My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

冬の夕暮れのチャールズ川の眺め

2008-12-22 08:27:25 | ●アメリカ東海岸 紀行

ボストンはすさまじい大吹雪になってしまったが、雪が降る前の冬の夕暮れのチャールズ川を。
Longfellow Bridge(ロングフェロー・ブリッジ)を、ボストン側からケンブリッジに向かって渡るときの眺め。

地図を見ると分かるように、ちょうどビーコンヒルから、MITがある側(Red Line Kendall)に帰るときに渡る橋。

ちょうど、橋をわたりかけるところ、Red LineのCharlesの駅近く。
こういう、冬らしい木々の眺めが好きです。

ボストンの街並みが川向こうに見える。

橋の上から、ケンブリッジ方面の眺め。
橋には、伝統的な給水塔が立ってるんだけど、それがなかなか良い感じ。

これが給水塔。
結構歴史的な建造物なんじゃないか、と思うが詳細は知らず。

こんな感じで、橋の上を渡りながら、両側のボストンの景色が楽しめるので、個人的にはロングフェロー・ブリッジを歩いて渡るのはお勧めです。

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ボストン・コモン-秋バージョン

2008-12-15 05:21:23 | ●アメリカ東海岸 紀行

試験勉強中です。
明日、Accounting(会計学)の試験があるけど、まだ準備が始められていません。
その次の日のFinanceの試験の準備をやってます。不安が残るので、終われない。。
Accountingもそろそろ始めないとやばいのに…。終わるのか?

ちょっとひとやすみ。

ボストンの街のど真ん中には、ボストンコモン、という公園がある。
先月撮った写真だから、11月上旬と、ちょっと前の写真だけど、見てると気持ちがなごむのでアップ。
試験勉強で乾ききった心を癒したいので。

ボストンコモンの北側のBeacon Hill Streetの眺め。
秋の夕暮れって感じです。

ボストンコモンに入ったところ。
色づいた葉っぱと秋の日差しが美しい。

おや、こんなところにリスがいますよ。
望遠で撮ってみる。
黄色いはっぱを大事そうにかかえてる。
何を見てるのかな?

木の根っこから登るところ。
こんなに近づいて写真をとっても、あまり気にしてないみたい。
しっぽが大きくてかわいいな。

2匹目のリスを発見。
こちらも黄金のじゅうたんの上に、ちょこんとのって、かわいいです。

ボストンに遊びに来た時は、ボストンコモンに行ってみるのはお薦めです。
りすやかもなどの動物もいろいろいるし、四季折々の光景を楽しむことが出来るので。

←可愛いリスにも一票。

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産業革命とアメリカ- Old Sturbridge Village (2)

2008-11-16 00:12:39 | ●アメリカ東海岸 紀行

MBA生として、スターブリッジでもうひとつ面白かったのは、産業革命の側面。
農業・手工業中心だった18世紀のアメリカに、徐々に産業革命の足音がせまり、人々の生活が変わっていくのが再現されている。

美しいオールド・スターブリッジの農業地域の朝。
本当に18世紀か19世紀にタイムスリップしたんじゃないか、という気がしてしまう。
映画のロケ地に使われるというのもうなずける。


こんな風に農業が盛んな地域は、まだ産業革命とは無縁のはずだった。
ところが…

ニューイングランド地方の特徴は、水が豊かなこと。
バーモントやニューハンプシャーを水源とした川がコネチカットやニューヨークに向けて流れ込んでいる。
だからこんな風に、素敵な水の風景がたくさん広がっている。

産業革命が始まり、人々はこの川を利用してダムを作り始める。
ダムから落ちる水を動力にして、水車を回す。
水車は、木材を切るためのチェーンソーのようにして使われたり、羊毛を糸にする工程でCurdingという、繊維の方向をそろえる過程に使われたりする。

これは、オールド・スターブリッジ内に再現されている当時のダム。
ダムのそばには、「ダムは誰のもの?」というタイトルで、ダムをめぐっての産業側と農業側の係争が描かれている。

ダムを作った繊維工業の企業家M氏が、水車を回す動力として、ダム内に貯めた水を一気に放出。
周りが一気に水浸しになる。
ダムの周囲の土地の干草農家P氏は、自分の作物を水浸しから守るため、あわててダムの水門を閉じた。それでもかなりやられてしまっている。

怒ったP氏は、商品にならなくなった干草の損害賠償を求めて、M氏相手に訴訟を起こす。
一方、M氏は、P氏が水門を勝手に閉じたことで、工場の稼動が止まってしまったといい、その分の機会損失の賠償を求めて、P氏に逆訴訟を起こした。

どっちが勝ったでしょう、という問題。

答えは、企業家のM氏。
理由は、M氏の工場がとまった損害のほうが、P氏の干草の損害よりもずっと大きく、よってアメリカ経済全体に与える影響を考えると、水門を閉じるほうが問題だ、ということらしい。

何かアメリカらしい判決だ。
あくまで経済的インパクトが指標であって、先住権は問題にならないのだ。日本とは違うね。
まあ、先住権を判決の指標に使ってたら、先住民からの全ての訴訟に負けてしまうからね。

とはいえ、この時期で既に、水車を使った工業の1日の稼動が、干草農家の一年間の収入より大きくなっていた、というのはすごい。それが、産業革命の影響なんだ、と思った。

産業革命が来たとはいえ、一気に工業化が進んだわけではない。
1800年代の時点では、産業の上流の部分だけが工業化されたが、実際の製品を作っている下流のところはまだまだ手工業が大活躍。
「大量生産」という概念はこの時代にはまだ無い。
ベルトコンベアやミシンを使って商品そのものの工業化は、20世紀を待たないとやってこないのだ。

すず製品の手工場を再現したところを見に行って、それが判明。

この手工場では、職人が、サプライヤーから買ったすずの板を加工して、食器やランプ、バケツなどの製品を手作りで作っている。

スタッフによると、すず板のサプライヤーは、水車などを使って、金属錫を延ばして、板を作っているという。そういう上流の工程は1800年代の半ばでは既に工業化されていた、という。
しかし、実際の商品を作る残りの過程は、すべて各地のこういう小さな錫食器工場とかが、請け負って、一つ一つ手で作っていたのだ。
ベルトコンベアや電気で動く機械を使って、大量生産が行われるようになったのは、20世紀に入ってからのこと。

