大阪、京都、神戸など関西の歴史と名所を再発見するブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



大塚国際美術館ではストロボを使わなければ作品の写真撮影ができます。15世紀のイタリアルネサンス以降のヨーロッパの作品を紹介しましょう。15世紀後半を代表するポッティチェッリの実物大作品の数々

大塚国際美術館では、オリジナル作品と同じサイズで陶板に写真複写され展示されています。・・・ドイツ人・アルブレヒト・デューラーのアダムとエヴァ(1507年)

中央は、ドイツ人・ハンスホルバインの大使たち(1533年)。この作品、二人の大使の間の床上に奇妙なものが描かれています。

 右上から見ると床にドクロが見える「だまし絵」となっていました。

 ベルギー人・ピーテル・ブリューゲルの雪中の狩人(1565年)

イタリア人・ジュゼッペ・アルチンボルドのだまし絵作品(1573年)

オランダ人・レンブラントの作品群(中央の作品・夜警は1642年)

スペインを代表する宮廷画家ベラスケスの作品はどれも巨大なものばかり。・・・ラス・メニーナス(女官たち)1657~8年

こちらは小さいけれども人気のある作品。・・・オランダ人・ヤン・フェメールの真珠の耳飾りの女(1665年)



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先日も大阪市内のビルの前を飛ぶケリを紹介しましたが、まだ少し在庫がありましたので引き続いて掲載したいと思います。・・・下のケリの目がレンズとなって太陽光線を焦点に集めていますね。

建物を背景とした場合の方が、ケリの姿が際立つように見えると思うのですが、いかがでしょうか。

空中を飛ぶ鳥を撮るには、カメラのファインダーを見ながら追いかけ、中心に入ったときにシャッターを押すことの繰り返し作業となります。

ピントが合ったケリの姿がフレームの中央にくれば成功です。

素人でも飛行している野鳥を撮ることができるのは、カメラが進化したからでしょう。

カメラメーカーのこうした技術は、世界に誇れるものと思います。

工業製品を技術的に進化させることが、これからの日本を発展させる道でしょうね。

デジタルカメラは、技術漏出を防ぐ意味でも日本国内で生産を続けるのが良いと思います。

日本メーカーには、これからも良い商品を世界に先駆けて開発し続けて欲しいものです。



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コチドリのヒナが今年も近所の空き地に生まれ、成長してゆく様子を見ることができましたので続けて紹介しましょう。・・・コチドリの親

6月3日の様子。親鳥の羽の下にいる時間が長いようですが、ちょっとだけ小さなヒナが出てきました。

6月4日の様子。コチドリのヒナは、孵化してすぐに自分の足で歩いて餌を探し、それを食べて成長するようです。

これも6月4日。まだ頼りない姿ですが、あちこち餌を探して歩きまわっていました。

6月10日の様子。足元がしっかりしはじめ、羽の色が少し濃くなったようです。

6月18日の様子。2週間前と比べると少し大きくなりました。クチバシが伸び、眼の回りのリングも黄色くなってきています。

これも6月18日のヒナ。近くまで来たので大きく撮ることができました。

6月26日の様子。ときどき長くなった翼を伸ばしていましたが、そろそろ飛ぶ準備をしているのかも知れません。

これも6月26日、ちょっと背伸びしたところです。風切り羽が伸び、ほとんど親鳥と同じくらいまで成長しました。もうすぐ巣だって行きそうですね。



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大塚国際美術館ではストロボを使わなければ作品の写真撮影ができます。大塚国際美術館のイタリア・ルネッサンス期の有名作品を製作年代別に紹介しましょう。・・・ボッティチェッリの春(1447~8年)

大きな作品は、分割して製作する必要があるので、よく見ると縦に継ぎ目の線が入っています。・・・アンジェリコの受胎告知(1449~50年頃)

その継ぎ目以外は、撮影した写真を陶板に焼き付けしているので本物とそっくりとなる訳です。・・・ボッティチェッリのヴィーナスの誕生(1485年)

レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐(1495~98年)は、修復後と修復前という二つの作品を向かい合わせに展示してあり、両者を比較できるようになっていました。・・・こちらは修復後

