緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初夏の中央通り:銀座4丁目交差点から銀座3丁目交差点へ

2012年06月30日 12時17分00秒 | 中央区全域・銀座


1930年(昭和5年)まで「尾張町交差点」と呼ばれていた「銀座4丁目交差点」周辺を散策していきます。新橋駅前から京橋、日本橋へと中央通りを散策していく中で、一番のハイライトである区間を通って行きます。交差点に面して建っている和光の時計台は東京の象徴であり、その存在は周囲を歩く人間を魅了します。




明治・大正時代までは京橋区の銀座地区は1丁目から4丁目までしかありませんでした。「日比谷入江」にほど近かった湿地帯を埋め立てて、埋め立てに関わった藩の名前が地名となっていたので尾張町・加賀町、出雲町といった町名が付けられていたのです。昭和5年(1930年)の区画整理によって銀座5丁目~銀座8丁目に編入されていきました。




旧京橋区の銀座4丁目と尾張町1丁目の境界にあったこの交差点はかつて「尾張町交差点」と呼ばれていたそうです。約80年前に交差点の名称が変わってしまったので、この名前を覚えていらっしゃる方というのは非常に少ないのかもしれません。緑もこの事実を知ったのは以前に新聞に書いてあったことを読んでからです。




「銀座4丁目交差点」。この交差点に差し掛かった時にちょうど午前10時になり、和光の時計台の鐘楼が稼働したのです。午前10時なので10回の鐘と、ウェストミンスターの鐘が周囲に響き渡ると、歩道を歩いている人々が一斉に上を見上げるほどでした。再現してみるとこんな感じです。

「キーンコーンカーンコーン…。カーン、カーン、カーン、カーン、カーン、カーン、カーン、カーン、カーン、カーン…。」





銀座4丁目交差点を見下ろすように建っている「銀座和光」。セイコー製のプライベートブランドである腕時計や宝石を中心に、日本国内外の時計やバッグなどを取り扱っている専門店が数多く入居しています。現在の建物は関東大震災後の昭和7年(1932年)に建てられたものです。設計者は東京国立博物館や第一生命館などを担当した渡辺仁氏です。




銀座の町のシンボル的存在である和光の時計台。昭和時代の初期に造られたこの時計台はネオ・ルネッサンス様式と呼ばれています。塔の高さは9メートル、その上に8メートルの尖塔と避雷針が付いています。四方にある文字盤は正確に東西南北を向いており、直径は2.4メートル、長針は1.17メートル、短針は0.75メートルあります。昭和29(1954)年6月10日に制定された「時の記念日」からは、ウエストミンスター式チャイムの音が鳴り響くようになりました。




交差点の横断歩道を渡って、三越銀座店前から振り返って新橋方向を撮影してみました。高級ブランドショップや専門店、ショッピングストリートなどが入っているビル群が整然と続いています。




昭和時代の初期に銀座地区に編入されたエリアも約80年経った現在は銀座の中心街の顔を持っていると言えるほど発展しています。




三越百貨店銀座店の正面玄関の脇にはなんと七夕が飾ってありました。もうそんな季節が近くなっているのですね。




この後中央通りを北へ歩いて三越百貨店の日本橋本店の前を通ることになりますが、日本橋の三越よりも銀座の三越の方がにぎやかな雰囲気であると強く感じました。




銀座4丁目周辺は今まで日本一地価が高い状態が維持されてきました。圧倒的な全国的知名度、日本国内の一流百貨店の集結、国内外の高級ブランドショップの集積、歴史などの積み重ねがそれを可能にしていたのです。




2012年3月に国土交通省によって発表された地価公示によると、千代田区の丸の内が中央区の銀座4丁目に並ぶなど話題となりました。千代田区丸の内2-4-1(丸の内ビルディング)が一平方メートル当たり2700万円、そして中央区銀座4-5-6(山野楽器銀座本店)も2700万円と同額となったのです。




銀座4丁目交差点を後にして先へ進みます。




銀座4丁目交差点から北へ200メートルほど歩くとすぐに「銀座3丁目交差点」となります。松屋銀座本店など百貨店が多いエリアとなります。




銀座3丁目交差点前に建っているビルの1階には「アップルストア銀座店」のお店が入居しています。日本で初めてのアップルストアの直営店として2003年11月に開店しました。電気や家電、パソコンの町である秋葉原ではなく、なぜ銀座3丁目に作ったのかはわからないです。




中央通りと晴海通りのクロス「銀座4丁目交差点」が中心です。周囲には松坂屋・三越・松屋など百貨店が集積しています。

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初夏の中央通り:松坂屋銀座店前から銀座4丁目へ

2012年06月29日 13時01分52秒 | 中央区全域・銀座


銀座中央通りは片側3車線の合計6車線、道路の両側に幅の広い歩道が整備されており、電柱などはすべて地中化されています。品川駅前から田町、大門、新橋、銀座、京橋、日本橋から上野方面へと、旧東京市の中心街を南北に縦断している中央通り。大阪の町で言うと「御堂筋」に相当するメインストリートです。