繊維なども同じ。
1800年代のアメリカでは、羊毛や綿花をカーディングして、糸にする過程は水車の動力を使ってやるべく工業化されていた。
でも、そこから布を作る過程は、まだ各家や手工場に任されていたのだ。
労働の完全な分業で、大量生産が始まるのは、ここでも20世紀に入ってからのことなのだ。

今回の旅行は、プリマスに始まり、スターブリッジまで、アメリカ開拓史を堪能した旅。
考えるところも多く、自分としては、知見を広げるのにとても良かった。
次は、セーラムやコンコード。独立戦争・南北戦争、そして魔女裁判など、混乱と係争の歴史にも踏み込んでみたい。

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19世紀の市場経済-Old Sturbridge Village(1)

2008-11-15 13:18:10 | ●アメリカ東海岸 紀行

翌日はスターブリッジへ。
19世紀-とくに1820-60年当時のアメリカを再現した、野外博物館。
アメリカが独立してしばらくたって、南北戦争とかが始まる前の時代がモチーフ。映画などのロケ地としても使われているらしい。
ニューイングランドのいろんなところから、歴史的な建造物が移築されている。

スタッフがその時代の人になりきってるプリマス・プランテーションにはかなわないけど、いろいろ見所があって、とっても楽しかった。

単に楽しい、というより、MBAに通ってる学生として発見がいくつもあった。
ひとつめは、実は19世紀は、現代よりよっぽど市場経済が人々の身近にあった、ということだ。

今の世の中で、石油価格以外で、実際の生活に直接響いてくる市場価格ってあんまり無いと思う。
そりゃ、小麦とか、鉄の価格とか、大事といえば大事だけど、庶民には関係ないよね。
だから、今日の鉄の価格なんて普通知らないし、日経新聞のコモディティの欄なんて、そういう仕事してる人以外は読まないでしょ。
そんなの知らなくても生活できるのが21世紀の世の中なのだ。

ところが19世紀のマサチューセッツは、日々の食料品の値段から、鍛冶屋で換金してもらうくず鉄の値段まで、人々が必要な価格がちゃんと市場の中で決まっていた。
市場が、人々の生活に密接につながっていた。

だから、普通の人々にとって、店の人にだまされないために、そして少しでも良い生活をするために、市場の取引価格を把握しておくのがとても大事だった。

これが、日々の必需品の値動きを知らせる新聞。
価格は、需要と供給の法則にしたがって、毎日変わる。
人々は日々この新聞をみて、糸や布を買ったり、作った野菜やお酒を売ったり、集めたくず鉄を売ったりしていたのだ。

このお店は、普通の人たちが作った商品(糸とか服とか、樽とか…)をまとめて取り扱う商店。
自分が野菜や布を作ってきたなら、新聞に出ているBid price(売値)で売ることが出来るし、タバコや服が必要ならAsked price(買値)で買うことが出来る。
商店は売値と買値の差額を儲ける仕組みだ。

債権など金融の世界では、いまでもBid priceとかAsked priceとか使うと思うけど(ていうかファイナンスの授業でやったけど)、こういう普通の必需品の取引から始まった言葉なのだ、と思うと不思議だ。
それに、ミクロ経済で、需要曲線と供給曲線から、価格平衡を求めるなんて問題も死ぬほどやったけど、19世紀の世の中なら、普通のこととして自然に当てはまったんだろうな、と納得できる。現代だと、それが当てはまる事例を探すのも一苦労なのに。

こちらは糸や布、くつなどの製品。
商店には、ほかにも酢、塩、スパイスなどの調味料やタバコや酒などの嗜好品まで、ありとあらゆるものが、そろっている。

鍛冶屋に行く。「地球の歩き方」によると、この鍛冶屋は観光客に最も人気らしい。
いろんな家事に必要な道具がそろっていて、その場で実演してくれるので、確かに面白い。

ここでも面白かったのは、やっぱりこの鍛冶屋が市場と密接につながっていたという話。
19世紀の前半でも、すでにちゃんと市場経済というものがあったのだ。

鍛冶屋は、新聞にも載っている市場価格で、鉄や鋼鉄を購入する。
イギリスの商人から買うこともあるし、アメリカ国内で鉄材を作り始めた生産者から購入することもあるとうが、購入価格は同じで、市場価格でちゃんとひとつに決まっているのだ。だから、相手が知らないことを利用して大もうけなどは出来ない。そう意味で効率的になってるのだ。

プランテーションのピルグリムが、毛皮の価格を知らないイギリス人に言い値で売って大もうけ出来たのとはえらい違い。
19世紀には、ちゃんとひとつの価格が決まる市場があり、それだけ効率化されていたということだ。

鍛冶屋では、普通のお客がお金での支払いの代わりに、くず鉄を持ってきて支払うことが可能だった。
そのときにくず鉄を買い取る値段は、新聞に載っている市場価格で決まるという。
うーん。ちゃんと生活に結びついてるんだなあ…

ちなみに、鍛冶屋のおじさんを演じていたのは、ニューイングランドのどこかの会社で働いていた、元エンジニアだという。エンジニアの彼は日本が好きで、その勤勉さに共感しているらしい。彼によると、ニューイングランドの白人は日本人のように勤勉なところがあるので、とても良い製品を作ることが出来るが、ノースカロライナの人間はダメらしい。
アメリカ国内で流通している偏見がどんなものか分かって、ちょっと面白かった。

市場経済ついでに。
当時の銀行を再現した建物もあった。

19世紀当時は、今みたいに中央銀行が紙幣を発行するのではなく、各銀行の銀行券として紙幣が発行されていた。
ということで、当時のいろんな銀行券のコピーが展示されていた。

こんないろんな種類の紙幣が流通して、市場は混乱しなかったんだろうか?
もちろん現代のアメリカでは、日本の紙幣と同じく、中央銀行 Federal Reserve Bankの銀行券として、ドル札が発行されてます。

