大阪、京都、神戸など関西の歴史と名所を再発見するブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



伊丹から松山までの飛行記事の途中ですが、近所の公園の野鳥を紹介しましょう。・・・代表的な冬鳥のジョウビタキ

その公園の干潟には、旅鳥として知られるアカアシシギがまだ残っていました。

こちらは冬鳥のオナガガモが朝日の中で熟睡中

アカアシシギに朝日が当たり、その姿がはっきりしてきました。

アカアシシギと呼ばれるだけあって、細くて赤い綺麗な足をしています。

朝日を受けた足は一段と赤く見えていますね。・・・このあとアカアシシギは右側に移動、見えなくなってしまいました。

アカアシシギのいた場所から離れた右側の干潟では、冬鳥のコガモが寄り添って休んでいるのが見えました。

そのなかを良く見ると、先ほどのアカアシシギが紛れ込んでいるではありませんか。同じくらいの大きさのカモの群れの中に入っている方が安心なのでしょう。

ジョウビタキにも、もうすぐ朝日が当たりそうでした。



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昨日に続き伊丹から松山に飛行する際に写した、早朝の大阪市内から神戸までの航空写真を紹介しましょう。・・・上の川は安治川、その下に此花区ユニバーサルスタジオが見えています。中央下部の橋は、阪神高速湾岸線の高架橋です。

阪神高速湾岸線から右に分かれる橋は、舞洲に通じる此花大橋、その下に大阪北港マリーナ、上の赤いトラス橋は南港咲洲に通じる港大橋です。

舞洲のズームアップ。舞洲の右側の白いアーチ橋は、夢洲に渡る夢舞大橋。この橋は地震や津波で他の橋が崩壊した際、横に回転して開き、大阪港から外に出る船の航路が確保されるという構造となっています。

夢舞大橋を渡ると2025年の大阪万博の予定地で、IR(カジノを含む統合リゾート)の候補地ともなっている夢洲です。

夢洲の上には咲洲(大阪南港)が見えてきました。咲洲の右端に見える小さな緑地と干潟は大阪南港野鳥園です。

咲洲の中心、大阪府咲洲庁舎(コスモタワー)と南港ポートタウンのズームアップです。すぐ上空から写したように見えますね。

咲洲の向こうに見えてきた川は大和川、それを越えると堺市となります。写真の右上にある工場はシャープ堺工場で、いまではここがシャープ本社となっています。

大和川の川面に朝日が反射して光っています。堺市上空から先は朝靄で霞んでいます。



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先日、所用で伊丹から松山まで飛行しましたので、飛行からの写真を紹介しましょう。・・・搭乗したのはANAのJAー852A(ボンバルディアDHC-8-400)でNET検索すると2010年10月からANAが運航している機材でした。

ほぼ定刻、猪名川の上流に向け離陸しました。

すぐに伊丹市の昆陽池が眼下に見えてきます。池の中の日本列島の形は、植物の生育のせいでかなり崩れてきていますね。

昆陽池の北にある伊丹市昆虫館です。その周りの紅葉が綺麗でした。

飛行機は宝塚市上空で左に旋回し、淀川を左手に見る位置にきました。淀川の手前を右に流れるのは神崎川、その手前は猪名川、最も手前は猪名川の支流の藻川です。

あべのハルカスを中心とした大阪市中心部の朝の景色

淀川に架かる橋は、左から淀川大橋、阪神高速の高架橋、阪神電車なんば線の鉄橋、ほぼ中央にあるのは伝法大橋です。

伝法大橋のさらに右側は淀川の河口に当たります。

 

大阪市中心部の中之島を中心とした部分の拡大です。中央やや右上に大阪城も写っていました。



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近所の川の中洲に足の赤いユリカモメ(体長40cm)よりはるかに大きなカモメの幼鳥がいました。

