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母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

遊座先生とスナック

2009年03月01日 | 白堊な人々

2月21日、啄木研究家・遊座昭吾先生「最終講義」が盛岡一高白堊ホールに数多くの卒業生を集めて行われた。

◇当日の模様を伝える ⇒ 在京疾風会HP

白堊人で知らない者はいない遊座先生なので、詳しい紹介は割愛するが、昭和39年~昭和51年まで盛岡一高に在籍された。残念ながら、小生は先生の授業を受けたことがない。

さて、その遊座先生と数年前八幡町のとまり木という名のスナックでお会いして、お話を交わしたことがある。

とまり木のママは福岡高校出身。
先生の教え子で、たまに先生が店にいらっしゃることは聞いていたが、まさかお会いできるとは思っていなかったので、感動と感激の余り何をお話したか覚えていない。

これからも健康に留意され、お元気に研究を続けられることを願っています。

【追伸】
とまり木では、現・盛岡市立野球部M副部長をお見かけしたこともあります。花巻南時代だったと思います。今はなきとまり木は、福岡高校出身者のオアシスだったのかもしれません・・・

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2 コメント

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Unknown (佐藤(泰))
2009-03-02 11:39:40
 遊座さんからは漢文を教わりましたが、カン高い声で朗々と李白・杜甫を読み上げるさまは、今でも目に浮かびます。国語には名調子の先生が多かった。

 そういえば、我々のころは「~先生」と呼ばずに「~さん」と呼んでいたのを思い出した。それが伝統だ、と言われてたし、先生が「おはよう」いうと返事は「オス!」だしね。慣れればそういうもんだ、ということになるが、今どうなんだろ。
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Unknown (平舘)
2009-03-02 11:54:21
>佐藤先輩

小生1年生の時の(確か)古典はタガリギ。男クラだったので、授業で『冷金法』をしっかり学びました(笑)。そうですね、先生とは言わなかったかもしれません。裏では当然呼び捨てでしたね。体育館の壇上に並んだ新任の先生には「声、きけねぇー!」とか「もっと声出せぇー!」とかさんざん野次ったあげぐ「イースっ!」。泣きそうな先生もいたような・・・(笑)
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