南英世の 「くろねこ日記」

新型コロナ感染記

 不覚にも新型コロナ(第8波)に感染してしまった。全く心当たりがない。用心に用心を重ねていたつもりだったが、もうどこで感染してもおかしくない時代なのだろう。こんな経験は何度もあることではないので、記録しておくことにした。

感染 2023年1月23日(月)
 朝から少し体がだるく、のどが少し痛い。しかし熱は全くない。一昨日、夜寝ているとき寒かったから風邪でも引いたのだろうと思い、いつも通り出勤する。結局授業を4コマやった。しかし、そのあとも全身の倦怠感とのどの痛みが取れなかったので、1時間年休をとり早退する。インフルエンザにでもかかったかなと思い、帰宅後すぐかかりつけ医に直行した。


 ほかの患者と接触しないようにアコーディオンカーテンで仕切られた狭い待合室に通された。15分ほど待って医師の診断を受ける。症状を訴えると、鼻の奥まで綿棒を突っ込まれて検体を採取。結果は数分で出た。陽性だった。ガーン!!1月30日までの自宅待機を言われた。ラゲブリオという薬を5日分40錠処方された。

 帰宅して、早速自室に「軟禁」状態になる。今週は私の授業を見学したいという外部からの希望が何件も入っている。全てメールでキャンセルした。明日からの授業はすべて自習になるが、その件ついてのお願いを社会科主任に連絡する。

 後から振り返れば、なぜ体調の異変を感じたにもかかわらず出勤してしまったのか悔やまれる。休むと同僚に迷惑がかかる。だから休めない。日本には多少の体調不良は我慢してでも出勤することを美徳とする体質がまだまだ残っている。

体調不良を感じたときにはすぐに「休暇をとるべきだ」とする働き方改革が必要なことを痛切に感じた。生徒や職場の人にうつしてはいまいか。それだけが気がかりである。

 

保健所とのやり取り 1月24日(火)
 午前中に保健所から電話があった。医師から保健所にコロナ登録がなされ、そのあとのことは保健所が管轄するシステムらしい。30分ほど電話でいろいろ聞かれた後、自宅療養するかそれともホテルでの宿泊療養を希望するか聞かれた。本当は自宅で療養したかったのだが、妻の意向もあり結局ホテル療養を選んだ。

 ホテル療養を希望すると、その手配は大阪府の担当になる。夕方、大阪府の担当者から電話があった。調整の結果、大阪市役所近くのビジネスホテルに決まり、翌日のホテルまでのタクシーも手配してくれた。費用はすべて公費(=税金)で賄われる。
 コロナの症状は前日とほぼ同じである。発熱はなく、全身の倦怠感と咳ぐらいである。咳が少しひどくなったかもしれない。この程度で収まっているのは、11月4日に受けた第5回目のワクチン接種(モデルナ)が効いているのだろう。

 

ホテル療養1日目 1月25日(水)
 午前中10時半に迎えのタクシーが来るはずだった。ところが、配車予定のMKタクシーが京都からのもので、昨夜からの大雪で大幅に遅れるという。11時半、屋根にふわふわの雪をいっぱい載せたタクシーが到着した。中に乗り込むと、シートはすべてごみ袋でおおわれ、客席と運転席は透明のビニール袋で完全に遮断されている。特別仕様車であった。

 ホテルに着いても初体験のことばかりである。ホテルは完全に大阪府の借り上げで、警備員の配置、入口・フロントなどすべてコロナ対策の特別仕様になっている。「入所」にあたっての注意事項をフロントで窓ガラス越しに20分ほど説明を受けたあと部屋に入る。

(写真上 入口からエレベータに続く玄関メインホール。仕切りがあり、スタッフと患者が接触することは100%ない)。

部屋は本当に静かで快適である。看護師やリハビリの専門家なども配置されており、希望すればすぐに医師の診察を受けることもできる。

(↑持ってきたパソコンもすぐ使えた)

食事はコンビニ弁当のようなもので、1階に自分で取りに行く。Aコース(和食系)とBコース(洋食系)を選択できるようになっており、Aコースを希望する。途中変更はできないらしい。でも思ったよりおいしそう。水、お茶も1階にペットボトルで準備されていて、自由にとってよい。難点と言えば、アルコール厳禁なことぐらいか(笑)。

 (↑夕食)

廊下やエレベータで出会った従業員の姿を見て驚いた。全員、頭から足先まで真っ白の防護服を着用していた。鳥インフルエンザの処理をするときのあのいでたちである。外出は絶対禁止!もし外出すればすぐに「警察に連絡する」との張り紙がしてあった。「警察」とはまたたいそうなと思うが、ことが人命にかかわるといわれたら「そうか」とも思う。

 
ホテル療養2日目 1月26日(木)
 ホテルでこんなにゆっくりしたのは初めてかもしれない。職場の皆さんにはご迷惑をおかけするが、これまで馬車馬の如く走り続けてきたから、この療養は神様がくれた休息だと思うことにした。

 昨夜寝ながらつらつら考えた。大阪府はこのホテルに毎日いくらくらい払っているのだろう? 客室が約300室、1泊1万円として300万円、それにスタッフの人件費30人(?)×1万5千円として約50万円。さらに患者の食事代が1日2千円×250人として約50万円。これらを合計すると1日に約400万円、1か月で約1億2千万円の税金が投入されていることになる。

 私は年齢が72歳と高齢であり、しかも不整脈(心房細動)と高血圧という持病を抱えているため最も重症化リスクが高い部類にランクされる。だから、希望すればすぐにホテルでの療養が手配してもらえた。実際ホテルで療養している人を見ると高齢者ばかりである。しかし、若い人はそうではないらしい。自宅療養で食事の手配にも事欠く人が少なくないと聞く。高齢社会、福祉政策、シルバー民主主義がこんなところにも表れているのかもしれない。

