La chambre de la Rose

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Les étés de la danse その4

2013-07-15 13:58:54 | マニュエル・ルグリ(Manuel Legris)
Les étés de la danseでパリに訪れている今、たくさんのインタビュー記事、
TV番組出演等続いています。
全て翻訳してアップしたいと思っていますが、なかなかリアルタイムでは出来ず、遅れ気味
今回は、7月5日のLe mondeに掲載された

Le danseur Manuel Legris en quatre dates

を翻訳しました。
以下、私の訳文です。
間違っているところがあったらご指摘ください。


ダンサー マニュエル・ルグリの4日

3年前からウィーン国立バレエ団を率いるパリ・オペラ座の元エトワール・ダンサーは芸術監督の衣装でパリに戻る。
シャトレ劇場で彼は彼の指導者であるヌレエフのドン・キホーテを含む古典に新たな解釈を与える。

1976年。
マニュエル・ルグリ、11歳。
彼は4歳からダンスの授業を受ける。
彼の教師の助言によって、彼の両親はパリ・オペラ座のコンクールに申し込む。
検診の際、彼の母親は試験を受けに来た150人の少年の前で取り乱す。
「母は彼らを信じられないほど美しいと思った」
マニュエル・ルグリは笑いながら思い出す。
「万一、母が私の才能と進路に疑いを持ったことがあるとしたなら、その日のことだったと後に母は私に白状したんだ。」


1986年。
パリ・オペラ座のゲスト・コリオグラファーであったモーリス・ベジャールによってエトワールに任命され(ベジャールには任命の権限はなかった)そしてただちにそのタイトルを取り消された6か月後、マニュエル・ルグリはツアー中のニューヨークでバレエのエトワールに新たに任命された。
しかし、今度はカンパニーの芸術監督であったルドルフ・ヌレエフによる公式のものであった。
「全く予期していなかったんだ。」
彼は面白がる。


2009年。
アデュー公演を行う! 43歳で、すなわち、パリ・オペラ座の引退の年齢と義務つけられた年齢よりも1年長く、マニュエル・ルグリはジョン・クランコのバレエの中で、オネーギンの衣装を最後にもう一度着た。
「私は最高のコンディションだった。」
彼は強調する。
「私は一種の幸福感のようなものの中を泳いでいた。私が去るのを見て悲しむ人々を慰めるのは、それは私自身だった!」


2013年。
ウィーン国立バレエ団とともに懸命に仕事をした3年後、マニュエル・ルグリ、私たちがパリ・オペラ座のトップ、ブリジット・ルフェーブルの後任として、その名前を思い起こした彼は、公衆の人々ばかりでなく、彼の同僚たちに彼の仕事を紹介しに来た。
「私はもちろん、私がバレエをさらに高めるという希望が正当化されたか確認しにくる人々に評価されるでしょう。」
試験がある気配が広がっている、しかし、
「競争を恐れてはいない。」
ルグリは語った。
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Les étés de la danse その3

2013-07-11 20:47:00 | マニュエル・ルグリ(Manuel Legris)
France24でマニュエルがLes étés de la danseについてインタビューを受けました。

France24

一応分かるところは訳してみたのですが、何しろ後半特に早口で
5年の勉強じゃあ所詮こんなものです
自信のない部分ばかりですが、一応アップ。
もっと頑張って勉強しなくちゃ。


