12月27日(土曜日)
(第1日目・通算第27日目・歩行距離 27.2km・歩行歩数45,473歩)
JR松山駅に6:00分に着く。外はまだ真っ暗で、冷たい風が吹いている。
ここからバスに乗り換えなければいけないが、バスは松山市駅から出る。
松山市駅には電車で行くことにした。
15分ほど待つと電車が来た。
電車に乗り換えて、松山市駅に着く。
何か食べ物を買おうと思ったが、開いてい留店が見あたらない。
やっと、ローソンを見つけたので、ここで朝食用に肉まんを2個買う。
待合室で肉まんを食べながらバスを待つ。
7:05分、浄瑠璃寺方面へのバスが出る。
お客さんはほとんどいない。一緒に乗った私より年上の女性が話しかけてくる。
大阪駅からのバスも一緒に乗っていたようで、しかも、隣に乗っていたという。
どうやら、真ん中の列に乗っていた女性のようだ。
お遍路についていろいろ聞いてくる。
身なりは小綺麗で上品なものを身に付けていると思ったら、宝塚から来たという。
身内のお見舞いに来たと話してくれるが、浄瑠璃寺のあたりは松山市内から
相当離れているので、病院というよりは老人保健施設へお見舞いに来たようだ。
松山は遠いのでなかなか来られないなどと話してくれる。
浄瑠璃寺の手前でバスを降りる。「気を付けて歩いて下さい」と言われる。
7:50分、バスが浄瑠璃寺の前に着く。
運転手さんが気を利かして浄瑠璃寺の真ん前でバスを止めてくれる。
お礼を言ってバスを降りる。
さあ、ここから、今回のお遍路が始まる。
今回の予定では善通寺あたりを目指して歩くつもりだ。
第46番札所 浄瑠璃寺
浄瑠璃寺の前で一礼し、階段を上がる。
空は鉛色でドンヨリと曇っている。境内の中は暗く、冷たい風が吹き抜けて寒い。
誰もいない本堂と大師堂の前でお参りをする。
お参りを済ませポツンと灯りがついている納経所へ行くと納経所には
見覚えのある住職がいる。
丁寧に納経してくれる。
境内の中を掃除しているお寺の奥さんに八坂寺への道を聞く。
ドンヨリとした曇り空で足元から冷たい風がビュービューと吹く
遍路道を八坂寺に向かって風に押されるようにして歩く。
畑の中の道を歩いていると空からチラチラと白いものが降ってくる。
雪だ!雪が強い風に舞うように降っている。どおりで寒いはずだ。
畑の横に軽自動車が止まっている。
その車に向かって畑の中から歩いてきたお婆さんがミカンを2個
お接待してくれる。
今回、初めてのお接待だ。お礼を言って、ミカンをポケットの中に入れる。
八坂寺まではほんの1キロ足らずの距離だ。
ほどなく、道の先に八坂寺が見えてきた。
第47番札所 八坂寺
8:40分、八坂寺に着く。
八坂寺の小さな門をくぐり、階段を上がると境内だ。
誰もいない境内で本堂へお参りをしようと歩いていると、横の方から真っ白な
猫が私に向かって歩いてくる。
本堂でお経を上げようとすると、その白猫がミャアーミャアーいって
足元にまとわりついてくる。
「おいおい、おまえに食べさせるようなものは何も持っていないよ。」と
話しかけながらお経を唱え出すと、白猫は本堂に上がり丸くなって
ジッとこちらを見ている。
お参りを済ませ、大師堂に向かうと猫はそのまま本堂にいる。
大師堂のお参りを済ませ、納経所へ向かう。
私の他には誰もいないし寒いので、納経を済ませるとすぐに西林寺へ
向かって歩き出す。
八坂寺の山門を出ると、疎水沿いのすぐ左手にヘンロ標識があり、
ヘンロ標識に従って狭い道を歩いていく。
バス通りに出て道を下っていくと別格霊場第8番の文珠院がある。
お参りをして行くことにした。
寒さのためお経を唱える口の動きがぎこちない。
このあたりでやっと太陽の日が差し少し暖かくなってきた。
文珠院は、境内は狭いが4メートルはあろうかという石造りの
大きな大師像がある。
ちょっと手を合わせて、先を急ぐ。
バス通りをドンドン歩いていくと、右手の角に四国の道の標識を見つける。
その標識に従って右に曲がり、ちょっと進むと家の前に佇む老人がいる。
挨拶をすると西林寺への道を教えてくれる。
言われたとおりに進み、すぐ先にある交差点を左に曲がる。
交通量の多い広い道に出る。
