南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島で自分を信じることを確認 ローカルが受け入れてくれた

2007年11月15日 | ミクロネシアの幼稚園
今日から職場が変わりました。
というか、正確に言うと増えました。
今まで南の島の村の海の見える幼稚園で働いていたのですが、幼稚園の事務所からいろいろなところに言って欲しいという要請があり、他の幼稚園を知ることも大切だし、今の幼稚園では僕がいろいろなことをすることが当たり前になってしまい、ある意味馴れ合いになってローカル教員が仕事をしなくなってしまっていないかな?って思うところもあり、もちろん今まで働いてきた幼稚園がメインですが、他の幼稚園でも働き、自分たちでもちゃんと幼稚園をしてもらおうと。(僕がいなければ、いないでちゃんとできるはずなんだから)

今までその話を同僚(ローカル教員)に話していると「調理員が病気だからとか、別にかまわない」って言っていたのが、行くことが決まると「校長先生に話したの?」「今度教育局の人が来るのにいないとだめ」とかいろいろ話し出したので、それらの問題はスベテクリアーにしているから、「僕は明日から別のところにも行く」と言って今日からタクシーに乗って町の幼稚園での初勤務。

正直、町と村の教師のレベルの差を改めて感じました。

そして僕の授業も初めてということもあって凄くて丁寧に見てくれました。
子どもたちは休み明けで落ち着きはなかったけど、少人数で僕の授業を受けてくれました。

そして、今日出来なかった授業(10個のマスを作りそこに石などを置くようにするマテリアル)を町の幼稚園の先生に話し、この南の島の幼稚園では次々に数字を教えたり、書けるようにすることより、数字の感覚、数字の数量を子どもが実感することが何より大切だと話しました。

すると凄く同意してくれて、その通りだって。

そして外で町で働く隊員と食事をして、幼稚園に帰ってみると、幼稚園の先生がなにやら紙を切っています。

「何を作っているの?」って聞いてみると「あなたが教えてくれた数字の感覚を養う表を
私もやってみたいって思って作りかけているの」って。
なんだって、今日まだ話しただけの授業のアイデアを採り入れてくれるって、それも明日から、それも僕に「作って」と言うのではなくて自分で作ろうとしている・・・

正直感動しました。なかなか今まで自分がしたことがどこまで相手に伝わっているのか?という自問自答の毎日でしたが、こうして僕がしている授業を見て、これは役に立ちそうだって思ってくれる人が、そしてそれを自分で作ってみようという人が。

最高に嬉しかった。もちろん一緒に作りました。そして彼女にこの島のカリキュラムの問題点などを聞いてみると、僕が感じているように子ども実情に合っていない点がいっぱいあって、彼女も自分で取捨選択して授業をおこなっているようです。

今日は町の道が濡れていて、滑って頭から転げて、凄く痛かったのですが、良かったそんなことに不運を使っておいてって感じです。
もちろん今日のようなことばかりが続くわけではないですが、こうして自分で後ろ髪を惹かれる思いで外に飛び出して、それ以上の成果というか喜びを得ることが出来ました。

今頃何を言っているんだって言われそうですが、これからも自分がこの南の島の幼稚園にとって良いと思ったこと信じて、活動していこうと改めて思いました。
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南の島選挙の翌日

2007年11月14日 | ミクロネシアの生活
昨日で南の島の熱い選挙は終了。僕の親戚は残念な結果でした。

今日は朝、幼稚園で仕事をして、午後から大学の授業に出て、参加者に幼稚園の話をする日(自分の都合でいくので、決まった日はないのですが)

講義が始まっても、みんなの話題は、選挙の話。今回はまれに見る激戦だったらしく、有効投票数に足りずにもう一度選挙をすることになるかも?って話です。

話題だけでなく、南の島の人たちも気持ちもまだまだ選挙ムード。

今日も町から村に帰るのにぜんぜんタクシーが捕まりません。
そして小学校の先生の旦那さんが僕を見つけて、「乗っていきなさい」って家まで送ってくれました。「本当にありがとう」最近このように知り合いや親戚が車に乗せてくれることが少しずつ増えてきました。

そして乗せてもらった車の中で、「タクシーが全然来ない」って話をしたら、「選挙が終わって、みんな当選者のところでお祝いがあったりして、まだまだ選挙が終わっていない」って言っていました。彼は、昨日は選挙立会人で、朝の7時から午後の6時までご飯もたべられなかったそうです。
(もっとコンマル(休むという意味)しながらするのだと思っていたけど、かなりまじめな選挙立会人制度でした)

