『加西山の会』メンバ-が大勢の子供達にクライミングを教えていました。
この岩場が、こんなに賑やかなのは初めての経験。
ちよっと混雑しているので、午前中は使えるル-トが限定されていましたが午後からは、子供達もいなくなり、いつもの様に他のクライマ-も見物客?も、誰もいない静かな環境。
この岩場が、こんなに賑やかなのは初めての経験。
ちよっと混雑しているので、午前中は使えるル-トが限定されていましたが午後からは、子供達もいなくなり、いつもの様に他のクライマ-も見物客?も、誰もいない静かな環境。
もう一つ気がついたのは、何故か横列隊形を形成していて、学校等での軍事教練が可也徹底して身についているのかなと改めて思いました。
なにも、今更フリークライミングが放浪者的である必要などは毛頭ないのですが、そこに求められている創造的な自由な精神からすると若干違和感を覚えました。これは私の穿った見方でしょうか?
もちろんその背景には危険へと備えとか真摯な姿勢が要求されているのは分かりますが、必ずしも消防や警察・軍隊のようなそれが山における危険認識への模範的な姿勢ではないように思います。八甲田山の悲劇を思い起こすまでもなく。
ちなみに、この子供達のクライミング講習?傍から見ていると、ロ-プ確保も殆ど無く、用具は通学用のヘルメットのみというスタイルでボルダリングなのか、岩場でのクライミング体験なのか?あまり目的が判らない活動でした。せめて専用シュ-ズぐらいは使用していれば子供達も楽しめたはず。
しかし、そうした違和感など関係無い裾の広がりも一方にはある訳でして、例えば南ドイツのバイエルン州などでは学校のスポーツとして国民スポーツの地位を確保しているのもそうした「違和感の壁」を取り外しているからに違いありません。
同時に、室内でも感じる「危険は消せ無い」ものを子供にも確りと認識させるのも教育に違いありませんね。まあ、跳び箱にも恐怖心は付きものでして、何事にも本能的な動機付けが欠かせないようです。