重信川の橋を渡っていると河川敷のゴルフ場でゴルフをしている人がいる。
気持ちよさそうにクラブを振っている。
右手に枝分かれしている細い道があり小さな通夜堂が見える。
そちらに曲がり、通夜堂で休んでいる中年男性のお遍路さんに挨拶をして
通り過ぎる。
しばらく行くと、広い道を横切らなくてはいけないが交通量があるので
躊躇していると、左手に、信号機のある交差点があり、
その手前にお焼きを売っている店がある。
このお店で、おやつ用にお焼きを3個買う。
交差点を渡り、遍路道に戻ると、ほどなく、西林寺の山門が見えてきた。
第48番札所 西林寺
9:45分、西林寺に着く。
西林寺の境内には数人のお遍路さんがお参りをしている。
でも、皆さん車で来ているようだ。
お参りと納経を済ませ、境内のベンチで一休みする。
先ほど買ったお焼きを1個食べるが、小豆餡の味に物足りなさが残る。
やっぱり、小豆の餡は北海道の方が断然おいしい。
西林寺をあとにして、交通量の多い道を横切り、狭い遍路道を浄土寺に向かう。
道は狭いが、時折バスの走ってくる交通量の多い道だが歩道がない。
車に気を付けながら歩いていく。
第49番札所 浄土寺
10:45分、浄土寺に着く。
浄土寺は、ちょっと奥まったところにあるので、
車の音も全く聞こえず静かなお寺だ。
静かな境内で気持ちを落ち着けてお参りをする。
納経所で住職さんと昔の話をする。
住職さんの子供の頃この辺の人はみな貧しかったので、冬でも履き物は
下駄しかなかった。
雪が降っても下駄履きだったので、寒さで手足はしもやけやあかぎれで
真っ赤になっていた。
今の子供達は恵まれている。などと話してくれる。
西林寺を出ると交通量の多い交差点がある。その交差点のところに
日尾八幡社の神社があり、この神社前を右に曲がり、住宅街に入っていく。
住宅街の先を少し登っていくと溜池があり、その先に繁多寺がある。
第50番札所 繁多寺
11:25分、繁多寺に着く。
繁多寺は小高いところにあるので、ここからは、町並みの上に松山城が見える。
境内はきれいに掃かれており、よく手入れがされている。
お参りを済ませてから納経所前のベンチで一休みする。
お腹が少しすいてきたけれど、石手寺をお参りしてから昼食とすることにした。
石手寺までは2.5キロほどしかないので30分もあれば着いてしまうだろう。
山門前の溜池を右手に見ながら住宅街を石手寺に向かって歩く。
途中から国道40号線に出ると、その突き当たりに石手寺がある。
第51番札所 石手寺
12:15分、石手寺に着く。
石手寺の山門前に仲見世があるのだが、今日は閉まっている店が多い。
店が閉まっている暗い山道を山門に向かって歩く。
ほどなく山門があり、右手の方からモウモウと線香の煙が流れてくる。
石手寺は、いろいろなお堂があるので、どこにお参りをすればいいのか
迷ってしまう。
正面の本堂にお参りをして、右手にある大師堂もお参りをする。
納経を済ませると12:30分になっている。
お腹がすいているので、門前にある「うどん屋大介」に入る。
肉うどんを頼む。うどんの温かい汁がお腹に染みわたる。
ドンブリを両手で挟むとドンブリを通してうどんの温かさが両手に伝わる。
ここまで、冷たい風に追われるように歩いて来た。
うどんの温かさが体に広がると、ここで、これからの予定をどうするか
考える余裕が出てきた。
最初の予定では、今晩は道後温泉で泊まるつもりだった。
しかし、ここから道後温泉には15分もあれば着いてしまう。
体の調子もいいので、もう少し足を伸ばすことにした。
今晩の宿を円明寺の近くにある「民宿まあめいど」にしようと思い
電話をかける。
女将さんが出て、泊まれることになったが「料金はおいくらで?」と
聞かれたのでお遍路料金の「6千円でお願いします。」といったら、
「5百円足せませんか?」と言われたので、その料金でお願いすることにした。
さらに「夕食はたくさん出ますので、お腹をすかして来て下さい。」と言われる。
ここから太山寺と円明寺を回って宿までは15キロほどある。
十分お腹はすくはずだ。
今日の宿も決まったので、さあ、太山寺を目指すか。
ここからのお遍路道は道後温泉に向かっている。