今回、女性立候補者が予想外に善戦したそうです。
この南の島にも女性の地位向上や社会進出の芽が生まれてきているのでしょうか?
南の島はだいたい、女性のほうが働き者が多いですからね。いいことかも。
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南の島の選挙当日

2007年11月13日 | ミクロネシアの生活
今日は南の島の選挙の日。
学校は、子どもは休みで、先生は午前のみ出勤。

今日は、自分のしたい仕事をしようとはじめると、カウンターパートが「明日から教育局の人が学校訪問に来るから掃除しない」って。
いつもほったらしなんですけど・・・って感じですが、もちろん一緒に掃除をしないと始めました。

僕のちょっとつらいところは、毎日の授業においても今日のように授業準備なども基本的には、カウンターパートの意向に沿ってするようにしているので、自分で時間がコントロールできないこと。でもそうしていつでもローカル教員の意に沿うような姿勢でいることが大切かと思っています。僕がそこまで彼女に合わせていることを彼女がどこまで理解してくれているかは不明ですが。(いやきっと通じていると信じて)

人が来るから掃除、まあ日本でもいつもきれいにするように心がけますが、研究会などがあると念入りに綺麗にするから、ある意味同じかも知れません。いい格好をするって意味だけでなく、そういう機会に綺麗になることは悪いことではないですからね。

それだけで午前の時間は終了。彼女はじゃあ帰るって帰途につきました。

今日は、先生は昼から選挙の投票に行くので休みです。
「いったい投票に何時間かかるんだ」って感じですが。きっと時間がかかるんです。

教室の隣が丁度投票所だったので、様子をのぞきました。選挙管理員が丁度知り合いだったので、いろいろシステムを教えてもらいながら。

今回は南の島全体の州と5つある村の2つの地域の選挙。

州は、州知事・副州知事・上院議員、村は村長と村会議員って感じでしょうか?

州の選挙のほうは、投票用紙が非常に親切で驚きました。
投票用紙に立候補者の氏名に顔写真まで書いてあり、入れる人をチェックするだけになっています。チェックだけなら字が書けなくても大丈夫だし、顔写真があったら立候補者の名前が読めなくても大丈夫。
そういう意味では識字率100%の日本とはかなり違います。

なんて便利なんだ、これなら日本もこんな風にすればいいのになあって一瞬思いましたが、日本だったら、誰が何番目に記載されるか、それが無支持層の投票に影響を与えるので、
やはり日本ではこのシステムが取り入れられることはないなあって。
このやり方なら無効票(字が違うなど)がなくなるのになあって。

投票所にはたくさんの車が来ます。その多くが立候補者の支持者の車。支持者が車を提供して車のない人を投票所まで乗せていくのです。だから車には大きく立候補者のポスター0や名前がでーんと貼ってあります。日本ならこれはアウトだなって思いながら。

でも僕のおじいさんのような足の不自由な人は、自宅に選挙員が来てくれて、家で投票ができるなどかなり親切なシステム。

この南の島の選挙はかなりグレード?が高いかもしれません。

投票所ではちゃんと住民台帳にみたいなのを来た人ごとにチェックしてサインをもらって投票用紙を渡しているし。

選挙権は18歳からと若干若いのが日本と違うかな?
投票率は日本よりかなり高いと思われます。

開票は今始まっている模様。どんな結果になるのかな?

なんたって、僕のおじいさんの娘婿が立候補しているから、動向が気になります。
とってもいい人なので、いい結果が出てくれると嬉しいです。

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南の島の選挙事情

2007年11月12日 | ミクロネシアの生活
南の島は、日本のゴールデンウィークのようです。

11月は3日・8日・12日と3つの休みがあります。その上5日は陸上競技、13日は選挙の為に学校の授業はありません。

当然大人も休んだり学校に行ったりでリズムが掴めないので、子どもはそれ以上。

ただでさえ授業に集中力が欠けてしまいがちな子どもたちも、かなり大変そうです。

今日の話題は明日の選挙。

選挙の種類はこの南の島の州知事・議長・上院議員などなどかなりの数の選挙があるみたいです。

選挙ポスターを貼るのは、日本と違って自由なようです。
正直、貼ったもの勝ち的です。
景観美観は気にせずに目立ったほうが勝ちみたいな。

あとは、お店の軒先など人が目立つところにはたくさん貼ってあります。
お店はいろいろな人とつながりがあるから、どの人のポスターを貼るのも断りにくいのもあるのかな?って思います。

