My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

テレビ事業を売却してグローバル成長を遂げたGEの決断

2012-06-17 20:42:34 | 1. グローバル化論

先月のニュースになるが、パナソニック、ソニー、シャープという日本を代表する家電メーカーの決算が出揃って、三社合計で1兆5000億円を超える赤字を出したことが大きく話題になった。共通する主な原因として、テレビ事業の不振という共通項があった。

シャープ、2011年度通期連結決算は3,760億円の赤字-AV.watch.impress (2012/04/27)
パナソニックの前期最終赤字は7,721億円 今期は500億円の黒字目標-MSN産経ニュース(2012/05/11)
ソニー、赤字4,566億円、13年3月期は5期ぶり黒字予想-ウォールストリートジャーナル日本版 (2012/05/10)

電機決算の明暗鮮明、日立最高益、ソニー赤字最大 -日経新聞 (2012/05/11)

テレビ事業といえば、1970年代の高度成長期に、日本の製品の品質が海外で大きく認知されるようになったきっかけともいえる産業だ。
ブラウン管テレビを世界で始めて製品として普及させたのは、アメリカのRCAという会社だ。テレビに関する技術規格の殆どを作り、標準化した企業だ。ところが、1970年代になって徐々に日本企業がアメリカに進出するようになり、ソニーのトリニトロンテレビやパナソニックといったブランドが、圧倒的な安さと品質の高さで市場、特にアメリカ市場を席巻していった。そして1985年にはアメリカ市場において4割以上を日本企業が占めるに至っている。そのテレビ事業で韓国や台湾などの企業に追い込まれている図は、「日本の製造業の凋落」のように見えるが、実は25年前に同じ状況を、アメリカ企業が、日本企業に追い込まれて味わっていたことである。

上のグラフをアメリカ企業の立場から見れば、グローバル化する日本企業に次々とシェアを奪われていった失敗の図だ。まさに今、韓国や台湾の企業が、圧倒的に安い製品を結構いい品質で出し、各新興国市場にあわせた適切なマーケティングにより、グローバルなテレビ市場のシェア(と利益)を日本企業から奪っている絵が、25年前にはアメリカ企業と日本企業の間にあったのである。

ブラウン管テレビを最初に商品化し、普及させたアメリカのRCA。いわゆるRCA端子など、テレビの技術規格の殆どを作り、標準化し、1964年ころには米国においては64%もの市場シェアを持っていた。しかし、ここからのRCAは、いくつかの大きな戦略ミスをし、凋落していった。

まず、テレビ事業をバリューチェーン上に拡大。テレビ放送事業にも手を出し、コンテンツまでの垂直統合をすることで価値を最大化しようとした。これが最初の戦略の失敗だった。更には、当時大きく拡大しはじめていた、コンシューマ向けのコンピュータ事業にも手を出した。これが大失敗だった。垂直統合でじっくり開発して価値が出るブラウン管テレビ事業と、水平分業されたモジュールを次々と早く組み合わせて価値を出すコンピュータ事業では事業の性質がまったく異なったのだ。大きな投資をしたにもかかわらず、シェアがまったく取れずコンピュータ事業では大赤字となった。(なんか、どこかで聞いたことがある話ではないか)

RCAはテレビ事業でほぼ独占的な地位を確保することで大きな利益を得ていたにもかかわらず、これらの利益をこういった不採算事業で失ってしまった。一方本業のテレビですら、安くて品質の高い日本企業に追いやられて赤字を垂れ流すようになってしまった。完全に凋落し、「テレビの生みの親」であるRCAはついに1985年にGEに買収されるに至る。

6月19日に発売予定の私の著書「グローバル・エリートの時代」の中では、グローバル化する日本企業に追い立てられ、それでもグローバル化が進まないGEがどのように復活して、グローバル化をなし遂げたか詳しいケーススタディをやっている。1980年代後半のGEの海外売上高比率は23%。一方、当時のソニーの海外売上高比率は64%である。GEで本格的にグローバル化を成功させたのはイメルト氏だが、実はジャック・ウェルチの頃からグローバル化の種は蒔かれていた。GEのグローバル化の詳しい内容については著書を読んでいただければ幸いですが、このブログ記事では、ジャック・ウェルチがRCA売却の決断をすることで、グローバル化の足がかりを得られたことについて書こうと思う。

GEは、買収したRCAからレコード事業(いわゆるRCAレーベルです)、放送事業、コンピュータ、保険などの不採算事業を切り離してRCAの再生を図った。ところが、大赤字を出していたテレビ事業をどうするかが最大の難点だった。当時のソニーやパナソニックなどの攻勢は非常に強く、貿易摩擦が問題となれば、次々に生産拠点をアメリカやメキシコなどに移動し、シェアを拡大。単純に労働コストの差だけでなく、市場のニーズを聞いて、本当に必要な機能だけに絞って部品数も少ないソニーやパナソニックのテレビは、RCAの作るテレビより構造的にコスト優位性があったのだ。RCAのテレビ事業を大改革してもグローバルな競争で生き残れる可能性は小さい、と判断された。

そして、1987年、ついにGEはRCAをフランスの電機メーカーであるトムソンに売却することを決断した。そしてトムソンからは医療機器事業を交換で手に入れたのである。当時トムソンが持っていた医療機器事業は、ヨーロッパで大きくシェアを持っており、海外売上高比率がメーカーとしては大きくないGEとしてはヨーロッパでのプレゼンスを得るまたとない機会だったのだ。

ジャック・ウェルチがRCA売却をしたとき、「アメリカの製造業の魂であるRCAのテレビ事業を外国に売るなんてジャックは売国奴だ」「反米的行為」「日本との戦いに負けるなんて臆病者(chickin)!」という批判がマスコミ各社から行われたという。しかし、GEはRCA売却によって、トムソンのヨーロッパで特に強い画像医療機器事業を手に入れ、ようやく本格的なグローバル化への足がかりを得たのであった。実際、超音波診断機やMRIやCTスキャンなどの画像医療機器は、世界の先進国の高齢化に伴い、1990年代に入って非常に大きく拡大することになる成長市場であった。GEはこのトムソンをベースにシェアを徐々に拡大し、独シーメンスなども駆逐して、世界第一位のシェアを持つに至っている。(ちなみにRCA以外のGEのテレビ事業はパナソニック、サンヨーのOEMへと転換された)

日本企業に大きく追いやられていた1980年代のアメリカ企業。自らが生み出したテレビという製品において、圧倒的な競争力を日本企業に奪われ、凋落の原因となる。その事業を海外企業に売却することで、次の成長市場でのグローバル化の糧を手に入れ、本当にグローバルな成長を成し遂げるきっかけとしたGEは、ある意味で同じ状況におかれている日本のメーカーが学べるところなのではないだろうか。

かつて隆盛を誇った日本のテレビメーカーが本業であるテレビ事業を切り離して、成長する新興国で重要になる事業を手に入れろ、と言ってるわけではない。1980年代のGEを取り巻く事業環境と、現在の日本のテレビメーカーを取り巻く環境は異なっており、GEのようなうまい「Exit」の方法を見つけるのはたやすいことではないだろう。また、当時のGEには航空機エンジンや発電所など他に柱となる事業があったが、今危機に陥っている日本のテレビメーカーが必ずしもそうではない、ということも事実だ。しかしながら、テレビの代わりに得た画像診断装置事業が、本当に成長市場になるかは1980年代にはまだ分かっていない状況で、ジャック・ウェルチはこの決断を下したということは記しておきたい。「製造業の魂」と言われるものを切り離してでも成長の原資を得るくらいの変革をしないと、GEのような再生、そしてグローバル化の成功は収められないのではないだろう。それがいったい何なのかを、いま真剣に検討していく必要性に迫られていると思う。

参考:日本企業の苦しみを25年前から味わっていたアメリカ企業-My Life After MIT Sloan (2010/03/08)
   「グローバル・エリートの時代-個人が国家を超え、日本の未来を作る」(倉本由香利)
   "Inventing the Electronic Century" Alfred D. Chandler, Jr. (2005)
   "Control Your Destiny or Someone Else will" Noel M. Tichy, Stratford Sherman (1993) 

グローバル・エリートの時代 個人が国家を超え、日本の未来をつくる グローバル・エリートの時代 個人が国家を超え、日本の未来をつくる
倉本 由香利

講談社

6月19日発売
ただいま予約受付中です 

 

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「グローバル・エリートの時代 」を出版します (6/19 講談社より)

2012-06-09 20:00:07 | 1. グローバル化論

ご無沙汰してます。5月半ばに筆を取って以来、また仕事がハンパなく忙しくなってしまい、まったくブログ記事を書けずにおりました・・・。忙しいのはあと3週間くらい変わらなそうですが、今日はアナウンスも兼ねて筆を取りました。

6月19日に、「グローバル・エリートの時代-個人が国家を超え、日本の未来をつくる」を講談社より発売します!
(Amazonで予約可能です) 

グローバル・エリートの時代 個人が国家を超え、日本の未来をつくる
倉本 由香利
講談社

こちらの本は、ブログからではなく、まったくの書き下ろしです。私がMBAにいた2年前に講談社さんに声をかけられて以来書き続けて、漸く今年の2月に書き終えました。ブログを書くのはあんなに早くて量も多いのに、本を書くのは何故そんなに時間がかかったのか、と思う人も多いと思いますが、色々と調べて考えを深めているうちに時間がかかってしまいました。MBAのときも企業のケーススタディなど一部のネタについて書いてたのですが、その後3ヶ月のプロジェクトの合間に1週間休みを取って書く、ということを3-4回繰り返して漸く仕上げました。結構面白い仮説や提言を載せているので、楽しめると思います。

本の内容と議論の背景については、出版社に怒られない程度に、出版前にこのブログでも書いていこうと思います。(結構いろんなことを書いたので、このブログにちょっと書いたからってネタバレするほどではないということもあり)
まずは恐らく多くの人が気になるであろう「何故、いまグローバル化なのか」「エリートとは何ぞや」の二点について書こうと思います。

■何故、いま「グローバル化」なのか-いまグローバル化の質が大きく変わっている

現在の日本は、「グローバル化」という概念に関しては完全に二極化していると思う。商社、製造業、小売業、そして飲食や銀行などのサービス業など、日本企業に勤めている人の多くは、企業全体で海外売上高比率を上げるとか、グローバル化を進めるといった課題に取り組んでおり、「グローバル化」が日々の仕事の一部になっている人々がいるだろう。その一方で、グローバルなんて遠い話題で、日々の生活にまったく関係ないところで仕事や生活をしている人たちも多いと思う。前者は「何故、いまさらグローバル化なの?」と思うだろうし、後者は「何故、グローバル化なの?普通の日本人には関係ないし・・・」と思うだろう。

今回、私が「グローバル化」を題材として取り上げた理由は二つある。ひとつはグローバル化の質が、以前とは大きく変わってきているということだ。これは前者の「いまさらグローバル?」という人たちへのメッセージだ。世界経済の主軸が新興国に移るにつれ、グローバル化に必要なスキルが大きく変わってきている。だから敢えてグローバル化を取り上げたいと考えた。

「グローバル化(Globalization)」という言葉は、1970年頃から論文や学術書などで使われるようになった。その後、1980年代後半からビジネスの世界でも盛んに使われるようになった。しかし、この頃は世界経済における先進国のシェアが9割を超えており、企業にとってのグローバル化とは、他の先進国に進出することだった。アメリカ、ヨーロッパ、日本のどの国の企業にとっても、まず狙うべきは自国の巨大市場、そして同じ技術や製品を活かして進出できる先進国のほかの国に行くことだった。この傾向は2000年代に入っても余り変わらず、2003年にBRICという言葉が作られたけれど、海外進出の際に先進国が中心となる状況は大きくは変わらなかった。

ところが、今後は世界経済の主軸は新興国となる。2005年ころから「世界の工場」だった中国は、世界一の消費国としての道を歩み始めた。IMFの統計によれば、来年2013年には、新興国のGDP合計が、先進国のGDP合計を超えるという。更には、(統計にもよるが)2025年から30年のころには、先進国トップ7カ国のG7のGDP合計を、新興国トップ7カ国(BRIC+メキシコ、インドネシア、トルコ)のGDP合計が上回るとされている。

新興国への進出を第一に考えることは、先進国への進出とはまったく異なっている。なぜなら、電力、水道、インターネット、道路などの社会のインフラが整っておらず、会社も個人も払うお金を余り持っていないにもかかわらず、先進国と同等に戦えるだけの非常に高い品質を求めてくるからだ。先進国企業は、新興国企業や個人のニーズを十分に汲み取って、生産や開発までフィードバックをかけて、スペックを絞った安価な開発・生産が求められ、迅速な意思決定をする必要があり、そこには新興国の人材を大量に使うことが必要になるだろう。また、研究開発などでも新興国の人材を出来るだけ活用し、先進国の研究開発ネットワークを十分に活用しながら、現地からのイノベーションを生むことが求められる。このように、かつて先進国に進出していた時代とは異なり、組織そのものがグローバル化しなければ、他のグローバル企業に太刀打ちできなくなってくるだろう。

ではどうすればよいのか。日本企業は、どのようにして組織のグローバル化を果たせばよいか、そのために個人はどのように意識を変えていく必要があるか、ということを書こうと思ったのが、この本を書き始めたきっかけだった。

■何故、いま「グローバル化」なのか-新興国の経済成長を取り込むことが、日本経済復活の鍵に

「グローバル化」を題材として取り上げたもうひとつの理由はグローバル化を進めないと、もう日本で雇用も生まれないし、日本経済が復活することもない、というところまで来ていると考えていることだ。「普通の日本人には関係ない」と思っている人に対して、そうではない、いま世界で起こっているのは、成長する新興国の富を取り込んでいかなければ、先進国は生き残りが出来なくなってきていることを示そうと思ったことだ。

日本は今後、人口が減少していき、それに伴って内需も減少していくと考えられる。日本企業が、日本国内市場だけに頼っていては、売上規模は小さくならざるを得ない、そうなれば、日本国内で雇用される人も減少していき、平均給与が下がるから人々がお金を使わなくなり、市場規模が小さくなり・・という負のスパイラルに陥ることは明らかである。一方で、新興国市場はGDPが年間で5-10%くらい成長しており、まさに日本の1960年代の「高度経済成長期」にある。

重要なのは、この新興国の人々が必要としているもの、欲しいと思っているものは、彼ら自国の技術やサービスだけでは得られないということだ。日本が持つ、水、バイオ、ナノテクあらゆる分野の要素技術や、ものづくりの生産技術、「おもてなしの心」にあふれるサービスなど、日本人にしか提供できないものが多い。これらを提供しつつ、新興国のニーズと結びつけて、市場を獲得していくことをまじめにやっていくことで、これらの国の成長が日本企業の売上につながり、日本経済に取り込んでいくことが出来るだろうし、これが日本人の新たな雇用を生むことにもつながるだろう。そのためには、日本人で、これらの新興国との橋渡しをして、ニーズを刈り取り、営業をし、事業開発を行い、現地の人々や企業とのネットワークを築く人々がいなければ、成り立たない。

いくつもの新興国が経済的に発展する今、色んな文化的背景を持つ人々と、(英語やその国の言語はもちろんとして)、彼らを理解し、柔軟に対応し、時には問題解決をして、リードしながら働いていくことが出来る人たちが、多く必要になるだろう。私は「グローバル・エリート」と呼んでいる。「グローバル・リーダー」という良くある言葉を使わなかったのは、別にリーダーである必要はないと思ったからだ。普通に現場で、あるいは中間管理層で、いろんな国の人たちと普通に働いて、彼らの力を生かせる人たちがもっと必要になる。こういうグローバル・エリート層が増えて、新興国の富を日本経済に取り入れることが出来なければ、日本経済が復活することは難しいだろうと思っている。

■なぜ「エリート」という言葉を使うのか

最後にそういう人材を何故「グローバル・エリート」と名づけたかについて。「エリート」という言葉に嫌悪感を持つ人は多いらしく、このタイトルが決まった後も、「エリート」という言葉の部分に引っかかる方、「そういう面白い内容だったら何故エリートという言葉を使ったの?」といって下さる方、たくさんの人にあった。でも私としては、もともと「エリート」という言葉は、何らかラッキーなものを持つ人は、その力を他の人たちのために活かしていくことができる人たちである、というところから来た言葉であることにこだわった。

それに、全ての人に「グローバルに働ける人材になれ!」というのは、ちょっと嘘ではないか、と思ったのだ。全ての日本人が、多様な文化的背景を持つ人々と働いて、その彼らの能力を活かして、仕事をしていくことが出来るわけではない。努力は必要だが、その努力が出来る環境にある人、小さな頃から教育の機会を与えられた人、若いときからグローバルな環境で働くことが出来て、その力がついている人のほうが、グローバルに活躍するのにはギャップが少ないだろう。

ノブリス・オブリージュ(noblesse oblige : 何らかの特権を持つ人々は持たない人々に対して貢献をしなくてはならないという考え方)という言葉があるように、教育や仕事の上での機会を与えられ、グローバルに働く能力がある人は、その力を発揮してグローバルに活躍する(グローバルに出稼ぎする)ことで、そうでない人との雇用を生み出したり、社会的基盤を支える屋台骨としての日本経済に貢献したりすることが求められるのではないか、と思っている。言ってみれば「現代版出稼ぎ」を、その能力がある人がやるべきだと思っている、ということだ。

それから「グローバル・エリート」はこの現代社会においては、そこまで選ばれた存在ではない。先ほども書いたように、別に「リーダー」である必要はなく、色んな文化の人たちと抵抗なく働けて、日本の技術やサービスをトレーニングしたり、広めたり、営業したり、新興国の人たちの力を活かして何かを作ったり、そういうことが出来る人全般を指している。豊かな国である日本には、努力さえすれば、そういうことが出来るポテンシャルを持つ人がたくさんいる。

もっとも、グローバル・エリートたち自身は、別に「ノブレス・オブリージュ」みたいな義務感を持って働く必要は必ずしもない。いろんな国の人たちに出会って、苦労しながらも色んな学びを得ていくのは楽しいことだ。そうやってグローバルな環境で働くことを楽しいと思うグローバル・エリートたちが増えることが、ひいては日本経済の再成長につながっていくと思っている。