歩いていくと、道後温泉本館の前に来る。この本館前を左に曲がり商店街に入り、すぐに右に曲がる。
道後温泉を通るとは聞いていたが、本当に温泉前の商店街の中を通るとは
思わなかった。
疎水沿いの細い道を西に向かって歩く。
松山大学のグランドを抜けて歩いていると、小さな地蔵堂があり
その裏側で灯油缶で焚き火をしながら世間話をしている老人達がいる。
挨拶をすると「ちょっと休んでいかないか」と言われる。
男性3人に女性2人の5人が、ワイワイと雑談をしている。
イスを勧められ、坐ると「どこから来た?」と早速の質問がくる。
「北海道からです。」といつものように答えると、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
それに答えていると、ミカンを食べろと言って隣のお婆さんが渡してくれる。
とりとめのない雑談を聞きながら焚き火で手を暖めていると、
ご老人達は世界一周したか?と言う話で盛り上がっている。
15分ほどでお暇しようと腰を上げると、向かい側に坐っているお爺さんが
裏の方から取り出したミカンを5個ほどくれる。
お礼を言って、歩き出す。
しばらく歩くと安城寺回りと古三津回りの分岐点に来る。
今回は、古三津回りを歩くことにして、左の細い道に入る。
この道をドンドン30分ほど歩いていると、どうも道が違うようだ。
あたりを見渡すと、街区図があるのでその地図を頼りに左の道を進む。
すると、すぐに広くて交通量の多い道に出る。
この道を歩いて行くが、どうも太山寺がある山と思われる方角から
離れていくような気がする。
跨線橋を渡った先に大きな交差点がある。
交差点の上にある標識を見ると、真っ直ぐ進むと三津港と書かれている。
地図を見ると近くに線路があるので、JR三津浜駅が目印になると思い、
近くのスーパーで駅の場所を聞く。
右手に進むといいと教えてくれる。
そのまま、聞いたとおり歩いて行くと線路から離れてしまう。
戻って線路沿いに細い道を適当に歩いていくと、線路の先の方に
跨線橋が見えてきた。
駅前に来ると古い駅舎の屋根に三津駅と書かれた看板がある。
探していたのは三津浜駅なので、なぜ駅名が違うのか分からない。
駅前に駐車しているタクシーの運転手さんに聞くと、
この駅は伊予鉄道の三津駅だという。
三津浜駅はJR線なので違うのだ。
JR線だと思っていた線路は伊予鉄の線路だったのだ。
だから駅名が違うのだ。
太山寺への道を聞くと「タクシーで送ってやるよ!」と冗談を言いながら、
この駅前の道を右に進み、その先にある三叉路をさらに右に進めば
太山寺だと教えてくれる。
運転手さんにお礼を言って、教えてくれたとおり右手に進むと、
地図に出ている白石一商会がある。
三叉路に来ると、太山寺と円明寺と書かれた標識もある。
どうやら、これでちゃんとした道に戻ったようだ。
三叉路を右に曲がり歩いていくと住宅もなくなり小高い山に向かって
道が延びている。
坂道を登って行くと向こうから野球のユニホームを着た坊主頭の高校生が
何人も走ってくる。
胸には新田と書かれている。
坂を登りきると左手の細い道のヘンロ標識がある。
その標識にしたがって山道を歩いていくと、やがて、下り坂になり、
坂の下に太山寺の一の門を見つける。
ここを左に曲がって進むと、太山寺の山門は工事用のテントに覆われている。
どうやら改修工事をしているようだ。
テント掛けの中から土煙や鋸の音が聞こえてくる。
第52番札所 太山寺
15:45分、太山寺の本堂に着く。
太山寺は、山門をくぐってから本堂までかなりの距離がある。
本堂に着く頃には、夕闇が迫り、薄暗くなってきた。
早速、本堂と大師堂にお参りをする。
太山寺の納経所は本堂から少し下ったところにある。
納経所に行くと30代前半?の若い女性が納経帳を書いてくれる。
この女性が見事な筆使いをするので、お顔と手元を交互に見てしまった。
ここから円明寺までは2キロほどで、しかも下り坂なのでぐんぐん歩く。
思ったほど疲れも出ていない。
第53番札所 円明寺
16:25分、円明寺の山門に着く。
円明寺は、前回オートバイで来たときに初めてお接待を受けたお寺だ。懐かしい!