似たカモメにオオセグロカモメがいますが、西日本での観察は少ないので、恐らくセグロカモメの幼鳥でしょう。

セグロカモメはシベリア北部で繁殖し、秋に日本に飛来する冬鳥で、4年かけて成鳥羽に変化するよううです。

川底の小石やゴミなどをクチバシでつかんで遊んでいますが、狩の練習なのでしょう。・・・クチバシだけ水中に到達した瞬間

ゴミのようなものを咥えて飛び立ちました。

今度は、水中の海苔のようなものを咥えています。

成鳥となると、頭部から首、体下面が白、背や翼上部は青灰色、尾羽は白に変化するようです。

これは四角い炭のようなものを咥えています。

成鳥の嘴は黄色く、下クチバシの先に赤色斑ができますが、幼鳥にはまだ見ることができません。



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近所の川の中洲に渡ってきたユリカモメ(体長40cm)の群れに混じっている大型のカモメは、セグロカモメ(体長61cm)のようです。

こちらはユリカモメよりやや大型のウミネコ。ウミネコは渡りをしない留鳥(漂鳥)で、繁殖地は日本とその近海とされ、ほぼ一年中この場所で見ることができます。

体が茶色い若鳥は、繁殖地に移動しないので、繁殖期には若鳥だけの群を見るようになります。

小型のユリカモメの上を飛ぶウミネコ(体長46cm)

幼鳥は4年で成鳥羽となりますが、成鳥は頭部から体の下面が白、背と翼上面が黒灰色、初列風切り羽は黒

クチバシは黄色で先端が赤く、その内側が黒、足は黄色、頭部に灰褐色斑があるのは冬羽の特徴です。・・・下向きに飛びながら、首だけ上向きとなっています。

こちらは、首を斜め上に向けて飛行中のウミネコ

こんどは反対方向に首を振って飛行しているウミネコ

日本で見ることができるカモメの仲間で、尾羽に明瞭な黒い帯があるのはこのウミネコだけだそうです。

参考文献:日本の野鳥590 真木広造 大西敏一著



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昨日に続き、半藤一利氏のエッセー「清張さんと司馬さん」から、司馬遼太郎の言葉の面白い部分を近所のユリカモメの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が引用部分(・・・)は補足部分

<司馬:(太平洋戦争の開戦前)海軍は米英をむこうにまわしては勝てないと言ってしまえば、いくら夜郎自大の陸軍首脳でも開戦へ押し切るわけにはいかなかったでしょうが、海軍は言いませんでした>

<司馬:海軍(という官僚組織)の面子を、国家の安危より優先させたのです。いまでもそんな事象はいくらでもあります。所属分野のナショナリズムが、愛国への跳躍をはばむのです>

<司馬:(中略)もし海軍が戦争はやれない、と陸軍に言えば、陸軍はきっと総会屋ふうの論理で、「それでは国民の税金のムダ遣いだったのか」といってくるでしょう。それを海軍は本気で恐れた>

<司馬:双方、ユーモアも何もなく、カードの隠し合いでした。そのあげくの滅亡(敗戦)です>

<半藤:海軍は陸軍に「それなら予算を減らすぞ」と言われるのをほんとうに恐れたみたいですね。・・・司馬:そのときの弱みを平気で言えた人がいたら、えらいんですがね(中略)>

<半藤:ところで「平気で自分の弱みというカードを見せる」ことをしないということに関連しますが、どうも日本人には、言葉がないんじゃあないか、外交が下手なのも言葉を持たないからではないかという気がします>

<司馬:痛い問題ですね。近代日本の言葉というものは、実は西欧の言葉に追いつく上で実に努力した。しかし、それは文章表現の上だけでした。そのことは文章に止まって、日常茶飯の言語とか、外交上のかけひきの言葉にまで及ばなかった>

<司馬:こんにちでは違ってきて、お相撲さんを含めたスポーツの世界でも、ウイットやユーモアに富んだ名言がときどき出る世になりましたから。もっともたいていの明言は、さっきふれたように当人が正直な場合にのみ出ますが>

