身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

みゆきさんの言葉選び、その22「誰だってナイフになれる」(問う女)

2015-12-29 18:39:00 | 中島みゆきさん(言葉選び)
『♪誰だってナイフになれる いつだってナイフになれる
誰だってナイフになれる 簡単にナイフになれる』

「夜会VOL.8 問う女」(公演1996、映像盤1997)で歌われた曲です。
(アルバム未収録)

公演で2度(インストゥルメンタル1度含む) 、映像盤ではオープニングにプラス1度流れます。
(公演は観れなかったので、「中島みゆきオフィシャル・データブック」参照してます)

突然、何故
「夜会VOL.8 問う女」?
と思われた方も多いかと思います。

流れからいうと、
「組曲(Suite)」
の残りの曲を好き勝手に妄想するつもりだったのですが、、、f(^_^;

前回の
「霙の音」で相手の女性を攻撃しないのが、みゆきさんの美学のような気がすると書いた後、
「夜会VOL.8 問う女」
のことを思い出したんです。

歌ではない(これも、思いつかないだけで全曲検証してません。間違っていたら、スミマセンm(__)m)かもしれませんが、「夜会」ではあるなあと。

それが、
「夜会VOL.8 問う女」
です。

そして、女性同士が非難しあうのは、男の思い込みだと書いていたのが、小説「問う女」(中島みゆき著 1997.12.10)でした。

(「ナイトキャップ・スペシャル」(「恋文」2003)でも
『♪女の敵は女なんだと 男友達は分析をする
少し違うわ 敵は男でも女でもありうるってだけよ』
って歌ってますね。)

その両方を踏まえての
「問う女」
と思って頂けたら、、、f(^_^;

「夜会VOL.8 問う女」については、
"みゆきさんの声、その36「PAIN」(「問う女」)で少し書きました。

その時に久々に観直し(みなおし)て、いたく感動するとともに、認識を新にしたんです。

小説「問う女」も読み直しました。

で、この記事の原型をその後で書き始めたんですが、上手くまとめられなくて店晒し状態と言うか、店にも出してないからお蔵入りかな?になっていたものです。

少し強引ですが、この機会に
「霙の音」
からの流れということで、蔵出ししようと思います。

流れと言っても、内容は
「霙の音」
とは関係ありません。

私が、みゆきさんに惚れてる一番根底にあるものについての長い妄想になります。

と書きながら、「問う女」から書くとやはり、まとまらないので(2回書き直して考え直しました)、その根底にあるものを先に書きます。

それは、罪の意識、罪の自覚、もっと過激に言うと、加害者の自覚、または加害者となりうる自覚。

そこから、決して目を背けない覚悟を感じるところなんです。

これまた、勝手に感じてるだけなんですけどね。

以下のように、みゆきさんがインタビューで語っていたことがあります。

「言葉はあくまでも道具なんですけど、手に負えない道具なんですねぇ。
まだ小さかったときに、なんか暴言を吐いて、両親に、
『刀で切った傷は薬をつければ治せるけれど、言葉で切った傷は薬では治せないんだよ』って言われまして。
自分は、悪気もなく言ってしまったんだろうけれども、それで人を傷つけることがあるなんて思いもしなかったんで、言葉は気をつけて使わなければいけないんだって、そのときに学習したんですね。」
(婦人公論 2000.1.7 no1052)

似たようなことは、
『言葉が刃になっちゃうことがあるのね。
 ただ、それだけじゃない。
 刃になるだけだったら黙っちゃえばいい。
 でも、それでは言葉がかわいそうなんじゃないかな。』(1993)
『言葉の傷というのは本当に深いの。
 そして私は言葉に対する憧れがすごく強いんですよ。』(1977)
(「中島みゆきスペシャル
もっと みゆきと 深い仲~時代・夜会・そして~」)

無自覚な「言葉の傷」の深さを意識してる人って、どれだけいるでしょう?

少なくても私は、中島みゆきという人に会わなければ、そんなことを深く考えることはなかったと思います。

「悪意・悪心」のある「言葉」だけではなく、無自覚な言葉もまた刃になるということを自覚した上で、なお深く言葉を使おうという意識。

その意識も凄いと思いますが、その前提の言葉を使うことで誰かを傷つけているかもしれないという意識が好きなんです。

免罪符として頻繁に使われる「悪気はない」、「悪意の不在」。

この言葉が苦手です。

今まで生きてきて、全くこの言葉を使わずにきたかと言われると、自信はありませんが好きではありません。

今までブログで散々愚痴ってきて、言えた義理じゃないんですけど、
"被害者面"が嫌いなんです。

理不尽に感じることは、多々あるんですけどね。(笑)

それ以上に、他人を傷つけているんじゃないかなと思っています。

それこそ、全く予期せず放った言葉が相手の心に刺さっていたことが後からわかったりして、、、。

そんな時に、「悪気はなかった」と自分を庇わず、結果だけを受け止めて謝罪できる人間であろうとは思っています。

なんて、立派なことを書いてますが、100%できているとは言えません。

「♪二度とだれかを傷つけたくはない
されど自分が傷つきたくもない
互い違いに心は揺れる』
『♪我が身可愛と心は揺れる』
「風にならないか」(「LOVE OR NOTHING 」 1994)
ですね。

