My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

新規ブログ立ち上げています

2015-06-02 20:39:59 | About me

皆様、お久しぶりです。

3年近くも更新しないでおりました。
仕事が忙しく更新時間が無くなってしまっただけでなく、会社で立場が上がってきてしまったことや、本を出版したことで実名が出たため、仕事に少しでも関連するビジネス関係の記事が非常に書きにくくなってしまったことなどが理由で、書けずにおりました。

例えば自動車関連の企業を顧客に持つと、電気自動車を始めとする自動車関連の記事が一切書きにくくなったり。実際にはクライアントの皆様は気にされていないんですけどね。私の身についてしまった癖で。 
あるいは、イノベーションのジレンマやグローバル化に関する記事も、会社で出しているレポートとテーマがと少しかぶってしまって、書けなくなったり。

そんなわけで、更新から遠ざかっていたのですが、実は今年の2月から別のサイトでブログを更新し始めています。 

Lilacの妊娠・出産・育児ノート

タイトルから自明なのですが、ようやく昨年結婚→今年出産しました。
今度は、出産や育児に関する社会論や、女性の生き方論、リーダーシップ論などを中心に書いていこうと思います。 

こちらのブログと打って変わって違う内容ですが、これなら会社の立場や仕事に関係なく(たとえ関係しても)堂々と書き続けられるし。

なお、現在は産休中のため、平日に3~4回の頻度で更新しています。
9月くらいから復帰予定ですが、その後も週に1回くらいは更新できるようにしたいと思います。 

既にブログの存在に気付いてお読みになっている方もいらっしゃるかもしれませんが、初めて気付いた人のために、最近の人気記事をPVの多かった順に5つほど紹介しておきます。

1. アラサー・アラフォーおひとりさま女子に告ぐ6つのこと 

2. キャリアが先か、子供が先か(前篇)

3. キャリアが先か、子供が先か(後篇)

4. リーダーシップと妊婦であること、を両立する5つの方法

5. 子育てが仕事より大変な本当の理由

それでは今後もよろしくお願いします。

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【告知】本日(6/10 16:30 - 18:00) 「"これまで"が崩壊する時代」に出演します

2012-06-10 15:18:48 | About me

告知が遅くなってしまいましたが、本日、六本木某所で行われる「よるヒル超会議~ライフスタイル革命を語る!」にて、メインイベント最初のトークセッション「"これまで"が崩壊する時代」に、佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao) と 慎泰俊さん(@81tj) のお二人とともに出演します。

「“これまで”が崩壊する時代」

  • 佐々木俊尚(ジャーナリスト)
  • 倉本由香利(ブロガー / コンサルタント)
  • モデレーター:慎泰俊(Living in Peace代表理事)

GUEST LINK

Ustream、ニコ動にて生放送です。
こちらのページから、放送にいけますので、宜しくお願いします → http://chokaigi.com/特別プレセッション

Comments (2)
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自己紹介

2012-05-06 15:05:36 | About me

ペンネームはLilac(ライラック、と読みます)、薄紫の花の名前です。
名前の由来は、以前からのペンネーム「紫」を「まぁ留学して海外に行くので、英語にするか~」くらいの勢いでつけたものです。
まさかこのブログが、こんなにたくさんの人に読まれるようになるとは当時は思っていませんでした。
ちなみに筆者は女性です。(よく男性と思われてますが・・・)

2012年5月6日から、ペンネームではなく、本名の倉本由香利での執筆を始めました。6月19日に著書「グローバル・エリートの時代-」を 講談社から発売予定です。ブログからではなく、全編書き下ろしで執筆しました。
(詳しくはこちら→ 「グローバル・エリートの時代」を出版します (6/19 講談社より)

経歴は、1978年東京生まれ。その後、東京大学理学部物理学科卒業、そのまま同じ大学の修士課程、博士課程へと進学。
博士1年の晩秋に、思うところあって就職活動を開始、色々苦労した挙句、翌年4月から外資系の経営コンサルティングファームに就職。
(詳しい経緯はこちら→私が人生の進路変更をした本当の理由

