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南英世の 「くろねこ日記」

武器としての資本論

「武器としての資本論」 白井聡 東洋経済 2020年 を読んだ。面白かったので以下その概要を記す。

歴史とは自由と理性が実現されていく過程
 ヘーゲルの弁証法を理解する例としてわかりやすいのは、つぼみから花が咲くという生命現象である。つぼみはつぼみであるが、いつまでもつぼみであるわけではない。つぼみ自身につぼみであることの否定が含まれている。つぼみでありながら(正)、つぼみでないものになろう(反)としている。この矛盾が止揚されてより高度な「花」になるのである。
 自由と理性も弁証法的な矛盾・対立を経て徐々に実現していく。ヘーゲルによれば「歴史とは自由と理性が実現されていく過程である」という。そして彼は、ナポレオン戦争はまさしくフランス革命の理念をヨーロッパに広げていくものであると見た。

 自由と理性をめぐる闘争は20世紀に入って東西冷戦という形で現れた。しかし、フランシス・フクヤマはソ連崩壊後「歴史の終わり」として、その決着がついたと述べた。市場経済と民主主義が勝利をおさめ、これ以上の世界史的理念はないと考えたのだ。

新自由主義の本質
 ところが、1990年代以降、新自由主義の名のもとに格差の拡大が露骨な流れになっている。新自由主義の下で資本家は肥え太り、労働者は非正規雇用となり戦後獲得した権利を次々と失っていった。これは資本家階級から仕掛けられた階級闘争である。労働者は「階級闘争なんてもう古い、そんなものはもう終わった」という言辞に騙され、ぼーっとしているうちに一方的にやられてしまった。

 新自由主義とは、資本家階級が自分たちの取り分を取り戻すための「再分配の闘争」であり「上から下への階級闘争」であり、その目的は労働分配率を低下させることである。そしてその手段として、規制緩和、競争、小さな政府、自己責任が強調され、教育や医療すら商品化されてしまった。

資本論が教えるものとは?
 これに対して資本論が我々に教えてくれるのは労働分配率の低下を食い止め、労働者階級がすっかり忘れてしまった「下から上への階級闘争」を取り戻すことである。すなわち新自由主義を打倒することである。

 その際、どのような社会を目指すかが問題になる。ソ連型の社会主義はうまくいかなかった。しかし、社会主義はソ連型だけではない。スカンジナビア諸国のような社会民主主義という形態もある。社会主義とは要するに、「国家による平等化を図る体制」であって、生産手段の国有化という国家の介入の度合いが強いものから、累進課税や労働者保護立法など国家の介入の度合いが比較的弱いもの(これらは一般的に「修正資本主義」と呼ばれる)までさまざまな形態がある。また「社会主義」という言葉が禁句であったアメリカで「リベラリズム」と呼ばれるものも、実質的には社会民主主義である。

新自由主義に取り込まれた労働組合
 戦後、GHQの経済民主化政策によって労働組合運動の合法化が認められた。しかし、冷戦の下で労働組合運動は社会主義イデオロギーを持っていたため「逆コース」が進行する。経営側と保守政治勢力は、戦闘的労働組合をソ連の手先であるとして、労使協調型の労働組合(いわゆる第二組合)を作り、戦闘的な労働組合と対抗させたのである。その結果、戦闘的労働組合の力を弱体化させることに成功する。戦闘的な労働組合の最後の牙城であった国労(国鉄労働組合)も、中曽根政権による国鉄の民営化によってとどめを刺された。1989年に成立した「連合」(日本労働組合連合会)は正規雇用者の権利のみを守り、非正規雇用者の権利を守ろうとしてこなかったという意味で新自由主義に協力する正体不明の労働組合というべきだろう。

 資本の目的は、資本そのものが増えることであり、人々を豊かにすることではない。イノベーションやAIの導入によって労働生産性が上がっても、人々の生活は楽にはならない。江戸時代に比べれば現代のほうが何万倍にも生産力が上がっているが、労働時間はかえって現代のほうが長い。資本論には生きづらいこの世の中を生き延びるためのヒントが隠されている。


(追記)
以下、上記の記述を補強する3つのデータを掲載しておく。

① 累進課税の最高税率の変遷


② 日本における累進課税の最高税率の変遷(所得税)


③ 所得が1億円を超えると税負担率は低下する(日本の例)
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