昨日、久しぶりに水谷豊主演のテレビドラマ「相棒」を見て、思い出したことがあったので書いておく。私は普段テレビドラマは余り見ないのだけど、「相棒」だけはプロットも俳優も非常に面白いのでたまに見たりしている。ただ、実際の社会ではこんなに気持ちよく、正義が通るとは限らないよね、と思ったりして、そうすると思い出すのが、アメリカのブロードウェイ・ミュージカルの「WICKED(ウィキッド) 」だ。
WICKEDは、「オズの魔法使い」のパラレルワールドという設定で作られた作品で、オズの魔法使いの中に出てくる「西の悪い魔女(エルファバ)」と「南の善い魔女グリンダ」が実は親友だったという設定で、彼女たちのアメリカらしいキャンパスライフから、その後運命が分かれていくまでを描いている。2003年の初公開以来、世界各国でロングラン公演しているらしい。私は2007年の日本での公開直後にミュージカル好きの友人と見に行ったのだけど、内容が強烈でいまだによく覚えている。
(ネタバレ注意)魔女の才能は誰よりも優れ、正義感が強く、優秀で自己主張の強い女性である、エルファバ。彼女は、魔女の国の中で動物たちが人権を失われていく状況に反対し、一人で巨悪と戦おうとしたため、国民の敵である「悪い魔女」のレッテルを貼られて死んでいく。その一方で、ブロンドで美貌の人気者で、人気を得る方法を人一倍わきまえているグリンダは、親友として彼女に手を差し伸べながらも、組織の人として残ることを選び、国民に「南の善い魔女」として称えられる、という内容である。かなり超訳だけど。
日本でも劇団四季が完全翻訳版を演じているので、見に行ったことがある人もいるかもしれないけれど、ブロードウェイではこのミュージカルはティーンの女の子が主に見に行くミュージカルで、女の子に大人気なんだそうだ。たしかに、劇中に出てくるグリンダの美しい衣装や靴、恋愛事情、かっこいい男子が周りにいる大学なんて、アメリカの女の子の憧れのキャンパスライフそのもので、ティーンに人気があるというのはよくわかる。そして、エルファバとグリンダのお互いに全く異なる価値観を受け入れあう女子的友情も、「赤毛のアン」のアンとダイアナ然り、ティーン女子が好きなところだろう。しかし、そのティーンの女の子の憧れのグリンダちゃんが、倫理観や道徳観ではなく、「世の中は、正義が勝つとは限らない。長いものに巻かれ、組織のお作法を守って生きていくほうが、最終的には人々に慕われて社会的には成功するのよ」なんていう真実を教えてしまっていいんだろうか、といつも思うのである。
大学の女子寮で同室になった、美貌で人気者のブロンド女子のグリンダと、賢くて才能があるが肌が緑色のエルファバは、最初はお互いの価値観が合わずにいがみ合う。が、ふとしたことをきっかけに仲良くなり、親友になる。そしてグリンダがエルファバに、どうやったら(自分みたいな)「人気者」になれるのかを教えるという場面がある。グリンダの名ナンバー「POPULAR」だ。
人気者になるためには、どういった格好や身だしなみをしなくてはならないか、どういう仲間と付き合うべきか、男子に話すときはどういう言葉遣いをするべきかというのを細かくエルファバに指導していく、という歌。グリンダのコミカルなソプラノが生きるこのポップなナンバーの最後で、グリンダはこんな内容のことを歌う。(Lilac訳)
著名な国のリーダーや優れたコミュニケーターたち、彼らが頭脳や知識を持っていたですって?笑わせないでよ。
彼らは人気者だったの。ねえ、これは全部人気があるか無いかの問題なのよ。
才能じゃないの、あなたが周りにどう見られているかが全てなの。
だから、人気者になることはしっかりとやらなきゃならないのよ!私みたいに!