その後、会社をいったん辞めて、2008年8月からマサチューセッツ工科大学(MIT)のビジネススクール、MIT Sloanに留学。
学業の傍ら、ブログ「My Life in MIT Sloan」を書いていました。
夏はシリコンバレーで3ヶ月、米国のITベンチャーで働きました。
MBA授業のTA(ティーチングアシスタント)なども務めました。
経営学の分野で、修士論文も書きました。
2010年6月に卒業し、日本に帰国。「My Life After MIT Sloan」というブログ名に変えて書き続けています。

技術経営、イノベーション論、組織変革、グローバル化が専門で、経済学や社会学にもたまに越境しています。
私は日本経済の復活に向けて何かやりたいと思っているのですが、方法は大きく二つしかないと考えています。
ひとつは、既存分野での日本企業のグローバル化をすることで、成長する新興国の富を日本経済に取り込むこと。
もうひとつは、新分野でベンチャーを次々日本から生んで、アメリカのGoogleやAmazon、Genzymeなどのように育てていき、新しい産業分野を構築し、経済成長を牽引できるまでにすること。
(詳しい話はこちら→「グローバル化」は今、質的に大きく変容している
現在は、まずは日本企業の組織のグローバル化、そしてそれを支える個人のグローバル化というところに焦点を置いてます。 

趣味はお酒を飲むこと(特にワインとウィスキー)、ものを書くこと、旅行すること、人と話すこと。
スポーツは水泳とヨガ。音楽は、クラシックとロック(HMからRBまで)、アメリカのポップが好きです。

Tweetも、時間がある限りしています。 Twitter名は @Lilaclog。
Tweetする内容は、このブログの更新と、感想への返事、その日のニュースを読んで思ったことなどです。

私のブログへのスタンス:コメント欄も含めて、初めて私のブログです。
私の記事はあくまで問題提起に過ぎず、皆さんから色んなコメントがあって、初めて完結するものと思ってます。
したがって、異論・反論も大歓迎なので是非思うところをお書きください。
というのは、私の記事を読んで、違うなーと思った人も、コメント欄にその違和感が書いてあれば、なるほどと思うはず。
それに私自身、ブログの執筆は趣味でやってるので、仕事とは違って詳細に調べてないし、仮説ベースで書くことも多いから、直してもらえれば助かるので。

コメントは現在は承認ベースにしていますが、これは一応会社勤めの身なので、所属組織に迷惑かけたくないのでそうしてます。
承認制にためらわず、是非いろいろなコメントお待ちしてます。

グローバル化と、技術経営やイノベーションについては、記事や原稿を書いているので、何かあればメールください。
アドレスはlilac.log に gmail.comです。 「に」を@マークに置き換えてください。

Disclaimer:このブログやTwitterの内容は、全て私の個人的見解であり、私が所属している企業・組織には一切無関係ですので、よろしくお願いします。

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私が人生の進路変更をした本当の理由

2011-01-09 13:11:54 | About me

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
昨年は、このブログを通じて本当にたくさんの方と知り合い、色々と考えるきっかけを与えてもらえました。
またMITを卒業して、仕事にも復帰し、最近はようやく自分らしく仕事が出来るようになってきました。
有難うございます。

「書く」、そして発信するという行為は自分にとっては大切な時間。
留学中に自分のスタイルを確立し始めていたのに、昨年の後半は、ブログやTwitterがほとんど手につかずにいた。
これは仕事が忙しいというより、ある人生の決断が出来ずにずっと悩み続けていたからだった。
それは私にはとても大切な時間でしたが、記事を待って下さっていた方には申し訳なかったです。
12月に入ってようやく結論が出て、動き始めて、最近ようやく落ち着き始めたところ。
これからは前のように、ブログ記事も(土日中心に)頻繁に書いていこうと思う。