銀座6丁目交差点と交差している通りの名前は「交詢社通り」と言います。「一般財団法人 交詢社」という団体がこの通りに面した敷地にビルを構えているので、この名前が付けられました。そのうち訪れてみたいと思います。




銀座6丁目交差点前の歩道では、開店前にお店の前の歩道を社員の方が掃除をされていました。どのお店も開店前の準備に忙しそうです。




振り返って新橋方向を撮影してみました。整然と立っているビル群が大変見栄えがあり、大都会であると思えます。




銀座6丁目周辺で存在感を見せつける「松坂屋銀座店」。東海地方に置いて圧倒的なブランドがあり、特に名古屋にある松坂屋名古屋店が有名です。とは言っても首都圏(千葉県)に住んでいる緑としては、名古屋へ旅行へ行った時などは、名古屋駅前にあるJRセントラルタワーズの「ジェイアール名古屋高島屋」の方が印象が強いです。




銀座中央通りの道路のアスファルトは普通の道路とは少し違い印象を受けます。銀座8丁目から銀座5丁目にかけての中央通りの舗装は低騒音性能に優れ、水を速やかに排除することができるような特別な技術が採用されています。




2012年3月16日に開業した「ユニクロ銀座店」。銀座6丁目の一等地に建つこのお店は「グローバル旗艦店」に設定されています。グローバル旗艦店とはユニクロにおいて最高水準の商品・ビジュアルマーチャンダイジング (VMD)・サービスなどを意識した、世界的情報発信の拠点となる大型店舗のことです。日本国内においては大阪の心斎橋店とここ銀座店の二つがあります。




銀座5丁目交差点が見えてきました。午前10時に開店するお店が多いためか、にぎやかな雰囲気になってきました。




銀座5丁目交差点の手前南側は旧京橋区の尾張町二丁目ですが、交差点の北側は尾張町一丁目と呼ばれていました。




「銀座五丁目交差点」に到着しました。ここで「みゆき通り」とクロスします。「みゆき通り」は有楽町の日比谷公園と築地の新橋演舞場とを結ぶ、全長約1.2キロメートルの道路です。




これから中央通りの散策の中で一番のハイライトである銀座四丁目・和光の時計台周辺を散策していきます。ここを歩かないと銀座に来た意味がないくらいです。




横断歩道を渡って中央通りの反対側に移動します。ここからも和光の時計台を撮影することができます。この日は雲ひとつない快晴の天気だったので気分が高揚します。




銀座五丁目交差点から北側の一角は旧京橋区の「尾張町一丁目」。1930年(昭和5年)の区画整理によって銀座5丁目に編入された地域です。




この日は路上駐車している自動車も少なく、和光の時計台をきれいに撮影することができました。




銀座5丁目交差点から銀座4丁目交差点にかけてはニューメルサ、銀座コア等の一流のショッピングストリートなどが密集しているエリアです。




※本日の記事より地図を載せていくことにします。gooブログユーザーでありながら恐縮ですが、ヤフーの地図を使わせていただきます。

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初夏の中央通り:銀座7丁目交差点から銀座6丁目交差点へ

2012年06月28日 14時30分21秒 | 中央区全域・銀座


神奈川県民にとっての渋谷、西東京の人たちにとっての新宿、埼玉県民にとっての池袋といったように東京に隣接した場所に住んでいる人たちにとっての「東京の入り口となる繁華街」。しかし緑のような千葉県の人間にとってそのような町はありません。なので、必然的にここ銀座がその役割を担うことになります。




とは言っても緑にとっては色々な意味で銀座の町は「敷居が高すぎ」ます。なので普段は都心部を素通りして新宿西口の百貨店などへ買い物へ行きます。ですが銀座の界隈の雰囲気そのものはすごく洗練されていると思うので、たまに散策するだけでも楽しく感じます。




「銀座7丁目交差点」。1930年(昭和5年)に中央区の区画整理によって晴海通りの南側の9つの町域が統合されて、銀座5丁目~銀座8丁目が制定されました。銀座地区の南側というのは歴史的に新しい場所なのです。




銀座7丁目交差点周辺の北側は「竹川町」、南側は「出雲町」という町名でした。




2010年2月に誕生した「新ヤマハ銀座ビル」。地上12階地下3階建手のこの建物、中央通りに面した壁面は遠くからも目立つデザインです。音楽・楽器等の専門店のフロア、音楽教室のフロア、コンサートホールなどが併設されています。




日本1号店として2008年9月13日に出店した「H&М銀座店」。H&Мとはスウェーデンのアパレルメーカー「へネス・アンド・マリウッツ」が展開するファッションブランドです。お店の衣料品は全体的に低価格に設定されているのが特徴です。




振り返って新橋方向を撮影してみました。この日は雲ひとつない快晴の天気で、散策していて気分がよかったです。




国道15号線に指定されている中央通り。東京都中央区の日本橋から神奈川県横浜市神奈川区の栄町までを結んでいる一級国道で、ほぼ江戸時代の東海道のルートに沿っています。明治時代には「1號國道」に指定されており、「京浜国道」の愛称がありました。




1952年「昭和27年」、この年に「道路法」に基づく「路線指定」によって「一般国道15号線」に指定されました。




中央通り沿いはやはり地価が高いためか、ペンシルビルの形態の建物が非常に多いです。同じH&Мのお店でも、渋谷店の建物はかなりゆったりした造りだったのを覚えています。やはり地価の違いなのでしょうか?




