、新しいサービスを立ち上げている人は、Let's XXX (←あなたのサービス名) ! なんて言われることを目指してみては?

←クリックで一票お願いします!


中国がレアアース輸出規制したって怖くない理由

2010-09-25 15:47:41 | 2. イノベーション・技術経営

尖閣諸島問題に関連して、中国が日本へのレアアース(希土類)輸出を禁止したという報道は、
中国当局は否定していたが、結局那覇地検が中国人船長の釈放をしてしまい、真偽がわからないまま終わってしまった。
今回はこれで終わったが、自動車や半導体、光学製品など日本が強みとする産業で使われるレアアースは、
世界的にも9割以上の産出を中国に頼っている状況だ。
中には中国でしか産出しないとされている元素もある。
日本の製造業にとって、政情の不安定さもある一国に資源を依存し続けるのは危険な状況だ。

実際、8月末にも中国がレアアースの輸出を制限している。
(参照記事:レアアース輸出拡大、中国側「ゼロ回答」―2010/08/29 朝日新聞社
世界的にレアアース需要が高まる中の独占状態なので、値段を吊り上げようという意図もあるだろうし、
中国の製造業企業に、日本などと比べて競争力を持たせたいという意図もあろう。
したがって、こういう一国に資源を全面依存をしている状況は、今回のような政治的な問題がなくても、
非常に危険な状態といえる。

で、今回は本当に中国が輸出規制してしまうと日本の製造業は終わり、なんて状況なのか、この中国レアアース問題をまとめてみる。

1. そもそもレアアースって何?レアメタルと何が違うの?

名前が似てるから良く間違えられるんだけど、レアアース(日本語では「希土類」)は化学的名称。
化学元素のIII族に属する17種の元素だけを厳密に指す。
一方、レアメタルは、単純に世界で産出量が少ない元素の総称で、レアアースも含む一般名称だ。

わかりにくいと思うので、以前話題になったPopsci.comの周期表を使って図示してみた。
青で囲まれてるのが、いわゆるレアメタルに認定されてる元素。
こうしてみると、結構あるわけです。
で、その中に含まれている赤で囲んでいる17種類の元素が「レアアース(希土類)」になる。

で、それってどんなところに使われるの?と思われるだろう。
昔から良く知られてる用途は、強力な永久磁石。
最近は、この磁石がハイブリッド車や電気自動車のモーターで使われている。
ネオジム(Nd)やサマリウム(Sm)に加え、最近ではディスプロシウム(Dy)といわれる元素が使用され、
安価で効率の良いモーターを作るのに役立っている。
したがって、ハイブリッド・電気自動車の最大の生産国である日本はもっとも打撃が大きいというわけ。
このあたりの磁石は、MRIなど医療用機器でも大活躍だ。

また光学用途として、レーザーを作るためのガラスににネオジム(Nd)、エルビウム(Er)、イッテリビウム(Yb)といった元素が使われたりする。
これらの元素が、特殊な波長の光を励起することが出来るので、レーザー用に向いている。
同様に、蛍光体でも大活躍で、これらは今やフラットパネルディスプレイには欠かせない元素だ。

その他にも研磨剤や石油精製での触媒など、さまざまな用途で希土類の元素は使われている。
これらは半導体やガラスなどの研磨、化学素材の生成などに用いられてるから、
やっぱりそれぞれの分野でシェアが高い日本企業は、レアアースがなくなると大変な思いをするわけ。

2.レアアースは中国が世界の9割以上を産出してるというけど、なぜなの?

さて、このレアアース(希土類)、何で中国がそんなに大量に生産してるのか、と思うでしょう。
実は、中国といってもたった一箇所、モンゴルとの国境に近いバイユンオボ鉱床 (Bayan Obo)だけから生産されている。

この鉱床が有名になる前は、レアアースは世界中で産出されていた。
特にアメリカのカリフォルニア州にあるマウンテンパス鉱床が有名で、1980年代には世界の50%以上のレアアースが産出されていた。
実際、バイユンオボ鉱床についで、レアアースの圧倒的な埋蔵量を誇っている鉱床だ。
ほかにも、オーストラリア、ブラジルなどが著名な産地だった。

ところが、バイユンオボ鉱床は、希土類の鉱質が地表面に出ているような状況で、要は掘るのにコストがかからない。
中国のこの鉱床が出てきたおかげで、採掘コストに対して市況が安くなってしまい、他の鉱床は採算が取れなくなってしまった。
それで、マウンテンパス鉱床はなんと2002年に休止、オーストラリアや他の国の鉱床も、採掘量を減らしてしまったのである。

このバイユンオボ鉱床の圧倒的な採掘コストの安さが「レアアース中国93%依存」というおかしな状態を生み出してしまったのだ。

3. 中国に依存しないで問題解決する方法はあるのか?

こうして原理がわかってくると、論理的に次の三つがある。

1) 圧倒的なレアアース埋蔵量を誇る米国のマウンテンパス鉱床を再稼動する
2) そのほかオーストラリア、インド、ブラジルなど稼動が低下している鉱床を再開発して規模拡大する
3) レアアースを使わない製造方法を開発する

1)だが、アメリカしても、希土類は軍事目的など多様な用途があるため、
今回のような「中国による輸出停止」のリスクを考えると、鉱床の再開に期待が高まっているところだ。

実際、マウンテンパス鉱床を所有するモリコープ社はすでに再開を見込んだ資金を確保するため、
2010年4月にIPOを行うなど、すでに動き始めた。
まだ風のうわさだが、8月には採鉱を開始したとも言われている。

中国のバイユンオボ鉱床を「レアアース東の横綱」と呼ぶなら、マウンテンパスは「西の横綱」と呼べる採掘量が可能だ。
世界的にレアアースの取引売価も高くなっており、コスト的に問題ないとあれば、今後の採掘量の増加は見込めるだろう。
米国なら政治リスクも非常に低いし。
あとは日本企業がよりやすく調達する、という意味で日本企業からの出
資を考えられたりしませんかね?(このあたり、まったく情報なしですが)

参照: http://www.gsj.jp/Pub/News/n_index/cn06/0608.html
        http://art2006salt.blog60.fc2.com/blog-entry-1177.html
    http://mrb.ne.jp/columndetail/2994.html?start=2
        http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/2006/08/06_08_01.pdf

2) はインド、ベトナムなどを中心に、すでに日本企業によるアプローチが始まっている。
電気自動車のモータなどに使われる重希土類のディスプロシウム(Dy)などは、
上記のマウンテンパスでは産出が難しいこともあり(中国では産出)、インドへの期待は高まっている。

昭和電工、ベトナムで「昭和電工レアアースベトナム」を稼動(2008年10月)
豊田通商、インドでレアアースの輸出権利獲得、精錬工場の建設(2010年8月27日)

また、カザフスタンやオーストラリアなどのウラン鉱床での希土類の回収プロジェクトも行われている。

住友商事、カザフスタンでレアアース回収プロジェクト(2009年8月)

このあたりは、日本の商社などがお得意な「新興国に豊富な資金と今後の安定需要を約束して参入」系。
場合によって放射性物質の除去なども必要となり、中国よりは採掘コストが高いだろうが、リスクヘッジとしては十分機能するだろう。

3)は、そもそもレアアースを使わない、という方法。
これも日本企業を中心に開発がすでに始まっている。
こういうものは、実際の実現には5年以上時間がかかったりするだろうが、リスクヘッジとして考えておくのは重要。

現状は中国でしか生産されないディスプロシウムを使わない、HEV/EV向け磁石の開発
http://www.nims.go.jp/news/press/2010/08/p201008301.html

レアアースを使わない研磨剤の開発(NEDO・立命館大学)
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/100916/fnc1009161643019-n1.htm

以上、こうしてみてみると、中国一国にレアアースを依存しているのは、一時的な問題であり、
別にさほど大きな問題ではないようにみえてくるんじゃないだろうか。
(ディスプロシウムだけは早期にインドを何とかしないとだが)
よって、
こんな輸出禁止なんて非経済的な圧力に屈する必要は特にないわけである。

(追記:Twitterで何名かから指摘された「すでに出回っている家電などの製品から希土類を回収する」ですが、どれだけ現実的なのか、私は判断できないので、知ってる人のご教示を待つです。
昨日もそういう金属回収業者の株価が一瞬上がったりしましたね。
ただ、個人的には、出来ても少量だし、実現にも5年とかかかるんじゃないかと思うですが。)

(追記2:いわゆるディスプロシウム(Dy)やエルビウム(Er)などの重希土類(原子番号が大きい希土類)がどれだけ中国以外の鉱床で本当に生産できるのか、は情報が少なくてかけませんでした。
詳しい方がいたら、コメント欄で教えてください!)

←面白かったら、クリックで応援してください!


中国・ロシアは技術供与してでも取るべき市場か?

2010-09-22 14:36:19 | 2. イノベーション・技術経営

世の中が尖閣諸島で盛り上がっているところ、別視点からの中国ネタで。

最近、中国やロシア市場に工場を建てたり、資源開発するに当たって、
日米欧の企業が最先端の技術供与を強く要求される、という記事を良く見る。
要は、国レベルで「お前達の最新の技術をこっちによこさないと、工場建てたり、資源開発は認めない」という強い態度で、最新技術の供与を求めてくるわけだ。
新興国が市場参入や資源開発の見返りに技術供与を求めてくるのは良くある話だが、この2ヶ国、その要求度合いが特に高い。

当然企業側は強く反発するが、そこは敵もさるもので、企業側の競争関係をうまく活用し、
「技術供与を一番行ってくれる一社のみを優先的に採用」とかいう戦術に出る。
企業側としては、競争力の源泉である最新技術は出したくないが、自分だけ反発して、他社が少しでも出してしまうと、結局市場も資源も取れなくなる。
まさにゲーム理論における「囚人のジレンマ」。

(日経9/21)日産、中国生産能力8割増-合弁先に電気自動車技術供与

日産自動車は20日、中国での自動車の年間の生産能力を2012年に現在の8割増の120万台に引き上げると発表した。日産の中国合弁、鄭州日産汽車の第2工場の完成式典でカルロス・ゴーン社長が表明した。(中略)
中国政府は最近、EVの現地生産で中核技術の供与を要求し、日米欧の自動車大手は反発している。これに対しゴーン社長は「中国合弁には無制限で技術供与する」との考えを示した。現地生産をためらう世界大手に先行し、2020年で300万台とされるEVなどの新エネルギー車市場での主導権獲得を狙う。

これは昨日の日経の記事。こういう記事を読んで
「やっぱり与えるものは与えないと、取るものも取れないよな~。気前良く技術は供与しないとね」なんていう判断をしてはいけない。
技術を供与するだけ供与しても、供与したメリットも得られずに終わる、ということも多々あるからだ。
こんなホラーストーリーもある。

これはロシアの記事だが、
日経ビジネス「時事深層」-造船大手、ロシアに翻弄

リーマンショックで稼働率が落ち込んだ造船業界に、救いの手を出すように発注を出してきたロシア。
造船大国である日本と韓国を競争させて、技術供与を沢山してくれる方に受注。
ところが、実はロシアは自国を造船大国にしようともくろんでおり、途中で受注を延期したりして、
技術協力期間を引き延ばしながら、両国からの技術を得られるだけ得ようとしている、と言う話

中国の場合、ロシアのように「技術をとった上で突然やめる」という汚い手は余り使わず、
最初はとりあえず工場を作らせてくれたり、受注してくれたり、とこちらをいったん儲けさせてくれる。
しかし、その後あの手この手でしつこく技術供与を求めてきて、次に投資するなら技術供与をしないと認めない、という感じで迫ってくる。
こっちも一度中国に相当な投資してしまってるので、その効果を最大限得るためには、技術供与するしかない、という形になるわけだ。

中国やロシアの成長市場や資源は欲しい。
でも相手にすると、技術を搾り取られるだけ搾り取られる。
こういう国に対して、技術を売りにする製造業は、どういう立場を取るべきか?