あの時は、山門を入ろうとするとジュースとパンをお接待していただいた。
あの時お接待してくれた女性達はどうしているのだろう?
こんな縁で円明寺には親近感を感じる。
山門をくぐると、パラパラと雨が降ってくる。
それほどの雨でもないので、本堂と大師堂へお参りをしてから納経所へ避難する。
納経所で雨宿りをしながら「まあめいど」の場所を聞くがよく分からないようだ。
取りあえず西門から出て右に真っ直ぐ進むと海の方へ出るので、
そちらへ行くように教えてくれる。
西門へ行こうと歩いていると、若者が「歩いているのですか?」と
話しかけてくる。
先ほど太山寺でも見かけた若者だ。
話していると、この若者は札幌から来ているという。
私も札幌だというといろいろと話してくれる。
この若者は、お正月休みで実家の北九州市へ帰ってきたので、
この機会を利用して実家の車を借りてお遍路にきた。
北海度で放送している「水曜どうでしょう」を見て、
「俺もやってみたくなった」などと話してくれる。
「水曜どうでしょう」というテレビ番組は北海道だけで放送している番組だが、
大泉洋というタレントが50ccの原チャリを使い、ほんの数日で
お遍路をするという企画を放送したことがある。
この放送を見てやってみようという気になったようだ。
実は、この「水曜どうでしょう」という番組は娘がよく見ている番組だ。
私は、ばかばかしい番組なのでほとんど見たことがないが、
中高生には人気の番組だ。
この番組を見てお遍路に出掛けようという若者がいるということは、
「水曜どうでしょう」恐るべしといったところか。
そぼ降る雨の中を西門から海に向かって歩く。ほどなく雨が降り止む。
20分ぐらい進むとどちらに行けばいいか分からなくなった。
ちょうど、大きな白い犬の散歩をしているおじさんがいたので聞いてみると、
まあめいどと書かれた看板を見たような気がするという。
教えてもらった方に進んでいくと街区図があり、
この地図をよく見るとまあめいどが載っている。
これで場所が分かったので、歩いていくと川がありそこを左に曲がり
海に向かっていくとまあめいどの看板を見つける。
17:15分、今日の宿まあめいどに着く。
まあめいどさんの夕食は豪華だった。
いろいろな魚料理に囲まれて食べきれないくらいだった。
刺身に揚げ物、鍋と盛りだくさんの食べ物がテーブルの上に並ぶ。
食事中も女将さんがずっーと給仕に付いてくれる。
その時にいろいろな話をしてくれた。
その話を聞いていると、もともと道後温泉で親の代から旅館をやっていた。
旅館といっても会社契約の保養所としての旅館業なので一般のお客を
泊めることはほとんどなかったようだ。
この旅館も、景気が悪くなってきたので閉めたが、息子が医者なので、
開業することを考えて人手に渡すことなく守ってきた。
しかし、息子さんは開業医より研修医を選びアメリカの大学に行ってしまった。
それで仕方なく旅館は手放し、ここ堀江で小さな宿と居酒屋をご主人と二人で
始めた。
「どうしてこの宿を知ったのですか?」と聞かれたので、
インターネットで見たことを話す。
「女将さんの日記も読んでますよ。」というと、恥ずかしそうにしている。
明日の朝食を6:45分に頼んで部屋で休むことにした。
(第1日目・通算第27日目・歩行距離 27.2km・歩行歩数45,473歩)
JR松山駅に6:00分に着く。外はまだ真っ暗で、冷たい風が吹いている。
ここからバスに乗り換えなければいけないが、バスは松山市駅から出る。
松山市駅には電車で行くことにした。
15分ほど待つと電車が来た。
電車に乗り換えて、松山市駅に着く。
何か食べ物を買おうと思ったが、開いてい留店が見あたらない。
やっと、ローソンを見つけたので、ここで朝食用に肉まんを2個買う。
待合室で肉まんを食べながらバスを待つ。
7:05分、浄瑠璃寺方面へのバスが出る。
お客さんはほとんどいない。一緒に乗った私より年上の女性が話しかけてくる。
