My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

米国では雑誌が稼げ、日本では書籍が稼げる

2010-01-23 00:00:04 | 7. その他ビジネス・社会

先日、米国在住の友人某氏と会って話していたときのこと。(ご馳走様でした♪@コメント欄)
たまたま、日本には月刊誌のように書籍を出して稼いでいる有名人がいる、という話になった。
そのとき彼女は「へえ、どうしてその人は雑誌を出さないのかしら?」と言った。

  • アメリカで有名人が稼ぐモデルは講演会と雑誌

彼女によると、有名人が米国で稼ぐ方法は主に二つあるという。
ひとつは、講演会をバンバンひらいて、講演費でかせぐ。
これは日本にもあるモデルだ。
一回100万円とかいう講演を年に100回やって、一億稼ぐってやつだ。

もうひとつは、自分の名前を冠した雑誌を発行して、それで稼ぐモデルだという。
例えば、米国にはMartha StewartとかKatie Brown、Rachel Rayといったカリスマ主婦といわれる有名人がおり、
彼女らは自分の名を冠した雑誌を作り、料理や家事のコツ、彼女自身との対談などを載せて売っている。

彼女は言う。
「だって、書籍なんてせいぜい一冊5万部も売れれば成功な方。
 1500円で印税10%だとしたら一冊750万円にしかならない。1年10冊でも7500万円。
  けれどアメリカの有名人は、自分で雑誌を創刊して一年で数十億円売上げがあるのよ。
  出版手数料やスタッフの給料をさっぴいてもかなり稼げる。」
(追記:本人のご登場により訂正→参照記事:Rachel Rayが創刊から7号で4900万ドル=約45億円稼いだ話)

「それに月刊誌のような頻度で本を出してたら、そのうち内容も薄くなるのが避けられないでしょうが、
 
雑誌なら、色んな情報を集めたり、対談とかでいくらでも持たせられるから長期的に儲けられる。
 書籍は発行するのも手間がかかるし、アメリカじゃ2年に1冊が普通よ。

なるほど、それは確かに一理ある。
彼女に宿題を頂いた感じの私は、ちょっと考えてみることにした。
日本で有名人が自分の雑誌「○○マガジン」みたいなものを創刊して、継続的に儲けられるのか?

  • アメリカで雑誌が書籍より儲かる理由

米国で、雑誌がなぜ書籍に比べて儲かるか、というと、雑誌は読者と広告主の両方に課金できるモデルだからだ。
書籍の場合、対価を払うのは100%読者であり、せいぜい1000~2000円しか課金できない。
ところが雑誌の場合、5万部も出れば
、読者からは一部あたり500円程度だが、
広告主からの収入は一部あたり5000円以上というレベルだ。
参照:Peopleという有名雑誌の場合、一号あたり有効発行部数360万部に対して、広告収入9億ドル。
  これくらい発行部数があると、一部辺り3万円の広告収入が出る。
  普通はこんなに稼げないが。)

  • 雑誌市場が小さく縮小してる日本では困難

ところがこれを日本でやるのは非常に難しいのである。
雑誌に広告をつけるのが至難の業だからだ。
実際、日本の雑誌は、アメリカに比べると、びっくりするほど広告が少ない。

雑誌の広告市場規模を比較すると、日本は4000億円程度でこの20年間横ばいであるが(参照)、
米国はついこの間景気が悪くなるまでは3兆円程度で、年3%で増加していた(参照)。
人口が3倍違うと考えても、一人当たり3倍の差があるのだ。
(注:米国の計算方法は大きな雑誌の積み上げなのでこの程度だが、実際にはもっと大きいはず。
 詳しい数字を知ってる人は教えてください。)

米国のように広告費で儲けるのが困難な結果、日本の雑誌会社は何をしてるかというと、
主に三つの戦略を行っているように見受けられる。

ひとつは、雑誌の価格を高くして、読者からも多く取る。
日経BP社やダイアモンド社のように、雑誌の専門性を高めることで、値段を上げる。
または女性ファッション誌のように、雑誌自体の紙などのクオリティを上げたり、
おまけをつけたりして、雑誌本体の価格を上げるなど。(注:おまけは広告収入も得られるが)

ふたつめは、雑誌自体の価格は据え置きで、後から二次コンテンツにより、結局読者から取る。
日本の漫画雑誌が、単行本やグッズの販売によって儲けたりするモデルだ。

もうひとつは、フリーマガジンという新しい媒体をつくり、
アメリカだったら本来電話帳がやってるような、雑誌以外の市場から取ってしまう。
(注:アメリカの電話帳の市場は未だに馬鹿に出来ないほど大きい)
リクルートなどがこれで新しい市場を創出している。

結局、日本の雑誌は読者から取るモデルか、完全フリーに二極化。
雑誌は広告費が取れないので、読者から取る、まるで書籍のようなモデルになっている、といえる。

  • 何故、日本では広告より読者課金の方がメジャーのか?

私自身、出版分野に詳しいわけじゃないので、正直よく分からないが、歴史的なものがあるんだろう。
恐らく、日本は書籍の会社が雑誌出版もやってきたから、そういうビジネスモデルになれてきた、とか。
電通が強くて、ナショナルクライアントの広告費の大半がTVなどのメディアに取られてる、とかってのもあるかも。
(追記:電通・・・とか書きましたが、全く他意はないです。
個別名出すべきではありませんでした。大変失礼しました。)

誰か詳しい人は教えてください。

いずれにせよ、日本は読者から金を取り、アメリカは広告主から金を取るモデルが主流だってことだ。

  • おまけ:アメリカでも不況以降、雑誌業界は広告費が取れず厳しくなってる

ただ、アメリカでも状況は変わってきている。
まずは不況だ。
Media pubの記事によると、2009年の広告市場全体は、前年の18%減だそうだ。
で、有名雑誌も含めてどんどん休刊に追いやられてるそうだ。

景況になったとき、この雑誌広告市場が盛り返すのか、インターネットやモバイルに奪われるのかは定かではないが、アメリカでも雑誌で稼ぐのは厳しくなってきてるのが現状。

  • いずれにせよ、書籍(=ユーザ課金)で稼いでいる日本の有名人は正しい戦略

話を戻すと、結局、日本では雑誌広告費市場が小さく、結局読者課金に行くのであれば、
実は自分の名前を冠した雑誌を創刊するよりも、書籍を月刊誌のようにバンバン出す方がより稼げる。
たとえその人が「○○マガジン」なるものを創刊したとしても、稼ぐためには結局内容を抜粋した単行本を出すことになったりして、二度手間だ。

そういう意味で、最初の疑問に答えると、
その有名人は、書籍を次々に出すことで、正しく効率的な稼ぎ方をしてるってことになるのだろう。

追記)誰か最近の電通の広告年鑑とかにアクセスできるひとは、この辺の詳しい話を教えてください。

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最もリベラルな州が、医療保険改革を遅らせた理由

2010-01-21 14:53:42 | 7. その他ビジネス・社会

昨日は私が住んでるマサチューセッツ州では、上院の補欠選挙があった。
地元のニューステレビなど一日中そればっかり。
週末くらいから懸念されていたが、皆さんご存知の通り共和党のスコット・ブラウン氏が勝ってしまった。
日本でも報じられてる通り、オバマ政権最大の焦点・医療保険改革が大きな壁にぶつかった。

今回の補欠選挙は、昨年無くなったEdward (Ted) Kennedy氏の議席を埋めるものだ。
Ted Kennedyは、ケネディ大統領の末弟で、民主党の重鎮で米国のリベラル派の代表格だった。
元大統領の弟だから、という理由ではなく、47年の上院議員の間、公民権からイラク戦争反対に至るまで常に大義を貫く人だったため、人々に尊敬されていた。
そんな彼はオバマ大統領の就任の日に倒れて、以来ボストンの上空に何度もヘリコプターが飛んだ。
あれは入院しているTed Kennedyをオバマ大統領が尋ねるためのものだ、と皆が言っていた。

最もリベラルだと言われる州で、リベラルの守護神だったTed Kennedyを継いだのが、名も無い共和党員だったわけだ。
これはかなりの衝撃だった。

何より、オバマ政権の改革の焦点である、医療保険改革法案実現が遠のいてしまったのだ。

一体何がそうさせたのだろう?

マサチューセッツの過半数を占める浮動票が、今度は共和党支持に動いた

まず、リベラルのイメージがあるマサチューセッツは、実は浮動票の非常に多い州だということだ。
今朝のWall Street Journalの分析によると、白人労働者を中心としたIndependents(浮動票)が、今回は共和党支持に動いたのだそうだ。
NYTimesには、浮動票が票全体の半分以上とも書かれている。
これだけの浮動票が共和党支持に動けば、簡単にひっくり返ってしまう、というわけだ。

では、浮動票の白人労働者たちは、今の民主党に一体何が不満だったのか?

マサチューセッツは、もともと貧しい白人労働者の街
彼らが「Change」に望んでいたのは、まず景気回復と、閉塞感の脱却だった

ひとつの大きな理由は、工場労働者レベルでは、景気が全く回復していないこと。
もうひとつは、医療改革が遅々として全く進んでいないことだろう。
その結果、オバマが「変化」を謳っていたのに、裏切られた思いがあるんじゃないか。

民主党っていうと、「知性派」「リベラル」のイメージが先行するが、それはカリフォルニアやニューヨークなどの都市部の一部の人の話だ。

マサチューセッツは、もともとは工業労働者・技術者の住む港町。
日本なら川崎のイメージが一番近いだろうか。
海に近い、重化学工業が盛んな工業都市。
そこで働く労働者の多くは、20世紀初頭にアイルランドやイタリアから渡ってきた白人移民の子孫だ。
こういう人たちが、ボストンの北の港町やサウス・ボストンとかにたくさん住んでる。
同じ白人でも南部のテキサスなんかの白人とは全く違う。

彼らがまず望んでいたのは、景気が回復して、暮らし向きが楽になることだっただろう。
現在マサチューセッツの失業者率は10%弱だが、有効失業率は15%を越えるといわれている。
オバマ政権になっても、良くなるどころか、悪化の一途をたどっている。

(マサチューセッツの白人の残りは、清教徒時代から移民して、今は金持ちの白人たちだ。
 こういう人たちは、民主党と共和党支持が半々。
 ボストン交響楽団など聴きに行くとたくさんみられる)