その業界ごとの市場特性、競合の出方、自社の状況によるので、一概には言えないが、
論理的に可能な選択肢として次の順序で、3つの方法がある。
(4つ目として技術は出すが、市場は取らないというのがあるが、これは除く)

1. そもそも中国やロシアを市場(や資源確保先)として相手にしないし、技術も出さない

これは「てやんでい、そんな汚ねぇ国、ハナッから相手にしねぇよ」戦略である。
進出したらこんな面倒なことが色々起こる国、最初から魅力がないという判断。

実際、そもそも業界によっては中国やロシアの市場の成長が案外早くに限界に達して減速する、
つまり、中国やロシア市場はそんなに美味しいものではないとされているところがある。
こういうところでは、技術が流出するリスクに比べて市場が美味しくもないので、当然出る必要は無い。

また、先端技術の確保やセキュリティが非常に重要で、中国やロシアではこの維持に金がかかってしまう場合。
市場の拡大で得られる将来価値より、この現在コストが高いなら、進出するメリットはない。
今年初めのGoogleの中国撤退はこれに近い話だろう。

2. 中国やロシアに進出し、市場は取った上で、技術供与は最低限に留めるよう戦略を打つ。

そんなことが出来るならやってるよ、と言われそうだが、実際これが出来るかどうかも、
自社の技術の強みによるし、競合の出方にもよる。

また、相手国の技術習熟度が低いほどこれが可能になる。
本当に重要になる技術が何か分かっていないので、明確に技術要求が出来ない。
これを逆手にとって、「技術供与」の名の下で、ローカライゼーションや自社の生産効率向上に役立てる方向に技術供与をし、進出の効果を高めるというものだ。

具体的には、先端技術のブラックボックス化やモジュール化、技術のレベル分けによって、
供与しても痛くない(中国やロシア企業の新規開発の競争力を高めない)技術だけを切り分けた上で、痛くないものをできる限り供与するものである。

これを行うためには、社内の技術がある程度モジュール化され、切り分けられていることが重要だ。
モジュール化が出来ていないと、要求に応じて技術供与するうちに、ズルズルといろんなレベルの技術が流出してしまう危険性が高い。

3. 競争力の源泉となる技術を供与してでも、確実に市場(や資源)を取る

業界の競合関係が激しく、技術供与競争になっている業界では2は厳しい。
または、市場が魅力的で、技術が流出しても確実に市場を取れるほうが、美味しい場合はこの戦略をとることになるだろう。
ただし、相当の勝算がないと、技術をくすねられて終わる可能性も高い。

上の日産の記事では、ゴーン氏が「電気自動車の技術を惜しみなく提供」と言っているが、もしこれが本当であれば、
電気自動車はとにかく量が出て、コストが下がることで普及を促進するのが何よりも鍵であり、
中国側が技術を吸収するのにかかる時間を考えれば、十分元が取れると考えたのだろう。

このように、中国やロシアをあいてとする場合、
1. 本当にこれらに進出する必要はあるのか
→ 2. ある場合は、自社の技術を出来るだけモジュール化して、流出を出来る限り防いで進出することは可能か
→ 3.どうしても無理な場合、確実に市場や資源を取ることが可能か、その手立ては何か、

という順序で戦略的に技術供与を考えるのが重要だ。
図にするとこんな感じか・・・

←面白かったら、クリックで応援してください!


電子雑誌が世の中をどう変えるか(後編)

2010-09-16 13:13:55 | 2. イノベーション・技術経営

前編からかなり間があいてしまったんだけど、めげずに後編を書こうと思う。
仕事が忙しすぎて・・・しかしその山場も昨日越えたので、明日くらいからもっと高い頻度でUpdateできるようになる、ハズです。

後編では、電子雑誌について今後起こると私が思っていること4点をまとめておこうと思う。

1. 電子書籍化で、デバイス普及の大きな起爆剤になるのは二つ。電子教科書と電子雑誌。

この二つは通常の電子書籍と違い、電子書籍デバイス自体の普及の起爆剤になり得る、ということ。
(注: 電子書籍デバイスとはiPadやKindleなどのもののことです)

電子教科書がデバイス普及の鍵になることのイメージがつく方は多いだろう。
例えば、大学入学時に全学生が電子書籍デバイスを購入。
以後、すべての授業のテキストや参考図書は電子的に配布される。
予備校などでも、電子書籍デバイスを活用してテキストを配布。
学生は自分の学習状況にあった小テストなどを受けてスキルを伸ばせる・・・。
こういう状況になったら、デバイスなんてあっという間に普及して、電子書籍の購入も爆発的に伸びるようになるだろう。
(当然だけど、このとき配るデバイスは教科書以外の電子書籍にも使える標準化されたものじゃないといけないが)

さらには小学校1年で入学したときに、すべての生徒が電子教科書デバイスを配られ・・・
なんてことになったら、そのデバイス普及率たるや携帯電話の如しになるに違いない。

一方、電子雑誌がデバイス普及の起爆剤になるとは、雑誌市場の小さい日本では想像しにくいかもしれないが、
実のところ、規制でがんじがらめの教科書より、こちらのほうが早い普及につながるかもしれない、と私は見ている。

その普及の方法は、基本的には以下の二つ。
1. 広告を視聴してもらう代わりにデバイスをタダで配る、いわば「Googleモデル」
2. 定期購読者にデバイスのリースを行い、リース料金を購読料金に含める「ゼロ円ケータイモデル」

要するに広告やリースで負担してもらうことで、デバイスが普及するという仕掛け。
前編にも書いたとおり、電子雑誌によって新しい広告の形態が可能になり、よりターゲットを絞った広告効果の高い広告が可能になる。
また、後で書くように、新たなコンテンツのあり方が可能になり、読者の囲い込み方も変わってくる。
その効果により、雑誌ひとつで読者から取れる価値が高くなるはずだから、デバイスのコスト見合いでは取り組む雑誌社が増えてくるのではないか、ということだ。

それでも日本で、電子雑誌が普及するイメージつかない人も多いと思う。
一方、雑誌市場の大きな米国であれば、可能性は高い。
以前の記事「米国では雑誌が稼げ、日本では書籍が稼げる」で書いたとおり、確かに日本の雑誌市場は年間4000億円程度(国民一人当たり年間3000円)しかなく、この20年間横ばいだ。
そんな購買力しかない市場に、製造コストが2万円の電子書籍デバイスを普及させる力があると思えないのは当然だ。
一方で、米国ではリーマンショック前までは、年間3兆円(国民一人当たり年間1万円)で年率平均3%で伸び続けていたという、巨大な市場である。
これに加えてインターネット広告市場が年率10%以上で伸び続けている市場だ。

現状では、電子書籍デバイスの製造コストが200~300ドル程度であるが、
これが100ドル以下まで下がってきたら、米国から電子雑誌でデバイスの普及が始まるかもしれない、と私は思っている。

具体的には、1の「Googleモデル」は通販ファッション誌やAmazonなどのネットショッピングが開始し、徐々に他の購買を促進する系の雑誌に浸透していくだろう。
2は、定期購読中心のビジネス雑誌などが押し進められるモデルと思う。

こういうのが米国で動き出したら、日本でも動き出す、という感じかもしれない。
日本は新聞市場が非常に大きいので、もしかしたら電子新聞が起爆剤になるかも。
デバイスコストが100ドル(8500円)くらいになったら、日経新聞に月額5000円以上払ってることを考えると、そのぐらい吸収してもらえるんじゃないか、と思うし。
あるいは、日経BP社とかだよね。
日本はビジネス系から攻めるほうがうまくいくかもしれない。

2. 電子教科書と電子雑誌は、コンテンツのあり方そのものも変わる

もうひとつ、私が電子教科書と電子雑誌の二つに着目している理由は、電子化によってコンテンツのあり方そのものが大きく変わるのはこの二つだから、というのもある。
コンテンツそのものが変わった結果、人々のコンテンツの利用スタイルが大きく変わると考えられる。

通常の書籍は、電子書籍化によって確かに購入や本内の検索が非常に簡単になるし、
私の欲しい夢の電子書籍アプリ-My Life After MIT Sloan」で書いたように、SNS的サービスを組み合わせて、書籍を起点に人々がもっと繋がる世界が来るだろう。
しかし、コンテンツそのものやその見せ方はあまり変わらない。

しかし、電子教科書は前の記事でも論じたが、電子書籍デバイスの普及に大きく寄与する上、
教科書のコンテンツそのものを変え、使われ方を変える。
教科書に動画が入ったり、数学の図形や化学物質をくるくる回して見れるようなアプリが入ったり、
簡単な実験が出来たり、ネット上の文献へのリンクが張られたり、とコンテンツそのものが変わる。
その結果、先生が情弱であっても指導が下手でも、生徒が自主的に学んでいけるようなツールになる。
そのためには、デバイス自体がiPadのように3歳の子供でも直感的に使えるようなものであることは大事なんだけど、
iPadに限らず、あの手のタッチパッドの電子書籍デバイスが、おそらく今後のドミナントデザインになっていくだろう。

そうして、より多くの生徒が、直感的に、自主的に学習していけるようになるのではないか。

電子雑誌の場合も、前編で書いたように、動画やアプリの組み合わせなどで、コンテンツ自身が大きく変わると考えられる。
ファッション誌なら、記事にも書いたし、皆さんのコメントにもあったように、3Dのモデルさんをくるくる回していろいろ着せ替えするアプリをつけたり、
化粧法などと化粧品の宣伝が動画でついていたり、
読者が自分の着回しを写真などで投稿できるとか、そのうち動画投稿が出来るようになるとか。

漫画雑誌も漫画だけじゃなくて、アニメが挿入されるようになるかもしれない。
あと映画の予告編が広告でついていて見られるとかね。

映画の予告編と言えば、「ぴあ」みたいな情報誌は、今やってる映画の予告編を20編とか集めて見せたりね。
予告編だけまとめて毎月300円とかでiPadに配信され、気になったものをクリップすると映画館の情報が地図に連動する形で自動的に出てくる電子雑誌なら、私は定期購読してもいい。
いくらYoutubeでタダで見れるって言ったって、自分でわざわざ検索して、良かったらネットでまた検索して情報調べて・・って面倒だもの。
こうやって必要な情報がパッケージ化されて、探さなくても目の前に提供されるのが雑誌の魅力なのだ。
それが、電子化によってコンテンツの質が上がるわけである。
Webコンテンツとはまったく違うものなのだ。

大人の科学とかDeAGOSTINIみたいな雑誌社も電子雑誌化で提供できるものの幅が大きく広がるだろう。
付録だけでは出来ないような化学実験や宇宙飛行をアプリで体験できたり、
DVDを本屋で売るモデルじゃなくて、電子雑誌で動画やアプリを毎月配信したり出来るんだから。

