『ブラインドサイト』に関しては、70年代の初めに英国のL.バイスクランツにより臨床研究から明らかに人間に備わる、感覚だと証明されている。チベットの視覚に障害を持った子供達がヒマラヤの高峰に挑戦する、過程を活動に参加したガイド達や現地に盲人学校を設立した、自身も視覚障害者である女性とスタッフ、そして企画現実の為にアメリカから参加した『著名な盲人クライマ-/登山家』=世界で最初にチョモランマに登頂した、視覚障害者でもあり、このドキュメンタリ-は彼の意識と活動に触発、影響を受けた時点で始まっている。
この映画の日本公開時の広報・宣伝には『盲目のチベットの子供達のエベレスト挑戦』や、それに類した刺激的な宣伝文句がメディアを賑わしていた。公開後の評価は、当然?ながら、概ね好評そして現地チベットでの劣悪な障害者『差別・迫害』の現実と、西欧的な挑戦の自由から可能性は無限といった、とても口当たりの良く、障害を持った子供達への共感・支援、理解を示す表現が全開状態。
障害者への迷信的、土着信仰からの弊害を映像の中で示す事により『チベット』を開放したと宣伝する中国政府の圧力を感じるのは、私だけ?
ベ-ス・キャンプへのアプロ-チ途中に立ち寄った寺院での、登山の安全祈願で祭壇に飾られていた御真影は、監禁されている本物の次期『知恵の大海』ではなくて、中国政府が勝手に造り上げた『トゥルク/化身』の様に私には見えた。
現在の『チベット弾圧』『北京オリンピック』絡みで、美しく汚れを知らないヒマラヤの高峰でのチャレンジド(障害者)の素晴らしい挑戦ドキュメンタリ-映像が何か、本質的な部分を汚され強制的に変質されて『本質』も濁らされている様に感じてしまった。幾つかの批評や感想を聞くにつれて、この映画で制作者は何を観客に見せたかったのか、何を感じて欲しかったのかを、深く考えさせられる。単純に保護者としてのスク-ル・スタッフと登頂を目指し、過程よりも結果を重視するサポ-ト側スタッフ・メンバ-の確執や大人と子供、障害者と健常者、エキスパ-トと素人との対比や登山観や技術論、そして感覚・意識の違いや対立、そして和解への過程を並べ立てて、この映画を論じるのは単純過ぎる。
『ダライラマ自伝』を読み終えてから、1週間レンタルで借りて来た『DVD』をポィントのみ数回、繰り返して見ながら、やはり想うのは『現在のチベットと日本人の北京オリンピック』への反応。そして世界中の障害を持つ、子供達の現実
迷信・カルマ・前世の報いと、やたらと『チベット宗教観や遅れた社会』を、強調して盲目の子供達への哀れみや、同情心を煽る箇所は何か意図的過ぎて、個人的には何か釈然?と、しなかった。とにかく、この映画は中国で撮影されたのだから。
限界は存在していた筈だ。
抗議行動の中に、アメリカのクライマ-の姿を架橋のワイヤ-上で見た。そう言えば僅かな期間だったが『グリベル社のヘルメット』には、はっきりと『チベット国旗をあしらったモデル』が存在していた、私は黒のしか所有していないけれど、もっと早くに現実に気づいていたら、国旗柄を被りたかった。
『映画の題名』と、チベット寺院(観光客も通過した登山者の多くも見ている)第3の目には強烈な主張が込められているようだ。
『Climbing Blind/TIBET EXPEDITION』の登山隊『旗』は、いかにもアメリカ人の好きそうな自己表現。映像では僅かしか見せない、製作総指揮と監督の意識を、彼らの他の作品から読み取るのも面白い。
『HAPPY TUGETHER』は、一種のブラック・ジョ-クなのかも知れません。
観賞される事を薦めます。
この映画の日本公開時の広報・宣伝には『盲目のチベットの子供達のエベレスト挑戦』や、それに類した刺激的な宣伝文句がメディアを賑わしていた。公開後の評価は、当然?ながら、概ね好評そして現地チベットでの劣悪な障害者『差別・迫害』の現実と、西欧的な挑戦の自由から可能性は無限といった、とても口当たりの良く、障害を持った子供達への共感・支援、理解を示す表現が全開状態。
障害者への迷信的、土着信仰からの弊害を映像の中で示す事により『チベット』を開放したと宣伝する中国政府の圧力を感じるのは、私だけ?
ベ-ス・キャンプへのアプロ-チ途中に立ち寄った寺院での、登山の安全祈願で祭壇に飾られていた御真影は、監禁されている本物の次期『知恵の大海』ではなくて、中国政府が勝手に造り上げた『トゥルク/化身』の様に私には見えた。
現在の『チベット弾圧』『北京オリンピック』絡みで、美しく汚れを知らないヒマラヤの高峰でのチャレンジド(障害者)の素晴らしい挑戦ドキュメンタリ-映像が何か、本質的な部分を汚され強制的に変質されて『本質』も濁らされている様に感じてしまった。幾つかの批評や感想を聞くにつれて、この映画で制作者は何を観客に見せたかったのか、何を感じて欲しかったのかを、深く考えさせられる。単純に保護者としてのスク-ル・スタッフと登頂を目指し、過程よりも結果を重視するサポ-ト側スタッフ・メンバ-の確執や大人と子供、障害者と健常者、エキスパ-トと素人との対比や登山観や技術論、そして感覚・意識の違いや対立、そして和解への過程を並べ立てて、この映画を論じるのは単純過ぎる。
『ダライラマ自伝』を読み終えてから、1週間レンタルで借りて来た『DVD』をポィントのみ数回、繰り返して見ながら、やはり想うのは『現在のチベットと日本人の北京オリンピック』への反応。そして世界中の障害を持つ、子供達の現実
迷信・カルマ・前世の報いと、やたらと『チベット宗教観や遅れた社会』を、強調して盲目の子供達への哀れみや、同情心を煽る箇所は何か意図的過ぎて、個人的には何か釈然?と、しなかった。とにかく、この映画は中国で撮影されたのだから。
限界は存在していた筈だ。
抗議行動の中に、アメリカのクライマ-の姿を架橋のワイヤ-上で見た。そう言えば僅かな期間だったが『グリベル社のヘルメット』には、はっきりと『チベット国旗をあしらったモデル』が存在していた、私は黒のしか所有していないけれど、もっと早くに現実に気づいていたら、国旗柄を被りたかった。
『映画の題名』と、チベット寺院(観光客も通過した登山者の多くも見ている)第3の目には強烈な主張が込められているようだ。
『Climbing Blind/TIBET EXPEDITION』の登山隊『旗』は、いかにもアメリカ人の好きそうな自己表現。映像では僅かしか見せない、製作総指揮と監督の意識を、彼らの他の作品から読み取るのも面白い。
『HAPPY TUGETHER』は、一種のブラック・ジョ-クなのかも知れません。
観賞される事を薦めます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます