ご報告が大変遅くなりましたが、私Lilacは、6月4日に晴れてMITを卒業しました!
良かった良かった。
卒業式目録に自分の名前とThesisのタイトルを見つけたときは、正直とても嬉しかったです。
ご報告を兼ねて、MITの卒業式について書いておこうと思います。
MIT Sloanの卒業式は、6月3日のConvocation(学部ごとの卒業式)から始まった。
集合は午後3時厳守、ってことだから2時50分程度に行ったが、結局3時半過ぎまで裏の暑いところで待たされる。
クラスごとに集まるので、久しぶりに1年生のときのコアチームの皆と久しぶりに会った。
初めてチームになったあのときからもう2年。
2年間、色んなこと勉強して、みんな今までの自分らしさを残しつつも、きっと色々なことを達成し、いろいろと成長したんだろう。
そしてConvocationが始まる。
卒業生代表答辞をのべたのは、アフリカ系アメリカ人でもあり、色んな意味でマイノリティの女の子だった。
ユーモアのセンスもあり、時には真剣で感動させる節もあり、バランスの取れた素晴らしいスピーチだった。
すごいな。
私もアメリカのトップスクールで卒業式答辞を述べるまでになってみたかったな、とちょっと思った。
あとはいろんな人が少しずつ挨拶して、1時間ほどで終了。
その後は祝賀会に向かう。
かなりの人は、父母も含めた家族が来ているので、なかなかすごい規模の会だった。
アメリカって、MBAの卒業式にもお母さん、お父さんが来るのね。
中には親戚総出で14人も家族が来ている、という人もおり、すごかった。
ウチの母にも来る?って一応誘ったのだが、「それじゃヘリコプターペアレントでしょう」と一蹴された。
確かにアメリカでは80年代だったか「最近の親は卒業式にまで付いてくるとは・・・」といった感じでヘリコプターペアレントが話題になった。
だから私もそれ以上強く押さなかったのだが、蓋を開けてみたら、留学生は日本人含め、かなりの人の家族が来ている(笑)。
アメリカ人も半分くらいは親が来てる、という感じだ。
アメリカじゃトップスクールに入って卒業する、というのは大変なことだから、大学院の卒業式にまで親が来るのも今では良くあることだそうだ。
この分じゃ、ヘリコプターペアレント(ヘリコプターのようにどこまでも子供についてくる、という意味でそう呼ぶ)はアメリカではもう死語かもしれないね(笑)
そして翌日。
朝7時45分に集合しろ!時間厳守。というお触れが出ていたが、
卒業式自体は10時開始のはずなので、どうせ昨日のように待たされるだけだろう、と高をくくって8時15分に到着。
読みは当たり、結局8時45分までにチェックインを済ませれば良いとのことだった。
今年のMITの卒業生は2500人だという。
それだけの人数が混乱を避けて名前順に並べるための、MITのオペレーション力の凄さを思い知らされる卒業式だった。
チェックインは巨大な体育館で行われた。
50人ずつ、学部・名前順に50組に分けられ、それぞれの組の中で更に名前順に番号が振られる。
このような番号を振られたところに、番号順に整列し、順にMITのドームに向かって行進していくのだ。
ちなみに、写真に写ってる白い制服はUS Navy(海軍)らしい。
このほかにも薄い青色のUS Air Force(空軍)や、緑色の軍服のUS Army(陸軍)の集団が見られた。
MITは通常、学士と修士は黒のガウン、博士は黒またはグレーのガウンにフードを着用する。
ところが、軍人の場合は、制服の方がガウンより格式が上、とされてるので制服を着るんだそうだ。
逆に言うと、博士号を別のところで取った人は、博士号の方が格式が上なので、そのガウンを着てきても良いらしい。
へええ。
卒業式って、フォーマリズム(形式論)の骨頂みたいなところがあるから、面白いもんだねね。
結局この列に並んでから30分以上待たされたあげく、漸く進み始める。
しかし、その進みは牛のようにのろく、少しずつしか進まない。
やっと外に出る。が、まだ並ぶ。
マサチューセッツ州の中心の道路である、マサチューセッツアベニューを完全にジャックして進む我々。