大阪駅からのバスも一緒に乗っていたようで、しかも、隣に乗っていたという。
どうやら、真ん中の列に乗っていた女性のようだ。
お遍路についていろいろ聞いてくる。
身なりは小綺麗で上品なものを身に付けていると思ったら、宝塚から来たという。
身内のお見舞いに来たと話してくれるが、浄瑠璃寺のあたりは松山市内から
相当離れているので、病院というよりは老人保健施設へお見舞いに来たようだ。
松山は遠いのでなかなか来られないなどと話してくれる。
浄瑠璃寺の手前でバスを降りる。「気を付けて歩いて下さい」と言われる。
7:50分、バスが浄瑠璃寺の前に着く。
運転手さんが気を利かして浄瑠璃寺の真ん前でバスを止めてくれる。
お礼を言ってバスを降りる。
さあ、ここから、今回のお遍路が始まる。
今回の予定では善通寺あたりを目指して歩くつもりだ。
第46番札所 浄瑠璃寺
浄瑠璃寺の前で一礼し、階段を上がる。
空は鉛色でドンヨリと曇っている。境内の中は暗く、冷たい風が吹き抜けて寒い。
誰もいない本堂と大師堂の前でお参りをする。
お参りを済ませポツンと灯りがついている納経所へ行くと納経所には
見覚えのある住職がいる。
丁寧に納経してくれる。
境内の中を掃除しているお寺の奥さんに八坂寺への道を聞く。
ドンヨリとした曇り空で足元から冷たい風がビュービューと吹く
遍路道を八坂寺に向かって風に押されるようにして歩く。
畑の中の道を歩いていると空からチラチラと白いものが降ってくる。
雪だ!雪が強い風に舞うように降っている。どおりで寒いはずだ。
畑の横に軽自動車が止まっている。
その車に向かって畑の中から歩いてきたお婆さんがミカンを2個
お接待してくれる。
今回、初めてのお接待だ。お礼を言って、ミカンをポケットの中に入れる。
八坂寺まではほんの1キロ足らずの距離だ。
ほどなく、道の先に八坂寺が見えてきた。
第47番札所 八坂寺
8:40分、八坂寺に着く。
八坂寺の小さな門をくぐり、階段を上がると境内だ。
誰もいない境内で本堂へお参りをしようと歩いていると、横の方から真っ白な
猫が私に向かって歩いてくる。
本堂でお経を上げようとすると、その白猫がミャアーミャアーいって
足元にまとわりついてくる。
「おいおい、おまえに食べさせるようなものは何も持っていないよ。」と
話しかけながらお経を唱え出すと、白猫は本堂に上がり丸くなって
ジッとこちらを見ている。
お参りを済ませ、大師堂に向かうと猫はそのまま本堂にいる。
大師堂のお参りを済ませ、納経所へ向かう。
私の他には誰もいないし寒いので、納経を済ませるとすぐに西林寺へ
向かって歩き出す。
八坂寺の山門を出ると、疎水沿いのすぐ左手にヘンロ標識があり、
ヘンロ標識に従って狭い道を歩いていく。
バス通りに出て道を下っていくと別格霊場第8番の文珠院がある。
お参りをして行くことにした。
寒さのためお経を唱える口の動きがぎこちない。
このあたりでやっと太陽の日が差し少し暖かくなってきた。
文珠院は、境内は狭いが4メートルはあろうかという石造りの
大きな大師像がある。
ちょっと手を合わせて、先を急ぐ。
バス通りをドンドン歩いていくと、右手の角に四国の道の標識を見つける。
その標識に従って右に曲がり、ちょっと進むと家の前に佇む老人がいる。
挨拶をすると西林寺への道を教えてくれる。
言われたとおりに進み、すぐ先にある交差点を左に曲がる。
交通量の多い広い道に出る。
重信川の橋を渡っていると河川敷のゴルフ場でゴルフをしている人がいる。
気持ちよさそうにクラブを振っている。
右手に枝分かれしている細い道があり小さな通夜堂が見える。
そちらに曲がり、通夜堂で休んでいる中年男性のお遍路さんに挨拶をして
通り過ぎる。
しばらく行くと、広い道を横切らなくてはいけないが交通量があるので
躊躇していると、左手に、信号機のある交差点があり、
その手前にお焼きを売っている店がある。