この決断について書くつもりは無いので、代わりに数年前の私の人生の大きな決断の話を書いてみる。

就活中の大学生とかに「何で研究者やめてコンサルに来たんですか?」とよく聞かれる。
公式の理由は、研究よりも本当に職業としてやりたいことを見つけたから、とか話しているが、
実のところは、インフルエンザで死にそうになったのが、きっかけだった。
それを一度、会社のアメリカ人の同僚に話したら死ぬほどバカにされ、以来秘密にしていた。

でも結局のところ、人間って「今死ぬかも知れないけど、それでよいのか」と思ったときに、大きな人生の決断が出来るんじゃないのか、と今は思う。

私は物心ついたころから科学者になりたい、と思っていた。
小学1年のころから、周囲の子とファミコンで遊ぶより顕微鏡を覗いたり、化学実験をしてる方が好きな変なガキだった。
(ただし最新ゲームソフトでクラスメートを釣って、遊びに来た友人に顕微鏡を覗かせたり、科学の素晴しさを説いたりするリーダーシップ?は今と余り変わらない。)
時には利根川進目指して生物化学者を志したり、アインシュタインに憧れて物理学者を目指したりと、
なりたい科学者の種類は色々ぶれたが、科学者になりたいという気持ちは変わらなかった。

だから何の迷いもなく、大学では理学部に進学し、そのまま大学院に進学した。
ところが、大学院に入るかくらいの頃から状況が変わってきた。

まず一人で今まで頑張っていた母が病気で寝込んでしまい、私が全ての家計を支える必要が出てきた。
奨学金を3本もらい、塾講師などのバイトをやり、TAをやり、更に雑誌の書評などを書いて稼いだ。

そんな中、私がいた分野では伝統的に毎年全国の院生400人程度が数日間泊りがけで行う若手の会の運営委員のリーダーをやることになった。
これまでは博士課程の学生がやる任務だったが、先輩の推薦で、弱冠修士1年の私が大抜擢された。
私は、勢いと理想だけで突っ走る完璧主義者であり、恐らく運営委員の皆は大変苦労したことだろう。
リーダーとして余りに未熟だったために、私個人が学ぶことはたくさんあり、組織の運営や経営というものに初めて興味を持つようになった。

このリーダーの大切な仕事のひとつが、全国の関連研究所や企業に、若手の会の意義をプレゼンし、協賛金を頂いてくる仕事だった。
私は昔から面接やプレゼンの類は得意で、ここばかりは本領発揮だった。
ある研究所の所長氏は、私のプレゼンに感動して、研究所全体で活動を支えると満額以上の回答を下さった。
色々あったが、この若手の会自体は大成功にて幕を閉じた。

その一方で、本業である勉強や研究はほとんど進まず、自分の研究者としての能力を何度も疑った。
研究者になりたい自分にとって企画運営やプレゼンの能力よりも、研究を進める力が欲しかった。
見つけた研究テーマも、研究室の方向性と合わないから、という理由で何度か教授に却下された。
修士2年半ばには妥協してテーマを見つけ、それなりに没頭して研究も進め、100ページを超える修士論文を英語で何とか書き上げた。
そして博士課程に進学した。

この頃が一番つらかった。
学科には、それなりに成果も出しているのに、ポストにつけないままに35歳を過ぎ、先のポストが無いポスドクの先輩が何人もいた。
「大学院重点化」および「ポスドク1万人計画」の第一世代だ。
研究が進まずにうつ病状態の友人や、自害する先輩・後輩すらいた。
これが日本の最高学府で、最も優秀だといわれる人たちが行く分野なのかと思った。
もちろんそんな状況でも、才能を世界に羽ばたかせたり、若いのに助手になったり、優秀な学生はたくさんいた。
私の周囲は皆優しく、研究室は楽しかったが、私は妥協した研究テーマ自体に既に興味を失っており、家に帰れば、病気の母がいるだけだった。
こんな状況で、苦労だけさせた母に申し訳ないと思った。