レオナルド・ダ・ビンチ作品の部屋の全景。これでモナリザという作品の大きさが判ると思います。

レオナルド・ダ・ビンチのモナリザ(1503~05年)は、そんなに大きな作品ではありませんでした。

イタリアルネッサンスを代表する作品としてよく紹介される、ラファエロの大公の聖母(1505年)

彫刻家のミケランジェロは、この作品を描いたことで画家としての技量が認められ、システィーナ礼拝堂天井画の作者として選ばれたとか。ドーニ家の聖家族(1507年)

こうしてみると、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロが同時代に活躍した人物だったことが良く判ります。ラファエロの小椅子の聖母(151314年)



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明治維新の2年前(1866年)、伏見奉行の捕り方が坂本竜馬を暗殺しようとした事件があった伏見の寺田屋です。その4年前(1862年)にも薩摩藩の尊攘派が島津久光(当時46歳で薩摩藩主忠義・23歳の父)によって鎮撫された事件がありましたので昨日に続いて伏見の風景と一緒に紹介しましょう。

さて、1階の騒動を知った2階の連中が抜刀して1階に降りようとしたところ、説得役の奈良原が刀を投げ捨て「有馬らは君命に背いたから上意打ちとした。しかし諸君等には敵意はない。君命であるから仔細は直接久光公に聞いてくれ」と訴えています。・・・寺田屋の横にある薩摩烈士の石碑

このとき真っ先に階段を下ったのが西郷信吾(20歳・後の従道・元帥海軍大将・侯爵)と伊集院直右衛門(25歳・後の兼寛・貴族院議員・子爵)であったといいます。

同士の長老格だった久留米水天宮の元神官・真木和泉(当時50歳・2年後の蛤御門の戦いで長州軍に参加し天王山で自決)と中山家の元諸太夫・田中河内介(48歳)が出てきて薩摩藩士を説得したため騒ぎは収まり、2階いた薩摩藩士の大半が投降しています。

そのメンバーは、西郷、伊集院の外、大山弥助(21歳・後の巌・元帥陸軍大将・公爵)、篠原冬一郎(26歳・後の国幹・陸軍少将)、三島弥兵衛(28歳・後の通庸・警視総監・子爵)等21名。

寺田屋での戦闘による死傷は、説得方では死亡1(道島)、重傷1、軽傷4、尊攘方は有馬以下6名が死亡、2名が重傷、2名は後に切腹したことで8名の犠牲者を出し、伏見薩摩藩邸に近い大黒寺に9烈士の墓が残っています。・・・大黒寺

寺田屋での奈良原繁の説得が見事であったため、明治期に活躍する薩摩の大物たちの命が救われたことになります。

生き残った薩摩尊攘派の若者は、このときに死に遅れたとして明治の動乱期に身命を賭して国事に当たり、それぞれが名前を残したとも考えるべきでしょう。

残り他藩の尊攘派志士たちも投降して真木和泉等は久留米藩へ、他の数名も所属していた藩に引き渡され、浪人だった田中河内介とその息子等は、大坂から船で薩摩めざして出航しますが、途中で薩摩藩士によって斬殺されています。(大久保利通の指示だったという説があります)

参考文献:近世日本国民史 維新への胎動(上)徳富蘇峰著 平泉 澄校訂



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大阪府レッドリスト2014の準絶滅危惧(NT)に指定されているケリですが、大阪市内で営巣すれば、どうしてもビルを背景に飛行することになります。

今回は、ビルを背景に飛ぶケリの写真を紹介しましょう。

ケリは、巣の近くに立ち寄る人を見ると、けたたましく鳴きながら威嚇することが知られています。

ビルの前を飛行するケリ

日本にいるチドリの仲間は保護色の強い地味な体色のものが多いのですがケリは違います。

背景が暗色の方がケリの姿がよりクリアに写るようですね。

空中を高速で飛行するケリを追いかけ、カメラのファインダーの中心に入れてシャッターを切ることの繰り返しでした。

もっと大きく撮りたいのですが、余り近くに来るとレンズの最短撮影距離を越えてしまいピントが合いません。

ビルの前を飛ぶケリの姿を大きく撮影する場合、このくらいの距離までが精一杯ではないでしょうか。



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先日の記事で大阪から大塚国際美術館までのルートを紹介しましたが、大塚国際美術館の作品を紹介しましょう。