  30日までの「退所」(出所とは言わないらしい)まで時間はたっぷりある。仕事を忘れて1日中ぼーっとしているのももったいないので、本を4冊ほど持ち込んだ。ただし、まだ読む元気はない。倦怠感は幾分ましになったような気がするが、咳と鼻水がまだ止まらない。

 

ホテル療養3日目  1月27日(金)

 ここで平均的な1日のスケジュールを記しておく。

朝7時 朝食 (1階まで各自で取りに行く、昼食・夕食も同じ)

 8時 看護師さんから電話(体温とパルスオキシメータの値を報告)

 12時 昼食

 17時 看護師さんから電話(体温とパルスオキシメータの値を報告)

 18時 夕食

朝食はだいたいパンが多い。下の写真は昨日の朝食である。

1階の弁当置き場(各自で取りに行く)

(ペットボトル置き場、自由に持っていく。1日3~4本)

(食べ終わったごみは各自で1階のゴミ置き場に捨てる)

(廊下の様子、入室者に会うことはほとんどない)

 

昨夜はあまり咳が出なかった。のどの痛みもほぼなくなった。だいぶ良くなってきたようだ。授業をやれと言われたら十分できそうだ(笑)。今から思えば、感染初日、2日目が一番しんどかった。今日あたりから本が読めそうな気がする。

今日の昼食はハンバーグ弁当だった。すごくうまそうだが、さすがに同じような弁当ばかりで飽きが来た。今日は「昼食には持参したカップ麺を食べるぞ」と朝から決めていた。海外旅行に行くとうどんや寿司が無性に恋しくなるのと似ている。うまかった。味覚のほうは全く異常ない。もったいないが弁当はだいぶ残した。

(読書)

少し元気になってきたので読書ができるようになった。

一つは『6ヵ国転校生ナージャの発見』集英社 2022年第一刷発行

先日の天声人語で紹介があったもので、数学者の父と物理学者の母とを持つロシア生まれのナージャが、6歳から15歳まで6ヵ国に移り住み、それぞれの国で受けた教育がどのように違ったものであったかを記した本である。日本の教育しか知らなかった私にはすごく新鮮に映った。詳細についてはまた後日ブログを書きたい。面白かったのであっという間に読み終えた。

もう一つは、まだ読み始めたばかりだが

『反省記』西和彦著 ダイヤモンド社 2020年第一刷発行

西和彦氏については先日のブログ「大学再編で日本は生き残れるか」で紹介した。この本は彼が次のステップに進むために書いた「半生記」ならぬ反省記・回顧録である。無茶苦茶面白い。これについても後日アップしたい。あまり根を詰めて読むとあっという間に読む本がなくなるから、ぼちぼち読むことにする。それにしてもずいぶん元気になってきたものだ。

 

ホテル療養4日目 1月28日(土)

 朝7時、朝食のサンドイッチを食べ、そのあと医師から処方された最後の「ラゲブリオ」4錠を飲む。これで5日分40錠を全部飲んだ。咳はまだ完全には治りきっていない。昨夜も少し出た。ホテル療養もあと2日。元気になったらスシローでおいしい寿司を食べたい。

体調がだいぶ戻ってきたので、午前中は昨日の読書の続きをやり、そのあと来週からの授業の準備をした。1週間休んだため「戦後日本経済」「労働問題」2コマ分がぶっ飛んだ。仕方がないので次の授業で遅れを取り戻すための特別の授業ノートを作った。教科書には書いていない話を中心にポイントを絞りこむ。そのあとはまた巡航速度に戻る。

今日の昼食はマーボー豆腐とコロッケだった。とてもおいしい味付けだった。ただし、ご飯は半分以上残した。ほとんど動かないからお腹がすかない。

弁当を納入しているのは、なんと姫路の業者さん!! (下の写真は本日の夕食)

午後いっぱいかけて西和彦氏の『反省記』を読了した。強烈な伝記だった。1980年代の活躍は知っていたけど、その後のことについては全く知らなかった。ずいぶん苦労したんだね。

 

ホテル療養5日目 1月29日(日)

隔離期間は今日まで。順調にいけば明日の夕方には退所できるはず。その判断はこれまでのデータをもとに保健所が行う。最初はいちいち電話でデータを連絡していたが、3日目あたりからは厚生労働省の「ハーシス」というシステムを使って、パソコンから体温、酸素飽和度、体調全般を入力するようになった。入力したデータは自動的に保健所に送られる。新型コロナの最前線で働く人たちの職種はさまざまであることを今回の経験で改めて知った。心から感謝したい。

今日はとりあえず、先日読み終えた2冊の本の要点を読書ノートに書き記す「仕事」をする。こんなにゆっくりできる機会はもう2度とないかもしれないのに、相変わらず忙しくしている。戦時中の標語に「ぜいたくは敵だ」をもじって「ぜいたくは素敵だ」とあったが、私にとって「退屈は敵」なのかもしれない。午後からは3冊目を読了。

 

退所許可下りる 1月30日(月)

保健所から「本日3時半に退所してもよい」との許可が下りた。25日に入所以来6日目にしてようやく解放される。この期間、ほとんど部屋の中で過ごした。ベッドで一人寝転んで青空を見上げていると、ここが大阪のど真ん中ではなくキリシャかロンドンのようにも思えてくる。人生、生まれるときも死ぬときも一人。いろいろ考えた。明日からまた「日常」が始まる。

(連載終わり)

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