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日本が「グローバル人材大国」を目指すべき理由

2011-12-30 14:20:17 | 1. グローバル化論

2011年は、日本企業のグローバル化が大きく話題になり、多くの人々に浸透した年だったと思う。

「グローバル採用」という言葉が何度も新聞紙面を飾った。新卒採用を、国外や留学生、海外大卒を中心としたグローバル採用に切り替えていくと宣言した、ユニクロなどの企業が話題になった。「グローバル人材育成」も、多くのビジネス雑誌で取り上げられた言葉の一つだった。海外事業で多国籍の人材を扱いながら活躍できるグローバル人材を今後どのように育成していくかは、今年の多くの企業が最も頭を悩ませた話題のひとつだっただろう。震災後は、海外企業のM&Aも加速した。実際、日本に工場の大半が固まっていたために、震災で稼動を落とさざるを得なかった企業は、地理的集中リスクの怖さを実感し、グローバル化の必要性を急に感じたところも多かったと思われる。円高による割安感もあり、日本企業による海外企業のM&Aは2011年に過去最大となったと報じられている。

今後、人口が減少すると考えられる日本では、多くの産業で市場成長が止まる。もし企業が成長し続けることを望むなら、日本国内でシェア争いをするよりも、成長市場である中国や東南アジア、南米などの新興国の売上を上げていくことが重要になる。そして、これらの国でシェアを取るためには、海外での生産や調達を行うことも、今までに増して重要になる。更には、人材すらも、日本以外の国から採用していくことになるだろう。東南アジアなど、国を挙げてグローバル人材の育成に力を入れている新興国は多い。これら新興国に事業展開するなら、日本人を駐在等で活用するよりも、ずっとコストが安く、現地の事情に詳しい、現地生まれのグローバル人材を採用する方が理にかなう。大企業に限らず、中小企業の多くにとっても、売上だけでなく、生産、そして人材や組織の面でも日本市場に偏らないグローバル化が、企業の成長と経営の安定のために必須となりつつある。

このように、成長を模索する日本企業の多くが、売上の多くを海外へ、生産や調達の多くを海外へ、更には社員の多くを海外採用へ・・と移行していくのは時間の問題と思われる。特に製造業は、輸出産業として日本の経常収支を支えているにもかかわらず、TPPやFTAの意思決定は遅くて邪魔ばかりされ、更には年金や医療等のコスト負担を次々に強いられる。ましてや円高に加え、自然災害のリスクまで出てきた。このように考えると、グローバル企業と呼ばれる日本企業の多くにとって、日本にとどまっている意味はあるのだろうか、とふと思ってしまう。実際、グローバルな日本企業の中には、日本以外の国に本社を移す、または第二支社を作ることを本気で検討している企業もあるだろう。企業の意思決定の面でも、人事や財務の面でも有利になると考えられるからだ。

「非国民だ」とののしる人もいるかもしれないが、グローバル企業にとって、市場成長が著しく、優秀な人材を輩出し、事業会社に優しい国や地域に事業の主軸を移していくことは自然なことになるだろう。10年前にハート、ネグリが「帝国」の中でいみじくも指摘したように、グローバル企業にとって国籍はもはや意味を持たなくなりつつあるのだから。そんな時代であっても、グローバル化する日本企業が日本にとどまる意味はあるだろうか。二つの意味で、日本に留まる意義はまだ残されているのではないか、と私は考えている。

ひとつは、現時点でのメリットだ。特に製造業が、現在日本をなかなか出て行けない理由のひとつは、日本は技術開発のインフラやネットワークが整っている「技術大国」であるということだ。イノベーションは、企業単体の努力だけでは起こらない。大学や研究機関が基礎研究を行い、技術に詳しい技術者や研究者が輩出され、中小企業やベンチャー企業が周辺の応用技術を提供し、共同開発などを行える様々な異分野の企業が存在し・・・といった具合に、技術のネットワークがあることが、技術や製品を開発しつづけるために非常に重要である。そして、特に機械産業や素材産業、電機産業といた分野では、日本には最高の技術のネットワークが蓄積されている。日本を離れて活動すると、これらの技術ネットワークを活用することも難しくなる。コマツ会長の坂根氏は、コマツを「日本国籍グローバル企業」として成長させる、そのために日本で技術者を育てると宣言しているが、コマツの建機を支える技術ネットワークは日本でしか得られないことを理由として上げている。

しかし、技術大国であることは現時点でのメリットに過ぎない。韓国や台湾、中国、そして追随する新興国が「技術大国」として成長し、技術ネットワークが育っていけば、徐々にメリットを失っていくだろう。日本に企業が集まる、残された理由は「人材」となる。企業のグローバル化を支える人材を日本から次々に輩出する「グローバル人材大国」になること、これがグローバル化する日本企業を日本にとどまらせる理由となるだろう。日本に来れば、グローバル化を進められる優秀な人材がたくさんいる、というようになること。グローバルな人材が育つ教育環境が日本に整っているから、近隣の新興国から世界で活躍したい優秀な人材が集まってくる。日本にいるだけで、これらの優秀なグローバル人材を採用できる、となること。そうなってくれば、日本に経営の中心をおきたい企業が自然と増えるだろう。日本が法人税を引き下げるなどより、ずっと効果的で、継続的な施策である。

米国には、売上の多くを米国以外の国で上げ、社員の多くが米国人ではないにもかかわらず、米国に本社を置き続けているグローバル企業が多く存在する。AppleやAmazonのような近年拡大したグローバル企業でもそうだ。これは米国が成長市場だからではなく、グローバルに活躍でき、将来は経営の中心を担える優秀な人材が米国に集まっており、次々と人材が出てくることである。Apple StoreやAmazon流通センターの人材は、それぞれの国の人材でよい。しかし彼らを統括し、各国で事業を展開する幹部人材は、米国に経営の中心を置いているほうが得られる。だから本社を米国に置き続ける。

日本企業がグローバル化することは避けられない。だから、日本が「グローバル人材大国」となって、グローバルに活躍できる優秀な人材を集め、輩出し、これらのグローバル企業を惹き続けること。これが、グローバル化を進める日本企業やそれ以外のグローバル企業の恩恵を、日本が受け続けるために唯一の施策になるのではないか、と最近つねづね思うのである。

2011年は日本企業が改めてグローバル化の必要性を認識し、採用や人材育成面でも動き始めた年になった。来年は、加速するグローバル化の動きを支え、日本という国を、日本発グローバル企業を惹き続ける「グローバル人材大国」にするための議論が始まる年になれば、と思う。

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「グローバルネイティブ」たちがやってくる

2011-11-27 13:44:49 | 1. グローバル化論

前記事「最近の若者は内向きだ」仮説の誤謬-My Life After MIT Sloan では、最近の若者が「内向き」、つまり海外留学や海外赴任などの「お外」に出たがらないとマスコミなどが言っているのに対し、そんなのはデータの読み方からして誤り、という反論をした。それどころか私は「最近の若者の方がずっとグローバル化している」と考えている。もちろん世代内の二極化は進んでいるし、昔の人に比べるとハングリーさは減っているかもしれない。しかし「外向き」側にいる今の若者は、昔の「外向き」の若者に比べたら、圧倒的にグローバル化している。「内向き」側にいる若者だって、昔の「内向き」若者に比べたら、圧倒的な量のグローバルな情報にいつのまにか接し、慣れている。むしろそういう情報に接して、苦労しているからこそ「俺は海外は嫌だ」とか明確に意思表示ができる「内向き」層が出てきているかもしれない。

最近私は、物心ついたときから、グローバルな情報をリアルタイムで共有するのが当たり前で、ネットなどででグローバルに交流ができる環境にある世代、その結果、何の抵抗も感じずに最初から自然と世界に発信したり、活躍出来る人もいる世代を「グローバルネイティブ」と呼ぶことにしている。物心ついたときから、携帯電話やインターネットなどのITに触れて、何の抵抗もなく使える世代を「デジタルネイティブ」と呼ぶのをもじったわけである。グローバルネイティブは、帰国子女である必要はない。小さなころから、情報といえば世界中の話が耳に入ってくるのが当たり前、さらにはYoutubeやTwitterなども活用して、世界中の人々と情報をリアルタイムで共有するのが当たり前、という世代だ(たとえ日本語であっても。Google Translateなども使って)。そしてインターネットなど各種メディアを通じて世界に発信をしたり、SkypeやSNSで世界中の国の人たちと交流できる世代である。

どちらかといえば「内向き」という若者だって、上の世代に比べたら圧倒的な量のグローバルな量に日々接している。やはりインターネットの力は大きい。新聞なんか読まなくても、英語のWebニュースやそれを日本語に訳したものが毎日たくさん流れてくる。高い値段で衛星放送を契約しなくてもYoutubeや、最近流行のTEDなどで海外の映像を見ることも気軽に出来る。語学が分からなくても、誰かがすぐに訳してネットに流してくれたりするだろう。Facebook、TwitterなどグローバルなSNSプラットフォームが日本でメジャーになったことで、どこかの国で面白い画像や情報が出てくれば、数日のうちにグローバルに同じ情報が共有される。iPhoneやアンドロイドのアプリだって、いいものは一日のうちに世界中に浸透する。このように、今の若い世代は、50代、60代以上の人たちには考えられないほど、インターネットを通じて自然とグローバルな情報に接しているのである。