医療保険改革が進まず骨抜きになりつつあることが問題だった

もうひとつの焦点は医療保険改革。
WSJなどの経済紙が、一見、医療保険改革にマサチューセッツ州民が、改革に反対しているかのように読める記事を載せている。
これは違うと私は思っている。
まあWSJはウォールストリートの代弁者、今回の改革で一番割を食う保険会社などを代弁してる部分もあるから、こんなこと書くのかもしれないが。

私には、基本的には労働者層である彼らが、改革自体に反対していたとは思えない。
むしろ、改革法案がいつになっても通らないことへ不満。
そして、法案が不透明のまま骨抜きになっており、
「国民皆保険が成立しないなら意味無いじゃないか」
「結局、医者と保険会社が儲かる仕組みは変わらないんじゃないか」
「結局高齢者のために、自分たちに税金が重く課されて終わりなのでは」という不安が噴出したのだと思う。

そこに、共和党のスコット・ブラウン氏の
「今度の医療改革は庶民の税金が重くなるだけだ。医療制度は何も変わりゃしない。
私が代わりに変える!」
というスローガンが、見事にはまってしまったんじゃないかと思う。

また、医療改革法案は、10月に通過した下院案と12月末に通過した上院案で内容が異なり、
下院案の方がよりリベラルだ。
ところが、上院の通過がぎりぎりだったので、法案全体の成立には、下院が上院に譲歩しないと成立しない、という状況だった。
今回の選挙で共和党に投じた人たちは、この上院案の成立を阻止する目的で、上院が下院に譲歩するような状況を作り出したい、と考えていた人たちも多かっただろう。
(参考記事:ロイター東洋経済

でも、実際には共和党が増えても、法案成立自体が遠のくだけで、上院案が下院案に近づくわけではないのに!

医療保険改革延期で本当に困るのは国民なのに・・・

改革法案は確かに骨抜きになっている部分は多々ある。
例えば医療費上昇の大きな原因と言われる医者のサービス単位課金などは変わってない。
また保険料が増大してる原因である、保険手数料の禁止も入ってない。
何より、公的保険の創設、つまりオバマ最大の公約「国民皆保険」が実施されない。

これじゃ何も変わらないではないか!と怒るのは当然だ。
これでもし国民の負担が増える(実際には保険会社または年間100万ドル以上の収入がある人だけふえるのだが)なら、改革なんてやらない方がいい!
医療保険改革はこんな風に受け取られている。

しかし、通らないよりは、通った方が確実に良いのだ。

これでも、今まで保険が認められていなかったところに保険が降りるようになるし、
保険会社の問題も少しは解決されている。
それから、一度法案が通ると、民主党にモメンタムが出来上がって、もっと改革がやりやすくなる、という効果もある。

ところが、今回の共和党の勝利で、上院の民主党+支持者の議席は59席となり、法案通過に必要な定数を割ってしまった。
上院・下院のReconcilation(一本化)だけが唯一の砦。
でも上院には「上院案を少しでも変えたら自分は法案成立を阻止する」と言っている議員があと二人もいて、どうひっくり返るか分からなくなってしまった。
改革実現はかなり遠のいてしまったと思える。

ひとつの州の補欠選挙の結果が、全米の政策に影響するすごさ

全く余談になるけれど、私がもうひとつ驚いたのは、マサチューセッツというたった一つの州の補欠選挙が、国の法案の行く末を決める、ということだ。
上院議員の候補が、どの法案に賛成し、どの法案に反対するか、が事前に分かってる。
だから、自分の投じる一票が、政策とどのようにリンクするか、はっきりわかるのだ。

これは参政してるって感じがする。
日本なんか、法案が知らないうちにいつの間にか通ってたりするもんな・・・
国会議員が何に票を投じてるかなんて、事前に明らかにされないしね。

アメリカの制度も色々問題はあるのだが、それでも、透明性って意味では日本より圧倒的に上だ。
こういうことが、アメリカに住んでると身近に感じられて、参政権も無いのに自然に政治の仕組みに興味がもてるようになるってのも面白い。

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それでは株式公開企業は形骸化するのみか

2010-01-10 15:46:09 | 7. その他ビジネス・社会

前に書いた「会社は本当に株主のものか?という疑問に答える本」という記事に、池田信夫氏から返信記事を頂きました。
反論ではなく、建設的に先生のお立場を明快にしてくださったことを感謝してます。
同じくリンクさせていただいた青木理音さんのブログからも返信を頂きました。
また色んな方からコメントやTBを頂きました。有難うございます。

この記事は皆様への反論ではなく、単に議論を進ませるための補足として。

さて、そもそも何故「会社は誰のものか?」という議論があるのかを考えると、所有と経営と経営目的の分離が起きてるからです。
いまや昔と違い、会社の所有者が多様化し、経営者は所有者ではない。ステークホルダーも多様化し、声が大きくなっている。
すなわち「誰のものか(of)」と「誰による(by)」と「誰のためか(for)」が分離してきて、混乱を起こしてる。
でもって、この中で所有者=株主(of)がbyもforも決めてしまって良いような状況の中、
この株主が、必ずしも経営の専門家じゃなく判断を誤るし(byの問題)、従業員や社会、環境などのステークホルダーを考えてるわけじゃない(forの問題)から、
「会社は株主のものにしておいていいのか?」もっと正確には「株主を主権者としておいていいのか」という議論が巻き起こるのだ。

池田先生の記事より引用。

きのうも書いたように、株式会社が株主のものであることは法的には自明である。しかし企業を公開会社にしなければいけないという法律はないのだから、「株主至上主義」がいやな経営者は、MBOで閉鎖会社にすればよい。現にアメリカでは公開会社の「閉鎖化」が進行している・・・というのが彼女への短い答である。

「法的に自明」と書くと、恐らく法律関係者から反論が来ることでしょうが、先生が「自明」と書いてるのは、恐らくそうつもりではないでしょう。
「株式主権は所与のものとして、嫌ならこの形態は捨てて(非公開にして)規定の枠組みで出来ることをやればよいのでは?
選択の自由はあるのだから」というプラグマチックなお考えなのだと思います。

これに対して、岩井先生は、資本主義経済のあり方によって、必要とされる会社の形態は違ってくるべき。
更にステークホルダーが重要になってることを考えると、「株主主権」は必ずしもベストな形態ではない。
状況によって、何がベストかは違ってくるわけです。
しかし「株式会社」という形態自体は、非常に有用なので、これをただ捨ててしまうのはもったいない。
であれば、「株式会社」の解釈の仕方を、時代に沿うように柔軟に変更していくことは出来ないか?という新しい提案をしてるわけです。

詳しくは岩井先生の本を読んでいただければ、と思うのだけど、私がこの考え方に共感を持つのは、
「公開が嫌ならやめれば?」という方法だと、単に株式会社という形態が形骸化しちゃうんじゃないか、と思うから。
現に池田先生ご自身の指摘するように、「MBOなどアメリカでは公開会社の「閉鎖化」が進行している」わけですから。
その結果、MBOは現実的に出来ない、超大企業だけが市場に残され、株式市場は金融投資の目的のために存在するだけになるんじゃないか。
公開の本来の目的だった資金調達のメリットもいまや無く、公開のためのコストだけがかかり(SOX以降特に)、ウォール街や悪質買収者などの悪影響を受けやすくなる。
このように、「株主主権」を言い過ぎると、
株式公開って手法は形骸化してしまうんじゃないかなあ、という懸念が残るのだ。

社会などのステークホルダーにとって、株主公開のメリットは、一般人が株主になることで会社の経営を監視できることです。
例えば、最近は環境問題に真剣に取り組んでる企業にしか投資しないポートフォリオファンドなんかもあります。
こういう株式公開のメリットは残しておきたい。
だから、「株主主権」すぎて企業がメリットを感じず、MBOにどんどん追い込んでしまうような状況って、解じゃない。
じゃあ、どうするか。

岩井先生も、完全な解があるわけではないが、新しい定式化を行おうとしてます。
私も「会社は株主のものだ」と思考停止をせず、
どうすれば「株式公開」を保って社会に責任を果たしつつ、企業の長期的成長を両立させてそちらでも社会に還元できるようにするか、
ということを考えていきたいな、と思ってる。

早々には結論は出ないね、この問題。
まあ、もうちょっと勉強して考えます。

追記) 株式公開には全くメリットがないかのように書きましたが、実際には企業にとって第三者から資本が入ってることのメリットは非常に大きい、ということは追記しておきます。
産業や企業形態によって異なるので(例えば銀行とメーカーでは大分理由はちがう)逐一はここでは書きませんが、だから公開をやめない、それだけのことです。
なのでデメリットは享受すべき、というのはある程度正しい意見と思います。

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー い 32-1)
岩井 克人
平凡社

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会社は本当に株主のものか?という疑問に答える本

2010-01-07 06:10:09 | 7. その他ビジネス・社会

藤末議員と言う方の「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」という言葉が、経済の専門家をはじめとする人たちの批判を浴びてる様子。

株主至上主義って?-経済学101
公開会社法が日本を滅ぼす-池田信夫blog part2

議員の表現の枝葉末節が批判されてるようだが、これはちょっと残念。
専門家を称する人は、「専門的にはこれが正しいんです。あなたは間違ってます」と言うのではなく、彼の感覚的な表現の、根本の問題意識に答えようとしてくれれば良いのに、と思った。

そもそも、彼の言う「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」、そしてそれを問題だ、と思う感覚自体は、至極まっとうじゃないのか。
(問題は「会社公開法」はそれ必ずしもその解にならない、ということだと思うが)

まず「最近の余りにも株主を重視しすぎた風潮」というところだが、ここでは比較対象は、他の欧米諸国と比べてるんではなく、「日本の昔に比べて」ってことを言ってるのだと思う。
(流石に、アングロサクソンに比べて、日本企業が株主を重視してると言える人はいない)

歴史を見てみる。
例えば、1970~80年代には、日本では優良大手企業でさえ利益率5%以下が普通だったのが、現在の企業経営ではROEと利益率が神様みたいに崇められてる。
これは「株主を重視しすぎる風潮」と言わずしてどう説明するか。

当時の日本企業は「効率が悪かった」のだろうか?
極端な議論かもしれないが、良いものを安く売ることで消費者に還元していた、とはいえないか。
多少コストが高くなっても、簡単に従業員をクビにせず、たくさん雇っていたのは、従業員に還元していた、とはいえないか。
米国の「優良企業」のように30%も営業利益を取るかわりに、5%以下に抑えて、消費者や従業員のためにはなっていたのではないか。

そもそも企業の利益率が高くて、一体誰が喜ぶかをよく考えると、利益から法人税を取れる自治体以外は、そこから配当を得られる、もしくは株価向上が見込める株主だけじゃないのか?
(多少関係するのは、格付けによる社債など資金調達の容易さだけだが、メインバンクからの負債中心の当時の日本型企業にはほとんど関係なかった)
ROEが高くて誰が喜ぶのか?株主だけじゃないのか?

