背番号11

2007-09-27 23:54:43 | ・子どもの世界
けんとくんはサッカーが大好きでクラブに入っています。

南葛SCの背番号11は岬太郎くんです!!
サッカーの申し子大空翼くんとゴールデンコンビです。
お母さんがいなくて絵描きのお父さんと2人暮らしです。
でも、すごく性格のいいやさくしてさわやかな男の子です。

けんとくん、好き嫌いが多くて多くて、
あれがキライ、これが食べられない、
おやつのとき、ダダをこねて今日もお口がとんがっていました。
南葛11番のTシャツ着てるけど、
あーあーぜんぜん違うよぉ~~ ため息吐息のミッチであった。

ブーム当時、たぶんanimate阿倍野で買った下敷き、なぜか今もある →↑
゛C翼゛は女子のあいだでは、や○い系の同人誌がスゴカッタ!

ちょっとつれづれ・・

2007-09-27 23:00:25 | ・その他・暮らし・日常
最近、勘違いをしていたことがあった。ひさしぶりに観たい映画があったのだ。それは『お吟さま』1962、今東光の原作は高校生の頃に読んだ。物語は千利休の娘・吟が長い間高山右近に想いを寄せているという話。しかし右近には妻がいる・・。映画での吟役は有馬稲子、女優・田中絹代の監督作だそうで、とても面白そうなので観たいと思っていた。こういった日本の古き良き映画を上映しているのは東京国立近代美術館フィルムセンターだと疑う余地もなかった。その前日、アートスタディズの勉強会の会場がたまたまこちらの6階会議室だった。てっきり2daysだと、翌日も映画を観に来るのだと自分で思いこんでいた。スケジュール帳に書き込んでいるからあとは決行するだけだと思っていた。念のため勉強会の帰りに1階の受付で確認したところ、なんとそのようなプログラムはありませんと言われた。「あれぇ、可笑しいな、何か勘違いしていたのかなぁ。」と我ながら不思議に思って、家に帰ってからよくよく調べたら、それは川崎市市民ミュージアム映像ホールでのプログラムだった。おもいっきり勘違いしていた。
川崎市市民ミュージアムあそこに出かけるのは私の家からだとアクセス的に少々難儀なのだ。昨年の夏に展覧会で訪れたが、バスの本数が少ないのがネックになる。なので映画を観るは今回はあきらめた。建物はものすごく大きくて、誰が設計したのかと思ったら菊竹清訓さん1988の作品だった。いわば同じく菊竹さんの手による江戸東京博物館と同じようなイメージのミュージアムだ。→

サザンオールスターズの歌にも登場する湘南パシフィックホテル茅ヶ崎1967。しばらく廃墟となって今はなくなってしまったが、こちら独特のフォルムのホテルでやはり菊竹清訓さんの設計だ。しばらくずっと加山雄三と父上である上原謙さんの所有だった。当時はエレキな湘南の風を浴びて、白く燦々とまばゆくく輝いたのだろう。なんとなくその時代が想像ができる。若大将の母上は小桜葉子という女優さんで、愛らしい子役さん時代の写真がフィルムセンターにあった。彼女は岩倉具視の曾孫にあたるという、そうすると加山雄三氏はその5代目になる。明治維新の功臣である岩倉具視の亡くなる直前の病床での姿、重篤の彼を明治天皇がお見舞いにいらしたとき、手を合わせとてもありがたく感激している姿がある。この大きな絵画が明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に飾られている。なかなか胸に迫るような歴史の一コマ、迫力のある絵なのだ。

昨日は建築家・菊竹清訓さんをゲストに日本大学理工学部建築学科のフォーラムがあって学生に交じって参加した。そのこちらのモデレーターは建築家であり同大学の教授である横河健氏が務めていらした。健氏は明治の終わりの帝国劇場、大正の三越呉服店(百貨店)を建てた偉大なる建築家横河民輔氏の孫にあたる。民輔は中国などの陶磁器のコレクターでも有名であり、私はどんなきっかけで民輔コレクションが誕生していったのか興味を持っている。

実は、今日、知った事実があった。この夏に銀座大通りでふらりと立ち寄ったギャラリー建築家の50人展。現代の建築家、いわば建築家さんと個人事務所の仕事ぶりを紹介する催し物だった。家づくりのポイントなどもアドバイスされている。そのなかに辰野武山建築設計事務所というのがあった。私はすぐピンと来て、辰野とはもしやと思った。そこですぐにその場にいらした男性の方に伺ってみたが、わからない、そんな質問をすること自体がまちがっていたのか、少し妙な顔をされた。辰野といえば辰野金吾でしょう。そのつながりをすぐに疑うのは間違っていないと私は思うのだが・・。そして、今日調べていてわかった。やはりこの辰野さんというのは辰野智子さんという女性で東京理科大学の建築学科のご出身、彼女の祖父は仏文学者の辰野隆(ゆたか)氏であり、一高時代の同級生には谷崎潤一郎、東大教授時代には評論家の小林秀男などの教え子がいる。つまりその父上が明治の偉大なる建築家辰野金吾である。辰野家では金吾以来、建築家がいなかったのだがひ孫である智子さんが建築家の血を受け継いだのだ。そして、智子さんは大学院を終えられてから横河設計工房に勤務されていた。それから独立してご結婚されご主人と連名の建築事務所を開かれた。横河設計工房とは横河健氏のところ、横河民大輔は辰野金吾の次の世代、弟子にあたる。彼らの孫やひ孫の代で、その師弟関係は逆転しているが、その建築家魂は脈々と現代に受け受け継がれていて、なんとも面白いつながりだと私は思わずにいられなかった。