今日は隣駅散歩
一万歩も歩けば暑くなるだろうと半袖シャツで出かけたら すぐにちょうど良くなった
歩きながら 先日ここに書いた本の暗唱句をぶつぶつと唱える
マスクはしているし 歩く人も少ない道なので つぶやく声のことも気にしないったら気にしない
俳句の本(主に作り方の本)を何冊か読むと 詠む人の力量だけでなく 読み手のほうの力量や感性 想像力なども大きく影響していることがわかってくる
絵画でも音楽でも文学でも もちろん鑑賞する力は必要だし 大谷のホームランだとか藤井翔太の対局の結果ほどはっきりとはしなくても 好みを超えた一定の共通認識があるように思う
が 俳句の世界はまた少し違うらしく 詠み手がその時には見えていなかったことや 言いたかった以上のことを 読み手が自分の世界観で読み取ったりすることがある
自分の句を詠むこと
ひとの句を読んで鑑賞すること
さらには句会などで選句をすること(あるいはされることも)
そのどれもがあっての俳句の世界なのかと思い始めたところ
クレーの絵が描けそうで描けないし、
わからなくても美術館で絵を見る習慣があると、
なんとなく良さも見えてきたりします。
俳句は言葉が集約されているから、
凄さがわかるまで大変かと思っていましたが、
勉強する手順があるのですね。
案外、素直な心や物の見方が大事かなと思います。
初心者は技巧など考えずに、ただただ詠む。
そういうことのようです。