「そんなのくだらないわ」と言って最後まで親友の助言を受け入れなかったエルファバ。彼女は自分を高く評価していた「オズの魔法使い」という名の権力が、自らの権力を維持するために、動物たちから権利を剥奪し、自分の魔力をも利用しようとしていたことを知る。そして、自分の信じる正義のために巨大な権力と戦うことを選び、その結果「悪い魔女」のレッテルを貼られ、国民にも糾弾され、魔女狩りにあい、死を迎える。彼女は、社会的には抹殺されても、愛する男性フィエロに愛されながら、死をいとわず、正義を盾に悪と戦うことを選んだのだ。
ただその結果、国民の記憶には、エルファバは悪の象徴として、グリンダは善の象徴として残る、ということをティーンの女子たちはどのように捕らえるのだろう、と不思議に思う。エルファバのように、権力に逆らって、社会的に抹殺されてしまったとしても、愛する男性の永遠の愛を勝ち得て、自分の信じる正義のために最後まで戦うのを善しとするのだろうか。一方グリンダのように、間違った組織の権力と戦うことが出来ない、美しい靴や衣装が大好きで、周囲からの人気があるだけの普通の女の子が、戦う親友の死を乗り越えて大人になり、最後には社会的に成功し、人々の記憶に「善い魔女」として刻まれるのを善しとするのだろうか(でも彼女には何が残った?) 。ブロードウェイでWICKEDを見てるティーンの女の子たちに一度感想を聞いてみたい。
個人的には、エルファバのような才能と正義感を持った女性が、グリンダのようにうまく生きる術を持ちながら、最後には見事うまいことやって巨悪を滅ぼしてほしいと思うのだけれど、現実の世の中では、そんな簡単に正義が勝ってしまったりしないことを、ティーンに教えるアメリカのミュージカルってすごいなぁと思うのであった。
超解釈過ぎて、ウィキッドが好きな人が読むと「そんなの違う!」と思うかたもいらっしゃるかもしれないので、そのお詫びとして宣伝、というわけではないけれど、興味を持った人は一度見に行ってみるといいかもしれません。ミュージカルとして年齢を超えて誰もが楽しめる内容だと思うので。劇団四季のウィキッドの予告編を発見したので置いておきます。
(追記) ちなみにWICKEDを私のように解釈する人はアメリカ人にも多くいるようで、権力を保持するためにエルファバを悪に仕立てるオズの魔法使いをアメリカの国家に例え、湾岸戦争からイラク戦争にいたるまでの批判に使うひともいるようです。
最近更新が復活して嬉しい限りです。
ミュージカルにはほとほと疎いのですが
このようなsensitiveな題材を扱ったりもするのですね。
少し興味が湧いてきました。
Lilac様が現在は悪い魔女なのか善い魔女なのかもふと気になりました。
>自分の信じる正義のために最後まで戦うのを善しとするのだろうか
もちろんですね。アメリカでは正義は絶対ですから。善しとするけど自分は難しいということだと思います。多くのアメリカ人はグリンダに感情移入するでしょう。人から良く思われたいし、正しいことが何かはわかっていても傍観してしまう自分をそこに見るからです(そこは日本人も変わらないでしょう)。そして正義を行うヒーローを待つということです。何を正義とするかは観客がそれぞれ考えるようにうまく作っていると思います。
私は「ウィキッド(Wicked)」で「この森で、天使はバスを降りた(The Spitfire Grill)」や「ペイ・フォワード(Pay It Forward)」を思い出しました。パーシーやトレバーは亡くなってしまいますが、同時期に作られた当時の社会背景を意識した同じテーマの作品だと思います。(「この森で、天使はバスを降りた(The Spitfire Grill)」は感動したという人と退屈だったという人に明らかに賛否が分かれてしまいますが。Lilacさんはいかがですか?)