選挙グッズも団扇・Tシャツ・ペットボトルまで、いろいろなものに名前や顔が印刷されています。
もうこうなるとお祭りです。

僕の家の親戚も選挙に出ています。(おじいさんの娘さんのご主人)
そしてこの間 選挙のFUND-RAISING(共同募金)がありました。

日本でこんな選挙の関連する行事に参加したら大変ですが、僕には今選挙権がありませんから、大丈夫です。

この南の島ではこのFOUND-RAISINGが様々な形で開かれますが、今回はラッキーナンバー。

つまり立候補者に対して、支持者が豚やサカオやお米、美容師の人は美容院の無料券などをプレゼントし、それをそのFOUND-RAISINGの会場に来た人がそれぞれ1ドルのラッキーナンバーといいチケットを買って、抽選をして当選者が商品全てもらいます。

ラッキーナンバーは、1つの商品ごとに買い、一度外れればそれは無効になり、次の商品が出たときにほしいと思ったらまた新たにラッキーナンバーを買います。
一人が何枚買うのも自由。

これは抽選ですが、基本的には候補者の資金集めなので、参加者の多くがこの賭け?に参加します。

もちろん、ラッキーナンバーだけでなく、サカオが振舞われますが、それも一人2ドルのお金を払います。候補者の接待ではありません。

支持者は物品で支援し、参加者はラッキーナンバーを楽しみながらお金を払って候補者に寄付をする要素があるわけです。

なんとこの日の売り上げが1600ドル。もちろんサカオの収入も入っていますが、この南の島にしてはかなりの高収入。

それだけ、南の島の選挙活動にもお金がかかっているということでしょう。

日本で言えば、政治資金集めのパーティーのようなものなのでしょうか?
僕も日本で相撲部屋の支援者が集まるパーティーに連れて行ってもらったことがありますが、意味的には似ているように思います。

なかなか、よく考えられたシステムだなって感心しました。
特に美容師の方の無料券がいい感じでした。

明日は選挙。島の州知事・副知事・村から選出される島の上院議員、それに村の村長さんに村の議員選挙と日本の統一地方選挙のようです。

明日の選挙、そして選挙結果が楽しみです。

そして明日は選挙のために生徒は学校が休み、先生は午前中出勤、昼からは選挙に投票に行くので、お休みになります。
理由は車がいっぱい走って危ないってことだそうです。確かに選挙カーが島中を練り歩きます。スピーカーは積んでないので、うるさくはないですが。

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南の島でタクシーを待つ 今日は計4時間

2007年11月11日 | ミクロネシアの生活
今日は朝から村の家でのんびり。
朝起きて、教会に行って、お母さんがいないから昼ごはんを作って、同時進行で洗濯物をして、昼から家でのんびり。

本当は町で過ごすはずだったのですが。実は昨日は夜、仲間の隊員の家族の赤ちゃんが誕生日でお店を借り切って盛大にパーティーをするので来てくださいって言われていたので。

インターネットライブを終え、2時間してから家に帰ったものの、すぐにタクシーは来ず、
2時間延々と待ちました。今日は合計4時間タクシーを待つのに時間を費やしました。

子どもたちも心配してくれて、何度も電話してくれたり、タクシーの無線があるところに行って聞いてくれて、とうとうタクシー会社のオーナーが運転することになりましたが、時間は既に2時間を越えて、誕生日パーティーは終了しそうとのこと。

迎えに来たタクシーの運転手さん(オーナー)に「もう誕生会終わったからいいです」って言うと「じゃあ、キャンセルだね」って。

確かにキャンセルだけど、2時間待ちもキャンセルなんだって感じです。

まあこちらでは日本のように急ぐ、正確な時間に物事をするということが余りない上に、タクシーの台数、お客さんの数、そしてドライバーの気分などに左右されるので。

空腹だったので正直少し苛立ちましたが、タクシーを必死に呼ぼうとしてくれた子ども達の姿が嬉しかったです。

タクシーを待っている間、台所でマジック大会をして、影絵や指を使った遊びなどを紹介すると南の島のブラックマジックを教えてくれました。

日本でもブラックマジックってあるのかな?子どもの間で流行しているのかな?
本当にブラックマジックでした。
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南の島のインターネットライブ大成功

2007年11月10日 | 青年海外協力隊
日本の大学際と南の島の子ども達を結ぶインターネットライブ。

こちらの出し物として、教会の歌・ココナッツのジュースつくり、コブラ削りをみてもらうので、その素材集め。
おじいさんの指揮のもと、孫たちが雨の中にココナッツの木に登って取ってくれました。

当日は4時スタートなので、2時に家に集合して出発して町の事務所に行く予定でしたが、予定していた子どもが(おじいさんのお孫さん)一人家を出たのにまだこちら到着しない。家の人が車で見つけに行ってくれて無事集合。

