goo blog サービス終了のお知らせ 

アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

起きることはすべて必然?

2006年06月28日 | 日々の泡
精神世界の書物を紐解くと、どの書物にも一貫して書かれている共通の項目や内容があります。その一つが「起きることはすべて必然」というものです。例外なく、そのことが前提でものが語られています。以前の私には、ある出来事や体験を必然と捉えるような態度は希薄でした。偶然と思えるような不思議な巡り合わせに遭遇しても、本当に偶然なこと…と考えることしかできなかったように思います。けれど、この頃では、こうした書物による影響もあって(自分が、一人でオリジナルでこのような考えに至れることは到底不可能なことです!)物事の現象はすべて起こるべくして起こる…と思うようになっています。次にはどんなことが起こってくるのだろうか?と観察していると、ただの同じことの繰り返しと思われるような日々の出来事にも、必ずそれなりのアクセントが付いていて、画一的な出来事というものは存在していないことがよく分かります。私に必要な情報は次はどこからどんなカタチでやってくるのだろう…という構えで待っていると、来るときも来ない時も、それはそのときに必要な状況に応じて、現実は立ち上がってくるのだと達観していられます。何も起こらなければ、何も起こらないという状況が、今は最善の設定であろうことが理解できます。いいことも悪いと思えることも、宇宙の目から見れば必然の出来事なのだと理解できてきます。意識が、ある問題やある人に焦点づけられていると、ふと見る新聞にも、それに関連した、あるいはそのものズバリの情報が載っていたりします。そういう意識状態でいると、次から次へと情報に連鎖が生じてきます。いろいろなことが繋がってくる感覚に包まれるようになるのです。そうなると本当に必要な情報を引き寄せる(手繰り寄せる)のも、あと一歩というところまでいく感じになります。私はまだ、あと一歩のところに留まり続けていて、それ以上は前進できないでいますが、やがて、その、本当に私が欲しい情報に手が届く日が来るのではないかと思ったりすると、もっともっと、この感覚を進化させていきたいという意欲が湧いてきています。もし、私を助けてくれるであろう、私にとっての真の情報を掴むことができれば、宇宙の神秘にアクセスすることも可能になってくるのかもしれません。