>ちなみにWICKEDを私のように解釈する人はアメリカ人にも多くいるようで、権力を保持するためにエルファバを悪に仕立てるオズの魔法使いをアメリカの国家に例え、湾岸戦争からイラク戦争にいたるまでの批判に使うひともいるようです。
原作はご覧になりましたか、90%の国民が支持したイラク戦争やアラブ系であることだけで差別的扱いや警察等に連行したりする扱いをされていたその当時の社会背景をふまえてミュージカルの方は脚本家が原作を大きく改変したのでそのようにいわれている要素がありますが、そういう人でも「正義が勝つとは限らない」と解釈している人は少数でしょう。なぜなら神を信じていますから。困難であればあるほどそれは信仰を試された試練であると。
もう一つは日本人にはあまり知られていない社会背景のアメリカ人なら誰もが感じている学校でのCliqueの問題があるでしょう。映画やドラマでおなじみのJocksやQueens又はQueen Beeとよばれているスポーツ選手やチアリーダーである人気者がNerdsと呼ばれているオタク的な者をいじめるということがあります。現実はそんなに単純ではないことは皆わかっていても、このステレオタイプを意識していることは間違いないでしょう。
現実にも脚本が作られた当時コロンバインでJocksからいじめられていたエリックとディランが「All the jocks stand up !」と言って銃撃するというあまりにステレオタイプな悲惨なことが起きてしまったということもあるでしょう。
背景には色々あってもミュージカルは娯楽作品なので何も考えず楽しく見て感じればそれで良いかと思います。
Lilacさんは、二人の魔女のいいとこどりで、人気を得つつ巨悪を倒すということでしょうか。
そういうこと自覚してやっている女性もいますよね。ヒラリークリントンは、超地味学生だったのに、夫が政界に転身してからはおしゃれになったのではなかったかな。
(ヒラリーの若いころの写真が出てきましたよ。)
http://labaq.com/archives/50915889.html
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「正義が勝つとは限らないことを教える」というのはちと誤解を呼ぶタイトルかと思いました。
このミュージカルは見ていませんが、「オズの魔法使い」は詳しい人間ですので、一応知識はあります。
「正義が勝つとは限らないことを教える」と書いてしまうと、この作品のテーマは「正義が勝つとは限らないということ」となってしまいますが、おそらくは、これはテーマというよりはファクターであろうかと思うのです。
というのも、正義が勝つとは限らない文学や映画はこの世には山ほどあって、それが「正義が勝つとは限らないことを教える」映画や文学では絶対にないからです。
そういう現実があることを知らせ、しかし、そんな中で誰の支持も得られなくても戦う主人公がいて、最後は悲劇に終わることがあっても、その主人公は悲劇の英雄として見る者、読む者の心に残ります。むしろ、そういう悲劇の英雄が好まれるのは、ジャンヌ・ダルクはじめ、過去に多くあったわけです。
ジャンヌ・ダルク自体は19世紀くらいになって国家主義や軍国主義が出てきたときに英雄にまつりあげられたので(日本でも戦前戦中は軍国少女と呼ばれた)、それまでは実はフランスでも忘れられていた英雄なのですが、そうした右翼的なところがあるにもかかわらず、多くの人をひきつけるのは、彼女が王に利用され、その後、都合が悪くなると見捨てられ、魔女として処刑されたという悲劇性に心を動かされるからでしょう。
もっと古いところでは、イギリスのアーサー王伝説。理想の国をめざしたが、理想が破れ、滅びる王は、のちにケネディ大統領に重ねあわされた、というのはアメリカ文化に詳しい方ならご存知でしょう。
(ケネディ大統領は理想化されてるだけだ、という話は、ジャンヌ・ダルクやアーサー王が理想化されてるだけ、ということと同じで、また別次元の話になります。)
つまり、私が言いたいのは、人間は、正義のために戦ったけど理解されず悲劇に終わる主人公が好きで、そういう物語を求めている、だからヒットする、ということです。
長々と失礼いたしました。
「己が信じた正義のため」というのなら(日本の?)少年漫画的には珍しくない、というか王道の展開だと思う。(時代劇だと赤穂浪士とか?)
ていうか、体制の力を借りて他人に戦わせて、自分は一番後ろの安全な所から「ガンバレ!負けるな!ファイトだ!ハンマーパンチだ!」とか応援してるだけって、かっこ悪いじゃないですか。
話は変わって、政治は政治で重要な戦いなのだけど、そういうドロドロしたものって、見ていて面白くないので、映画やドラマにしても人気は出なさそう。せいぜい小説のネタかな。