南英世の 「くろねこ日記」

在日コリアンの歴史


 著者は在日コリアンの3世で、慶応大学大学院法学研究科博士課程中退の肩書を持つ。金日成の名前にちなんで晟一と名付けられたように、もとは朝鮮籍であった。途中で韓国籍に変更している。ちなみに朝鮮籍=北朝鮮籍ではない。植民地時代には北朝鮮も韓国もなかったからである。だから韓国籍を取得した人以外はすべて朝鮮籍である。

著者は在日コリアンの歴史を三つの時代に区分する。

第1期 終戦後~1960年代

200万人以上いた朝鮮人のうち130万人以上が帰国し、日本には50万人~60万人が残った。彼らはサンフランシスコ平和条約が発効した翌年、一方的に日本国籍をはく奪された。朝鮮系日本人は、BC級戦犯に問われ罪に服したにもかかわらず、日本政府の援護や補償の対象外とされた。そのため、彼らは郵便局員にも国鉄職員にも公務員にもなれず、公営住宅にすら入居できなかった。

在日コリアンは生きるために必死に経済的地位を向上させようとした。廃品回収業・パチンコ・焼肉が在日の三大産業と言われた。学業のできるものは医師や薬剤師になることを奨励された。

中には生活保護(=人道上の支援)を受けるものや、「地上の楽園」のキャッチフレーズに望みを託して北朝鮮に帰還するものもいた。帰還者は1960年の4万9千人、61年の2万2千人をピークに9万3千人に上った。日本に住み続けるよりはマシと思ったのであろう。1968年には在日差別に反発した金嬉老事件も起きた。

在日コリアンに対して、日本政府・裁判所は参政権を「当然の法理」として認めなかったが、この本を読んでストンと理解できた。すなわち、1955年当時の韓国籍は14万人であったのに対して、朝鮮籍は43万人であったのである。もし、在日コリアンに選挙権(=被選挙権)を認めたら、朝鮮籍の人が多く住む地域には共産主義の自治体ができてしまうかもしれない。だから選挙権を認めるわけにはいかなかったのである。

1966年、韓国籍の人が申請すれば日本の永住権を取得できるようになった。そのため、朝鮮籍から韓国籍に変更する人が急増した。1969年には韓国籍31万人、朝鮮籍30万人と逆転した。(ちなみに、その後も朝鮮籍にこだわる人は減り続け、2020年のデータによれば、韓国籍42万人に対し、朝鮮籍は2万7千人まで減少している。)

 

第2期 1970年代~1980年代

1970年代に入ってベトナム戦争による難民受け入れのために、日本が国際人権規約(1979年)や難民条約(1981)年に加入するようになった。そのため、従来から日本にいる在日コリアンに対する権利の拡大も急速に進んだ。国民年金や国民健康保険への加入、さらに児童手当の支給、公務員への登用などが相次いで実現した。この本を読んで、高校でも在日の教諭が採用されるようになった背景にはこうした事情があったことを初めて知った。さらに1993年には指紋押捺制度も廃止された。

 

 

第3期 1990年代以降

1990年代に入ると突然、韓国の元従軍慰安婦による戦後賠償問題や日本に対する謝罪問題がクローズアップされるようになってきた。この背景を理解するためには、韓国側の政治状況を知る必要がある。すなわち韓国では戦後長い間、李承晩、朴正熙、全斗煥らによる独裁政権が続いていて、民主化宣言が出されたのはようやく1987年になってからである。これにより国民の声が政治に反映される機運が高まってきた。

1965年の日韓基本条約により戦後賠償問題は解決しているにもかかわらず、なぜ今になって蒸し返すのか? 長らく疑問に思っていたのだが、この本を読んでようやく納得できた。

2002年に小泉首相が北朝鮮から拉致被害者を連れ帰ったことから、在日コリアンに対するヘイトスピーチが激しくなった。個人対個人の関係ではいくらでも仲良くなれるのに、国が絡まると途端に険悪な関係になる。どうしたらいいのだろう?

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