こうやって電子化することで雑誌コンテンツそのものが大きく変わっていくだろう。
それから前の記事でも書いたように「広告とコンテンツの融合」も進む。
広告に見えない、記事のようなコンテンツが増え、広告の効果も高まるだろう。

こういうアイディアって考えてると次から次と出てきて書ききれないのだが、誰か一緒に電子雑誌の会社を立ち上げようという方がいれば一緒にやろうよって感じです。

3. 電子雑誌とWebコンテンツはまったく違う:パッケージ化され、読者の囲い込みもコンテンツの囲い込みも可能で、コンテンツ保有者に有利なのが電子雑誌。

こういうコンテンツについての妄想を書くと、「そんなのWebコンテンツですでに行われてることでは」と言われる。
確かに動画とか、アプリなどのコンテンツはWebでも可能だし、行われてるかもしれないが、
電子雑誌はもっと「雑誌」に近いパッケージされたものになるし、雑誌社のメリットも大きいというのがずいぶん違う。

まず、Webコンテンツだと「コンテンツの囲い込み」が出来ないが、電子雑誌では可能だ。
(それが出来るようにデバイスやプラットフォームの規格化がまだ可能な状態である)
今、雑誌社がWeb上にコンテンツを出すと、簡単に内容がコピーされてしまったり、Googleなどで検索されてしまい、雑誌社の著作権とかプロプラエタリが全くない状態だ。
電子雑誌の場合は、読者が持っているデバイスにコンテンツを配信する仕組みなので、
読者に読んでもらうためにコンテンツをオープンにする必要はない。
オープン性がインターネットの良いところではあったが、コンテンツ保有者に不利になっているから電子化が進まない、というのが現状のネットの問題だった。
電子雑誌では、この問題を解決し、電子化のメリットを享受することが出来るのだ。

次に、Webコンテンツだと誰でも検索して読むことが出来るので、読者の捕捉が出来ないが、
電子雑誌の場合は、読者の手元にあるのはアプリだけで、「購読」または「購入(ゼロ円でも)」という形をとらないとコンテンツを入手出来ない。
つまり、定期購読と同じく、読者の情報をある程度得ることが出来る。
(あるいは、せめて、どのタイミングで何人にダウンロードされているか、という情報だけでも)
これは雑誌社にとってはかなり大きなメリットである。
特に書店での販売がメインで、読者の情報が読者ハガキと書店の情報しかなかった出版社にとっては。

読者にとっても、Webコンテンツと電子雑誌は全く違って見える。
それは、雑誌はコンテンツが「パッケージ化」されており、自分で考えて検索しなくても、目の前に提供されるからだ。
さっき、映画情報の配信のところで書いたけど、今は無料の予告編もわざわざGoogleで検索して、
Youtubeとかその映画のホームページに行って検索し、良いと思ったら、また検索して映画館を探して・・とやらないとならない。
雑誌の良いのはそれらの情報が全てパッケージ化されて提供されるので、自分でいちいち全部探さなくてすむこと。
「タダ」で提供されるのが当然になっているWebコンテンツではこれは出来ない。
コンテンツの囲い込みが出来て有料化できたり、読者の情報を捕捉できるからこそ、金と手間をかけて情報のパッケージ化を行うことが出来るのだ。

そういう意味で、私は電子雑誌はWebコンテンツの延長だとは全く思っていない。
むしろ雑誌→電子雑誌と移行する感じなのだ。

4. 電子雑誌を支える「電子雑誌プラットフォーム」業態が結構儲かるようになる

さて、前編のコメント欄でも盛り上がったが、こういう電子雑誌ならではのコンテンツを提供するにはそれなりの仕組みが必要になる。
例えば、ネットショッピングサイトとつなげて、雑誌で読んでいるのをそのままクリックすれば購入できる、とか、読者が動画を投稿できる、とかいうのは、
出版社が一つ一つ作りこんでいくのはコスト的にも不可能に近いし、システム的にも困難が大きい。
そもそも、コンテンツの提供ひとつとっても、ユーザーインターフェースの作り込みから読者の購読管理ですら、最初から作ると結構なシステムコストになる。
こういうのは、講談社みたいにたくさんの雑誌を出している大規模な出版社なら負担できるコストだが、小規模な雑誌社が電子雑誌に乗り込んでいくのは困難だろう。

このように、
・コンテンツの配信(入れ替え)・管理
・広告の出稿、クリック数や視聴数の管理
・ネットショッピングや動画投稿などの付加的機能
・読者へのコンテンツ配信、課金、アカウント管理
こういう機能を併せ持つ、「電子雑誌プラットフォーム」とも言うべきものが、今後は必要になってくるだろう。
電子雑誌を配信したい雑誌社に機能ごとに課金し、月額で貸し出すサービスだ。
電子雑誌がだんだん盛り上がってくれば、かなりいいビジネスになると思われる。

誰もが知っているYoutubeやCBSのような動画配信サイトでも、実は裏に米国の動画配信プラットフォーム会社が関わっていたりする。
電子雑誌にも、こういう「裏方」的プラットフォームが必要になるはずだ。

以上。
ほかにも書きたいことがあったような気がするけど、結構時間も使ったし、長くなったので、取り急ぎ。

電子書籍関連の過去記事
My Life After MIT Sloan-電子雑誌が世の中をどう変えるか(前編) 2010-09-05
My Life After MIT Sloan-出版社が早急に実現すべき電子教科書 2010-06-05 ←オススメ
My Life After MIT Sloan-電子書籍でデバイス各社はどうすべきか
 2010-05-28
My Life After MIT Sloan-わたしの欲しい夢の電子書籍アプリ 2010-05-25
My Life After MIT Sloan-電子書籍はアプリとフォーマットを制したものが勝つ 2010-05-24 ←オススメ
My Life After MIT Sloan -アップルが電子書籍で最初に教科書を狙う理由 2010-01-27
My Life After MIT Sloan -日本の出版社が直面するイノベーションのジレンマ 2010-01-26

←面白かったら、クリックして、応援してください!


電子雑誌が世の中をどう変えるか (前編)

2010-09-05 20:25:44 | 2. イノベーション・技術経営

ご無沙汰しております。
更新が滞ってるため一部の方にはご心配かけてますが、
単に帰国後に入ったプロジェクトが忙しく土日にかぶることも多々あり、書く暇が全くないというだけで、本人はいたって元気です!

さて、今回は電子雑誌。
以前、「
出版社が早急に実現すべき電子教科書とは-My Life After MIT Sloan」で電子教科書のことを書いたけど、
今回は、もう一つ前から温めてたテーマ、電子雑誌について。

私が電子雑誌について考えてるのは次の4点。

1. 電子書籍の大きな起爆剤になるのは二つ。電子教科書と電子雑誌。
  単なる書籍の電子化と異なり、教科書と雑誌の電子化は、コンテンツそのもののあり方や使われ方を変えるものだから。

2. 電子雑誌は今までの雑誌広告のビジネスモデルを大きく変える。
  今まではどの雑誌も一律「場所売り」のモデル(表紙裏一面いくら、で売っていた)だったのが、
  雑誌の種類によって異なる広告手法・広告課金の仕方が必要になる。

3. 一部の雑誌広告は、動画やアプリを取り込んだもっとインタラクティブなものになる。
  これがテレビの広告市場を一部脅かしていく

4. これらの広告では、コンテンツと広告の更なる融合が進み、コンテンツ作成に必要なスキルが徐々に変わってくる

前編の今日は、こういう抽象的な話をいきなり詰めていくのではなくて、具体的に電子雑誌ってどういうものよ、という私の想像を書いてみようかと。
以前の記事、「
私が欲しい夢の電子書籍アプリ-My Life After MIT Sloan」や「出版社が早急に実現すべき電子教科書とは-My Life After MIT Sloan」に引き続き、私の妄想の世界で失礼いたしやす。

そもそも、多くの皆様にとって、「電子雑誌」って何よって感じだと思います。
私はこんなふうになる、と妄想してます。

<ファッション誌編>

ファッション雑誌というと、世界のスーパーモデルが超高級ブランドの最先端のコレクションを身にまとうものから、
読者モデルが、読者の視点で着まわしや化粧法について教えてくれるもの。
そして男性向けも、チョイ悪(死語?)から普通のモテ男子になりたい人向けまでいろいろある。

こういう雑誌では、今はモデルさんが服を着こなした写真や雑誌記者がコンテンツをつくり、広告ページを広告主に売るというモデルが主流。
今後、電子雑誌化で、動画やアプリを使ったコンテンツや広告が使われるようになり、コンテンツと広告の融合が図られるようになると思う。

例えば、女性ファッション誌には「キレイに見える化粧法」みたいな記事がよくある。
今は化粧したモデルさんの写真と、化粧の仕方が図解で順番に書いてある感じ。
こういうのは、写真だけでなく、動画で化粧法を見せるようなものに変わっていくだろう。
化粧工程の途中では、使われてる化粧品の一部が紹介されて効果などがアピールされる。
雑誌社は、そこで化粧品会社から広告料をとることが出来る。

こういう広告は、今までの雑誌などで使う化粧品の一つとして紹介されるよりも、読者にとってのインパクトがあるので、今までの雑誌内広告よりも広告料を高く取ることができる。
動画広告には、TVCMに使われてる素材を埋め込むことで、読者に「あぁ、あの化粧品ね」というようにつながりを想起させることも可能。

こういう広告のインパクトが大きければ、化粧品など、高いTVCMに使う広告費を一部減らし、
雑誌に多めに回すなんて、雑誌会社にとっては夢のような話が実現する可能性もある。
(註:もちろん、テレビ広告は沢山の人に認知してもらう、雑誌広告はターゲットを絞って機能をより理解してもらう、と目的が違うので、完全に置き換えは出来ないが)

服なども、今までは読者モデルとかが着こなしてる写真の前から見た一ポーズだけだったが、
電子雑誌の広告では、そのモデルをくるくる回して、360度の方向から見ることが出来るとか。
こういうインタラクティブな要素のあるコンテンツの方が、読者は興味も持つわけで、
広告料をもらえる店舗や服飾メーカーの服だけをこういうアプリにして、広告料をとる、というモデルもあるだろう。

このように、ファッション誌では、読者が写真より興味を持つ動画コンテンツ、アプリコンテンツを広告と融合していくことで、広告収入の拡大を図れるんじゃないかと思う。

<グルメ雑誌>

グルメ雑誌でも、やっぱり動画を使った広告やコンテンツが幅を利かせるようになるだろう。

今のグルメ雑誌は、取材した店や料理の写真を載せるだけだが、
電子雑誌では、写真を載せるだけではなく、取材内容を動画で載せることが出来るようになるだろう。
単に記事だけでなく、シェフのインタビューを動画でも見せたり、
シェフオススメの料理を作ってる様子を動画で取材させてもらったり、
モデルを起用して、食べてる様子を動画で見せたり。
読者が記事を読んでる分には、それらの動画コンテンツは普通に写真として表示されるから、見た目は雑誌と同じ。
でも、その写真をクリックするとこういう動画が出てくるという仕組み。

グルメ雑誌に載っているお酒とか食材の広告も、写真をクリックすると、動画が出てきたり、
文字をクリックすると、詳しい解説が出てきたりなど、インタラクティブな広告にすることが出来る。
お酒や食材の会社とのタイアップでミニ番組を作り、それを記事として載せることもできるかもしれない。
そうすると、テレビ広告のスポット市場の一部に食い込んでいける可能性がある。