予定していた子が一人来ないので、急遽家にいた男の子も連れて行くことにしてタクシーに乗り込みました。タクシーが教会で結婚式があるのに、スムーズに来てくれて助かりました。

事務所では隊員が到着してパソコンの設定をしてくれていました。
会場も「ポスター貼ったほうがいいよ」など、たくさんいるといろいろなアイデアが出てきます。

試験交信の反省を生かして、音声をスピーカーでつなぎ、マイクも動きやすいものにして、日本の画面もプロジェクターを使って大きく写すことにしました。

開始直前にも交信をしましたが順調そのもの。

これだけ順調にいってきて、「本番だけつながらなかったら最悪だな」なんて嫌なことが頭をもたげましたが。

日本時間で午後2時こちらの時間で午後4時(南の島は日本より2時間の時差です)スタート。

大学のサイトで大学祭の会場が映っているのがインターネット上で見ることができました。
しかし、会場にどれだけいるのか不明で誰もいないのでは?と心配してしまいました。

今回はアフガニスタン・南アフリカとこの南の島をつなぎます。

流石に1時間30分も待った子どもたちは退屈そうでしたが、選りすぐり?の家族をつれてきたので、落ち着いています。

そしていよいよ出番。

まず僕がこの南の島について紹介しました。
・ 雨が多い島であること
・ 日本の文化や言語が残っていることなどなど

そのあと、子ども達の自己紹介も緊張しながらも一人ひとりが日本の方に向けて名前を言いました。

その後トラブル発生。音声が聞こえない。日本側も僕たちの声が聞こえない。
インターネットライブにトラブルはつきものらしいですが、やはり慌てます。

マイクを交換してうまくいき、再開。

こちらからは出し物として、南の島の人が大好きな教会で歌っている歌、いつも木に登って取った実を飲むジュースを子どもがナイフを使って切り口を切る、またコブラ(ココナッツの古くなったもの)の中身を削るところもみてもらいました。

僕の住む南の島には伝統的なダンスや歌があまり残っていないので、こういう形式の派フォーマンスをすることに。でも家の手伝いをよくする子どもたちというテーマで紹介したので、思った以上に日本側に映像を通して南の島の様子が伝わったように思います。

そして、こちらからは「学校の名前は?」「学校で好きな科目は?」「大好きなスポーツは?」という質問をしました。

そしてこちらから最後にメッセージ。
地図でも見えない小さな南の島に、日本人のことが大好きな子どもや昔南の島に日本人が住んでいて日本ことを懐かしいなあって思っているおじいさんがいることを知ってください。そして私が今現地で現地の人と触れ合いながらたくさんのことを学んだように、これから旅行など様々な形で海外に行くときも、現地の人とふれあい、そこでしか感じられないことを大切にしてくださいと。

かなり焦りましたが、大成功でした。日本側からも南の島の子ども達のよさが伝わりましたと言っていただきました。

さあ帰ろうかってタクシーを呼ぶこと2時間。
まあ今日はインターネットライブが成功したから、これはしょうがないなあって。

今日は帰りのタクシーが早く来て、インターネットがつながらないよりずっといいから。

人生プラスマイナスゼロなので、いいことにプラスを使って、どっちでもいいことにマイナスが使えるように、またそういう風に考えていかないとね。
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南の島のインターネットライブのお知らせ

2007年11月09日 | ミクロネシアの生活
今日はお知らせ。

今週の土曜日に日本と南の島をインターネットライブで結び、日本と南の島の子どもが交流します。もちろん画像も音声も流れます。
そんな模様を当日日本側の鳴門教育大学のホームページからパソコンで見ることができます。
日時 11月10日(土)午後2時~(日本時間)

当日は南アフリカ・アフガニスタンの次に南の島が登場します。
予定時間は午後2時20分過ぎ

インターネットライブは僕がこの南の島に来て、是非一度はやったみたいと思っていたことですし、この南の島初ですので。

なんでも一番最初にするのが僕は大好きです。未知の世界を切り開くのが面白いし、一番最初に始めるとそれをいつまでも維持しようと努力を自分でもすることができるし、自分から次の人に広がって良く喜びもあるし。
ただ1番にすることを見つけるのは、そしてその行動を起こすことは容易くないことも事実です。だからこそ意味があるのだと。