グローバル化してるのはインターネット上だけではない。たとえばスポーツ。今の50代、60代が若いころは日本のスポーツを見るのが普通だったと思うが、今の10代、20代にとっては物心ついたころからスポーツはグローバルだ。野球ならアメリカのメジャーリーガーの名前をたくさん知ってるし、バスケならアメリカNBA、サッカーならイギリスのプレミアリーグやスペインのリーガ・エスパニョーラを見ている若者も多いだろう。その結果、観客が選手のプレーにどう反応するのかを見て文化を知ったり、あるいはNBAでストライキが起こって、バスケのシーズンが始まらないなんてことがあるなど(スト、昨日漸く終わりましたね!)各国の社会問題を知ったりして、自然に各国への理解が深まるわけである。「自分は海外なんか出るつもりはない」と何故か固く決意しちゃってる10代の若者だって、これらの情報にいつのまにか、自然と接しているから、上の世代よりはよっぽどグローバル慣れしているわけである。

そして、グローバルネイティブ世代の「外向き」層は本当にすごい。今の10代、20代の「外向き」層には、帰国子女でもなんでもないのに、最初から世界を目指して発信したり、世界で活躍できる人たちがいるのだ。それこそきっと、何の抵抗も感じず、普通に日本でやるのと同じ感覚で、最初から世界にいけてしまうのだろう。これは私を含めて30代や、それ以上の世代の人たちには少し隔世の感があるのではないだろうか。

と、先日発表された、ワールド・エコノミック・フォーラムの今年の日本人若手リーダー30人のプロファイル(PDF)を見て思ったのだった。選ばれた30人は、全員が30歳以下の若手リーダーだが、全員がグローバルというわけではない。しかし中には、大学で留学した後に最初から海外で起業する人がいたり、海外でNPOを作ってみる大学生がいたり、震災後に最初から海外に向けて発信している高校生がいたりする。それぞれに、30代以上の世代にはあまり見られない、面白いことをやっている人が多くいる。

そう、この若い世代は、外向きになろうと思ったら、もう私たち30代以上の世代とは比較にならないほど、いくらでも外に行けるのだ。インターネットなどのメディアを使って、最初から世界に発信し、SNSやEメールで世界中の人とつながって、世界をまたにかけて活躍できる。ここに選ばれた30人以外にも、今の高校生や大学生で、最初から世界に発信したり、他の国で活躍したり、ということをやっている人はたくさんいるだろう。そういうグローバルが当たり前、という若者がたくさんいるのが、グローバルネイティブ世代なのだ。

上の世代は、現在グローバルに活躍している人でも、そこにいたるまでは苦労して、それなりの壁を越えてきた人が多いのではないか。英語ひとつとっても苦労して身につけ、また文化的違いにも慣れるのに苦労して、何とかグローバルの土台に上がってきた。もっとも、私も含めた今の30代前半の世代が、その上の世代よりグローバルな経験を若いうちにしているのは確かだ。たとえば私なんかも、留学先のMITで、日本人は出来ないと言われたティーチングアシスタントを二期務めたり、米国でインターンをやったりしたが、これらは昔の日本人MBAには珍しいことだったようだ。でも同じ30代前半のMBA生には、インターンのみならず、在米企業にそのまま就職したり、MBA全体の総長に就任したりする人もいた。その他、MBAに限らず海外で仕事をしている同世代もたくさんいる。そんな30代前半の私たちは「いやー、今の若手はほんとグローバルに活躍するね~」と上の世代の先輩方に言われて育ってきた。そこに至るまでの努力だって、それなりに必死でやってきた結果だ。

しかし、今の10代、20代の「外向き」層は、そんなレベルじゃない。もっと若い時期から、もっとグローバルだ。最初から、当たり前にグローバルに行こうと思っているし、実際に行けてしまう。英語力ひとつとっても、今の10代、20代の「外向き」層は、私のような30代の「外向き」層よりはるかに能力が高いと、実際に接していて感じる。中学生、高校生などの最も好奇心旺盛で記憶力がある時期に、インターネットがあり、Youtubeがあり、Skypeで世界中の人と安く英会話できるサービスがある世代は、同じくらいの努力をしている人でもやはり違うのだと感じる。発信力も違う。私が30代になって、漸くBlogやTwitterで発信し始めているようなことを、彼らは20代のうちからやっている。しかも最初から世界に向けて。

あと20年たって、彼らのような日本人のグローバルネイティブたちが、40-50代になり、リーダー的な役割を果たすようになったら、世界における日本の位置は大きく変わるだろう、と思う。日本人から、グローバルなリーダーになる人は今より増えるだろうし、世界各国のリーダーと対等に戦えるようになるだろう。デジタルネイティブにしても、物心ついたときからインターネットや携帯電話に慣れ親しんだ子供たちが、製品やサービスを作る側にたったら、きっと世界が変わるだろう、といわれている。グローバルネイティブもそれと同じである。

これからの日本には、物心ついたときから、情報は世界中で共有され、世界に発信するのが当たり前だと思っているグローバルネイティブが、どんどん生まれてくるだろう。いや、最近の新興国のグローバル化のスピードを見ていたら、もっとグローバルネイティブが生まれてきてくれないと困るのだ。そういうグローバルネイティブたちが、社会の中でリーダー的な役割を果たすようになったら、日本は普通にもっとグローバル化し、世界における日本の位置づけもはるかに良くなるのではないか、と私は淡い期待を抱いている。その世代がリーダーになる間のつなぎとして、30代の私も出来るだけ頑張りたい。

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「最近の若者は内向きだ」仮説の誤謬

2011-11-23 14:55:28 | 1. グローバル化論

最近の若者は、海外などに興味が無い「内向き」志向になっていると、ことあるごとに取り上げられるが、これは本当だろうか?もっとも私は学校などで定点観測をしているわけではないので、全体の傾向は分からないが、マスコミなどで「昔より若者が内向き」の根拠としていることには非常に違和感を感じる。二極化はしているが、感覚的にも論理的にも、今の20代、30代のほうが平均的にずっとグローバル化に柔軟に対応しているように思える。

マスコミでよく「昔より若者が内向き」の根拠として挙げられる次の三つ。

-最近の若者は安定就職を目指すから、留学などの冒険をしない
-日本から海外に留学する人が減っている
-最近の若者は、海外赴任をしたがらない

せっかくなので、一つ一つについて、私なりに誤謬を指摘してみようかと思う。

1)「最近の若者は安定就職を目指すから、留学などの冒険をしない」のではなく「企業の採用活動が余りに硬直化しているから、留学できない」

近年は大学生の就職活動が早期化しており、製薬業界やマスコミなど早い業界では大学三年生の10月ころから活動が始まるし、メーカーなどでも1月ころから応募が始まるところも多いらしい。だから「大学三年生など、留学に最も適した時期に留学すると、就職活動の時期に間に合うように帰ってこられないので、留学をしない」という学生が増えている、ということは以前から言われていた。これに対して、就職活動が留学などの機会を奪っているのは問題ということで、2011年の1月には、日本経団連で就職協定(倫理憲章)が見直しされ、4年生/修士2年生の4月1日を学生の選考の開始日と位置づけることになった。

日本経団連:新卒者の採用選考活動のあり方について(2011-01-12)

経団連で、このように学生の現実をよく見た意思決定が行われたのは流石と思う。残念ながらマスコミには、留学より就職活動を優先させる学生を批判したり、簡単に「内向き」と言ってしまう記事が今でも多い。例えば最近では、11月から始まった寺澤芳雄氏の「私の履歴書」では、最初の日にこんな文章があった。

最近、日本の若者は留学よりも就活を選ぶといわれる。というより就活に大変で、「留学どころではない」という。4年前にアメリカの母校ペンシルベニア大学を訪ね、久しぶりに目の輝いた東洋人の学生を多数見かけ、てっきり日本人かと思ったら、7割が中国人、3割が韓国人だった。彼らは間違いなくアメリカのビジネスマンと互角に渡り合うだろう。内向きの日本の若者とこの国の将来がやはり気になる。(2011/11/01 日本経済新聞「私の履歴書」

世界をまたに駆けて活躍し、苦労しながら米国での日本企業の地位を築いてきた寺澤氏から見れば、今の若者は物足りなく感じるのだろう。この感想自体はそんな寺澤氏の率直なものなのだと思う。しかし、今の若者が留学を断念して就職活動を行っているのは、留学より就職を優先しているとか「内向き」だからではなく、単に企業の人材採用が硬直化しているだけではないか。特に大企業と呼ばれる企業ほど、学生が飛び込みで採用してもらえるなんてことはありえない。留学したいと思っても、日本の大企業に就職しようと思ったら、時期を外すのは難しい、と感じる学生の気持ちが私は痛いほど分かる。そしてそれは半分以上正しいと思う。自分にも経験があるからだ。

かなり私事で恐縮だが、以前「私が人生の進路変更をした本当の理由-My Life After MIT Sloan」で書いたように、私は家庭の事情もろもろもあり、博士課程を中退して就職をしている。その際、最初は日本のメーカーへの就職を考えたので、各社の人事課に電話をし、自分の学歴を簡単に紹介した上で、博士課程中退で来年4月から就職をしたいが可能か、を問い合わせた。電話をした企業の多くで「通常の就職活動プロセスに乗らない形では採用しません」「修士卒業から1年経ってからの就職はちょっと難しいです。博士を卒業してください」などとお断りされた。予想はしていたものの、現実を思い知らされたときは結構凹んだものである。学歴の問題とは思えなかったし、電話での話し方が問題とも思えなかった。単純に採用プロセスに乗らない形での採用は、多くの日本の大企業では行わないためであると思われた。