みゆきさんの負の部分から目をそらさない姿勢が、一番好きです。

「♪救われない魂は
傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は
傷つけ返そうとしている自分だ」
「友情」(「臨月」1981)

「一会」で久々に歌われた
「友情」。

私にとって、この曲は一番救われた曲です。

自分の負の部分を見つめる勇気をくれた曲ですね。

そういう、負の自分を見つめる目があるから、女性に優しくなれるんじゃないかなと、思うんです。

自分が傷つくことしか考えられない人は、相手を傷つけずにいられないような気がするので。

前置きが長くなりましたが、この
「誰だってナイフになれる」
もそういう曲だと思うんです。

で、この曲の
『誰だって』
と言う言葉が「問う女」と言う物語の中で、変化している気がして、そこにみゆきさんの言葉選びの見事さを感じたんです。

ここから、
「夜会VOL.8 問う女」と
小説「問う女」のネタバレになります。

(「PAIN」の時は、お断りも入れずいきなりネタバレしてスミマセン。
読み返してあまりの配慮のなさに、唖然としてしまいました。
コソっとお断りを入れました、重ね重ねスミマセンm(__)m))

ネタバレにもなりますし、こここらまた長くなります、スミマセンm(__)m。


まず、
『誰だって』
の変化を解って頂くために、
小説「問う女」を少し紹介します。

この小説は、主人公の綾瀬まりあの学生時代から始まります。

「夜会」に至るまでの彼女の前半生から、「夜会」で描かれたクライマックスまでがより詳細に語られます。

まりあの生活環境を描くことで、彼女の感じ方や考え方が浮き彫りになります。

そして、それが招く悲劇も。

まりあは、転勤族の父に伴い、転校を繰り返しています。

高2の時に転校したクラスで、親切に接してくれたのが、引っ込み思案で、地味な八重でした。

八重は、「聖母マリア様」の"まりあ"だから呼び捨てにできないと、「まりあさん」と呼び、まりあの話をただただ素直に聞いてくれます。

回りへの不満や悪意を口にしても否定も反論もせず、聞いてくれる八重。

そんな八重に次第に苛立ち、エスカレートしていくまりあ。

自分の意地の悪い言動に、嫌悪感を持ちながらも、反論せぬ八重に責任転嫁し、自己正当化をはかる、まりあ。

そんなある日、お節介なクラスメートから、八重が先輩と付き合ってることを知らされます。

公然の秘密、暗黙の了解。

転校生のまりあを疎外する空気。

一方的に裏切られたと、逆上し感情のままに、八重に言葉をぶつける、まりあ。

「あなたの言葉って、ちっとも心から出てなくて、しゃべればしゃべるほど他人を裏切ってる」と。

受験期に突入して不定期になった授業を八重が休みがちになっていることを、八重を避けていた、まりあは気づきません。

新学期、八重が失語症で休学するまでは。

自分が原因かも知れないと思いながらも、八重を傷つけそうな者なら他にいくらでもいると、自身を守ることしか考えられない、まりあ。

読んでる私の頭の中には、
「誰だってナイフになれる」
が流れてきたんです。

この時の
「誰だってナイフになれる」は、
"私だけが悪いんじゃない、誰だってナイフになるんだ、誰だって"
という風に響きました。

そして、
「夜会VOL.8 問う女」
です。

"みゆきさんの声、その36「PAIN」(「問う女」)で書いた、
「夜会VOL.8 問う女」
の身も蓋もない説明を再録します。

"綾瀬まりあ(中島みゆき)というアナウンサーの愚かさが、結果的にタイ人のジャパユキさん"ニマンロクセンエン"(森上千絵)の命を奪ってしまうという物語です。"

本当に、身も蓋もないですね。(笑)

この綾瀬まりあの愚かさというのが、離れていった男の彼女(小坂圭子)への攻撃、と思い込んだ行為です。
(ややこしい書き方でスミマセン)

この攻撃の前、連絡の取れなくなった男を探して、元カノの小坂圭子に電話を入れるシーンがあります。

「夜会」では男が直接出ますが、小説では小坂圭子が出て、男に取り次ぎます。

ここでは、はじめに書いたように、
「圭子に対しての特別な感情は起こらなかった。
相手の女を非難するのが常套だと、思い込んでいるのは男たちだけだ。
それは男たちにとっては都合の良いドラマだろうが、~
ドラマの裏を知りすぎた年齢だった。」
と。