当日お時間のある方は、是非見てください。知り合いの方、僕の元気な姿も余計ですが見れるはずです。

このブログが当日まで先頭にくるようにしています。

当日の様子が見れるアドレス

http://incet.naruto-u.ac.jp/festa2007_live.html

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南の島で「人生なんてそんなもんだ」

2007年11月08日 | ミクロネシアで思うこと
南の島で「人生なんてそんなもんだ」って、僕のおじいさんが僕によく話される言葉。

何度も話すけど僕の南の島のおじいさんは85歳。僕のたった一人の本当のホストファミリー。「人生なんてそんなもんだ」って日本で話される。

僕は正直、初めおじいさん一人の家に暮らすことが決まったとき、少し落胆した。
(おじいさんごめんなさい)
僕はたくさんの家族と暮らしたかったし、この南の島に来ると希望したのも、任期が終えてからも度々南の島に足を運んで、長く付き合っていきたいって思っていたから。第二の故郷にしたいって思っていたから。だから子どもたちと仲良くなっていつでも南の島を訪れることが出来たらいいなあって。何年も何十年も

でも人生ってそんな思い通りにはならない。お祖父さんの言う「人生なんてそんなもんだ」って言うことだろう。

そう、どんなに願っても思い通りにならないことはあるし、それが思いもよらぬ幸運を呼ぶこともある。

でも僕はこのおじいさんと一緒に過ごせて、今は最高に幸せだ。
そして、決まった家族ではないけど、僕をホストファミリーとして受け入れたいと思った人たちではないけど、(僕を受け入れようと思ってくださったのはおじいさん)お祖父さんの世話をするいろいろな人と暮らせることが大きな幸せだ。

活動先でも「よーしうまくいってきた」って思うと、とんでもない落とし穴が待ち受けていたりする。それは南の島でも日本でも同じだけど。

なかなかおじいさんのように「人生なんてそんなもんだ」なんて悟りを開くことはできないけど、いろいろな困難を素直に受け入れられる人間になりたい。

「人生なんてそんなもんだ」って何か投げやりに聞こえるけど、おじいさんの言いたいことは、そんな投げやりな気持ちではなく、うまくいかないこともいっぱいあるし、喜びもいっぱいある、それを自分の運命として受け入れていくことだと思っている。

どうせ、分からない人生なら好き勝手に生きたらいいっていう人もいる。
また反対にだからこそ慎重に生きて生きたいって人もいる。

僕の生き方ってどうなんだろう?

周りの人はよく「幸せだね、自由に好きなように生きていいね」って僕のことを言う。

そんなに自由に生きてきたつもりはないけど、それって良い生き方かもしれない。

人生なんて先が見えないから、今を一生懸命に後悔することなく生きたい。

僕のモットーは、人は自分がしなかったことでする後悔の数より、自分がしたことでする後悔の数の方が断然少ない。つまりまずやってみること。
結構こう見えても僕を良く知る人は慎重派だってことを知っているから。

そういいながら、躊躇してためらってしまうことも多い自分に反省。

人生なんてそんなもんだって、いい意味で開き直って何が起こってもびくともしない強い精神をもちたい。

この南の島の生活もそんな自分に近づくために一歩と信じて。
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南の島のホームシック

2007年11月07日 | ミクロネシアで思うこと
この南の島に来て、はや1年4ヶ月が過ぎた。
この南の島に来たのは、決して日本の生活が嫌になったり、嫌いになったわけではない。
協力隊に参加するときは、自分が日本で頑張っているときって決めていた。
協力隊に参加するのに、日本でスランプだからみたいに後ろ向きになりたくはなかった。

人から「なんで協力隊にいくの?」って不思議がられるくらい順調なときにこそ行きたかった。
だから今でも協力隊に参加するときが決まったときも、日本が大好き、職場が大好き、家族が大好き。

その気持ちは今も変わっていないけど、この南の島で日本に帰りたいなあ、日本に帰ってあんなことしたいなあって思ったことがない。

もちろん、人種も文化も習慣も違うこの南の島でうまくいかないことなんて山のようにある。僕がこの南の島に来て、本当に意味があるんだろうか?って考えたことはあるけど、だから帰りたい、やはり日本に戻りたいとは思わなかった。

それってこの協力隊に参加して、本当に幸せなことだと思う。
多くの人が多かれ少なかれホームシックにかかるって、聞くから。

この1年4ヶ月、家族との友達とも誰とも会ってない。多くの隊員は家族や友達がこの南の島を訪れるのに。それって僕が孤独になれているのかな?なんてちょっと心配になるけど・・・

あと残す時間は本当に限られているけど、こうして元気に南の島で生活が送れることを感謝しよう。

そして、「自分で勝手に困難だ」と言って壁を作らず、「どんなときでも自分のやるべきことはある」と思って、自分で道を作っていこう。

今日はちょっと南の島で考えました。
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南の島でありがとうって言われたらやはり嬉しい。