参考文献:「清張さんと司馬さん」 半藤一利著



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半藤一利氏のエッセー「清張さんと司馬さん」の中で司馬遼太郎が面白いことを言っていますので、環境省レッドリスト2015絶滅危惧ⅠB(EN)に指定されているチュウヒの写真と一緒にそれを紹介しましょう。<・・・>が引用部分(・・・)は補足部分

 

<司馬:(戦前までの)陸軍は、相手に対して有利な兵器があるとか、実効ある戦略があるとかいうことで妙な秘密主義をとったのではなく、弱点を隠すためにそのようにしていたのですね>

<司馬:国家でも人間個々でも、真の強さというのは、平気で自分の弱みというカードを見せる精神からくるものでしょう>(中略)

<司馬:日露戦争に勝ってから日本は変になったと、私はかねがね思っています。むろん負けていたら大変で、ロシアの植民地になっていたでしょうけど>

<司馬:しかし、勝って虚勢を示す国家になった。この虚勢が1945年の国家滅亡の遠因でした。日露戦争は、海軍は別として、満州における陸軍は危うかったのです>

<司馬:そのことを日露戦争後、正直に公表し、オープンでもって歴史として大いに検討していれば、昭和になってあのように国家がいびつにならずにすんだでしょう>

<司馬:しかし、軍は当時の本質を隠しました。理由は、帝政ロシアが復讐のためにもう一度やってくることを恐れ、弱点を隠してしまいたかったのです(中略)率直はいいですね。個人でも団体でも>

<半藤:そういう態度がまた、ユーモアを生んだり、余裕になってくる。・・・司馬:ほんとだなあ。ユーモアが生まれると言語が磨かれますね>

<司馬:やがて日本語がきれいになって、すばらしい日本語として育ってゆく。そうでない日本語が官僚言語ですね。弱点を隠すためにできている>

<半藤:「善処する」とかですね。ほんとうは(太平洋戦争)開戦に際して海軍が「実は米英が相手では勝てない」と隠さずに言えばよかったわけですね。・・・司馬:そういってこそ愛国者だし、勇者だし、真に軍事の専門家だったといえますね>

つづく

参考文献:「清張さんと司馬さん」 半藤一利著

 



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11月末のある早朝、大和川河口まで散歩してみました。大和川河口の先は、明石海峡なので明石海峡大橋が良く見えています。

橋げたが霞んで見えるのは、暖かい海水と、冷たい空気の温度差で、海面のすぐ上にある空気の密度が低くなってできる下位蜃気楼現象のせいでしょう。

明石海峡大橋の前を通過する貨物船をズームアップしてみると、蜃気楼のせいで水上から離れて見えています。

淡路島の先端部だけ空中に浮いて見えている浮島現象も、暖かい海面状に冷たい空気があることで光が屈折するせいでしょう。

突然、画面の左側から黒い鵜の大群が現れ、大和川河口を横切ってゆきましたが、小魚の群れを追いかけているのでしょう。

しばらくすると、大型のコンテナ船が明石海峡大橋前を通過しはじめました。

ズームアップして拡大してみると、やはり蜃気楼の影響を受けていました。

さて、大和川の上流方向です。左の山は大和葛城山959m、中央の水越峠510mを挟んで右が金剛山1125mですが、両方とも山頂は雲の中でした。

さらに大和川を遡ると、阪堺大橋の向こうに二上山(左の雄岳517m、右の雌岳474m)、そこから右に落ち込む谷は、竹ノ内街道が通る竹内峠349mでしょう。



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自宅から少し離れた場所にある池で3羽のカモを見つけました。先頭の眼は白、中央が黄色(キンクロハジロ)、後ろが赤(ホシハジロ)という組み合わせ。虹彩が白いカモは珍しいので調べてみました。

手元のカモ図鑑で調べてみると、カモ科ハジロ属のアカハジロ♂のエクリプス(生殖羽になる前の状態)でした。生殖羽になると首から上がマガモのような深い緑色に変化するようです。

