私の俳句.川柳.動画.日記.絵手紙【皆で470歳】

50から80才代のパソコン大好き仲間のブログ。
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[江戸の庶民の朝から晩まで]  第3章「江戸の住まい」(2)住環境は快適だったのか  

2011年07月30日 17時32分30秒 | ビンちゃん
なんとも風流でけっこう涼しい夏の過ごし方
江戸の庶民は夏になるとすだれを吊るして日よけにし夕方になると家の前を掃き清め内水をして涼をとった。日中の暑さ対策は、窓を開けて風を入れるか、風がなければ扇子、うちわであおぐしかなかった。ただ江戸時代の木造家屋は夏向きに造られていて風通しはよく窓を全開にすればけっこう涼しかった。
しかし窓を開ければ蚊やブヨが入ってくるので、おがくずやにおいの強い木片をいぶす
「蚊遣り」を焚いて虫よけにしたり、蚊帳を吊って虫に刺されるのを防いだ。
庶民は高価な麻ではなく木綿の安価な蚊帳を使っていたが、蚊帳は緑色をしていて目にも涼しかった。時にはホタルを放して風流を楽しんだ。
「蚊帳の内にホタル放してアゝ楽や」(蕪村)
又軒先に風鈴を吊るしたり風通しのよい所に、涼み台を出して世間話に花を咲かせるのも楽しみの一つ。もう一つ夏の風物詩として外せないのが物売り。
江戸の夏にはなくてはならない「冷や水売り」。砂糖を入れ白玉を入れた物で値段は
一椀4文(60円位)、とは云え「ぬるま湯を辻々で売る暑い事」(誹風柳多留)と云う風にキンキンに冷えた水と云う訳にはいかなかったようです。
冷や水売りが出始めるのは五月、その頃になると江戸の町には「ひやこっい~~ひやっこい~~」の売り声で夏の到来を知りました。

              著者・歴史の謎を探る会より
                               byびんちゃん

【徒然日記】 風蘭(フウラン)

2011年07月27日 09時01分01秒 | そめちゃん
フウラン(朱天王)と云う種類です。

先日、フウランの観賞をしました。

風蘭を何種類も育てていらしゃる方の作品のひとつをデジカメで撮りました。

バックの色はくろ色はどうかな? しろ色にしたらどうだろうか?などといいながら、、、。





背景を変えただけでも、違う感じになるものですね。


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[江戸の庶民の朝から晩まで]  第3章「江戸の住まい」(2)住環境は快適だったのか

2011年07月23日 17時35分47秒 | ビンちゃん


オンボロ長屋の住人にプライバシーはあったのか?
長屋も表通りに面して建てられた高級な長屋「表店」と表店の路地を入った所に並んでいるのが「裏店」。表店には高給取りの職人の頭、大店の番頭クラスで時代よっては
二階建てもあった。一方裏店には庶民を代表する職人達が住み、家賃は日払いで納めていた。長屋の部屋の一つ一つは粗壁で仕切ってあるだけで、その壁にも穴が開いていたり、会話は隣の家に筒抜けで、プライバシーとは無縁の裏長屋住まいでした。
しかしご近所付き合いが盛んでゴミ出しやドブ掃除などルールもきっちり守られていました。狭いながらも賑やかで人情味あふれる意外に快適で楽しい生活だったかもしれないですネ。
臭いのが当たり前の長屋の大変なトイレ事情
共同トイレで汲み取り式便所でした。作りもシンプルで穴の上に板を張って周りを板で囲み、屋根も板ぶきで雨つゆをしのげる程度のもので、床の中央に四角い穴が開いていて、それが便器、ドアは半戸と云って下半分しかドアがなかった。この半戸はなぜか江戸だけで大阪や京都ではちゃんと上までのドアがついていた。男性には箱状の小便受けが設置されて立ち小便ができる様になっていましたが、江戸の庶民は立ちションには大らかで所かまわずという人が多かった。
今でもトイレの事を「せっちん」と云いますが、これは上方で云われた言葉で、江戸では「後架」と云われる事が多く、長屋の共同トイレは「惣後架」と呼ばれていた。
                     
                     著者・歴史の謎を探る会より
                              
                                byびんちゃん

[江戸の庶民の朝から晩まで]  第3章「江戸の住まい」(1)江戸の庶民が住んでいた長屋の間取りは?

