緑には、東京しかない

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銀座六丁目10地区プロジェクト:工事進捗率3%(2014年3月)

2014年03月04日 20時00分00秒 | 再開発・中央区


銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業 工事進捗率3%(2014年3月)
中央区の銀座六丁目地区、国道15号線(銀座中央通り)に面して建っていた松坂屋銀座店の百貨店を含む2街区の再開発工事が現在実施されています。2013年6月30日に松坂屋銀座店が閉店し、その後すぐに百貨店を含めた周辺地区の建物の取り壊し工事が始まっています。再開発となる敷地面積は約9000平方メートルに及び、2013年中に現在の松坂屋銀座店建物の解体に着手し、2017年度の竣工オープンを目指しています。

計画概要
地区名称:銀座六丁目10地区(東京都中央区)
事業手法:第一種市街地再開発事業
施行者:銀座六丁目10地区市街地再開発組合
組合員数:15名(平成24年12月現在)
都市計画:平成23年12月都市計画決定
(第一種市街地再開発事業、都市再生特別地区、地区計画)
施設建築物概要:
施行区域面積 約1.4ha
用途 店舗、事務所、多目的ホール、地域冷暖房施設、駐車場
敷地面積 約9080㎡
階数 地下6階、地上13階
建築物の高さ 約56m
延床面積 約147600㎡
公共施設等の整備: 区域内道路(あづま通り延伸部分)の三原通り側への付替え
あづま通り下の地下道整備

事業スケジュール
都市計画決定 平成23年12月
組合設立認可 平成24年12月
権利変換計画認可 平成25年5月(予定)
工事着手 平成26年1月(予定)
建物竣工 平成28年8月(予定)

再開発プロジェクトの特徴
商業施設 
地下2階~6階に、約50000平方メートル(約15000坪)の床面積となる商業空間の創出する
周辺の商業施設との連続性を持ち、地域の拠点となる商業施設の整備する
業務施設 
7階~13階に、都内最大級の1 フロア面積約6100㎡(約1800坪)
約50000㎡(約15000坪)の床面積となるオフィス空間を銀座エリアに創出する
文化施設 地下3階に、約1600㎡(約480坪)の多目的ホールの整備する
観光拠点 
「(仮称)銀座観光ステーション」
観光客受け入れのスペースや、観光バス等が停車可能な乗降スペースを整備する
屋上庭園 銀座エリア最大となる地域に開かれた約4000㎡の屋上庭園を整備する

Jフロントリテイリング 銀座再開発プロジェクト
http://www.j-front-retailing.com/ir/po/po03.php
森ビル ニュースリリース 銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業
http://www.mori.co.jp/company/press/release/2012/12/20121212100000002548.html

銀座六丁目地区
松坂屋銀座店の百貨店があった場所は「中央区・銀座六丁目地区」といいます。銀座地区を東西方向に横切っている晴海通りの南側にあるこの界隈は、JR新橋駅や汐留シオサイトの高層ビル群、浜離宮庭園の緑地帯にほど近く、新橋地区のオフィス街の雰囲気が強いです。現在の銀座六丁目界隈は、明治時代以前には「尾張町二丁目地区」と呼ばれていたのですが、1920年(昭和5年)に地名が解消された経緯があります。




2月下旬の平日、JR新橋駅汐留口前から国道15号線(銀座中央通り)を北へ向かって歩いていきます。しばらく道なりに進むと、工事用フェンスに覆われた状態の松坂屋銀座店の建物が見えてきました。




平日の通勤ラッシュが終わった直後の時間帯の散策だったので、銀座六丁目地区界隈は人通りはほとんどありませんでした。工事用フェンスで仕切られている中央通りの歩道を撮影しました。




中央通りと交詢社通りが交差している「銀座六丁目交差点」から見上げて工事現場を撮影しました。




松坂屋銀座店の敷地の東側、中央通りと並行して通っている「あづま通り」も立ち入り禁止となっていました。新しく建設される高層ビルは、このあづま通りを跨ぐような構造となります。




