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「江戸の武士」  ”武士の一生”   5

2009年09月19日 10時51分00秒 | ビンちゃん

  武士の一生

武士の一生と云ってもさまざまなクラス、生まれた環境や資質によっても人生は

かなり違ったものになった様です。

ここでは町奉行所の<与力>禄高150石についての一生。

八丁掘りに250~300坪の敷地をかし与えられ間取りは6~7DK程、使用人は7~8

位。武家の子供は6~7才になると勉強の為に私塾に通い始める。町人は寺子屋。

私塾では四書五経の素読のほか武士としての礼儀作法を学び、男の子なら武術を

学ぶ為道場みも通った。こうして男の子は15才前後で元服する。垂らしていた前髪

を落とし、月代を剃り、成人の仲間入りをする。

15才で与力見習いとして、奉行所に勤務しはじめる。

最初は無給の[無足見習]、→[見習]になると毎月給金がもらえた。

武家の結婚は親同士が家と家との釣り合いをみながら勝手に話を進めてしまう。

親同士で話がまとまると、双方の家から上役に願いを出し許可をもらって結婚と

なる。式当日に顔を合わせる例もあった。子供を授かり平穏な日々を送っていく。

親が死亡して子供が跡を相続するのが[跡目相続]。

親が隠居して相続するのが[家督(隠居)相続]。

相続で受け継がれたのは家督(家禄)と家名。

親が現役の時はその子供が公職につく事はまれで、親が死ぬか隠居するかして、

やっと引き継ぐ事が出来、本務めになる。

吟味方等の有力な与力は付け届くもかなりあったが、同心や岡っ引きなどの面倒を

みなければならず、何かと物入りでしたがまだ他の武士よりは裕福でした。

付け届けは、いわゆる賄賂の様なものですが当時の慣習であり、本人達は悪い事だ

とは思っていなかった様です。

その後成長した息子に家督をゆずって隠居し穏やかな老後生活をおくり、60才で

この世を去るというのが禄高150石程度の平均的な当たり前の一生でした。

多くの武士はけっこう地味な一生をおくっていたのです。

                      (株)夢の設計社 歴史の謎 より

                            byビンちゃん


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