先月のニュースになるが、パナソニック、ソニー、シャープという日本を代表する家電メーカーの決算が出揃って、三社合計で1兆5000億円を超える赤字を出したことが大きく話題になった。共通する主な原因として、テレビ事業の不振という共通項があった。
シャープ、2011年度通期連結決算は3,760億円の赤字-AV.watch.impress (2012/04/27)
パナソニックの前期最終赤字は7,721億円 今期は500億円の黒字目標-MSN産経ニュース(2012/05/11)
ソニー、赤字4,566億円、13年3月期は5期ぶり黒字予想-ウォールストリートジャーナル日本版 (2012/05/10)
電機決算の明暗鮮明、日立最高益、ソニー赤字最大 -日経新聞 (2012/05/11)
テレビ事業といえば、1970年代の高度成長期に、日本の製品の品質が海外で大きく認知されるようになったきっかけともいえる産業だ。
ブラウン管テレビを世界で始めて製品として普及させたのは、アメリカのRCAという会社だ。テレビに関する技術規格の殆どを作り、標準化した企業だ。ところが、1970年代になって徐々に日本企業がアメリカに進出するようになり、ソニーのトリニトロンテレビやパナソニックといったブランドが、圧倒的な安さと品質の高さで市場、特にアメリカ市場を席巻していった。そして1985年にはアメリカ市場において4割以上を日本企業が占めるに至っている。そのテレビ事業で韓国や台湾などの企業に追い込まれている図は、「日本の製造業の凋落」のように見えるが、実は25年前に同じ状況を、アメリカ企業が、日本企業に追い込まれて味わっていたことである。
上のグラフをアメリカ企業の立場から見れば、グローバル化する日本企業に次々とシェアを奪われていった失敗の図だ。まさに今、韓国や台湾の企業が、圧倒的に安い製品を結構いい品質で出し、各新興国市場にあわせた適切なマーケティングにより、グローバルなテレビ市場のシェア(と利益)を日本企業から奪っている絵が、25年前にはアメリカ企業と日本企業の間にあったのである。
ブラウン管テレビを最初に商品化し、普及させたアメリカのRCA。いわゆるRCA端子など、テレビの技術規格の殆どを作り、標準化し、1964年ころには米国においては64%もの市場シェアを持っていた。しかし、ここからのRCAは、いくつかの大きな戦略ミスをし、凋落していった。
まず、テレビ事業をバリューチェーン上に拡大。テレビ放送事業にも手を出し、コンテンツまでの垂直統合をすることで価値を最大化しようとした。これが最初の戦略の失敗だった。更には、当時大きく拡大しはじめていた、コンシューマ向けのコンピュータ事業にも手を出した。これが大失敗だった。垂直統合でじっくり開発して価値が出るブラウン管テレビ事業と、水平分業されたモジュールを次々と早く組み合わせて価値を出すコンピュータ事業では事業の性質がまったく異なったのだ。大きな投資をしたにもかかわらず、シェアがまったく取れずコンピュータ事業では大赤字となった。(なんか、どこかで聞いたことがある話ではないか)
RCAはテレビ事業でほぼ独占的な地位を確保することで大きな利益を得ていたにもかかわらず、これらの利益をこういった不採算事業で失ってしまった。一方本業のテレビですら、安くて品質の高い日本企業に追いやられて赤字を垂れ流すようになってしまった。完全に凋落し、「テレビの生みの親」であるRCAはついに1985年にGEに買収されるに至る。
6月19日に発売予定の私の著書「グローバル・エリートの時代」の中では、グローバル化する日本企業に追い立てられ、それでもグローバル化が進まないGEがどのように復活して、グローバル化をなし遂げたか詳しいケーススタディをやっている。1980年代後半のGEの海外売上高比率は23%。一方、当時のソニーの海外売上高比率は64%である。GEで本格的にグローバル化を成功させたのはイメルト氏だが、実はジャック・ウェルチの頃からグローバル化の種は蒔かれていた。GEのグローバル化の詳しい内容については著書を読んでいただければ幸いですが、このブログ記事では、ジャック・ウェルチがRCA売却の決断をすることで、グローバル化の足がかりを得られたことについて書こうと思う。
GEは、買収したRCAからレコード事業(いわゆるRCAレーベルです)、放送事業、コンピュータ、保険などの不採算事業を切り離してRCAの再生を図った。ところが、大赤字を出していたテレビ事業をどうするかが最大の難点だった。当時のソニーやパナソニックなどの攻勢は非常に強く、貿易摩擦が問題となれば、次々に生産拠点をアメリカやメキシコなどに移動し、シェアを拡大。単純に労働コストの差だけでなく、市場のニーズを聞いて、本当に必要な機能だけに絞って部品数も少ないソニーやパナソニックのテレビは、RCAの作るテレビより構造的にコスト優位性があったのだ。RCAのテレビ事業を大改革してもグローバルな競争で生き残れる可能性は小さい、と判断された。
そして、1987年、ついにGEはRCAをフランスの電機メーカーであるトムソンに売却することを決断した。そしてトムソンからは医療機器事業を交換で手に入れたのである。当時トムソンが持っていた医療機器事業は、ヨーロッパで大きくシェアを持っており、海外売上高比率がメーカーとしては大きくないGEとしてはヨーロッパでのプレゼンスを得るまたとない機会だったのだ。
ジャック・ウェルチがRCA売却をしたとき、「アメリカの製造業の魂であるRCAのテレビ事業を外国に売るなんてジャックは売国奴だ」「反米的行為」「日本との戦いに負けるなんて臆病者(chickin)!」という批判がマスコミ各社から行われたという。しかし、GEはRCA売却によって、トムソンのヨーロッパで特に強い画像医療機器事業を手に入れ、ようやく本格的なグローバル化への足がかりを得たのであった。実際、超音波診断機やMRIやCTスキャンなどの画像医療機器は、世界の先進国の高齢化に伴い、1990年代に入って非常に大きく拡大することになる成長市場であった。GEはこのトムソンをベースにシェアを徐々に拡大し、独シーメンスなども駆逐して、世界第一位のシェアを持つに至っている。(ちなみにRCA以外のGEのテレビ事業はパナソニック、サンヨーのOEMへと転換された)
日本企業に大きく追いやられていた1980年代のアメリカ企業。自らが生み出したテレビという製品において、圧倒的な競争力を日本企業に奪われ、凋落の原因となる。その事業を海外企業に売却することで、次の成長市場でのグローバル化の糧を手に入れ、本当にグローバルな成長を成し遂げるきっかけとしたGEは、ある意味で同じ状況におかれている日本のメーカーが学べるところなのではないだろうか。
かつて隆盛を誇った日本のテレビメーカーが本業であるテレビ事業を切り離して、成長する新興国で重要になる事業を手に入れろ、と言ってるわけではない。1980年代のGEを取り巻く事業環境と、現在の日本のテレビメーカーを取り巻く環境は異なっており、GEのようなうまい「Exit」の方法を見つけるのはたやすいことではないだろう。また、当時のGEには航空機エンジンや発電所など他に柱となる事業があったが、今危機に陥っている日本のテレビメーカーが必ずしもそうではない、ということも事実だ。しかしながら、テレビの代わりに得た画像診断装置事業が、本当に成長市場になるかは1980年代にはまだ分かっていない状況で、ジャック・ウェルチはこの決断を下したということは記しておきたい。「製造業の魂」と言われるものを切り離してでも成長の原資を得るくらいの変革をしないと、GEのような再生、そしてグローバル化の成功は収められないのではないだろう。それがいったい何なのかを、いま真剣に検討していく必要性に迫られていると思う。
参考:日本企業の苦しみを25年前から味わっていたアメリカ企業-My Life After MIT Sloan (2010/03/08)
「グローバル・エリートの時代-個人が国家を超え、日本の未来を作る」(倉本由香利)
"Inventing the Electronic Century" Alfred D. Chandler, Jr. (2005)
"Control Your Destiny or Someone Else will" Noel M. Tichy, Stratford Sherman (1993)
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グローバル・エリートの時代 個人が国家を超え、日本の未来をつくる |
倉本 由香利 | |
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