2011年07月16日 17時44分13秒 | ビンちゃん


長屋は細長い建物の内部を粗壁で仕切り、いくつかの住まいに分けたもので、標準的な間取りは2.7メートル、奥行きは3.6メートル。畳に換算すると大体6畳位の小さな家。
この6畳の中で1人暮らしから一家3人位で暮らしていた。
狭いスペースを少しでも広げるために布団を小さくたたみ紐で結んで天井の梁にかけて吊るす人もいた。
このほか部屋に上がる所の板敷きの下に収納の場所を作りそこに食糧品をしまうなどの工夫もした。室内を立体的に使う事で狭い空間を有効利用したのです。

著者・歴史の謎を探す会より 

byびんちゃん

特別展  「写楽」

2011年07月09日 17時47分06秒 | ビンちゃん
特別展 写楽



特別展 「写楽」東京国立博物館 平成館 5月1日~6月12日まで

このたびの東日本大震災により写楽展も中止か延期かと云われ、開催される事を祈っていました。博物館の関係者の方々の並々ならない努力によって至福の時をすごせました。国外から借りる予定の絵もあり想像出来ない苦労をなさった事とさっします。
第一期作品
寛政6年(1794)5月、大判雲母摺りの江戸三座の役者大首絵28図を一度に発表するという華やかなデビューを果たし、翌年正月に忽然と姿を消し、その間10ケ月。
その生涯は不明な点が多く、謎の絵師とも呼ばれていますが、俗称ー斎藤十郎兵衛、
江戸八丁堀地蔵橋に住んでいた。阿波候の能役者ー58歳、千住にて火葬。
東京国立博物館絵画・彫刻室長、田沢裕賀先生の講演で聞きました。
わくわくしながら観覧してきました。さすがもう二度と見られない位の企画でした。二度、三度と見たいと思うぐらい素晴らしく、日本人として誇らしく感じました。
                       
                               byびんちゃん

【徒然日記】 軽井沢

2011年07月06日 09時06分00秒 | そめちゃん
夏の軽井沢

昨年秋に訪れた時には紅葉を満喫、今回は夏の軽井沢に、、、。

7月3~4日の日程で行ってきました。

  

同じコースで同じホテルに宿泊しましたが前回は紅葉を今回は緑をと夏と秋の軽井沢を見学する事が出来ました。



山法師(やまぼうし)・・・みずき科  みずき属


周りには、山法師が花盛り緑の葉に真っ白い花を付けてとても印象的でした。

今度は、真冬の軽井沢にももう一度来てみて見たいものだと、そしたらまた違った軽井沢を見る事が出来るわね!と楽しい二日間を過ごしてきました。



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芽が出ました。(*^。^*)

2011年07月04日 13時55分52秒 | ぁいっちゃん
知り合いにもらった果物などを食べた後に種を、なんとなくベランダの植木鉢に埋めてみる。

意外に芽が出てくるものですね。
柿の種を植えたら芽が出てきたことがありました。
育たなかったですがね。

唯一、元気なのは、3年位前に友達にもらったブドウの種。
今年もこんなに大きくなりました。


ふと隣の植木鉢を見ると、なんと、芽が出ているではありませんか。
なんだろう?
なんとなく柑橘系の葉っぱのような気がするので、
もしかしたら、先日もらった「キンカン」かも、、、


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[江戸の庶民の朝から晩まで]  第2章 江戸のファッション(3)江戸の化粧 

2011年07月02日 17時25分23秒 | ビンちゃん


女達はどんな化粧品で美肌づくりをしたのでしょう
江戸美人の条件は1色白で肌のきめが細やか 2髪の生え際がきれい 3髪はつやがあり長く 4口は小さく唇は紅をさした様に紅い事。
さまざまなメイク用品、紅、白粉、化粧水、眉墨、女性用ではないが毛生え薬まであった。化粧品で有名だったのは「花の露」と「江戸の水」。
江戸の水は大箱で150文(2250円)位でした。
紅は遊女がつけはじめた物で、小皿に溶いた物を筆にとって塗った。「紅一匁は金一匁」と云われた程高価でした。たったひと塗りしただけで30文(450円)はしたと云われた。白粉は鉛が原料で固形と粉末タイプの二種類があり、水に溶いたものをハケで塗った。厚くぬるのは遊女や芸者、庶民はなるべく薄くぬるのがイキとされた。
「都風俗化粧伝」文化10年(1813)刊行された本を読みながらスキンケア、しわとり、色白になれるとか美肌作りに精を出していた。明治末期まで大ロングセラーだったとか
思わず目がテン!!女房たちのビックリ素顔江戸時代は女性をひと目みただけで慨婚か未婚かの区別がついた。人妻は武家も裏長屋のおかみさんも皆お歯黒をして眉を剃っていたから。
お歯黒の歴史は古く、平安時代にすでに公家の間で広まっていた。
当時は男性もお歯黒をしていたが武家社会になってからすたれてしまうが女性にはこの習慣が残った。
古釘の鉄片を酢や濃い茶にしたし飴や粥を加えて酸化させた液体に接着剤の変わりに
五倍子粉~ふしこ~を混ぜた液を毎日、先を筆の様にほぐした楊枝で塗っていた。
五倍子粉に含まれているタンニンは渋く臭かったが虫歯や歯槽膿漏を予防する効果があった。
                          著者・歴史の謎を探る会
                            
                                byびんちゃん