ファッション誌と同様、グルメ雑誌も読者が商品の情報を求めて買ってるわけなので、広告とコンテンツの融合はしやすい。
その結果、広告の効果が上がるので、テレビなど他の広告形態の一部を置き換える可能性がある。
電子書籍でアプリや動画が可能になることで、よりそれが促進される感じ。

<マンガ雑誌>

一方、マンガ雑誌において読者が求めてるのは、マンガのコンテンツそのものであり、広告は邪魔モノである。
今の雑誌界では、そういうマンガ雑誌でも、上のようなファッション・グルメ雑誌でも、同じ「紙面の場所を売る」ビジネスモデルになっているのが問題だと思う。
電子書籍になることで、そういう一元化された広告モデルから、雑誌の目的ごとに違う広告モデルに変えていけるのでは、と期待している。

で、マンガの場合だけど、読者は積極的に広告を見ようとは思わないものなので、基本は広告をコンテンツの中に強制的に挿入するのが基本形。
インターネットテレビがやっているのと同じく、コンテンツが始まる直前に、強制的に視聴させられるモデルだ。
例えば、
漫画の下にたまにバナーが表示されるとか、マンガの最初の1ページ目が広告ページになっているなんてのはこのタイプ。
そのページを飛ばしては読めないので、読者は一応邪魔ながらも、広告を見ることになる。
これは、今のマンガの広告とあまり変わらずに出来るモデル。

私が、それ以上に可能性があると思っているのは、電子雑誌の中に、ゲームの試用版アプリや映画・ドラマの予告編を埋め込むタイプの広告。

例えば、少年誌や青年誌なんかは、ゲームの対象年齢とばっちり合うわけで、格好の宣伝広告になるだろう。
青年誌・女性誌では、映画の予告編やテレビドラマの予告編を埋め込むと、ちょうどターゲット層が合うのではないか。

このように、新しい広告の形態をマンガ雑誌でも導入することで、
雑誌会社としては広告主の幅を広げることが出来るし、単純にインターネットのポータルサイトで試作版や動画を出すより、広告効果が高いから、
より多くの広告主が誘導されるだろうし、より高い広告価格設定にしていくことが可能になるだろう。

<ビジネス系専門誌>(東洋経済、日経ビジネスなど)

こういう系の専門誌は、ウォールストリートジャーナル(WSJ)やニューヨークタイムズ(NYT)がiPadなどで展開しているモデルと、さほど変わらない、と思っている。
記事の中に写真が普通に埋め込まれていて、その写真をクリックすると、動画も見れる、という形態だ。

広告としては、色々パターンがあるが、ページをめくっていると、強制的に広告のページが出てくる、今までと同じモデルはマンガ雑誌の場合と同様、ありえる。
また、記事を読んでると、記事の下のほうにバナーが出てくるタイプの広告も可能。

クリックしたりページを移動すると消えるタイプなので、記事内容の邪魔は余りしない。
ウォールストリートジャーナルのiPad/iPhone版を使ったことある人は何度も見たことあると思う。
ページをめくるたびに出てくるとうざいので、5ページに一回くらい出てくる感じ。
他には、特定企業とタイアップして、社長インタビューなどの動画記事を作り、それにその企業のTVCMなどを挿入することで広告料を取るモデルなどもあるだろう。

こんな感じ。
他にも雑誌の種類によって異なる、いろんなコンテンツ・広告の形態が考えられると思う。
電子雑誌は、このようにして今までの雑誌より効果的な広告を出すことで広告収入を上げたり、
よりインタラクティブなコンテンツを出すことが可能になると私は思っている。

明日は後編。
これらの具体例から、電子雑誌が世の中をどう変えていくか、を書いてみます。

電子書籍関連の過去記事
My Life After MIT Sloan-出版社が早急に実現すべき電子教科書 2010-06-05 ←オススメ
My Life After MIT Sloan-電子書籍でデバイス各社はどうすべきか
 2010-05-28
My Life After MIT Sloan-わたしの欲しい夢の電子書籍アプリ 2010-05-25
My Life After MIT Sloan-電子書籍はアプリとフォーマットを制したものが勝つ 2010-05-24 ←オススメ
My Life After MIT Sloan -アップルが電子書籍で最初に教科書を狙う理由 2010-01-27
My Life After MIT Sloan -日本の出版社が直面するイノベーションのジレンマ 2010-01-26

←面白かったら、クリックして、応援してください!


液晶テレビの技術進化に学ぶ-新技術を現行機能で判断してはいけない

2010-07-13 16:54:13 | 2. イノベーション・技術経営

先週から、電気自動車(EV)に関する記事を二本書いた。
私が一番残念だったのは、コメント欄がEVの可能性を否定する反論コメントで埋まったことだ。
電気自動車は意外と早く普及する
電気自動車が普及する未来-どこにどう普及するか4つの仮説

ガソリン車を作ってるとか石油メジャーにお勤めとか、EVが普及してもらっては困る人たちの反論なら分かる。
しかし、それ以外の人も
「現行機能でEVがガソリン車に勝っているところは何もないから」などの技術的理由で反対しているものも多い。
ちょっと待て、現行機能でほぼ劣ってることが、何故将来も駄目な理由になる?
そんなわけで、今回は皆さんも記憶に新しい液晶テレビの歴史を振り返ってみることにした。

(今回の要点)
・イノベーティブな製品が、既存製品より初期的には圧倒的に機能が劣るのは歴史の常。
 現行機能が既存製品より劣ってることは、その技術が発達しない理由には全くならない。
・開発を担う企業や人が増えると、性能は飛躍的に上がり、コストが下がるのが常である。
・たとえば液晶テレビの場合、2001年時点では、多くの機能でブラウン管やプラズマに圧倒的に劣り、「液晶テレビは小型ディスプレイでの使用に限られる」などといわれていた。
・しかし各社がより大型の新製品を発売するにつれ、参入企業が増え、開発が進んだ。
・結局2004年頃までに、多くの機能でブラウン管はおろか、プラズマも上回り、わずか5年でシェアを塗り替えていった。
・このように初期的には予想出来ず、新技術を否定する人は圧倒的に多いが、本質的に既存技術を上回るポイントがあれば、問題は解決するケースは多々ある。現行機能では判断できない。
・EVと液晶テレビの一番の違いは、EVでは充電スタンド、保険、カーシェアなど周囲の生態系構築がより重要で、技術だけの進化では普及が起こらないことだが、それすらも結局技術の進化によって誘発されていくのである。

初期的には新しい技術は旧技術に圧倒的に性能が劣る

さて、2009年のMBAのクラスで、私のチームは液晶テレビの進化について調べた
チーム全員が家電業界に興味があったのだが、中でもテレビがちょうど授業で習っていた「イノベーションのジレンマ」に合っていそうだから、ということでテレビを選んだ。

イノベーティブな新技術は、出たばかりの時は既存技術にあらゆる面で劣っていることが多い。
液晶テレビの場合も、勝っているのは唯一「ブラウン管(CRT)より薄い」ということだけだった。
それ以外は、画面サイズ、応答速度、明るさ(コントラスト)、視野角、鮮やかさ(色調カバレッジ)など、
ほとんどすべての点で、ブラウン管に劣っていたのである。

唯一の利点である「薄さ」も一部の人は全く評価しなかった。
90年代後半はそもそも大画面の液晶テレビも出来ないし、「小さいんじゃ薄くても仕方ないじゃん」。
「壁掛けテレビ」などと喜んでいたのは日本のマスコミだけで、
米国などでは「薄いなんて、テレビの本質的な利点ではない」と言う人もいた。
まるで今の電気自動車が「家庭で充電出来たって、航続距離も短くて、高いんじゃ意味ないじゃん」
「家で充電できるとか、トータル燃料効率が良いとか、
静かに走れるとかは本質的な利点ではない」と言われているのにとても似ている。

「これは」という製品が出ると共に参入企業が急増し、研究開発投資が増える

液晶テレビへの参入企業(発売してる)は2001年までは世界でも5社程度だった。
情勢が変わったのは、シャープが20インチの液晶テレビを発売したこと。
それまで「液晶テレビはせいぜい15インチ程度と小型なので、リビングルームのテレビは置き換えられない」といわれていた。
ところが20インチが出て、液晶テレビがもっと巨大な市場になることが現実的になってきたのだ。
結果、この年を機に年々参入企業が倍増している。

私は、日本の大手車メーカー2社のEVへの本格参入は、このシャープの20インチのテレビに近いインパクトを与えうるのではないか、と予想している。
「これならもしかしたら出しておいたほうが良いかも」と考える車メーカーが、さらに数社増えるだろう。
その結果、参入企業が増え、それだけの研究資本が投下されるようになれば、当然のように技術革新は進む。

研究開発投資が増えれば、「性能の悪さ」は飛躍的に解決されていく

その結果、どのように液晶テレビ(LCD)の技術革新が進み、
LCDの性能がブラウン管(CRT)を追い抜き、プラズマ(PDP)に追いついていったかを見ていこう。
このデータは、私が企業のプレスリリースやスペックテーブルをにらめっこして1日かけて作った。
その年に量産・発売された全てのテレビの中で、もっとも数字が良かったものをプロットしている。
本当はDisplay SearchやiSupplyのデータが使えれば早く正しい結果が出来たのだろうが、
学生のレポートの身分で、そんな高価なものは使えなかったので、多少間違えはあるかもしれないが、ご容赦を。
(あと2009年の3月に調べたものなので、2009年のデータは不正確)

画面の大きさ

液晶テレビの一番の問題と、当時言われていたのは「液晶は画面大型化が技術的に困難」ということだった。
2001年10月18日の日経新聞でも、シャープがプラズマに参入するかも、と報じた記事で、
「液晶では技術的に40型が限界とされているから」と報じられている。

ところが実際に起こったのは以下である。

日経新聞が「40インチ以上は技術的に困難」と言った翌年には、42型が発売された。
2004年には、製造コストを考えると現実的にはこれが最大、といわれたブラウン管の48インチを超える大きさのものが発売できている。
2007年には60型を超えるテレビも出たが、その後液晶テレビの主流(ドミナントデザイン)は42型・48型へと落ち着き、無駄に大画面のテレビは量産はされなくなっている。
(一部の企業向け需要に向け、発売はされている)

応答速度

液晶テレビといえば、「スポーツなどの動きの速い映像は、残像や軌跡が出て、向いていない」といわれていたのを覚えているかたも多いだろう。
しかし、そんなことはいつの間にか言われなくなった。

この問題も1990年代後半には、液晶テレビがブラウン管を技術的に超えられない根拠の一つとしてよく使われていた。
1995年当時は液晶の応答速度は100ミリ秒が限界で、人間が違和感を感じなくなる20ミリ秒にははるか及ばなかったからだ。
現行機能だけで、新技術を評価することが如何に馬鹿げているかが良く分かるんじゃないだろうか?