「株主価値の最大化」が現在、世界標準で、企業が当然目指すべき姿、とされてるのは確かだ。
日本企業はそれに向けて、株主価値の最大化を実現する方向にシフトしている。

もちろん日本の経営の「株主意識率」がアングロサクソンに比べまだまだ低いのは認めるが、以前に比べ極端に意識しなくてはならなくなったのは、、まず事実ではないか。

その結果、多くの企業の経営者が株価や株式総額を気にする余り、市場に説明できないような長期的な投資が出来ない、と悩んでる。
利益率のみ考慮する余り、大量のリストラをしなくてはならなくなったことを悩んでいる。
株主が専門家でも技術の目利きでもなく、多くが短期的な利益を享受することを目的とした投資家である場合、特に悩みは深い。

「日本の企業って、昔はもっと従業員やお客様を大事にしてたんじゃないのかなぁ・・・
 それなのに、今は企業が短期的に利益を上げることだけ考えろって言われてる気がする。 
 それって得するの、株主だけだよね・・ これって本当に正しい方向なんだろうか?」

「株主価値経営が当然だっていうけど、本当に株主だけなのかなあ?
 企業って従業員も取引先もお客様も大事だし、ひいては社会的な使命をもってるんじゃないのかなあ」

こういうぼやきが、今の世の中で、実際に企業経営に誠実に携わっている人の、率直な感想じゃないかと思う。
別に経済学や経営学の知識で武装しなくても。
多分、漠然と株主主権が問題、と思ってるのは藤末議員だけじゃない。

で、こういう直感的な疑問「会社は誰のものなの?」に、まさにドンピシャ答えてくれる本があるので、ご紹介したい。
(漸く本題・・)

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー い 32-1)
岩井 克人
平凡社

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MITで経済学博士号を取ったあと、東大経済学部で教鞭をとっている岩井克人先生の本。

岩井先生は、日本型の従業員を大切にする「会社」が、アメリカ型の株主主権論とは相容れない存在であることを、各国の資本主義の歴史と企業史を紐解きながら説明する。
日本企業は「株式会社」であっても、歴史的には株主のための会社では全く無かったのだ。
ところが、90年代に入ってから、アメリカ型の株主主権論を受け入れざるを得ない形になっている。

それから、別に「株式会社」は法的にも株主のモノでも何でもなく、「社会の公器」であることをわかりやすい法理論で解説する。

1980年代、日本企業が絶頂だったころは、学会でもアメリカ型の「株主主権」論が正しいのか、日本型の「会社共同体」が理想の会社の形態なのか、大論争があったという。
現在の学会では、絶対のように見られているアメリカ型の株主主権論(これは藤本議員の言う「株主至上主義」に対応していると言っても良い)が当たり前になったのは、実は90年代に入ってからのこと。
それすら、現在の米国では疑問視され始めている。

資本主義の歴史を紐解いた最後には、21世紀のポスト産業資本主義に最も適切な会社形態は、
少なくとも株主のものではなく、従来型の日本型経営と会社システムを改良した、より従業員を大切にするタイプのものではないか、と説いている。

簡単に書くと、ポスト産業資本主義で最も大切になるのは、新しい知識や情報を常に生み出せる人的資産である。
その人的資産を採用し、育て、つなぎとめ続けられる企業が、長期的に成長することが可能だ。
そのために必要なのは、株主の方を見た経営ではなく、従業員に目を向け、従業員が離れにくい文化と制度を有する経営。
それは、株主主権では実現できない、という話だ。

こういうことが、歴史的事例に補足されながら、次々と明らかにされていくのがとてもキモチの良い本だ。
「会社は誰のものであるべきなの?」「本当に株主のものなの?」という疑問を持ってるならオススメ。

「会社は誰のものか?」というのは自明な問いでもなんでもない。
「株主のものだ!」などと思考停止せず、かといって、かつての日本型経営を偲ぶ懐古主義にも陥らず、
岩井先生の本のように、これからの経済に適した企業経営のあり方は、誰を主体としたものか?と考えることで、日本企業の今後のあり方が見えてくるんじゃないか、と思っている。

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金融破綻を招いた米系金融機関が反省無く儲かってる件

2010-01-06 12:07:14 | 7. その他ビジネス・社会

日本の新聞などに載り始めたので、そろそろ書いても良いだろう。
(追記:コメント欄で指摘されましたが、↑イミフメイでしたね(笑)
 10月頃、MITの経済関係の教授たちと話したことがきっかけで書き始めた記事を、書き直したもので、自分的にはそろそろ、とか思っていただけでした。)
2009年下半期は、米系金融機関がありえないほど儲かった様子。
「回復」どころじゃない、歴史的な儲け。
昨年末の米系投資銀行の多くが、またボーナス数千万とかいっちゃったことでしょう。
一方で家も無く年を越す人がたくさんいるのにね。

別に彼等が儲けること自体が問題なのではない。
もっとも、世界に貢献するイノベーションも大して生み出すわけでなく、それどころか世界経済を破綻させたくせに一番儲かってる、というのは、感情的にはあったまくるけどね。

問題は、金融破たんを生み出した現在の(主に米系の)金融機関の体制に対し、規制するどころか、
そもそもどういう規制や監視体制を置くべきか、という議論も十分なされないまま儲かり始めたので、
問題が先送りされ始めている、ということだ。
(もちろん、「儲かれば規制なんかいらない」という米系金融機関の倫理観に問題があるが、これは規制でしか解決できない)

もうひとつは、金融破たんの原因を生んだ金融商品を支える理論に対しても、何の修正もされないこと。
こちらはアカデミアの責任もある。

2008年のリーマンショック時には、あれだけ「救済」「救済」と叫んでいた米系金融機関も、
今や規制の議論をしようとすると、「そんな規制をかけて、NYがロンドンや香港に負けてもいいのか?」と来たもんだ。
唯一の「監視体制」だったTARPも、Q2に完済したゴールドマン、モルスタ、JPモルガンに加え、
昨年末にバンカメ、シティ、ウェルズファーゴが全額返済して効力が失われた。
(注:TARPとは、日本と形は違うが要は米国版公的資金。
 注入されている間だけ、役員報酬や事業運営に対して政府が監視・口出しをすることが出来た。
 昨年末に返済ラッシュがあったのは、歴史的な儲けを受けて、大幅なボーナス増をしたかったからムリした、というのは邪推だろうか?)

こんな早くに公的資金を返済できることは喜ぶべきことか?
ヨーロッパや、ヨーロッパ的な日本なら、そうかもしれない。
公的資金とは別に、規制の議論がちゃんと行われる国だからだ。
でも、アメリカの金融機関は違う。
返済完了したら、「もうあんたに何言われる筋合いは無いわよ」と、規制や監視体制の議論が難しくなってしまうのが、自由経済のこの国なのだ。
規制をかけたかったら、儲けさせないで置くのがベストなのだった。

じゃあ何で、儲かってるのか?というと理由は処々あるが、まずは米国の大幅なゼロ金利政策。
そして最近はやっている超短期金融商品が儲かってる、という人もいる。

この話は新聞にこそ余り載らなかったが、MBAの経済学関連の教授陣など、金融機関につながりの深い人たちの間では昨年10月頃からずっと話題だった。
クルッグマンなども、9月頃からずっと自身のブログなどで警告を続けていたしね。
日本からは見えにくいでしょうが、MBAなどでは金融機関の採用だけがやたら増えてるし、
更に余り倫理観の無い採用担当者が「今年のボーナスはすごいよ」とか言っちゃってるし。

私が、ここで米系金融機関だけ批判の対象にしているのはわけがある。
欧州系の金融機関も、アメリカのゼロ金利政策のおかげなどで儲かってると思うが、彼等は規制強化を実践してるからだ。
役員報酬・ボーナス上限の設置、自己資本比率の引き上げ。
(これにより儲けの多くは内部留保に使われていることでしょう)

更にはロンドンでは投資銀行のボーナスに限って50%の課税をするなど、
投資銀行のバンカーにありえない額の報酬が払われ、それが金融危機を引き起こす投資活動を誘発するのを阻止しようとしている。

もちろん業界からは、「ロンドンの将来をなくすのか!」という反発があるけれど、流石は規制帝国だ。

私は、金融機関には十分な規制が必要だと考えている一人だ。
レバレッジ率や自己資本比率など、資本に対する規制も必要、金融商品に対する規制も必要、また必要ならば報酬に対しても規制すべきだと考えている。

別に金融機関が嫌いだとかで、こんなこと言ってるんじゃない。
むしろ、金融機関が大切な社会的役割を負っているからこそ、規制が必要だと思う。
彼等は、経済の心臓・動脈として、経済全体に血(お金)が効率的に行き渡るようにするという大切な役割を持っているのだ。
それが、動脈が勝手に暴走して、勝手に動脈瘤を作って血液(お金)の流れを止めてしまい、経済全体を滞らせてはならない。

もし、金融機関の中で、投資銀行部門(あるいは証券会社)がリスクの高い金融商品をどんどん作り、儲ける自由が欲しい、と言うのであれば、昔に逆戻りだが、銀行と証券はまた分けるべきなのだろう。
「証券」という閉じた世界で、勝手にリスクを取って勝手に儲けたり、損したりしてください、
実体経済に関与しない、まるでラスベガスでギャンブルをやってるような感じで、勝手にやってください、となるんじゃないのか?
余り理想的な形じゃないけどね、金融危機を引き起こすリスクを考えたら仕方が無い。

もし、銀行と証券を融合して、普通の人々が証券界の生んだイノベーションの恩恵を最大限受けられるような形にしたいのであれば、規制は免れない、と考えている。
モーゲージ債にいつの間にか商業銀行が大量投資するなど、普通の人たちはリスクを知らないで勝手に巻き込まれてしまうのだから・・・