このお店で、おやつ用にお焼きを3個買う。
交差点を渡り、遍路道に戻ると、ほどなく、西林寺の山門が見えてきた。
第48番札所 西林寺
9:45分、西林寺に着く。
西林寺の境内には数人のお遍路さんがお参りをしている。
でも、皆さん車で来ているようだ。
お参りと納経を済ませ、境内のベンチで一休みする。
先ほど買ったお焼きを1個食べるが、小豆餡の味に物足りなさが残る。
やっぱり、小豆の餡は北海道の方が断然おいしい。
西林寺をあとにして、交通量の多い道を横切り、狭い遍路道を浄土寺に向かう。
道は狭いが、時折バスの走ってくる交通量の多い道だが歩道がない。
車に気を付けながら歩いていく。
第49番札所 浄土寺
10:45分、浄土寺に着く。
浄土寺は、ちょっと奥まったところにあるので、
車の音も全く聞こえず静かなお寺だ。
静かな境内で気持ちを落ち着けてお参りをする。
納経所で住職さんと昔の話をする。
住職さんの子供の頃この辺の人はみな貧しかったので、冬でも履き物は
下駄しかなかった。
雪が降っても下駄履きだったので、寒さで手足はしもやけやあかぎれで
真っ赤になっていた。
今の子供達は恵まれている。などと話してくれる。
西林寺を出ると交通量の多い交差点がある。その交差点のところに
日尾八幡社の神社があり、この神社前を右に曲がり、住宅街に入っていく。
住宅街の先を少し登っていくと溜池があり、その先に繁多寺がある。
第50番札所 繁多寺
11:25分、繁多寺に着く。
繁多寺は小高いところにあるので、ここからは、町並みの上に松山城が見える。
境内はきれいに掃かれており、よく手入れがされている。
お参りを済ませてから納経所前のベンチで一休みする。
お腹が少しすいてきたけれど、石手寺をお参りしてから昼食とすることにした。
石手寺までは2.5キロほどしかないので30分もあれば着いてしまうだろう。
山門前の溜池を右手に見ながら住宅街を石手寺に向かって歩く。
途中から国道40号線に出ると、その突き当たりに石手寺がある。
第51番札所 石手寺
12:15分、石手寺に着く。
石手寺の山門前に仲見世があるのだが、今日は閉まっている店が多い。
店が閉まっている暗い山道を山門に向かって歩く。
ほどなく山門があり、右手の方からモウモウと線香の煙が流れてくる。
石手寺は、いろいろなお堂があるので、どこにお参りをすればいいのか
迷ってしまう。
正面の本堂にお参りをして、右手にある大師堂もお参りをする。
納経を済ませると12:30分になっている。
お腹がすいているので、門前にある「うどん屋大介」に入る。
肉うどんを頼む。うどんの温かい汁がお腹に染みわたる。
ドンブリを両手で挟むとドンブリを通してうどんの温かさが両手に伝わる。
ここまで、冷たい風に追われるように歩いて来た。
うどんの温かさが体に広がると、ここで、これからの予定をどうするか
考える余裕が出てきた。
最初の予定では、今晩は道後温泉で泊まるつもりだった。
しかし、ここから道後温泉には15分もあれば着いてしまう。
体の調子もいいので、もう少し足を伸ばすことにした。
今晩の宿を円明寺の近くにある「民宿まあめいど」にしようと思い
電話をかける。
女将さんが出て、泊まれることになったが「料金はおいくらで?」と
聞かれたのでお遍路料金の「6千円でお願いします。」といったら、
「5百円足せませんか?」と言われたので、その料金でお願いすることにした。
さらに「夕食はたくさん出ますので、お腹をすかして来て下さい。」と言われる。
ここから太山寺と円明寺を回って宿までは15キロほどある。
十分お腹はすくはずだ。
今日の宿も決まったので、さあ、太山寺を目指すか。
ここからのお遍路道は道後温泉に向かっている。
歩いていくと、道後温泉本館の前に来る。この本館前を左に曲がり商店街に入り、すぐに右に曲がる。
道後温泉を通るとは聞いていたが、本当に温泉前の商店街の中を通るとは
思わなかった。
疎水沿いの細い道を西に向かって歩く。