上を見上げながら散策するのも楽しいです。




「ZARA銀座店」はリニューアル工事がなされていました。




銀座6丁目交差点が見えてきました。銀座界隈を擁する中央区というのは、1947年3月15日に日本橋区と京橋区の、二つの区が合併して誕生しました。銀座はもともと京橋区の区域にありました。




この交差点の北側が銀座6丁目の区域になります。以前は「京橋区の尾張町二丁目」という地名でした。




「銀座6丁目交差点」に到着すると、若干人通りが増えてきた気がします。この先は松坂屋などの大型百貨店が多く立ち並ぶエリアを散策していきます。

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初夏の中央通り:新橋交差点(パナソニック電工ビル前)から銀座7丁目交差点へ

2012年06月27日 12時48分22秒 | 中央区全域・銀座


6月下旬の快晴の東京を散策してみます。せっかくの撮影日よりなので東京都心部とそれ以外のどこを散策しようかと迷いました。東京駅、銀座、国会議事堂周辺、お台場、六本木、新宿、渋谷…。色々考えた結果、やはり銀座周辺を散策することに決めました。JR新橋駅前から中央通りを歩いて銀座、京橋、日本橋を散策します。




東京汐留パナソニックビル(旧パナソニック電工ビル)前から散策を始めます。外堀通りと中央通り(国道15号線)のクロス「新橋交差点」です。この界隈は銀座エリアまで200メートルもない場所にあるのにビジネス街の雰囲気そのものです。




JR新橋駅周辺はスーツを着たビジネスマンの人たちしか見かけなかったのですが、新橋交差点から中央通りを少し歩くとこんな雰囲気です。中央通りも新橋駅前を通っている外堀通りと比較すると交通量は少ないです。




首都高速道路の高架橋をくぐると「港区新橋1丁目」から「中央区銀座8丁目」に入ります。




国道15号線(中央通り)は銀座8丁目~1丁目の細長いエリアの中を一直線で南北に伸びています。この中央通りは銀座のエリアの中では「銀座中央通り」「銀座通り」の愛称があります。




「銀座8丁目」交差点。新橋方面から北方向へ散策しているときに、一番最初の交差点です。この周辺は港区の新橋に近いので、オフィスビルやビジネスホテル等が混在しています。




銀座~京橋~日本橋にかけての中央通りの信号機は全てが発光ダイオード式(LED式)にリニューアルされています。




銀座8丁目の中央通りに面している「バーバリー銀座店」。ショーウインドウは夏物に…。




もともと江戸時代のこの周辺は湿地帯の中に南北に伸びている半島だったといわれています。その微高地の尾根筋に造られたのが現在の中央通りのルートです。




午前9時半過ぎ(平日)の中央通りはこんな感じです。まだ百貨店も開店していない時間ですし、道路の両側のお店も営業準備中なのが多いです。業者さんたちの自動車の駐停車が目立ちます。




駐車と停車はエライ違いですが…。




ブランド名は忘れましたが、中央通り沿いの専門店です。




しばらく歩くと銀座7丁目交差点が見えてきました。ようやく全国的に有名なブランドショップやお店が沿道に増えてきて、銀座らしくなってきました。




ズームで撮影してみると松坂屋銀座店の巨大な建物が見えてきました。とはいっても開店時間は10時30分からなので、約1時間の待ち時間があります。百貨店周辺の中央通りも閑散としています。





「銀座7丁目」交差点。現在の銀座8丁目~5丁目にかけては尾張町、竹川町、出雲町と呼ばれていたそうです。もともとこの辺りは湿地帯とその中に微高地が点在するような地形でした。埋め立てを行った全国の大名の名前が地名になったそうです。

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東京駅から新橋駅までJR山手線外回りで移動する

2012年06月23日 09時24分44秒 | 東京駅周辺


とある所用があって新橋まで出かけることになりました。東京駅から新橋駅まで山手線で移動するので、写真を撮影することにしました。普段は千葉方面から都心方面へ向かうにはJR総武緩行線を使いますが、今回は東京地下鉄東西線で都心部へ向かいます。




東西線大手町駅で降りて乗り換えのために東京駅へ向かいます。途中で丸の内オアゾへ寄ってみました。日本生命丸の内ビル脇にある吹き抜けの中から撮影した丸の内駅舎です。




東京駅のJR山手線外回り方面ホームにやってきました。




午前11時過ぎの外回りホーム、結構混雑していました。




この時間帯でも山手線は外回り・内回りとも約3分間隔で運転されています。




外回り電車に乗車します。




無事に新橋駅に到着しました。




外回り電車が発車していきます。




新橋駅の海側の様子です。

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