図鑑によれば東アジアの狭い範囲(中国東北部)で繁殖していて、日本各地に飛来した記録がありますが(中国の環境破壊のせいか)世界的に激減しているようです。・・・虹彩が黄色いキンクロハジロもカモ科ハジロ属

アカハジロの総個体数は、1000羽を切っているという情報もあり、絶滅が心配されています。・・・白い眼が作りもののようですね

当然、日本での観察例も減少していて、1980年代~1990年代に数羽が飛来していた関東地方では、近年ほとんど観察されていないとか。・・・関東の人にも、しっかり見て欲しアカハジロを正面から大きく写しておきました。

個体数が減少したせいか、他のカモとの交雑が進み、メジロガモとの雑種と思われる個体が西日本で頻繁に観察されているといいます。

またホシハジロとの雑種の例も多く、こういう純粋なアカハジロが観察される機会は雑種の観察機会よりも少ないそうです。

アカハジロは、個体数の減少が急だったせいか、環境省レッドリスト2015の中で情報不足(DD)17種のうちの一つに指定されています。環境省も状況を把握しきれていないのでしょう。

環境省レッドリスト2015の情報不足(DD)17種の中には、ヘラサギなど絶滅危惧ⅠA~ⅠB類に指定されてもおかしくないものが含まれていますが、このアカハジロもその一つでしょう。

参考文献:日本のカモ識別図鑑 氏原巨雄・氏原道昭著



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大阪市内の干潟にいるホウロクシギを、環境省のモニタリングサイト1000シギチドリ調査ニュースレター(2014年秋版・2015年発行)から紹介しましょう。

同調査によれば、日本国内モニタリングサイト111か所に飛来するシギチドリのうち、最も多かったのがキアシシギの4263個体(以下省略して数字だけとします)、次がトウネンの3634、3番がミユビシギ2826、4番目がソリハシシギ2535という結果でした。

ところで、このホウロクシギの日本への飛来は僅か162、大阪で今年の秋に見たシギの仲間ではクサシギ99、キリアイ100、コアオアシシギ123、オグロシギ146に次いで飛来が5番目に少ないシギとなります。

同調査報告によれば、ホウロクシギよりやや多かったのがオオソリハシシギ168、アカアシシギ174、アカエリヒレアシシギ200、ミヤコドリ311など・・・ホウロクシギの正面

このうちセイタカシギ、アカアシシギ、オオソリハシシギ、ホウロクシギは環境省のレッドリスト2015年の絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されています。・・・ホウロクシギの腹部

シギチドリで最も絶滅が危惧されているのがヘラシギで、環境省のレッドリスト2015年の 絶滅危惧ⅠA(CR)に指定され、このモニタリングサイト1000シギチドリ調査の2004・5年時点で12だったのが10年後の2014・15年調査で僅か3個体に減少しています。・・・カニをキャッチ、このあとそのまま丸飲みしてしまいした。

また同調査によれば、ホウロクシギと並ぶ大型のダイシャクシギの数は僅か95、ホウロクシギの半分くらいの飛来しか無いようなので、そのうちヘラシギと同じ運命となるのかも知れません。

ヘラシギは野生絶滅したトキと同じような運命をたどるのではないでしょうか。・・・ちょっとブレましたが、ホウロクシギが長いクチバシを開いた瞬間。柔軟性がありそうな上クチバシですね。

我々の子孫が、いつまでも野鳥の姿を見ることができるよう、これ以上自然を破壊することは止めて欲しいものです。・・・これがクチバシをちゃんと閉じたホウロクシギです。

 



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大阪市内でも11月半ばを過ぎると、近所の池にカモが渡ってきます。こうした野鳥の飛来地は次第に少なくなってきて、当然野鳥も激減しています。

年間通してこの池にいるカルガモ、北から渡ってきたコガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、マガモなど色とりどりのカモやシギが仲良く、池の干潟で休んでいました。

