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カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

ドイツからオーストリアへ列車の旅

2010年01月14日 | 旅の徒然
Halle大学でのセミナーを終えて、昨日は一日列車の旅をしました。Halleから二回列車を乗り換えて、オーストリアのLinzまで来ました。約8時間の長い列車の旅でしたが、ドイツとオーストリアの田舎の風景を車窓に見ながら、物思いにふけったり、本を読んだり、コンピュータで仕事をしたり、またiPODで音楽を聴いたりしながら、過ごしていると、あっという間の時間でした。ヨーロッパの列車の旅は悪くありません。

Linzに着いて、R教授の出迎えを受けて、またLinz大学の宿舎にやって来ました。この宿舎は1年ほど前にも泊まって、記事を書いたことがあります。設備の行き届いた素晴らしいレジデンスで、快適に過ごしています。

オーストリアの食事も気に入っています。ダンプリングの入ったスープ、アプリコットをふんだんに使った料理がよく出ます。今日いただいたシュニッツェルの中にハムとチーズが入っていた料理も、とても美味でした。

R教授の親切なもてなしのせいもありますが、オーストリアが大変気に入っています。持つものは友です。科学が授けてくれる科学者にとっての大きな喜びと楽しみは、いろんな国のいろんな人々と仲良くなれることです。

スカイ・ディスクって何?

2010年01月12日 | 旅の徒然
今、ドイツのHalle大学のあるHalleという町にセミナーで来ています。

来るまで知らなかったのですが、招待してくれたのはこの大学の大学院生のトーマス君で、彼は昨年イタリアであったゴードン会議で私の講演を聴いて、大学院生の主催するセミナーシリーズに招待してくれたのだそうです。若い研究者に私の研究が共鳴を与え、こういう機会でドイツの今まで来たことのなかった町へ来ることができることは、大変光栄なことです。多くの研究者と一日ディスカッションして、楽しいひと時でした。

昨日は、トーマス君の案内でHalleの町を歩きました。とにかく雪が多く、除雪が行き届いていないのには驚きました。大学時代札幌で暮らしていたときのことを思い出しました。札幌も雪が多かったし、幹線道路以外は当時まだまだ除雪が不完全でした。今は変わっているのでしょうが。

ここの博物館で、スカイ・ディスクという古代人が使っていたと考えられる天文地図のことをはじめて知りました。何でも10年前に発見されたそうです。このあたりの地形が自然に恵まれていたのでしょう。何百万年前からの石器が膨大な数発見されています。天文学の知識もかなり発達していたらしく、月と太陽に動きをかなり詳細に調べて、一年の周期を見極めていたようです。これは、すごい!


小石原焼

2009年11月29日 | 旅の徒然
素敵な湯呑み茶碗を手に入れました。福岡県の小石原焼です。

九州北部に窯元が数多く存在するのは、申すまでもなく、豊臣秀吉が16世紀後半に朝鮮出兵を行って(文禄・慶長の役)、膨大な数の陶芸職人を朝鮮半島から連れて帰ってきたことに始まります。有名な有田焼、伊万里焼も歴史の根底はそこにあります。もちろん、400年余の歳月をかけて、その土地独自の素晴らしい作品になってきたことも事実です。

小石原焼もその例外ではありません。朝鮮系の技術がこの地に入り、当初現存する高取窯として始まったとのことです。おそらく村落には今でも先祖代々伝えられてきた朝鮮職人の家伝のたぐいが残っていることでしょう。高取窯に小石原窯が加わり、両者切磋宅なしあいながらよりよいものを作り上げてきたということです。

私の手に入れた小石原の茶碗は、現代の陶工の作品ですが、この地に伝わる独特の文様(連続的な点線)が施してあり、濃い土色と黄土色の色合いもうまく調和し、心休まる作品に仕上がっていて、大変気に入っています。

