カント哲学は二本の柱からなる。一つは認識論であり、もう一つは道徳哲学である。カント以前の道徳は宗教と一体であった。カントは道徳を宗教から切り離し自立させた。
カントは言う。本能・欲求のままに生きることは自然の因果法則に支配されることであり、不自由な生き方である。自然界に法則があると同じように、道徳の世界にもいついかなる時でも妥当する法則がある。それがわが内なる良心の声である。行動は常に無条件・絶対を基本とする。「もし幸せになりたければ~せよ」(カントはこれを仮言命法とよぶ)、というのではない。無条件に「~せよ」(カントはこれを定言命法とよぶ)でなければならない。
今あなたのやろうとしていることが、自然法則のようにみんなに通用する原則となっていいかどうか自問してから行為せよ。戒律のように他人から言われるのではなく、自らがたてた法則(自立)に従うところに人間の尊厳がある。
ところで、現代においてカントの道徳哲学は妥当するであろうか。多くの人は自分を規制する力を失って、欲望に忠実に生きているようにも思われる。しかし、だからといって戦前の修身教育のように天皇に忠実であれ、親孝行をせよなどと他律的な道徳を教え込むのも問題がある。人間どう生きるかということをもっと自分で考える訓練が必要なのかもしれない。
考えることよりもいかにたくさん覚えたかを問う今の学校教育では、「人間は考える葦である」といったパスカルの言葉はむなしく響く。
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