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ケープコッド(5) -サンドイッチ・ガラス美術館

2008-11-14 23:43:09 | ●アメリカ東海岸 紀行

ロマネ・サン・ヴィヴァンを頂いたランチの後は、ホテルのすぐそばのガラス・ミュージアムへ。
次の目的地に向けて2時間くらい運転する必要があるので、酔い覚ましも兼ねて。

入場料は5ドルだが、展示の仕方が非常にわかりやすく、かつ面白い。
小さな博物館だけど、よくやってる。

ガラスの色を出すのに、どの金属を使うか、という話。
色は金属のイオン(金属の原子から1,2個電子が取り除かれた状態)の種類で決まる。
真っ赤が金、真っ白が鉛、緑が鉄、水色が銅、群青がコバルト、そして薄紫がマグネシウム、など。
何か、高校の化学の授業で一生懸命覚えたなあ、と懐かしく思い出す。

一番左側の黒い箱の中にある、黄緑に光っているのは、ウランを混ぜたという蛍光色。

ウランは放射性があるだけでなくて、蛍光物質としても知られていて、紫外線を浴びると緑色に光る。
鉱物でいうと、蛍石なんかが、その代表例。
18世紀の人たちが、こんなものを作っていたなんて、何か粋だね。

お姉さんが「今から実演をやるわよー」と呼びに来た。
博物館の中に、高炉があって、そこで実際のガラス食器つくりを見せてくれるらしい。

ワイングラスみたいな、柄のあるグラスを作ってくれた。
専門のガラス職人が作るわけじゃないので、失敗することもある。
このときも、最後にちょっと失敗して、一瞬で割れてしまった。ガラス工芸ってやっぱり難しいんだな。

展示はいろいろ。
写真は19世紀前半から作られ始めたという、mold(型)に流し込むタイプの食器。
ここまで手の込んだ食器って、今では婚礼食器売り場でさえ余り見ないけど。
ひとつひとつが、心を奪われる美しさ。

19世紀後半から20世紀にかけてつくられていた燭台。
デザインがちょっとフランスのアール・ヌーボーっぽい。
時代が同じだから、影響を多少は受けているのかな。

こちらは、表面に金属箔を混ぜることで色を出している食器。
日本の茶器などの陶器を見ているような気がする。芸術って互いに影響を与え合ってるんだなあ。

サンドイッチのガラス工場では、何と1600年代から明かりに関するガラス器具を作り続けていたそうだ。
1600年代のアメリカにはろうそくすらなく、動物の脂や木の脂を燃やして明かりにしていたという。
植民地時代のアメリカ人の苦労が偲ばれる。
そんな生活に彩りを与える、脂を燃やすためのガラス器具。

1700年代はじめには、ろうそくも普及し、サンドイッチで作るのも、ろうそくを立てる燭台へ。
さらに1800年代には、捕鯨も盛んになってきて、Whale oilという鯨から採った油を燃やすようになった。液体なので扱いやすく、アルコールランプみたいにして使っていた。それに合わせて燭台の形やデザインが変わってくる。

その後1900年代に入ってからは、石油からとった灯油を使うのが一般的に。
デザインも、だんだん現代的になってきた。

トーマス・エジソンが電球を発明してからは、このサンドイッチの工場でもGEから委託されて、電球をつくるようになった。写真は最古の電球。

こうして時代と共に変わる技術や習慣に合わせて、400年近くもガラス器具を作り続けて来たんだな、と実感。

お土産やさんにも、素敵なガラスの食器やアクセサリーが並ぶ。

結局1時間半も美術館にいたらしい。
ミュージアムを出たら、すっかり外も暗くなっていた。

外見はこんな感じ。

日本にも同様のコンセプトの博物館は各地にあるし、その中のいくつかにも行った事があるけど、ここは展示の仕方や説明のしかたが上手いし、面白い。
前日のプリマス・プランテーションもそうだったけど、アメリカのこういう博物館って日本もまだまだ学ぶところが大きいな、と思った。

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ケープコッド(4)-DRCのロマネ・サン・ヴィヴァンを飲む

2008-11-13 20:43:30 | ●アメリカ東海岸 紀行

ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)のロマネ・サン・ヴィヴァン、1986年。
ワインの王様、ロマネ・コンティを作るDRCが、
世界最高の畑のひとつから作り出すワイン。

このワインは、お値打価格とはいえ、レストランでも高いワインのひとつ。

1986年といったら、そこまで素晴らしい、という年ではない。
だからこそ、DRCのワインがたったの二十数年で飲み頃に達しているとも言える。

正直、こんな良いワインを、三十そこそこの自分が飲める機会があるとは思わなかった。

良いワインなので、普通のスタッフではなく、セラーマスターが登場。
とても緊張した面持ちで、デキャンタージュをしている。
非常にゆっくりと、あわ立たせないように、えんじ色の液体がデキャンタに注がれる。

緊張したマスターの表情を見ているだけで、このワインが特別なワインだということが分かる。


私が写真を撮っていたら、テーブル担当のスタッフが
"Daniel, you should smile. She is taking your picture"
(ダニエル、笑わなきゃダメよ。写真を撮ってるのよ)

するとマスターは、
" I'm concentrated on it" (私は集中しているんだよ)
と答える。
二人とも、このレストランに勤めて、何十年、と経つんだろうな、という雰囲気を漂わせている。
そんなスタッフが緊張して扱うワイン。大切に飲まなくては。

デキャンタしているそばから、まるでバラの花のような芳しい香りが漂ってくる。

色は、デキャンタに注いでいる時から、えんじや茶色の色が目立っていた。
グラスに注いでもえんじ色。淵はオレンジに染まり始めている。ちょうど飲み頃だ。

香りは、注いでいる時はバラの香りだったが、一度グラスに入って多少納まった。
代わりに、少し木の皮やけものに近い香りが目立つ。

10分くらい経つと、ワインが花開いてきた。
バラの花束。少しずつ違う、いろんな種類のバラを集めてきた花束みたいだ。
ベリーの洪水。最初に強くやってくるストロベリー。それからちょっと重めのラズベリーや酸味が鼻をくすぐるクランベリー。
柑橘系は余り感じないが、強いて言えばオレンジだろうか。
そしてマッシュルーム。木の皮やバニラ、メープルシロップのような香り。