・このイベントは私にとってとても重要であり、ウィーン国立バレエ団で3年間過ごした後で、ここにいることをとても誇りに思っている。
・私たちは既にLes étés la danseを始めていて、ヌレエフへのオマージュを紹介し成功をした。
・今夜また2つ目のプログラムで4人の振付家の紹介をする。
4人とは既に仕事をしていて、イリ・キリアン、マッツ・エック、ジョン・ノイマイヤーのような、要するに私にとってはこられの振付家に続く若い世代の振付家です。
(パリでエトワールに任命された時のことを、と言われて)
(任命されたのは)ニューヨークです、と言った後、
・私の任命はメトロポリタン・オペラのツアー中のニューヨークのことで1986年にエトワールに任命された。
・私のエトワールとしてのキャリア始まりとなる素晴らしい思い出です。
※この後よく解らないのですが
ヌレエフはオーストリアで古典を紹介していて、今は自分がその伝承を若い世代にしている、と言うようなことを話していると思います。
その後、リハの映像と共に・ルグリが情熱を3年間伝えたと紹介され、橋本清香さんがインタビューに答えています。
「クラシック、ネオクラシック、モダン、全てのバレエが出来るのが、私たちにとって良いことだと思う。」
と。
その後、もう一人の女の子が、自分たちは進歩をした、というようなことを言っています。
そして
・(このイベントは)私にとってとても重要で、私の仕事を見せる可能性があり、3年ウィーンで過ごした後、本当に大きな成功、そして素晴らしいチャンス、Les étés la danseの信じられないような催しに感謝している
・一方でウィーン国立バレエはあまり知られていないのでリスクがあった

そしてまた最後が早口で、、、
ウィーンで働くことはプレッシャーがあった。
それは、30年間私はオペラ座にいて、、
私は仕事のやり方や教えかとを見つけた。
全てが違っていたから。
・ウィーンは伝統ある街で、、、現代の振付家と仕事をすることは重要だ。
・順調に進むように努力する
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Les étés de la danse その2

2013-07-05 22:38:04 | マニュエル・ルグリ(Manuel Legris)
ダンソマニさんのオリジナルの方で紹介されているのですが
Les étés de la danseに関する記事と、リハーサル風景&ヌレエフの映像が
CURTUREBOX で見ることが出来ます

記事の方は最近の記事と同じく、ルグリ監督を褒め称えております。

映像の方は、大体ですが
9回目となるLes étés de la danseに招待されたウィーン国立バレエ団が
数時間、初めてのリハーサルを行ったこと、
この催しが亡くなってから20年経ったヌレエフへの特別なオマージュであること、
ヌレエフの振り付け、ドン・キショットは厳しく、その衣装はオリジナルであること、
ルグリは以前パリオペラ座のエトワールであり、今はウィーンを率いて
その指導にはフランスのロジックがあること
というようなことを言っています。
(たぶん

CURTUREBOX

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le JDDの記事

2013-07-04 21:04:03 | マニュエル・ルグリ(Manuel Legris)
もうすぐÉtés de la danseがパリであるのですが、
それに関する記事がFacebookのマニュエルのファンコミュで紹介されました。

これです。

le JDD

で、これ私さらっと読んだのですが、
内容的には最近書かれていることと似たりよったりで、
いわく、

「マニュエル・ルグリはウィーンのバレエ団を再生させた」

というような褒め言葉が続きます。

その中で記事の最後が一番注目すべきことかな?と思うのですが

Manuel Legris sera à Vienne jusqu'à la fin de la saison 2015.
Rempilera-t-il ? Il ne le sait pas encore.
"C'était une aventure passionnante, mais épuisante.
Je suis en pleine réflexion."

と書いてありまして、

マニュエル・ルグリは2015年のシーズンまではいるが、その後も再びディレクターをやるのか?という質問に対して

「これは非常に面白いことだけれど、ひどく疲れることだ。」

と述べた後

「熟考している最中」

と言ってます。

ダンマガの記事だと2年は延長しそうな雰囲気のことを言ってましたが、どうなるんでしょうね?

それにしてもこの記事に使われている写真、35、6歳の時のかな?
なんでこの写真を使ったのかな?(笑)
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ヌレエフ・ガラ 2013 その2

2013-07-01 23:02:10 | マニュエル・ルグリ(Manuel Legris)
新しいビデオが出てたみたいです。

映像構成もいいし、何よりマニュエルの踊りが観られるのがいい!!

そしてガブドゥーリンも!!
やっぱり彼の踊りも好きだなあ。
伸びやかで。

ビデオを見ていると、本当に素晴らしいバレエ団になって来てるんだなあ、って分かります。

来来シーズンはライモンダかな?(笑)

Nurejew-gala 2013
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