マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

いよいよウィーンへ向かいます。

2016-08-31 15:39:04 | ぼやき日記

旅行も残すところあと3日。

じつは、ザルツブルグにの2日目に、ダイヤル式で設定したNOでスーツケースが空かないというハプニングがーありました。

一瞬途方にくれました。

でもよく考えたら、3桁の数字合わせをすれば何とかなる訳で、全部で1000通り。ダイアル合わせるのに、どんなにゆっくりでも1分間に10回いじょうはできるはず。2時間もあれば、絶対空くはずです。1000回目で開く確率は1000分の1。うまくいけば10回ぐらいで開くかも。

同行のメンバーの方が、恐らくそんなに沢山うごいていないはず、近い数字で合わせてみてはといわれ、2時間は覚悟しましたが、けっきょく3回目で開きました。馬力だせばできることはどうにかなるものです。私にとって一番不安だったのは、ひとりで、バスにのって、ホテルに帰ってくることでした。それ以上に困ることではありません。トランクはそれに比べれば予測可能な事でした。やれやれ。お騒がせして申し訳ありません。

 

31日はドナウ川を下って、ウィーンへ向かいます。お天気が良くきれいでした。大図書館があるメルク修道院の所から船に乗りました。

 

 

 

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ザルツブルグ観光2

2016-08-31 03:47:36 | ぼやき日記

 

ザルツブルグの観光のもう一つは、やはり、サウンドオヴミュージックの映画のロケ地を巡ること。

マリアと子供達がハイキングにいくシーンに出てくる場所と、郊外にある大佐と結婚式をあげた教会なども行くことができました。

ガイドのマダム純子は、サウンドオブミュージックが好きすぎて、ザルツブルグに30年以上住むことになられたとか。歌うガイドさんなので、歌をご披露下さいました。エーデルワイスのときは私は下のパートをうたってしまい、上手くハモれて幸せでした。気さくな人柄のため、3年後は、私が彼女に弟子入りして、助手でもしているんじゃないかと、言われるほど盛り上がりましたが、私は、浜田の実家の庭と畑があるから、ザルツブルグ永住はむずかしいと真面目に思いました。

インスブルックのマダムも優雅ですきでしたが、ザルツブルグのマダムも気さくで、良い方ばかりでした。

 

登山列車でシャーフベルグ山頂に行き、景色を楽しみました。山頂は霧に包まれておりました。

オーストリアは、敬虔なキリスト教徒の国です。教会の建物は豪華で素晴らしく、大切にされています。マリアの教会も歴史的に価値があるものでした。

 

午後は、大自然の山と湖に囲まれて過ごし、ハルシュタットに泊まります。

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ザルツブルグ観光1

2016-08-30 05:15:12 | ぼやき日記

8月29日はザルツブルルグの観光に出かけました。ザルツブルグは大司教が1500年の長きに渡り治めた都市です。豊富な岩塩や鉱物で潤っており、潤沢な資金故、繁栄いたしました。市内あちこちに見事な装飾の歴史的建造物があります。写真はザルツブルグ城です。

ザルツブルグ出身の有名人は?

もちろん、モーツアルト。多くの人に愛される作曲家。我々は、生まれた家とその後過ごした家に行きました。

生まれた家は博物館になっておりまして、オリジナルの譜面や肖像画が展示されていたりします。台所までは撮影できました。

  

その後過ごした家も行きました。

  

そして2人目はカラヤン。カラヤンの家と銅像も見てきました。ベートーベンの第9を歌った時に何度も何度も聴いて勉強しておりました。何回聴いても素晴らしいのです。

  

3人目の家は、モーツアルトが生家から引っ越して住んだ家の道を挟んでお隣にありました。

 この人は、物理学者のドップラーなのです。最初の二人が有名すぎて、立派な研究者なのに影に隠れているそうです。

 

モーツアルト。35歳の若さで亡くなっても、残された作品はたくさんあります。優美な旋律は、やっぱり好きです。。来てよかった。

路線バスにのりホテルへ帰る途中、なんと昨晩のベルリンフィルのコンサートでお隣だった若いお嬢さんとまた、偶然再会いたしました。これが男女なら恋が芽生えるのかもしれませんが、残念ながら、再会を喜んでお別れいたしました。

夜はさん、修道院が始めた、世界最古のレストランで食事をいたしました。それにしても量の多いこと多いこと。

しかも、オーストリアビールが美味しい。ダイエット中をわきまえなくては、、、。

 

 

 

 

 

