白堊スポーツ - since 2004.09.18

母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

十字軍物語(4)ー塩野七生

2022年08月19日 | 読書
評価5

再読(前回2020年11月14日)。
第6次十字軍からその終焉まで。十字軍遠征は8次まであるが、何と言っても注目は聖都エルサレムを獲得した第6次。2度に渡るローマ法王による破門もなんのその、1229年中近東に向かった神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世は、イスラム側のアル・カミールとの交渉でエルサレム譲渡を引き出すことに成功する。しかし、フリードリッヒ2世は「エルサレムの解放は話し合いでなされるべきではなく、血を流すことによってなされるべき」とするキリスト教徒からの非難の嵐を浴び続け、ローマ法王グレゴリウスとの関係は法王軍の自領への侵攻という事態にまで悪化してしまうのだった。第7次、第8次はフランス王ルイ9世が率いるが、どちらもあえなく失敗。そして、マメルーク王朝となったイスラム側との1291年のアッコン攻防戦で、ついにカトリック・キリスト教徒は192年間守り続けたシリア・パレスチナの全域から一掃されてしまう。

<フリードリッヒ2世とアル・カミールの交渉結果>
・イスラム側はエルサレムをキリスト側に譲り渡す
・ベツレヘムとナザレはキリスト側の領有とする
・エルサレム周辺一帯はイスラム側領土として残る
・パレスチナの海港都市の領有権はキリスト側にある
・キリスト側とイスラム側の往来を認める

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十字軍物語(3)ー塩野七生

2022年08月17日 | 読書
評価5

再読(前回2020年11月9日)。
第3次十字軍から第5次十字軍まで。第3次はエルサレム奪還という当初の目的は達成されなかったが、英国王リチャードとサラディンとの講和が成立、この講和は第5次の3年間を除いた34年間もの平和を十字軍国家にもたらす。続く第4次はキリスト教徒同士の攻防となり、ビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルが陥落、第5次はエジプトへ向かったものの、大洪水に見舞われて失敗に終わる。

第3次十字軍に参加したフランス王フィリップ2世は、自国の領土拡大のために早々に帰国し、虎視眈々と英国領への侵攻をはかる。「失地王」の名で知られる英国王になったジョンは、彼が王位に就いていた17年間に、兄リチャードがフランス王から奪い返した地方のほとんどを再びフィリップに奪い返されたのであった。

ローマ法王と諸国王との権力争い、当初の目的の聖地奪還はどこ吹く風の領地争奪戦、お金をもらったら行方知れず、等々、権謀術数渦巻く中、妙にイスラム側のサラディン、アラディール、アル・カミールが善人に見える(笑)。

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十字軍物語(2)ー塩野七生

2022年08月14日 | 読書
評価5

再読(前回2020年11月3日)。
エゼッサ陥落による第2次十字軍遠征(1148年)から始まる十字軍国家防衛の変遷とサラディン登場によるイスラム世界統一とエルサレム陥落(1187年)まで。ついに十字軍側に残ったのは、アンティオキア、トリポリ、ティロスのみとなってしまったが、3年後に第3次十字軍が立ち上がる。

今で言う「特殊部隊」の聖堂(テンプル)騎士団、聖ヨハネ騎士団(後のロードス騎士団、マルタ騎士団)の詳述が興味深い。第2次十字軍は、結局、アレッポの領主ヌラディンの参戦でたったの四日間でダマスカスから撤退し、そのリーダー格だったフランス王ルイ7世が大領主だった王妃エレオノールにおんぶにだっこだったのが情けなさ過ぎる(笑)。

第3次十字軍では、いよいよ、「聖戦」を唱えるイスラムの英雄サラディンとの全面対決!

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