結果として、そういう採用プロセスにこだわらない外資系の企業だけを受けて、その中のひとつに就職したのだった。蓋を開けてみたら、私の東大物理の同期のうち、10名程度が博士を中退して就職等したが、数名が国家公務員試験を受けて役人へ、数名が外資系とベンチャー企業への就職、残りは医学部や法化大学院の再入学だった。

恐らく、私や同期たちのように博士課程まで行ってから就職するなんていう冒険をする方が世間知らずだろう。東大を出ても、博士中退とか企業の採用時期と異なるタイミングで就職活動しようと考えたら、外資やベンチャー、または資格を取るしかないわけだから。今の若者はかつての若者よりも、ずっと世の中の道理が分かっていて、世渡りがうまいのではないか、と思う。それを「内向き」とだけ言い切って切り捨ててしまうのは無理がある。

むしろ硬直化しているのは企業の採用活動の方ではないか。もっとも硬直化された選考活動をうまく乗り切ること自体が、採用基準に合致している企業であれば、今のプロセスを変える必要は全く無い。銀行や製造業の一部など、大組織のなかで、組織力として皆が調和された動きが出来ることを重視する企業もあるだろう。

もし企業がそういう人材ではなく、ちょっと世間知らずでも、リスクを冒して変な生き方をしている学生を採用したいなら、採用コストはかかるかもしれないが、企業で柔軟な採用プロセスも同時に行うのが良いのではないか。学生のほうも安心して留学などの冒険が出来るし、結果として多様な人材を採用できるのではないかと思う。こういう企業が増えると、留学によるリスクは減るので、もう少し多くの学生が留学などの多様な冒険を考えるようになるかもしれない。今後「グローバル人材を採用したい」と考えているのであれば、なおのこと現在の人事の仕組みを変えてでも、柔軟なプロセスがより必要になってくるだろう。

 

ちなみに、実際に私が外資系の企業に入ってみたら、起業していて卒業が数年遅れたとか、留学で遅れたとか、ポスドクをしていた、という経歴で、非常に優秀な人がたくさんいた。日本企業の硬直化した採用プロセスでは、こういう面白い経歴を持つ優秀な人材は取りこぼしているのかもしれないと思った。

2) 「日本から留学生が減っている」は間違え。実は20年で4倍に増えている

米国への留学生はこの10年で4割減った、と言われている。データを見てもそれは事実であり、それだけを以って「留学生が減った」「最近の若者は内向きだ」とする人もいる。これに対して、ちょうど一年前の記事だが、この誤謬を非常に的確に指摘している記事があったので、紹介したい。

リクルートエージェント 「キャリアに関するデータの真相 その1」 (2010/11/18)

要するに、減ったのは米国への留学生だけであり、アジアも含む全世界に留学する学生の数は、20年間で4倍近くまで増えているということだ。これは留学先が米国一辺倒で無くなった結果、米国への留学生が減ったということに過ぎない。一方、経済発展が大きく注目されているアジア各国に留学する学生はうなぎのぼりで増えているのだ。

ちなみに、留学先が米国以外に分散する現象は、ヨーロッパの各国でも起きており、アジアや中南米などの経済発展が注目されているのは、日本においてだけではない。ましてや、世界の経済における米国の地位は年々落ちてきており、米国への留学に興味を持てない人が多くても当然ではないかと思える。

3) 「最近の若者は海外赴任をしたがらない」は、全員ではなく二極化が高まっている可能性

最後に海外赴任に関する意識調査から、最近の若者は海外赴任をしたがらないと言われている点について。データの元は、日本能率協会が毎年4月に行っている新入社員アンケートで海外赴任の希望を聞いているが、以前より海外勤務希望者が10%程度減っているとのこと。

このアンケートのソースが今手元に無いのだが、結果を見ると、「海外勤務をしたくない」と答える人が増えている一方で、「海外勤務を希望する」と回答する人も増えている。これは情報がグローバル化しているため、自分の希望をはっきりと持つようになったということであり、単純に二極化しているに過ぎないのではないか、と思う。

先日、日刊工業新聞で行ったアンケートでは、「若者のほうが年を行っている人より海外赴任を希望している」という調査結果が出ている。

いまどき職場百景 海外で働いてみたいと思いますか?-7割前向き 低い壁(日刊工業新聞(2011/11/01)

記事を読むと、30代以下で海外赴任希望が8割、40代、50代で7割、60代で6割という結果が出ている。記事には回答した理由も掲載されている。30代と若い人たちのほうが、家庭の事情など、自身を日本に縛る理由が少ないということである。そう考えると当然の結果のように思える。

このアンケートは、同じ世代の希望を経年で比較しているわけではないので、正確な世代間比較は難しいが、30代以下で8割が希望しているなら、間違っても「若者は内向き」とはいえないとも思える。

いずれにせよ、海外赴任に関する意識調査は、行う母集団によって、傾向が全く異なっていることが多く、私はひとつのアンケートの結果だけで、若者が内向きか、外向きかを論じるのは難しいと考えている。

 

以上。「最近の若者は内向きだ」と言われているが、非常に違和感を感じていたので、思うところを書いてみた。次の記事でも書こうと思うが、私はむしろ最近の若者のほうが、昔の若者よりもよっぽどグローバルな情報に敏感で、興味も高いのではないかな、と思っている。国が豊かになったので、若干ハングリーさは欠けてきたかもしれないし、二極化も進んでいるだろう。しかし、外向きの人は以前よりずっと外向きになっているし、多少内向きな人でも、昔の世代に比べたら、ずっとグローバル化に対する感度は高く、いざとなったら受容する準備もずっと整っていると感じている。

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「グローバル化」は今、質的に大きく変容している

2011-05-20 23:37:51 | 1. グローバル化論

最近の私は、ずっと日本企業の「グローバル化」にこだわっている。
仕事の合間を縫って、企業組織のグローバル化に関して長編の文章を書いているし、
本業でも、企業を組織的にグローバル化する手助けになるものを主軸に仕事をしている。

どうも私は日本という国が好きで、自分がグローバルな経験をさせていただいても、この国を何とか再生したいと思っているらしい。
そして、その際、長期スパンで日本の経済を立ち上げる方法は、二つしかない、と考えているのだ。

ひとつは、今までに何度も書いてきた。
ベンチャーが立ち上がりやすく、成功しやすい世の中にすることで、次世代の経済成長の柱になる新しい産業を産み、育てていくこと。
(参照:日本にシリコンバレーが必要な理由

もうひとつは、既存の産業において、既存企業をグローバルに拡大し、日本以外の市場、特に新興国をメインに収益を上げられるような組織に変えていくことだ。
(突っ込まれる前に書いておくと、既存企業×新規産業は組織的事由で困難であり、ベンチャー×既存産業は余り成長の糧にはならない。)

MITに留学して、前者の必要性に確信を持ったけど、まだ力不足なので、評論家的なことしかできないな、と思っている。
一方、後者は私がコンサルティングという仕事を通じて出来ることなので、こだわってるというわけ。
(また、こうすることで、グローバル化の理想論と、現実の厳しさの違いが良くわかってくる)

1. グローバル化の質的な変化①-対象地域の変化

さて、読者の皆様には「いまさらグローバル化?」と思う方がいるかもしれない。
「グローバル化」という言葉が良く使われるようになったのは、1990年代の後半。
それ以来、企業はグローバル化を掲げて変化しようとしているからだ。
しかし、今後企業に必要になる「グローバル化」は、かつてより使われてきた「グローバル化」とは、質的に大きく変わってきていると私は思う。

一つ目は対象地域の広がりの変化だ。
「グローバル化」という言葉が流行り始めた1990年代後半は、どの先進国の企業にとっても、
まだ米国やヨーロッパ、日本などの先進国だけが市場として捉えられており、
先進国へ拡大することが「グローバル化」と呼ばれていた。
当時のデータや資料を読むと、ROW(Rest of the World)という言葉が良く出てくる。
市場は、米国、ヨーロッパ、日本、ROW(その他)というくくりでしか見られていなかったのだ。
したがって、それこそ2006年頃まで、家電や自動車などの製造業でも、流通でも、金融でも、
「米国やヨーロッパでのシェアを増やさなければ」という意識で、経営課題が設定されることが多かった。

当時は、中国は「世界の工場」と呼ばれ、安価な労働力を活用した生産拠点としか捉えられておらず、まだ市場として大きな存在感は持っていなかった。
中国以外の新興国はほとんど注目されておらず、BRICという言葉すら存在していなかった。

ところが今後必要になる「グローバル化」は、もはや先進国への進出の拡大ではない。
先進国市場とは質的に異なる未知の市場である、新興国への拡大である。
新興国の経済規模は大きく増加し、安価な労働力の供給源としてだけでなく、市場としての魅力も高まってきている。
2025年には新興国のトップ7カ国のGDPはG7、つまり先進国トップ7カ国のGDPを上回る。
経済規模の伸びに比例して市場は拡大する。
企業は新興国に進出して事業を構築するだけではなく、先進国とは質的に異なるこれらの地域のニーズを取り入れた製品やサービスの開発、設計をする必要が出てきている。

2.グローバル化の質的な変化②-組織のグローバル化

もうひとつの変化は、この地域の広がりの変化に伴って必要になる、組織そのもののグローバル化である。
新興国の存在感が高まるにつれ、日本市場しか知らない日本人、または先進国の人間だけで企業活動を行うことが困難になっている。
研究開発や経営も含む全ての機能で、グローバルな人材を活用する必要が出てきているのだ。
これは、新興国の優秀な人材をどんどん採用して、活用できる組織にすることと、グローバルな視座を持った日本人を育てて、地域的に展開していくことの両方である。