おそらく意思に反して朝鮮半島から連れてこられた陶工の人々、そしてそれを受け継いできた後の人々の努力に心から敬意を表しつつ、カナダの地で小石原焼の湯呑み茶碗でお茶を楽しませてもらえることに大変感謝しています。

Puconから帰宅

2009年11月22日 | 旅の徒然
南米のチりから帰宅しました。Puconでは雨続きで、結局噴煙を上げる火山の姿を見ることはできませんでした。Puconという町は、どうもチりでは結構人気のある避暑地のようで、日本でいうと軽井沢のようなところでしょうか。

町は大きくはありませんが、ほとんどか観光客目当てのレストランやショップでした。ホテルの前では、アルパカを使った様々な衣類とか、そのほか南米ならではのアクセサリーなどを売るインディーの屋台が何台も出ていて、外国人観光客目当てに商売をしていました。

ホテルの前にあったインディーの彫刻を写真におさめました。このあたりのインディーらしき人々の歴史をじっくりと調べたかったのですが、学会でいそがしく結局そういう時間がありませんでした。

チリ・プーコンより

2009年11月19日 | 旅の徒然
カルシウムの国際会議でチリに来ています。首都サンティエゴから南へ750kmのところにあるPuconというリゾートホテルにいます。

到着した日から雨が降ったりやんだりです。カルデラ湖畔にあるホテルで眺めは素晴らしいのですが、天気がぱっとしないので残念です。

文化や習慣がかなり違うので、驚かされることが多いのですが、幸い特に不自由することもなく、会議に出席しています。

鉄の箸

2009年11月09日 | 旅の徒然
韓国では食事のときに出される箸はどこへ行っても鉄製である。そのこともあって旅行中は、この国の木、石、鉄の文化のことを考えていた。そのことは10月23日の「ソウル到着」の記事でも書いた。朝鮮半島にはこれの素材が昔から豊富に存在した。高句麗、新羅、百済の時代のことである。

太古の昔、鉄はどのように作っていたのか?それは、花崗岩に含まれる砂鉄分を高温で熱することで、鉄を精製する。この技術を昔の人たちは持っていた。高温に熱するには燃料がいる。すなわち、薪が必要だったのだ。だから、花崗岩が豊富に存在し、そこから生まれる砂鉄がとれる朝鮮半島には鉄の文化が早くからあったのだ。もちろん、山々の森には豊富な材木が存在することも重要である。

日本列島にも花崗岩は存在する。森もある。鉄は四国で多く取れるが、技術力も未熟だったろうし、その量は十分でなかったのだろう。鉄の文化は半島、大陸から流れてきた優れた鉄の加工品をうらやましく思った人々がいたに違いない。

島の宝

2009年10月31日 | 旅の徒然
済州島で多いものを三つ上げるとすると何か?

それは、女、風、石だそうです。島の「三多」というのだそうです。

昔から男は兵役に取られたり、海で命を落とすものが多く、女性の人口が結果的に多くなった事情があるようです。そして、必然的に女性が家族を支える働き手になり、家族の中心的存在になっていきました。済州島の女性は強いのです。海女として海産物をとっている人たちが現在でも数千人いるそうです。ただし、その高齢化が現在の問題のようです。

風が強い。それは高くそびえる漢拏山(ハルラサン)、東シナ海と日本海に囲まれていて、強い海陸風が起こりやすい独特の地形であるからだそうです。そして、この風は太古の昔からこの島に様々なものをもたらしたのでしょう。漂着する船が後を絶たなかったようです。

最後に石。火山島である済州島の石の文化は、島の守護神・子宝の神である「トルハルバン」で象徴されます。やさしいオヤジの顔を島のいたるところで見かけます。

この「三多」が、島の宝になっているようです。

済州島から

2009年10月27日 | 旅の徒然
初めて、済州島に来ました。リゾート地として韓国や日本の方には有名ですね。

でも、私がここにぜひ一度来てみたいと思ったのは、この島が東アジアの中で歴史的にきわめて面白い存在だからです。

済州島には石器時代から人が住んでいました。一万年以上も前に南から船でやってきた人たちらしい。日本とよく似ていますね。当時の人々には、済州島も九州も上陸できる島という観点からは区別がつきませんからね。風まかせだったのでしょう。