工事用フェンスに張り付けられている説明板を撮影しました。




演舞場通りと銀座三原通りの交差点前から撮影した再開発工事現場の全景です。松坂屋銀座店の敷地の東側に建っていた鴻池ビルなども取り壊されています。




周囲は商業ビルや雑居ビルがどこまでも広がっている街並みとなっています。




再び中央通り(国道15号線)の歩道に戻ってきました。銀座地区の中で歴史ある百貨店の一つだった松坂屋銀座店ですが、現在はご覧の通り工事用フェンスに覆われてしまい、すっかり街並みが変わってしまいました。




徐々に人通りが増えてきました。




再開発工事現場周辺の地図です。



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厳冬の浅草:浅草神社前を通り抜けて再び雷門へ

2014年03月04日 08時00分00秒 | 台東・上野周辺


参道脇の広場内から、浅草寺境内を撮影してみました。上の画像に写っているのは宝蔵門と五重塔です。参道内は多くの人で混雑していますが、広場内はそれほど人の数は多くはありませんでした。




広場内から撮影した浅草寺の本堂です。建物の周囲に写っている人々と比較すると、巨大な建物であることが判りますね。




浅草寺本堂の右隣に位置している「浅草神社」内を散策していきます。広大な敷地と持っている浅草寺と比較すると、こちら浅草神社は大変こじんまりとした雰囲気ですね。




毎年の5月17日に行われる例大祭「浅草三社祭」は有名ですね。系台の周辺は中低層マンションなどが立ち並ぶ住宅街が広がっています。




現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649年)に完成したもので、昭和36年(1961年)に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されています。




再び仲見世の混雑の中を南側へ向かって歩き、雷門前交差点に戻ってきました。雷門の南側一帯はオフィス街の雰囲気が強かったです。




最後にもう一度、交差点前から雷門の全景を撮影しました。浅草のみならず、東京の観光名所のランドマークとして、多くの観光客の人たちで賑わっていました。




…しばらく観察していると、観光客の人たちはデジタルカメラよりもスマートフォン、アイパッドなどの大型端末などに搭載されているカメラで撮影する比率が多いように感じました。




スマートフォンのカメラの高性能化などによって、近年はコンパクトデジカメが売れなくなっているそうですね。家電各社もコンデジは諦めて、一眼レフデジタルやミラーレス一眼レフの方に力を入れ始めているそうです。




雷門交差点前から再び雷門通り商店街の中を散策して、隅田川・吾妻橋方向へ向かいます。この界隈も観光客の姿が多いです。




雷門通りと国道4号線(水戸街道)が交差している「吾妻橋交差点」前にやってきました。吾妻橋交差点脇には、日本最初のバーであるとされる「神谷バー」の建物が建っています。




東京都心部の日本橋から茨城・常磐方面へ伸びている国道4号線(水戸街道)の交通量は非常に多かったです。浅草界隈においていは「江戸通り」の名称で呼ばれています。




1880年(明治13年)に、神谷伝兵衛が郷里の三河に因んだ「みかはや銘酒店」を開業したのがルーツとなっています。1912年(明治45年)に店舗内部を西洋風にして屋号を「神谷バー」と改めた経緯があります。




吾妻橋交差点の南東角から神谷バーの建物と、その周辺を撮影しました。




吾妻橋交差点の北側に建っているのが東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の浅草駅舎の建物です。東武が手掛ける東京スカイツリー開業に伴い、当駅舎についても開業時の姿に復元すると同時に、待合室の新設・耐震補強工事の施行を含めたリニューアルが行われることになり、2012年5月に竣工しました。




新しい浅草駅ビルは「浅草EKIМISE(エキミセ)」として生まれ変わり、一つお隣の駅の東京スカイツリーと一体化される形で観光PRがなされています。




交差点前から浅草雷門通り商店街のアーケード街の全景を撮影しました。これで厳冬の浅草の散策は終わりです。



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