四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成16年1月2日(伊豫から讃岐・第33日目)

2005-08-22 09:18:00 | 第4回(伊予から讃岐)
1月2日(金曜日)
 (第7日目・通算第33日目・歩行距離 33.9km・歩行歩数61,766歩)

 6:00分、起床

 6:30分に2階の食堂へ行き、朝食を取る。
女将さんにお礼を言って、観音寺までの道を聞く。
宿の前の道を真っ直ぐに行くと広い道にぶつかるので、それを左に曲がり
後は道なりに市街地目指して進めばいいと教えてくれる。

 7:00分、民宿おおひらの玄関先は、山陰になっておりまだ日が射してこない。
風がないので寒さもそれほど感じない。
神恵院・観音寺を目指して少しずつ明るさは増していくが人気のない寒々とした
道を歩いていく。

 観音寺の市街にかなり近づいてきたと思って歩いていると、
まだ開いていないお店の駐車場に停まった軽自動車から中年の女性が降りて
自動販売機で買い物をしている。
通り過ぎようとすると、缶コーヒーを2本「こんなものだけれど
飲んで下さい。」と言って差し出す。
お礼を言って納札を渡すと、「北海道から来ているのですか!」と感心される。
私の姿を見たので、わざわざ先回りして缶コーヒーをお接待してくれたようだ。
本当にありがたいことだ。
 「気を付けて回って下さい。」と言い残し、駐車場から出ていった。

 私は、お礼を言いながら頭を下げて見送った。
このお接待に元気を得て、前方に見えてきた観音寺のある山を目指して歩く。

 予讃線の踏切を渡り、一の谷川に架かる橋を渡ると、琴弾公園のある山が
目の前に見えている。
この山の、右側の方に目指すお寺がある。

 大平正芳記念館の前を通り適当に歩いていくとドンドン立派な商店街の方へ
道が続いている。
ちょっとき過ぎたかと思いキョロキョロしていると小さな小路の先に
遍路石を見つける。
そちらへ行こうとすると、向こうから歩いて来る老人から、
「このまま進めばすぐに橋があり、その先だよ。」と教えられる。
お礼を言って、そのまま進むと、右手に財田川に架かる大きな橋があり、
その先に、琴弾八幡宮の大きな鳥居が見えている。

 鳥居の手前にヘンロ標識を見つけたので、右に曲がり住宅地の中を歩く。
ほどなく、神恵院・観音寺の山門が見えてきた。


第68番札所 神恵院・第69番札所 観音寺

 8:40分、神恵院・観音寺に着く。

 山門から階段を上がり境内に入る。
さらに階段を上がり神恵院に行こうとすると、神恵院は左手との標識がある。
不審に思って標識どおり左に曲がって歩くと、右手にコンクリート製の建物が
あり、それが神恵院の本堂だと書かれている。

 本堂に向き合うと、そこにはコンクリート剥き出しの壁があり真ん中に
入り口がある。屋根も見えない、不思議な建物だ。

 入り口から中にはいると階段があり、その階段を上がると本堂がある。
本堂はお堂の造りとなっているが、本堂の前にはコの字型にコンクリートの壁と
屋根があり、お経を読む声が反響する。

 階段を下りて本堂の右手にある昔ながらの大師堂にお参りをしてから、
反対側にある観音寺の本堂と大師堂にお参りをする。
観音寺は何も変わっていない。

 神恵院の変わり様に驚きながら納経所へいく。
納経所手前に立派なトイレが出来ている。

 観音寺の本堂横にある茶店で休憩する。
茶店のおばさんに聞くと、神恵院本堂は2年ほど前に建て替えられたようだ。
 木造建築が当たり前と思っている本堂をコンクリート製にするには
随分勇気がいったことだと思う。
この神恵院の本堂がすんなり受け入れられるには、
一体何年の月日がかかるのだろうか。

 神恵院・観音寺を後にして、財田川の堤防にある遍路道を川上に向かって歩く。
川の中に青サギや白サギが姿を見せている。

 正面から暖かな日差しを受けながら、遠くに見える本山寺の五重塔を
目指して歩くのは気持ちがいい。

 予讃線の橋の下をくぐると、もうすぐ本山寺だ。


第70番札所 本山寺

 10:10分、本山寺に着く。
広い境内の中に参拝客がちらほら見える。
正面の本堂は、雨戸が開けられ中が明るくなって、ご本尊がよく見える。

 納経を済ませた後、本堂の前にあるベンチに座りぼんやりしていた。
広い境内を竹箒を持って掃いている女性がいる。
作務衣を着ており、お参りの人に挨拶したり話しかけている。
どうやらお寺の人のようだ。