時間をかけて、ゆっくりと飲んでいると、紅茶、ダージリンティーのような香りも漂ってきた。
そしてムスクもあるだろうか。重く、しっかりとした香りが芯を支えている。

味は、最初酸が強くて、落ち着かない感じだったが、だんだんタンニンと馴染んでくる。
とても力強いワイン。ロマネ・コンティがバラやストロベリーのような香りがしながら、男性的なワインだと言われる理由が良く分かる。
後味は、強い酸味とミネラルの味。強く舌に残る。
時間を経ていくと、これがイチゴミルクのようなまろやかさに変わっていくから不思議だ。

これを書いてる今は、飲んでから5日も経つが、鼻腔をくすぐるストロベリーとバラの香りが鮮明に記憶に残っている。
これが本当のワインなんだなあ、と思った。
前日のムルソーといい、本当に良いワインが飲めて幸せだー。

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ケープコッド(3) -Cape codは紅葉まっさかり

2008-11-12 12:49:16 | ●アメリカ東海岸 紀行

翌日、土曜日は朝からケープコッドをドライブした。
昼ころから、ホテルのレストラン、コンサバトリーでまた食事をしようと思い、朝早くにホテルを出発した。

ケープコッドは、マサチューセッツの南側にあり、海に面している部分が多いせいで、ボストンより暖かい。
ボストンでは既に散り始めている紅葉が、ケープコッドでは真っ盛り、という感じだった。
フリーウェイを走っているだけで、道の両サイドの紅葉が楽しめる。

サンドイッチから一時間くらい走って、Orleans(オルレアン)の町に出たあたりで引き返すことに。
朝は雨が降っていたが、だんだん晴れてきた。
帰りはフリーウェイではなく、6Aという下道をゆっくり通って帰る。

フリーウェイと違って、下道を走ると、紅葉が近くにより近くに迫ってくる。

赤い紅葉だけでなく、黄色の紅葉も。

6Aの素敵なのは、フリーウェイより海に近いので、時たま海を臨むことができること。

3時間ほどのドライブを終えて、サンドイッチの街に戻ってきた。

この街は、ほかの街に比べても、やっぱり圧倒的に紅葉が綺麗。
メイプルツリーの真っ赤な葉。つい目を奪われてしまう。

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ケープコッド(2)-老舗ホテルでラフォンを飲む

2008-11-12 08:59:23 | ●アメリカ東海岸 紀行

本当に良いワインを飲むと、溢れるほどにワインを表現する言葉が出てくるんだな、と実感した。
ブルゴーニュの秀逸な作り手の一人、コンテ・ラフォンのムルソーを飲んだのだ。

Dan'l Webster Inn のこれまた有名なレストラン、コンサバトリー。
このレストランも、ホテルが出来た1690年代から続く老舗。300年間も、料理をアップグレードしながら続いてる。温故知新。

このレストランは、温室のようなガラス張りが特徴。屋根から左半分と、奥の壁がガラス張りになっている。
天井からは二つの大きなシャンデリアが、食卓を照らす。

さて、どのワインを飲むか。
ワインリストを見てびっくり。ワインが安い。
しかも90年代などのビンテージが、信じられないほど安い。一桁違うんじゃないか。
実は、こういう良いレストランでは、当時ワインを買い付けた時のコスト+アルファで提供するので、こういうことがあるという。

前菜は、店の看板料理、ロブスター・チャウダーを頼む。
ロブスターのみそを使ったチャウダーに、ロブスターの身がふんだんに使われているという。

クリーミーなロブスター・チャウダーに合わせて、ムルソーを頼む。
それも、ドメーヌ・デ・コンテ・ラフォンの村名ワイン、ムルソー。
村名とはいえ、90年代のラフォンなんて、東京のレストランで飲んだら、3万円とか5万円とかするんじゃないか。
これが100ドル程度。なんて良心的。

色は琥珀がかった黄色。表面が輝いて、光を照り返しているのが写真でも分かる。
強いミネラルの証拠。

香り。まず数種類のナッツから始まる。ヘーゼルナッツ、ピスタチオのような香ばしい香り。
それからトーストの香り。この辺は樽香か。
更に奥に分け入ると、トロピカルフルーツやパパイヤなどの南国のフルーツの香りがする。

少し時間がたつと、ドラマチックに香りが変わっていく。
カラメルのような重い香りが支配するようになる。
バニラの芳香。カスタードクリーム。バター。
結果として、まるでクレームブリュレを食べているかのような香りがする。
強いミネラルも顕在。ナッツの奥深くに石灰岩のようなムルソーらしいミネラル香を感じる。

30分くらい経つと、更にゆりの花のような香りがしてきた。
香りだけでこんなに楽しめる、本当に素晴らしいワインだ。

味。すごいミネラル。酸味も強い。ブルゴーニュの白らしい、強い酸味。
置いておくうちに、開いて、酸味とミネラルのバランスの取れた味わいへと進化。

看板料理のロブスター・チャウダーも素晴らしい味わい。

ロブスターのミソにクリームが溶け合って、ぐっとコクのある味わい。
ムルソーと素晴らしいマリアージュ。
ナッツの香りが、ロブスターの潮っぽさを包み込み、ナッツやバター、カスタードの香りが、クリームをよりクリーミーな香りへ変える。改めて、マリアージュってこういうものなのだなと実感。

ロブスターの身は、しっかりとした噛み応えで、まるでカニを食べているよう。

メインは私はカジキマグロをいただいたが、これまた素晴らしかった。
おなかもいっぱいで、素晴らしいムルソーを味わい、大満足。

【まめちしき】
ムルソーは、フランス・ブルゴーニュ地方の南側、ボーヌ地域を代表する白ワインの産地のひとつ。
辛口でありながら、ナッツのようなクリーミーなまろやかさが特徴で、クリームやバターを使った料理に良く合う、といわれている。

