旅が好きです

旅行や身の回りでの出来事をデジカメでパチパチ撮って・・・。

韮山反射炉

2014年07月05日 | Weblog
反射炉は、本体だけでなく周辺には、炭置き小屋・鍛冶小屋・錐台小屋・細工小屋などさまざまな建物があり、それぞれが大砲生産の工程を担っていたようだ。
これらのことから、関係者は「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産の登録を目指して運動している。

    

    

    

    

    

   

韮山反射炉

2014年07月04日 | Weblog
17・18世紀ヨーロッパで発達した、金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉。
石炭などを燃料として発生させた炎と熱を炉内の天井で反射して、集中させることによって鉄を溶かす千数百度の高温を出す。
天保11年のアヘン戦争を契機に、日本では諸国に対抗するための軍事力強化が大きな課題となった。
江川英龍は、西洋砲術の導入・鉄製大砲の生産・海軍の創設などを幕府に進言した。
このうち、鉄製砲を鋳造するために必要とされたのが反射炉であった。
嘉永6年ペリー艦隊の来航により、江戸幕府は江川英龍を責任者として、反射炉と品川台場の築造が決定された。
反射炉は当初は伊豆の下田に造られる予定で、基礎工事なども行われた。然し安政元年急遽韮山に変更になった。
韮山での反射炉築営は順調には進まず、江川英龍は完成を見ることなく安政2年世を去った。
跡を継いた息子の英敏が築造を進めて、安政4年(1857年)双連2基4炉の韮山反射炉を完成させた。

    

    

    

    

    

願成就院

2014年07月03日 | Weblog
源頼朝の奥州攻め戦勝祈願のために、北条時政が建立した北条氏の氏寺。
寺に祀られている阿弥陀如来像・毘沙門天像・不動明王像・矜羯羅童子像・制多迦童子像の五体の中には五輪塔婆形の銘札が入っている。
銘札には1,186年(文治2年)この寺の開基である北条時政公の発願で、運慶が謹作した仏像であることがはっきりと記されている。
いずれも国宝だが特に毘沙門天像と不動明王像が素晴らしく感じる。
ほかにも政子地蔵菩薩像や、時政が45歳の時の像などを見ることができる。

    

    

    

    

    

    

北条政子

2014年07月02日 | Weblog
鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の本拠地。
北条時政や源頼朝が活躍した頃の館跡近くに、北条政子産湯の井戸がある。
今は住宅街の一角になってポツンと残されている。

    

    

    

    

    

蛭ヶ島

2014年07月01日 | Weblog
昨日は伊豆の国市の韮山方面をブラブラして来た。

1,160年(永暦元年)伊豆に流罪となった源頼朝が、34歳までの20年間過ごした場所とされる。

    

    

    

公園に頼朝には関係ないが、今は見ることの少ない古民家が移築されていた。