 今晩の宿をどこにしようか考えていた。
昨日痛かった左足の脹ら脛も痛みはない。
今回の遍路の予定である善通寺までは今日中に着いてしまう。
この調子で歩けば、おそらく高松市までは行けるだろう。

 そこで、今晩は善通寺に泊まることにして、金比羅詣でをすることにした。
そうと決まれば、善通寺まで急がなければならない。

 10:30分、本山寺を後にする。
ここからは、国道11号に出て、次の弥谷寺までは12キロほどだ。

 国道11号をひたすら弥谷寺目指して歩く。
今日は日差しもあり暖かく、フリースの腕をまくりながら気持ちよく歩く。
 豊中町から高瀬町に入りお腹がすいてきた。
うどん屋を探しているが、やっと見つけたうどん屋さんがまだお店を
開いていなかったり、なかなか適当な店が見つからない。

 12:05分、国道から旧道へ続く遍路道の分岐点に「ラーメン大学」という店を
見つける。
お腹がすいていたので、うどんを諦めてラーメンにする。

 12:30分、お腹も一杯になり元気も出てきたところで、正面に見える
弥谷山を目指して遍路道を歩く。
弥谷寺はこの山の中腹にある。

 高瀬町の街にある四つ角に見覚えにある立派な遍路石を見つける。
この角を右に曲がり、坂道をドンドン登っていく。
弥谷寺の山道であることを示す双石柱をすぎると、道の傾斜が増してくる。

「ふれあいパークみの」に続く車道の入口を超えて少し登ったところに
八丁目大師堂がある。
このお堂にお参りをして、参道を登る。

 参道の両側に八十八カ所のお参りが出来る石仏が祀られている。
この石仏に手を合わせながら登っていくと大きな駐車場があり、
その先からいよいよ弥谷寺への本格的な参道が続いている。

 この辺りで、空模様が怪しくなってくる。
霧雨のような細かな粒が顔に当たる。
空を見るといつの間にかドンヨリと曇っている。


第71番札所 弥谷寺
 
 ポツポツと雨が落ちてくる中、参道歩いていく。
俳句茶屋の店先を過ぎると目の前に弥谷寺の山門が見えてくる。
ここから本堂までは延々と階段を登らなければいけない。
お正月の参拝客もけっこうきている。
晴れ着姿の女性や家族連れの人達の元気な声が聞こえる。

 大師堂の前からさらに本堂へと続く階段を登っていると、
着物姿の中年女性が階段を登っている。
着物でこの階段を上がるのは大変だと思うが、本堂まで上がって
お参りをしている。

 13:30分、やっと本堂に着く。
本堂からは三野町方面の広大な景色が広がるはずだが、
残念ながら、乳白色のドンヨリとした雲に阻まれ、鉛色の雲が目の前を
塞いでいる。

 前回来たときも弥谷寺では雨に降られている。
このお寺の持っている不思議な雰囲気には晴天より雨の方がよく似合っている。

 お参りの後、大師堂へ向かって階段を下りていく。
大師堂は靴を脱いでお堂の中に入らなければいけない。
お守りやお土産を売っている納経所の前を通り、大師像にお参りを済ませ、
さらにその奥にある大師が修行をした岩蔵にお参りをする。

 娘の桂の高校受験お守りをここから頂いていったが、
残念ながら不合格であった。
しかし、私立学校での高校生活は楽しかったようで、
あまり不満を口にしなかったので、その事に感謝し、お礼のお参りをした。

 大師堂の前にあるベンチに座り、今晩の宿を決めなければと思い
地図を見ていると、善通寺の門前近くに一富士という旅館がある。
一富士という宿は観音寺にもあり、前回は予約をしていながら断ったことが
あるので、これも何かの縁と思い一富士に電話する。
奥さんが電話に出て、泊めてくれることになった。

 ポツポツ落ちる雨も参道脇の深い林に遮られて歩くには邪魔にもならない。
雨宿りも兼ねて俳句茶屋に寄ることにした。
 
 俳句茶屋で甘酒を頼む。
ここの甘酒は酸味があり米の粒が口に当たる、ちょっと変わった甘酒だ。
酒粕から造る甘酒ではなくてお米を発酵させて造る甘酒のようだ。

 今晩どこに泊まるか聞かれたので、善通寺門前の一富士だというと、
「あそこは、以前、料理屋をしていた店で、今は旅館をやっているが、
場所が分かりづらいのでうまく行けるかな~」と言われる。