その後、もちろん半島や大陸から様々な人たちがやってきて、耽羅という王国を築きました。日本との交流も色々な意味で深い。漂流、漂着も多くあり、半島と日本、そして中国の紛争の拠点にもなったようです。

8世紀の終わりごろ、空海が遣唐船で大陸に向かったとき、耽羅の島を航海の途中で見て、怖かったと記録に残しています。漂流者から富をえる略奪が島の伝統にあったことを物語っています。

元による侵略の歴史も、今の済州島にはっきりと残っています。モンゴル原産の馬が島の高地にある草原にたくさんいるそうです。

ホテルの部屋の窓の外には大きな海が広がっています。そして海の風がさわやかに吹いています。海のにおい、海の風は今も昔も変わっていないはずです。

では、またミーティングに行ってきます。

ソウル到着

2009年10月23日 | 旅の徒然
久しぶりに韓国に来ました。来週済州島で行われる学会に参加します。済州島は初めてなので楽しみです。今日はソウル大学でシンポジウムがあります。

今回の滞在はソウルパレスホテル。朝食の後、美しく洗練されたロビーのソファーに腰掛けて早朝のコーヒーを楽しみながら、この国の豊かさについて考えています。

太古の昔からこの半島は自然豊かな恵まれた環境にあったのだと思います。まず、山があり森があり、豊富な木材があること。そして、岩石も豊富にあり、石の文化があること。さらには、鉄を産出するのでしょう。鉄の文明が存在します。近代的なホテルのあちこちから、韓国の文化と伝統が伝わってきます。

さあ、講演の準備をしないと。。。

映画「おくりびと」

2009年10月04日 | 旅の徒然
アカデミー賞外国語映画賞の受賞などで話題となった映画「おくりびと」を、太平洋航路の飛行機の中で見る機会を得ました。海外に住んでいると、世間とくらべてどうもテンポが遅れてしまっていけないのですが、一昔にくらべれば格段に様々な情報が早く流れるようになったので、有難く思っています。テンポが遅れることは本人はまったく気にしていないのですが。。。

まず山崎努の納棺会社社長。この人は以前納棺師の経験があるのではないかと思わせる重厚な名演技と、本木雅弘の若々しくて誠実な青年役とが実に好対照で、とてもユーモラスでした。それから、ロケ地に使われた酒田市と鶴岡市の風景がとてもきれいで印象的でした。日本のカントリーサイドは素晴らしい!

それにしても、吉行和子はかの歳になられても色っぽくて素敵です。以前、カナダの映画「KAMATAKI」に出ていた彼女の演技も素晴らしく印象に残っていますが、「おくりびと」の銭湯の女主人役も実にはまり役でした。こんな銭湯が近所にあったら私も笹野高史役の近所の友人として50年ぐらい楽に通っていたかもしれません。

あっと、それから、英語のタイトルは「Departures」です。複数なんですよね。映画を見るとよくわかります。

飛行機の機内では、時々こういういい映画に出会うことができ、なんだか得をしたような気持ちになります。日本の方には、ちょっと時期はずれの話題だったかも知れませんが。。。

Il Ciocco Hotel and Resort in Lucca (Barga)

2009年07月01日 | 旅の徒然
ゴードン会議の会場は、ピサからバスで1時間半ほど走った山の中にありました。II Ciocco Hotel and Resortという名前のホテルですが、近くにはルカ(Lucca)という有名な町がありました。

山の中腹に建てられたリゾートからの眺めは素晴らしく、レストランのテラスではとても心地よい風が吹いていて、ランチの後のディスカッションには持って来いでした。こういうインフォーマルな議論を看板にするゴードン会議には最適な場所です。

