私の俳句.川柳.動画.日記.絵手紙【皆で470歳】

50から80才代のパソコン大好き仲間のブログ。
私の作品(俳句.川柳.動画.絵手紙).自然観察.徒然日記

【徒然日記】 咲いた! フウラン(風蘭)

2011年06月29日 08時19分24秒 | そめちゃん
昨年頂いた風蘭(フウラン)が咲きました。


風蘭の種類は沢山あるそうです。

頂いたのは此の一種、半信半疑で育てて最近になって蕾を確認した時には感動でした。

そしてまた、新たな蕾の茎が2本伸びて来ているのを見つけて「ワッォ!」

風蘭が咲いて うき うき なんだかいい事がありそうな、、、 



科 名  ラン科

原産地  日本・中国・朝鮮半島 

別 名  富貴蘭

草 丈  10cm~15cm

開花時期 6~8月ごろ




そめちゃんの徒然日記

ガラスの事なら染野ガラス

そめちゃんのブログ

[江戸の庶民の朝から晩まで] 「第2章」 江戸のファッション(2)どんな服装や髪形をしていたか

2011年06月25日 17時17分43秒 | ビンちゃん


江戸時代の女性の定番ファッションは「小袖」です。この小袖も時代によって染め方や帯の幅等色々な形に変化していった。
江戸初期は腕を包む程度の幅しかなかった「筒袖」がだんだん広がり、たもとも長くなっていった。商人が経済力を持つ様になると「晴れ着」 が生まれた。
時代を追うごとに実用性よりファッション性が重視される様になる。
江戸後期の戯作者、柳亭種彦の「柳亭記」には「女性の着物には生地全体に刺繍をほどこしたり摺箔(金箔や銀箔を糊で生地に接着させる)でもとの地が見えないほど模様をつけたり、さらにその上から金泥を塗ってある着物もあった」とある。
幕府は再三、刺繍の禁止令を出すが華美な風習は変わらなかった。
人気役者や遊女や芸者のファッションが庶民の手本となった。
ただ他人のファッションを真似るのは野暮と考えるのが江戸っ子。自分好みに仕立てるのが「粋」。江戸の女性たちは幕府の禁止令に縛られながら、工夫を重ねておしゃれを楽しんでいた。
兵庫髷 江戸時代の女髷の原型、延宝(1673~81年)の頃に兵庫の遊女が考え出したもの。
勝山髷 吉原の遊女・勝山が結っていた派手な髷で元禄時代に芸人や遊女の間で大流行した。
島田髷 東海道の島田宿の遊女が結いはじめたのが最初でそれから色々と変化し、
江戸時代の女性のヘアスタイルの基本となった。
笄髷> 室町時代に宮中の女官が下げ髪を笄に巻き付けて上げた髪形がもと。元禄の頃一般庶民の間で流行した。

                        著者・歴史の謎を探る会
                        
                               byびんちゃん

【徒然日記】 月見草の花?

2011年06月22日 09時05分03秒 | そめちゃん
月見草? 待宵草?




何気なく歩くいつもの道に咲いていました。

わたくしはこの花は「月見草」だとずうっと思い込んでいますが、月見草の花と待宵草の花は違いがあるみたいです。

本当の所、この花はどちらなのでしょうね。


そめちゃんの徒然日記

ガラスの事なら染野ガラス

そめちゃんのブログ

[江戸の庶民の朝から晩まで] 「第2章」 江戸のファッション(1)

2011年06月18日 17時00分02秒 | ビンちゃん

スリムが自慢の江戸っ子上方の影響を受けていた江戸の町人達に江戸っ子独自の美意識の核といえる「粋」>「いなせ」なファションが発達してくる。特に江戸の男たちが重視したのが「いなせ」
いなせ」の着こなしは細身に見せるのが美学であるとされとび職や大工らの職人は股引や腹掛け、半纏等を特注し体の線にフィットしたデザインでスリム感を強調した。
ファションリーダーとなったのは歌舞伎役者たち。女性だけでなく男性もひいきの役者が身に着けた衣装の模様や配色を真似た。例えば「団十郎茶」と呼ばれる色は歌舞伎界のスーパースター市川団十郎が十八番の一つ「暫く」の中で身に着けた巨大な大紋の地色のこと。
ベンガラと茶渋で染めたやや黄みがかった茶色で、舞台の引幕にも使われるなど大流行した色。茶色は江戸時代全時期を通して流行色となった。茶色と一口に云っても俗に
「四十八茶」と呼ばれるたほどさまざまな色合いがあり、
さらに茶色よりも多数の色合いがあったのは「百鼠」と呼ばれる鼠色、利休「鼠」、「梅鼠」、とじつに多様な色があった。江戸っ子の色彩感覚は敏感で繊細だったのです。こうした流行色を取り入れた江戸っ子達だが中には流行の柄の反物を大量に買い他人とかぶらない様にした人もいたとかいなせに生きるのもなかなか大変だったようですね。
                          著者:歴史の謎を探る会
                                byびんちゃん 

親子三代大阪、京都、旅行「3」

2011年06月04日 17時36分17秒 | ビンちゃん
親子三代大阪、京都、旅行「3」


二条城を見学した後、又行き当たりばったりでタクシーに乗りとりあえず娘が前回清水寺に行った時手を清める為に洗う所で洗い損ねたので洗いたいという事でそこ迄いく事にし­ましたが階段が登りたくないとかで結局行かないで、ウロウロしていたら龍馬の墓にでました。帰りの新幹線の時間は21時過ぎなのでゆっくりできます。
お土産の残りを買い、コーヒーをゆっくり飲み、でも家に着くのは11時過ぎなので。
高校生の孫は明日が大変です。私は疲れを感じないのですが、多分年であらゆるものが鈍くなっているので、疲れているのにピントこないのでしょう。高校生の孫娘には退屈だったと思いますが、娘と共に私に気をつかってくれて、荷物を持ってくれたり、手を引いてくれたり、押したり。感謝、感謝です。関西のエスカレーターは右に立ち、歩く時は左。同じ日本で数時間しか離れていないのに、風習、しきたり、摩訶不思議となっとくいく様ないかない様な気がしました。                    帰りの新幹線に乗る為、ホーム行きのエスカレーターに乗ると東京の人が多いのでしょう、左に皆立ち歩く人は右側を歩いていました。
                      byびんちゃん