最後に、規制より倫理観が重要では?という声に対して。
もしあらゆるバンカーが完全な倫理観を持っているなら、規制は必要ない。
しかし、実際には誰もが少しずつ倫理観が欠如していて「組織の論理」と「マネーゲーム」に巻き込まれてしまう。
別に、金融危機を生むような商品を作り、危険な投資を続けた、米系投資銀行の人間が特別倫理観が無い、ということではなく、誰もが凡人だ、というだけだ。
ラスベガスでちょっと儲かり始めると、財布が緩み始める普通の人と同じ。
そしてちょっと回復すると「世界経済よりも、自分のとこ(NY)が儲かるのがまずは大事!」とか思ってしまう、普通の人なのだ。
でも人並みの倫理観は持ってるんじゃないか。

だからこそ、その倫理観を高め続けるための規制が必要だ、と私は思ってる。
米系金融機関が儲かり始めても、これ以上金融危機を起こさないために必要な規制と監視体制がアメリカにも設置されることを望む。

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取れるところからお金を取る、という考え方。

2009-12-02 13:44:25 | 7. その他ビジネス・社会

今日は疲れてるし、ブログは書かないで寝る予定だったのだが、
「鍵持ってくの忘れたから起きてて!」と言って、パーティに出かけたルームメートのYEが、
約束の時間になっても帰って来ないので、待つついでに短い記事を更新することにした。

アメリカの大学のトップ校って、学費がすごい高いんですよ。
まあ、トップ校はどこも私立だから、って話もあるけど、年間300万円とか400万円とか普通である。
そんなに払える家庭がどこにあるの?
あー高等教育は金持ちだけ受ければいいって発想なのね、とか思うでしょ。

そうじゃないんです。

学費免除などのファイナンシャルサポートが非常に充実してるんです。
例えばMITの場合だと、半数以上の学生が、何らかの学費免除を受けてるらしい。
(じゃあ残り半分は金持ちか、っていうとそれもあるけど、実際はもらってない多くの人は教育ローンを活用しているのでしょう。)

免除のレベルは色々で、20%くらいの補助から全額免除まで。
"Need basis"と言って、サポートを受けないと生活できないことが分かれば、誰でも少なからず受けられる仕組み。
もちろん全額免除は、入学時の評価や成績が非常に良いひとだけ。
それから、足りない分はみんな、教育ローンとかで補う。

要は、400万円とか高い金額をチャージして、払える人にはそれで払ってもらう。
払えないけど優秀で是非来てほしい、という人にはどんどん免除して実質安くする
仕組み。

もうひとつ、大学とは別の「取れるところから取る」話。
以前紹介した話なんだけど、アメリカの一部の病院とかも、そういう価格設定してるらしい。

私の友人でアメリカで出産した人が、病院から500万円請求されたそうだ。
で、「こんなの払えない!」とものすごい苦労して交渉したら、サポートプランを色々出してきて、結局100万円くらいまで下げられたという。
これって逆に、交渉する労力を払いたくない(かなり大変)、お金を払える人からは500万円取ってるってことなんだよね。

まさに、取れるところからお金を取る仕組み。
アメリカに住んでると、あらゆるところでこの考え方が流通してるのが分かる。
(だから常に交渉が求められるんだけどね。過去記事参照。)

こういう「取れるところから取る」価格設定の考え方を、経済学ではPrice Discriminationという。
ひとつの商品・サービスに対して、人によって感じる価値(効用)が異なる。
例えばある人は、MITに来れるなら400万払ってもいいと思うし、ある人はどんなに優秀でも50万しか払えない、と思うだろう。

大学としては、お金は無くても優秀な学生は欲しい。
さてどうするか?

ここで、一律50万円に学費を設定し、50万しか払えなくても優秀、という人を取るのが日本的なやり方。
アメリカの場合は
、400万円の価値がある、と思う人には400万円チャージし、50万しかどうしても払えない、という人には50万しかチャージしない、と言う方法で、優秀な人を取るわけだ。
50万しか払えない人は、いろいろ面倒なApplication書いたり、それなりに成績がよくないといけなかったりする。

同じ優秀な人を取るとしても、後者のほうが儲かるよね。

「大学とか病院が儲けるって発想がおかしい」と思う人もいるかもしれない。
でも、実際のところ、日本の場合、足りない分を補うため税金だの保険だのが投入されてるわけです。
それなら、400万、500万ぽいっと払える金持ちから取った方がいいんじゃないですか?
という話だ。

もちろん、これは競争が激しい市場では出来ない。
競争が激しく、選択肢が他にあれば、たとえ沢山払える金持ちでも、安いオプションを選ぶから。
病院とか、大学のトップ校とか、実質、選択肢が無いわけで、事実上独占になっている市場では、こういう価格設定が出来るのだ。

日本の大学のトップ校は国立大学だから、こういう考え方はなかなか難しいかもしれないし、
アメリカの場合、教育ローンの仕組みが充実してるからできるってのもある。
(成績が悪かったりして援助をもらえないときは、教育ローンに頼れば良いから)

が、400万なんて極端にせずとも、一律50万円で学費免除も余り無い、というのはひどい気がする。
もう少しPrice Discriminationの考え方を導入し、
例えば国立大学でも私立同様の150万くらいに学費を上げて取れるところから取り、
学費免除も大幅に増やす、という方が国民のためじゃないかなあと思ったりするのであった。
だって、例えば東大って確か親の平均年収が1,200万円とからしいから、こういうところからはじめるのも手ではないか?

もちろん、ちゃんと学費免除がたくさんあります、ってことを明確に知らしめる必要はある。
でないと、「学費高い」と思ってしまって大学を諦めてしまう人が増えてしまうのは問題だから。
(あとは教育ローンの充実だね・・・)

日本の高等教育戦略による話なので、一概に何がいいとはいえないものの、
これを以ってトントンにするなら、経済的に困ってる人がより学校に行ける仕組みになるわけだし、
たとえ余るようなことがあるなら、それこそ国家予算を別のところに投入できるだろう。
格差が広がってるからこそ、こういう考え方がもっとあってもいいはずだ。

まあ、東大が学費上げたら、優秀な学生がハーバードやMITに流れちゃった、なんてことが起きたらショックだけどね(笑)

それにしても、約束を1時間過ぎてるのにYEまだ帰ってこないよ・・・
もうドア開けっ放しにして寝るかね。
と思ったら、
帰ってきた。寝れる。

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科学技術政策は民が主導すべき、とスパコン問題を見て思う

2009-11-25 03:40:11 | 7. その他ビジネス・社会

いや、とっくに民間が主導してるでしょ、と言われればそういう分野もあるかもしれない。
ただし、国のリーダーシップ、国が方向性を決定するのを待っている科学技術分野がまだ結構あるのだな、と
例の「事業仕分け」のスパコン騒動を見てつくづく思った。

アメリカにいると、事業仕分けはほとんど報道されないが、スパコンをめぐる予算配分で揉めている問題はインターネットで読んだ。
スパコンに対する誤解と過剰な期待、技術ナショナリズムなどが入り混じった議論が展開されているらしい。

これらを読んで私が思ったのは、科学技術政策で、国が主導して明確なビジョンを示す、という時代は本当に終わったな、ということ。
彼らが政策を決めるのを待っているんじゃなくて、業界全体の知見があり、知識がある民間人がもっと政策決定に関わっていかなきゃダメだ、と切に思った。
もう、受身はやめよう。

一部の議員の「役に立つのかだけ教えろ」みたいな態度には問題あるのは確かだ。
しかし、彼らが多種多様な専門分野を持つ科学技術を彼らが全て決めるってのも、もう限界だと思う。
戦後まもなくならともかく、複雑に分岐した成熟産業を抱える日本のような先進国で、国だけが科学技術政策を決めるなんて、キャパシティ的にムリだって。

行政・立法者よりも、知識もネットワークもある民間人が政策決定に積極的に関わっていくべし。
じゃあ、どうするか。

ひとつのやり方は、技術を持つ企業や法人(独法研究所含む)たちが、オピニオンリーダーとなって、業界の方向性を決めるビジョンを出すこと。
そして国の政策は、ロビイストを使ったり、自らの提案により方向付けしていくことだ。

例えば日本のスパコン政策は、今までずっと国が明確なビジョンを示せていなかった、という批判がある。
しかし、その「国が決めるまで待ってる」態度が、国に頼りすぎなんじゃないか?
そりゃあ、日本のスパコンは、スーパー301条で、400%以上のダンピング課税をされ、米国に輸出できなかった冬の時代があるから、国がスパコン業界にとって最大のお客さんだというのは分かる。
しかし、余りに「親分」に対して受身すぎないか?
せめて「提案型営業」に出来ないのか。
業界の方から今後10年、20年のビジョンを出して、そのビジョンを実現させるために国を説得する、くらいの態度でいて欲しい。

スパコン科研費で研究してる研究者も、本当に大切なら、世界一になるべきとか抽象的な議論をするんでなく、自分たちが率先して将来の具体的なビジョンを示さなきゃ。
日本のスパコンはどの方向に行き、何年後にどうすることを目標にし、そのためにはいくら必要なのか。

スパコンだけでなく、日本が世界をリードしていると言われる環境技術や、エネルギー関連でもそうだ。
別に官僚が能無しと思ってるわけじゃない。
でも、特に細分化が進んだ科学技術では、国より民間の方が知識も人材も、ビジョンを出すための能力もある。
特に日本の企業を見てると、自社だけ儲かればというより、科学技術全体を憂う視野の広い人は、他国と比べても多いと思う。
だからこそ「我々が国の技術政策をリードしよう」という気概を持たないと。

二つ目のやり方は、民間の知識人が、シンクタンクやコンサルティングを通じて政策決定者のブレインとなり、自ら政策提案を行っていくこと
オバマ大統領の環境政策には、コンサルティングファームや環境シンクタンクが、ブレインとして、多数の提案を行い、またデータ提供に役立っているのは有名な話だ。
何も知識が無い政治家が自ら探していくよりも、既に知識と考えがある知識人複数が、有意義な政策提案を行い、それを比較検討する、というほうが、短期間で、より正しい政策に行き着けるはずだ。
(人のセレクションは重要だが)

一つ目の方法だとどうしても提案者が技術を持っている企業に偏るが、こちらは知識があれば一般でも関われる。

どんな政治家も、政策提案してくれるブレーンや、政策が正しいかを検証できるデータが無ければ、政策決定なんか出来ない
日本は今まで、こういった政策提案やデータ提供は、官僚が行ってきたのだ。
しかし、今の民主党政権は、交代したばかり。
政策決定のための調査を行える能力を持った官僚たちとも関係を築けていないし、決定するための重要な情報なんか、何にも入ってきていないんじゃないか。