ブラウン管(CRT)の緑の線は、ブラウン管の走査線速度の16ミリ秒を表している。
その速度を液晶が超えたのは、なんと2002年だったのだ。

面白いのは、2005年に4ミリ秒の応答速度のテレビが発売されるまで、各社で「応答速度競争」が行われていたことだ。
しかし、こんなに速くても、スロット名人すら視認できないレベルであり、全く意味がないので、
現在発売されている液晶テレビの主流は8ミリ秒に戻っている。

他にも明るさ(Contrast Ratio)や鮮やかさ(Color Spectrum Coverage:色調表をどこまでカバーするか)など他の重要な指標も、2006年までには全てブラウン管を上回った。
こうして、性能がブラウン管を超え、「これ以上性能良くても意味ないよ」というレベルに達するにつれ、
液晶テレビは、省電力など別の機能の競争に移ると同時に、すさまじい価格競争に陥った。
その結果、一番上の図にあるように、参入している企業が2006年をピークに減少し始めた。

一方、多くの問題が解決されるのに従い、テレビ市場における液晶テレビのシェアは爆発的に増え、
ブラウン管(CRT)を塗り替えていった。

このような技術の進化を遂げて、旧技術を凌駕した技術はたくさんある

自動車の場合、家電のようにサイクルが速くないので、普及に3-5倍の年月がかかることは予想される。
しかし、似たような技術進化を遂げ、旧技術を塗り替えていった技術の例は山のようにある。

たくさんありすぎて、いちいちあげるのが大変なので、詳しく事例が載っている本を2冊紹介しておく。
ちなみに、初期的に進化することが分からず、旧技術を持つ既存大企業が参入に遅れて、失敗してしまうケースをクリステンセンは「イノベーションのジレンマ」と呼んだ。
しかし、彼があげる前から、このようなケースはたくさん研究されていた。

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
クレイトン・クリステンセン,玉田 俊平太
翔泳社

Mastering the Dynamics of Innovation
Harvard Business School Pr

この本の日本語版は絶版になってるので、英語版を紹介しておく

このアイテムの詳細を見る

EVを取り囲む産業全体の発達が必要だが、それには技術進化が重要である

このような新技術が普及するには、それを取り囲む産業全体の発達が不可欠である場合も多い。
EVは、まさにそのケースだ。

液晶テレビのように、周辺がせいぜいハイビジョン化を進めるテレビ局やDVDプレーヤーだけなら、制御しやすく、技術進化がそのまま普及に結びつくが、EVでは技術進化だけでは不十分だ。

まず、ガソリンスタンドにあたる、充電スタンド。
電気を充電スタンドまで送電する仕組み。
石油が減った分、発電量を増やす(注:全体のエネルギー消費は減っている)ための発電所の整備。
EVを対象にした自動車保険。
レンタカーやカーシェアリング。
中古EVの取引を行う中古業者、整備工場。
こういうものが整っていないと、なかなか人々は買ってくれない。

ところが、である。
こういうビジネスっていうのは、「これからEVが普及するかも、儲かるかも」ということが分かれば雨後の竹の子のように次々と出てくるようになるものだ。
最初の整備にはかなり投資がかかるが、一度普及すれば、勝手に生えてくるだろう。
その「これから普及するかも」と予感させるのは、結局のところ技術進化によるしかないのだ。

最初の投資・整備をどのように行っていくか、が鍵なのだが、
このあたりは、エジソンがガス灯に打ち勝って最初に電球を普及させた話や、最初にRCAがテレビを普及させた話などが非常に参考になると思うので、そのうち書きたい。

こういう技術の歴史を振り返ると、EVの性能が如何に現時点で劣っていたとしても、
それだけでポテンシャルを判断して否定してしまうのは意味のない議論だと分かると思う。
おそらく意味のある建設的な議論は、
・EVの劣っている機能は、予測可能な近い将来でどの程度まで改善されるか(範囲を幅で示す)
・EVを普及させるために必要な要素は何で、それを実現可能にする要素は何で、いつまでにどれだけ可能か
・自動車各社はハイブリッド車とEVのどちらにどれだけ投資すべきか(中間技術への投資の問題)

←面白かったら、クリックで応援してください!


電気自動車が普及する未来-どこにどう普及するか4つの仮説

2010-07-09 13:50:03 | 2. イノベーション・技術経営

前の記事「電気自動車は意外と早く普及する」では、電気自動車(以下EV)が手軽な性能の良さと燃料効率が本質的に評価され、航続距離やコストなどの問題は徐々に解決に向かっているため、意外と早くに普及し始めるかも知れない、という趣旨のことを書いた。

で、シナリオによっては2020年に新車市場の3割をEVが占めるなんてこともありうるかもしれない、と書いた。
(もちろんベースシナリオは1割程度、と思っている)

じゃあ、具体的にどのような市場でどのように普及していくのか、というのをこの記事では書いてみようと思う。
具体的な数字の試算は、ここではしない。

ちなみに普及率の数字自体は
・技術の進歩(問題点の克服)
・補助金(インフラ整備含む)
・EV周りの第三者プレーヤーの増加(充電器メーカー、スタンド、カーシェアリング、自動車保険など)
の3点に依存するので、それぞれが高いか低いかでシナリオを組んで数字を出すことになる。

しかしここでは、数字以前に仮説的にいえることは多いので、それをたたき台として出してみる。

1. 先進国では、欧州と日本がEV普及の中心になる。米国でのEVの普及はカリフォルニア州と北東部の州に限られ、米国全体の普及率は欧州・日本には全く及ばない可能性

まず、ハイブリッド車普及時も同様、欧州(ディーゼル)、日本と比べ米国はガソリンが安いため、
相当EVのコストが下がらないと、または相当の補助金が入らないとEVがお得にならない。
また、米国は(農業を除き)ある特定の製品に補助金を出すのが極端に難しく、欧州・日本レベルの補助金が入ることは期待できない。

前回のコメント欄で議論になったように、EVは最終的には補助金なしで経済的に成り立たなければ普及しない、というのは全くその通りだが、
初期的に巨額なインフラ投資や開発投資を軽減する方法がなければガソリン車との競争に負けてしまう。
(そしてどんな巨大メーカーでも、それら必要投資を全て受けられるほどの財務体質を持つ企業はいない)
そのためにどの程度の額が必要か、というのが国の経済への考え方によって異なるわけだが、
米国はそのレベルが(農業を除き)、欧州・日本に比べて低いので、当然普及は遅くなるだろうという予想。

ただし、カリフォルニア州や北部の州は、炭素税や環境負荷税などが導入され、税金の後押しによって、欧州・日本程度の普及率になる可能性は高い、と考えられる。

次にその欧州・日本・北米の一部では、どのように普及するかを都市と郊外に分けて見る。

2. 先進国では、都市部と郊外・田舎では異なる普及の仕方をする。都市部は公共交通機関とカーシェアリングが主導して普及が始まる

公共交通機関が発達した都市部では、そもそも車の需要が少ない。
そこでも車を買う人、駐車場代などコストを気にして車を買わない人の二つの消費者セグメントに分ける。

まず車を買う人は、ステータスとして購入しているケースも多く、このセグメントにEVを訴求するのは一般には難しい。
高級車セグメントは、更に3つ程度に分かれるのだが、その中でも環境意識が割と高く、Value for Moneyを気にする若い層(昔レクサス開発部が「ボヘミアン」と呼んだような)くらいでないと、EVを訴求するのは難しいだろう。
このセグメントは小さいから、EVメーカー全社の受け皿とするのは難しい。
(ちなみに前に紹介したTeslaは、このセグメントを狙ってスポーツカーを出している。一社なら良いが。)

一方、都市の大部分を占める「車を買わない人」だが、中には「買い物のときだけでも車を使えたら便利」と考える人も多い。
こういう人たちが車を買わないのは、駐車場代の高さ、税金など維持費が見合わないからである。
彼等に車を提供するのが「カーシェアリング」であり、米国では都市部を中心にかなり普及し始めている。
私もボストンでZipcarを使っていたけれど、住んでるアパートの駐車場に2台止まっていて、空いていれば1時間~借りることが出来る、というもの。

「駐車場に充電器設置が必要」「どうせ航続距離がまだ短く、近距離しか走れない」というEVの特性も、カーシェアリングには非常に合っている。

今のところ難点は、カーシェアリング会社から見てEVを利用するメリットが少ないということ。
充電に時間がかかるのでは、稼働率を上げたいカーシェアリング会社にはデメリットだし、保険やその他のコストもかかりすぎる。
恐らく、補助金とEVメーカーとの提携の組み合わせで車両購入価格を安くし、Resellや保守の心配を減らすことで、
難点を乗り切って、都市部EV普及の旗手を担ってもらうことになるだろう。

もう一つは、バスなど公共交通機関のEV採用で、これはヨーロッパや米国の一部で始まっている。
「音がなく近づいてくるから危険」という問題もあるが、乗客にとっては「静かで乗り心地が良い」ものだ。

3. 郊外・田舎では、通勤・買い物・ちょっとした外回りに使う人々の2台目、3台目需要として消費されていく

一方、比較的乗車距離の長い郊外や田舎では、2台目需要にこたえていく形だ。
EVは、通勤や買い物などルーチンな使い方をする場合には最適である。
一台目は、旅行など遠出も出来るガソリン車、二台目は普段の通勤や買い物に使うEV、となるのではないか。

もちろん、スーパーや車利用者が多い企業のオフィスには、充電スタンドを設置してもらわないとならず、ここで、最初は補助金が大活躍することになるだろう。
スーパーなどでは「駐車場チケット」の代わりに「充電チケット」を支給するだろうし、
会社でもガソリン代支給の代わりに、充電スタンド設置をするようになるだろう。

こういうことが出来るのは、田舎でも比較的乗車距離の短い日本や欧州だけと考えられる。
米国の田舎では通勤などルーチンな乗車でも、平均乗車距離は100kmを越えるとも言われ、これではEVでは難しそうだ。

4. 途上国市場は大きくなり、2020年には先進国市場に迫る可能性も。しかし、求められる価格・性能は先進国市場より低い

最後に忘れてはいけないのは途上国市場だ。
多くの新興国・途上国では、電話で固定網が普及する前に携帯電話網が普及してしまったが、これと同じことが自動車で起こる可能性はある。
特に、現在徐々に発展している、新興国のTier2、Tier3の都市の郊外や農村部(例えば中国の農村部)で、
ガソリンスタンド網の変わりに電気自動車用の充電インフラを充実させる、という考え方は現実的になっていくだろう。

現状でガソリン車のインフラが普及していない、というのはEVにとっては非常に魅力的な市場だ。
ただしそこで普及する車は、先進国ほどの性能は必要なく、価格もずっと安いものである必要がある。
現在中国の農村で出ているという、約70万円の鉛電池のEVが普及するとはとても思わないが、せいぜい100万円程度のEVを作っていく必要はあるだろう。
この辺り、VWなどヨーロッパ企業では既に開発が始まっていると聞く。

携帯電話ではないが、2020年のEV市場の約半分~3分の一はこういった途上国が占める可能性は否定できない。

以上、電気自動車の普及について、4つの仮説をご紹介しました。
是非、識者の方のコメントなどお待ちしてます。

←面白かったら、クリックで応援してください!


