南英世の 「くろねこ日記」

死んだ後に残るもの

 

昨日のブログに「死んだ後に残るものは自分が得たものではなく、自分が与えたものだ」と述べた。それでふと我が人生を振り返ってみた。

私が授業で残せたものとは何であったか。人それぞれ受け取り方は違うとは思うが、強調してきたことの一つは国家権力は間違って使われてはならないということである。権力は国民を幸せにするために行使されなければならない。しかし、権力はしばしば悪用される。だから常に権力を監視し、間違ったことをしたら「それは違うのではないか」といえる社会でなければならない。それが自由であり民主主義の本質である。

もちろん、そんなことは教科書にはストレートには書けない。書いたら検定を通らない。しかし、そうしたニュアンスを残して検定をすり抜けることは不可能ではない。教科書作りの指針となる学習指導要領は10年に一度改定されるが、改定によってよくなることもあれば悪くなることもある。国が「右向け右」と言ったら一斉に右に向く社会は気味が悪い。どこぞやの国のマスゲームを思い出す。一歩引いて、「はたしてそうか?」と問う視点が欲しい。

教科書をどう使うかはすべて現場に任されている。医療が患者のためにある学問であるように、政治や経済は本来弱者のための学問である。しかし最近は、強者の味方ばかりをする政治家や理論が跋扈している気がしてならない。

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