で、何がすごいかという話だが、とにかくオペレーションが優れているのだ。
私の組は43組だったが、ずっと30組の人たちと隣りあわせで二列で進んでいた。
後で分かったのだが、これは43組と30組が会場で隣り合わせに並んで座るからなのだ。
このように、後で会場で隣り合わせに座る人たちが、隣りあわせで行進するように、最初から設計されているのだ。
それから、道の途中に職員のオバサンが何人も立って、何度も点呼を取り、全員いるか確認し、列が乱れないようチェックする仕組みになっている。
緑のオバサンが、一人一人の名前と番号を確認している。
それ以外にも職員が途中に立って、全体をチェックしている。
こういう仕事の配分も、全て事前に打ちあわされ、皆がきちんと仕事をこなすからできるのだ。
日本の大学ですら、名前順に並んで点呼をとる、なんてやらないだろう。
多分勝手にバラバラ座るだけだと思われる。
いわんや、普通の人が「並ぶ」なんてことも出来ないアメリカの大学で、これを達成できる用意周到さ。
アメリカに2年もすむと、これをアメリカでやるのが如何に大変なことがわかる。
すごい。
こんなちゃんとやってるのはMITだけじゃないかと、私は思う。
流石MIT。世界最強の理系の大学だけあるぜ。
それもこれも、2500人全員に、卒業式の場で卒業証書を渡し、MITという小さな学校の連帯感を強めるためなのだ。
漸く、ドームのある会場に入っていく。
この時点で既に10時30分。
行進が始まってからもう1時間以上たっている。
そして、漸く全員が入ったところで、漸く式が始まる。
卒業式では、大学院と学部のそれぞれの学生委員会の会長が、答辞を述べる。
MITは、余りの自殺者の多さから「首席」とかいう制度がずいぶん前から無くなったのだとか・・。
大学院の答辞を述べたAlexは、確かスキー合宿で一緒に行った人だった。
凄く元気で、まるでオバマ大統領みたいなスピーチをし、とても面白かった。
その後は、大学の偉い人など、いろいろな人たちのスピーチが始まる。
ここで、手馴れたMITの卒業生達は、次々とガウンからお菓子や果物を出して食べ始める。
中にはトランプを取り出して、ポーカーでもやろうと周りに配り始める人がいる。
これは「教授のスピーチはつまらない」とアピールするためのもので、MITの卒業式の伝統の一つなのだそうだ。
とはいえ、この人たちもお菓子を食べたりしてるのは、あくまで教授や学長のスピーチの間だけで、
卒業生の挨拶や、現役生が卒業証書をもらってる間は、敬意を示して絶対にそういうことはしないのだ。
面白いなあ、と思った。
1時間くらいの形式的な挨拶だのなんだののあと、ついに2500人全員が卒業証書をもらう番。
次々に名前を呼ばれてもらっていく。
名前が呼ばれると、人によっては、大きな歓声が上がる。
私も知ってる人が呼ばれたときは、頑張って歓声を上げた。
実は私も名前が呼ばれたとき、ちょっとした歓声が上がっており、卒業証書を受け取って席に戻ったら、
先に証書をもらっていた皆が握手や抱擁で出迎えてくれて、とても嬉しかった。
友達が沢山出来てよかったな、と思った。
「いちねんせいになったら」の歌ではないが、MBAの目的の一つは友達をたくさんつくること(またの名をネットワーキング)なわけで。
それから、私は自分の指導教官を教官の列の中に発見して、ちょっとだけ話した。
私の卒業をとても喜んでいて、私はとても嬉しかった。
彼は、私に学術的なことだけではなくて、アメリカの歴史や文化、いろんなことを教えてくれた。
彼がいなければ、私はここまで色んなチャンスに恵まれて、いろんなことを学ぶことは出来なかっただろう。
スピーチ中にお菓子を食べる以外にもう一つのMITの重要な伝統は、帽子に色んなデザインを施すこと。
凝ったデザインのひとがいろいろいる。
中にはヘリコプターの模型をつけて、最後に帽子を皆が空に投げたとき、一つだけずっと落ちてこないで空に浮かんでいる、
という偉業を達成した学生もいた(笑)
3時間半にわたる長丁場。
でも、みんなで写真を撮ってるうちに、嬉しさがこみ上げてきた。
有難う、みんな。
クラスメート、先生、そして周囲の支えてくれた家族と友人達。