かつての「グローバル化」は、海外の販売拠点を強化してシェアを上げるとか、
生産拠点を海外に移し、現地の労働者に日本的な生産の真髄を教え込むなど、
一部の企業活動のみをグローバル化することを指していた。
ところが今や、販売や生産だけではなく、更に上流の活動である、製品やサービスの設計、研究開発、さらには経営における戦略の策定や組織の設計といった企業活動でも、グローバルな視野を持った人材を自国・他国問わずに活用する必要が出てきているのだ。

これには複数の理由がある。
世界的にニーズの変化が急速になっているため、各国の市場を良く知っており、すばやい意思決定が出来ることが企業にとってより重要になってきていること。
特に新興国という先進国とは質的に異なる市場が拡大し、製品・サービスの開発、設計から販売方法に至るまで異なるものが要求されていること。
新興国が豊かになるにつれ、安く優秀な人材が輩出されるようになり、彼らを活用しないとコスト的に勝てなくなってきていること。
こういった人材を活用し、コスト競争力のある新興国の新興企業が、徐々に製品やサービスの品質を上げ、
新興国市場において大きく先進国企業のシェアを奪い始めていること。
これらの動きを受けて世界の多国籍企業が企業活動や組織のグローバル化しており、この動きを更に加速させていること。
このような理由で、もう日本人だけで日本企業をやっていく、というのが不可能になってきている、ということである。

製造業や流通など、国境なく世界市場を相手にしなくてはならない一部の産業で、
グローバル採用とか、英語社内公用語化が行われるようになったのはこういう背景だ。
しかし、単純に優秀な外国人を採用したり、社内で英語をしゃべったりするだけでは不十分なのは明らかだ。
グローバルな視座を持ち、世界で活躍できる日本人の経営人材を育てる仕組み、
「グローバル採用」した日本人以外の社員が、壁を感じずに活躍し、経営幹部として育っていく仕組み、そういったものをつくっていく必要がある。

じゃあそれをどうやってつくるのか、
長期的には出来そうだが、すぐにでも組織をグローバル化させないと競合に負ける、どうすればよいか、
既存の日本的な組織と両立するにはどうすればよいのか、などの疑問が出るだろう。
それに答えるために、色々書いてます。(どこかで外に出そうと思うのでお待ちください。)

このブログ内の参考記事:
日本でも転職を前提とした就職が当たり前となる時代 (2011/01/29)
日本企業は社内公用語を英語にしないともう世界では生き残れない (2011/06/19)
日本にシリコンバレーが必要な理由 (2010/06/03)
飢えを忘れた日本企業 (2009/04/21)

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グローバル化を前提としたキャリア設計

2011-02-12 17:25:56 | 1. グローバル化論

以前からこのブログでも書いているように、私は日本に一人当たり生産性の高い、高機能移民を呼び込むことに賛成だ。
インドからエンジニア、フィリピンから看護師、介護士や英語教師、中国・台湾から優秀な留学生を呼び寄せて就職させればよいと思っている。
また、日本のグローバル企業が、次々と外国人や留学生を採用する「グローバル採用」が増えているが、これはあるべき姿だと思っている。
こうならなければ、日本が経済力を維持し、日本企業が成長し続けることは難しくなると考えているからだ。

そういう時、必ずコメントされるのが次の内容。
「Lilacさんは、優秀な中国人が流入しても自分は絶対勝てると思ってるから言えるんです。
中国人に採用を奪われて職に就けない今の若い人の立場を考えて下さい。絶対に言えないと思います」

本当にそうだろうか?
仮に、私が中国人に職を奪われるからグローバル採用をやめるべきと論じ、日本企業が呼応したとしよう。
それで日本や日本企業が競争力を維持出来るのか。
タイタニックが沈んでしまったら、短期的に雇用を維持できても仕方が無い。

世界は確実にグローバル化に向けて動いている。
そして日本企業は熾烈なグローバル競争の中で自らが生き残れる道を模索するし、日本のためにもそうであるべきだ。

2000年代の初め頃、アメリカでもこういう論争があった。
当時、IBMやマイクロソフトなどの企業がSIやソフトウェア開発分野をインドへ大量にアウトソースし、かわりに米国国内のレイオフを行った。

その結果、米国じゅうのメディアがこれらの企業をつるし上げた。
CNNなどの大手メディアは「IBMは米国の雇用(US Jobs)をインドに売り渡している」というような挑発的な見出しで報じた。
CNetやZDNetなどネットメディアのコメント欄炎上(Flaming)ぶりはすごかった。
「マイクロソフトはアメリカから技術を流出させ、雇用を出す売国奴だ」
「パルサミーノ(IBMのCEO)は自社の業績のために米国の雇用を売りに出した」というように。
この流れは多少和らいだが続いており、今でも大きなオフショアがある度にたたかれている。

しかし、世界はグローバル化し、すべての職業は国を超えて流動化している。
かつて米国で起こり、今日本で起こっているように。
このグローバル化の動きをまとめたのが、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」だ。

フラット化する世界
[増補改訂版] (上)

トーマス フリードマン

日本経済新聞出版社

フラット化する世界
[増補改訂版] (下)

トーマス フリードマン

日本経済新聞出版社

今世界中で、業務のアウトソースが起こっている。
しかし、インド人が如何に優秀でも、全ての仕事をインドにアウトソースすることは出来ない。
現実的には、切り分け可能な作業がアウトソースされ、アメリカ人はより付加価値の高いプロセスだけに集中して取り組まざるを得なくなる。
具体的には人間どおしの触れ合いが必要な営業や高度な分析、提案などの考える作業だ。

結果として、実際アメリカ人はより付加価値の高い仕事をし、高い給料をもらうようになった。
アメリカの一人当たりGDP(国民総生産)は、日本人の約1.5倍だ。
さらには、米国の白人の中でも大きく二極化した。
付加価値の高い仕事が出来る人は高い生産性で働き高い給与をもらう。
キャリア設計を誤って出来ない人たちはレイオフの繰り返しだ。

例えばシステム開発分野では、一部の人しか習得していない複数の言語が扱えたり、アナログ設計などが出来る技術者は引っ張りだこで、
誰でも出来ることしか出来ないエンジニアは、レイオフされて職を変えたり、雇用が不安定になった。
前者は、オフショアで仕事が効率化され、付加価値の高い仕事に集中できることを喜び、
後者は、不安定な職をふらふらしながら、ネット上でインド人に文句を言っている。

日本企業による「グローバル採用」は、米国のアウトソース事例よりもシビアだ。
事業開発や製品開発など、単純作業以外の仕事も流動するからだ。
それでも、中国の市場開拓の仕事が中国人の仕事となり、日本人の手には日本人にしか出来ない仕事が残る。
企業文化の強みを生かして、グローバルな組織に伝達し、商品開発から販売まで一貫した組織を作ること、各分野での専門的なスキルなどだ。

世界は確実にグローバル化に向けて動いている。
だったら世界が動く方向を見据えて、それに向けて自分が勝てる方向にキャリア設計をしたらどうだろう?
日本にいながら、グローバルに強みを発揮し、勝てる分野は何か?
(私は素材と部品とB2Bの電機、つまり重電系だと思う)
企業が中国人を採用することを批判するのではなく、そのうち中国人やインド人に奪われかねない、付加価値が出せない仕事は選択しなければよい。
(専門性をつけるのが鍵だと私は思っている)

自分がなんとなく目指すキャリアを前提として、世界の動きを批判しても意味が無い。
世界の動きを前提とし、「攻め」の姿勢で自分のキャリアを設計しよう。
そうでなければ二極化の下の方に追いやられてしまう可能性もあるだろう。

参考記事
日本でも転職を前提とした就職が当たり前になる時代-My Life After MIT Sloan (2011/01/29)
今年成人を迎える人たちって大変な時代に生きてると思う-My Life After MIT Sloan (2011/01/10)

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日本でも転職を前提とした就職が当たり前になる時代

2011-01-29 23:37:19 | 1. グローバル化論

最近、新聞で新卒の就職活動に関する記事が多いのを見て、ふと思うこと。
就職活動をしている学生が、一生同じ企業に勤め続ける割合は、今後圧倒的に減っていくのだろうな、と思う。
日本企業でも、レイオフ(リストラ)や転職が徐々に一般的になっていることを考えると、
今後はアメリカみたいに、数年後には転職することを前提として就職活動するのが当たり前となってくるかもしれない、と思う。

数年後に転職が前提となると、中途市場で必要とされる人材になれる職種や企業に就職したい、という考えの人が今後増えてくるだろう。
何故なら、才能が花開く可能性を見る新卒採用に比べ、中途採用はもっとシビアだ。
実際にその分野で何かを成し遂げた経験があるとか、成し遂げるための能力が実際にそろっているとか、そういうことがもっと重視される。
そうすると、若いときはじっくり社内の様々な仕事を覚えて~という企業よりも、若いときから前線に出て活躍できる仕事に就いた方が当然有利だ。