Twitterに学ぶオープン・イノベーション・モデル

2010-07-08 10:47:24 | 2. イノベーション・技術経営

日本ではTwitter利用人口が増え、米国利用者の半数に達したとか、ミクシィを越えたとかいう話も飛び交っている。
今回は、そんなTwitterを、利用者としての視点でなく、イノベーション創出の視点から見てみる。

ミクシィやFacebookのような、ネット上で他の個人とネットワークするためのサービスを、業界用語ではSNS(Social Network Service)と呼ぶ。

Twitterが他のSNSと大きく違うのは、重要なコア機能の多くが第三者によって提供されている、というところだ。
インターフェース(API)が非常にオープンなので、第三者が自由に機能を付け加えることが出来るのだ。
Twitter自身が提供している機能は、@をつけると返信出来るとか、RTを押すとRetweetできるなどといった機能しかない。
Twitterが使いやすい理由の大部分は、第三者が提供してくれる機能によるものなのだ

例えば、URL短縮機能。
Twitterは一度につぶやける文字数が140字と制限されているため、長いURLをそのまま打ち込むとイイタイコトがつぶやけなくなってしまう。
そこでURLを短縮するサービス、というのがTwitterでもかなりコアな機能として皆に使われている。
このブログのURL http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan は http://bit.ly/qUyw2と短くなる。
こういったサービスを提供しているのは、Bit.ly (http://bit.ly/) といった第三者企業でTwitterではない。

同様に、つぶやきに「タグ」をつける Hashtag という機能があり、タグを付けたい言葉の前に# をつけるだけで、あらゆる人の呟きをタグで管理することが出来る。
これも #Hashtags (http://hashtags.org/) という第三者企業によって提供されている。

また、Twitterを長時間利用している多くのユーザが、Twitterのホームページからではなく、
HootsuiteTweetdeckなどのTwitterのヴューワーをつかってアクセスしている。
Twitterのホームページと異なり、自分がフォローしているつぶやきをリストごとに管理できたり、
統計機能がついていたり、携帯電話からTweetしやすい機能がついていたりなど、
こういうTwitter専用のビューワーのほうがホームページを使うより使いやすいからだ。

第三者が機能を付け加えるSNSなどはFacebookなどにもFacebook Connectなどがあるのだが、
中心的な機能を第三者に任せているのはTwitterくらいなものだ。

こういう第三者アプリ企業は、Twitterに自分達のつくったツールを無料で提供し、Twitterの豊富なユーザベースを活用して、自ら広告などで稼ぐビジネスモデルを取っている。
AppleのiPhoneアプリも同様で、このようにお互い共生関係にある企業が沢山ある状態を、ビジネス用語で「生態系」と呼んだりする。

このように
・自社のインターフェースを非常にオープンにすること
・第三者アプリ企業が稼げるようにしてあげること
によって生態系を作ることで、第三者のアイディアや技術を次々に、自社のサービスの一環であるかのように取り込むことが出来る。
まさにTwitterがやっているのは「オープンイノベーション」というやつなのだ。

さて、現在Twitterが苦しんでるのは、他のWeb企業と同様、ユーザベースは取れても、十分な収益源が余りない、ということだ。
現在は、Twitter SearchというTwitter内のつぶやきを検索できるサービスをGoogleとMicrosoftに売っているくらいで、それ以外の目だった収益源はないという状況だ。

もっと言うと、Twitterは上記のように中心的な機能を第三者に任せているため、そこをベースにした収益を得ることが出来ない、という事情がある。
例えば、上で紹介したHashtagは、タグごとに広告スポンサーをつければ更なる広告収益を得ることは可能なはずだが、
Hashtagの機能は第三者が提供してるので、Twitterはそういうことが出来ない。
URL短縮も、アフィリエート機能をくっつけて、AmazonやEBayなどに売るモデルも考えられると思うけれど、それもTwitterの機能ではないから出来ない。
「ホームページに広告」というベーシックな方法すら、多くのヘビーユーザが第三者によるTwitter Clientを使ってる状況ではあまり意味がない。

要するに、自社のインターフェースを余りにオープンにするのは、他人のアイディアを生かしたイノベーションには最適だが、自社が収益を囲い込むには不適当だ、ということだ。
実際、これが一般にオープン・イノベーションモデルの限界と言われている。

それで、Twitterは最近どういう方策に出ているかというと、第三者アプリの買収である。
先日も、上でも紹介したURL短縮のBit.ly買収を視野に入れて、VCから追加投資を受けることを発表したり。
ベンチャー側は大反対の声を上げているが、彼等も買収価格が適当であれば文句は言わないだろう。
Twitterをベースとしてやってる商売だから、Twitterに買収されること自体が問題ではないはずだ。

このように、最初はインターフェースなどもオープンにして、ベンチャーを育成し、最終的にベンチャーを立ち上げた技術者達が満足する適正な買収価格で買収する、というのはオープン・イノベーションの一つの型であるといえる。

ベンチャーサイドが「搾取された」と思わない、適正な買収価格、というのは重要だ。
よくCVC(社内ベンチャーキャピタルのこと)で話題になるように、「技術のコアな部分だけ奪って、買い叩く」とかいうことはやってはいけない。
ベンチャーの人たちの信用を失い、誰もついてこなくなるからだ。

またよくあるCVCのように「自分達は投資するだけ」というのもオープン・イノベーションとしては失敗例だろう。
Twitter然り、最初の技術のベースの開発や、ユーザベースの提供くらいはする方が良い。
その方が、自社とのシナジーもあるし、VCじゃなくCVCでやることの強みが生かされるはずだ。
(それを買収価格にどう反映させるかは技のいるとこだが)

以上。
Twitterのビジネスモデルを見ると、多くの日本企業も苦しんでるCVCのあり方、オープンイノベーションのやり方も参考になるのでは、と思って書いてみた。

まとめると、
・技術のインターフェースをオープンにし、周りのベンチャーにわらわら開発させて、ある程度設けさせることで、自社技術をプラットフォームとする生態系を構築
・最終的に、自社の大きな収益源になるようなめぼしいベンチャーは買収して取り込む
というやり方がオープン・イノベーションとして最適ではないか、と言うこと。

そして、CVCへの意味合いとしては、
・ただVCとして投資するんでなく、あくまで自社の技術をベースに発展するような(英語でEnvelop、と言うが)技術、自社が生態系の中心となれるような技術への投資を行い、オープン・イノベーションを発展させるやり方を目指すべき
・優秀なベンチャー企業の信用を勝ち得るため「技術だけ奪って、買い叩く」はやっちゃダメ

といったところか。

あ、これを機にTwitterつかおうと思った方。こちら私のアドレス。よろしく~→http://twitter.com/Lilac_log

参考文献:HBS Case "Facebook's Platforms" 9-808-128, Jan 2010
HBS Case "Twitter" 9-709-495, Aug 2009
TechCrunch, Business Week, etc

←面白かったら、クリックして、応援してください!


電気自動車は意外と早く普及する

2010-07-05 11:51:08 | 2. イノベーション・技術経営

世界で一番注目されている電気自動車ベンチャーの米Tesla社が、先週ナスダックにIPOした。
IPO価格は約15ドルとのことだったが、初日の終値は約24ドル。

私は、電気自動車(EV, Electric Vehicleの略)の時代は割と早く到来するだろうと思っていて、
2020年には新車市場の3割がEVに占められる、というシナリオも十分ありうると思っている。
(まあ日本政府としては、
2020年には5割をEVにすることを目指してるらしいが
 日本の経済活性化のためにもヴィジョンとしてはこのくらいのつもりでいて欲しいと思う。)

数字の裏づけはともかく、EVが意外と早く普及するかも、と私が思っている理由は次の二つ。

1) EVの長所である、燃料効率の良さと手軽な高性能さ(静かで加速性能高い、構造シンプル)は、内燃機関の車の持続的な開発では実現できないものであり、現在の市場に本質的に評価されるものだから
2) EVの決定的な短所である、電池価格、航続距離、充電時間などは、技術・ビジネスモデルの両面で徐々に解決のめどが立ちつつあるから

イノベーティブな製品が、既存製品よりも最初は圧倒的に性能が劣るのは歴史の常である。
しかし開発を担う人が増え、出荷量が増えると、性能は飛躍的に上がり、コストは下がっていく。
だから新しい技術を見る際に見るべきポイントは常に、

1) その製品の本質的な長所は、既存技術が追いつけないほど圧倒的なもので、かつ市場に評価されるものか
2) その製品の決定的な短所は、解決のめどが立っているか

の二つ。
それ以外の、性能やコストが現状で劣っているか、で議論するのは本質的ではない。
これはガソリン車自身の普及や、最近ではデジカメや液晶テレビなどのイノベーションの歴史が物語っている。
(こういう見方については、またそのうち記事に。今日はEVの話を。)

で、電気自動車については、この条件をどちらも満たしている、と私は考えているということ。
折角なので、今回上場したTesla社が発表している資料などをもとに、この辺りをまとめておきたい。

1) EVの本質的な長所が、既存技術を圧倒していることについて

まず燃料効率とクリーンさについて。
ガソリン車は、石油から精製されたガソリンをその場で燃やしてエネルギーとするのに対し、
EVは石油や石炭などを電気エネルギーにすでに変換したものをつかって充電する。
だから「燃費」のようなもので両者の効率を比較することは出来ない。
そこで、「同じ量の化石燃料を使ってどちらが長い距離を走ることが出来るか?」を比較したのがこちらである。
熱量単位MJ(メガジュール)をつかい、原油や天然ガスなど油井から取れた1MJあたりの航続距離(Well to Wheel)を見たものだ。

左から順にそれぞれ、天然ガス車、水素燃料電池車、ディーゼル車、ガソリン車、ハイブリッドのなかで燃料効率が高いとされているものを選んでいる。
(日本企業が多いのは日本人として誇ってよい(笑)-てか実際にはハイブリッドはHonda Insightの方が効率は高いはずなので、Hondaがスゴイって話かもしれないが。)
一番右は、電気自動車の代表としてTesla社のRoadsterである。

図を見れば分かるように、油井から取れた化石燃料から見た効率では、
EVはあらゆる内燃機関車の2倍以上効率が良い、と言うのがTesla社の主張である。

実際には発電は化石燃料だけでなく、原子力などもつかってるが、ここでは100%化石燃料から、最も効率の良い方法で発電されているという仮定。

更にCO2排出の面から見ても、EVは内燃機関車に比べて圧倒的にクリーンだ、と主張している。

次に、EVの本質的なメリットは、加速が非常に静かなのに加速性能が高いというところ。

加速性能は通常、100km/hに達するのに時間がどのくらいかかるか、というので見るんだけど、
通常のガソリン車が10秒以上、ポルシェなどのスポーツカーが4-5秒程度なのに対し、EVは現在コンセプトカーが発表されてるところのは、どこも4-7秒である。
また、プリウスに乗って既に感じたことがある方も多いと思うが、電気自動車の加速はとても静かだ。
ほとんど音もせず、急速に加速できるのがEVの特徴だ。

Tesla社はこれらの二つの性能をまとめ、次のようなマトリックスにしている。

すなわち、内燃機関車では、燃費は悪いが加速性能の良いスポーツカータイプか、
加速性能は悪いが燃費が良いエコな車のどちらかしかなかった。
電気自動車では、その両方を同時に達成できる、というのが彼等の主張だ。

電気自動車のメリットとしては、これ以外にも「手軽に充電できる」というのがある。
わざわざガソリンスタンドに行かなくても、将来的には自宅で、プラグをつなげば充電できる手軽さが実現できるはずだ。

それから「構造がシンプルで部品点数が少なくてすむ」というのも大きなメリットだ。
自動車業界にとっては大きな打撃となるが、消費者から見れば、構造がシンプルな方が故障の原因なども見えやすく、部品を交換すればすぐに直ることが多いので助かるわけである。