ときどき、集団で飛行するのは、次の餌場に移動するからでしょう。・・・オナガガモ

こちらはカルガモ。翼の翼鏡が緑色に見えています。こういう写真を撮るには、ネオ一眼やコンパクトデジメではちょっとハードルが高いようです。

デジタル一眼カメラでも、機種によってはオートフォーカスが間に合わないものもあるようです。・・・カルガモの羽ばたきと翼鏡の反射

さらにカルガモの集団飛行。こちらの翼鏡はやや青色に見えています。

翼鏡の色は構造色なので、角度によって色彩が変わって見えるのが特徴です。

翼鏡の色が翼の角度で青色や緑色、青緑色に変化しているのが良く判るシーン。もうじきこの池にツクシガモも飛んでくることでしょう。

高度成長時代を経て、大阪湾の干潟が殆んど無くなってしまいましたが、こうした自然をいつまでも残したいものです。・・・飛来してきたカルガモが池の中に着水するようです。



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大阪の干潟の秋も深まり、多くのシギ達は南の越冬地に旅立ったようですが、2羽のアカアシシギがまだ残っていました。片足で立つのはリラックスしている状態、コガモ、ムクドリと一緒に

日の出前、遅いシャッタースピード(以下SS)で撮影したジョウビタキ♂。その尾はぶれてしまっています。

やや早いSSで撮影したジョウビタキの♂、背中の黄色い羽毛は幼鳥だからでしょうか。

朝日を横から浴び、頭が白髪のように見えるジョウビタキの♂

これも背中に黄色い羽のあるジョウビタキの♂

このジョウビタキの♂も背中には黄色い羽がありません。

モズの♀

モズの♀

カマキリを咥えたモズの♀



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長野県須坂市穀町にある江戸時代の豪商の館「田中本家博物館」は、2017年に公開される映画「一茶」のロケ地となっています。

田中家の創業から30年後、小林一茶(1763〜1827年)は須坂市の15km北にある信濃町の中農の長男として生まれ、8歳で継母を迎えますが継母に馴染めず、14歳の時、江戸へ奉公に出ています。

29歳の時に故郷に帰り、翌年から36歳の年まで俳諧の修行のため各地を歴遊、父を看病するため39歳で帰省しますが父親の死後に遺産相続で継母と争い、遺産の半分を貰うことに成功したようです。

遺産を相続した一茶は52歳で28歳の妻を娶りますが、最初の妻は37歳で死去、62歳で娶った2番目の妻とは離婚、64歳のときに3番目の妻との間に1女をもうけて死去しています。

一茶の句は、単なる田舎俳諧としかみなされなかったようですが、明治時代になり、正岡子規がその鋭い洞察力を高く評価し、松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ俳人として広く世に知らしめたことで有名俳人となったようです。

一茶の句としては「めでたさも中位なりおらが春」、「やせ蛙まけるな一茶これにあり」、「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」、「やれ打つな蝿が手をすり足をする」、「我ときて遊べや親のない雀」などが有名ですね。なお「古池や蛙飛び込む水の音」は芭蕉の句です。

映画「一茶」の原作は藤沢周平の同名小説で、2016年2月にクランクインして9月15日にクランクアップ、一茶の故郷の長野を中心に撮影が敢行されたようです。

小林一茶は、数え年65歳で亡くなっていますが、その晩年の姿をリリー・フランキー(本名中川 雅也、数え年54歳)が演じていて、自身の年齢よりも高齢の一茶の晩年をどう演じたかを見てみたいものです。

主人公の一茶と確執があった継母役を中村玉緒、異母弟役を伊藤淳史、父役を石橋蓮司、最初の妻役を佐々木希が演じるほか、水川あさみ、立花美優、高橋かおり、内野聖陽、奥田瑛二らが共演するそうです。



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今回の信州旅行では、長野県須坂市に現存する江戸時代の豪商の館を利用した「田中本家博物館」に行ってきました。

享保18年(1733年)初代当主田中新八が、現在の地で穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を創業し、2代当主信十郎信房が田中家の基盤を確立したといいます。

代々が須坂藩(堀氏・1万石)の御用達を務め、名字帯刀を許される大地主へと成長、3代と5代当主は士分として藩の財政に関わり、その財力は須坂藩をも上回る北信濃屈指の豪商となったと伝わっています。