一方で、共和党・民主党と政権交代するのが当たり前のアメリカでは、こういった政策提案やデータ提供は、民間のシンクタンクや政策コンサルティング企業が担っている。
で、政権交代した場合は、そういった人たちの一部が政府の諮問委員会などに入って、政府の人になって仕事をしたりする。
まさに官僚アウトソース。

日本には、そういう仕組みが無いから、今回のような大規模な政権交代を機に、知識人やシンクタンクが入り込んでいく、というのがいいのだと思う。
まずは、事業仕分けを批判するんじゃなく、仕分けをしてる彼らの助けになるブレーンとして入り込んでいくだね。

日本の官僚制を批判する人は多いが、抜本的な改革は難しい。
中には優秀な人も多いし、結局、上記のような理由で政治家が官僚を必要としているので、変わらないのだ。

そこで、こういった、民間企業やシンクタンクが政策立案・決定により関わってくることで、官僚を健全な競争にさらしてレベルアップを図れるだろうし、一石二鳥だと思う。

もう受身はやめよう。
民主主義なんだから、この国。
まずは、明らかに民間に知識も技術も人材もあって、民間がリードすべきなのが明らかな科学技術分野からはじめよう。

一学生の戯言かもだけど、私も日本にかえったら何かやるべく考えておきたい、と思う。
私の場合、技術はないから、関わるなら2番目だね。

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フラッグシップはつらいよ

2009-11-09 08:09:41 | 7. その他ビジネス・社会

最近航空会社づいてる私。
アメリカでもちゃんとニュースチェックしてますよ。

先週書いた「何故デルタ航空はそんなにJALが欲しいのか」という記事で、
太平洋路線、特に成田路線は、成田の発着枠が少なく、ビジネス客が多いから儲かる、と書いた。
でも、JALの国際線全てが儲かってるわけじゃない。

国内と違って政治路線じゃないんだから、儲からないならやめれば良いのに、
と思うかもしれないが、どうやらやめられなかった理由があるらしい。

JAL takes cleverer routes and capacity Travel Blackboard, Monday 9 November
日航プレスリリース(11/5)
によると、

関空-杭州、釜山、ハノイ、クアラルンプール
成田-杭州、青島、アモイ、メキシコシティ
が全面「運休」になることが、ついに決まったらしい。
これらが赤字路線だったということだね。

なるほど、儲からないのは主に中国線とアジア線だったか。
きっと儲からなくても、やめられない理由があったんだろう、と勝手に想像。

杭州なんて、関空からも成田からも毎日飛ばしてたもんね
それを週一にするのではなく、全面運休にするなんて、相当儲かってなかったのだろう、と勝手に想像。

それにしても、9月頃に毎日新聞がリークした話によると、もっと運休・廃止をするはずだった
大連とかバンコクとか・・・。
出来ないのは、何か圧力がかかってるんでしょうか・・・!?(と勝手に想像)

アジア向けODAと歴史の話じゃないけど、
国際関係維持のために、赤字路線を維持しなくてはならないのだとしたら、フラッグシップは大変だなあ、と思った。
まあ、色々と頑張って再生して欲しいものです。(私のマイレージのためにも)

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「寄付」は要らないものをあげることじゃない

2009-11-05 09:16:36 | 7. その他ビジネス・社会

Sloanの校舎の中を歩いていたら、こんなものを発見。

経済的に恵まれない人たちのために、就職活動用のスーツや白いシャツ、手入れしてある靴やかばんを寄付する、という趣旨のものらしい。
中を見ると、ちゃんとクリーニングに出したスーツや黒い鞄などが入っている。

アメリカでは、教会が中心にやっている、服の寄付の仕組みがたくさんある。
古着や買ったけど気に入らない服などを寄付すると、それが経済的に恵まれず、服が十分に買えない人たちに無料で渡るような仕組みだ。

ところが、そういうところって、シミのついた服だの流行遅れの服だのはたくさん集まって、処理に困るくらいらしいが、皆が欲しい「ちゃんとした服」が集まらないのだそうだ。
で、特にホワイトカラーの職に就くのに、就職活動をするにふさわしい服など全く集まらないらしい。
この活動は、そのニーズにこたえるものだそうだ。

ホームレスになった人たちだって、そこで育った子供たちだって、
あるいは現在は低収入のブルーカラーでワーキングプア状態になってる人たちだって、
職業訓練などを受け、より良い生活を目指すための就職活動をすることがある。
そのときには、ちゃんとした服が要る。
でもスーツやシャツなんて一番高いものだから、買えない。
シミの服や誰かの着古した服は、普段着にはいいけど、そんな服では、ただでさえ高い敷居を越えることすら出来ない。
(ただでさえ、出自とか、学校とか、ハンディキャップがあるのに)

でも寄付するときは、皆そんなこと考えないよね。
「あーこの服古くなったから、救世軍に出そう。捨てる神あれば拾う神ありでしょ。」
くらいに軽く考えて、寄付するわけだ。
で、その結果、誰も着ないような着古しばかりが集まる。

4月にフルブライトの研修でニューヨークに行ったときのこと。
研修の一環で、ホームレスの人たちが住む家に家具を支給する団体のお手伝いに行った。

アメリカの政策でも、失職してホームレスになってしまった人たちに、安い家賃で家を貸す、というセーフティネット的な仕組みが一応ある。
(家族でホームレスの人たちが優先される)
ところが、そこで困るのが、貸す家には家具がなく、がらんどうのところに家族が住まなければならないということだ。
ホームレスの家族にとって、とりあえず、「シェルター」として住む家が出来るのは嬉しいことだが、
家具も無ければランプも無い。
そんな家じゃ「家庭」として落ち着いてすむことも出来ないだろう。
けれど、家具は高くて、とてもじゃないけど買えない。

それで、不必要な家具を引き取って、こういった人たちに寄付する、ということをやっている団体だった。

そこに寄付されてるのはこんな家具だった。

これってどう見ても、潰れたホテルから回収してきた、ホテル用のテレビセットだよね。。

これはホテル用の、小さい冷蔵庫。
こんなんでも、無いよりは役に立つのかな?

「寄付」と言っても、ほとんどが、皆の「要らない」ものを集めてるだけ、という状況だった。
やはり、世の中こんなものなんだな、と思った。

そこでの私たちの仕事は、家具会社から「寄付」された、家具の組み立てをやるという仕事だった。
私たちは、普通のIKEAの家具のようなものが出てくるのかと期待していたが、そうじゃなかった。

実は「寄付」されていたのは、お客さんが一度開封して「返品した」品ばかりだったのだ。
だから、問題点ばかりだった。

ネジが足りないなんてのはしょっちゅう。
そういうのは、接着剤とかで解決する。

部品の金属の棒が完全に曲がってるものもある。
そういうのは2,3人で集まって、ペンチで直す。

中には、電気スタンドのコードが完全に切れてるなんてのもあった。
(そんな自分で壊したようなもの、返品するなって感じなのだが・・・)

一応理系の私は、コードのビニール部分を剥がし、金属の線同士を絡み合わせて繋ぎ、
その上を白いビニールテープで絶縁して、という作業をやって、電気スタンドたちを生き返らせた。
(写真は、はさみでコードのビニール部分をうまく剥がしてるところ)

こんなの、私はたまたま、どうやったら解決できるか知ってるから、直せたんじゃないか。
コードの金属部分をつなげば電気が通ることとか、2本の線は別々に絶縁する必要があることとか。
ホームレスになるまで追い込まれるような人たちが、全員知ってることではない、と思う。
(フルブライトで来てるような学生ですら知らなかった)

そんな人たちが、こんな壊れた家具を与えられて、どうすりゃいいっていうのか?

こんなの「寄付」って言うんだろうか?
その家具メーカーにはそのときは腹が立ったけど、でも世の中そんなもんなのだ、と思い返した。

「寄付」をしている人たちが、悪いんじゃない。
彼らは「拾う神もあるでしょ」くらいに、軽く考えて、捨てるよりは役に立つだろう、と思ってるだけだ。

だから、「就活用の服が必要なんだ」と言って皆の想像力を喚起する人や、
どんな家具でも直してしまう人が必要なんだな、と思った。

それってちょっとした想像力なんだよね。
それを忘れないようにしたい、と思った。

生き返った電気スタンドたち。
漸くホームレス状態から、政府の支給する家に住めた家族が、この電気スタンドの明るさで明るく生活できるなら嬉しいな、と思う。
(アメリカの家は、備えつきのランプなど無い家がほとんど。私も初めて引っ越した日の夜は暗かった・・)

「お母さん、今日は明るいね!」とか子供がお母さんに言うんだろう。
今日は学校の勉強も頑張ろうかな、とかきっと思うよね。
それが子供たちの明るい未来につながるはず。

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今、アメリカン航空と同じ不安な気持ちでJALを見守る

2009-10-26 15:47:03 | 7. その他ビジネス・社会

今、MITの名物経済学教授、Pindyck先生の教える「産業経済学」の予習をやっているところ。
明日は、昨年デルタ航空がノースウエスト航空を買収したケースをやるので、その準備でデルタのことを色々調べてた。

デルタは、昨年ノースウエストを買収してから、アメリカン航空を抜いて、世界最大の旅客数を誇る航空会社となった。
この買収で、特にデルタがそれまで持っていなかった、NY路線や、太平洋路線(主に成田路線)を手に入れることが出来た。
特に太平洋路線の強化を優先的に進めていて、ニューヨーク-成田線やアトランタ-成田線の運行を増やした。
何でそんなものが欲しいかというと、太平洋線はアメリカ国内線や大西洋線より価格競争が小さいので、オペレーションをちゃんとやれば儲かる余地が大きい、と踏んでるのだろう。

先月JALの経営危機がニュースになってから、提携先として最初に名乗りをあげたのもデルタ。
見てる方は、あれだけノースウエストの太平洋路線を手に入れて、まだ足りないのか?って感じなのだが、どうしても欲しいらしい。
特にノースウエストの買収では手に入らなかった、JALが持ってる、西海岸-成田線などの路線が欲しいのであろう。

これを受けて、太平洋路線をJALとコードシェアしてるアメリカン航空が負けじと名乗りを上げた。
JALとアメリカンは同じワンワールド仲間。
関係ないデルタなんかに取られたらたまったもんじゃない。
米国では、一番赤字を垂れ流してるにも関わらず、参戦。

一方のJALは、国の監視下に入ってしまい、デルタとアメリカンがどうこうできる余地がなくなってきた。
マスコミでは、「国際線はANAへ」なんて記事も流れた。
国内線と違って、政治家とのしがらみの少ない国際線は、手放すターゲットに一番なりやすい。

