宝筐院を出て幹線道路と言っても、タクシーが一台通れるくらいの道幅の
道路を少し行くと厭離庵に。
立て看板がなければ見過ごすくらいの路地の奥に静かに建てられていた。
藤原定家が住んだ山荘で、小倉百人一首を編纂した所だそうだ。
モミジがたくさん植えられていて、色づいたら茅葺の屋根とのつり合いが
美しいだろうが一週間早かった。
道路を少し行くと厭離庵に。
立て看板がなければ見過ごすくらいの路地の奥に静かに建てられていた。
藤原定家が住んだ山荘で、小倉百人一首を編纂した所だそうだ。
モミジがたくさん植えられていて、色づいたら茅葺の屋根とのつり合いが
美しいだろうが一週間早かった。