「ムルソー」というのは村の名前。
ボトルにMeursaultとだけ書いてあるワインは、畑を特定しない「村名ワイン」。
村の中に、本当に良い葡萄を産出する畑は特別の名前がついていて、Meursault Charmes (ムルソー・シャルム)、Genevrieres(ジュヌヴリエール)、Perrieres(ペリエール)などが有名。こういう特別の畑の葡萄だけを使ったワインは、それぞれの畑の名前がワインの名前になる。

もうひとつ、重要なのがドメーヌ(作り手)。
Meursaultだと、Coshe-Dury(コシュ・デュリ)やLafon(ラフォン)、Leflaive(ルフレーヴ)、Leroy(ルロワ)などの有名な作り手の村名ワインは、無名な作り手の特級畑のワインより、美味しかったりするので、値段も高くなる。

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ケープコッド(1) - Dan'l Webster Inn

2008-11-11 23:59:31 | ●アメリカ東海岸 紀行

プリマス半日観光を終えて向かったのは、Dan'l Webster Inn。
ケープコッドはサンドイッチにある、1691年創業の老舗名門ホテルだ。

「地球の歩き方」にも良いホテルとして紹介されていたほか、Google Hotel ratingなどでも高い評価だった。
何より、ケープコッド出身のDorotheeがお勧めのホテルだと言っていたので間違えないと思っていたが、実際素晴らしいところだった。

事前のホテルの対応も、とても親切で、誠実。細かいところまで気配りがあるのが分かる。
例えば、私はインターネットで予約したのだが、誤って2クリックしてして二つ予約していたところを、翌日に電話で知らせてくれて、余分にチャージされずにすんだ。
ホテルのレストランで高いワインを頼んだ時の対応も、一流ホテル並だった。
従業員どうしも仲が良く、みなこのホテルで働いているのを誇りに思っているようだ。

ホテルの正面はこんな感じ。

専門の庭師がいるとのことで、表の庭、裏庭もきれいに手入れされている。

馬車にコーディネートされた色とりどりの花が美しい。

近辺の風景。
Dan'l Webster Innは、サンドイッチの閑静な住宅街のど真ん中にある。

冬の午後の低い太陽が、すっかり葉の落ちた木を照らす。
白く塗られた木造の家が多く、ニューイングランドらしい雰囲気が出ている。

こちらもホテルの前の写真。メイプルツリーの紅葉が美しい。

素敵なケープコッドの風景を写真で味わっていただければ幸いです。クリックで投票をお願いします!

 

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プリマス(3) -プランテーションは清教徒のベンチャー

2008-11-10 12:50:43 | ●アメリカ東海岸 紀行

先住民の村を出て、まるで秋の尾瀬のような雰囲気の湿地帯を抜けると、白人入植者の植民地にたどり着く。
高い塀に囲まれている。

こうやって、先住民から奪った「自分たちの土地」を「守って」いるわけだが、その発想がいかにも農耕民族らしい。
狩猟民族で、土地所有概念のない先住民が柵も何も設けないのとは好対照だ。

門の中に入ると、焚き木を割って高く塔の様に積み上げる作業をする人たちがいる。

聞くと、この村で一年間で使う焚き木らしい。
こうやって塔のような形にして乾燥させると、場所もとらずに済む。

村の人に話しかけると、みんな色々と違う情報を教えてくれる。話してみると、人々は完璧なイギリス訛りの英語をしゃべる。みんなアメリカ人だが、スタッフとして相当な訓練をつんでるらしい。

RPGを実地でやってる気分。
実際、いろんな人に話を聞くうち、このプランテーションの経営のされ方・仕組みの全体像がおぼろげながら見えてきた。
アメリカの歴史を知らない私には、これはかなり新鮮な経験だ。

村にはいくつも家が建っている。その中のひとつに入ってみる。(この辺もRPGみたい)

中には、白い布で頭を覆った上品な女性が一人と、いかにも農民な格好をした男性が一人。
二人は夫婦だという。

家はとても小さい。
そこに、旦那のサミュエルの老いた母親と、サミュエルや奥さんの妹たち、あと自分の子供の6人で今の家に暮らしているという。

天蓋のようなものがかかったベッドが夫婦二人のベッドで、子供と一緒に寝ている。
おばあちゃんは暖炉の横の簡易ベッド。
妹たちは二人で、暖炉の上の簡易ベッド。え、そんなところに人が寝られるの?と思うところにベッドがある。
家が小さいから有効活用なのだ。

本当は昨年まで、もう一人子供がいたのだが、病気でなくなったという。
「私たちの子供はここに寝ていたのよ。」と奥さんが床を指差しながら悲しげに言う。

なぜか家の中を写真を取るのが申し訳ない気がして、窓の写真を撮ってみる。

サミュエルもいたたまれなくなったのか、農作業をすると言って、家の外へ出て行った。

さらに、隣の家にも入ってみると、女性二人と、先住民の男性が一人、3人でなにやら深刻そうに話をしている。
話しかけてみると、「あら、ごめんなさい。気付かなかったわ。今ね、Debtの話をしていたの。」という。
Debt? 負債のこと?

