昨日、奥の院にお参りしたことで私の遍路は無事に終えたことになる。
今日は一日中高野山を見て歩くことにした。
無量光院の朝のお勤めに参加する。
6時に本堂へ行く。
本堂は狭く薄暗いが一番端に椅子がおかれており、
「お参りは時間が掛かるので、足が不自由な方は遠慮なくお座り下さい。」と
言われる。
私は、正座しても胡座をかいても足がしびれてしまうので、
遠慮なく椅子に座らせてもらう。
本堂の右側には護摩壇があり、すでに護摩供養が始まっている。
左側にご本尊が祀ってあり、こちらにお坊さんが6人ほど両側に分かれて
座っている。
正面を向いてご住職が座る席には何と外人さんが座っている。
この外人さんの合図により朝のお勤めが始まる。
延々と続く読経をきいている。
時折、護摩壇の火が大きくなるがこちらからはお経を読んでいる声が
聞こえてこない。
しばらくすると、護摩壇の方からお参りに参加している人が祭壇の方へ呼ばれる。
順番に祭壇へ歩いていくと大師像へお水をあげるようになっている。
白い湯呑みを渡され、その湯呑みに水を入れてくれる。
そして、その湯呑みを大師像へ捧げる。
そうするとその湯呑みの水をお坊さんがバケツにあけ、次の人に渡す。
これを繰り返している。
大師像の前から右手のご本尊にお参りして自分の席に戻る。
一通りお参りを済ませるとご住職の説教がある。
ご住職は、護摩壇の後ろに控えていた方だ。
「本堂が狭くて申し訳ない。いつもは、この後、私の部屋に来ていただき
お茶など飲んで頂くのですが、今日は沢山の方に泊まっていただいているので、
それも出来ず申し訳ない。」などと挨拶してくれる。
およそ1時間ほど掛かった朝のお勤めは、気持ちをすがすがしくしてくれた。
この日、せっかくの高野山は雨。
午前中は小雨だったが午後からは本降りになる。
金剛峯寺、根本大塔、宝物殿などを見る。
金堂は信者の人に対する行事があるようで観覧できない。
雨の中を濡れながら一日中、高野山で時間を潰す。
夕方、本降りの中を無量光院に行く。
無量光院に預かってもらっていたザックを受け取り、
雨具に身を包み菅笠を被り玄関から出ようとしたときに
青い作務衣姿の若い寺生が車で帰ってきた。
車を車庫に入れ、傘を差して玄関へ来る。
私が玄関を出ようとすると、「四国へ行って来たのですか?」と
声を掛けられ、「雨が強くなってきたので傘を使って下さい。」と
傘を差し出される。
私は、「菅笠があるので大丈夫です。今晩泊まるところも近いので!」と
いってから雨の中を歩いて門のところまで行き、
お礼をしようと思い振り返り手を合わせようとすると、
先ほどの若い寺生が両手を合わせてジッとこちらを見て見送ってくれている。
この時、私の胸の中にジーンとしたものが走り、目頭が熱くなった。
私は、宗教心も薄い一介のサラリーマンだ。
その私が修行中とはいえお坊さんに手を合わせられるような存在ではない。
しかし、目の前にいる寺生は、この私に手を合わせてくれている。
この寺生の姿が幾度となく四国で受けてきたお接待をしてくれた人達の姿と
だぶり、私の胸の中を揺り動かしてくる。
えもいわれぬ感動が湧いてくる。
このとき、本当に四国を歩いて良かったと思った。
今夜の宿はユースホステルです。
高野山のユースも実はお寺さんなのです。
宿坊ではありませんが、気持ちよく泊まれました。
宿泊料金は宿坊に比べると格安ですが、食事もおいしかったです。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
これで私が2年をかけて四国を歩き通したお遍路が終わりました。
足の痛さに我慢をして歩いたときもありますが、四国の人から受けた
暖かいお接待に助けられ歩けたのだと思います。
しかし、2年間歩いたことが私の心に響いてきません。
区切り打ちのせいなのか、何が達成感を呼び起こさないのか分かりません。
今度はぜひ通しで歩きたいと思っていますが、しがないサラリーマンでは
退職後を待つしかありません。
この遍路日記を書き残したのもこの通し打ちに備えるという意味が
ありました。
定年退職後に通し打ちが出来るときには今回歩いた記録をひもときながら
歩いてみたいと思っています。
さらに、今一番歩いてみたいのがチベットの奥にあるカイラス山の
巡礼路です。
カイラス山を1周する50キロほどの巡礼路です。
今は、この目標に向かって体力とお金を貯めるべく頑張っています。
もし、カイラス山に行くことが出来たときには、また巡礼日記を
書いてみようかと思っています。
今日は一日中高野山を見て歩くことにした。
無量光院の朝のお勤めに参加する。
6時に本堂へ行く。
本堂は狭く薄暗いが一番端に椅子がおかれており、
「お参りは時間が掛かるので、足が不自由な方は遠慮なくお座り下さい。」と
言われる。
私は、正座しても胡座をかいても足がしびれてしまうので、
遠慮なく椅子に座らせてもらう。
本堂の右側には護摩壇があり、すでに護摩供養が始まっている。