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サイモン・ラトル指揮によるベルリンフィルコンサート

2016-08-29 04:44:54 | ぼやき日記

添乗員任せの旅行。28日は、インスブルック観光の後、ザルツブルグ入りし、夜はベルリンフィルのコンサートに行くことに決めておりました。岩の壁を利用して作られているコンサートホールです。いろいろわからないために、お店の買い物もコインが使い分けできず、あたふたするし、移動はいつもバス。この夜は、一人でタクシーで会場まで行き、帰りは、バスに乗ってザルツブルグ中央駅まで帰り、駅から歩いてホテルに帰ることにしました。不安でどうしようもなかったのですが、行きは添乗員さんが付き添って下さいました。

会場前は、ドレスアップした女性と、正装の男性が、たくさん。スパークリングワインを外のカウンターで売っていましたので、飲んでみました。やっぱりお金であたふた。

ホールが開場になりチケットを見ると、前から1列目の 横から30番目。真ん前の席、しかもラトルの指揮棒が見えやすい右手側。

こんな位置で見えるのです。指揮者を見るのにこれ以上良い場所はありません。

マーラーの交響曲7番。5楽章まで同じテーマのリズムで構成されています。曲は少しずつ変わりますが、マーラーの作品の中では地味と言われていました。しかし、ベルリンフィルはすごいんです。みんなの音が調和していて、心地よい音の響きが、体に伝わるんです。

そして指揮者ラトルの、ドラマチックな構成と演出。第五楽章は特に凄かったです。

帰りなのですが、すぐそばの馬洗場の向かい側でバスに乗るのですが、お隣が、日本から来たお若い女性でしたので、ご一緒することができました。やれやれです。

ベルリンフィルの演奏が素晴らしすぎて興奮して眠れません。マーラーのリズムも体が覚えております。

こんな夢のようなことが実現できたなんて、ありがたいです。

 

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インスブルックからザルツブルグへ

2016-08-29 03:38:56 | 浜田のごちそうレシピ

  

27日夜にインスブルックに着いてホテルに泊まり、早朝目覚めたらこんな風景が、目の前にありました。趣のある中世の街並の後ろに2000メートルを超える山がそびえておりました。オリンピック開催年としか頭にありませんでしたが実は、インスブルックはハプスブルグ家の本拠地で、中世から栄えた町でした。ウイーンとインスブルックにだけ、王宮があるのだそうです。

午前中は、ホテルから見えた山の1900メートルの所まで上がりました。そこで、見晴らしの良い景色を見ました。

 

午後は現地ガイドの美しい日本人マダムによるインスブルックの歴史と文化のお話を楽しく聞かせていただきました。

 

オーストリアの歴史上の有名人の一人、神聖ローマ皇帝マキシミリアン一世ゆかりの建物や歴史建造物が幾つかあります。その中でも黄金の小屋根は目を引きました。町のお祭りを見学するために、作られたバルコニーなのです。黄金の屋根が付いていて美しいのです。後ろには山が見えておりました。

もう一人は、マリアテレジア女王

息子、レオポルトの結婚を記念して、作られた凱旋門。ですが、結婚式を前にして、夫が亡くなるという悲劇に見舞われ、門の裏は、金を廃止、地味に作られました。彼女の時代に王宮も改装され、生まれ変わりました。

最後はモーツアルト。

彼が泊まったというホテルです。白十字の看板でした。

昼食は、チロル料理のバイセス、レッセルというジャガイモとお肉のハーブソテー目玉焼きのせをいただきました。それにしても、こちらは、とにかく、レストランでも、総菜屋さんでも大盛りなんです。大食いの私でも平らげることはできないのです。スワロスキーもインスブルックが発祥でした。ちょっとだけお土産を買って、いよいよ夕方ザルツブルグ入りします。

祝祭劇場でベルリンフィルのコンサートに一人で行くことになっているのです。行くときはホテルからタクシーですが、帰り、無事路線バスに乗って帰ってこられるか、不安で仕方ありません。なんせ英語はまともに聞き取れず、ドイツ語はさっぱりわからず。

ドイツ語の入った電子辞書を持ってきていることに気がつきました。おそらく、使いこなせる頃には日本でしょう。

 

 

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念願のザルツブルグ行き。

2016-08-28 02:35:20 | ぼやき日記

15年前、当時東京の師匠の計らいで一緒にピアノをやっている仲間と、ウイーンとザルツブルグの旅が行われました。ベーゼンドルファのホールで演奏会を開いてみんなで演奏したり、モーツアルト生誕の地ザルツブルグを訪問し、オペラやコンサートを楽しむというものでした。私は長女の中学受験が一段落したところで、チャンスだったのですが、子供が一人前になったら、主人が私を連れて行きたいと強くいうので断念いたしました。

考えを同じくする仲間と一緒に楽しむ旅行ができなかったことがずっと心に引っ掛かり、3年前に、私が精神的に窮地に追い込まれた時に、3年後は何があっても必ず行こうと心に決めました。特にザルツブルグは私の大好きなサウンドオブミュージックのロケ地でもあります。ザルツブルグ行きが心の支えとなりました。一緒に行ってくれると言った主人は、昨年他界してしまい、結局、今回、子供達や友人とのスケジュールも合わないので、ツワーに一人で参加して行くことに決めました。

成田に前泊し、27日のお昼に日本を発ちました。ウイーンから飛行機を乗り継ぎ1日目はインスブルックに泊まります。インスブルックはチロル地方にあり、中世の面影を残す古い町です。28日に市内観光をして、夕方ザルツブルグ入りいたします。

 

それにしても、成田に発つまでが大変でした。猫に喘息の発作みたいな症状が出たり、私が2日前から風邪をひいて、咳と鼻水が止まらず、あたふた。旅行の間、母はショートステイに出かけてもらうのですが、私が一人でヨーロッパに行くと聞くと心配して、

「一人で行くんなら、私が一緒に付いて行ってあげたのに。」

こういうのです。

「お母さん、一緒に行く?って半年前に誘った時、私はもう年を取りすぎて海外旅行はやめておくと言ったでしょ?」

「そうだった?今の私は元気だから、飛行機に乗っても平気だったのに。ごめんね。」

そんなこんなで、母のショートステイの準備して送り出し、猫を獣医さんに連れていき大丈夫というお墨付きをもらい、私自身が内科にかかりお薬をもらって、旅に出ることができたのです。

そうそう、もう一つ、私にとっての5年前からの大事業があり、私が渡航中に亡くなったら、成し遂げられないので、深夜に必死で夜なべして終わらせました。へとへとです。何をしたかは、余談になるので後日にさせていただきます。

 

そんなわけで、観光地の事前の下準備など出来ずじまいでした。

ドイツ語もダメ、英語もカタコトの私ですが、添乗員さんに助けていただいて、行ってきます。

wifiがうまく繋がったら、旅の様子をお知らせいたします。

 

 

 

 

 

 

 

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お久しぶりです。お帰りなさい!Mac

2016-08-22 09:04:19 | ぼやき日記

 

1993年、堀越家に最初にやってきたPCはMacでした。主人も私も仕事の関係があり、途中で、マシンはWINに代わり、骨董品のMacは物置に置かれた状態でした。

5年使った東芝のノートパソコンが、ネット接続の部分が壊れたので、半月は、スマートフォンに頼る生活になっておりFacebookのみの投稿となり、このブログはほったらかしになりました。

この度、友人の勧めもあり、思い切ってMacbook pro に変えました。同時に、モバイルルーターの役割をしている、タブレットもipadに代えました。

20年前とは遥かに優秀なスペックに驚いていますが、やはり、キーボードの使いやすさ、モニター画面の美しさは、キープされています。

 

生きていると色々なことが起こります。思わぬところから、足を引きづられることもあるのです。それでも、前に進んでいくうちに、何かが見えてくるかもしれません。現実の厳しさばかりを嘆いてもその先はありません。

マックとの再会は、私たちを新しい世界に導いてくれそうです。

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夏の浜田

2016-08-22 08:32:30 | ぼやき日記

 

8月上旬は浜田で過ごしました。

今年は亡くなった主人の初盆でもあり、料理教室、同窓会もあったりで行事がたくさんありました。高齢の母と孫を連れて帰り、忙しく過ごしました。

裏の畑は、Facebookで紹介しておりますが、今年の異常な暑さも起因して、トマトと万願寺とうがらし、オクラのみがよく育つぐらいでした。お目当てのカボチャやトウモロコシはかわいそうな状況です。

それでも、なんとか実った野菜と地元でいただいた野菜で料理を作りました。3日分の料理です。

ご覧になって、お気づきの方もいらっしゃるとは思いますが、私は、7月末より、ダイエットを始めました。運動することが中心で、食事は、夜に主に炭水化物をとらないこと、朝昼は従来の半分以下で摂取しています。その成果は少しずつ出てきておりますが、まだまだこれからなのです。

リオデジャネイロオリンピックで、日本選手の活躍がめざましいので、寝不足と戦いながら、応援しています。閉会式も間近です。

母は元気で体調も良いのですが、実家に帰ると、家のことが心配になるらしく不穏でした。介護は本当に疲れます。私の場合は、浜田でも、西宮でも、介護の専門家も含めて、周りの人が支えてくださっているおかげでなんとかやっていきます。ありがたいです。

介護に関わっていらっしゃる方、どうぞご自愛ください。

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