「負債って何ですか?」と聞いてみる。すると
「英国への負債のことよ。私たちは土地を1エーカーずつ英国政府から借りているんだけど、7年間で返しきれば、私たちの土地になるのよ。それに投資家への借金もある。だからそのために売れるものは何でも売るわ。」

 

今日は、先住民の男性との交易の日。
先住民が取った毛皮と、自分たちがイギリスから持ってきた金属食器や陶器、野菜などを交換。
毛皮は、本国英国でとても高い値段で売れるので、いいお金になるらしい。

要は先住民が、毛皮のイギリスでの価値を知らないことを良いことに、毛皮貿易でさや抜きして儲けているわけだ。とはいえ、先住民と仲良く交易することは入植者にしか出来ないので、さや抜きできる確かな理由はある。

更に別の家へ。そこは女性が一人で家を守っている。

家族は何人いるのか、と聞いてみると、夫が一人と、夫の両親、そして子供の6人家族だという。

夫は外で農作業中だそうだ。
そして、この女性の仕事は洗濯と、一日2回の食事を作ること。
この食事の仕度には、家畜を殺す仕事も含まれる。

家畜を殺すのは、なんとなく男性の仕事、と思っていたが、ここでは違うらしい。
「そんな血なまぐさい仕事を女性がやるのか?」と問うと、農業じたいが大変な仕事で、それを男性がやっているので、残りのこまごまとした仕事は女性がやるべきなのだ、という。なるほど。

ちなみに、この家はもともとイギリスの土地を持たないpeasant (百姓)だったが、この新天地に家族で引っ越して、英国政府から土地を借りて7年目という。
しかも無事借金も返し終わる見込みという。

お話なのは分かってるんだけど、思わず「Conglaturations!」とか言ってしまう。
 

外に出ると、また別の農園で農作業をしている女性がいる。
Horse radish(大根?), leak(ねぎ)などを主に育てているらしい。

女性が畑を耕すのは、珍しいのではないか?と声をかけてみる。
すると彼女は、「今は自分の夫が英国政府に交渉に出ているので、自分が耕すしかないのだ」という。
聞くと、今年が彼らにとっての7年目なのだが、負債を返しきるめどが立っていないのだそうだ。
それで、もう少し期間を延長してもらえないか、という交渉に行っているという。

彼女には、プランテーションの仕組みを色々教えてもらった。
清教徒は、プリマスの地にたどり着く前から、イギリスの投資家から資金を募り、今で言うベンチャー企業を設立していたという。
メイフラワー号を建設してアメリカにたどり着いたのも、プリマスの土地の使用権を英国政府から借りられるのも、新天地で何とか生活が出来るのも、その投資家らの資金支援があるからこそ。
投資家は、アメリカで植民地を開拓することで得られるリターンが大きいと考えているので、投資をしている。
そして、清教徒たちは、その負債を払うために働いている。
また、その元手として英国政府に土地を借りているので、そのために7年間の間に土地を買い戻すだけ働く必要もある。

アメリカの偉大なプリグリム・ファーザーズは、その成り立ちからしてベンチャービジネスだったのか。

プリマスはアメリカが始まった場所。
生活はとても大変そうだけど、彼らは新しい国を作る希望にあふれている。
この人たちの苦労があったから、今のアメリカがあるんだなあ、とちょっと感動した。
移民の国アメリカが好きになった一日だった。

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プリマス(2) -プリマス・プランテーション

2008-11-10 08:00:00 | ●アメリカ東海岸 紀行

Plymouth Plantationは、プリマスに入植した人々の生活を再現しているという野外博物館。
「地球の歩き方」にも紹介されている。

入場料は大人24ドル、学生だと22ドルでメイフラワー号のチケットも付いている。
ちょっと高いかな、と最初は思ったけど、全くそんなことはなかった。
今まで見たことがないほど、質の高い野外博物館。
訓練されたスタッフが、植民地時代の人になりきって生活しているというだけじゃない。
プランテーションの経営のされ方やイギリス政府との交渉の苦労なんて話まで、それぞれの視点で語ってくれる。
全く子供だましじゃないので、ある程度大人になってから行く方が楽しめると思う。

最初のオリエンテーション・ビデオはスキップしてしまったが、これは聞いておいたほうが良いかも。
その時代の人になりきっているスタッフと、どう会話するかなどを教えてくれるらしい。

センターを抜けて、最初に出てくるのは先住民の村。

写真の手前側にある黒っぽいのはWinter homeで、Bark(木の皮)で作られている。
向こう側の白っぽいのがSummer homeで、Straw(わら)で出来ている。

とりあえず、低い入り口ののれんをくぐって、Winter homeの中に入ってみる。
すると、中に当時の衣装を着ている女性スタッフと子供がいてびっくり。
しかも英語じゃない言葉をしゃべってる。原住民の言葉?

私が入ってきたのに気が付いて、英語で解説をし始めてくれる。
彼女は夫がいるのだが、今は白人のいるプランテーションのほうに行って不在らしい。
それから、この家は、Three fires houseといって、3家族が住んでいるらしい。1家族1 fire。
3家族全部で14人いて、その14人が、家の壁の周りに作られたベッドに寝るという。

3家族が同じ家っていうより、仕切りもない同じ部屋に住むのってすごい。
しかもベッド隣り合わせ…。本当なのか?
だってその何ていうか、例えば子作りとかってどうしてるのかと。
みんながいる前で、しかも同時平行で行われているわけですか?と思うわけですよ。

かといって、子作りはどうしているのかなどというナイーブな質問を聞くわけにもいかない(笑)。
で、別の話をしているうち、3家族というのは兄弟など同じ世代ではなく、3世代のことだと分かった。
そうすると、一番若い世代だけが子作りをし、じーちゃんばーちゃんはしないので、少なくとも同時並行ではない。
14人も同じ部屋にいるのに? という疑問は残るが。

ちなみに、この違和感は現代人として心理的に感じるだけでなく、学問的にも実証されているらしい。
大学生の頃、文化人類学の授業で、どんな文化でも、一つ屋根の下には、現役で子供を作っている家族はひとつしか置かない、というのを習った。詳細は忘れたが、単に誰の子供なのか分からなくなるなど、色々実質的な問題が生じてくるのを避けるためだったと思う。昔は、子作りは特にロマンチックなプロセスではなかったので、二人の時間を大切にするとかいう理由じゃないのは残念だけど。

Summer houseの中にもお邪魔してみた。
スタッフの演技が上手くて、ここに「住んでいる」みたいに振舞うので、こっちも「お邪魔している」気持ちになる。
説明も「私の家族は7人で」とか「私の夫は今狩猟に出ているので」とか「私の家は…」とか、一人称だ。
本当に住んでるみたい。
外では焚き火を炊いて、とうもろこしなどで食事を作っているが、本当にそれを食べて、皆で会話している。
展示ではなく、本当に17世紀にタイムスリップして、生活を見させてもらっている気がする。