2007年11月06日 | ミクロネシアの家族
夕方仕事を終えて、今日はよーし自転車のパンクを治して乗れるようにしようと試みましたが、道具も揃わず困っていると僕の家のお祖父さんの息子さん(といってももう60歳ですが)が近寄ってきて、これを使えと道具を貸してくれたばかりか、「これはこうすんだ」って、手伝ってくれました。

いつも無口で船乗りなのであまり家にもいないし、家に帰ってくるとサカオにいくのであまり会話がないのですが、根は凄くいい人だということはわかっていました。

だっておじいさんと一緒に最も長く住んでくれる家族だし、きっと心が優しいからおじいさんのことを心配して、おじいさんの世話をしてくれるのだと思うので。
(まあ、実際のお祖父さんの世話をするのは、彼のお嫁さんなのですが)

汗まみれ、泥まみれになって一生懸命に直してくれました。
そうしていると高校生の子どもも一緒にてつだってくれて、みんなに改めて感謝。

今日ももちろん料理担当は僕。
キャベツとベーコンとニンジンで野菜スープを作りました。

おじいさんがこの間から続いた誕生会の食事で「油は余り体によくない」って言っていたので、ここはヘルシーメニューで。

おじいさんは僕が自転車の修理で料理を始めるのが遅くなったので、待ちきれずにライスだけ食べ始めましたが、料理ができあがると「ウッタン・ヨウー」(とっても美味しい)って言って、たくさん入れたおかずを平らげてくれました。

そして、お母さんが留守中に料理を作らないといけない高校生の娘さんもご飯がおわると「お料理してくれてありがとう」って言ってくれました。

昨日のブログでは、ありがとうって言わないことが喜びだと書きました。
それはまさしくその通り。
でもやはりありがとうって言ってくれると嬉しい。それも笑顔で。

やはり身近な人にも「ありがとう」って気持ちを素直に伝えるとみんなの気持ちも温かくなるなあって思いました。

自転車の修理をしてくれた家族といい、わが家族の中には温かさいっぱい詰まっています。
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南の島のローカル教員より頼りにされたかも?

2007年11月06日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は、6日ぶりの幼稚園再開。
昨日のTRACK&FIELDは、選手以外は、幼稚園はなく休みでした。
しかし、それが決まったのは木曜日の会議で、金曜日は祝日、そして土日に突入。

そんな日曜日、のんびり家の今最も熱い?人気スポットのハンモックでボーとしてういると、家族の人から電話だよって。
出てみるとなんと幼稚園の保護者からでした。
保護者「明日幼稚園休みなんですか?」って。
僕「そうなんです。明日は、幼稚園は陸上競技があるから選手以外は休みです」
保護者「わかりました。ありがとう」って内容。

その保護者は凄く親切で、僕が教室を掃除していると「それは私がするから」って言ってくれたり、休憩時間に子どもが遊んでいるといつも僕と一緒に子どもの遊びにつきあってくれます。
思わずあなたがカウンターパートだったらよかったかも?って言いそうな。

何で僕の家にしかも僕の電話ではなく、お祖父さんの家にでんわしてきたんだろう?
ローカル教員の家の電話番号調べたほうが確かなのに?

まあ僕が教会の助祭であるお祖父さんの家に住んでいるのを知っているのでそこから聞いてみようと思った単純な話だと思うのですが。

今日幼稚園でやはり連絡が行き届かず、ローカル教員に「昨日幼稚園休みだって知らなかった」って言う保護者がいて、そこで僕に電話してきた人もいたよって話すとその保護さ、者に「なんでhiroの所に聞いたの?」ってちょっと憮然とした感じでした。

まあ大した話ではないですが、少しずつ僕も信頼されてきたのかな?って遅まきながら思った瞬間でした。
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南の島でありがとうって言われない喜び

2007年11月05日 | ミクロネシアの家族
今日は朝からコロニアで陸上競技大会。
南の島の子ども達のかけっこ。
この島は我がウー・ネッチ・マタラニウム・ソケース・ネッチの各村に町のコロニアがそれぞれ選手を出して、50メートルを走ります。
今日は幼稚園と小学1年生~4年生まで、明日は6年~8年まで、そして明後日が決勝戦。

僕の幼稚園の子どもも3位入賞を果たしました。
園児の中には、ボイルといって体の中から膿んでくるこの島の病気(僕も2回なりました。正直凄く痛い)に足がなっているのにもかかわらず、出場させていました。
この島の戦う気持ち、勝負に対する意欲が表れています。