アメリカのMBAでの転職活動を見ていると、この辺のシビアさは日本の比ではない。
たとえ社会人経験が3年程度だったとしても、その分野での経験や専門性を問われるし、持っている能力がどのように仕事を成し遂げる上で役に立つかをシビアに聞かれる。
そして経験や専門性の差で、シビアに選ばれる。
同じ業界を志す同期を見ていて、圧倒的にその業界での経験や知識が豊富な経歴を持つ友人が次々と内定を確保し、
それほどでもない人が全く内定を取れず、結局その業界を諦めていくのを間近で見てきた。
新卒みたいに、ポテンシャルで中途を採るなんてコンサルティングファームくらいのものだ。

私もアメリカで転職活動をやったけど、面接では、自分が過去にやった仕事や、培ってきた能力が、その職業で如何に生かせるかを、細かく具体的に問われた。
(結局、転職しなかったんだけど)
私の場合は、求めていた職が、一人でその会社の日本事業を立ち上げ、代理店などとのアライアンスを組む仕事だったので、
コンサル時代の新規事業立ち上げの経験や、アライアンスサポートの経験を詳しく聞かれ、
具体的にどう役に立つかを説明させられた。
(参照記事:アメリカ就職面接その2-想像力を働かせて準備する
日本でも、転職活動というのは多かれ少なかれ、そんなものだろう。
とにかくシビアに経験や専門性が問われるのだ。

アメリカではこうやって転職するのが当たり前だから、
若いときから前線の仕事で活躍でき、経験を積める仕事を、新卒時からシビアに選ぶ人が多い。
で、実際会社に入ると、若いときから活躍させられる。
日本の学生も、そういう意識で就職活動をする学生が多くなってくるのだろうな、と思うのだ。

では、今就職活動をしている学生から見て、数年後に最も中途市場で必要とされる人材ってどんな人だろう、と想像してみる。

グローバルと専門性が鍵

ひとつの考え方だけど、この10年のうちに、日本企業でニーズが大きくなるにもかかわらず、それほどは増えないスキル・職種は何かを考えればよい。
それは何か、というと
「ある分野の専門性を持ち、日本以外の国で人々や組織を動かすことが出来る(グローバルな)人材」
別の言葉で言うと
「日本以外の国、主に新興国で、ゆくゆくは課長・部長を勤められる人材」
ではないか。

日本企業は「グローバル化」していかないと勝ち残りが厳しくなる。
「グローバル化」とは何か?
すなわち
・日本以外の市場(主に新興国)を主戦場とし、
・日本以外の国に企業活動の基点をおいて、開発、生産、営業、サービス提供などを行い、
・日本人以外の人材が主力となる組織を運営して企業活動を行う
ということだ。

現在の多くの日本企業は、なんだかんだ言ってまだ日本を主力の市場と考えている。
これは彼らが未だに「グローバルでのシェア」より「国内市場でのシェア」を重視していることを見れば明らかだ。
ところが、今後人口が減少し、デフレが直らず製品・サービスの単価上昇も見込めない日本市場をメインとしていては成長できない。
ますます巨大化・グローバル化する他国の企業と戦うのは難しい。
そうすると、今後日本以外の市場、特に新興国を主戦場とみなして攻め込むために、新興国の海外法人の機能を拡充したり、日本の本社にあった機能(例えば、開発、マーケティング)を次々に海外法人に移したり、ということが必要になってくる。
新興国に「本社」を移す動きもそれにあたるだろう。

機能が拡充されると、当然人材が必要となる。
これを日本からの駐在ですべて補うのは、言語上の問題を考えても不可能だし、機能拡充の意味が無い。
当然現地採用の比率は今より高まり、現地採用の人材に機能をより任せる必要が出てくる。
日本の「本社」でやっている機能を海外に移すのだから当然だ。
日本から派遣される日本人の役割とは、こういう組織を設計し、運営し、拡大し、さらに企業の理念に沿って、日本人でない人々を動かしていくということになる。
つまり、今までは日本人の部下を動かしていた「課長」や「部長」が、部下が中国人とか、ベトナム人とか、マレー人ばかりのところで、課長や部長を務める必要が出てくる。

こういう人が、あらゆる産業分野、生産、販売、マーケティング、開発などのあらゆる機能のそれぞれで、今の課長や部長を塗り替えられるくらいの数、必要になってくるだろう。
ところがこういう人材が今、多くの日本の企業にはそれほどはいない。
だから、数年後の中途市場では、こういう人材はおそらく引っ張りだこになるのではないか、というのが私の予想。

今年就職活動をしている学生の方は、こういうことも視野に入れてみたらどうでしょう。

関連記事
日本企業が復活するためには、労働の流動化は必須」-My Life After MIT Sloan (2010/3/11)
「一流企業の正社員」も流動化が出来る社会へ」-My Life After MIT Sloan (2010/3/13)
今年成人を迎える人たちって大変な時代に生きてると思う」-My Life After MIT Sloan (2011/1/10)

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今年成人を迎える人たちって大変な時代に生きてると思う

2011-01-10 10:17:55 | 1. グローバル化論

今日は成人式ですね。
ハタチになる人はおめでとうございます。

私が成人式を迎えた1999年に比べると、たった12年で、時代はまったく変わった、と思う。
当時は「失われた10年(Lost decade)」なんて言葉すら、まだ一般的でなかったけれど、
いまや日本の失われた日々は20年に突入しようとし、「日本破綻→IMF介入論」まで囁かれている。
中国・韓国・台湾も勢い拡大していたが、今ほどの存在感はなく、まだ日本企業が「頑張れば」過去の栄光を取り戻せそうに見えた。
国内を見渡しても、年金問題も、非正社員増大問題も、ワーキングプア問題も、当時は取りざたされることは無かった。
どれも、この12年の間に顕著になったものだ。

私が今年成人式を迎えるハタチだとしたら、どんな気持ちだろう。
正直な気持ち、自分なんかよりずっと大変な時代になってるなと思う。

1) 今の社会人に求められてる以上に、グローバルな能力が必要とされる

たとえば英語。
私がハタチのころは、英語なんて結局のところ出来なくても、一流企業に就職したり、いい就職をすることは可能な時代だった。
もちろん、世界を舞台に働くとかならば英語は不可欠だが、英語力が無くても、責任のある仕事をして、面白い人生を送ることは出来た。

しかし、これからは、企業自体がグローバルに生き残るため、大量の社員が海外に送られ、海外から採用し、果ては社内で英語を公用語としたりする企業も増える。
そうすると面白い仕事をやるためとか、人より出世するためではなく、文字通り生き残るために英語が必要となる。

対人能力もグローバルに。
単に日本人だけの環境で、日本の組織でうまく動けるってだけでは強みにならず、
世界中の色んな文化の人たちを統率し、動かしていく能力が必要になってくる。
根本にある思いやりとか、決断力は変わらなくても、リーダーシップの発揮の仕方は日本人だけの環境とは異なる。

日本は市場としてはまだ大きく、日本だけでも生き残れる産業はたくさんある。
でも、日本市場だけでは小さすぎて生き残れない産業から順に、こういう能力が必須となってきている。
たとえば、化学プラントメーカーなんて、20年以上前からグ、英語やグローバルな対人能力が必要だった。
それが、製造業とか、日本が得意とするところにまでグローバルな波がやってきたということ。
一方サービス業は、まだ日本語の壁に守られているところも多いが、5-10年のうちには、多くのがグローバル化の波に飲み込まれるだろう。

2) 就職戦線ですら、よりグローバルに戦うようになる

今年就職活動をしている1年上の先輩たちが、既に直面しているけど、
より多くの日本企業が「グローバル採用」を目指すようになるだろう。
それは今までのように、日本人中心に、日本語能力を必須として採用するのではなく、
採用される新人の半分以上が日本人以外だったり、
選考基準としても日本語以外の言語が話せること、日本以外の環境での経験があることや、
グローバルな環境でも対応できることを前提とした採用に移行していくということだ。

私の世代が就職活動したころは、採用のグローバル化なんて外資系を受けている一部の人だけ直面していた話だが、
今年ハタチの人たちは、普通に日本企業だけを受ける人も直面せざるを得なくなっている。
現に、世界展開が必須となる製造業やリテールの一部は、採用のグローバル化を開始している。
パナソニック採用の8割外国人 大学生就職深刻になる一方だ-J-CASTニュース
ローソン、ユニクロ、ヤマト運輸・・・増える外国人採用-IZA

採用だけでなく、入社した新人にも、必ず海外で研修したり、海外勤務を必須とする企業は増えていくだろう。

でもこれも結局、大きな日本市場ですら、生き残りが難しくなってきた産業から、グローバルに展開することが求められてるからだ。
お隣の韓国は市場が小さく、韓国だけでは戦えないから、大手メーカーのサムスンやLGなんか、10年以上前からこういう採用や人材育成を行っていた。

3) 今より貧富の差が進んだ格差社会になり、「普通の家庭」では、夫婦二人で働いて漸く家計を維持するのが当たり前、結果として女性の社会進出がより進むだろう。

もうこれは私の世代から始まってるけど、今ハタチの人たちはより顕著になるだろう。
夫が世帯収入の大部分を稼ぎ、家族を支える核家族モデルは、「夫婦合わせて600万円」の収入帯で崩壊しているが、今後はもっと上の収入帯でもそうなってくるだろう。

ちなみにアメリカでは「夫の収入が800万円を超えている収入帯」ですら、奥さんも働かないとカツカツだよねという意識を持つ人は多い。
この国では、医療費も日本よりずっと高く、結果として保険料なども高く、また幼稚園から始まる子供の教育費も金がかかる。
女性の社会進出が日本より進んでるのは、日本人より意識が高いからというより、
女性も働いて稼ぎを家にいれないと、ちゃんとした暮らしが出来ないので、女性が働くのが当たり前だからなのだ。