ここまでスタッフがなりきってると、説明に説得力があるし、そもそも会話するのが楽しい。

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プリマス(1) -メイフラワー号とプリマスロック

2008-11-09 10:13:37 | ●アメリカ東海岸 紀行

金曜はまず朝9時にレンタカーを借りにHertzへ。4日間のニューイングランドの旅の始まり。
出発時にちょうど降り始めた雨に負けることなく、まずはプリマスへ。
ボストンからプリマスへは車で1時間ちょっと。
マサチューセッツ・アヴェニュー(通称Mass. Ave.)を数マイル南に進んで、93号線に乗る。
その後3号線に乗りかえる。

プリマスの町は、こじんまりしてかわいらしい。
アメリカ人が最初に入植した町なので、いろいろ歴史的なものを見るのを楽しみにしていた。
自分はアメリカ人じゃないけど、アメリカ人のルーツってどこにあるのか、見てみたかったのだ。

しばらく町の中をさまよった後、町の観光案内所に車を止め、そこを拠点にしばらく歩き回ることに。

メイフラワー号。
もちろんこれは複製だけど、意外と大きな船なのが驚き。
これにアメリカ人の祖先が、120人とか乗ってイングランドから来たのか。
今日は、地元の小学生の遠足があったらしく、すさまじい数のちっちゃい子供たちが見学に来ていた。
なので、内部見学はパスして、外からだけ記念撮影。

そしてこれがプリマス・ロック。
メイフラワー号で清教徒(ピルグリム)が漸くたどり着いたところにあった岩で、アメリカの歴史の始まりの象徴。

先週、チームメートのAdamに、プリマスに行く予定を話したら、このプリマスロックの話をしてくれた。
「歴史の授業で何度もやるので、どんなすばらしい岩なのだろう、と期待して行ったんだけど、ただの岩だったので僕はショックだった。だから余り期待して、失望しないようにね。」

ただ、歴史を知ると、ある程度の感慨を持ってこの岩を見ることが出来る。
メイフラワー号で到着した清教徒たちは、船がプリマスについてから6ヶ月もの間、船内生活を余儀なくされた。
天候が悪く、たどり着いた120人が住む家を建てることがなかなか出来なかったのだ。
食料が底をつき、先住民の墓を暴いてトウモロコシを手に入れたりしながら、何とか生き延びた。
漸く春を迎えて、集落を作ることが出来るようになった。
だから、このプリマスロックは、苦労してアメリカにたどり着いた彼らの先祖が、プリマスの地に根付いて生活をはじめた象徴なのだ。

プリマスロックのそばの丘を登りきると、こんな建物が建っていた。

プリマスロックを望む丘に立つマンション。なかなか豪勢な作りだが、中はがらんがらん。
せっかく作ったと思ったら、不動産バブル崩壊で買い手がつかないのかしら。
でも立てちゃったし、売るしかない。時期を間違えちゃった系。

プリマスロックなどのある海辺から、街の中へ。
アンティークの家具のお店が多い。
ガラス細工のお土産店や、海のエキスを使ったシャンプーを売ってる店など、多種多様。
夏の間賑わっているプリマスの港町が思い浮かぶ。

街から、更に山側に向かうと、清教徒たちが眠る共同墓地があった。

墓地とはいえ、素敵な雰囲気。
ここに眠る人たちが、この国にたどり着いて、新しい国を作っていったから、今のアメリカがあるのね。
いろいろ問題もある国だけど、やっぱりすごい国だもんね。黙祷。

共同墓地のそばに立つ教会は、アメリカ最古の教会。

ヨーロッパ的な雰囲気を残している。

ここらでプリマスを去ろうか、と思ったが、観光案内所のおばちゃんにも薦められた、プリマス・プランテーションに行ってみることにした。

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ボストン美術館- Boston Museum of Fine Arts

2008-11-08 08:23:56 | ●アメリカ東海岸 紀行

MITでは来週連休があり、それにあわせて旅行に出ることにした。
マサチューセッツ州の観光地をめぐる旅である。

まずはボストン美術館へ。
ボストンに来てからちょうど3ヶ月が経とうとしているが、美術館めぐりをしている暇がなかったので、今回が初めて。

ボストン美術館は質も量も、全米トップクラスと言われていているとか。(「地球の歩き方」より)
特に、エドワード・モース、フェノロサ、岡倉天心が集めた日本の浮世絵や仏像などの美術品の数々は、特に充実しているということで、ちょっと楽しみにしていた。

Red lineに乗り、Park Streetという駅でGreen Line(E: Heath行き)に乗り換え、Museum of Fine Artsという駅で降りる。

美術館の西側の入り口はこちら。人のオブジェが門?の上を走ってる。
チケット売り場もクロークもあり、駅に近いうえ、正面玄関より列が少ないので、実はこちらから入るのは手かもしれない。

まず東洋美術から。中国の陶磁器。
北魏や西晋など三国志の時代から、唐、南宋、清の時代にかけての陶器が並ぶ。

私は清末の磁器を見るのが好き。ここまで見事なデザインを、磁器の上薬だけで実現できる技術。
中国のこういう作品を見るにつけ、何故いまの中国は質の高い工業製品を生産できないのだろう、と不思議に思う。結局、帝国だった時代は、皇帝という巨大なパトロンがついて、芸術家を高いレベルまで育てていたが、今の中国の一般労働者に対して、そういう仕組みはない。仕組みがないだけで、こんなにアウトプットが違ってしまうということなのか。

日本美術。
まず、浮世絵の展示が殆ど無くなっていてびっくり。
聞くと、今京都美術館に貸し出しているというじゃないか!ショック。
とはいえ、ボストン美術館には5万点の浮世絵があると聞いているのに。

代わりに、いくつかすばらしい仏像の展示があった。
奈良時代の仏像の木造。運慶・快慶の鎌倉時代の作品まで。
特に、快慶の釈迦像はすばらしく、服の襞や体の線を木像でここまで表現できるか、と思うとため息が出る。