 

地下3階にあるシスティーナ・ホールです。ここはミケランジェロが描いたヴァチカン・システィーナ礼拝堂の実物大天井画と壁画(1508~09年)を展示しています。

ホールのすぐ右側にミケランジェロの天井画「デルフォイの巫女」が展示してあり、天井にある人物がどれほどのスケールで描かれているかが良くわかるようになっていました。・・・この美術館ではストロボを使わなければ作品の写真撮影ができます。

下の写真の中央がその「デルフォイの巫女」。上のように傍から見るとプロポーションが悪く見えますが、15m下から見ると、バランスが取れています。さすがミケランジェロというところ。

大塚国際美術館では、本物のシスティーナ礼拝堂では見ることができない角度から、じっくりとミケランジェル作品を鑑賞することができるのがポイント。

古代美術の系統展示室は広く、作品の数・質ともに充実していましたが、多すぎてとても全部を紹介することができません。

しかし、紀元前から1.2世紀に活躍した芸術家達の技量が、どれほど素晴らしいものだったかをしっかり教えてくれました。

さてこちらは西暦79年の火山噴火で埋もれたポンペイの秘儀荘にある壁画です。最近の研究では壁画の赤は本来黄土色だったという説が発表されているそうです。

秘儀とは、女性信者を中心とした集団陶酔儀式のことで、左の女性の左手薬指に指輪が描かれています。今から2000年前もから女性に指輪を嵌める習慣があったことにビックリしました。



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寺田屋騒動は、明治維新の6年前(1862年)に薩摩藩尊攘派が島津久光(当時46歳・薩摩藩主23歳の父・通称は和泉)によって鎮撫された事件ですが、同じ藩士がどうして争うことになったのか、伏見の町と一緒に紹介しましょう。<・・・>が参考文献からの引用部(・・・)はROSSの補足・・・・現在の寺田屋

徳富蘇峰は当時の薩摩藩尊攘派と行動を共にしていた岡藩士小河一敏(当時50歳・後に堺県知事)の筆録から<尊皇攘夷の大義の第一は姦吏を除くこと。今の世に当たり、(島津久光に)順を以って(説明してその了解を得て)是(姦吏)を除かん事甚だ難ければ、兵を挙げて、(姦吏の代表である)殿下(関白九条尚忠・65歳)と所司代(酒井忠義・50歳)を除く(テロ活動)の外なし>・・・伏見大手町商店街アーケード

関白九条尚忠と所司代酒井忠義は公武合体の象徴となる和宮降嫁を進めた人物で、<然る(テロ成功の)ときは、天下列藩(島津久光達も)泰平の酔夢も醒めて、一新(天皇親政)の端を開くべし。此時に当たり非常の事をなさされば、尊皇攘夷の道立つべからず>・・・東本願寺伏見別院の門

<いざや和泉殿(島津久光)の命を待たずして、(正式の方法ではないが)傍らより(我ら尊攘派が)出で、姦賊(関白と所司代)を斃しなば、それに随いて、(公武合体派の)和泉殿は必ず(尊皇攘夷の命を出す)処置あるべし>・・・伏見の街角

<これ和泉殿の意に背くに似るといえども、其の実はかくありてこそ、和泉殿の(尊皇に対する)功業も大いに立つべけれ。さればとりも直さず(我ら尊攘派の)和泉殿への忠節もこの外なしと評決>テロの大義名分は久光への忠誠のためというのです。・・・正面突き当りの路地を右に少し歩けば寺田屋

