

今をときめく宮崎あおいさん主演の映画「初恋」のキャッチコピー(?)です。朝日新聞の日曜日の朝刊にちょっとした特集が組まれていました。この映画そのもののことは、私にはよくわかりませんが、三億事件の新説にまつわる3人の文化人の、この映画に寄せる‘物語’に鮮烈な興味を喚起されました。

この映画の中で描かれている青春群像は、もうすでに過去のものであり、ノスタルジックな世界観にしか見えないかもしれませんが、それはかつて現に存在していたものである以上、しかも、せいぜい、たかだか数十年前のものに過ぎない以上、現代を生きる人間にとっても、まったく未知のものではないはずです。ある意味、ルーツに繋がるものでもあるわけですから、それを知れば、きっと既視感(デジャヴ)すら覚えるはずです。

当時の一群の若者たちは「
ひたすらジャズを聴き、クスリをやり、かつあげをし、学生運動に首を突っ込み、そして詩や小説をかくこと」を日常としていました。
誰もが「孤児」で告白されるまでもなく相手の傷のありかを互いに分かり合っている関係がその当時には本当に存在していたのでしょうか?NHKの朝ドラの「純情きらり」の中に出てくるマロニエ荘にはそうした時代を髣髴とさせる雰囲気が漂っています。そんな時代があったのですよね。おせっかいを焼きながら、互いの苦境を思いやり、お互いの人間的成長に関与していく人間関係。たてつけも悪く、防音装置もない長屋のような、下宿のような集合住宅に暮らしながら、青春を生きる日々。。そんなふうでも泥棒なんかに襲われることはなかったのでしょうか?その時代には地縁などの意識が人々の間に連帯感を築かせるようなこともあったのでしょうか?文化の香りを漂わせながら、お互いを啓発し合えるような関わり。今は、すべてにおいて、人間関係を促すような装置や仕組みがなくなってしまっているから、当たり前のこととして、お互いのことを思いやりあえる人間関係を築くことが至難のワザになってしまっています。

「
あなたとなら時代を変えられると信じていた」…そんな熱い思いを抱けるような状況を、あなたは持ちえていますか?そんな関係を、例え限られた期間でも手にすることが出来れば、それは人生の珠玉のような時間となることでしょうネ。生きることが、毎日が、秘密めいた冒険と開拓の旅となることでしょう。三億円事件が起きた頃、そこにはそんな世界観が渦巻いていたようです。

「
ひとひとり傷つけずに三億円が強奪された。それから40年もの月日が過ぎているのに、私の中の喪失感は今も消えない。心の傷に時効はないから。」映画の中の説明はこのように続いています。私が、人には自分のことの多くを語れない。この特質には、恐らく前世というものがあるのならば、その時の生き方に由来している部分が大きく関与しているのだと思っています。今生で経験したことなのか、前世からの因縁が関係しているものなのかはよくは分かりませんが、いずれにせよ、きっと私にも‘心の傷’というものが今も深くケロイド状に残っていて、それが私の口を貝にしてしまっているのだと、この頃では考えるようになっています。ずっとずっと、‘心の傷’には時効はないのでしょう。そういう事情があるから、だから、きっと私は未だに、何も語れないのでしょう。匿名でしか生きることが出来ないのかもしれません。

だから、匿名ではない、生の私を許してくれる‘あなた’の存在は、私にとっては、神の‘救済’にも匹敵するほどの重みのあるものなのです。肝心なことは、心を許した人にしか伝えられない…という私の‘癖’はこれからも変わらないでしょう。でも、世阿弥も言っています。「秘すれば花」と。口が重いということも、楽しい人生の大事な要素なんだと、この頃では、私は本当にそう思えるようにもなっているのです。自分の属性のあれやこれやを、もう短所という概念で捉えるということがなくなりました。短所も長所もありません。私はここにこうして存在しているだけなのです。