ちょっと休憩。

2006-02-08 23:45:38 | ・その他・暮らし・日常
えどはくカルチャーの講座「水辺の近代建築」
今日も心に響くいいお話が聞けました。
米山先生お疲れのところ、どうもありがとうございました。


先週、今週はちょっと走りすぎたね。
少しだけ反省、スケジュール満載がキツかった。
頑張ったけれど、あれもこれもで頭が混乱しちゃう。
肩に力が入りすぎ。さすがにちょっと疲れたよ。
それにあんまりブログ、ブログって、思わないほうがいいね。
学習するのはいいけれど、けっして知識が先じゃないもん、気をつけて。
もっとその時の自分の感覚みたいなのを大事にしてごらん。
忘れちゃいけないね。

建築はちょっと息抜きしてリラックス、おとなりに行こう。
美術かな。達彦さんかな。

きっと会える

2006-02-08 15:35:49 | ・大好き☆建築あれこれ
建築をめぐる楽しさの中には、
ゆるぎないノンフィクションの力、感動が秘められている。
ある建築家の、ある人間の生きざま、一生を知る。
それはなんとすばらしいことか。

今回の展覧会や前川さんを語る人々を通じて、
私は前川國男さんに会えた。

街角で、その地域の自然の中で、
作品が残っている。
呼吸している。
何か語りかけてくる。
時間を超えて対話できる。

それはなんとうれしいことか。

4.赤煉瓦とウィリアム・モリス

2006-02-08 14:08:10 | ・講演・セミナー・シンポ
藤森先生は、前川建築作品の中では自邸と「熊本美術館」1976がお好きだそうだ。

打ち放しコンクリートなどは線が太く重苦しく感じられ、どうもといったご様子。
自邸は木造なので、太さが薄められてイイ感じだ。
煉瓦といっしょになると 前川さんの良さが生きてきていいなぁ、と思える。
前川ファンは、独特の誠実さと使命感がある。
「日本相互銀行」1952 がいいって言うけれど、どこがかなぁ? 笑

晩年、前川さんは、なぜ歴史主義の象徴の赤煉瓦をやったか。
その理由は、自身の文章に残されている。
一番好きだったのが「ウィリアム・モリス」職人による手仕事の美しさ、 
自分として思想的に強いものがあって、長い精神の果てに戻ってきたのが、
赤煉瓦であった。
コルビジェが地中海に帰っていったと同じように。

前川さんは、誠実な歩みをした人だと言っていい。と
藤森先生は、最後にそう締めくくられた。

★参考
ウィリアム・モリス1834-1896 19世紀イギリスの詩人、デザイナー
ヴィクトリア朝のイギリスでは産業革命の成果で大量生産の商品があふれていた。
アーツ・アンド・クラフツ運動を起こして、モリス紹介を設立。
生活と芸術を一致させようとするモリスのデザイン思想は各国に大きな影響を与え、
20世紀のモダンデザインの源流にもなった。

★気になる→調べ学習
建築におけるモダニズムの起源は、
英国のアーツ・アンド・クラフツ運動とされることが多い。
モリスの邸宅としてフィリップ・ウェブが建てた「赤い家(レッドハウス)は、
煉瓦造で中世風の外観を持つ。一見、中世への回帰的な装いであるが、
素材とデザインを統一させたなかに美を表現しようとする合理的、革新的な
要素を持っていた。

3.前川 VS. 丹下

2006-02-08 00:35:31 | ・講演・セミナー・シンポ
コルビジェとレーモンド。
それらモダニズムと日本の伝統が一体化して、目を広げていった後に、
前川さんは独立する。
岸記念体育館・正面左右になまこ壁風・・? 耐震性を計算してやった。 
内部は数寄屋、前川は伝統あるモダニズムを戦前やっていく。゛

第二次世界大戦勃発

丹下健三の登場
1942日本建築学会主催「大東亜建設記念営造計画」設計競技1等入選→大学院生
審査委員(長) 前川國男
まるで横山大観の絵か、和紙に裏から色をさす、微妙にぼける
富士山、伊勢神宮、サンピエトロ広場・・・