当時の面影を伝える屋敷は、敷地面積約3,000坪、約100m四方を20の土蔵が取り囲み、内部には1780年代に京より庭師を招いて作庭された池泉廻遊式庭園、客殿や主屋などの建物が軒をつらね、四季折々の散策が楽しめようになっています。

屋敷の四方を囲む土蔵には、江戸中期から昭和までの田中家代々の生活に使用された品々がよい状態で残され、その質と量から近世の正倉院ともいわれ、土蔵5棟を改装した展示館では常設展や企画展などが公開されています。

展示館に入ってまず目にしたのが田中家の家訓の文章で、「家業油断なく倹約質素に暮らすこと。貪欲な行為(淫な飲酒、美味を好むこと、栄耀栄華にふけること、奢侈我儘など)は、家の滅亡のもとと心得よ」

「おおみそかでも、(休まず)いつもとおなじように勤めれば、(その翌日は)いつも正月(のように目出度い日)となる」とか「世の中の 心にかなう楽しみ(快楽の追及)は 家を悪くする 仇(寇)と知れ」などと書かれていました。

1733年の初代から田中家がこの地で続いたのは、歴代当主が家訓を守ったからなのでしょうが、常設展の展示品を見ると、家訓から離れた豪華なものが多数ありました。

2003年9月19日には、旧主屋をはじめとする建築群や門、東及び北土塀が国の登録有形文化財に登録され、今では数少ない江戸時代の建物が見事に保存されていました。



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大阪の公園で見るオオタカ(蒼鷹)と一緒に、江戸時代以降の鷹狩について紹介しましょう。・・・このオオタカの眼の虹彩は薄い黄色ですが、成鳥になるともっと濃い黄色に変化するようです。

オオタカの体が名前のように大きくないのは蒼鷹(アオタカ)がなまったせいですが、オオタカは飛翔能力が高く、鷹狩の鷹として昔から使われてきたことが知られています。・・・杭の上から飛び出しそうです。

徳川3代将軍・家光は特に鷹狩を好み、将軍専用の鷹場を整備して鳥見を置いたり、江戸城二の丸に鷹を飼う「鷹坊」を設置したことでも知られています。・・・オオタカが杭の上を離れる瞬間

5代将軍・綱吉は動物愛護の法令である「生類憐れみの令」によって鷹狩を段階的に廃止しましたが、8代将軍・吉宗の時代に鷹狩が復活しています。・・・最初の素早い羽ばたきで、翼の先端がブレで写っています。

鷹狩に使う鷹は、奥羽諸藩や松前藩で捕らえられたものか、朝鮮半島のものが上物とされ、将軍家には朝鮮通信使や対馬藩を通じても献上されたといいます。・・・すぐに二度めの羽ばたき

近世初期の鷹の相場は10両(中期は20-30両)に及び、松前藩では藩の収入の半分近くは鷹の売上によるものだったというので北海道ではかなりの乱獲があったようです。・・・目指したのはマガモの池の上でした。

明治維新後、宮内省式部職で鷹匠の雇用・育成が図られましたが、戦後の宮内庁による鷹狩は中断したままのようです。・・・オオタカの成鳥なら急いで飛び去るマガモも、オオタカの幼鳥では泳いで移動するだけでした。

明治以降の東北地方では士族や資力のある農民・マタギの間でクマタカによる鷹狩が盛んとなり、クマタカは2015年版環境省レッドリストで絶滅危惧ランク上から2番目の絶滅危惧ⅠB類(EN)のひとつという危機的な状況となっています。・・・マガモを仕留めるのを諦めたオオタカ

クマタカ♀の体長は80cm、翼開長170cmに対し、オオタカ♀の体長60cm、翼開長130cmなので、大きな獲物を取るにはクマタカのほうが利用価値が高かったというのがその理由でしょう。・・・夜明け直後ですが、何とかオオタカの眼が写りました。



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