左側にご本尊が祀ってあり、こちらにお坊さんが6人ほど両側に分かれて
座っている。
正面を向いてご住職が座る席には何と外人さんが座っている。
この外人さんの合図により朝のお勤めが始まる。
延々と続く読経をきいている。
時折、護摩壇の火が大きくなるがこちらからはお経を読んでいる声が
聞こえてこない。
しばらくすると、護摩壇の方からお参りに参加している人が祭壇の方へ呼ばれる。
順番に祭壇へ歩いていくと大師像へお水をあげるようになっている。
白い湯呑みを渡され、その湯呑みに水を入れてくれる。
そして、その湯呑みを大師像へ捧げる。
そうするとその湯呑みの水をお坊さんがバケツにあけ、次の人に渡す。
これを繰り返している。
大師像の前から右手のご本尊にお参りして自分の席に戻る。
一通りお参りを済ませるとご住職の説教がある。
ご住職は、護摩壇の後ろに控えていた方だ。
「本堂が狭くて申し訳ない。いつもは、この後、私の部屋に来ていただき
お茶など飲んで頂くのですが、今日は沢山の方に泊まっていただいているので、
それも出来ず申し訳ない。」などと挨拶してくれる。
およそ1時間ほど掛かった朝のお勤めは、気持ちをすがすがしくしてくれた。
この日、せっかくの高野山は雨。
午前中は小雨だったが午後からは本降りになる。
金剛峯寺、根本大塔、宝物殿などを見る。
金堂は信者の人に対する行事があるようで観覧できない。
雨の中を濡れながら一日中、高野山で時間を潰す。
夕方、本降りの中を無量光院に行く。
無量光院に預かってもらっていたザックを受け取り、
雨具に身を包み菅笠を被り玄関から出ようとしたときに
青い作務衣姿の若い寺生が車で帰ってきた。
車を車庫に入れ、傘を差して玄関へ来る。
私が玄関を出ようとすると、「四国へ行って来たのですか?」と
声を掛けられ、「雨が強くなってきたので傘を使って下さい。」と
傘を差し出される。
私は、「菅笠があるので大丈夫です。今晩泊まるところも近いので!」と
いってから雨の中を歩いて門のところまで行き、
お礼をしようと思い振り返り手を合わせようとすると、
先ほどの若い寺生が両手を合わせてジッとこちらを見て見送ってくれている。
この時、私の胸の中にジーンとしたものが走り、目頭が熱くなった。
私は、宗教心も薄い一介のサラリーマンだ。
その私が修行中とはいえお坊さんに手を合わせられるような存在ではない。
しかし、目の前にいる寺生は、この私に手を合わせてくれている。
この寺生の姿が幾度となく四国で受けてきたお接待をしてくれた人達の姿と
だぶり、私の胸の中を揺り動かしてくる。
えもいわれぬ感動が湧いてくる。
このとき、本当に四国を歩いて良かったと思った。
今夜の宿はユースホステルです。
高野山のユースも実はお寺さんなのです。
宿坊ではありませんが、気持ちよく泊まれました。
宿泊料金は宿坊に比べると格安ですが、食事もおいしかったです。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
これで私が2年をかけて四国を歩き通したお遍路が終わりました。
足の痛さに我慢をして歩いたときもありますが、四国の人から受けた
暖かいお接待に助けられ歩けたのだと思います。
しかし、2年間歩いたことが私の心に響いてきません。
区切り打ちのせいなのか、何が達成感を呼び起こさないのか分かりません。
今度はぜひ通しで歩きたいと思っていますが、しがないサラリーマンでは
退職後を待つしかありません。
この遍路日記を書き残したのもこの通し打ちに備えるという意味が
ありました。
定年退職後に通し打ちが出来るときには今回歩いた記録をひもときながら
歩いてみたいと思っています。
さらに、今一番歩いてみたいのがチベットの奥にあるカイラス山の
巡礼路です。
カイラス山を1周する50キロほどの巡礼路です。
今は、この目標に向かって体力とお金を貯めるべく頑張っています。
もし、カイラス山に行くことが出来たときには、また巡礼日記を
書いてみようかと思っています。
結願というけれど、四国巡礼って札所を回り終えるということより、むしろ人と自然との出会いなんですねー。思いやりなんですねー。これが本当の宗教のような気もしました。
私もむかし北海道に住んだことがありました。今が一番いい季節ですよね。
四国のどこかでお会いすることもあるかもしれません。ありがとうございました。失礼します。
枯雑草さんも残りの遍路を楽しまれることを祈っています。
先日、本屋で四国八十八カ所の三か寺づつ掲載している本を立ち読みしているときに思わない人を見つけました。
それは、宿毛の延光寺で出会った白髭の老人です。
インタビューを受けている記事によると遍路一千日を目標に歩いていると紹介されていました。
私が目にしたこととこの記事の落差に驚いています。
遍路もいろいろな人がいる!
これが実感ですが、どんな人も包み込んでしまうのが四国の人の温かさだと思います。
私も、そんな人々に助けられて歩きました。