現実逃避を兼ねて、バイトや書評で金を稼ぎ、まるで自分が研究自体に向いてないわけではないといわんばかりに、科学哲学の学会に出ては、そこで論文を書いたりしていた。
既に大学運営や大学経営のあり方、科学研究のあり方といったテーマに興味は移っていた。

おぼろげながら、科学研究が必ずしも自分に向いている職業でないことには気がついていた。
しかし小さい頃から20年近くも夢見てきた科学者になるのを諦めるのは、自分には困難だった。
で、すでに人生の妥協路線を考え始めていた。
自分の性質を考えると、面白い科学の本を書いたり、そのうちどこか地方の大学で上に立って、大学の改革とかをやれるようにはなるだろう。
科学者として一流になれなくても、それで別に十分じゃないか、と思いはじめていた。

そんな感じで半年が過ぎた11月の半ば、学会に出た神戸からの高速バスの帰りに突然気分が悪くなって吐いた。
ほうほうの体で家に帰ると、既に熱が40度を超えていた。
二日目には意識が朦朧とし、何も飲めなくなった。
喉が強烈に渇いているのに、水を飲もうとしても、体が受け付けず全て吐いてしまう。
お湯にして飲もうとしてもダメだ。
三日目になっても何度やっても吐くだけで何も飲めず、このまま死ぬのかな、と思った。

突然、ポカリスエットの粉末が目に入り、これをお湯に混ぜれば少しは体が吸収するかも、と思った。
母が昔話していた、赤ちゃんが風邪を引いたとき、塩と砂糖をお湯に溶かして飲ませないと、体が吸収できずに脱水症状を起こしてしまうというという話を思い出したのだ。

何とかひとくちか、ふたくち飲んだ。
今度は、吐かないで飲めた。
熱は下がらないものの、朦朧としていた意識が漸くはっきりしてきた。
ここで死にたくない、と思った。
少しずつ良くなるとともに、自分はこのまま研究者を続けるのか、とずっと問うべきだった問いを問うた。

人生は一度しかなく、いつ死ぬかもわからない。
だったら、自分が組織運営や経営に興味があるなら、今それがやれる職業に就くべきじゃないか。
それに母の病気だって、私がちゃんと社会に出て稼ぐようになれば、治るかもしれない。
私が向いてるわけでもいない研究者になるのを諦めるだけで、明らかに家族も幸せになるだろう。
その可能性を全て捨ててでも、本当に研究者を目指すべきか。
今まで何度も問うて答えが出なかったが、今度は明らかにNoだった。
今死んでも後悔しないことをしよう、と思った。

この風邪から完全に回復するには2週間かかったが、治る頃には私の行動は明確だった。
学振の締め切りなど無視して研究室を休み、就職するためのあらゆる情報を探し始めた。
まずはメーカーの企画や経営の分野を考えた。
博士中退者を取るかどうか、日本のメーカーに問い合わせたが全滅だった。
「博士卒業してからなら採用を考えますが、研究職ですね」と言われた。
それで、博士中退でも修士卒として採用を検討するという、インテルやシーメンス、クワルコムなど、欧米メーカーのマーケティングや経営企画などの職を中心に調べ始めた。

リクルート社がやっているRCAPという職業適性を調べる有料のオンライン診断があったので、
やってみたところ、「ビジネスコンサルタント」が最も向いている、との結果が郵送されてきた。
コンサルティング業界関連の本を何十冊もAmazonで購入して読み、確かに自分に適性があると言われる理由がよくわかった。
そんなころ、今勤めているファームから説明会の案内があった。
ずばり「理系研究者の将来を考える」という内容だった。

実際にはそれは弊社の理系向けの就職説明会であり、半分だまされたようなものだったわけだが、
そんなタイトルでもなければコンサルティングファームの門など叩かなかっただろう。
行ってみて、パートナーの人の話が正直長すぎると思ったが、その説明内容には感銘を受けた。