 おまけに、「この時間から善通寺まで行くのは無理でないか。」と
いわれたので、「大丈夫!」と答え、曼茶羅寺へ向かうことにした。

 俳句茶屋を出て竹林の中を歩いていると雨が本降りとなってくる。
雨具を着けて竹林の中を下っていく。

 高速道路の下をくぐって歩いていくと、向こうから荷物で一杯の自転車を
押しながら若い男性の遍路が坂道を登ってくる。
挨拶をしようとすると、こちらへ来るのではなく左手の方へ曲がっていく。
どうしたのかと思ってその男性遍路が行った方を見ると、ブロック造りの
小さな小屋があり、どうやらそこで野宿をするようだ。
 
 国道へ出てしばらく進み、小止みになってきた空模様を気にしながら
歩いていると、門前屋という大きな宿があり、その宿をぐるりと回ると
曼茶羅寺の山門がある。


第71番札所 曼茶羅寺

 14:50分、小雨に降る中を山門から境内に入る。
雨が降っているのでロウソクや線香が濡れないように気を付けながら火をつける。
本堂と大師堂にお参りし、納経所へ行きながら不老松を捜したが見えなかった。

 不老松というのは、一本の松の木で、高さ3~4メートルほど、
直径が10メートルほどの円形をしており、ちょうどキノコの笠のような
形をしていた松だ。

 納経を済ませてから、納経をしてくれたお婆さんに不老松のことを尋ねると、
平成14年の春に枯れてしまったと教えてくれる。
どうやら、松食い虫にやられてしまったようだ。
「毎年、松食い虫の防除はしていたのだが、一番発生する時期だけ
防除していたので、防除が不足していたらしい。
気が付いたときには手遅れとなって、平成13年の秋頃から枯れ葉が
目立ってきて、平成14年の春には枯れてしまった。」と教えてくれた。

 「今は、この松の木で造った大師像を祀ってある。大師堂も皆さんに
身近に感じてもらえるように、立派なお堂にはせずに、すぐ手が届くように
小さなお堂にしたので、良かったらお参りして下さい。」といわれる。

 なるほど、不老松があった場所には小さなお堂が建てられており、
その中にはYの字型の伸びる枝の根本に大師像が彫り込まれている。
なかなかいいお顔をしている。
お参りをしてから大師像の肩に触る。
不老松があった場所には丸く芝が植えられている。

 生命のあるものは必ず死んでしまうとは思っていても、
この松を守ってきた寺の人にしてみれば自分の代で枯らせてしまったことに対し
大きな責任を感じただろう。
檀家からいろいろ言われたかもしれない。
 でも、不老松が大師像に形を変えて、今まで生きていた以上に皆さんから
守られて行くならば、それが一番いいことなのだろうと思う。
大切なのは、形がなくなっても、人々の心に残っていれば、
それは消えることなく、残っていくものだと思う。

 曼茶羅寺から山に向かって坂道を登っていくと、10分足らずで出釈迦寺に着く。


第73番札所 出釈迦寺

 15:10分、出釈迦寺の階段を登り鐘突堂となっている山門をくぐると境内だ。
小降りになった雨の中、背中に荷物を背負ったままで本堂と大師堂に
お参りをする。

 納経所へ行き、納経を済ませると休む間もなく甲山寺へ向かう。

 今回、出釈迦寺へ来たときには弘法大師が幼少の頃身を投げて、
その、信仰への誓いを立てたという捨身が嶽禅定へも行ってみたいと
思っていたが、この雨の中を行くのは気が進まなかったので、
またの機会にすることにして今回は諦めた。

 曼茶羅寺の横をすり抜けて甲山寺へ向かう。

 本降りにはならないが、降ったり止んだりの空模様の中をちょっと先の方に
見える小高い山を目指して歩く。
甲山寺は、この山の左側にある。


第74番札所 甲山寺

  15:55分、甲山寺に着く。
 山門前の駐車場にマイクロバスが止まり、団体遍路の人達が十数人降りてくる。
お婆さんが多いが男性も数人混ざっている。

 荷物をベンチに置いて本堂前に行くと、すでに団体さんのお参りが
始まっている。
先達さんを中心に一糸乱れぬお経が始まる。
私は、その横で般若心経を小声で唱える。
そうして、大師堂へ先に回る。
お参りを先に済ませてから、団体遍路の人達のお経を聞く。
なかなか熱のこもったお経だ。