松山大学のグランドを抜けて歩いていると、小さな地蔵堂があり
その裏側で灯油缶で焚き火をしながら世間話をしている老人達がいる。
挨拶をすると「ちょっと休んでいかないか」と言われる。
男性3人に女性2人の5人が、ワイワイと雑談をしている。
イスを勧められ、坐ると「どこから来た?」と早速の質問がくる。
「北海道からです。」といつものように答えると、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
それに答えていると、ミカンを食べろと言って隣のお婆さんが渡してくれる。
とりとめのない雑談を聞きながら焚き火で手を暖めていると、
ご老人達は世界一周したか?と言う話で盛り上がっている。
15分ほどでお暇しようと腰を上げると、向かい側に坐っているお爺さんが
裏の方から取り出したミカンを5個ほどくれる。
お礼を言って、歩き出す。
しばらく歩くと安城寺回りと古三津回りの分岐点に来る。
今回は、古三津回りを歩くことにして、左の細い道に入る。
この道をドンドン30分ほど歩いていると、どうも道が違うようだ。
あたりを見渡すと、街区図があるのでその地図を頼りに左の道を進む。
すると、すぐに広くて交通量の多い道に出る。
この道を歩いて行くが、どうも太山寺がある山と思われる方角から
離れていくような気がする。
跨線橋を渡った先に大きな交差点がある。
交差点の上にある標識を見ると、真っ直ぐ進むと三津港と書かれている。
地図を見ると近くに線路があるので、JR三津浜駅が目印になると思い、
近くのスーパーで駅の場所を聞く。
右手に進むといいと教えてくれる。
そのまま、聞いたとおり歩いて行くと線路から離れてしまう。
戻って線路沿いに細い道を適当に歩いていくと、線路の先の方に
跨線橋が見えてきた。
駅前に来ると古い駅舎の屋根に三津駅と書かれた看板がある。
探していたのは三津浜駅なので、なぜ駅名が違うのか分からない。
駅前に駐車しているタクシーの運転手さんに聞くと、
この駅は伊予鉄道の三津駅だという。
三津浜駅はJR線なので違うのだ。
JR線だと思っていた線路は伊予鉄の線路だったのだ。
だから駅名が違うのだ。
太山寺への道を聞くと「タクシーで送ってやるよ!」と冗談を言いながら、
この駅前の道を右に進み、その先にある三叉路をさらに右に進めば
太山寺だと教えてくれる。
運転手さんにお礼を言って、教えてくれたとおり右手に進むと、
地図に出ている白石一商会がある。
三叉路に来ると、太山寺と円明寺と書かれた標識もある。
どうやら、これでちゃんとした道に戻ったようだ。
三叉路を右に曲がり歩いていくと住宅もなくなり小高い山に向かって
道が延びている。
坂道を登って行くと向こうから野球のユニホームを着た坊主頭の高校生が
何人も走ってくる。
胸には新田と書かれている。
坂を登りきると左手の細い道のヘンロ標識がある。
その標識にしたがって山道を歩いていくと、やがて、下り坂になり、
坂の下に太山寺の一の門を見つける。
ここを左に曲がって進むと、太山寺の山門は工事用のテントに覆われている。
どうやら改修工事をしているようだ。
テント掛けの中から土煙や鋸の音が聞こえてくる。
第52番札所 太山寺
15:45分、太山寺の本堂に着く。
太山寺は、山門をくぐってから本堂までかなりの距離がある。
本堂に着く頃には、夕闇が迫り、薄暗くなってきた。
早速、本堂と大師堂にお参りをする。
太山寺の納経所は本堂から少し下ったところにある。
納経所に行くと30代前半?の若い女性が納経帳を書いてくれる。
この女性が見事な筆使いをするので、お顔と手元を交互に見てしまった。
ここから円明寺までは2キロほどで、しかも下り坂なのでぐんぐん歩く。
思ったほど疲れも出ていない。
第53番札所 円明寺
16:25分、円明寺の山門に着く。
円明寺は、前回オートバイで来たときに初めてお接待を受けたお寺だ。懐かしい!