そして今日は誕生日第二回戦。
タクシーで村に帰ろうとしたら普段だったら15分で帰れるのに、寄り道&寄り道の連続で約1時間。乗り合いタクシーがなせる業です。午後3時だったので、カラカル(暑い)でした。

ケーキに焼きそば・焼き飯・豚のブロッコリーの炒め物・サイコロステーキなどなどメニューは一緒。
冷蔵庫に入れておいた、ブロッコリーやキュウリが無くなっていたので冷や汗でしたが。

今日は一昨日の反省をして、売れ残りかけた焼きそばや豚とブロッコリー炒めは、改良して、焼きそばはソース味を醤油味にして、豚とブロッコリーにはニンジンも加え、片栗粉をいれてとろみをつけました。焼き飯は、ベーコンを投入して野菜も盛りだくさんにしました。
今日は前回よりたくさんの人が来てくれたので、完食でした。
この南の島では、完食はあまりいいことではないのですが。
つまり、残るくらいたくさん作って、満足してもらうことが大切だし、食べる側も残ってもう食べられないっていうのがベストなので。

日本人的には無駄がなくて、もったいなくなくていいのですが。

さあいよいよケーキのローソクに火を灯し、Happy beirthdayの歌の後誕生日の子どももがローソクを消しても、電気がつかない。何で?何で?
ローソクをつけている間に停電になったのでした。

なかなか電気がつかず、お祖父さんのもっている懐中電灯をつけて、みんな食堂で過ごしました。
今日も前回も誰も僕に「ありがとう」なんて言いません。
それってどうなんだろう?って改めて考えてみました。

でも、誰にもありがとうって言われないことも喜びだと感じます。
皆さんは家族にいつもありがとうありがとうって言ってますか?
「お母さん今日料理作ってくれてありがとう」って毎日。

つまり家族には感謝の気持ちを持ちつつ、なかなか言葉に出して言わない。
互いに思いやる助け合うことが当たり前になっているから。

それは遠慮というものを超えて、何もかもが自然体になっているという証拠かなと。

「ありがとうって言われる喜び」もあれば、「ありがとうって言われない喜び」もあるのかな?って思いました。自分で勝手に都合のいいように解釈しているかもしれませんが。

ありがとうって言わなくても通じ合える家族のようになってきているのかなって思います。
僕も南の島で本当の家族になれたように思えた瞬間でした。
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南の島で泣きそうになった

2007年11月04日 | ミクロネシアの生活
昨日の話

ホームステイ先の子どもの誕生日のケーキをタクシーで取りに行くときの話。

村のタクシーの運転手さんは殆ど知り合い。
昨日乗ったタクシーの運転手さんは、昨年の幼稚園児のお父さん。

いつもは無口なのですが、家族に料理を作ってケーキを取りに行く話を始めると急に「村のみんなも君のことが大好きだよ」って言い出しました。もし君が去る時がきたら教えてくれよ、僕が料理を作って持っていくから、君は本当にいい先生だよ」って。
おいおい、いつもどちらかと言うと無愛想なのに、そんなお世辞ってわかっていても滅茶苦茶嬉しい。

日本でも南の島でも保護者に「いい先生だ」って言われるのが一番嬉しい。それは子どもが僕のことを大好きだと表しているから保護者も感じてくれるし、子どもの成長を通して保護者は教師を評価するはずだから。

そしてその言葉が嬉しかったのは、彼は保護者であり村の人であるからだ。
村の人に「君が好きだ」と言われるのは、村で生活している自分の大きな証だから。

ジーンときた。
言語も習慣も価値観も異なることが多い生活ですが、そんな思いが吹っ飛ぶ言葉でした。

僕は褒めて伸びるタイプな上に単純なので、そういう言葉が大きな励みになります。

他人の評価を期待するのでは決してないけど、人の心に残ることをじっくりじっくり、これからの生活でも大事にしていきたいと改めて思いました。

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南の島のBirthday ついにお母さんになりました。

2007年11月03日 | ミクロネシアの家族
今日は南の島のお母さんになりました。

今の僕の家(ホームステイ先)はかなりのピンチ。
前にも話しましたが、お母さん(僕のホームステイ先のお祖父さんの息子さんのお嫁さん)がハワイに娘の出産に手伝いに行ったきり帰ってきません。

そこでできるだけ料理と食事の後片付けなど頑張っているのですが、今日は一緒に住むお祖父さんのお孫さんであるMIYRAの誕生日。Mちゃんは、今話したハワイに行ったお母さんの子どもではなく、お祖父さんの別の息子の子ども。でも彼女のお父さんとお母さんは離婚して両方ともが別々にアメリカに行ってしまい、彼女とお兄さんは、お祖父さんの家や他の親戚の家を転々としているようです。