74年後の2.26事件、83年後の太平洋戦争末期(1945年)における陸海軍将校達の行動パターンとよく似ていることに驚かされますね。・・・周囲の伝統的な街並み

さて、久光は尊攘派藩士を呼び戻し、自ら天皇の勅旨(過激派志士鎮撫の命)を説明しようとしましたが、テロは暴発寸前であったため「上意討ち」もよしとして剣術に優れた奈良原喜八郎(29歳・後の繁・貴族院議員・男爵)、大山格之助(38歳・後の綱良・鹿児島県令)等8名を説得に派遣したのです。・・・寺田屋前の薩摩九烈士殉難の址の石碑

寺田屋に到着した奈良原等は説得を続けましたが、説得方の道島が激高し「上意」と叫んで尊攘方の田中謙助(35歳)の頭部に斬りつけたことから激闘が始まっています。・・・坂本龍馬像の後ろが薩摩九烈士殉難の碑

その最中、刀が折れた尊攘方リーダー格の有馬新七(38歳)は、最初に手を出した道島に掴みかかって壁に押さえつけ、「オイごと刺せっ!」と橋口吉之丞(20歳)に命じたために橋口が有馬の背中から道島の腹に向けて刀を突き刺し、一度に両名を絶命させたことは有名です。・・・右から9行目の中央に有馬新七の名前

参考文献:近世日本国民史 維新への胎動(上)徳富蘇峰著 平泉 澄校訂



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6月8日、13日、19日と既に3回アップしている近所のコチドリのヒナですが、だいぶ大きくなってきました。

こちらはいつも高い場所からヒナを見守っているコチドリの親。飛び立つ瞬間ですがブレてしまいました。

コチドリのヒナにも知恵がつき、草の陰に入ることが多くなりました。

コチドリの成鳥は、14から17cmくらいまで大きくなりますが、このヒナの体長はまだ7~8cmくらいでしょう。これからの成長が楽しみです。

さて、そのコチドリのヒナがいる空地にはカルガモもやってきます。このカルガモは見事な翼鏡(金属光沢のあるブルー)を見せてくれていました。翼鏡は飛行中の同類識別に役立っているようです。

空地には、カワラヒワ♂もやってきます。こちらは日本の野鳥とは思えない派手な黄色をしていますね。

カワラヒワは本来低地の森林に住む留鳥ですが、最近都市部の公園や河原での生息数を増やしているようです。

都市部の公園や河原での生息数を増やしているイソヒヨドリ♂です。イソヒヨドリもコチドリのヒナの空地からほど近い場所にいました。

最後にスズメがサンバ(3羽)。まだ若鳥のようでした。

 大都市の大阪市内でも、少し注意して見ると、いろいろな野鳥を観察できることが判りました。

 



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少し前まで近所の空き地にケリが営巣していましたが、空き地を臨時駐車場として使用したため恐らく巣も破壊されたのでしょう。一時姿を消していました。

ところが、その空き地に近い別の空地で営巣していて、そこでヒナが育っているようです。

ケリの番(つがい)は、繁殖期に3回営巣することが知られていて、一度の失敗ではめげなかったようです。

ケリの番は、繁殖期に人が巣に近づくと、けたたましく鳴きながら、繰り返し激しく威嚇することが知られています。

その声はキリッ・キリッ、ともケケ・ケケともケリ・ケリとも聞こえ、そこからケリと呼ばれるようになったようです。

翼の先端が黒、さらに白と茶色に色分けされ頭部が灰色、クチバシが黄、その先端が黒というケリは、チドリ科に属する野鳥のなかでは日本最大、体長が34cmもあります。

そのぶん飛行速度が遅く、人を威嚇すらために繰り返し近くに飛んでくるので、ケリの飛ぶ姿を撮影する難易度は高くありません。

この日も雌雄2羽のケリがこちらに向かって繰り返し威嚇飛行をしてくれましたので飛翔写真をしっかり撮ることができました。

ケリは大阪府のレッドリストで準絶滅危惧(NT)に指定されている野鳥なので、あまり刺激しないよう早めに立ち去ることにしました。



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お茶園展望台から大鳴門橋を眺めた、という昨日の記事からの続きとなります。

