南英世の 「くろねこ日記」

南国土佐

高知県に一度は足を運んでみたいと思っていた。
龍馬を生み、板垣を生んだ土佐。
ペギー葉山にうたわれた土佐。
古くは土佐日記などというものもある。
土佐とはいかなるところか。



今回は、大阪からバスで行ったのだが、途中吉野川を見ることができ、四国の地形がようやく頭の中に入った。
吉野川と徳島自動車道が中央構造線に沿って並行に走っている。
写真は吉野川サービスエリアで上流に向かって撮ったもので、左側が四国山地、右側が讃岐山脈である。
徳島自動車道は、途中で松山に向かう高速道路と高知に向かう高速道路に分岐する。
高知自動車道は四国山地をぶち抜いて作られただけあって、長いトンネルが19もあった。





 高知市に着いてまず驚いたのは、街中、龍馬だらけだということである。
銅像、記念館をはじめ、土産物店に至ってはほとんどが龍馬がらみの品である。
それに比べて、板垣退助の影はいかにも薄い
ちょっと意外な感じがした。
写真は桂浜の龍馬像



(1874年、板垣らが作った立志社跡)




(はりまや橋)
地名としてのはりまや橋は、JR高知駅から南に700メートルのところにあり、路面電車や車が行きかう重要な交差点である。
しかし、いわゆる「はりまや橋」そのものは、観光客用に復元したもので、今では誰も使っていない。
しょぼい。




(高知城 初代藩主山内一豊 24万石)



高知市内の交通は、バスより路面電車のほうが便利だった。
50年前に作られた電車が現役で今も活躍している。
東西、南北に走っており、それがはりまや橋で交わる。大変わかりやすい。
電車の行き先を見て笑ってしまった。
「ごめん」と書いてある。
わざわざ平仮名で書いてあるところがよい。
漢字では「後免」と書く。
そこのけ、そこのけ、電車が通る。
「ごめん」

一番困ったのは、昼食にざるそばを食べようと思ってレストランを探したが、飲食店らしきものが一向に見当たらなかったことだ。
JR高知駅まで行けばあるかなと思って行ってみたが、やはり飲食店はほとんどない。
結局、コンビニでざるそばを買い、店の中の小さなカウンターで食べるはめに。
飲食店がないのは、やはり商売として成り立たないのだろうか。
都市としての元気のなさを感じた。
また、高知にはデパートはすべて撤退したと聞いていたのだが、これは嘘だった。
小さいながら大丸が出店していた。
撤退した後、また新規に出店されたのかもしれない。




南海大地震が来たらどうなるのだろうと、いつも気になっていた。
しかし、東北と違ってここはリアス式ではないから、津波の高さは限定的なのかもしれない。

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