伊勢神宮と言えば、
前川國男自邸、木造のアレは伊勢ではないか(スクリーンには自邸の柱ある裏側)
前川邸は名作であり学生の教材として、今でも図面を写させる。

1943在盤谷日本文化会館(日泰文化会館?)の設計競技に
丹下29歳→1等入選 神殿造り 完全に伝統建築に一気に走る
前川38歳→2等   書院造り モダニズムを捨てこのコンペの段階では歴史主義
前川発言→「日本は個人の表現を捨てなければ、社会全体の意向に添うべきだ。」

前川と丹下の二人は、同時に伊勢に興味を持って、
日本の伝統とモダニズムには接点があって、それを探ろうとしていた。
戦時中は、(歴史)様式化して出てしまった。

その後も広島平和会館のコンペで対決。
丹下は伊勢と桂(離宮)をベースにしてコンクリートで造り、世界的に評価される。
前川案・・・建てなくてよかった。
ちなみに、村野藤吾発言「今さらコルビジェもないだろう。」スキャンダル?

前川の戦後の生き方は、直接伝統色を出さず、和風を拒んでいく。
1954 神奈川県立図書館 丹下案はまるで前方後円墳→このころかなりお疲れ。笑

★前川國男と丹下建三、二人のコンペの争いが日本のモダニズムをリードした。

1964丹下の国立屋内総合競技場(代々木体育館)は、
明治神宮への軸線を意識している。こだわりの証拠写真を残している。
(おっと、これは、厳島神社と原爆ドームの聖なる軸線と同じね)

前川さんは丹下さんの優れたデザイン力をみて、
゛テクニカルアプローチ゛(技術)なんて、そちらの方を発したのではないか、
と邪推してます・・との藤森発言。

最後の激突は東京都庁コンペ
師匠弟子三つ巴→前川、丹下、磯崎(また出た)→首都に崇高さを都市にイコンを。
三人とも目を合わせず顔をこわばらせて一言もしゃべらない。
厳しい世界。

そして・・・前川國男氏は・・・

 

2.レーモンド事務所にて

2006-02-08 00:02:42 | ・講演・セミナー・シンポ
日本では、ライトの弟子である土浦亀城が木造モダニズムで自邸を建てた。
ライトはかなり叱責した内容の手紙をよこしている。
土浦は明治生まれの人間、先生に叱られたことを気にして恥じた。
(その手紙を藤森先生になかなか見せてくれなかったらしいが、
ライトの文字は吹き出しつきで、かなり怒っていたのが分かるとか)

前川さん、日本に帰国。
コンペをやってもいいという約束で、1930レーモンド事務所に入所。
1934 木村産業研究所(弘前市)処女作をみると、
後期コルビジェの造形的なものではなく、
やはりピューリズムに惹かれていたんだと分かる。
玄関まわりなど、才能があるなあ、って。
(→天井が赤いのがポイントでステキ byみっちょる )
レーモンドは変わり始めたコルビジェに惹かれた。

そして、問題の レーモンド「夏の家」 コルビジェ「エラズリス邸」
収まりはコルよりウマイ、木造だからできた、木造で軽い。

★ダイナミックな木造モダニズムは日本だけ。世界に誇れる独自の宝の領域。

ここでとんでもない疑惑を抱く藤森氏・・ 笑
前川さんが、コルビジェの所からエラズリス邸の図面を持ち出して、
レーモンドに渡したのではないか・・・・時期は重なる。
本気ですごく心配になった。それは盗作どころか盗難。
実は、全然そんなことはなくて当時の関係者がレーモンドに聞いたところ、
コルの雑誌に載っていたのをみてやったと、本人の発言があった。
(あーよかった。安心した。)

コルビジェは夜になると弟子からスケッチを回収した。
図面は全部通しナンバーを打っている。盗まれることへの恐怖がある。
給料が出るのではなく、弟子はコルビジェにお金を払っていた。
塾と思えばわかりやすいか。