それから、何よりも特出すべきは、朝昼晩と三食を五日間食べ続けても飽きなかったイタリア料理です。帰りには体重の増加がちょっと気になりました。







ピサの斜塔

2009年06月27日 | 旅の徒然
ゴードン・コンフェランスも無事終わり、昨夜帰宅しました。帰りの飛行機は順調で、フランクフルトでの乗り換えもとてもスムーズでした。

会議中は色々と忙しく写真をアップロードできませんでした。ピサの斜塔は本当にすばらしかった。特に夕暮れの景色が印象的でした。

会議中は情報に疎くなっていて、羽生名人が郷田九段を4-3で破り、名人位を防衛したことも帰ってから知りました。羽生名人に乾杯!

サンタフェ

2009年02月22日 | 旅の徒然
サンタフェは芸術家の住む町としてよく知られています。町のあちこちに様々な芸術品を展示しているギャラリーがありますし、赤茶けた独特のサンタフェスタイルの家屋の壁や屋根に、アートと思われるオブジェクトを見つけることができます。

サンタフェを立つ朝、有名なPasqual'sでブレックファーストを食べて(私はHUEVOS MOTULEÑOSを注文)、お腹が一杯になりました。外に出ると、真っ青な空と茶褐色の家屋の壁、そしてその壁にかかっていた馬がフルートを吹いているオブジェがとても印象的でした。


Linz

2009年02月13日 | 旅の徒然
オーストリアのLinzという町で行われている学会に来ています。私の講演も無事終わり、昨夜は学会主催のGala Dinnerがありました。観光用の小さな電車で市街地を一回りして、その後晩餐会の行われた会場に行きました。オーストリア料理はドイツ料理の似ていますが、やはりその土地ならではのものがあります。Linzでは小麦粉を練ったダンプリングの中に豚肉のソーセージのようなものが入っている料理や、日本で言うロールキャベツを楽しみました。デザートも美味しかったです。それからオーストリアコーヒーも楽しみました。オスマントルコに占領されていた時代のなごりで、ターキッシュコーヒーのようにかなり濃厚なコーヒーが気に入りました。

ホテルは大学の学生用の宿舎でしたが、大変立派な建物で部屋も清潔で広く、高速インターネット完備で申し分ありませんでした。写真は部屋の窓から見た大学近辺の住宅地ですが、中央に整然と並んで建っている住宅は、ヒットラーが建てたものだとLinz大学のR教授が教えてくれました。彼の口からその言葉が平然と出てきたのには、少し驚きました。ヒットラーに対するオーストリア人の思いを考えると、どう対応していいのかわかりませんでした。

Linzは以前は鉄鋼業の盛んな工業都市だったのですが、今は大学が立ち活気のあるきれいな町でした。2009年の欧州文化都市に指定されて、モダンアートの展示をあちこちで見かけました。古い建物を新しいものが調和した素敵な街でした。

今日ViennaからFrankfurt経由でトロントに戻ります。

ウイーン到着

2009年02月09日 | 旅の徒然
今週はLinzである学会に招待されて、オーストリアに来ています。今朝ウイーンに到着し、迎えに来てくれたウイーン大学のK教授の案内で、早速市内を観光しました。

あいにく冷たい雨が降っていて風が強かったので、あまり屋外を散策できませんでした。それでも、色々な観光名所を案内していただいて、本当に楽しい一日でした。K博士は絵画のことにとても詳しく、歴史にも明るく、美術館にたくさんあった宗教絵画や著名な作家の作品について、色々なエピソードを交えながら丁寧に説明してくれました。やはり土地の人の話を聴きながらの観光は一味ちがいます。それにしても寒かった。。。

そんな中で撮った一枚をアップします。人の目は対象性の高いものを美しく感じるようにできていると思うのですが、素晴らしい造形美にしばらく見とれていました。これが何だか、そしてどこだかわかった方は、相当なウイーン通か芸術に明るい方でしょうね。

明日はウイーン大学でセミナーです。今から準備をします。