あの時は、山門を入ろうとするとジュースとパンをお接待していただいた。
あの時お接待してくれた女性達はどうしているのだろう?
こんな縁で円明寺には親近感を感じる。
山門をくぐると、パラパラと雨が降ってくる。
それほどの雨でもないので、本堂と大師堂へお参りをしてから納経所へ避難する。
納経所で雨宿りをしながら「まあめいど」の場所を聞くがよく分からないようだ。
取りあえず西門から出て右に真っ直ぐ進むと海の方へ出るので、
そちらへ行くように教えてくれる。
西門へ行こうと歩いていると、若者が「歩いているのですか?」と
話しかけてくる。
先ほど太山寺でも見かけた若者だ。
話していると、この若者は札幌から来ているという。
私も札幌だというといろいろと話してくれる。
この若者は、お正月休みで実家の北九州市へ帰ってきたので、
この機会を利用して実家の車を借りてお遍路にきた。
北海度で放送している「水曜どうでしょう」を見て、
「俺もやってみたくなった」などと話してくれる。
「水曜どうでしょう」というテレビ番組は北海道だけで放送している番組だが、
大泉洋というタレントが50ccの原チャリを使い、ほんの数日で
お遍路をするという企画を放送したことがある。
この放送を見てやってみようという気になったようだ。
実は、この「水曜どうでしょう」という番組は娘がよく見ている番組だ。
私は、ばかばかしい番組なのでほとんど見たことがないが、
中高生には人気の番組だ。
この番組を見てお遍路に出掛けようという若者がいるということは、
「水曜どうでしょう」恐るべしといったところか。
そぼ降る雨の中を西門から海に向かって歩く。ほどなく雨が降り止む。
20分ぐらい進むとどちらに行けばいいか分からなくなった。
ちょうど、大きな白い犬の散歩をしているおじさんがいたので聞いてみると、
まあめいどと書かれた看板を見たような気がするという。
教えてもらった方に進んでいくと街区図があり、
この地図をよく見るとまあめいどが載っている。
これで場所が分かったので、歩いていくと川がありそこを左に曲がり
海に向かっていくとまあめいどの看板を見つける。
17:15分、今日の宿まあめいどに着く。
まあめいどさんの夕食は豪華だった。
いろいろな魚料理に囲まれて食べきれないくらいだった。
刺身に揚げ物、鍋と盛りだくさんの食べ物がテーブルの上に並ぶ。
食事中も女将さんがずっーと給仕に付いてくれる。
その時にいろいろな話をしてくれた。
その話を聞いていると、もともと道後温泉で親の代から旅館をやっていた。
旅館といっても会社契約の保養所としての旅館業なので一般のお客を
泊めることはほとんどなかったようだ。
この旅館も、景気が悪くなってきたので閉めたが、息子が医者なので、
開業することを考えて人手に渡すことなく守ってきた。
しかし、息子さんは開業医より研修医を選びアメリカの大学に行ってしまった。
それで仕方なく旅館は手放し、ここ堀江で小さな宿と居酒屋をご主人と二人で
始めた。
「どうしてこの宿を知ったのですか?」と聞かれたので、
インターネットで見たことを話す。
「女将さんの日記も読んでますよ。」というと、恥ずかしそうにしている。
明日の朝食を6:45分に頼んで部屋で休むことにした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます