私の通う大阪文学学校は、樹林という雑誌を作っていて。そのうちの年に2回(夏と冬)は、生徒によって選考された、在特号と呼ばれている生徒の作品集が発行されます。
大手の出版社にも発送され編集者の目に触れるので、掲載されることは、重要な意味を持ちます。
入学以来、私は掲載を願って小説を応募しているのですが、厳しい結果でした。
ところが昨年、同じクラスで勉強していたIさんが、文学学校の副校長だった日高てるさんの詩を読む会にお誘いくださったことから、詩に興味をもつようになりました。
日高てるさんの詩は難解ですが、一つ一つの言葉が心に響きました。
そのあと私は、自分で一つだけ「君は聖書を携えて」という詩を書きました。
Iさんのアドバイスで、夜の詩の講座のチューターにコメントをいただき、ご指摘くださった問題点を自分なりに考えて、書き加えました。そして、Iさんのおすすめで、在特号に応募し、なんと夏号に掲載されることになりました。
ありがたいことです。
「亡くなったお父さんのことを表現した詩を選んでくださってありがたいね。家族の思い出になる」
と、子供達はすごく喜んでくれました。
今年度最後の組会の日、Iさんが、掲載のお祝いとおっしゃって、のしのかかったカステラをくださいました。金の箱に入っています。
昭和は、お祝い事やお見舞いの時に、カステラを贈っていました。カステラは特別なお菓子でした。私は、幼稚園の頃体が弱かったので、煎じ薬を飲む時に、よく頂いたカステラを一緒に食べさせてもらいました。カステラの美味しさで煎じ薬の苦さを忘れるように言われていました。そんなことを思い出します。Iさんの心遣いに感謝しました。
言葉で表現する世界は、奥が深く、学んでも学んでもその先がまだまだあります。
実は、以前から関西にいる意味が私にあるのかという疑問がありました。その頃は、親の介護もあり、また孫も小さくて、私がサポートする必要があるので、しばらくは関西にいる必要がありました。
私は広島では、広島の人から良いものをたくさんもらって、やるべきことをしたという自覚があるのに、夫の転勤とはいえ、関西にやって来たのには、何か意味があるはずなのにその実感がありませんでした。
そしたら、パンの巨匠ビゴと出会って、彼から多くを学ぶ機会に恵まれました。そのビゴも亡くなられました。その頃は小説を書き始めていました。小説はどこでもかけると思っていて関西を去ることも念頭にありましたが、様々な偶然が重なり、大阪文学学校の存在を知り、通うことになりました。二年在籍して、今年の3月で専攻科修了です。
関西に来た意味は、パンをビゴに学ぶことと、大阪文学学校で小説を学ぶことだったのです。
人は意味もなくその場所に存在するはずはありません。そこで誰かに出会い何かを掴むことを約束されているのです。
今回の詩の掲載は、私が関西で生きた証であると、ありがたく受け止めております。
最後に
”Iさんカステラは大変美味しかったです。これからも人生の師としてお導きくださいませ”