アナウンサーの綾瀬まりあは、自分のラジオ番組を持っています。

そこに送られてきた
"彼に黙って子供を堕してしまった"
というハガキ(小説では手紙)の差出人の名が、小坂圭子。

まりあは、圭子からわざわざ送られたのものだと思い込みます。

その時、はじめて冷静さが消えます。

自分を傷つけようとする圭子への反撃から、そのハガキを生放送で読み上げます。

匿名希望を本名で。

そんな自分への自己嫌悪で、泥酔して夜の街をさ迷うまりあのバックに
「誰だってナイフになれる」のインストゥルメンタルが流れます。

ここで流れる
「誰だってナイフになれる」
は、高2の時と同じく自己を正当化しているように聴こえます。

"私だけが悪いんじゃない、攻撃されたらナイフになる、誰だって"
と。

インストゥルメンタルで歌詞がないので、完全な妄想ですけど、私にはそう聴こえるんですね。

その時に出会ったのが、街角で客引きをしていたジャパユキさんのニマンロクセンエンでした。

淋しさから一緒に居て欲しいと、ニマンロクセンエンとホテルへと。

ここで歌われる、
「RAIN 」
が沁みるんです、と前も書きました。

その後、小坂圭子から後日談が送られてきて全くの別人だったことがわかります。

実名を読まれ傷つきながらも、自身を見つめ直し全てを受け入れ、最後にありがとうと書かれたハガキ。

自分の過ちにパニックになる、まりあ。

この時歌われたのが、
「誰だってナイフになれる」。

『♪そんな自分に切りつける
誰だってナイフになれる 自分を嫌いになるとき
自分を嫌いになるとき 』

ここで歌われる
『誰だって』は、ナイフが自分以外の誰かではなく、自分自身だと気づいた
『誰だって』だと思うんです。

自分のしたことを直視したために、自己正当化できなくなってパニックになったような気がします。

そして、パニックのあまり職場放棄をして、すがるようにニマンロクセンエンのもとを訪れるんです。

運命のゴンドラへと乗り込む二人。

ゴンドラは大事故を起こし、ニマンロクセンエンは還らぬ人となります。

その死の間際に、ニマンロクセンエンからHIV 感染者だと告げられた、まりあ。

「2万6千円というお金は、あなたにとって大きなお金ですか?、些細なお金ですか?」

最後の放送で、事故のことを、ニマンロクセンエンのことを、HIV のことを必死で語るまりあ。

そして、まりあがニマンロクセンエンの息子を探す旅に出るところで、
「夜会VOL.8 問う女」
は幕を閉じます。

先に書いたように、映像盤ではオープニングでも流れます。

映像盤のオープニングは、ニマンロクセンエンの息子を探しに行く飛行機の中から始まります。

そのオープニング映像にかぶせて、
「誰だってナイフになれる」
が流れます。

そして、旅立つまでの綾瀬まりあを糾弾するみゆきさんのナレーションが続きます。

「綾瀬まりあさん、傷つきやすい自分だと思いましたか?
けれどこの世の中で、人を傷つけてもいいと振りかざす理由はいつだって、自分が傷つきたくないための理由ではありませんか?
この世で最も人を傷つけるものは、この世で最もか弱いものなのではありませんか?」
と。

舞台を観ていないので、映像盤のどの部分までが、実際に上演されたのかはわかりません。

ただ、少なくとも
「誰だってナイフになれる」
は歌われてはいません。

観終わってから、オープニングを観直すと、
「誰だってナイフになれる」の
『誰だって』は、『誰であれ例外なく』と聴こえるんです、私には。

"例外なく、あなたも私もナイフになる"んだと。

ただの妄想ですが、だから映像盤に追加したのかな?と思ったんです。

舞台でも映像盤でも、
「誰だってナイフになれる」より
「エコー」(アルバム未収録)
の方が多く歌われます。

『♪悪意は満ちている
目をあわせると危なくて
みんなそうして生きてるものじゃないの
だからみんな生きていられるのでしょう』
『♪エコー、エコーだけに話続ければ時はゆく
エコー、エコーだけに答え続ければ時はゆく』
と歌われる「エコー」。

上手くは言えないのですが、
「エコー」も
「PAIN」 も「RAIN」も
"誰にでもある愚かしさ"を歌っているような気がするんです。

一般論ではなくもっと身近に、自分がナイフになるんだ、自分が加害者にもなるんだということを強調したかったんじゃないかな?

だから、オープニングに
「誰だってナイフになれる」
を加えたんじゃないかなと、勝手に妄想しています。

少しでもわかりやすく書こうと、何回か書き直したんですが、、、(--;)

伝わったでしょうか?

要は、
"みゆきさんの声、その36「PAIN」(「問う女」)
を書いた時に、映像盤と小説を見返して、
「誰だってナイフになれる」というフレーズが物凄く強く引っ掛かったって、それが何故かと考えてるうちに、こんな妄想になってしまったということなんです。

そんな妄想に、長々とお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。(^^)

年内にもう1本書くつもりですが、どうなるかわからないので、
本年中はこんな妄想だらけのブログをお読み頂き、本当にありがとうございました。m(__)m

皆様のおかげで書いてこれました。

ありがとうございます。

来年もよろしくお願いいたします。(^^)

では、また(^-^)


コメント (6)
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