どこかのだれかの日記

主に岡山と兵庫の鉱山や廃墟、遺構、坑道探索と雑記。

吉永地区の鉱山について その2

2021-08-16 20:28:52 | 鉱物採集 岡山
樫については前回の内容となりますので、他鉱山について記述します。

倉吉・脇谷・脇谷2・銅山1・銅山2・硫化鉱山・和意谷
郡倉・鉱盛・樫・和気・三国・鉛鉱山
角倉・門出・南谷

上から順に追っていきます。

倉吉は銀山で、大正7年頃に採掘していたが、極めて小規模であった。
付近は石英斑岩があったが非常に小さな物だったと思われる。
一部に石英脈はあるものの他に目立つものはなかった。
山の一部には1~2㎝の石英脈が多数走っているのも確認できた。

脇谷は樋が見えるのでご存じの方も多いと思われる。
付近には多数の銅を含む脈があったようだが、非常に貧弱である。
坑道の中の竪坑部分は外部と繋がっていて一部貫通している場所がある。
ズリもあるが非常に貧弱で見栄えはしない。

脇谷2は硫化を含む物が多いが、露頭から脈を追い谷を作るほど採掘している。
樫の中でも2番3番に入る程大きな鉱山である。
他に3個程坑道掘りして中には竪坑もあるが、主力は露頭である。
30㎝程度の石英脈が数多走っており、石英の塊が散らかっている。
石英脈中に晶洞はほとんど存在しないため、水晶などは採集負荷である。

銅山1は昭和初めに残務処理していた鉱山で非常に貧弱である。
特に見るものもない。

銅山2についても昭和初めには残務処理していたような鉱山である。
銅山1と銅山2は同じ脈を追ったものと考えられるが詳細は不明である。
採掘時期は大正以前で明治まで遡る可能性が高い。

硫化鉱山は極々小規模で、道べりに存在していて坑道については埋没している。
近くに試掘の跡も存在している。
柵原鉱山のような硫化にソックリである。
ズリは広げられているが、見栄えのする物は無い。
個人的には品位はイイと感じられるが、なぜ採掘をやめてしまったのか疑問である。

和意谷は金山で規模は小規模である。
私のブログでも何度も記事にしているが、この近辺では日笠・伊里中に次ぐ金山である。
ズリはそれほどないのがネックであるが、坑道掘りと竪堀、露頭掘りを行って採掘していた。
付近には試掘坑や試掘跡がいくつか残っている。
坑道20mほどで、坑道に入ってすぐ竪坑で下に掘り進んでいる。
これが主力の脈であったと考えられる。
樫・和意谷どちらとも山が低すぎるが故に埋蔵量については考えるまでもなかったと思われる。

郡倉と鉱盛は書物によって名前が変わっている。
私のブログでは鉱盛を銅山・郡倉は貧弱な鉱山として考える。

鉱盛はそれなりに採掘された鉱山で、樫・和気・脇谷2・に次ぐ量の鉱山と考えられる。
山中に大きな採掘跡跡があり脈の大きさも問題なかったと思われる。
他にも複数の脈を追いかけていたようで坑道が2~3個存在する。
ズリの量も多く、メインは黄銅鉱で品位はボチボチ良かったと思われる。
平地の場所があり、飯場・小屋・職場があったことも伺えた。

郡倉については書物にはほぼ存在しておらず、ここであろうという場所のみ見つける事ができた。
採掘していたかのような痕跡のみが存在しており、ズリなどは見つけられなかった。
道中遺構のようなものがポツポツとあるので概ね間違いではないかと思う。



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