突然ですが、作家の松谷みよ子先生がご逝去されました。
お亡くなりになられたのは、2月28日で、89歳でした。
"好きなモノ1・本"で、記したように、大好きな作家のお一人です。
いや、大好き以上の存在でした。
松谷先生の
「ちいさいモモちゃん」は、私の読書の原点だからです。
「ちいさいモモちゃん」は、小さい私に、本を読むことの面白さを教えてくれました。
「ちいさいモモちゃん」は、
『モモちゃんが うまれたとき』から始まります。
モモちゃんが生まれた夜、ジャガイモさんと、ニンジンさんと、タマネギさんが、カレー粉の袋をしょって、やってきます。
次に、チューインガムが、最後に、ソフトクリームが、お祝いに訪れます。
しかし、まだモモちゃんは、小さくて食べられません。
だから、ママに、
「大きくなったらね」、と言われて、みんな帰っていきます。
この第1話から、引き込まれて、夢中になって読んでました。
たぶん、小学校の1年か2年の図書の時間のことです。
現実の世界に、不思議が、ごく自然に混じり合う物語が、空想癖の強かった私に、ぴったり合ったんだと思います。
(今は、妄想癖が強いおばさんになってますが。(笑))
この「ちいさいモモちゃん」は、シリーズとなっています。
「ちいさいモモちゃん」(1964)から始まって、
「モモちゃんとプー」(1974)、
「モモちゃんとアカネちゃん」(1974)、
「ちいさいアカネちゃん」(1978)、
「アカネちゃんとお客さんパパ」(1983)、
と書き継がれ、
「アカネちゃんのなみだの海」(1992)
で、完結します。
(初版年)
シリーズ完結まで、28年です。
「アカネちゃんのなみだの海」のあとがきで、松谷先生が記していますが、このシリーズは、先生と二人の娘さんの物語です。
だから、様々な現実世界の問題が、出てきます。
「モモちゃんとアカネちゃん」では、
一番生々しい現実である離婚も、真っ正面から描かれています。
ただし、先に書いたように、現実世界に不思議を溶け込ませながら。
『ママのところへ死神がきたこと』
夜遅くに帰ってくるのは、パパの靴だけという日が続きます。
ママは、靴にご飯を食べさせたり、お風呂がわいてますよ、と言うのはバカげていると、嘆きます。
しかし、飼い猫のプーに、靴はご飯を食べないし、お風呂にも入らないのに、なぜ起きて待っているのかと問われると、
「今日の晩、もし靴だけじゃないパパが帰ってきて、お腹すいてたら、困るでしょ」と答えるのです。
そんなママの所に、死神が度々現れるようになります。
『森のおばあさん』
死んだら子供たちが困る、何とかして死神をおっぱらわなければ、とママは森のおばあさんに相談に行きます。
森のおばあさんは、ママに、植え木鉢を見せて、鉢の2本の枯れかけた木が、パパとママだと告げます。
そして、2本の木を別々の鉢に植え替えると、ママの木は育ち、パパの木は歩き出しました。
パパは歩く木で、ママは育つ木。
小さな植え木鉢の中で、根っ子がからまりあって枯れてしまわぬように、根分けをしなくてはいけないと、息ができるようにしなくてはいけない、とママは決意します。
次の物語は、
『おわかれ』
となり、ママとモモちゃん、アカネちゃん、プーのお引っ越しになります。
久しぶりに、読み返しながら、プーとママの会話でウルウルきてしまいました。(TT)
「アカネちゃんのなみだの海」のあとがきで、
「コツコツと靴だけが帰ってくる話も、死神も、歩く木も、私にとっての真実でした」
と記されています。
松谷先生の
「自伝 じょうちゃん」
に、このあたりの具体的なことが、書かれています。
この
「自伝 じょうちゃん」
の解説で綿矢りさ先生は、影のある不思議と表現して、怖かったと書かれています。
影のある不思議は、松谷先生の本でしか読んだことがないとも書かれています。
確かに、私も児童文学で影のある不思議は、読んだことがないです。
ただ、綿矢先生と違って、中学生の時に読んだので、怖いとは思いませんでした。
児童文学で、こう言うことを書いてもいいんだ、と驚くと同時に、子供を対等に見てくれているんだと感動したのを思い出しました。
それに、"上手い表現をするなあ"と生意気にも感心したことも、思い出しました。
それで、このコツコツ歩く靴や歩く木が、今でも強烈に焼き付いているんです。
訃報を聞いて、30年以上前に買った、
講談社児童文学創作シリーズ「ちいさいモモちゃん」を本棚から出して読み始めました。
そして、シリーズを1冊ずつ。
やはり、今読んでも面白いし、考えさせられる話も多いんです。
改めて、この本が読書の面白さを教えてくれたんだと思いました。
「ちいさいモモちゃん」ありがとう。
松谷みよ子先生、ありがとうございました。
安らかにお眠り下さい。
お読み頂いて、ありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)