写真は、法隆寺をかたどった部屋に、奈良時代の仏像を集めている。
光の照らし方も凝っており、さすが、アメリカの美術館は演出が違うな、と驚く

1階から2階への階段は、イタリアの美術館を思い起こさせる。

2階の奥に、この美術館のハイライトとも言える、印象派画家らのコレクションがある。
とくにこの一角はすごい。モネの睡蓮のシリーズ、ゴッホ、それも教科書にも載ってるゴッホの郵便屋さんの絵。
その左は、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこにいくのか」
タヒチの女性を描く、不思議な絵。若々しくなまめかしい女性の横に、暗いタッチで老女が描かれる。挿入される不思議な動物たち。
彫刻もロダン。

ほかにも、マネ、ルノワール。私の大好きなピサロとミレーも。作品点数が少ないといわれるミレーのうち、4点がこの美術館にある。
時代をさかのぼると、ベラスケスやファン・ダイクなんかも有名作品が展示されている。

きっと、フランスも地団太を踏んで、作品を取り返したいに違いない、とか思う。

とにかく、「質も量も全米トップクラス」というのは本当かも、と思った。
多少、作品の並べ方は、ウフィッツィやオルセーなどに比べると規則性が少なく、え?と思うことがあるが、展示されているものはすばらしい。
しかも展示内容も、時期によって全く変えるらしい。また行く価値はあるな、と思った。

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★Tanglewood音楽祭- Berloz/Symphonie Fantastique

2008-08-31 12:11:26 | ●アメリカ東海岸 紀行

忘れないうちに、先々週に行ったタングルウッド音楽祭のことを。
8月15日、C&Cも終わって日本人同期5人で素敵なランチを取った後のこと。クラシック好きの同期一人とTanglewoodのホームページを見ていると、当日の演目がラベル、サンサーンス、ベルリオーズとフランスめいた、素敵な演目になっているのが判明し、「今日行こう」という急な判断に。彼の車で二人で急遽Tanglewoodまで行くことになった。

午後5時すぎに出発。ところが大雨と異常なほどの渋滞に巻き込まれ、何とTanglewoodまで4時間かかってしまった。8時半からの演目に、約1時間の遅刻。ラベルとサンサーンスはもう終わってしまい、ベルリオーズの幻想交響曲がはじまったばかりのところでタングルウッドに到着した。

野外演奏会の状況がわからなかった我々は、一席75ドルの結構いい席を予約していた。でも遅刻したので、もうそんな席には座れる状況ではなく、遠くの席から見物。

でも、野外にたたずむホールながら、驚くほど音がいい。
ハープの一音一音まで、臨場感を持って聞こえる。
ティンパニの雷鳴、心臓まで届きそうな、すごい音だ。
コルネットの東ヨーロッパ的な響き。思わず踊りだしたくなるようだ。
5楽章の途中に、鐘の音が聞こえる部分があるが、その鐘の音がとても綺麗だ。今までCDでしか聞いたことがなかったので、あの鐘がこんなに間近で、こんなに素敵な音色で聞こえるんだと知って、驚いた。
管楽器の単調の調べ。トランペット、トロンボーン、ホルン。すごい臨場感。
ハープは残念ながら2台。

ベルリオーズは、使用する楽器の数が異常に多いことでも知られている。そのせいもあって、日本でもなかなか生でお目にかかることは少ない。その演奏を、ボストン交響楽団の演奏で聴けた我々は幸せだ。

帰途も、我々はボストンのベルリオーズを聴けたという喜びに満ち溢れて帰る。ずっと運転をしてくれたのは同期のH氏だったが。どうもありがとう。そしてお疲れ様でした。

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ワシントンDC (7) -スメソニアンの博物館

2008-08-05 13:55:06 | ●アメリカ東海岸 紀行

昼の12時から4時まで、スメソニアンで自由時間。まずは憧れのスメソニアン自然史博物館へ。

建物はギリシャ神殿風。入口がとても大きい。中に入ると、まずはゾウの剥製が出迎えてくれる。

そしてしばらくは、古生代・中生代の生物の化石が続く。
ところが、見ごたえあると期待していた恐竜の化石が、そうでもない。これなら上野の国立科学博物館の方が見ごたえがあるし、雰囲気も作りこまれている。


一緒に行った友人は、ほぼ全員サイエンス系専攻だったから、みんな恐竜の名前もよく知ってるし、人類の進化で話が盛り上がる。

すべての人類(猿人、原人、旧人、新人)はアフリカで発生したのは何故か、について議論を交わす。特に、Bio-informatics専攻のウガンダのDaudiと、モザンビーク財務省からきたEugerioがアフリカ代表として熱く燃える。

こういう話をしていると、どこの国も理系出身は一緒だなあ、と思う。


鉱物、宝石の類はすごい。
写真は水晶の塊。高さ80センチくらいある。

宝石類も、有名なHopeのダイアモンドを始め、エメラルド、ルビー、サファイアと、何十億円もすると思われる品が並んでいる。

一緒に行った男性陣に、「プレッシャー感じるでしょ?」とからかったら、うなずいている。「こんなの写真撮って帰ったら自殺行為だ」そうだ。

確かに、一眼レフを持ってる若い男性は多いが、ここで写真を撮ってるのは、女性と年老いた男性(恐らく奥さんにせびられても追い込まれることはない?)だけである。

 

その後、航空宇宙博物館へ。これも上野の科学博物館の航空宇宙館の方が展示も工夫されているし、体験できる実験も多くて上だと思う。唯一興味深かったのは、WWIIの展示とVoygerの模型。


アメリカの視点から、いかに日本を追い込んでいったかが語られている。
私が一生懸命見ていたら、イエメン人のNaderが耳横で
"They're telling a lie.. Don't believe it. It's their history, and always not true. (こいつらはウソを書いている。信じちゃだめだ。これはこいつらの歴史であって、ほとんど真実ではない)" と囁いてくるので笑ってしまった。アラブ人が言うジョークだけに、面白い。

とはいえ、海の向こう側で歴史がどう語られているのか知るのは興味深い。


最後に米国議会前広場に行き、記念写真。

 

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