どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

出典は?

2004年04月17日 | 日記
少し時期はずれだが
卒業シ-ズンになると思い出だす言葉がある。

「私(わたくし)は私にして私にあらず」

小学校卒業を前にしたある日だった。
校長先生が特別授業をしてくださるという。
どっしりとした暖かい感じの先生だったが、
教室でお話をされることはそれまで無かったので、
私たちは皆、緊張でがちがちになっていた。

先生は、チョークを手にすると黒板にこの言葉を書かれた。
ノートに書き写しながら、国語の読解力をもってしては理解のできない
この言葉の意味が説明されるのを私たちは待った。

授業が終わっても、私はこの言葉が持つ魂の呪縛から逃れられないでいた。
―先生の話、わかった?―
―うーん、よくわからないけどさ、自分を大切にって事じゃないのかな・・・―

今その頃のことを考えると
この言葉が子供時代との訣別を促したような気がする。

私の当時の理解は、こんな感じだった。
人は自分一人で生きていけるものではない。
どんな人でも、誰かの(時には、ただ一度すれ違っただけの名前さえ知らぬ人の)
恩恵を受けて生きている。
いや、生かされている。
今日まで生きてくるのに、どれだけの人の手が係わってきているか、ということを
先生はおっしゃったと思う。
自分のためだけの自分ではないのだと。
だから、自分を大切にしなければならない、と。

教え子たちのその後の人生を沢山見てきたはずの先生が、
あらゆる意味を込めて私たちに贈ってくださった言葉と
今では深く感謝している。
しかもこの言葉は、
膨らんだり発展したりする可能性を秘めている。
自己は自己のみで存在するのか、
そもそも自己とはなにか、
自己はどこにあるのか。
自分を大切に生きるとはどういうことか。
自己実現はなににもまして優先されるべきことか。

言霊の呪縛は永遠に続くようだ。
それにしても、この言葉、出典はあるのだろうか。
それとも、先生のオリジナルだったのだろうか。
この謎も続いたままだ。

コメント
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