今の僕のお母さんは、とても優しい人なので、そんな彼女(お母さんからすれば姪っ子になります)の面倒を見てくれています。ちょうど彼女と同じ年の子どもVちゃんがいるのですが、(二人はいとこ同士)とても仲良し。そしてMちゃんが11月3日、Vちゃんは、11月5日が誕生日。

今は船乗りのお父さんもいないし、他の子どもに聞くと「誕生日会をする予定はない」とのことなので、よしこうなったら僕が誕生会をするしかないなあと、僕がお母さんの代わりをすることに決定。
だってMちゃんは、お父さんもお母さんもアメリカで誕生日を祝ってくれる人がいないのだから。

ラッキーなことに先週にこの島に船が着いたので、スーパーに行けば食料はかなり豊富にあります。キャベツ・ブロッコリー・ニンジン・牛肉・豚肉などなど。

メニューは、キャベツにアルミホイルを包んで、その上にチーズやニンジンやキュウリを爪楊枝でさして、飾ったスナック的なものから、チャーハン、焼きそば、そしてブロッコリーと豚肉をごま油風味炒め、そしてサイコロステーキの5品。そしてもちろんBIGサイズのBIRTHDAYケーキ。

正直食材を買うだけでかなりの出費だけど、いつもお世話になっているおじいさん、そして子どもたち、そして今ハワイに行っているいつも優しいお母さん達、家族のためですから。

調理に3時間くらいかかりました。なぜなら、火がガスではなく灯油なので、火力が弱い、その上今日は15人分くらい作るので、量が多い。

でも一番心配なのは、家族がちゃんと食べてくれるかということ。

子どもたちも自分で仲のいい友達を集めていてくれたので、ほっと一安心。
サイコロステーキは一瞬でなくなりました。

ケーキは大きすぎたので食べ切れませんでしたが、明日冷蔵庫を見るときっとなくなっていることでしょう。

Mちゃんは、14歳で恥ずかしい年頃なので終始照れていて、そんな今更誕生日なんて嬉しいなんて顔できないと下を向いていましたが、きっと喜んでくれているのだと信じて。

日本では誕生日の料理を一人で作るなんて考えられませんが、この島なら何故かできてしまう?
それは単に時間があるから、海外だからではなく、この南の島の人々がもつ家族への優しさ、温かい気持ちがあるから。

そして喜びを一人で握り締めてしまうのではなく、みんなで分かち合おうとするシェアーの精神に満ち溢れているから。

僕たち協力隊って日本にあるいい技術を海外に移転する・伝えることが使命ですが、いいことを伝えたいなら、その国の良い所を自分がいっぱい吸収して、それを行動に表さないといけないというか、意味がないのでは?と思います。

これからもこの国の良い所を掴むだけではなく、自分の行動に表していけるように心がけたいと思います。いや行動していきます。
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南の島の贅沢(日本的生活)

2007年11月02日 | ミクロネシアの生活
昨日は町で会議があったので、町にあるドミトリーに泊まりました。

そこで以前買い置きしておいた豆腐と冷凍しておいた葱をだして、またまた冷奴を作りました。そして、この島で貴重な日本米を炊いて、食べることに。
そして昨日はなんと、日本シリーズがNHK WORLDで放送されていました。

冷奴に日本米を食しながら日本シリーズのテレビを見る。
そんな贅沢が許されていいのだろうか?
テレビ見るのって何ヶ月ぶりって感じです。
僕の住む家にはテレビはありますが、DVD専用なのでテレビ番組は映りません。
なので、NHKをみることなんて滅多にないですし、ご飯を食べながらなんて夢のよう。

ちなみにNHKとは正確には、WORLD。海外に向けてNHKが発信しているテレビで基本的には日本で作られたものが放映されますが、日本と全く同じではありません。

一番悲しいことは、ニュースで大リーグなどの試合の1場面など、NHK以外の著作権が発生する映像は、見ることができず、声だけが流れます。
オリンピックやWORLDサッカーなど世界競技は見れません。

まあそれはさておき、のんびりテレビを見て日本食を食べるって日本では当たり前だけど、この南の島、特に村に住む僕にとっては最高の贅沢。

でも贅沢ってたまにするから贅沢と感じるし、なかなかできない非日常だからいいのだなって改めて思います。

今は逆にこの島の日常、日本に帰ると非日常な贅沢をたくさん味わいたいと思います。

今日は南の島は、祝日です。
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