日本もきっと多かれ少なかれ、こんな風になっていくのだろうと思う。

4) 国は相変わらず頼りにならないだろう

日本企業がグローバル化が必須になり、新人を含めて世界を舞台に戦うようになり、
一方国内では、貧富の差が開いて治安が悪化しても、相変わらず国は頼りにならないだろう。

そう考えると、これからの人たちはますます、自己防衛力が必須になってくるってことだ。

企業レベルで言うと、あれだけ国を上げて法人を守っているように見えるアメリカでも、
先を行く優良企業-GoogleもGEも-国は相変わらず頼りにならないと考えている。
政府が守ってるのが、農業とか、国防とか、一部の分野だけだからだ-どこかで聞いたような話だね。

それどころか、もしかしたら進化論も信じておらず、アフリカが1つの国だと思ってるような人が、核のボタンを握るようになる(大統領になる)かもしれない国だ。
友愛どころの騒ぎではない。

今、世界的に、(一部)企業にカネ余りが生じ、政府にはお金が無いという状況が生じている。
政府が何かをしようと思っても、それを推進するための資金が枯渇しているのだ。
それどころか、財政破綻を免れようと四苦八苦している政府がいかに多いことか。
世界的に、強い資金力を持つ企業への税金を増やしている状況で、
財政破綻を目前にして法人税減税をしている日本政府は、マシなのか、頼りがいがないのか。

国の政策の利用できるところは利用するが、結局のところ、自己防衛をするしかない、というのは今以上に進む、と思っている。

こうやって、考えれば考えるほど今年ハタチの人たちにとって大変な時代が待っていると思う。
でも、大変だというのはある意味で大きなチャンスなのだ。

今の社会人とは違う能力が求められる、というのは、
努力すれば、今の社会人なんか追い抜いていけるということだ。

貧富の差が拡大して、貧困層が増えることで、貧困層向けの市場が大きくなり、
新しいビジネスが生まれるようになる-現に米国でそうなっているように。

国が頼りにならないとは、圧力をかければ規制緩和を推し進める余地があるということであり、
今までの枠組みを壊して、新しい組織やビジネスモデルを立てることが可能になる。

今の日本を立て直すにしても、日本から何か面白いものを出していくとしても、
期待がかかっているのは、私たちの世代とそれより若い世代の人たちだ。
このチャンスをものにして、羽ばたいていきましょうというのが、今年ハタチになる人たちへの私からのメッセージ。

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日本復活にあたって、韓国や台湾に学ぶべきか、先を行くべきか

2010-09-21 13:13:16 | 1. グローバル化論

日本の製造業が、かつてのような成長が出来ず、韓国や台湾の企業に追いやられている今、
日本企業を追いやっているサムスンやTSMCなどの企業に低姿勢で学ぶべきなのか?

週末に本屋さんに行くと、ビジネス書の一角は韓国や台湾のやり方に如何に学ぶべきか、という本で占められている。
私もこういう類の本は好きなので、結構読んでいる。例えば次のような本。
(画像クリックすると一応Amazonのページに飛びます。参考まで)

日本「半導体」敗戦 (光文社ペーパーバックス)
湯之上 隆
光文社

日本の半導体産業が、本当に市場が必要とするレベル以上の不必要な「品質」にプロダクトアウトにこだわっているのに対し、台湾や韓国の企業がコモディティ化する市場のニーズに対応し、必要な品質だけを安いコストで提供している様子を描きだしている。
昨年話題になった本だけど、未読の方は一読の価値あり。

サムスンはいかにして「最強の社員」をつくったか―日本企業が追い抜かれる理由
李 彩潤
祥伝社
これも既に古典で有名な話も多いが、新興国に若い社員を派遣しローカルに意思決定が出来る人材を育てる「地域専門家制度」や世界中からどうやって優秀な社員を採用するかなど、主に人材育成の面で卓越したサムスンの手法を紹介している

韓国最強企業サムスンの22の成功習慣
チョン・オクピョウ、(訳)蓮池薫
阪急コミュニケーションズ

蓮池さんが訳をやってる、ということで思わず買ってしまったが、サムスンの経営陣が如何に日本企業をお手本にして前に進んでいるのかが良く分かる。出てくる他企業事例に日本企業の事例が非常に多く、これだけ勉強しているのか、と舌を巻く。文章が読みやすく、1時間程度でさらっと読める本。

日本人のビジネスマンは勉強家が多い。
みな日本の将来に危機感を覚え、韓国や台湾で突出してきた企業に学ぼうと必死なのだ。

こういう状況で思い出すのが、80年代後半から90年代にかけてのアメリカの状況だ。
当時は、日本企業が隆盛を誇り、アメリカの製造業が大きく衰退し、アメリカを象徴するような企業の一部は市場の片隅に追いやられつつあった。
この経緯の一部は、以前の記事「日本企業の苦しみを25年前から味わっていたアメリカ企業-My Life After MIT Sloan」にも書いた。
「自分達は製造業の国だ」と信じていたアメリカが、多くの分野で日本の製造業に追い越され、その自信を喪失していた。

T型フォードの時代から、品質の高さと生産性に高い自信を持っていたアメリカの自動車業界では、
どうせ小型車しか出せないと思っていた日本企業が、カムリのような大型セダンから、レクサスのような高級車まで次々とシェアを奪っていった。
ソニーや松下(現パナソニック)は、家電の代表ともいえるテレビ市場でRCAやZenithといった米国企業を追いやり、世界シェア1位、2位を取り、一方RCAなどは崩壊の一途をたどっていった。
シリコンバレーが生み出した新しい産業である半導体業界ですら、日本企業にやられていた。
インテルを抜いて世界首位を3年間も維持していたNECなどの日本企業に大きな注目が集まっていた。

当時のアメリカの製造業は、まるで今の日本と似たような状況にあったわけだ。

こういう状況に追いやられていたアメリカが当時やったこと。
一つは、ダンピング規制や自動車輸入規制に代表される、日本企業に圧力をかけるということ。
もう一つは、第一線の経営学の研究者が日本企業の研究を盛んに研究を行ったことだ。
何故、日本企業は米国企業よりも品質が高くコスト競争力のある製品が作れるのか
何故驚異的なサイクルタイムで新しく斬新な商品を市場に投入し、米国企業を追いやっているのか、
その意思決定はどのような仕組みでなされ、どのような組織的な強みがあるのか、などなど。

昨年、MITで経営学に関する論文を読み漁っていた私は、当時の米国の経営学者が書いた論文に、日本企業研究が余りに多いのに驚いた。
当時はトヨタ生産方式やソニーのブランドマネジメントについて巨大プロジェクトが立ち上がっていたが、
ほかにも、NEC、松下、キヤノンなどの日本の企業の経営に学ぼう、という論文が数多くある。
現在、日本の経営学者がサムスンやLG、TSMCの研究などをしている姿に重なるものがある。

ではこういう日本の企業研究って、結局アメリカの復活の役に立ったのだろうか?

GEやHPなどの古くからある大企業は、復活に当たってトヨタやキヤノンなどの研究を活用した、といわれているので、役に立っている部分もあるといえる。
例えば、GEの経営理念になっている「シックスシグマ」はトヨタの生産方式に影響を受けたものだ。
HPもプリンタ業界で最も強大な競合として、キヤノンの市場戦略に学んだと言う。

でも「大部分の日本企業研究は、日本が失われた10年に突入するとともに廃れて、余り使われていない」とMITの先生方は言っていた。
例えば、インテルの復活に当たって、あれだけ散々行われたNECの理念と組織の研究が使われたことはなかった。
それよりも彼等はマイクロソフトなどと協業しながら自社の規格を標準化し、デファクト化していくという新しい方法で、世界首位を取り戻していった。

何より昔ながらの製造業以上に、アメリカの威信を取り戻していったのは、マイクロソフトやApple、Googleといった、新しい産業に属する新しい企業だった。
こういう企業は今までとは異なる価値観で新しい製品やサービスを上梓し、次々に日本企業がかつて奪った地位を取り返している。

そう考えたとき、日本がこれから復活するために必要なのが、韓国や台湾に学ぶこととは余り思えない。
それ以上の日本の復活は、米国でマイクロソフトやGoogleがそうだったように、新しい分野の新興企業からもたらされるのではないだろうか?
そのためには、こういう新しい企業が育つ環境を作ることの方が、韓国や台湾など日本を追い上げ始めた企業に学ぶより、ずっと大切に思える。

優良な企業や人材は国を問わず出る。韓国にも、アメリカにも、インドにも。
だから、それは一つのケーススタディとして常に学べばよい。
でもこれを勉強して、日本の製造業を復活させるんじゃない。
アメリカで日本の事例研究が、結局復活の原因にはならなかったように。

コモディティ化して、勝敗が決まった古い産業にこだわらず、
日本がリードする余地がある新しい産業で、新興企業が成功しやすい環境を作る方が、ずっと日本の復活に繋がるだろう。
そういう事例は、韓国や台湾の大企業にはない。
参考にするなら、恐らく新産業で復活を遂げたアメリカの方が参考になるくらいだ。
追い上げてきた国に学ぶのはいいが、先を行って、新しい産業を育てようと思う方が、恐らく日本の復活に繋がるんだろう、と思って、本を閉じた。

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