彼が言っていた、日本の科学技術分野には優秀な人が多いが、企業の戦略や組織がうまくなく、人を生かしきれていないという問題意識は、大学にいた私も持っていたものだった。
そういう日本の組織を内部から変えようという人がいて、その動きを外部から手助けするのがコンサルティングだというのは、なるほどと思った。
よく「外から変えるのがコンサル」という人はいるが、内部が連携せずに外からだけで変えられるわけがなく、この「手助けする」という謙虚さに真実味があると思った。

一番感銘を受けたのは、フラットな組織運営の仕組みや採用する人材、価値観や企業文化が全てこのファームの目指すミッションと整合性が取れていることだった。
こういう組織なら当然色んな才能の人があるべく活躍出来るだろうし、自分も行ってみたいと思った。
それは私が、本来科学の世界にあるべきだと思っていた、効率よく高い成果を出せるフラットな組織だったからだ。
この組織で、日本企業や、日本という組織を変革する仕事をしてみようか、と思った。

それで中途のような形で採用試験を受け、面接を受け、即採用になり、2ヵ月後に博士課程中退で入社した。
働き始めて母の病気も治り、兄弟も就職したりして、家族が明るく回り始めた。
本当にグローバルなファームで、仕事や留学を経て自分の世界は破格に広がった。
今でも自分の性格にも目標にも興味にも向いた仕事だと思っていて、感謝している。

しかし
、科学者を辞めるという決断をした頃は、たくさんの人に反対もされ、悩みもあった。
新しい仕事で辛いときは、本当に科学者辞めてこっちに来て良かったのか、と思ったこともあった。
その度に、自分に余り適性がない学者を目指していたころの絶望感を思い出して、「今ここで頑張るしかないだろう、今ここで死んでも後悔はしない選択をしたはずだ。賽は投げられたのだから」と自分に言い聞かせた。

人生の決断とは、それをした瞬間は迷いがあり、失ったものの大きさに戸惑い、間違った決断をしたのではないかと悩むものだ。
しかし、自分の決断に覚悟を決めて、ゴールに向かって強く歩き続ければ、得られるものは大きい。
そもそも決断とは、人生を推進するエネルギーを得るためのものなのだから。

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ブログタイトルを変えた日

2009-04-17 01:40:51 | About me

昨日の記事で、日本の半導体業界がいつまでも「多品種少量生産」「設計から生産まで全部」では儲からない、集中が必要ではないか、ということを書いたが、私は人のことは言えない。

例えばこのブログ。
旅行のことを写真入の記事で書いていたと思ったら、突然イノベーションだの半導体だのという難しい記事が始まり、さらに突然ワインの話になったり、料理の話になったりする。

別に私はこのブログで売り上げ(読者数?)や利益を追求しているわけではないから、これでも良い。
でもあまりに「多品種」で、読む人を混乱させてはいないかと心配である。

こんなに扱う範囲が幅広くて、いつも違うトピックを書いているのに、いつも読んでくださっている方には感謝。
ブログの左上につけているカウンタでは、先週ついに5万アクセスを突破。
最近はひと月くらいで1万アクセスに達する勢いになりました。
コメントも色々いただけてありがたいです。

ちなみに私の今年の目標は「Focus」だ。
昨年は、来たばかりのアメリカの生活に慣れるため、ということもあって、本当にいろんなことに手を出し、若干消化不良の感も否めなかった。
そもそも、「ものを考える」時間が無かった。
だから、今年は、自分が時間を投資するものを絞って、集中投資することにした。
今年に入って、料理の記事やワインの記事が圧倒的に減ったのはそのせいだ。
授業も、たくさんは取らずに、自分の興味のあるものに絞って、準備に時間をかけている。
研究に力を入れると決めてからは、課外活動もかなり減らした。