 曇り空のせいか夕闇が迫ってきており、次は、いよいよ善通寺なので
先を急ぐことにした。雨もあがってきたようだ。

 善通寺までは2キロ足らず、17時までには十分間に合う。

 善通寺の近くへくるとゴーンと鐘の音が聞こえてくる。
前方に道路を横切る人の波が見えてくる。善通寺だ。


第75番札所 善通寺

 16:25分、善通寺に着く。
大師堂に先にお参りをしてから納経をしてもらい、
それから金堂へお参りすることにした。

何故かというと、善通寺は二ブロックに別れており、金堂と五重塔のある
ブロックと、大師堂と宿坊などがあるブロックに別れている。
今いるのは、大師堂のあるブロックなので、お参りをした後に
納経も済ませることにした。

 それにしても、すごい人だ。
大師堂へ続く参道が人の波で埋まっている。
やっと、お灯明をつけ、お賽銭を投げて、片隅でお経を読む。

 広い境内にはあちらこちらにテントが立てられ、お守りやお札を売っており、
祈祷を受け付けるテントもある。
納経を済ませてこれらのテントを見ていると、お祓いを受け付けているテントの
中に若い女性のお坊さんを見つける。
まだ20代のように見える。
お祓いの申し込みをする人もこの時間になるとあまりいないようで、
寒そうにしている。
そこで、この尼さんに大師堂をバックに写真を1枚とってもらい、
記念に尼さんの写真を撮らせてもらうと、横のテントにいたお爺さんが
記念だからといってツーショット写真を撮ってくれた。

 朝のお勤めのことを聞くと、明日の朝も大師堂でお勤めをしているというので、
参加することにして、尼さんと別れた。

 大分、薄暗くなってきたので金堂へ向かうが、参道の人波も
まばらになってきた。

 金堂前でロウソクに火をつけ、金堂内でお参りをする。
そろそろ、金堂内の売店も後かたづけを始めたので、ちょっと落ち着かない。

 お参りも無事終えたので、一富士旅館に向かう。
だいたいの場所を納経所のおばさんが教えてくれたので、
善通寺前の商店街を歩いていると、街区図を見つける。
その地図に従って、路地の奥へ歩いていくと一富士には迷うことなく
着くことが出来た。
玄関先を見ても普通の旅館とはちょっと造りが違う建物だ。

 17:00分、一富士旅館に着く。
 玄関に入り呼び鈴を押すと女将さんが出てくる。
2階の部屋に案内してもらい、金比羅さんに行きたいと言うと、
暗くなってきたので早い方がいいと言われる。

 ご主人がJRの時刻表を見てくれると17:19分琴平行きの電車があるという。
荷物を置いて、駅の場所を教えてもらい駆け足で駅に向かう。

 無事に19分発の電車に間に合う。善通寺から一駅で金比羅さんのある琴平だ。

 琴平の駅に着く頃は真っ暗になっている。
でも、人通りは絶えない。人の流れに逆らうようにして金比羅さんへ向かう。
参道の入口に着くと、両側にあるお土産物やさんの明かりが眩しいくらいだ。
ここから延々と階段が続いているが、登っていく人は少ない。
降りてくる人を避けながら、お土産やさんを覗きながら、グングンと階段を
登っていく。
しばらく行くとお土産やさんがなくなる。
すると、辺りが急に暗くなる。

 参道を照らす照明が所々に灯っているだけだ。
暗い参道を一気に上がっていくと、本宮に着く。
お参りをする人がお賽銭を投げている。
本宮の入り口には大きな賽銭箱が有り、その前に白い布で賽銭を投げ込む場所が
造られている。

 近くにいた人に本宮をバックに写真を一枚撮ってもらうと、
そのまま、階段を下る。
アッという間の、金比羅詣でだ!
 途中で夕食を取らなければと思っていたが、ほとんどの店が閉まっている。
参道を降りて街の中で食堂を探すがなかなか見つからない。
やっと、中華の店を見つけたので中華飯を食べる。

 18:49分の多度津行きで善通寺に戻る。

 宿に帰り、風呂に入ると、早々に寝る。
明日の朝は、6時から始まる善通寺の朝のお勤めに参加するつもりだ。

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  善通寺には立派な宿坊があります。
 この時には、宿坊が改築中で泊まることが出来ませんでした。
 前回泊まったときには一人で求めていただけましたし、地下には立派な
 温泉がありました。
 温泉といっても沸かし湯なのですが「大師の湯」と名付けられ、大きな
 浴槽で気持ちよく入ったことがあります。

  善通寺では毎朝のお勤めに沢山の信者さんが一緒にお勤めをします。
 今回はほんの数人でしたが、前回お勤めに参加したときには、宿坊に
 泊まっている人がほとんど参加しており、さらに、お坊さんも沢山参列
 しており盛大なお勤めでした。
 お勤めの最後には、弘法大師の錫杖によるお加持が行われます。

  機会があればぜひ善通寺の宿坊に泊まることをおすすめします。

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