今では、多分?想像も信じても、もらえないほど閉鎖的な世界の中で障害者の
海外クライミングと言う、報道だけで妬み、嫉妬など、今から思い返しても
馬鹿げた、バッシングを受けたのが、いまでは、すっかり忘れてしまった。
TVや新聞などでの、情報を見て、当時は穂高時代に救助活動などでも苦楽を
共にした、長野県警のNさん、や小屋関係の仲間から、随分と励ましの連絡を
頂いたのが、何よりの励みでした。
今では、多分?想像も信じても、もらえないほど閉鎖的な世界の中で障害者の
海外クライミングと言う、報道だけで妬み、嫉妬など、今から思い返しても
馬鹿げた、バッシングを受けたのが、いまでは、すっかり忘れてしまった。
TVや新聞などでの、情報を見て、当時は穂高時代に救助活動などでも苦楽を
共にした、長野県警のNさん、や小屋関係の仲間から、随分と励ましの連絡を
頂いたのが、何よりの励みでした。
FB(フェ-ス・ブック)交流から、もうかれこれ40年ほども前の国内初の聴覚障害メンバ-と
渡欧しての、本格的なクライミング・ガイドでの現地(仏)シャモニ-等で交流、交友を持てた
人達から、とても懐かしい写真が届きました。