ブログのほうは、あっちこっちに飛んでいるものの、いつも私なりの何らかのインサイトを入れる、という形で共有点を持たせようとはしている。
しかし、インサイトのレベルは記事によってかなりまちまちだ。
これではタイトルをつけるのは難しい。

少なくとも、My wine life というのは名が体を表していないんじゃないかと思い、消してみることにした。
ブログタイトルを、My life in MIT Sloan としてごまかすことにした(笑)

それがタイトルを変えた経緯です。

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MBAを志したきっかけと準備

2008-06-07 23:02:52 | About me

最初にMBAに行こうと思い立ったのは2007年3月。

大学の研究職を目指すのをやめた後、コンサルティングファームに来て3年経った。
このままここにいても、ビジネスパーソンとしての成長に限界があるなあ、と思ったころだった。

だんだん仕事に慣れてきて、国内なら、コンサルタントとしてやっていく自信はつき始めた。
だから、もっとチャレンジがほしくて、海外のプロジェクトで活躍したい、と思ったが、
私の英語力では、チームメンバーが精一杯。マネージャーとか、責任ある立場には就けない。
英語力の問題だけでなく、ビジネスカルチャー・文化的背景が分からなければ、
クライアントからの本当の信頼は得られないから。

事業会社への転職も考えた。
でも今の私が転職しても、またヒラからのスタートですよ。人間力も統括力もまだまだ。
事業責任を担って采配を振るう立場に就くなんて、あと10年、20年かかる。

それなら、2年間を投資して、MBAに行こう。
実際のビジネスに関わる課外活動も多いし、世界中から将来のビジネスリーダーの卵が切磋琢磨。
その中で輝き続けるっていうのは、結構Challengingだろう。
2年後に自分が新たなチャレンジに向かうときのちょうど良いステップになるのではないか、と考えた。

で、準備を始めたが、一番苦労したのは、TOEFLのSpeakingだった。
秋になってもSpeakingの点が上がらず、HBSの足切りである109点に達しない。
結局Speakingは22点止まり、それ以外で29点を取ることで109点を突破したのが9月末だった。
その後からEssayを書き始めたので、1st roundではひとつも出せず、2ndで何とか4校に出願。
1stでひとつも出していないという焦りはあったが、Essayを書く作業自体は楽しい。
自分の過去の見つめなおし。将来設計。
3ヶ月間、仕事以外は毎日Essayだけを考えて生活した。

そして今年の4月上旬、HBSは落とされたが、MITからのオファーが来た。
MITは、物理をやっていたころからの憧れの学校。
それから、MBAではInnovationと組織論の研究に集中したいと思っていたので、
Boston、特にTechnology innovationに力を入れるMIT
は、自分にとって最高の学究環境。
Entrepreneurship & Innovation という学位もOptionalに取っていいよ、とオファーを受け、渡りに船。

そんなわけでMITに行くことにした。

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About this blog

2008-06-07 23:00:37 | About me

子供の頃から、ものを書くのが好き。
学生の頃は、短編小説、書評から科学記事まで何でも書いた。

でも、社会人になってから、書くのは仕事の書類ばかり。
徒然なるままにひぐらし硯に向かう余裕なんてない。

そんな折、MBAに行くことを決め、夏からMIT Sloanに行くことに。
心と時間の余裕が出来た。

人のすなるブログといふものを私もしてみんとすることにした。

人様にものを語れるほどの者ではないけれど、MBAのこと、趣味のこと(主にワイン。たまに音楽と旅行)、海外生活の中で思うところなど、多少ながら興を提供できれば、ということで。

そういうわけで、このブログは主に次の3つから成り立っています。

  1. ワイン
  2. MIT SloanでのMBA。それを通じて考えたこと
  3. その他思うところ 

最初のうちは、1と2が別々のブログみたいで、統一性が無いように感じるかもしれない。
そのうち私のボストン生活を軸に二つが絡み合っていくと思います。

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