mimi-fuku通信

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ベルリン・フィルのすべて ~つづき~ mimifuku的評説。その2

2008-03-23 00:41:58 | クラシック・吹奏楽

 
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/d0121593feab40d4bf4a046b6e2d3c81 
←のつづきです。 

 
 ホントに書きたいことの山です。
 ザビーネ・マイヤー事件についても、私達が入手している通説とは違うようです。
 
 <ザビーネ・マイヤー事件とは?> ~1983年に女性の若手クラリネット奏者、ザビーネ・マイヤーさんの入団を巡り、カラヤンとベルリンフィルの団員と対立。
(当事のベルリン・フィルには、男性団員のみという原則があった。)
 カラヤンの尽力によって、一度入団したマイヤーさんは、この問題の深刻化を嫌い自主的に退団。

 とされていますが、ドキュメンタリー「ベルリン・フィルの栄光の歴史」の中で、1982年にバイオリン奏者として、女性のマデライネ・カルッツォさんが最初の女性楽団員として採用されているとされています。
 マイヤーさんの事件が1983年とすると、1982年の女性楽団員の入団は、多くの日本版の資料の記述の間違いを指摘しているようです。


 番組によると、ベルリン・フィルの楽団員の採用方法には、他のオーケストラとは違った特徴があり、民主的な方法で楽団員を決めます。
 まず、入団希望者を募り、パートごとに実技オーデションをした後、仮採用を決定。
 2年位の楽団員としての試験採用の後、オーケストラ全員で採決し、本採用が決まります。
 楽団員以外には、団員採用の決定権はなく、<帝王カラヤンの問題点>は、マイヤーさんが女性であることよりも、楽団員の許可を得ず採用を推進したことにあるようです。

 また、小澤征爾さんとのリハーサル風景も特徴的で、小澤さんの細かい指示に要領を得ず、コンサート・マスターの安永さんが率先して、何通りかのパターンを弾いて、小澤さんの真意を確認後、要件を取り纏め、楽団員に明瞭に告げるシーンがあり、リハーサル時での音楽表現の意思疎通が楽団員の側からも図られることに驚かされました。

  土屋さんもカラヤンが独裁者かどうかの意見を求められた折に、「楽団員に要求することはあっても、命令することは決してない。ただし、カラヤンが最初に言ったことに理解を示さなかったメンバーもリハーサルが進むに連れて、カラヤンの正しさに気付くことが多かった」と語られています。

 ベルリン・フィルの優位性は、楽団員の自主性を重んじる体質にあるようです。
 想像ではありますが、創立時のエピソードに、在籍していた楽団の体質に不満を持ったメンバーが集団で独立した時には、現在の楽団員による自主的な体制の基礎が出来上がっていたのではないでしょうか。
 体制にオンブするような集団組織であれば、現在の栄光はなかったと感じます。

 
 土屋邦雄さんの話をもう少し。
 アナウンサーの高橋美鈴さんが、「ベルリン・フィルにヴィオラ奏者として43年間の在籍期間。」と紹介したところ、遮るように、<42年と5ヶ月と1日>と訂正。
 (ただし、そのことで番組はピリッと引き締まりましたが。)
 人差し指を相手に突き出し話しかける仕草は、日本人にとっては威圧的にも見えますし、パブリック・スペースでの頬杖も、お行儀が悪いように感じます。

 でも、土屋さんはドイツ人と考える方が正しいようです。
 曖昧な論説を好む日本人に対して、議論することが好きなドイツ人。
 前回にも書きましたが、モノ造り(ハード&ソフト)には徹底して合理的で機能的な性質を持つドイツ文化は、国民の性格から生まれたものでしょう。

 よく日本人とドイツ人は似ていると言われますが、それはマイスター制度と職人制度が確立されていた時代のことで、現代の日本人は昔ほど質実剛健ではありません。
 おそらく、ドイツ人の若者もグローバル化と、アメリカの映画や音楽による流行思想(日本のアニメも入るのかな?)の受け入れ等によって、頑固な性質も薄れているのではないかと思われます。
 
 土屋さんの断定的な論法と、それに反して、吉松さんの論法に違和感を覚えると口を噤み余計なことは言わない姿勢は、興味を覚えました。
 おそらく、ドイツ人との会話術ってあんな感じ何でしょうね。
 それと、会話表現の特徴は、土屋さんの世代とも関係があると思います。
 近年に日本のコメンテーターって、人の様子を伺いながら、相手の出方に合わせて会話を進める人が多い気がするけれど、何を問われても、自分のことを話す時は相手に合わさず正直に答える。
 新鮮でした。
 それと、ベルリンの壁の話は勉強になりましたし、経験者の確かな言葉は貴重です。

 土屋さんの話で面白かったのは、歴代の巨匠達の話。

 ベームの若い頃には、指揮の途中に混乱することがよくあった。
 年歳を重ねるにつれてイイ指揮者になっていった。

 クライバーは指揮者としては、全盛期のカラヤンに匹敵するエネルギーを感じたが、クライバーはベルリンが嫌いだった。
 また、クライバーと二人で話をした時の事にふれて、
 「ベルリンの、日本メシ(日本食)の美味い店を教えてくれ。」

 バーンスタインは、一度だけのマーラー。
 「マーラーの第9番って、バーンスタインが振るまで、あれほど悲痛な曲とは考えていなかった。バーンスタインはリハーサルから泣いてるんだから。・・・以後、ベルリンでもマーラーの第9は、イイゾと、注目するようになった。」


 このバーンスタインが演奏した、1979年のマーラーの第9交響曲ニ長調は、通説では、一期一会の感動の名演奏との評価を得ている名高い録音(ライブ)ですが、一説では、ベルリン・フィルのメンバーが、バーンスタインの要求に辟易していて、やる気を失くしていたとの説もあります。

 また、「以後注目するようになった。」の意味は、その後にカラヤンが、1979~80年にスタジオ録音。
 その後1982年にライブ録音を試みており、1982年のライブは、ベルリン・フィルのオーケストラとしての精度が最大限に発揮された演奏として評価されています。
 しかし、この演奏もマーラーの持つ <死への精神性=死の恐怖との対峙> が欠如しているとの指摘もあり、この2人の大巨匠による、第9交響曲の演奏を聴き比べてみると、クラシック評論の限界点や問題点が見えてくるかも知れません。

 ベルリン・フィルは、その後アバドと1999年に、マーラーの第9交響曲を録音しています。
 2008年3月、ラトルの新盤も発売されています。
 どのような響きを聴かせてくれるのでしょうか?
 私の愛聴盤は、カラヤンの82年盤の耽美主義に徹した、極上の機能性と音の美しさが一番で、バーンスタインの85年盤(コンセルトへボウ管弦楽団)が二番です。

 つづく→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/ca20e20b25e79a321d53b14df1ffb774


作曲家・吉松隆のブログへのリンク。
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2008/03/bs_hi_ffb1.html

http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2008/03/nhk_bs_hi_f493.html

 

番組を見られた方々のブログです。
http://blogs.yahoo.co.jp/takashidoing0826/52438701.html

http://yohirai.asablo.jp/blog/2008/03/23/2816860

http://egg2006.blog.so-net.ne.jp/2008-03-21#more

http://andantin.exblog.jp/7566532/


 

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