展望台から見た大鳴門橋の反対側です。正面が神戸淡路鳴門自動車道の高架、左側に見える建物が大塚国際美術館です。

南側、徳島空港方向の展望です。

さて大塚国際美術館へのルートに戻りましょう。

途中、こんな絶壁もありました。

ほどなく美術館の裏側(1階)に到着しましたが、ここのゲートは閉鎖されていました。

そこで、さらに山道を下ることに。

山道が終わると、各階のベランダに赤い手摺がついた大型旅館のような建物が見えてきました。大塚製薬潮騒荘という保養施設です。

大塚製薬潮騒荘の塀に沿って歩くと、大塚国際美術館が見えてきました。平日の開館15分前ですが、もう入場待ちの行列ができていました。



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高速バスを使って大塚国際美術館まで行ってきましたので、バス停から美術館までのアクセスルートを紹介しましょう。・・・大阪から徳島行きの高速バスに乗ると、大鳴門橋橋詰に鳴門公園口バス停があります。

鳴門公園口バス停前の歩道を橋の反対方向に直進します。

歩道から振り返ると大鳴門橋のすぐ左、さきほど下車したバス停が小さく見えています。

歩道の突き当りには巨大な大鳴門橋架橋記念館があり、その前を左に進みます。

大鳴門橋架橋記念館の先は小高い丘となっていました。

その途中から見た大鳴門橋です。

左の道を進むと展望台、右の道(トイレの前)が大塚国際美術館へのルートです。

折角なので展望台(お茶園展望台)に寄り道してみました。

梅雨時期の晴れ間だったせいで空気の透明度が悪く、こんな展望でした。

つづく



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チドリ科の交尾写真をNET検索すると、コチドリはどういうわけかシロチドリよりも遥かに多く掲載されています。・・・コチドリ

一般的に鳥はペニスやそれに相当する器官を持たず、上に乗った雄と下にいる雌が互いの総排泄孔(直腸、尿道、生殖輸管を併せた器官、哺乳動物なら肛門に相当)同士をくっつけることで交尾が成功します。・・・コチドリのヒナ(以下同じ)

総排泄孔同士をドッキングさせた僅か1~2秒という短時間に雄の精子が雌に受け渡され、外敵に対する無防備な状態も瞬時で終わるのが鳥の交尾です。

そのため、鳥では雌の合意がなければ雌の体の上に雄が安定して乗ることができないので交尾は成立しません。

交尾中という外敵に対する無防備な状態が短かかった種が生き残り、長時間交尾を続けていた種は滅びたのでしょう。

しかし、ガンカモ科とダチョウの雄には総排泄孔の内部にペニスがあり、交尾の際には勃起したそれが使用されます。

ハクチョウ、ガン、カモ、アヒル、ガチョウ、オシドリなど水中で交尾する水鳥は、総排泄腔同士をくっつける方法で交尾すると、精子が水に流されて不首尾に終わることがあったからでしょう。

従って、カモの仲間では雌の同意を経ない強引な交尾(人間で言えばレイプ)が発生することがあり、ガンカモ類に交雑が多いのもこれが原因かも知れません。

ガンカモ類の交尾時間も短いようですが、子孫を残すための交尾時間が短い種が繁栄し、長い種は淘汰された鳥の世界は人間に何を教えているのでしょうか。



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神戸どうぶつ王国では1日に2~3回のバードショーを見ることができます。

こちらはフクロウ

トレーナーのお姉さんの腕から飛び立ったシベリアワシミミズク

 

翼を広げると180cmにもなるというシベリアワシミミズク

体と比べると翼が大きいのが良く判ります

翼を一杯に縮めて飛行するシベリアワシミミズク

縮めた翼を素早く広げるシベリアワシミミズク

ミミズクやフクロウは、羽ばたいても羽音がしないのが特徴です。

翼を一気に下ろして前に進むシベリアワシミミズク



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ポートアイランドにある神戸どうぶつ王国の鳥の眼を昨日に続いて紹介しましょう。・・・オニオオハシの眼

シロムネオオハシ

パプアシワコブサイチョウの眼にはマツゲがありましたよ。

ギニアエボシドリの眼

ニシムラサキエボシドリの眼

シロクロゲリの赤い眼

ムナジロカラスの黒い眼

ミルキーワシミミズクの眼

シロフクロウの眼



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