愛しのエトワール

うたのおねえさん、はいだしょうこさんを全力でとことん気の済むまで応援する日々を綴るブログです。

博物館

2014-10-14 | 日記
10月13日(月祝)
台風の関西接近は夕方らしいので出掛けました。

南海に乗って大阪狭山駅へ。出掛けるときは雨降ってたけど止んでるわ。

JRは夕方から在来線全線で運転休止らしいけど。南海は強いから大丈夫だろう。

SAYAKAホール。2012年2月、はいだしょうこさんのファンタジーがここでありました。
今日はオーケストラを聴くために行ったんやけど。当日券で入るつもりが、予想外の完売。
台風でガラガラになるんちゃうかなと思ってたんだけどなあ。

まあええわ。ほかにも行きたいところはある。

歩いてすぐのところにある狭山池。

日本最古のダム式のため池である。
周囲は遊歩道になっていて散歩にはいいところ。台風が来るので誰もいない。

大阪府立狭山池博物館。
典型的なハコモノ施設として大阪では知られている。一度、行ってみたかったんや。

なかなか入口にたどりつけない。相当大きな施設である。
これだけの施設に展示してるのが狭山池の歴史に関するものだけというのも驚きである。

入館無料。たぶん有料にすると誰も行かないからだと思う。
画像はメイン展示のひとつの実物大の堤の断面。高さ15.4m、幅62m。

発掘された木製の樋もそのまま展示。
私は狭山池は行基(奈良時代)が作ったもんだと思ってたけど間違いだった。
発掘された樋の年代を測定すると616年に伐採された木材が使われてたそうだ。
つまり、飛鳥時代の推古天皇の頃ということである。
当時は摂政である聖徳太子による施政で大陸や半島の文化や技術が積極的に取り入れられていた。
狭山池は最先端の土木技術を駆使した一大国家プロジェクトであることが展示によりわかるようになっている。
(以下略)
私には非常に興味深い内容だった。2時間くらい見てたけど、時間が足りなかった。

天候のせいもあるが、入館者は私のほか2,3人であった。
立派な施設はあるに越したことはないが、世の中には費用対効果という考え方がある。
5時閉館。いよいよ台風が近づいたようで外は雨が強くなっていた。
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自然の中へ

2014-10-14 | 日記
はいだしょうこさんのブログより
「身体いっぱいに、いい空気を入れようと、緑の中にきています
  少しの時間でも、こうゆー時間があると、本当にありがたい。。。
  自分を見つめ直すことができるから。。。」

写真はどこかのダム湖のように見えます。
ダム→くろよん→プロジェクトX→アドベンチャー
つまり、はいだしょうこさんはアドベンチャーが趣味ということになります。
そうじゃないかと前々から思ってたんだ。

10月12日(日)
台風は明日の予報なので、今日はまだいい天気です。
ゆるすぎでアドベンチャーとは言えないですが、いつものあれに行ってきました。

奈良県葛城市の近鉄尺土駅からスタートして山越えで大阪府太子町に下りるコース。
今日は行くのが遅かったので受付最終でのスタートになった。
遅いと撤収スタッフが迫ってくるから本当は早くスタートするほうがいいんだけどな。

あの山を越える。
岩橋峠ルート崩落のため、今日は平石峠ルートに変更になっている。

飛鳥時代に整備された日本最古の官道である竹内(たけのうち)街道を歩く。
難波まで続いている。この道を通って多くの大陸文化が飛鳥にもたらされた。

歩いてるのは旧當麻町になる。中将姫伝説の當麻寺(たいまでら)、二上山、牡丹の花をデザイン。

芭蕉旧跡の綿弓塚(1809年)。1684年に芭蕉はこの地を訪れ當麻寺を参拝した。
「綿弓や 琵琶になぐさむ 竹の奥」(野ざらし紀行)

竹内街道から離れ平石峠越えに入る。

平石峠で金剛山系の縦走路ダイヤモンドトレール(ダイトレ)に合流。
そのまま峠を下ると河南町平石の集落に至る。前に高貴寺に行ったときに歩いた。
画像左の階段を登っていくとダイトレを南に向かい大和葛城山の方向になる。
今回のコースは北の竹内峠方向へ歩く。

ダイトレから外れ遊歩道南今池線に入り下山を始める。
昼飯どきなんだが、昼食ポイントらしいところもないのでそのまま歩く。

道端にマムシグサの実がなっていた。食べられません。

だいぶ下りてきた。大阪府太子町になる。

科長(しなが)神社。風の神である級長津彦命(しなつひこのみこと)を祀る。

神社の横にある長い石段を登ると。

小野妹子の墓。中は小山のような塚になっていた。
607年、聖徳太子は隋に外交使節である遣隋使を派遣する。
「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」だったね。
これによって、日本は隋と対等であると宣言したことにもなるんだ。

「和を以って貴しと為す」。604年、聖徳太子は十七条の憲法を制定す。
太子町のマンホールは、二上山を背景に叡福寺の塔とサツキのデザインとなっている。

叡福寺(上の太子)。奥が聖徳太子の御廟である。

このあたりは磯長(しなが)というところ。近辺には用明、推古天皇陵もある。
宮内庁の立て札には「推古天皇皇太子聖徳太子磯長墓」と書かれていた。

ゴールの近鉄・上ノ太子駅。
本日の踏破距離約12キロ。時間4時間半。
後ろから撤収スタッフが迫っていてちょっとあわただしかった。
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