お亡くなりになられたのは、2月28日で、89歳でした。
"好きなモノ1・本"で、記したように、大好きな作家のお一人です。
いや、大好き以上の存在でした。
松谷先生の
「ちいさいモモちゃん」は、私の読書の原点だからです。
「ちいさいモモちゃん」は、小さい私に、本を読むことの面白さを教えてくれました。
「ちいさいモモちゃん」は、
『モモちゃんが うまれたとき』から始まります。
モモちゃんが生まれた夜、ジャガイモさんと、ニンジンさんと、タマネギさんが、カレー粉の袋をしょって、やってきます。
次に、チューインガムが、最後に、ソフトクリームが、お祝いに訪れます。
しかし、まだモモちゃんは、小さくて食べられません。
だから、ママに、
「大きくなったらね」、と言われて、みんな帰っていきます。
この第1話から、引き込まれて、夢中になって読んでました。
たぶん、小学校の1年か2年の図書の時間のことです。
現実の世界に、不思議が、ごく自然に混じり合う物語が、空想癖の強かった私に、ぴったり合ったんだと思います。
(今は、妄想癖が強いおばさんになってますが。(笑))
この「ちいさいモモちゃん」は、シリーズとなっています。
「ちいさいモモちゃん」(1964)から始まって、
「モモちゃんとプー」(1974)、
「モモちゃんとアカネちゃん」(1974)、
「ちいさいアカネちゃん」(1978)、
「アカネちゃんとお客さんパパ」(1983)、
と書き継がれ、
「アカネちゃんのなみだの海」(1992)
で、完結します。
(初版年)
シリーズ完結まで、28年です。
「アカネちゃんのなみだの海」のあとがきで、松谷先生が記していますが、このシリーズは、先生と二人の娘さんの物語です。
だから、様々な現実世界の問題が、出てきます。
「モモちゃんとアカネちゃん」では、
一番生々しい現実である離婚も、真っ正面から描かれています。
ただし、先に書いたように、現実世界に不思議を溶け込ませながら。
『ママのところへ死神がきたこと』
夜遅くに帰ってくるのは、パパの靴だけという日が続きます。
ママは、靴にご飯を食べさせたり、お風呂がわいてますよ、と言うのはバカげていると、嘆きます。
しかし、飼い猫のプーに、靴はご飯を食べないし、お風呂にも入らないのに、なぜ起きて待っているのかと問われると、
「今日の晩、もし靴だけじゃないパパが帰ってきて、お腹すいてたら、困るでしょ」と答えるのです。
そんなママの所に、死神が度々現れるようになります。
『森のおばあさん』
死んだら子供たちが困る、何とかして死神をおっぱらわなければ、とママは森のおばあさんに相談に行きます。
森のおばあさんは、ママに、植え木鉢を見せて、鉢の2本の枯れかけた木が、パパとママだと告げます。
そして、2本の木を別々の鉢に植え替えると、ママの木は育ち、パパの木は歩き出しました。
パパは歩く木で、ママは育つ木。
小さな植え木鉢の中で、根っ子がからまりあって枯れてしまわぬように、根分けをしなくてはいけないと、息ができるようにしなくてはいけない、とママは決意します。
次の物語は、
『おわかれ』
となり、ママとモモちゃん、アカネちゃん、プーのお引っ越しになります。
久しぶりに、読み返しながら、プーとママの会話でウルウルきてしまいました。(TT)
「アカネちゃんのなみだの海」のあとがきで、
「コツコツと靴だけが帰ってくる話も、死神も、歩く木も、私にとっての真実でした」
と記されています。
松谷先生の
「自伝 じょうちゃん」
に、このあたりの具体的なことが、書かれています。
この
「自伝 じょうちゃん」
の解説で綿矢りさ先生は、影のある不思議と表現して、怖かったと書かれています。
影のある不思議は、松谷先生の本でしか読んだことがないとも書かれています。
確かに、私も児童文学で影のある不思議は、読んだことがないです。
ただ、綿矢先生と違って、中学生の時に読んだので、怖いとは思いませんでした。
児童文学で、こう言うことを書いてもいいんだ、と驚くと同時に、子供を対等に見てくれているんだと感動したのを思い出しました。
それに、"上手い表現をするなあ"と生意気にも感心したことも、思い出しました。
それで、このコツコツ歩く靴や歩く木が、今でも強烈に焼き付いているんです。
訃報を聞いて、30年以上前に買った、
講談社児童文学創作シリーズ「ちいさいモモちゃん」を本棚から出して読み始めました。
そして、シリーズを1冊ずつ。
やはり、今読んでも面白いし、考えさせられる話も多いんです。
改めて、この本が読書の面白さを教えてくれたんだと思いました。
「ちいさいモモちゃん」ありがとう。
松谷みよ子先生、ありがとうございました。
安らかにお眠り下さい。
お読み頂いて、ありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)