これを受けて、今日、デルタ航空がPR会社を雇って、デルタ-JAL提携のメリットのアピールを始めたらしい。
何てアメリカ的なことをするんだろう・・・日本人にはそんなの通じないだろうに。

ここでいま、一番あせってるのはアメリカン航空だろう。

「JALが国際線を手放す」なんてことになったら、かなりの確率でANAに行ってしまう。
そうしたら、今アメリカン航空がコードシェアしている太平洋線は、敵のユナイテッド航空がいる、スターアライアンスに行ってしまう。
万が一オークションになっても、JALの国際線全体を引き受ける体力はアメリカン航空にはない。
そうすると、やはり敵のデルタ航空に行ってしまう。

アメリカン航空としては、ぜひとも再生タスクフォースに頑張って守旧派と戦ってもらって年金削減や赤字国内線の削減、コスト減などで効果を挙げてもらい、JALが国際線を手放すなんてことが絶対に無いように、祈るしかないわけだ。

一方、JALのマイレージをたくさん持っていて、北米やヨーロッパに行くのにマイルを使っていた人たちも、アメリカンと同じ気持ちで見守ってることだろう。
JALが国際線を手放してしまったら、これだけ貯めたマイレージをどこで使えばよいのかと。
まあ、そんな人一部だろうし(多くの人はANAに移行してるだろう)、そんな金持ちはどうでもいいって話もあるが。

あ、でもね。
デルタかANAに太平洋線あげちゃったら、普通の人がアメリカ行くのも徐々に高くなると思うよ。
プレーヤーの数が減って、競争が和らぐからね。
まあ、それで困る人も一部かもしれないが・・。

少なくとも、アメリカに住んでる私は困るので、アメリカン航空と同じ不安な気持ちで、JALの再生の行く末を見守っているのでした。
そんな不純な気持ちでJALのまともな再生(年金と赤字国内線の削減、天下り仕入先の削減によるコスト減)を願うんでいいのか、とも思うけど。

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朝生の東浩紀の「SNS直接民主制」は革命のたたき台

2009-10-26 03:40:46 | 7. その他ビジネス・社会

今日は短めの記事で。
朝生(テレビ朝日の「朝まで生テレビ」という討論番組)で、東さんが面白い話をしたらしく、沸いてますね。
アメリカにいるので、日本の番組は全然見られないんだけど。

「ネットがあれば政治家いらない」-東浩紀「SNS直接民主制」提案
J-CASTニュース

ただ、うちの母親情報によると、朝生自体は全然面白くなかったそうで、残念ですが。
母曰く「自分の世界しか見えてない社長とか評論家が、『ホリエモンをつぶすから起業家が生まれない』みたいな自分たちの問題を話すばかりで、格差で苦しんでいる人たちの真の問題に至らなかった」とか。

東さんの発言をネットで読んで、非常に面白いと思ったのは、
「既にお金と権力を持っている人たちから、富や権力を奪う方法は、手段を奪うことなのだ」
という当たり前のことに気づかされたことか。
それって革命だよね。

もっと穏やかな言い方をすれば、
「富や権力の分散を図りたいなら、分散したい先の持っている手段(SNSなど)を積極的に活用すること」である、と。

以前、Chikirinの日記の「正社員ポジションはどこへ」という記事を読んだときのこと。
この国で「権力」を持っている現在55歳以上(主に男性)が、正社員として雇用され続け、年金をもらい続け、選挙にちゃんと行ってること。
だからこそ、富と権力を持ち続けていられるのだ、という意味合いを記事から感じた。
一方で、正規の社員でもなく、金も無い若い層は、選挙にも行かず、世の中の趨勢を変えることすら出来ないと。

TwitterやFacebookなどのSNSが面白いのは、50代以上のユーザがほとんどいないこと。
「インターネット」だと、50代以上でも使ってる人がたくさんいて、その人たちは格差の上の方の人たちだ。
だから、選挙をインターネットにしても、結局50代以上の富も権力もある守旧派とそれに準ずる人たちがポジションを取り、世代間格差も世代内格差も解消されない。
しかも、そういう人たちがちゃんと選挙できるような手法が模索され、執り行われることだろう。

SNSがいい方法なのか(格差の下の方が入ってこれる方法なのか)、
技術的に可能なのか(セキュリティとか安定性とかコストとか)
そもそも直接民主制がいいのか(ワイマール憲法とか)、とか
は議論の余地がある。
けれど、SNSのように、今、富と権力を持って、動かしている人たちが入りにくい手法をメインに使えば、趨勢を変えられる、というのが東発言の趣旨だと私は受け取った。

つまり、手段を変えることが、格差をなくすひとつの手立てになるかもしれないと。

私も全くSNSが解だなんて思ってない。
彼の発言は穴だらけだし、表層だけ捉えて批判するのはとても簡単なことだ。
でも、変革への提言を批判するだけじゃ、世の中変わらないんだよ。
こういう極端な意見をたたき台、あるいはスパイスとして、日本の政治システムのあり方をどう変えるかを議論するのは面白いな、と思っている。

何度も書いてるけど、How(どうやって実現するか)に縛られて、What(何を実現したいか、というそもそも論)が狭くなっては元も子もない。
だから、技術的に限界があるだとか、そういうことは分けて、格差も大きく、硬直した日本の社会を立て直す政治システムは、そもそもどうあるべきか論を、ちゃんと議論したい、と思った。

・・・政治系は私の不得意分野なのでよく分からない話になってしまった(推論が飛びすぎ?)・・・
まあいいや。

今日のボストンは、よく晴れて、もう紅葉がきれい。

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ノーベル平和賞はオバマ大統領への援護射撃

2009-10-11 22:35:23 | 7. その他ビジネス・社会

結局、今回のノーベル賞の中で、一番驚きだったのはこの平和賞だったんじゃないか。
経済学賞の発表はまだだけど、この平和賞の驚きを超えることは無いように思う。

アメリカでもこれは賛否両論の嵐。(メディアはわりとビバ・オバマだけど)
「経済政策だけでなく、イラクからの撤退だって何も成し遂げてないのに、まだ早いでしょ」という論者はアメリカにも多い。
けれど、ノーベル平和賞の意味をじっくり考えると、タイミングは今しかないんじゃないか、と私は思う。

今回、オバマ大統領が何故平和賞に選ばれたか、という理由は色々あると思うが、
その中でも、次の二つが特に重要だと私は思っている。

1) オバマ大統領へのプレッシャー

結局ノーベル財団は、米国の軍需産業とのつながりが少ないオバマ大統領に、アメリカの起こす戦争・紛争の減少と軍備縮小を本当に実現することを期待しているのだろう。
で、平和賞は「それを必ず成し遂げるように」というメッセージなのだ。

日本のメディアでどれだけ放送されてるか知らないが、アフガンやイラクではいまだにすさまじいテロが起こり、それを多国籍軍が攻撃し、ということがしょっちゅう行われている。
これだって、アメリカがそこにいるからそうなってるわけだ。
早く撤退してくれれば、この地域にも平和が戻ってくるだろう。

「イラクからの撤退」は彼の大統領になる前の公約だった。
しかしながら、やはり軍部の大きな反対と妨害に会い、撤退期限は2010年夏(実質的には2011年)まで引き延ばされた。
今後さらに引き伸ばされる可能性も大きい。

でも、ノーベル賞もらったら、やらざるを得ないでしょう。
絶対に。

彼が大統領に就任してから言い出した「核廃絶」だって、これで本気で取り組まざるを得なくなる。
廃絶は彼の任期では不可能としても、縮小に向けて動き出さざるをえなくなるでしょう。

2) オバマ大統領への援護射撃

ノーベル平和賞には、「政治的に消されかねない人に平和賞を贈ることで、守る」という意味合いがあるらしい。
世界中がその人を支持していることを示し、反対派を牽制する。
ゴルバチョフ大統領やアウン・サン・スー・チーなどがその例だといわれている。

オバマ大統領については、大統領になる前に「本当に大統領になれるか(なる前に暗殺されないか)」と心配されていた。
が、就任した後だって暗殺されるリスクは何も減っていない。
現状では「何も成し遂げていない」から、暗殺する理由は無いが、
これから彼が本気でイラクから撤退し、軍備縮小などに手をつけ始めたら、暗殺リスクは高まるだろう。
アメリカの巨大な軍需産業をなめちゃいけない。

この平和賞がなければ、核縮小なんていうに及ばず、イラク撤退すら実現させられないかもしれない。
そう考えると、彼に今平和賞を送るのは、イラク撤退・軍備縮小を実現する援護射撃として最も適当と言えるんじゃないか。

そういうわけで、私はオバマのノーベル賞受賞を素直に応援したいと思ってます。
ていうか、もうこの国に「世界の乱暴者」として全ての紛争源になった上で、それを正当化する動きを本当にやめて欲しい。
オバマには頑張っていただかないと。

他のノーベル賞関連の記事はこちら。

ノーベル物理学賞-「光」なのに日本人がいないのは納得いかない
ノーベル化学賞-リボソーム。本当に氷山の一角しかもらえないんだね・・・

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ノーベル化学賞-リボソーム。本当に氷山の一角しかもらえないんだね・・・

2009-10-08 11:46:14 | 7. その他ビジネス・社会

今日は朝9時から夕方6時までフルに授業がある日で、やはり病み上がりにはこたえる。
MBAの授業は、ただ座ってりゃいい、というものではなく、隙を見つけてなんらか発言するなどしてクラスに貢献しなくてはならない。
今日みたいに体調が万全ではないと、初めて学校というものに行った小学1年生みたいに消耗する。

さて、ノーベル化学賞なんだけど、今回はリボソームの構造と機能を明らかにした功績で3人に贈られた。

リボソームってのは、生物の細胞の中にある組織で、タンパク質を合成している。
生命の設計図ともいえるDNAは、細胞の中心にある「核」の中に守られていて、外に出てくることは無い。
その代わり、その情報はRNAと呼ばれる短いものにコピーされて、そのRNAが細胞内を移動する。
(RNAもいろんな種類があって、いくつもコピーが出来るのだが、ここでははしょる)
リボソームってのは、そのRNAの情報を読み取って、アミノ酸を組み合わせてタンパク質を合成している。