このように、新規技術が既存技術とは異なる評価軸で既存技術を圧倒しているのは、クリステンセンなどが論じている「破壊的イノベーション」に良く見られる現象だ。
最初は劣っている性能が多いから、既存技術が油断しているうちに、
劣っている性能についても、そのうちインフラが整い、開発者が増えるにつれて徐々に既存技術を追い抜き、既存技術の市場を徐々に破壊していく、という話である。

2) 電気自動車の決定的な問題点について、解決のめどが立ちつつある

電気自動車が普及しない可能性がある、最大の問題点は次の4つであると言われている
a. 電池が高い。 
b. 一回の充電に時間がかかる
c. 一回の充電での航続距離が100km程度と短い
d. 安全性が低い、十分に確認されていない
これらについては、dを除いて徐々に解決のめどが立ちつつあると私は見ている。

まずa. は、電池が高いのは仕方ないので、売り方を変えることで解決しようという流れ。
自動車各社が考えているのは、車体は普通に販売し、電池をリースにするという発想だ。
実際には、電気自動車のアーリーユーザーは電池を所有したいらしく(汗)、日産も初のフルEV車を電池込みで発売すると言うし、まあどうなるかは分からない。
しかし電池は半導体とかと違い、量産だけでは中々コストが下がらないものなので、
「車はステータスじゃない。足だ」という層にまで普及するには、この電池リースは私は必須だと思ってる。

もう一つは電池の素材を変えることで電池の寿命を増やす、コストを下げるなど、技術で解決する流れ。
リチウム電池以外の可能性を、材料メーカーや電池メーカーが模索中である。
この辺はすぐに実現ってわけにも行かないので、上の売り方と併用で様子見である。

b. は、皆さんも携帯電話などで日々感じてる「電池切れで使えないよ。充電時間かかるし。」が、車で起こったら困るでしょって話。
EVの充電は、7-8割充電するだけでも30分から1時間かかると言われている。
ガソリン車みたいに、「燃料がなくなったらスタンドですぐに補給」が出来ないのがEVの最大の問題の一つだ。

これも、まずはビジネスモデルによる解決方法で、「充電に時間がかかるなら、使いきるごとに電池を交換すればいいじゃない」という発想が始まっている。
米Better Place社などのベンチャーを中心に、EVの電池を各社で標準化することで、「電池ステーション」で電池を新しいのに交換すれば満タンにできる、という動きだ。
安全性とコストに問題はあるが、タクシーやレンタカーなどから実現を狙っている。

また、この問題を解決するのは諦めて、「家と会社とせいぜいスーパーに充電器置いて、通勤と買い物にしか車使わないって層に売ればいいじゃない」という発想の人たちもいる。
こうやってまずは普及することで、次第に充電ステーションを増やしていけば、「すぐに補給」が出来なくて困るのは長距離の旅行くらいじゃないの?というわけだ。

もう一つは、電池自体を急速充電可能なものにする、技術で解決する流れだ。
例えばMITなどを中心に現在研究が進んでいるのは、「そもそも化学電池を基にした充電池を使ってるから時間がかかる。巨大容量キャパシタを使えばよい」という発想。
理系の皆さんはご存知の通り、静電エネルギーをそのまま溜め込むキャパシターは、2次電池と違い急速に電気エネルギーを「溜め込む」ことができるわけで、それを使って充電地にしようっていう発想だ。
もちろん、安全性、コストなど色々問題はあり、すぐには実現できないが、技術の一つの大きな流れにはなりうる。

c. で、一回の充電で走れる距離が短いのも、ずっとネックだった。
特に国土が広くて、普通に通勤に片道30マイル(約50km)とかかかるアメリカでは、航続距離が60マイル(100km)は致命傷だと言われていた。
通勤は何とかなっても、週末にゴルフにも行けないよ、という印象だった。
ちなみに、ガソリン車は一般的に満タンで250マイル(400km)走ると言われている。

しかしこれも、実際にはブレーキやインバーターの開発で、EVの「燃費」は爆発的に上がっており、航続距離はかなり拡大している。
日産や三菱自動車が売り出すEVも航続距離はすでに160km以上の予定だし、Teslaも次のModel Sでは、ガソリン車とほぼ同じ航続距離236マイル(380km)を実現すると宣言している。
(追記:日産リーフの航続距離は、実用ではずっと短いという発表も→こちら参照

また、いわゆる逆ハイブリッド車、つまり通常は電池で走るが、電池がなくなったらガソリンで走ることも出来る、で解決する案も無視できない。
充電スタンドなどのインフラが普及せず、航続距離も短い間は、これが問題解決の有力な解になりうる。

最後のd. 安全性だけは大きなネックで、家電と違って「新しい技術だからちょっと不具合は仕方ない」では済まされないのが車だ。
最初は自動車各社にぐっとコストの形でのしかかるだろうが、数がはけるごとに徐々に解決するものだと思う。

以上。
もう一度振り返ると、消費者から見れば、環境負荷が少なく、静かで加速性能も高い、家で充電できる手軽さ、というのは、ガソリン車に比べて圧倒的なメリットなのだ。
それで、そのほかの不便な部分は解決のめどが立ちつつあるのであれば、アーリーアダプターが使い始めるだろう。
そうすればコストやインフラ(充電スタンド)の問題は徐々に解決する。
こうなれば、一般消費者も
電気自動車を選ばない理由は無いのである。

2020年にどうなってるか、というのはもちろんまだ分からないけれど、こういう理由で私はかなりポジティブに見ている。

参考資料: Tesla "The 21st century Electric car (2006)", その他Tesla資料。
NYTimes Blog "Wheels", Detroit Free Press, その他ネット上記事。

←面白かったら、クリックで応援してください!


五歳からのプログラミング@MITメディアラボ

2010-06-06 12:57:16 | 2. イノベーション・技術経営

プログラミングって、ある意味最強の表現手段なのだと思うときがある。

例えば先日書いた私の欲しい電子書籍のアプリ出版社が実現すべき電子教科書も、
私がプログラミングのような表現言語を持っていれば、私が見ている未来の世界を製品にすぐに実現して、世の中に広めることが出来るのに、と思う。
でも、私にはそういう表現手段が無いから、一生懸命、色んな言葉で表現するのだ。
それが、自分でモノが作れる人たちやコンテンツをもってる人たち(教科書会社とか)の目に届いて、一緒に未来を作っていければ・・と願いながら書いている。

もっとも私も一応FORTRANとかC++はかつては少しは書けたので(もう錆ついてるが)、
ちゃんと勉強すればObjective-CもJavaも書けるようになるのかもしれないが・・。

このように、いくら頭の中に未来のデバイスやアプリの姿を詳細まで想像できても、
プログラミングなどの表現手段を習得していなければ、実現するのが難しい。
どんなに音楽が好きで、曲をひらめいても、楽器が弾けなければ十分に表現できないのと同じだ。

しかしながら、プログラミングは一般的には習得が難しい。
良く分からない文字列が続いたり、カッコが羅列したり、多くの人にはイミフメイである。
ところがこの
プログラミングを、直観的に理解し、子供でも難なく使えるようなレベルにしよう、という試みが実はMITのメディアラボから生まれている。
その名もScratch。
(画像をクリックするとScratchのページ→
http://scratch.mit.edu/に行きます。
 日本語は、Language barで「日本語」を選択。)

この簡易化されたプログラムを使って、いま世界中の子供達やティーンズがゲームを作って、
次々に自分の作ったゲームをこのWebページ上で公開している。
現在の会員は約100万人、そのうちアクティブにゲームを作ってるのが17万人だという。
Scratchをダウンロードすれば、40ヶ国語以上の言語(もちろん日本語も含む)で利用できるから、世界中の子供達が使えるのだ。
(日本語の解説も公開されている→http://scratch.mit.edu/projects/0fg/931658

Scratchプロジェクトの中の人によると、意味のあるゲームを作っている最少年齢はなんと5歳だとか。
一番活発にゲームを作っているのは13歳から19歳のティーネイジャーだという。
既に100万を越えるプログラムが公開されていて、その数は一日に数千個ずつ増えている。

Scratchの特徴はプログラミングの命令が一つ一つのブロックになっていることだ。
まるでレゴブロックを組み合わせるようにして、プログラムを書くことが出来る。
プログラムのつまらない形式に捕われず、必要な概念を理解することができるわけだ。
(Scratchを産んだメディアラボの研究室のスポンサーはLEGO社で、スポンサー孝行でもある(笑))

こちらが、Scratchでのプログラミング画面なんだけど、真ん中の列が実際に書いてるスクリプト(命令群)
右側(半分で切れてるが)が、実際のゲームの完成画面。
そして、左側から必要な命令ブロックを真ん中のスクリプトにドラッグして、組み合わせればプログラムを書ける仕組みだ。

ブロックの形は、命令の意味が直感的にイメージしやすい形になっている。
例えば、どのプログラミング言語にも「For」という同じパターンを複数回繰り返させる命令があるが、
これは、他の命令ブロックを中に挟めるようなバインダーのような形をしている。
(図の右側のForeverとかRepeatとか書いてあるブロック)

ブロックに書いてあるのも、Repeat -- times とかWhen I receive..など、直感的に分かる自然言語だ。
Forとか、aを定義してからif a=XXとか分かりにくい(ごめん)言語を使う必要は無い。

こうやってプログラミングを図示して分かりやすくするソフトウェアは今までにもあったが、ここまでわかりやすい物は無かった。
やはり子供でもプログラミングできることをターゲットにしてるのが、この違いなんだろう。

更に、これが40ヶ国語に翻訳されてるので、Scratchの言語を「にほんご」にすれば、
「--回くりかえす」とか「--がにゅうりょくされたら」のように表示される。
だから言語のバリアは無い。
(個人的には日本語漢字版も作って欲しい→漢字版あるそうです!)

命令には、RepeatやSwitchのように何にでも使える命令もあれば、DanceとかWalkのように特殊な用途にしか使えないものもある。
これもレゴブロックと同じ発想で、水兵さんとか超特殊な用途にしか使わないブロックもあるが、何にでも使えるブロックもある、というわけだ。

このScratchの更にすごいのは、他の人が作ったプログラムを「Remix」して新しいプログラムを作れることだ。
他の人のゲームを見て、面白い、と思ったらそれを使って、さらに機能を付け加えたり、他のゲームと組み合わせたり出来るのだ。

実際にScratchで公開されてるゲームを見ていただければ分かるように、かなり色んなゲームが、これを使って作成可能だ。
もちろん、限界はあるが、その限界を感じるようになったら、他のプログラミング言語を習得すればいいだけのことだ。
Scratchで、プログラミングの考え方の基礎を身につけてれば、それはたやすいことだろう。

こういうソフトを使って、子供の頃から自然とプログラミングの考え方を習得し、
頭に思い描いている面白いアイディアを次々に製品にして実現することが出来たら、すごいんじゃないかと思う。

メディアラボでは、年に数回「Scratch Day」という、世界中のScratchファンの親子が集うゲーム作成の会をやっている。
もっとも、親子で来るような人の親は、エンジニアとか、Geekyな人が多いらしいけどね。
日本にも、このScratchの普及を進めてる団体があるので、子供にプログラミングの英才教育をしたい!という熱心な親御さんは是非ご参考ください。
(日本では対象年齢小学三年生~となっていますが)

個人的には、子供だけじゃなく、プログラミングやったことない大人に使って欲しいと思ってます。
今までプログラミングなんてやったこと無いけど、iPadアプリを作ってみたい、起業したい、
なんて漠然と考えてる大人が、プログラムの基礎を習得するのにとても便利なツールだと思います。
プログラムを書いて物が出来ることの喜びもすぐに共有できるし。

そういう人がどんどん増えたら、アプリ作成で起業したいなんて人も増えて、
日本の活性化に少し役立つのではないかと期待してるからです。
そして、プログラミングが普通に出来て、ものが作れる子供が今よりも増えたら、
Bill GatesやSteve Jobsが日本から生まれてくる日も遠くないと私は思ってます。

←面白かったら、クリックして、応援してください!


出版社が早急に実現すべき電子教科書とは

2010-06-05 23:36:27 | 2. イノベーション・技術経営

先日、田原総一郎さんがこんなTweetをされていた。

ある出版社から話が聞きたいと呼ばれた。教科書が電子教科書になる流れがある。これを一つ持てば小学校から高校までどんな科目も全部間に合う。そこで出版社としてはこの流れをなんとかして止めたいと思っているのだ。電子教科書になれば紙や印刷はおろか出版社の存在も危なくなってしまうからだ。

出版社・・・本当にそんなこと思ってる?
むしろ逆なのに。

出版社が紙の教科書にこだわりすぎると何が起こるか?
今は出版社が抱え込んでいる本当にコンテンツを作成する能力がある人たちが、そんな出版社に愛想をつかし、だんだんインターネットや電子書籍の世界に行ってしまうだろう。

前の記事「電子書籍はフォーマットとアプリを制したものが勝つ」でも書いたが、
電子書籍で一番大きな事件は、コンテンツが流通やデバイスと完全に切り離されたことだ。
(そのために「本の在庫」という概念が無くなったことも含む)
だから、コンテンツを保有してる出版社がその下流まで影響を及ぼす、ということが出来なくなった。
出版社が、電子書籍への流れを食い止めたいのは、この既存の影響力を保持するためだ。

しかし、コンテンツ自体の価値がまだ残されてることを忘れてはならない。
そして教科書会社は、今それと、それを作る人々とのコネクションを多数持っているということ。
本当に怖いのは、コンテンツ作成能力がある人が徐々にインターネットや電子書籍に移行してしまい、出版社がそのレベル高いコンテンツを失ってしまうことなのだ
逆に今、電子教科書に移行すれば、質の高いコンテンツを作る新しい人を取り込むことが出来る!

Twitterでこんな教材を紹介してもらった。

高校の化学の教科書がこんなだったら、もっと楽しく化学を学べたかもしれない、という人は多いんじゃないか?
教科書会社は、このユーザビリティを備えて、かつ幅広く広範な教科書を作っていくべきなのだ。

だって、こんなのって、教科書がまだ電子化されてないからすごい、と思うだけだ。
ぶっちゃけWikipediaや百科事典に載ってるレベルの情報を集めただけじゃん。
高校の化学では、もっともっと面白く、難しい概念を沢山やっている。
一つ一つの元素でももっと詳しい話や、酸化還元やそれによる電池の仕組みとか、有機化学反応とか。
そういうことが、この教材のレベルで電子書籍化されたら、あの時分からなくて苦労したことが、もっと分かりやすくなるのではないか?
教科書会社は、持っているコンテンツ作成人材ネットワークを活用して、電子書籍でわかりやすい教材を作っていくことが可能なはずだ。

更に言おう。
Twitterで下の趣旨のTweetをしていた方がいた。

PCもインターネットも教育の現場に導入されてしばらく経ちますが、何も変わってませんよ。
学校の先生が、PCやインターネットでどうやって有用な情報を手に入れて教育に生かしていけばよいか知らないからです・・」

電子教科書は、先生がインターネットなどに弱い人であっても、簡単に使い方が分かって、次々と新しい情報を手に入れられるものでなくてはならないと思う。
理想的には、先生がいなくても、子供達が自主的に学んでいけるツールであって欲しいと思う。
例えば、Google Mapは色々な情報が入っていて面白いが、それを地理の授業に活用出来るのは、本の一部の情報系に強い先生だけだろう。
電子教科書では、教科書のページにそういったネット上の情報が自然とリンクされていて、
どんな人でも簡単にネット上にある沢山の情報を活用していけるものでなくてはならない。

どうやらiPadのユーザビリティは、それを可能にしているらしい。
私の周りの子持ちiPadユーザによると、もうiPadは子供のおもちゃなのだそうだ。
デバイスを子供に渡しておくだけで、いつの間にか使い方を勝手にマスターしているらしい。
それくらい、直観的なユーザビリティだってことだ。
最近は、iPadをパソコンの使い方がいまいち分からない両親にプレゼントするケースが多いという。

先生が「情弱」だったとしても、気軽に使うことが出来るし、それ以上に子供達が自分で簡単に情報を次々に得ることが出来る、これが電子教科書のあるべき姿だ。
(そして情弱な先生が「権威」を失わないように、電子教科書を活用した指導要領をちゃんと作って売るのも教科書会社の価値だ)

教科書会社はAppleだのAmazonだのが持ちたくても持てない、「学生全員にリーチする」というスゴイ販路を持ってる。
いまの状況ではどんなに良い教科書的アプリがiPad上で紹介されても、使えるのはお金があって、ついでに情報リテラシーもある人だけだ。
教科書会社が電子書籍を作ってくれれば、全員が、素晴らしいコンテンツに触れることが出来るはず。

じゃあ教科書会社が強みを生かしつつ、もっと素晴らしいコンテンツ製作者を引き寄せていくためには、
どのような電子教科書を作っていけばいいか、夢想してみる。

<英語編>
まず、英単語を辞書で調べなくても語彙が出てくるスクロールオーバー機能は当然ついてる。
中学・高校までは、学ぶべき文法も吹き出しが出てきて教えてくれる。
教科書の英語読むのが苦でなくなるので、リーディングの分量を増やせる。
更に知らない単語をハイライトしておくと自動登録してくれて、それに基づいて定期的にテストもやってくれる。
そのうち、現在の単語力で読める本をSuggestしてくれる、自動副読本機能。
スポーツとか芸術とか科学とか、自分の興味ある分野から
副読本を選べる、最強のオーダーメード教科書になる。
(MITメディアラボの某氏と議論したときに出てきたアイディアです。感謝。)

ここでは、電子教科書のソフトの機能を強調したけど、そもそもどの文章を教材に使うか、
どのような例文で文法を学ばせるか、というようなところはコンテンツ作成者の能力が問われるところだ。
普通の人が作るよりも、教科書を作るノウハウがある会社が作る方が、圧倒的に良いものが出来るはずだ。

<数学編>
数学も、ベクトルとか、複素数とか、抽象的なイメージがわかなくて分からなかった、という人は多いんじゃないか?
こういう概念も、演算を図ですぐに示してくれるようなアプリがあれば、すぐに図形的なイメージがわかって理解しやすい。

で、実際そういうアプリは既に世の中に存在するのだが、(例:http://vf.appget.com/vf/menu/lib/ap/apview/020243.html
結局さっきの話と同じで、全ての人がすぐにネットに接続してゲットできる、というものではない。
だから、教科書会社がこういう機能を「標準の」教科書にして配布する、というのに意味があるのだ。

ついでに日本の数学のレベルはOECD諸国でもまだ上の方なので、この教科書のコンテンツを数ヶ国語で販売すれば、他の国の参考書として売れるかもしれない。
電子教科書の素晴らしいのは、そういうことも低投資で出来るってことだ。

<地理編>
Google Mapは当然利用。
教科書会社が教科書にまとめてる各地域の情報の方が、役に立つので、Google Mapの上にそれをちりばめた物を教材として使う。
昨日紹介したGapMinderみたいなものも、統計資料集として当然活用できる。

この手の「資料集」を教科書にする場合、一番大事なのは「どの順番で、どういう優先順位で教えるか」ということだ。
この辺りを、教師の情報リテラシーに任せるのではなく、ちゃんと教師がこれらのツールを生徒に教えられるよう、指導要領をちゃんと作るのも教科書会社の役目。
電子教科書は、「素敵な資料集」化するものが増えるだろうから、これが一番の価値の源泉になるだろう。
こういうのは、タダで手に入るネット上のアプリとかには存在しない。
教科書会社が価値を発揮し、売ることが出来る部分だ。

<歴史編>
教科書会社が一番強みを発揮するのはここかもしれない。
あれほどのコンパクトさで、広範な内容をしっかり纏め上げているのは、Web上のタダのコンテンツとかには見つからない。

色々議論はあるかもだけど、教科書から参考になる図書へのリンクをすることも出来るだろう。
学生限定で「電子図書館」から参考図書を借りることも可能。
「図書館」だから、一度に借りてる本の冊数は決まってるわけ(笑)
一人で何冊もダウンロードできないし、読み終わったらちゃんと返さないと次のが借りれない。

で、この教科書は当然学生じゃない大人も購入できるんだけど、その場合は参考図書は電子書籍販売サイトにつながっていて、そこで購入できる。
電子教科書でアフィリエイト。
教科書会社が新たにこんなところで稼ぐことも可能なのだ。

<物理・化学編>
化学はさっきも書いた資料集的な位置づけだけでなく、
実験なども、その場で動画につながっていて、すぐに見ることが出来る、というのが強みだと思う。
更には、実験アプリみたいな感じで、クリックしたりすると、模擬実験が出来るとか。
教科書会社は、実験を図示するんじゃなく、動画やアプリでそれを表現することだ。
こういう動画やアプリで表現できることが、電子教科書の強みだと思う。

こんなふうにアイディアを出していったら、きりが無く次々と出てくるだろう。
教科書の上からネット上の有用な情報にリンクを貼ったりして、活用できるようにすれば、「情弱」な人でも、情報を活用する方法を自然と学べるようになるはずだと思う。

以上、ポイントは
・出版社は、コンテンツを作る作成ノウハウと作れる人のネットワークを持っているのが強み。
・電子教科書でも、コンテンツを作る人の重要性は変わらない。この強みを更に伸ばすような機能を付けた電子教科書を早く作ることで、優良コンテンツを作る人を教科書に誘致できる
・そして電子教科書は、その性質を活用したユーザビリティによって、情弱な先生も生徒も、ネット上の有用なコンテンツを次々と活用できるものに出来るはず。
・更に、出版社は「全ての学校の生徒にリーチ出来る」という、デバイス各社垂涎の販路の強みを持っている。Appleなんかがその販路を獲得する前に活用出来るよう、早めに進出すべき。

ということ。
だから、すぐにでも出版社は電子教科書を始めるべきだと思うんですよ。

電子書籍関連の過去記事
My Life in MIT Sloan-電子書籍でデバイス各社はどうすべきか 2010-05-28
My Life in MIT Sloan-わたしの欲しい夢の電子書籍アプリ 2010-05-25
My Life in MIT Sloan-電子書籍はアプリとフォーマットを制したものが勝つ 2010-05-24 ←オススメ
My Life in MIT Sloan -アップルが電子書籍で最初に教科書を狙う理由 2010-01-27
My Life in MIT Sloan -日本の出版社が直面するイノベーションのジレンマ 2010-01-26

←面白かったら、クリックして、応援してください!