これは、個人的には感慨な賞だった。

私は小学生くらいのときは、生物学者になりたいと思っていて、いつも顕微鏡をのぞいている変な子だった。
当時(1980年代後半)は、まだこの「リボソーム」の仕組みってのは良く分かってなかった。
どうやら、タンパク質を作っているらしい、ということくらいはわかっていた。
でも、どうやってタンパク質を合成しているのか、も含め、詳しいことは何も分かってなかったのだ。
(まあ、分かってたのかも知れないが、子供が読むような図鑑とか雑誌には書いていなかった)

しかし、図鑑にでかでかと、リボソームが電子顕微鏡でどう見えるか、がカラーで載っている。
そして、図鑑には「リボソームが何をしているかはまだよくわかっていない」と書いてある。
(たしか学研の図鑑だった)

まだ子供だから、「リボソームの構造を解明したい」なんて高級なことは思わなかったけど、
子供用の顕微鏡じゃ見れるわけが無い、けれど図鑑には載ってる「リボソーム」を一度は見てみたい、と思った。

時は流れる。

私の高校の生物の先生は、かなりラディカルな人で、高校1年生相手に、当時出たばかりの「The Cell」の日本語版(「細胞の分子生物学」)を使って教える人だった。
(何がすごいって、この本、大学の生物学専攻の3年生くらいが読む本なんですよ)

この頃には、RNAがどうやって遺伝情報を伝えるか、その情報をリボソームがどのような仕組みでタンパク質へと転換しているか、ということはかなりのことが分かっていた。
細胞の分子生物学は、この辺りの最先端がカバーされていたのだ。
先生に言って、この本を借りて、夢中になって読んだのを覚えている。
分からないところも沢山あったが、日本語が難しいわけではないので、高校生でも何が書いてあるかは分かる。

ただ、これでも、当時はまだ、リボソームがどのような立体構造をしていて、
具体的に、どの部分にどのようにRNAが挟まって、
どういう経緯で積み木のようなアミノ酸を集めてタンパク質を作るか、というレベルまではわかっていなかったのだ。
「細胞の分子生物学」には、何が分かってないか、ということもちゃんと書いてあり、「ああ研究者はこういうことを研究するのか」と、高校生ながらに思った。

そして2000年に、ついに(物理学の力も借りて)そのリボソームの立体構造が明らかになり、リボソームの機能が事細かにわかったのだった。
今回のノーベル賞はそれを明らかにした、複数のチームのヘッドたちに送られている。
ひとつのチームじゃなくて、複数のチームのヘッドにそれぞれ送られている、というのがポイント。

リボソームは大きい。
「小さいだろ!」って突っ込まれそうだけど、分子レベルでみるととてつもなく大きいんです。
とてもじゃないけど、一人の研究者やひとつの研究チームで追える量じゃない。
この構造解析にも、大学院生なんかもいれれば、何百人もの人が関わっていることだろう。
その中の、重要な部分の解析に携わった一部のチームの、リーダーの教授だけが受賞しているというわけ。

ポスドクとか、院生でも、重要な寄与をしている人もすごく多いと想像するけどね。
まあもらえるのは、リーダーだけです。
世の中そんなものです。

昨日の光ファイバーにしてもそうだけど、ノーベル賞をもらえるのは、本当に氷山の一角なんですよね。
その下に、本当に沢山の科学者や、それを支えるアシスタントの人たちがいる。
昔の研究は、キュリー夫人みたいに、夫妻で出来ちゃった!、って感じだったかもしれないけど、現在の科学研究においては、一部の分野を除き、そんなとこ、ほぼないです。

それに、私が小学生のときに読んだ図鑑とか、「細胞の分子生物学」の初期の版に書いてあるようなことを、発見した人たちも沢山いるわけだ。
それだって、相当な発見だとおもうけれど、その人たちが受賞することはもう無いわけで・・・

リボソームについて詳しく知りたい人は、まずはWikipediaを。
それでも飽き足らない人は、図書館とかで「細胞の分子生物学」を探して読んでください。
大人買いしてもいいけど(1万円だし)、2001年ころの本なので、ちょっと内容が古い。
しかし、人間がどのような免疫構造や遺伝子構造で生きているのか、ということを理解するにはすごく面白い本だと思います。

この後、生化学というのは、もっといろんなことが分かってきて、とてもじゃないけど、こんな一冊の本ではカバーできないほどになってしまったのだ。
だから、もう新しい版は出ていない・・・

それにしても、最近生化学での受賞多すぎじゃない?
有機化学とか、分析化学とかやってる人たちは、きっと不満なのかなあ、と思ったりする。
まあそれだけ生化学人口が多いから、仕方が無いのでしょうが。

細胞の分子生物学
Bruce Alberts
ニュートンプレス

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←ちなみにリボソームは英語では、「ライボソウム」と発音します。リボソームじゃ通じない。クリックで投票お願いします。


ノーベル物理学賞-「光」なのに日本人がいないのは納得いかない

2009-10-07 08:16:07 | 7. その他ビジネス・社会

毎年楽しみにしているこの一週間。(といっても最初の3日だけだが)
昨日はついに物理学賞の発表

今年の受賞者は、「光」の分野で貢献した人たちに贈られた、ということでした。
CCDを世界で始めて作った元ベル研究所のボイルとスミス。
それから、光ファイバの長距離化を可能にして、実用化の鍵を担ったカオ博士。

CCDは、デジタルカメラの原理になっているもので、おおざっぱに言うと、光を受けて、それを電気信号に変えるデバイス。
(ちなみにCCDを初めて商品化したのはソニーのデジタルカメラですね。)
光ファイバーは、もう日本人にはインターネットなどでおなじみだけど、光の信号を何千メートルも中継点無しで伝えることが出来る技術。

さて、光ファイバについて、日本のメディアは「東北大学の西澤教授が受賞しなかったのは何故だ」と騒いでいるが、
私に言わせれば今回のノーベル賞の問題はそこではない。

まず、「光」関係の物質や通信分野では日本人が相当貢献しているのに、「光」のノーベル賞が日本人無しで終わらされてしまったこと。
「光」なんてマイナー分野なので、こうなっちゃうと、貢献した日本人たちが「光」で受賞できるのが、ずっと
先になってしまうこと。
(最低4年先、恐らく10年先)
これが、日本としては大きな問題のように思う。

「光」の物理学全体での日本人の貢献は大きい。
光ファイバー、半導体レーザー、発光ダイオード・・・どれを取っても日本人が活躍していない分野は無い。
ノーベル賞受賞をうわさされる人も少なくない。

まず、今回も話題になった西澤潤一
彼は、光ファイバーだけじゃなく、半導体レーザーを発明したり、発光ダイオードの赤と緑を作ったのもこの人だ。
それから、もう亡くなったけど、ベル研究所にいた林巌雄
半導体レーザーを実用化に漕ぎ着けたのは彼だ。
ノーベル賞候補レベルでいうと、もう一人は中村修二か。
おなじみだけど、青色発光ダイオード、青色半導体レーザ発見の立役者。

他にも個人では「ノーベル賞受賞」までは行かないが、これらの光技術の実現に貢献してきた日本人が沢山いる。
ご存じない人は、Wikipediaの光ファイバー半導体レーザの項を読んでみれば、そこにどれだけ日本人の名前が出てくるかに驚くと思う。
現代の通信技術、工業技術を支える「光」の分野の発展は、日本人の活躍無しには、成し遂げられなかったはずなのだ。

それなのに、何故「光」のノーベル賞を日本人無しでやる?
というのが、私の正直な感想だった。

ノーベル物理学賞の対象になる分野は山ほどある。
余り偏りすぎると、別の分野から文句が出るので、いろんな分野が交代でもらうようになっている。

だから、こうやって「光」で一度受賞してしまうと、次に半導体レーザーとか発光ダイオードがやってくる(ここは確実に日本人が受賞する)のがだいぶ先になってしまうじゃないか!

そもそも「光」なんて分野、物理全体では小さいから、なかなかもらえないのだ。
だったら、半導体レーザなど日本人が絶対にもらえる分野を対象にすべきだったのでは?

それなのに日本人を外した、外れる分野での表彰になった、と言うのが第一の問題。

もうひとつ、皆の納得感という意味でも、今回のカオ博士の受賞は問題。
光ファイバーは、重要な貢献者が沢山いて、「誰が決定的な立役者」と決めるのが非常に難しい。
そうすると、光ファイバーだけではなく、半導体レーザーやダイオードなど光の全ての分野で活躍している、西澤先生にノーベル賞をあげるのが、公平かつ良く考えられた大人の判断じゃないのか、と思うのである。

恐らくベル研究所とかも「実用化にはウチが相当貢献した」と思っているに違いない。
しかし、西澤先生がもらえば、「まあ西澤先生は、業績は光ファイバーだけじゃなく多岐にわたるし、納得感あるよね」となり、皆が平和になるのだ。

しかし、この皆が思っている「この人が先だよね」という順番を平気で覆し、皆の平和を壊すのがノーベル賞の常である。
仕方なし。

ここで光ファイバーの歴史を振り返る。(参考:Wikipedia +α)

一本のガラスファイバーで光ファイバーを作ることが原理的に可能だ、ということを言い出したのは西澤先生で、初期の重要な貢献をしている。
その後、世界中でみんなが光ファイバーを作り始めたが、短距離しか光が伝わらない。
「なんだやっぱりダメじゃん」と思っているところに、このカオ博士の論文が出る。
それを元にコーニング社が長距離の光ファイバーを実現した、と言う経緯。

ただしこのとき「実現した」とコーニングが主張したものは、実際には実用にはほど遠かった。
その後、ベル研究所や日本のNTT研究所の研究により、最終的に実現に至る。

かなりはしょったけど、他にも重要な貢献をしている人はたくさんいるし(日本人もたくさんいる)、
一番エライのは、最終的に光ファイバを実現させたNTTの研究者じゃないか、と思ったりもする。

カオ博士が受賞したと言うことは、西澤先生がノミネートに上がっていたことは間違えないのだ。
「光」の分野では、一応彼が世界的に最も有名なわけだから
ということは、今後、もっと彼の重要な業績である半導体レーザと発光ダイオードで、彼に授与するつもりだったんだろうか・・・
謎。

まあ・・・
毎年のことながら、ノーベル賞はよくわからん。
今回の受賞の片割れであるCCDも、実現したのは1970年のこと。
それから39年も経っての受賞ですよ・・・長生き競争だと言われる所以。

西澤先生(現在83歳)にはとにかく長生きしてもらうしかないです。

←再来年のノーベル賞はアハラノフ+ベリー+外村さんで行くといいね!クリックで投票お願いします。


技術者が金儲けして何が悪い?-頭脳流出のススメ

2009-09-28 06:40:16 | 7. その他ビジネス・社会

Tech-Onの記事「だから技術者は報われない」を読んだ。
日本企業で「ものづくり」に関わる優秀なエンジニアが、安い給料で働かされ、しかも「好きなことやってるんだから、給料安くても仕方ない」と思わされてること。

この手の記事を読んでいると、私はいつも思う。
「技術者がお金を儲けて、何が悪い?」

別に金儲けを人生の目的にしろ、と言ってるんじゃない。
自分のスキルや仕事の成果に対して、相当の対価をもらうのはグローバルスタンダードだ。
それを、恥ずかしいことだなんて思わないでほしい。

だって日本の技術者はこんなに素晴らしい技術力を持ち、シリコンバレーのアメリカ人エンジニアなんかより、よっぽど真面目で、いつも遅くまで働いて・・・。
それなのに何でこんなに給料も安く、待遇も悪く、さらに皆それに甘んじているのか、と思うと、ものすごく腹が立つ。

私は、報われない日本の優秀な技術者は、こんな国でイジイジしてないで、
是非、シリコンバレーなどにある米国メーカーや、同じ能力でももっとお金がもらえる新興国のメーカーへ転職して、活躍したら良いのではないか、と勝手に思っている。
特に、転職しやすい若いときに気が付くのは重要だ。

渡辺千賀さんの「海外で勉強して働こう」の記事が、大反響を呼んだが、あれはエンジニアに関しては特にそうだ。
実際、千賀さんは日本のエンジニアは米国など海外で働いたほうが良い、と常々記事でも言っていて、どうやってエンジニアが海外に転職するかについて、具体的かつ論理的に方法論を書いている。

私は日本の将来と優秀な日本人のエンジニアの将来を真剣に憂いて、こんなことを書いている。

私が何故、優秀なエンジニアは米国などに頭脳流出したほうがいいのではないか、と思ってるかというと理由は3つ。

最初の二つはエンジニア個人の視点から。

1) 日本の技術者は、実際、給与的にアメリカの技術者より冷遇されている

2) (特にソフトウェア分野)日本企業の独自の技術やコードを色々学んでも、ガラパゴス技術に過ぎなかったりして、他でつぶしが利かない。
アメリカ企業は「独自のコードを作る」とかいう非効率はもうやってない(昔はそういうこともあった。IBMとか)ので、そういう悲劇は相対的に少ない

まず1)だが、日本の技術者って、年間にいくらもらってるのか?
このサイトによると、平均年収700~800万円。高度な技術を持ちながら300~400万ってところも多い。
このサイトによると、多くの人が400~500万。超大手だと800~1000万に達するらしい。

技術者といってもいろんな業種・分野・レベルがあって一概には言えないが、だいたいこのくらいか。

じゃあ、アメリカのエンジニアっていくらもらっているのか?
それなりの大学を卒業し、(移民で、学校のボイラーエンジニアやってます、とかいうのではなく)
シリコンバレーとかでIT技術者として働いてる、などの人がどのくらいもらってるのかを知りたい。

こんなページがありました。これによると、一流IT企業だけですが、
MicrosoftのSoftware development engineer $65K-$145K (650万~1450万円)
Yahoo!のSoftware engineer $70K-$150K(700万~1500万円)
GoogleのSoftware engineer $50K-$150K (500万~1500万円)

一流企業どおしで比べても、日本の1000万と比べてずっと高いね。
更に低い人(恐らく新卒)でも、500万とか650万とかもらってるっていうのが衝撃だ。

中小企業はどうか?
真面目なデータが無くて恐縮だが、例えばMBAで、スタートアップ出身の人たちに聞くと、修士終了後の初任給で500万、多いと700万はもらえるようだ。
Googleの初任給と実はさほど変わらない。
で、実績を認められれば、昇進して、年間100万くらいの単位で給料が上がっていく。
特に優秀なエンジニアは、給料をたくさん上げないと、他社に逃げていってしまうから、かなり高い給料をもらっている。

さらに驚きの資料を発見。
2008年のMIT卒業生の新卒時の給料の平均

それによると、卒業時の初任給はこんな感じ(2ページ目)。

                                                     Base salary        Bonus
SB(学士)                                      $        65,655   $     10,187 
MEng(工学部修士)                        $        85,830   $     15,269 
SM(修士)                                     $        79,570   $     12,188 
MBA                                             $      117,906   $     33,029 
PhDs Going Into Acad. Post-Docs  $        44,370   $       2,143 
PhDs Going Into Ind Post-Docs       $        89,720   $       6,000 
PhDs Going Into Industry                $      106,469   $     19,622 
PhDs Going Into Academia             $      101,857   $     15,667

工学部修士を出ると、新卒で、平均で86,000ドル(約860万円-100円換算)も基本給がもらえるらしい。
ボーナスを入れると10万ドルだ(約1000万)。
更に博士を卒業して、企業に勤めると、平均で106,000ドル(約1060万)の基本給に、ボーナスが2万ドル(約200万円)も付くらしい。

すごいね。
日本の技術者が生涯かけてやっと到達する年収に、MITの卒業生は、卒業後すぐに到達するんだそうです。

もちろん、この統計はアンケートベースなので、給料が高い人だけがアンケートに答え、実際より高く出ている可能性がある。
(と思って、MBA(MIT Sloan)が出しているくまなくサーベイした結果と比べると、平均が
$111,184なので、上の統計のほうが7000ドル(70万)ほど高めに出ている。
まあ、1割くらいはさっぴいて考えてもいいだろう。)

それにエンジニアの大学・MITといえども、エンジニアだけでなく、一般的に給料の高いバイオ系・製薬系や、投資銀行に行って高めの給料をもらう人も含まれている。
また、MITは一流大学だから特別で、普通の大学はそんなにもらってないんじゃないか?というのも正しい。

それでも、日本で例えば東大・京大卒の理系の人が、修士終了後平均900万もらってるか(1割さっぴいた)?
んなわけないでしょう。

日本じゃコツコツ勉強して、受験戦争に勝ち抜いて、一番の最高学府に行ったって、修士で平均初任給(ボーナス込み)900万なんて絶対にもらえないわけ。
もちろんアメリカは健康保険高いし(年間100万とか)、家賃補助とかもない。
でも、この数字はそういうのをさっぴいても驚きではないか?

長くなったが、アメリカの理系の給与水準って日本よりずっと高い、ということがわかると思う。
別に「金儲けをしろ」とかいうレベルじゃなく、ここまで差が出ると、日本の給与水準ってちょっと安すぎるんじゃないか、って思いません?

如何に、安く囲い込まれてるかってことですよ。
理系だと、好きなことを仕事にしてるから、給料が安くても仕方ない、って思う人が多いんだと思う。
好きなことを仕事にするのはいい、でもお金もちゃんともらってほしい。
だってアメリカ人に比べてエンジニアの技術力が低いわけじゃないでしょう?
その上、あんなに一生懸命で、夜中まで真面目にこつこつ働いてるのに。
やっぱおかしいって。

渡辺千賀さんが書くように「海外で勉強して働こう」ってことになるのは当然じゃないか?

2)のつぶしがきかない問題については、特にIT分野ではよく言われている。
最初に配属された部門が、たまたまLinuxとかネットワーク分野とか、世界で通用する技術なら良いが、
いわゆる「組み込みソフトウェア」とかに配属され、そこでその企業でしか使われない特殊なコードを習得しても、他でつぶしが利かない。
日本の精細な半導体プロセス技術なんかも同じく、ガラパゴス技術かもしれない。
掲題の記事に取り上げられているように、会社の方針で、その技術をやらなくなってしまうと、行き場がなくなってしまうのだ。

だから、エンジニア個人の視点で考えると、若いエンジニアは「海外で勉強して働く」方が得をするんじゃないか、ということになってしまう。

3番目は企業からの理由。

3) 日本企業が、今後国際的に競争力を持つためには、一時的に痛みを覚えてでも、「優秀な技術者は優遇しないと来てくれない」ということを思い知る必要がある

私が「技術者よ外に出よ」なんてことを書くのは、優秀な技術者を安く囲い込んでいる日本企業につぶれて欲しいと思ってるからではない。
むしろ、日本企業が、これからも本当に国際的に競争力を持つためには、優秀な技術者に高い給料を払い、かつ効率的に研究開発を進めていく必要性を認識してほしいと思っている。

実際、海外進出をしている一部の日本企業はこの問題にすでに直面している。
R&Dオフショアリング、といって、研究開発部門を米国や中国など新興国に移す日本企業が増えている。
なぜなら、海外での売上が重要になってるので、その国の市場向けに、その国の技術者を採用するのは急務になってきている。
それに日本も少子化で、技術者自体、数が減ってきており、今の事業規模を維持するには、海外で技術者採用するしかない、という声も聞かれる。

しかし、ここで、日本国内と同じ給与体系を維持しようとすると、(中国ですら!)全く優秀なエンジニアが確保できないという問題に多くの企業が直面している。
または、卒業時には来てくれても、2,3年たって漸く技術が身についたところで、給料が高い外資系メーカーに逃げていくとかね。
そうすると、海外では日本より給与水準を高くして、優秀な技術者を保持するか、給与水準は変えられないので二流の技術者で我慢するか、どちらかしかない。
 

結局、日本のコスト競争力は、「給料は安くても優秀で真面目に働く日本人」に支えられてきた部分も大きいが、グローバル化に伴い、このモデルは通用しなくなっている、ということだ。

日本が今後もグローバル化を進め、海外市場でも成長していくためには、「優秀で、給料は安いのに、真面目に働く人たち」に頼らないコスト構造の強化が本当に必要になる、と思う。

それに(ここが大事)一人当たりの給料が高くなれば、無駄な仕事が減る(減らさざるを得ない)わけで、
「外資のメーカーが10人の精鋭で開発してるのを、日本のメーカーは50人のチーム
で開発してる」
みたいな非効率も解消されていくと思うのだ。

もちろん、「痛みを伴う」って一言で言うけど、実際には大変なことだ。
出来るだけ痛くないようにシフトするにはどうすればよいか、は考える必要がある。

でもね、こういうことも、エンジニアであるあなたが、まず海外に頭脳流出してくれないと、みんな真剣に考えないんですよ。

だから。
手遅れになるまえに、優秀な技術者が「ちゃんと世界的に当たり前の給料で待遇されたい」と考え、
頭脳流出してくれることが、ひいては日本企業の強化にもつながり、技術者の地位向上にもつながる、と私は思っている。

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